「正しい目的」を掲げた言論萎縮

2004年7月3日 - 3:37 AM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

マイケル・ムーアの「Fahrenheit 9/11」(邦題:華氏911)に対するさまざまな批判について、町山智浩さんがこのように反論している:

「華氏911」の細かい間違いや論理の整合性の甘さを批判している人も多いし、日本でもそういう批判は出てくると思うが、そんなこと言ってる場合か。
このままだと批評とか表現という行為そのものができなくなるんだよ。
[…]
自由を守るためなら手段などなんだと言うのだ。
もし、ここで何としてでも止めておかないと、もう取り返しがつかないのだ。
マイケル・ムーアはまさにスティーブン・キングの「デッドゾーン」の主人公と同じ気分なのに違いない。
「華氏911」を「映画的な視点において」「政治的な論理において」批判する連中は、「デッドゾーン」の主人公に「君のやろうとしていることは犯罪だ」と言うのと同じである。

わたしの知る限り、イデオロギー的あるいは揚げ足取り的にではなく、「論理の整合性の甘さ」だとか「映画的な視点において」ムーアの作品を批判している人って、日本語で意見を発表している人の中では今のところわたしだけだと思う。プロの映画評論家がわたしの評価に対して直接反論してきたと思い挙がっているわけじゃないけど「そうかもしれない」程度には勝手に想像して、応えてみる。
わたしは、米国における言論の自由や憲法上の「権利章典」への脅威に危機感を感じているという点では、町山さんと全く意見が同じ。でも、そうした脅威にどうやって抵抗していくかという段階で、わたしの考え方は違っている。
そもそも、ブッシュ政権の「テロ戦争」のレトリックとは、「自由と民主主義を守るために、それらに敵対するテロリストどもをやっつけるべきだ」という論理。自国民に対する権利やプライバシーの侵害も、テロと戦って自由と民主主義を守るために必要だからという口実で正当化されている。それに対し、多くの人が「権利章典を守れ」と抗議した時、ブッシュ政権やその支持者たちは何と言ったか? 「このままだとテロリストたちによって多数のアメリカ人が殺害され、自由と民主主義が破壊されるというのに、そんなこと言ってる場合か!」 町山氏の主張にも、それと同じ種類のものを感じる。
それは違う、と言う人もいるかもしれない。ブッシュ政権による権利章典への攻撃は目の前で実際に起きている事実だが、テロリストがアメリカとの闘いにおいて自由と民主主義を破壊しようとしているというのは事実ではないと。たしかに、アルカイダによる米国への攻撃は米国による軍事的・経済的な世界支配への抵抗あるいは反撃という意味合いが大きく、別に自由や民主主義が嫌いだから攻撃したわけじゃない(ちなみに、ムーア及び町山氏は「テロリストが自由と民主主義を破壊する絶対悪である」という点ではブッシュと合意しているから、こうした反論はできない)。しかし、「この1つの問題が最重要課題なのだから、それ以外についてゴチャゴチャ言うな」という論理の形態は似通っている。もちろん、比較してどっちの方が怖いかと言えば、わたしを拘束して刑務所にブチ込む権力を持ったブッシュ政権の方がよっぽど怖いに決まっているけれど、言いたいことを自由に言えない(言うと、自由や民主主義の破壊に加担しているとして非難される)空気を生み出すという点ではどちらも同じ。
わたしは、自分と意見の近い陣営の活動家や論者が大衆を騙したりトリックで引っ掛けて動員することに嫌悪感情を感じるし、「正しい目的のためなんだから」という理由でそれらに対する味方陣営内部からの批判を黙らせようとする行為にも耐えられない。それは、階級闘争が重要だからと内部における性差別の問題に取り組もうとしなかったかつての左翼運動や、父権制度解体が重要だからと内部における人種差別の問題に取り組もうとしなかったかつてのフェミニズムなどに対する反感からも来ているんだと思う。「より大きな目標のために、お前たちは黙っていろ」という発想をするのが保守の側だけじゃないことは、20世紀の歴史がさんざん明らかにしてきたことでもある。(黙っていろとは言っていないと言うかも知れないけれど、表現の自由がかかっているとまで言ったら、それ自体が言われた相手の発言を萎縮させるでしょ。)
もちろん、限定的な場面においてどうしてもある1つの大きな目標を最重要視する必要があるということはあると思う。その意味で、「華氏911」は映画として全く支持できないけれども、ブッシュを倒すという「より大きな目標」のために11月の選挙までくらいは大目にみるべきだ、というならわたしも受け入れてもいい。現に、わたしは映画としてはダメだけれどプロパガンダとして認めると言っている程度には、十分大目に見ていると思う。でも、いくらブッシュ打倒が大事だからといって、「そんなこと言ってる場合か」とか「このままだと批評とか表現という行為そのものができなくなる」とまで言って批判を打ち消そうとするのは行き過ぎだよ。だって、それは「あなたたちはわれわれの味方か、そうでなければテロリストの味方だ」と言ったブッシュの発想とそれほど違わないもの。もし今回ブッシュが勝ったら、わたしみたいにムーアの映画を大絶賛しなかった人が叩かれることになるのだろうか。
***
ところで、「愛国法が実際にどういう事態を起こしているか」の実例を挙げているページとしてリンクされている「暗いニュースリンク」というサイト、事実誤認や誤訳がやたらと多いんですけど… 米最高裁判決の内容について間違ったこと書いているし、黙秘権についての認識もおかしいし。

2 Responses - “「正しい目的」を掲げた言論萎縮”

  1. Yoko Says:

    Michael Mooreが今週号のTIMEのcoverになってます。
    http://www.time.com/
    でも、最近TIMEはcover storyがタダでは読めなくなっちゃったんだよな…

  2. Macska Says:

    記事ならムーアのページで読めますです。

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