「性産業の需要を減らす」アプローチが、性労働に従事している人にとって有害でしかない理由

8/5/2012 - 11:29 pm by macska

米国の反人身取引・反売買春運動において、ここ数年「性産業の需要を減らす」アプローチを主張する人や団体が影響力を得ている。すなわち、これまでよくあったように供給側(売春者)を処罰するのではなく、需要側(客)の取り締まりを強化したり、厳罰化したり、あるいは規範化による社会的制裁を行うことによって、需要側のインセンティヴにはたらきかけ、性的サービスに対する需要を減らすべきだという考えだ。かれらは、需要を減らすことによって、人身取引の被害者や、やむを得ない理由によって売春に従事する人たちを減らすことができる、と主張している。

この主張は、売買春をなくしたいが、生活のために売春に従事している人たちを処罰することには罪悪感を感じる、一部のフェミニストやリベラルや道徳主義者にとっては、とても都合がよく聞こえるため、多くの人たちの支持を得ている。また、需要や供給、あるいはインセンティヴという言葉を使うことによって、経済学的な根拠のある主張であるという印象を醸しだすことにも成功している。しかし、このアプローチを支持する経済学者は、わたしの知る限り、世界中に一人もいない(一人だけ、投資銀行メリル・リンチの元アナリストだったMBA保持者がいて、仲間内では「経済学のエキスパート」として持てはやされているけど、本物の経済学者には思い切りバカにされている)。

わたしは米国のフェミニズムや性労働者運動において、「需要を減らす」アプローチがいかに無効であり、人身取引の被害者や、やむを得ない理由によって売春に従事している人たちのような、かれらが救おうとしている人たちをさらに苦しめるものであるか、再三主張してきたが、最近になって日本でも(おそらく米国の運動の影響を受けて)同様の主張をする人を見かけるようになったので、「需要をなくす」アプローチがどうして間違っているのか、以下にまとめる。質問や反論があれば、コメント欄にお願いします。 Read the rest of this entry »

「ウォール街占拠運動」についての太田昌国さんの記事にマイナーなツッコミ、および「占拠」デモについての報道など小ネタ

1/9/2012 - 12:35 pm by macska

わたしのブログを読んでいる人ならおなじみの某秘密主義メーリングリストで、太田昌国さんが書いた「領土問題を考えるための世界史的文脈」という記事が紹介されていた。記事の全体としては、もうまったくその通りと言うしかない内容だけど、ちょっとだけツッコミがあるのと、宣伝したいものがあるのと、あと太田さんの記事を引用しての議論がおかしな方向に行ってしまっていたので、取り上げる。 Read the rest of this entry »

「ウォール街占拠」運動における「運動内運動」――性暴力、ホームレス非難、ホモフォビアをめぐって

11/12/2011 - 11:37 pm by macska

世界経済活動の中心地であるニューヨーク市ウォール街において発生し各地に広まった「占拠」運動がはじまって二ヶ月近くがたつ。すでに広く報道されているようにこの運動は、不景気や失業難のなか経済格差が拡大していることに抗議するためにおこった運動であり、大手金融機関への規制強化や「1%」と呼ばれるようなごく一部の富裕層への累進課税などを掲げつつ、各地で経済や政治の中心部に近い広場を占拠し泊まりこむなどしている。

この記事は、この運動の政治的背景や今後の動向、来年の大統領選挙に与える影響などは扱わない。わたしが今回報告したいのは、白人・中流階層・異性愛者・男性たちが主導する「ウォール街占拠」運動の現場において、「運動内運動」を起こしている、あるいは起こさざるをえない立場に置かれている、性的少数者・クィアやトランスジェンダーの参加者たち、ホームレスの人たち、性暴力被害に取り組む人たちから聞いた、「運動内部からの証言」だ。 Read the rest of this entry »

障害者向けシャトル・サービスによる社会参加――郊外に住むおばあちゃんのスタバ通いの例から

11/11/2011 - 8:13 am by macska

今月発売された『アシュリー事件 メディカル・コントロールと新・優生思想の時代』(生活書院)の著者であり、自身も知的・身体的に重い障害のある娘を持つ翻訳者・著述家の児玉真美さんが、八月にブログに掲載した記事において、米国での「障害者向けシャトル・サービス」について驚きとともに紹介している。そのブログ記事をきっかけとして、障害学研究ネットワークではこのシャトル・サービスについての議論が起こった。実はわたしもそのシャトル・サービスの一利用者かつ障害学関係者であり、議論を通していくつか考えをまとめることができたので、ここで報告したい。 Read the rest of this entry »

性暴力の問題における被害者非難(犠牲者非難)の一般性と特殊性

9/27/2011 - 11:58 am by macska

前エントリ「『当たり前のこと』が『当たり前である』ことの不当性/『性犯罪者が手を出しにくい女性になるために』的アドバイスについて」への反応のなかに、被害者非難は性暴力に限った話ではなくほかの犯罪においても起きることであり、とくに性暴力に限って騒ぐのはおかしいという、まあ呆れるほどありがちなタイプの反論があった。前エントリを読んでそういうレベルの文句を言う人に何を言っても無駄という気もするけれども、ちょっと整理をしてみたい。

と言っても、被害者非難(犠牲者非難)そのものについてはすでに金明秀さんが「橋下発言にみるVictim blaming」という記事において、簡素かつ学問的な解説をしっかり書いていて、とくに追加することはない。この概念をあまり知らないという人は、まず金さんの解説を読んでから次に進んで欲しい。 Read the rest of this entry »

「当たり前のこと」が「当たり前である」ことの不当性/「性犯罪者が手を出しにくい女性になるために」的アドバイスについて

9/26/2011 - 11:14 am by macska

以前、『バックラッシュ!なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』でお世話になった双風舎社長の谷川茂さん(これまで親しみをこめて同書執筆陣の一部で勝手につけたニックネームで呼んでいたが、ちょっとそういう気分ではなくなったので今後改める)が「夕刊ガジェット通信」で週三回掲載している連載において、「性感染症『天国』の実態」という記事を公開したが、その内容が世の中に溢れているような同性愛者や両性愛者に対する偏見に無批判に加担するだけのものだと感じたので、批判する文を書いた

その後も谷川さんの記事を読んでいていろいろ疑問を感じるところもあったのだけれど、今週掲載された「性犯罪者が手を出しにくい女性になるために」という記事は、度を越してひどいというか、前に性感染症の話題に関連して同性愛者・両性愛者への偏見に加担したのとまったく同じかたちで、女性差別や性犯罪の被害者非難(暴力などの被害を受けた人に、その暴力に関する責任があるとする言説)に加担するものだと思う。 Read the rest of this entry »

児童ポルノ禁止法改正を求める署名の背後にある「人身売買に反対する」というレトリックの罠

8/7/2011 - 7:17 pm by macska

七月一日、米国系の化粧品店ザ・ボディショップと、子どもの権利を守る活動をしている民間団体が、文部科学省や国会議員などを訪れ、児童ポルノの個人所有を処罰することを含めた法改正を求める二十一万人分の署名を提出した。ところがそれが報道されたるとインターネットでは、ザ・ボディショップの店頭などにおいて署名に参加した人たちのあいだから、自分たちは「子どもの人身売買に対する法整備を求める」という声明に署名したのであって、児童ポルノ禁止法の改正を求める署名だったとは知らなかった、という声があがった

店頭で署名したという複数の人によると、署名には「人身売買に反対する」とだけ書かれており、児童ポルノ禁止法改正(単純所持規制)を求めるとは書かれていなかったという。署名を求めた店員も、あくまで人身売買に関する署名だと説明したそうだ。ザ・ボディショップの説明では、児童ポルノ禁止法の改正はあくまで人身売買をなくすために必要な法改正の一つに過ぎず、児童ポルノ禁止法改正だけを狙ったわけではないとしているが、「人身売買に反対する」という誰も反対できない口実を掲げつつ、集まった署名を「児童ポルノ単純所持を規制する法改正を求める」という、それより意見が分かれる要望にすり替えて提出したのは、詐欺的な手法による署名集めだったのではないか、と指摘されている。

単純所持規制を求める要望書だとは知らずに署名してしまった、騙された!と感じる人たちの怒りは理解できる。しかし、問題を「不誠実な署名集めの手法が用いられた」だけだと認識してしまうと、その背後にあるより大きな問題が覆い隠されてしまう。はっきり言うと、これを機会に「人身売買に反対する」という口実のほうまで疑うようにしないと、人々はこれからも騙され続けるだろう。というのも、「人身売買」という言葉は、多くの人がそこから想像するような(たとえば人間を奴隷として売買するというような)ごく限定的な意味で使われているのではないし、特定の政治的意図と無関係な中立的な用語でもない。

そういうわけで、ここでは「人身売買」(ヒューマン・トラフィッキング)という言葉が広まった背景や、その社会的な影響を解説してみたい。なお、以下で「人身売買」と書いているのは、日本語におけるそれではなく、英語の human trafficking および trafficking in persons のこととして理解してほしい。また、日本政府の文書では「人身売買」ではなく「人身取引」という用語が使われているがここでは「人身売買」に統一している。 Read the rest of this entry »

弱者へのレトリカルな搾取的便乗と、「◯◯ガー」という揶揄表現の妥当性

7/12/2011 - 6:05 pm by macska

前エントリ「反ポルノ・売買春団体『エスケープ』十年前の方向転換と、暴力をふるう『反暴力』活動家たち」への反応のなかで、ほとんど唯一(ほかにいるかもしれないけど、見ていない)記事に批判的なことをツイッターで書いてくれたのは、@g_kinokoさんという人だった。マッキノンの反ポルノ論に好意的な人はたいていわたしの話を聞いてくれないし、まともに反応してくれないので、批判を書いたうえで、それへの反論にも応対してくれたのは嬉しかった。そうした直接の応答はツイッター上で書いているのだけれど、ちょっと気になった表現があったので、ここでもとりあげてみる。それは、@g_kinokoさんの次のようなコメントだ。 Read the rest of this entry »

反ポルノ・売買春団体「エスケープ」十年前の方向転換と、暴力をふるう「反暴力」活動家たち

7/10/2011 - 10:54 pm by macska

最近、ツイッターで反ポルノ・売買春運動をしている人や、そういった人たちが進める「児童ポルノ単純所持規制」「ロリコン表現・メディア規制」に反発している人たちの発言がよく目に入ってくる。ちなみに今週メールマガジン「αシノドス」に掲載予定(だと思う、まだ確認取れてないけど、数日前に入稿しているし、ボツだとは言われていない)でも、その児童ポルノ規制に関連して「子どもの人身売買反対運動」について書いたのだけれど、そのこともあり反ポルノ・売買春系のサイトもいろいろ読みあさった。そのなかでもやっぱり一番充実しているのは、老舗の反ポルノ・反売買春団体「反ポルノ・買春問題研究会」のサイト。わたしはもちろんかれらの主張には反対の部分が大きいのだけれど、いっぽう「規制反対派」や「セックスワーク擁護派」には「反ポルノ・売買春派」の言い分をよく理解せずに、あるいは理解しようともせずに相手をバッシングするようなこともあって、居心地が悪い。

わたしは普段「相手の論理を理解して、理性的な議論をするべきだ」みたいに偉そうに言ってるけど、実のところ対立する論者の主張をねじ曲げてバッシングしたり、他人のそういう行為を見るのが、生理的に耐え難い、という個人的な理由が八割くらいを占めていて、「いや規制派の主張はそうじゃなくてこうだから、あなたの批判は的外れですよ」とか口を出してしまう。そのせいでわたし自身が規制派の一員だと勘違いされて罵声を浴びせられたり、逆に規制派の人から仲間だと思われたあとで本性を知られて「そんな人だとは思わなかった」と逆ギレされたりと、ろくなことがない、という愚痴はここまでにしておく。

今回エントリを書こうと思ったのは、その「反ポルノ・買春問題研究会」の活動報告に掲載された、「キャサリン・マッキノンさんの研究室を訪問」という記事を読んで、気になった点があったから。あ、いや、気になる点はほかにもたくさんあるんだけど、とくに気になったのが、反ポルノ・反売買春派のフェミニスト法学者として有名なキャサリン・マッキノンを「研究会」メンバーが訪れた、というこの記事。いつの記事か明記されていないのだけれど、マッキノンがコロンビア大学で客員教授をやっていたのは二〇〇〇年代初頭なので、だいたい十年くらい前のちょっと古い記事だと思う。 Read the rest of this entry »

「ポルノウィキリークス」の衝撃−−ポスト・ウィキリークス社会の 個人情報と人権

5/16/2011 - 9:25 pm by macska

政府や大企業の持つ機密文書を広く一般に公開するために設立されたウィキリークスが、米国外交文書などをそれまでなかった規模で暴露し、国際的に大きな注目を集めたのは、昨年の夏から秋にかけての頃だった。当初、それらの文書が公開されれば、米国やその他各国の外交的利益が損なわれるだけでなく、文書の中で言及されている人権活動家の情報などが抑圧的な政権に知られてしまうことにもなり、かれらに危害が加えられることを懸念する声もあった。

しかし実際のところ、ウィキリークス自身が何もかも片っ端から公開するのではなく、既存メディアのジャーナリストと協力し内容を吟味したうえで公開する方針をとったこともあり、懸念されたほど大きな弊害は起きていない。結局、ウィキリークスが公開した文書には、国際記事を普段から読んでいる人なら「政府はそう表立っては言わないだろうけれども、まあそういうことなんだろうな」とあらためて納得させられるような内容が多く、意外性のある暴露はそれほどなかったように思う。あれだけ大きな衝撃をもって受け取られたわりには、これまでのところウィキリークスの直接の影響の大半は、一部の政府要人や外交関係者が恥をかいただけで終わっている。 Read the rest of this entry »