2004年7月3日 - 3:37 AM by admin
マイケル・ムーアの「Fahrenheit 9/11」(邦題:華氏911)に対するさまざまな批判について、町山智浩さんがこのように反論している:
「華氏911」の細かい間違いや論理の整合性の甘さを批判している人も多いし、日本でもそういう批判は出てくると思うが、そんなこと言ってる場合か。
このままだと批評とか表現という行為そのものができなくなるんだよ。
[…]
自由を守るためなら手段などなんだと言うのだ。
もし、ここで何としてでも止めておかないと、もう取り返しがつかないのだ。
マイケル・ムーアはまさにスティーブン・キングの「デッドゾーン」の主人公と同じ気分なのに違いない。
「華氏911」を「映画的な視点において」「政治的な論理において」批判する連中は、「デッドゾーン」の主人公に「君のやろうとしていることは犯罪だ」と言うのと同じである。
わたしの知る限り、イデオロギー的あるいは揚げ足取り的にではなく、「論理の整合性の甘さ」だとか「映画的な視点において」ムーアの作品を批判している人って、日本語で意見を発表している人の中では今のところわたしだけだと思う。プロの映画評論家がわたしの評価に対して直接反論してきたと思い挙がっているわけじゃないけど「そうかもしれない」程度には勝手に想像して、応えてみる。 Read the rest of this entry »
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