ウィキリークスのジュリアン・アサンジ逮捕をめぐる流言、そして「強姦」と「『強姦』」のあいだ

2010年12月26日 - 9:30 PM by admin

二〇一〇年秋頃より米国の軍事・外交文書をインターネットや既存メディアを通して大量に暴露し、世界中の話題をさらったウィキリークスの責任者、ジュリアン・アサンジの英国での逮捕劇については、確かな情報がごく限定的にしか伝えられていないにも関わらず、ウィキリークスやアサンジの行動を支持する側、またそれらを非難する側の双方の論者により、憶測やうわさ話をまじえて、さまざまな意見が交わされている。
この問題に関心を持つ多くの人が知るように、アサンジの逮捕用件は、実のところウィキリークスの活動とはまったく関連がない。英国滞在中のかれに対する逮捕状がスウェーデンで出され、国際刑事警察機構によって国際指名手配されたのち出頭・逮捕、そして保釈された容疑は、二人の女性に対するレイプ、性的暴行、不法な性行為の強要というものだ。 Read the rest of this entry »

「テロ戦争」化しつつある、反「セックス・トラフィッキング=性的人身売買」運動

2010年12月15日 - 8:19 PM by admin

リュック・ベッソン製作・脚本、リーアム・ニーソン主演の映画『96時間』(2008年、原題 Taken)は、製作上フランス映画ながら、米国人の多くが抱える不安とファンタジーを体現したアクション・スリラー作品だ。ニーソンが演じる主人公は、十代後半の娘との関係を修繕するために仕事を引退した元CIA特殊工作員。ところがその娘がヨーロッパを旅行中、犯罪組織に誘拐され、性奴隷として地下オークションにかけられてしまう。娘の誘拐を知った主人公は、特殊工作員だったころの人脈とスキルを活用して、犯罪者たちを追跡し、拷問にかけ、殺していった末に、娘を無事取り戻すことに成功する。
はっきりとした勧善懲悪的なプロットに加え、海外旅行中の若い娘の誘拐、そして人身売買という危機、そして圧倒的な暴力によって悪を蹴散らして突き進む正義のヒーローという、いかにもアメリカ的なテーマの数々は、娯楽映画としてはよくできている。しかし、この映画の世界観がフィクションにとどまらず、現実に展開されつつあることを知る人は、あまりいない。 Read the rest of this entry »

ウガンダ「反同性愛」法案と、国際的なセクシュアルマイノリティ運動の可能性

2010年11月25日 - 6:53 PM by admin

先進国では同性結婚の制度の導入が広がるなか、同性愛者やその他のセクシュアルマイノリティ(性的少数者)の人権をめぐって昨年末ころから国際的に注目されているのが、アフリカ東部の国ウガンダにおいて提案されている「反同性愛」法案だ。
ウガンダでは既に同性愛は違法とされており、同性愛行為に及んだとされる人たちに対する法的あるいは私刑的な迫害は行われていたが、昨年提案されたこの法案では同性愛に対する最高刑を死刑と規定するなど、過激な内容が深刻な人権侵害にあたるとして国際的な非難を集め、一時的に成立はまぬがれた。しかし今年の選挙によって新たに招集された国会においても議員の大多数がこの法案を支持していると言われており、状況は予断を許さない。 Read the rest of this entry »

「トロッコ問題」という不完全な思考実験、そして宮台真司さんの勘違いとマーク・ハウザーの不正行為

2010年11月14日 - 12:01 AM by admin

史上空前のトロッコ問題ブーム(当社比)に便乗しての第三弾いきます。というのはもちろん冗談だけれど、「『消極的義務』の倫理――『トロッコ問題』の哲学者フィリパ・フットとその影響」およびその続編「『トロッコ問題』記事への追記――思考実験の功罪、ダブルエフェクト原理、フィリパ・フットの真意」はシノドスのメルマガおよびブログ(シノドスジャーナル)用の原稿として書いていたので、シノドスの記事でとりあげるまでもないネタというか、本筋からあまりに外れてしまう話は書かないでいたので、それを自分のブログだけで書いてしまおうという話。てか、ほんとに内容は大したことないけど。

今回とりあげるのは、ちょうどシノドスメルマガにわたしの最初の記事が掲載されたのとほぼ同時に、社会学者の宮台真司さんが自身のブログに掲載したエントリ二つにおいて「トロッコ問題」に言及していた件。宮台さんは出版前の原稿や対談の自分の発言部分を自分のブログによく掲載していて、日本で出版されている雑誌を読む機会がないわたしにとってはとてもありがたいのだけれど、まずは宮台さんが中森明夫さんと行ったトークイベントにおいて、中森さんが「トロッコ問題」に言及したのを受けての宮台さんの発言。最終稿は『週刊読書人』に掲載されているようです。 Read the rest of this entry »

「トロッコ問題」記事への追記――思考実験の功罪、ダブルエフェクト原理、フィリパ・フットの真意

2010年11月13日 - 9:17 AM by admin

前回の記事「『消極的義務』の倫理――『トロッコ問題』の哲学者フィリパ・フットとその影響」では書ききれなかったネタがあふれるほど余っているので、おまけとしてそのいくつかを書いてみる。というのも、サンデルの授業で紹介されているだけでなく、最近おこなわれた中森明夫さんと宮台真司さんのイベントでこの「トロッコ問題」が取り上げられるなど(宮台さんはちょっと間違って覚えていたようだけれど)、ここのところトロッコ問題への関心が高まっているようなので、もうちょっとこのサンデルブーム、トロッコ問題ブーム(?)に便乗してみようかと。 Read the rest of this entry »

「消極的義務」の倫理――「トロッコ問題」の哲学者フィリパ・フットとその影響

2010年10月19日 - 12:01 AM by admin

今月三日、イギリス出身の倫理哲学者フィリパ・ルース・フットが九〇歳で亡くなった。あるとき「女性の哲学者はどうして少ないのか」というシンポジウムに参加してみたら、発表者が全員男性哲学者だった、というような冗談みたいな男性優位社会でもある哲学界において、二十世紀中盤におけるアリストテレス的な徳倫理の復権に大きく貢献した哲学者の一人であり、前世紀を代表する女性哲学者の一人として記憶されることになるだろう。

しかしなんといっても彼女のもっともよく知られている功績は、いわゆる「トローリー(トロッコ)問題」という思考実験を提示したことだ。最近話題のマイケル・サンデル著『これからの「正義」の話をしよう:いまを生き延びるための哲学』を読んだり、かれの講義を収録したテレビ番組『ハーバード白熱教室』を観た人は、次のような設定に見覚えがあると思う。「トロッコ問題」には後述するように多数のバリエーションが生まれているが、以下はサンデル『これからの「正義」の話をしよう』から引用する。 Read the rest of this entry »

カムアウトをしない「自由」はない、あるのは「不自由」だけ(インディペンデント・マガジンpe=po掲載原稿)

2010年10月18日 - 10:32 AM by admin

(同性愛者らが)カムアウトをするべきかどうか、あるいはカムアウトするとしたらどういうタイミングでするかは、本人の判断に任されているべきである−−それは、まったくその通りだと思う。勝手に「あの人は〜だ」とアウティングしてしまうのは、良いか悪いかと言えば悪いに決まっている。
でもそのアウティングについて、レズビアンの小説家で活動家のサラ・シュルマンは、1990年にThe Village Voiceに掲載した短い文章「Outing: The Closet Is Not A Right(アウティングについて−−クロゼットは権利ではない)」で、次のように書いている(超意訳)。 Read the rest of this entry »

医者の「米国のインターセックス当事者運動は、それほど医療批判をしなくなっている」という見解について

2010年10月17日 - 9:28 PM by admin

前回このブログでインターセックス(性分化疾患)の話題を全力で取り上げてから、四年以上がたった。米国で「インターセックス」に変わる医学的な用語として「Disorder of Sex Development(より以前はDisorder of Sex Differentiation)」という言葉が提案されたのがその前年。当時まだ日本語としての定訳がなかったので、「性分化・発達障害」(英語における正式名称がdevelopmentになるのかdifferentiationになるのか、その時点でははっきりしなかった)として紹介したが、その後日本でも「性分化疾患」という用語が決まり、社会的認知が進みつつある。

そういう中、ある記者の方からメールで取材の申し込みを受けたが、最初に出てきた質問は、次のようなものだった(ややいい加減な要約)。「インターセックス当事者の運動は医療のありかたを批判してきたと言うが、日本の医者に取材したところ、いまでは米国の当事者の意見も変化してきていて、それほど医療に対して批判的ではなくなっているらしい。そうした指摘についてどう思うか?」(なお、この文中で「医者」というとき、それは一般の医者ではなく、性分化疾患のマネージメントについて指導的な役割を担っている大学病院勤務の専門医のことだとお考えください。)

当事者の意見が変化している、以前ほど批判的な声が聞かれなくなってきていると感じているのは、日本の医者だけではない。米国の医者だっておそらく同じ印象をいだいているだろう。というより、おそらく米国の医者がそのように思っているということが、国際学会などを通じて日本の専門医にも伝わっているのではないかと思う。しかしそれは、医者という立場から見える、ごく限られた地平の話でしかない。 Read the rest of this entry »

ある「炎上」「ネットいじめ」に抱く、いやというほどの既視感

2010年8月27日 - 10:23 AM by admin

2ちゃんねるやミクシィなど、ソーシャル系のインターネットサイトを震源とする、一般人のブログ「炎上」や、個人情報を悪用した嫌がらせなどが、問題として取り上げられるようになって久しい。この短い文章では、そうした問題についての日本における議論の参考とするために、先日英語圏(とくに米国)で騒がれた、ある「ネットいじめ」の事例について、紹介してみたい。文中で言及している動画やコメントは、既に知っている人もいると思うし、英語がちょっと分かる人が検索すれば一発で出てくるけれども、不必要に晒したくはないのであえて省く。 Read the rest of this entry »

性労働者支援ネットワークにおける、ソーシャルワーカーと性労働者たちのSNS利用状況格差

2010年6月9日 - 7:46 PM by admin

前エントリ「Facebookの普及に見る米国の社会階層性と、『米国=実名文化論』の間違い」は今月1日発行のメールマガジンα-Synodos6月1日号に寄稿した文章だったけれども、その後わたしが出席したあるミーティングでたまたま関連した話になったので、前エントリへの追記としてその報告をしておきたい。
わたしが出席したミーティングとは、わたしの住むオレゴン州ポートランド地域でホームレス支援や低所得層向けの医療提供、感染症予防や性暴力やドメスティックバイオレンス(DV)対策など、さまざまな社会支援活動に関わっている人たちが、性産業で働いている人たちに対するサービスやアウトリーチについて話しあうためのもの。これらの団体はそれぞれ別個に活動しているけれども、月に一度集まって情報交換したり共同でワークショップやイベントを開いたりするためのネットワークを作っている。 Read the rest of this entry »