「ネオコン左派」に転じる世俗的ヒューマニズムと「新しい無神論者」
5/9/2008 - 8:00 am by macska本誌創刊号(四月十日発行)に掲載された「米国を席巻する『新しい無神論者』の非寛容と、ほんの少しの希望」では、米国オレゴン州で活動する「新しい無神論者」たちのグループの活動を紹介しつつ、ドーキンスをはじめとする「新しい無神論者」論客の一部に見られる理性至上主義が他者に対するーー特に移民や少数民族など、文化的・宗教的背景の異なる社会的弱者へのーー不寛容に転じることへの懸念を表明した。かれらは米国の宗教右派による女性や同性愛者の権利への攻撃や、イスラム原理主義をかかげるテロリズム、さらにはヒトラーやスターリンの犯罪までもがすべて「理性の欠如」によって起きているかのように言うが、みずからを「理性的」と規定して「非理性的」な他者を切り捨て殲滅しようともくろむ理性至上主義こそ、むしろ危険なのではないか。
「米国を席巻する〜」ではそのようなことを伝えたかったのだが、どうも単なる「無神論者批判」「ドーキンス批判」的に解釈した読者も多かったようで、もっとうまく文章を書けるようになりたいなあと思うのだけれども、そのレポートが本誌創刊号に掲載された直後、新著『Secular Conscience: Why Belief Belongs in Public Life(世俗的良心/信念はなぜ公共生活に属するべきか)』のプロモーションでポートランドを訪れた哲学者オースティン・デイシーの講演に参加することができた。ちょうど良いタイミングでもあるし、前回書き足らなかった部分を補完できると思うので、報告したい。
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