「消極的義務」の倫理――「トロッコ問題」の哲学者フィリパ・フットとその影響
2010/10/19 火曜日 - 00:01:30 by admin今月三日、イギリス出身の倫理哲学者フィリパ・ルース・フットが九〇歳で亡くなった。あるとき「女性の哲学者はどうして少ないのか」というシンポジウムに参加してみたら、発表者が全員男性哲学者だった、というような冗談みたいな男性優 […]
今月三日、イギリス出身の倫理哲学者フィリパ・ルース・フットが九〇歳で亡くなった。あるとき「女性の哲学者はどうして少ないのか」というシンポジウムに参加してみたら、発表者が全員男性哲学者だった、というような冗談みたいな男性優 […]
(同性愛者らが)カムアウトをするべきかどうか、あるいはカムアウトするとしたらどういうタイミングでするかは、本人の判断に任されているべきである−−それは、まったくその通りだと思う。勝手に「あの人は〜だ」とアウティングしてしまうのは、良いか悪いかと言えば悪いに決まっている。でもそのアウティングについて、レズビアンの小説家で活動家のサラ・シュルマンは、1990年にThe Village Voiceに掲載した短い文章で、次のように書いている。
前回このブログでインターセックス(性分化疾患)の話題を全力で取り上げてから、四年以上がたった。米国で「インターセックス」に変わる医学的な用語として「Disorder of Sex Development」という言葉が提案されたのがその前年。当時まだ日本語としての定訳がなかったが、その後日本でも「性分化疾患」という用語が決まり、社会的認知が進みつつある。そういう中、ある記者の方からメールで取材の申し込みを受けたが、最初に出てきた質問は、次のようなものだった。「インターセックス当事者の運動は医療のありかたを批判してきたと言うが、日本の医者に取材したところ、いまでは米国の当事者の意見も変化してきていて、それほど医療に対して批判的ではなくなっているらしい。そうした指摘についてどう思うか?」