「新しい無神論者」論争と、対立する相手の人間性への想像力について

2008年5月23日 - 8:29 AM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

先日、αシノドス第3号に掲載された「『ネオコン左派』に転じる世俗的ヒューマニズムと『新しい無神論者』」の全文を本ブログに掲載した。その内容は、世俗的ヒューマニズムの団体 Center for Inquiry (CFI) の国連代表もつとめる哲学者オースティン・デイシー氏の本『Secular Conscience: Why Belief Belongs in Public Life』と、それに関連した講演についてのレポートだった。今回はその CFI の理事で、ロスアンヘレスで弁護士として活動しているエディー・タバッシュ氏の講演に参加したので、報告したい。タバッシュは無神論者で、政教分離と言論の自由の擁護を専門としている。先週カリフォルニア最高裁で同性カップルの結婚を認める判決が下されたが、かれはその件にも同性愛者側を支持する陳述書を提出したそうだ。
タバッシュのスピーチの内容は、米国憲法修正第一条における政教分離の原則がどのように成立したかを明かすことで、キリスト教の教義こそが米国の伝統そのものであるという宗教右派の主張に反論するものだった。実際にワシントン、アダムス、ジェファーソン、マディソンといった米国創成期の指導者たちが書いたものを読めば、かれらが現在の宗教右派よりもはるかにリベラルな宗教観を持っていたことや、かれらが単に異なる宗教同士の法的平等を定めたのみならず、宗教を信仰しない自由も信仰する自由と対等に認めていたことが明らかになる。
その点はたしかに宗教右派への反論にはなると思うのだけれど、ワシントンやジェファーソンのような「建国の父」が何かを言ったからといって、いまでもそれ「米国の伝統的な価値」として尊重されなければいけないという考え方はどうにかならないのかと思う。数日前に見にいった「ホワイトネス・スタディーズ」(「白人」カテゴリの構築と作用について研究する学問領域)の講演では、ジェファーソンを単なる奴隷所有者で女性蔑視者として扱うかのような論調に抵抗を覚えたのだけれど、逆にそういった点を無視して「ジェファーソンはこんなに素晴らしいことを言っていた」みたいに引用されるのも気になった。
またタバッシュは、現在米国における政教分離の原則はかつてないほどの危機にあるとして、最近あった重要な裁判をあげながら、あと一人リベラル派の判事が保守派と交代してしまえば、妊娠中絶や同性者の権利といった問題においてかなりの後退が強いられるだけでなく、宗教右派による市民権への攻撃を押さえ込んできたさまざまな判例が覆されると指摘した。政教分離の原則といってもさまざまな見解があり、最も保守的な判事の何人かは「特定の教義を個人に直接押しつけるのでなければ、公的費用で宗教団体や宗教学校を補助しても構わない」とか、「憲法修正第一条では連邦政府が特定の宗教を推進してはいけないと決められているだけで、州政府が州教を定めることは一切禁止されていない」みたいな考えを公言しているからだ。
タバッシュは、自分は非営利団体の代表者として発言しているので、具体的にどの候補や政党を支持しましょう、みたいな呼びかけはできないが、と前置きしたうえで、誰が大統領になりどちらの政党が上院で多数を取るか(少数政党による牛歩戦術を阻止できる60議席を多数政党が取れるかどうか)ーー最高裁判事は大統領によって指名を受け、上院で承認されるーーが、今回の選挙ではかつてないほど重要になっている、と言った。
わたしが疑問に思ったのは、タバッシュによる「宗教右派支持層」についての発言だ。客席から、「南部や中西部に多い宗教右派支持層の多くは貧しい人たちなのに、保守政治家たちは、宗教を利用することによって貧困層を分断し、かれら自身の経済的利害に反する政策を支持させている」と指摘する発言があったのに続いて、かれはこう言う。「かれら原理主義的な信仰者にとっては、同性結婚を防ぐことの方が自分の子どもに適切な医療を受けさせることや、大学に進学させることより大事なのだ。なぜならかれらは死後に天国で永遠に暮らせることを信じているから、現世で数十年間くらい貧困に苦しんだとしても宗教倫理的に正しい行動を取った方が良いと思っているのだ。」
この発言を聞いて、わたしは「新しい無神論者」の代表的論客であるサム・ハリスの、『The End of Faith』のある記述を思い出した。ハリスは、宗教的信念によって自爆テロを起こした息子の両親や近所の人たちの反応を、次のように描写する。

その若い男性の両親は、すぐにかれの最期を知ることになる。かれらは息子を失ったことを寂しくは思うけれども、かれが成し遂げた偉業を限りなく誇りに思うだろう。かれらは、息子が天国に先に行き、あとに来る自分たちを待っていることを知っているからだ。そしてかれの行為による被害者たちが地獄に恒久的に送られたことも。近所の人たちはかれの行為を盛大に祝福し、両親に食べ物やお金を差し出す。

タバッシュの発言はこれほど酷くはないかもしれないけれど、同じ傾向を示していると思う。ここでわたしのいう傾向とは、自らを一方的に「理性の側」「正義の側」と位置づけ、すべての人にある内面的な葛藤を否定する副作用として、「野蛮」で「蒙昧」とされた側に人間の持つ闇の部分ばかりが投影され、かれらをまるで人間的な感情や倫理感を持たない相手であるかのように描写してしまっていることだ。こうした描写は事実に基づかないばかりか、不毛な対立をさらに深刻化させることにしかならない。
宗教右派の支持層を「自分の子どもに医療や教育を受けさせることよりも、何の関係もない同性愛者が結婚するかどうかが政治的に重大だと思う人たち」と規定せずとも、宗教右派を支持する人たちの側にもハリスやタバッシュとまったく同じ構図があることを考えれば、かれらが宗教右派勢力を支持している理由は十分に説明できる。わたしは実際そうした勢力が大多数の人々の支持を得ている地域に住んでいたことがあるので分かるのだが、かれらの考えるゲイやレズビアンは、まったく人間性を見出せないような、まるで現実離れしたほど醜悪な存在として想定されているという点で、ハリスが考える「イスラム教徒」や、タバッシュの考える「キリスト教原理主義者」とよく似ている。
つまり、かれらは同性結婚や同性愛者の権利を法的に認めることは、子どもに医療や教育を受けさせられないこと以上に社会にとってもかれらの家族にとっても危険だと思い込んでいるからこそ、再分配政策より同性結婚反対を優先するのだ。天国に行くためには子どもが現世でどうなっても構わないと思っているわけではない。ゲイやレズビアンについての間違ったイメージを宣伝して政治的に動員する宗教右派勢力は批判されるべきだけれど、イスラム教徒やその他の宗教者に対する悪質なイメージを宣伝し、あるいはそれに便乗しつつ自説を広めようとする「新しい無神論者」論客たちだって問題が多い。
(さらに言うと、裕福な都会の人が再分配を主張するリベラル政治家を支持したら「自分の利害よりも理念を重視している」と褒められるのに、貧しい田舎の人が「小さな政府」を唱える保守政治家を支持するのは「宗教にまどわされて自分の利害を分かっていない」と決めつけるのは不当なダブルスタンダードじゃないかと思うのだけれど、これは今回の話に関係ないな。)
前エントリ「オバマを支援する麻薬ギャング vs. クリントンを支持する狂信フェミニスト」のコメント欄で cider さんにわたしの姿勢は「何かに『信』をおいて行動する人たちに対するを反転した『政治』」じゃないか、と言われてしまったのだけれど、どんな集団に参加してもその中でおかしな部分ばかりに気付いて反発してしまうわたしの性向は、たしかにそう見られても仕方がないかもしれない。わたし自身も「何かに『信』をおいて行動」しているつもりなんだけど、絶対的な「信」を寄せる対象は見つけていないからねぇ。とにかく、せっかく無神論グループという、とりあえず議論だけは応じてもらえる場所を見つけたのは良いのだけれど、実際に話を聞いてみるとかなりがっかりすることが多い気がする。

3 Responses - “「新しい無神論者」論争と、対立する相手の人間性への想像力について”

  1. NORTON3rd Says:

    あ、しょーもないタイポ指摘ですいませんが
    >「自分の子どもに医療や教育を受けさせることよりも、何の関係もない同性愛者が結婚することに意義を見出す人たち」
    とあるのは例えば ”結婚することを阻止する”とかではありませんか文章の前半とつながりませんが

  2. macska Says:

    直しました〜。どうもです。

  3. 通りすがり Says:

    「ワシントンやジェファーソンのような「建国の父」が何かを言ったからといって、いまでもそれ「米国の伝統的な価値」として尊重されなければいけないという考え方はどうにかならないのかと思う。」
    「建国の父」だからではなく、法学の教科書にあるように、法令の解釈に当たっては立法者の意思は重要な考慮事項であるから、言及しているのにすぎないのでは。

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