「グレンデール慰安婦像裁判で原告の訴え棄却」の判決解説

2014年8月5日 - 6:17 PM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

グレンデール市が市立図書館前に設置した慰安婦記念像が憲法違反である、として在米日本人によって今年の二月に起こされた連邦裁判で、昨日(八月四日)判決が下された。内容は、原告にはそもそも訴えを起こす資格がなく、原告が受けたとする被害と市の行為(慰安婦像設置)に因果関係が薄い、として、原告の訴えを棄却するもの。
この記事では、裁判資料をもとにこの判決における裁判所の判断を解説する。ただし、判決およびその理由はシンプルだとはいえ、わたしは法律家ではないので、間違いがないとは言えない。いちおう疑問に思った点については、いまカリフォルニアの某法律大学院で法律図書司書をやっている友人に問い合わせて教えてもらったが、とくに報道や研究でこの判決を取り上げる場合は、わたしの解説を鵜呑みにせずに直接原資料にあたってください
まず本件の争点から解説すると、原告(目良浩一氏、GAHT、ミチコ・シロタ・ジンジャリー氏)の中心的な主張は二つ。第一に、グレンデール市が慰安婦像を設置したことは、憲法上米国では連邦政府のみが持つ外交の権限を侵害し、米国の外交的利益を損なうおそれがある、というもの。これに似たケースでは、たとえばアリゾナ州が独自に非正規移民を排除するような州法を作ったところ、連邦政府が持つ移民制度を執行する権限が侵されたとして連邦政府が州政府を訴えた件がある。しかし今回の場合訴えたのは外交権限を持つ米国連邦政府でなく一般市民であることから、そもそも原告に訴えを起こす資格があるのかが争点となった。
第二に、グレンデール市議会において慰安婦像の設置が決定されたとき、像の横に併置されたプレートの文面までは議会で説明がなかった点が、カリフォルニア州法上の手続きに違反していたのではないか、というもの。本来この争点は州裁判所で争われるべきだけれど、連邦憲法上の問題となる第一の争点と深く関わっているという理由から、この争点についても同時に連邦裁判所で判断するよう原告が求めた。
さらに、裁判の展開上において新たに判断が必要となった点が二つあった。一つは、被告のグレンデール市が、カリフォルニア州法の反SLAPP(恫喝的訴訟)法のこの裁判への適用を求めた件。もしこの裁判がSLAPPだと認定されると、即座に訴えが棄却されるとともに、グレンデール市が原告側に裁判費用の負担を求めることができるようになる。原告は、反SLAPP法はあくまで州裁判所での裁判に適用されるルールであるから、この裁判には関係ないと主張した。
もう一つの新たな争点は、中国系市民団体の世界抗日戦争史実維護連合会(抗日連合会)および韓国系のカリフォルニア州コリア系アメリカ人フォーラム(KAFC)が提出した意見書を証拠として採用すべきかどうか。抗日連合会は六月中に、そしてKAFCは先日グレンデールを訪れた元「慰安婦」二名の証言をまとめたものを意見書として提出したが、原告は本件の争点はあくまで憲法違反や州法違反の有無であり、抗日連合会やKAFCが訴えているような歴史問題の真偽は争点ではないとして、参考意見として取り上げないよう裁判所に求めた。
まずは第一の争点について。原告はグレンデール市による慰安婦像の設置が連邦政府の権限を侵害していると主張していたが、判決はこの問題に答えを出してはいない。裁判所の判断は、もし仮に連邦政府の権限を侵害していたとしても、原告にはそれを訴える資格がない、というものだ。なぜないのか。
市や州が連邦憲法を侵害したとして訴えられた裁判には、信教の自由にまつわるケースが数多くある。憲法違反が認められたケースの一つとして判決が言及しているSchempp (1963)では、公立学校で授業のまえに行われていた聖書の朗読に対して、無神論者やキリスト教以外の宗教の信者の生徒やその家族が起こした訴えが認められた。すなわち、公立学校による特定の宗教の推進が憲法違反であるだけでなく、その違憲行為によって違う宗教の信者の生徒やその家族らが苦痛を受けていることが認められたのだ。
それと対比して判決が言及するのがCaldwell (2008)のケース。カリフォルニア大学が設置した進化論に関するウェブサイトにおいて、「進化と信仰は矛盾しない」としてさまざまな(進化論を受け入れた)宗派の関係者のコメントが掲載された記事あったのだが、原告は「自分の信仰は進化論と矛盾する」という考えの持ち主であり、「進化と信仰は矛盾しない」という記事によって自分の信仰を貶められ傷つけられた、としてウェブサイトの閉鎖を求める裁判を起こした。この裁判において、判決はカリフォルニア大学のサイトが憲法違反であるかどうかの判断には立ち入らず、原告が受けたとしている被害と大学のサイトの内容の繋がりが薄い、として、原告には訴えを起こす資格がないという判断をくだした。
Schemppでは学校が行っていた授業前の聖書朗読によってその場に居合わせることを強制された生徒が直接の被害を受けたとされたが、Caldwellでは州立大学のサイトに不愉快な記述があったというだけで直接被害を受けたということはできない、というように、判断が分かれた。すなわち、訴えを起こす資格を得るためには、市や州のある行為が違憲であるというだけでなく、その行為によって直接的になんらかの実質的な被害を受けたと示す必要がある。問題は、今回の裁判における「慰安婦像が設置されたために公園に行くのが嫌になった」という原告の主張が、その直接的・実質的な被害にあたるかどうか、という点だ。
原告が、グレンデール裁判に類似しており、原告に訴えを起こす資格が認められた先例として挙げているのは、Barnes-Wallace (2008)だ。この裁判では、サンディエゴ市が市の所有する公園の土地の使用権をボーイスカウトに対してほぼ無償(年間1ドル)で与えていたことに対して、違憲であるとして無神論者と同性愛者の四名が訴えた。ボーイスカウトは自他ともに認める宗教的団体であり、無神論者や同性愛者の参加を拒んでいたことから、そうした団体に市が土地を提供することは、信仰の自由および「法の下の平等」の侵害である、と原告は訴えたのだ。(最終的にこの裁判では、原告資格は認められたものの、ボーイスカウト側の勝訴が確定している。)
原告のこの主張に対し、グレンデール判決では、今回の裁判はBarnes-Wallaceとは明らかに違う、と結論づけている。Barnes-Wallaceにおいては、市の行為が信仰の自由及び「法の下の平等」に違反した(とされた)ことと、それによって無神論者や同性愛者が受けた被害の繋がりが明確であるのに対し、グレンデール市の行為が連邦政府の権限を侵害した(とされる)ことと原告らが「公園に行くのが嫌になった」こととの繋がりがまったくないからだ。
そもそも、連邦政府の権限が侵害されたからといって、だから公園に行きたくなくなった、というのはどう考えてもおかしい。公園に行きたくなったとしたら、それは像の設置によって示されたグレンデール市の価値判断が不快だからであって、連邦政府の権限が侵害されたからであるはずがない。つまり、あったとされる侵害行為と、主張されている被害とのあいだに、直接的な因果関係がまったく存在せず、したがって原告に裁判を起こす資格がそもそもない、という判断になった。どう考えても妥当な結論。
より直接的な因果関係がある「被害」としては、原告は「慰安婦像の設置により米国政府の東アジアの戦略に悪影響が出る」ことを主張している。連邦政府の外交権限が侵害されることによって外交上の問題が起きる、というのは(外交権限の侵害により公園に行きたくなくなった、というよりは)因果関係ははっきりしているものの、こんどは原告に直接の繋がりがない。もしこんなことで原告資格が認められたら、アメリカや東アジアに住むすべての人に裁判を起こす資格があるってことになってしまう。よって、やはり原告には裁判を起こす資格がないという判断。
さらに、この後者の「被害」についても、具体的にどのような悪影響があるのか原告は説明できていない、と判決は指摘している。仮に原告に裁判を起こす資格があったとしても、「このような人権侵害が二度と起きないことを願う」として設置された慰安婦像がどのように連邦政府の外交政策と衝突しているのか明らかではない。むしろ慰安婦像の設置は連邦下院において採択された慰安婦決議に則したものだ。この点からも、仮に原告に裁判を起こす資格があったとしても訴えは棄却されるのが妥当だ、と裁判所は判断した。もし仮にこのような裁判が認められたら、あらゆる政治的論争が裁判所に持ち込まれ、ホロコースト否定論者までもがホロコースト記念碑の撤去を求める裁判を起こすことになってしまうことも懸念されている。
これらの理由により、裁判所は原告の訴えの第一点を棄却した。第二点については、第一点が棄却された以上単なる州法上の問題であり、連邦裁が判断する問題ではないと結論づけた。
追加の論点について。まず反SLAPP法の適用については、すでに訴えが棄却されたので意義がないとして今回の判決では判断していない。また二団体が提出した意見書については、判決には必要がないとして採用しなかった。
意見書の不採用は原告側が主張していたものであり、かれらの主張が通ったとも言えるが、原告にとってはかえって都合が悪いように思える。というのも、今回の裁判では原告ははじめから一貫して日本語のウェブサイトや記者会見で主張を広めるものの、英語ではウェブサイトの設置すらしておらず、米国社会の中で支持を広げようとしている様子がまったくない。関係者の言動を聞く限り、ほんとうの狙いは日本政府の公式見解となっている「河野談話」の撤回であり、そのために「河野談話のせいで裁判に負けた、慰安婦像をなくすには河野談話の撤回が必要だ」という方向に議論を持っていきたいのではないだろうか。
だとすると、慰安婦問題の歴史的事実について取り上げた二団体の意見書が判決において一切採用されなかった点は、原告にとっては非常に都合が悪いのではないか。もし仮に採用されていたなら、河野談話に敗訴の原因の一端があるように主張することもできただろうが、あくまでテクニカルな法律論争だけを求めた結果、ほんとうにテクニカルな法律論争だけで全面敗北してしまった。
もし原告が裁判闘争を続行するなら、連邦第九巡回区控訴裁判所に控訴するか、第二点だけ州の裁判所に訴えるか、という選択肢がある。第九巡回区はアメリカでいちばんリベラルな裁判所で、仮に控訴できたとしても今回より厳しい判決になることが予想される。州裁判所に訴えた場合、第一の論点はもう捨て去って、プレートの文面をきちんと議論しなかったのはいけない、というセコい話になってしまうけど、そんなのきっちり議会で決めるほうが珍しいはずで、ますます勝ち目はないし、反SLAPP法の適用もあり得る。
今後も、現地の日系人団体の人たちと連携しつつ、グレンデール慰安婦像問題を追っていきます。

7 Responses - “「グレンデール慰安婦像裁判で原告の訴え棄却」の判決解説”

  1. HEMyong 安部許すまじ (@HEMyong) Says:

    とても解りやすい解説で勉強になりました。感謝です!

  2. 匿名 Says:

    丁寧でわかりやすい解説、ありがとうございます。

  3. kamiken Says:

    私にとってやや難解な裁判に関する文章でしたが理解したつもりです。歴史認識に関してはほぼ争わなかったみたいですね。某研究所社長などが、在米日本人の子弟が慰安婦記念像のせいでいじめにあってるという実害を訴える声があるそうですが、原告はその点には一切触れていないことを考えると一層実際にいじめがあるのか不明確なのが顕になった感じです。

  4. とんちゃん Says:

    > 実際にいじめがあるのか不明確なのが顕になった感じです
    ロスアンゼルスおよびサンフランシスコの日本領事館による調査および日本領事館への報告、日系人の学校関係者、ロスアンゼルス・タイムズの記者の調査でも苛めの具体例はみいだせなかったそうです。それから、グレンデール市の教育委員会と警察にもそのような報告はないとのことです。

  5. Sam Kanno Says:

    フクシマ核災害をきっかけにロサンゼルスで日本政府に向けた抗議の運動を続けているものです(作家の米谷ふみ子さん、フェミニズムに造詣のある萩谷海さんなども一緒です)。「慰安婦」問題についてもNCRRのMonkawaさんなどと接点がありますが、私の英語力不足などで内容的理解がいまいちでした。7月3日と8月5日分の小山さんのブログを拡散してもよろしいでしょうか?

  6. macska Says:

    どうぞご自由に。ていうか、すでに発表した文章ですので、わざわざ断る必要ないです。

  7. チキンハート Says:

    >関係者の言動を聞く限り、ほんとうの狙いは日本政府の公式見解となっている「河野談話」の撤回であり、そのために「河野談話のせいで裁判に負けた、慰安婦像をなくすには河野談話の撤回が必要だ」という方向に議論を持っていきたいのではないだろうか。
    だとすると、慰安婦問題の歴史的事実について取り上げた二団体の意見書が判決において一切採用されなかった点は、原告にとっては非常に都合が悪いのではないか。<
    彼らの”本当の狙い”というより目的は、”河野談話の撤回”でさえ無いと私は思ってますが・・・ね。
    「アメリカでこんな事してるよ」とか「河野談話が問題だよ」と扇動しながら、崇拝者を募り、お金をもとめ、講演をし・・・・がそれ自体目的だと思います。
    昔、日本では戦争が始まるとそれまで「家内安全」の神が突然「戦の神」になり、おバカな人々が参拝し、戦勝祈願しお賽銭を投入していました。
    似たようなものを感じます。
    要するに、”河野談話撤廃の”流行り神”を勧請してお商売をしようというわけです。
    実は、日本では「吉見義明氏が桜内議員を訴えた吉見裁判」があるのですが、桜内側はこの裁判を「慰安婦性奴隷の嘘を暴く裁判」とか宣伝しているくせに、ちっとも「性奴隷かどうか?」を争おうとしないで、長引かせて来たそうです。
    しかしこの宣伝が功を奏して桜内議員は見事、政調会長をゲット。
    結局は目立ちたいとか、金とか、尊敬されたいとか、出世したいとかごく分かり易い欲望をこうした行動でかなえたいのではないかと思われます。

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