「ウォール街占拠」運動における「運動内運動」――性暴力、ホームレス非難、ホモフォビアをめぐって

2011年11月12日 - 11:37 PM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

世界経済活動の中心地であるニューヨーク市ウォール街において発生し各地に広まった「占拠」運動がはじまって二ヶ月近くがたつ。すでに広く報道されているようにこの運動は、不景気や失業難のなか経済格差が拡大していることに抗議するためにおこった運動であり、大手金融機関への規制強化や「1%」と呼ばれるようなごく一部の富裕層への累進課税などを掲げつつ、各地で経済や政治の中心部に近い広場を占拠し泊まりこむなどしている。
この記事は、この運動の政治的背景や今後の動向、来年の大統領選挙に与える影響などは扱わない。わたしが今回報告したいのは、白人・中流階層・異性愛者・男性たちが主導する「ウォール街占拠」運動の現場において、「運動内運動」を起こしている、あるいは起こさざるをえない立場に置かれている、性的少数者・クィアやトランスジェンダーの参加者たち、ホームレスの人たち、性暴力被害に取り組む人たちから聞いた、「運動内部からの証言」だ。
わたしが「ウォール街占拠」運動の現場となっているズッコーティ公園を訪れたのは、十一月に入ってはじめの週だ。わたしはほかにも自分が住んでいるオレゴン州ポートランドと、もっとも激しく警察と衝突しているカリフォルニア州オークランドの「占拠」現場に出向いているが、市役所前の広い空間に展開しているこれらの「占拠」運動に比べて、ズッコーティ公園は面積的にも実感的にもとても狭い。ポートランドやオークランドの「占拠」運動では、公園にたくさんのテントが設置されているとはいっても、それは基本的にコンクリートのない草の上だけであり、公園の中の舗装された散歩道にはなにも障害物は置かれていない。しかしズッコーティ公園は全体がコンクリートで覆われており、ごく僅かな通り道をのぞくとそこら中がテントで埋め尽くされていて、圧倒的にテントと人の密度が高い。そしてそれが、そこに形成されたコミュニティのあり方に影響している。
ホームレスユース(二十四歳以下)の支援の仕事をしている友人に案内してもらい、ズッコーティ公園内に設置されたさまざまなコーナー(たくさんの本が置かれた「図書館」、医療スタッフがボランティアで詰めている「医療テント」、寄付された食べ物や着る物を無償で支給しているテントなど)を見て回っていると、すぐ近くで二人の男性が怒鳴り合い始めた。一方は相手が自分のタバコを盗んだと言い、他方はこのタバコははじめから自分のものだと言い返す。掴み合っての喧嘩がはじまろうかというときに、すかさず周囲の人たちが二人の間に割り込んできて、かれらを物理的に隔離しはじめる。いったん二人が引き離されると、それぞれ数名ずつの人がかれらを別々にかこんで、かれらが落ち着くまで話をしていた。
もし掴み合いの喧嘩が起きれば、それを口実に周囲で監視している警察官が公園に乗り出してきて、さらに大きな騒動になった可能性もある。喧嘩に発展するまえに周囲の人たちが一斉に割り込んできたのは、自分たちで解決することで警察の介入を防ぎたいという思いももちろんあったのだろうけれども、それよりもっと積極的な、ズッコーティ公園内に形成されたコミュニティの自治を成り立たせたい、という強い意思を感じた。その後も公園内で何度か喧嘩になってもおかしくないような衝突を見かけたが、常に周囲の人が割り込んで、お互い納得とまではいかないまでも、暴力的解決を回避させることに成功しているのを目撃した。
こうしたコミュニティ自治への意思は、ポートランドやオークランドの「占拠」現場ではほとんど感じられなかったものだ。たとえば、わたしがオークランド市役所前にあるフランク・オガワ広場に展開する「オークランド占拠」運動に見に行ったとき、そこにいた白人男性に腕を捕まられ「一緒に麻薬をやらないか、酒を飲まないか、セックスしよう」と付きまとわれたが、周囲の誰も介入しようとはしなかった。というより広々としすぎていて、付きまとわられていること自体ほとんど誰にも気付かれなかったのだろう。それにくらべ、ズッコーティ公園では「もしなにかあったら誰かが止めてくれる」と信頼できたので、とても安全に感じられた。
しかしあくまでそれはオークランドと比較したらという話であって、ズッコーティ公園も(学校や職場や家庭やその他のあらゆる場所と同じく)完全に安全ではない。ウォール街占拠運動において女性や性的少数者らに対する暴力を予防するための活動をしているグループによれば、かれらが把握しているだけでも四件の深刻な性暴力事件が公園内において起きている。わたしが「安全に感じられた」というのは、あくまで公園内を歩いていての感想であり、そこでテントを張って寝泊まりしている人にとっては事情が変わってくる。それらの性暴力のほとんどは、それよどよく知らない人と同じテントで寝ていたり、人の出入りが激しいテントで寝泊りしたりするなかで、テントのなかという隠された空間において起きたものだ。
「ウォール街占拠」運動参加者の中には、ズッコーティ公園で性暴力が起きていることを認めようとしない人も少なくない。こんなに警察やメディアの監視のど真ん中で、しかも大勢の人に囲まれていて、性暴力をおかそうというような人がいるだろうか? 仮にいたとして、誰かがすぐに止めるはずではないか? テントの中で起きたとしても、叫べばすぐに助けが来るではないか? と。言うまでもなく、これらの疑問はズッコーティ公園だけでなく、いつどこで受けた性暴力の被害を訴えてもほとんど常に被害者に向けられる「よくある被害否定・被害者非難」の言説であり、性暴力が起きているときに力づくで抵抗したり大声で叫んで助けを求めることがどれだけ困難でどれだけ危険であるかを無視した無責任な意見だ。
性暴力の報告を受け、ズッコーティ公園では、メンタルヘルス面のサポートを行うボランティアスタッフの有志を中心に、性暴力被害者支援チームが結成された。支援チームのメンバーたちは、被害者の相談を受けつつ、かれら・彼女たちの意思を最大限尊重する方向での支援を試みている。それはたとえば、被害者が警察に被害を届け出たいと言えば彼女に付き添って警察に出向き、警察が彼女の届け出をきちんと受け付けるよう要求することであり、逆に当人が通報したくないというのであれば、通報せずにどうやって彼女の安全を守るのか一緒に考えるということだ。
支援チームのこうした方針は、傍目からみると一貫性に欠けるように見えなくもなかった。警察に通報すれば「結局コミュニティの自治とか言いつつ、最後には警察に頼るのか」とメディアに揶揄され、あるいは「占拠」運動に関わる一部の(男性)活動家たちからは「敵に運動を売り渡すのか」と非難され、逆に通報しなければ「ウォール街占拠運動は性犯罪者を庇護するのか」と批判を受ける。しかし支援チームのメンバーたちは、被害者の意思を最大限尊重するという点において、一貫した行動を取っているのだ。
ある被害者は、警察に通報したくはないが、加害者が別の人を傷つけることがないようにしたい、と希望した。それを受けて支援チームは性犯罪に対抗するための活動をしている男性グループと連携して、加害者とされた人に接触し、行動を改めるよう促した。しかし加害者は男性グループとの対話も公園からの退去も拒否したため、こんどは非暴力を掲げるプエルトリコ系ギャングの協力により、公園内における加害者の行動を監視するようにした。ギャングというのはもちろん一般的には犯罪集団だが、非白人の若者ら被差別集団の自助組織の側面もあり、このグループは非暴力による紛争解決や対立緩和のスキルを訓練によって身につけた元受刑者らの集まりであり、自分たちのコミュニティの経済的窮状を訴えるために「占拠」運動に参加している。
性暴力の問題とは別に、「占拠」運動においてもっとも深刻な分断は、政治的主張や運動方針をめぐる対立ではなく、ホームレスの参加者とそれ以外の分断だ。ズッコーティ公園では、総会(ジェネラル・アセンブリー)が毎日開かれ、また著名人のスピーチなども行われる集会所のような場所が東の端にあり、その近くに案内係、図書館、メディア係などが置かれている。公園の中央付近には、医療班や食事を振舞う場所などが設けられ、より西のほうに衣服などを提供するテントが設置されている。政治的な議論が激しく交わされ、常に動きのある東側と、ホームレスの人たちが多く陣取る西側が、きれいに住み分けされている。
ズッコーティ公園においてもっとも頻繁に聞かれる「安全」をめぐる不安といえば、性暴力の危険などではなく、公園のなかで生活しているホームレスの人たちのなかに、精神的に不安定な人や、麻薬の売人や使用者などがいる、という懸念だ。もともと公の場を「占拠」して使用している運動なのだから、危険人物がいるといって排除することなどできないが、かれら「危険なホームレス」からどうやって「自分たち」の身を守るか、ということが真面目に議論された。「東側」の図書館そばにテーブルを置いている、クィアやトランスジェンダーなど性的少数者のグループでは、ホームレスの人が多くいる「西側」ではクィアやトランスジェンダーの人に対する嫌がらせが頻繁にあり不安に感じる、という意見を多く耳にした。トランスジェンダーの人が使っていたテントが荒らされた件など実際に問題もあったようだが、二四歳以下に限ればホームレスの過半数はクィアやトランスジェンダーであるとされていることを思えば、かれら中流階層のクィアやトランスジェンダーの人たちがホームレスを危険視することには、かなりの違和感がある。
そうでなくても、「西側」に対する風当たりは強い。「東側」にいる白人・中流階層の少なくない参加者たちは、「西側」にいるホームレスの人たちは自分たちとは違った理由でズッコーティ公園の「占拠」に参加している、と感じている。政治的な主張を訴えるために集まっている「東側」に対し、「西側」の人たちは無償で手に入る食料や衣服や医療サービスなどにひかれてそこに集まっているだけであり、運動に参加するのではなく運動に寄生しているだけではないか、と思っているのだ。少し考えれば分かるはずだが、ホームレスの人たちこそ貧困や経済格差拡大の影響を最も切実に感じているのであり、かれらが政治的に無関心であるとか、経済格差の問題を考えていないなどということはありえない。たんにホームレスの人を排除したいがために偏見に基づいて物を言っているように思う。
そもそも、全国に広がる「占拠」運動がこれほどまで長く続いている秘訣は、ホームレスと中流階層が同じ場に合流していることにあるのではないか。中流階層の参加者たちは、ごく一部の熱心な活動家をのぞくと、公園や広場に常駐しているわけではない。普通に仕事に通い、自宅で家族と時間を過ごしつつ、毎週一度あるいは何度か「占拠」に参加しに来ているのだ。ニューヨークでは十月の終わりに寒波があり、一部の地域で停電が起きるなどしたが、そのときズッコーティ公園における中流階層の参加者たちの人数は減った。それでも警察が運動の排除に乗り出せなかったのは、少数の中流階層の活動家たちに加えて、ほかに行き場のない大勢のホームレスの人たちがそこに居座っていたからだ。ホームレスの人がそこにいなければ、ウォール街「占拠」はとっくに終了していただろう。
いっぽう、かりにホームレスの人たちだけが公園に集まっていたとしても、警察はなんの躊躇もなくテントを排除し、わずかな所有物を破壊あるいは破棄していただろう。いま警察がそれを安易にできないのは、そこに中流階層の参加者たちが大勢おり、メディアが注目しているからだ。このように、ホームレスと中流階層が場を共有することこそが「占拠」運動の力の源泉であり、「占拠」運動へのホームレスの人たちの貢献はもっと広く理解されるべきだ、とホームレスユース支援の仕事をしている友人は言っていた。
わたしがニューヨーク滞在中に話をきいた活動家のなかには、「占拠」運動に批判的な人や、好意的ではあっても参加する意義を見いだせない人も多くいた。たとえばある南アジア系レズビアンの活動家は、経済格差の問題を訴える点には共感しつつも、運動内における人種差別や性差別などの問題があまりに多すぎて参加する意欲が起きないという。彼女の知り合いのほかの南アジア系活動家たちの多くが、「運動内運動」をせざるを得ない立場に置かれているが、それは結局運動の中心に居座る「白人・中流階層・男性・その他」たちが、よりうまく運動を展開する手助けをすることにしかならない。その結果、「白人なのに人種問題に取り組んでいて素晴らしい」などと賞賛されるのは、かれら社会的地位のある側だけなのだ。
たとえば、「占拠」運動が起こってすぐに、アメリカ先住民の活動家たちが次のような批判を寄せていた。「アメリカ大陸そのものがすでにヨーロッパからの植民者たちによって不当に占拠されているのであり、それをさらに占拠するなどというのはおかしい。占拠というスローガンは植民地主義的である。」 この批判をうけ、一部の都市の「占拠」運動では「脱占拠」「脱植民地主義」と呼び名を変えており、大元の「ウォール街占拠」でも改名の提案は繰り返しなされているが、それによって先住民の権利回復が進んだということはとくにない。呼び名を変えた白人指導者たちが賞賛を受けているだけだ。批判をとおして運動をより良いものにしていきたいとは思っていても、結局その功績さえ「白人・中流階層・男性・その他」たちにかすみ取られ、かれらの地位を高めるだけにしかならないのであれば、建設的な批判を寄せることすら馬鹿らしくなってしまう。「占拠」運動だけでなく、多くの運動でよく見られるパターンだと思う。
今回は、このように「ウォール街占拠」運動に関して「運動内運動」の視点からさまざまな点を批判的に取り上げたが、もちろん「占拠」運動を否定することが目的ではない。批判することによって「占拠」運動をより良くすることが目的でもない(そのような目的での発言をわたしは英語で行っているが、日本語の記事を書いた目的ではない)。わたしがこの記事を書いたのは、さまざまな運動で見られる「ありがちなパターン」の例として「占拠」運動の問題点を取り上げつつ、そうした問題にさまざまな方法で介入を試みている活動家たちの存在も紹介することで、これからのさまざまな取り組みに活かせるポイントを見いだせるのではないかと思ったからだ。「占拠」運動に反対するメディアや政治家を利することになりかねないので、正直、英語圏のメディアでは書き辛いことも書いたが、それだけどこにも書かれていない「占拠」運動の紹介にもなったかと思う。
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(この記事は、シノドスジャーナルにも掲載されました。)

One Response - “「ウォール街占拠」運動における「運動内運動」――性暴力、ホームレス非難、ホモフォビアをめぐって”

  1. aaa Says:

    ライドアの記事読みました。
    新聞などでは、経過が書いてあるだけで、いろいろ全体像が見えてこないので。
    これからも、参考になることを書いて欲しいので。

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