市場が解決できない統計型差別と「負のインセンティヴ・スパイラル」/苺畑カカシさんへのお返事

2/22/2008 - 5:28 am | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

過去エントリ「わたしは左翼であるのかないのか、あるいは経済学をこのブログで取り上げる理由」を読んだ苺畑カカシさんが、わたしが自分の政治姿勢をきちんと説明していないと詰問している。彼女との過去のやり取りから考えて、わたしがどう説明したところで彼女を満足させることはとてもできないように思うのだけれど、他に同じような疑問を持っている人はいるかもしれないのでできる限り応えてみたい。

ところが、どういう訳か左翼の人たちは自分達がリベラル/左翼/共産主義であることを認めようとしない。それどころかそれを必死に隠して自分達のことを革新派、自由主義者、進歩主義者などと訳の分からない名前で呼んだりして一般市民を煙に巻くのが得意である。
http://biglizards.net/strawberryblog/archives/2008/02/why_dont_leftists_admit_they_a.html

ここは必ずしもわたしだけについて言っているわけではないと思うのだけれど、わたしは自分の政治的立場を隠したり読者を煙にまこうとはしていない。自分がリベラリストであることは常々自称しているし、さらに詳しく言えばポスト・ロールジアン・リベラリストだとも言っている。「ポスト〜」という言葉は誤解を呼びやすいのでこれをもうちょっと説明すると、ジョン・ロールズにはじまる現代リベラリズムを参照項とするリベラルという意味だ。ロールズの思想が何かとかそれが現代リベラリズムでどのように議論されているかという話は、到底ここで説明しきれないので各自調べて欲しいと思う。

ちなみにフェミニズムの一派にリベラルフェミニズムというものがあるが(NOWがその代表格)、リベラルフェミニズムが参照項とするのはロールズ以前の古いリベラリズムであり、はっきり言うとリベラリズムの近年の進展から取り残されていると思う。ロールズ以降のフェミニスト理論家(たとえばナンシー・フレイザー)も、特にリベラルフェミニストとは自称していない。そういうわけで、わたしはリベラルでありなおかつフェミニストだが、自分のことを「リベラルフェミニスト」とは考えていない。これはレズビアンでフェミニストだからといって「レズビアンフェミニスト」であるとは限らないのと同じ理屈。(ついでに、わたしはレズビアンフェミニストではなくそれと対立する立場だと説明しているのですけど、それは無視ですか? 実際にレズビアンフェミニズムを批判するエントリも書いているよーーここで取り上げている問題は、わたしがレズビアンフェミニズムを否定する理由の中心的なものではないのだけれど。)

「リベラル」「左翼」「共産主義」のうちわたしが自分には完全に当てはまらないと思うのは「共産主義」だけだ。これはもう、わたしは共産主義を支持せず、市場経済を支持しているのだから、まるっきり違うとしか言いようがない。第一、わたしが政治に興味を持った頃にはすでにゴルバチョフが登場してペレストロイカをやっていたわけで、共産主義に理想や希望を抱きようがない。これだけは全くの勘違いだと思うので、共産主義者だと決めつけるのはやめて欲しい。ていうか、リベラルは自分が進歩派だとか革新だとか人々を煙にまこうとするかもしれないけど、本物の共産主義者は自分が共産主義者であることに誇りを抱いていて否認したりしないんじゃないかと思うけど。

「左翼」については、共産主義者という意味であれば外れていると思うけれども、定義によってはそれが当てはまるかもしれないことは分かっている。仮に右か左かのどちらか絶対選べと言われたら、そりゃわたしだって自分は左側に近いんじゃないかなぁくらいは自覚しているもの。でもそもそもどちらか絶対選ばなくちゃいけないとは思わないので、だ漠然と「お前は左翼か」と聞かれたら、それは定義によるが自分は特に右とか左とかいう考え方自体ついていけない、としか言いようがない。

カカシさんは、いやお前は左翼が不人気なことを分かっているから自分の政治姿勢を隠しているんだと言いたいのかもしれないけど、「左翼」と同じくらい不人気な「リベラル」や「フェミニスト」であることははっきり認めているわけで、「左翼」だけ隠す理由がないじゃん。わたしの意見を読んで「これは左翼的だ」と感じるのは読み手の自由だけど、わたしがそう自称しないからといって隠しているとか煙に巻こうとしているとか決めつけるのはどうにかしてくれないかな。

わたしの上記エントリを引用したうえで、カカシさんはこう言う。

上記の彼女の文章を読んでいると、彼女は自分達の崇高な動機と目的のためにその方針が市場に及ぼす悪影響など全く無視している活動家を批判しているように見えるし、また自由市場や自由競争を尊重しているかのように感じる。しかしながら、彼女は一度もこの自分の信念が現実社会においてどのようにあてはまるのかという説明をしていない。

「〜ように見える」とか「〜ように感じる」って、現にそう主張しているんですけど…。現実社会においてどのように当てはまるのかというのは、具体的にどういう問題についてわたしの考えを聞きたいのか質問していただければ説明のしようもあるんだけど、あのエントリにそれを期待されても趣旨が違うのよねー。「説明をしていない」とか断じる前に、まずどのあたりの説明が欲しいのか質問してよ。

以前に私は人種差別にしろ男女差別にしろ政府が差別する(女性は何々の仕事についてはいけないとか、黒人はどこそこの公立学校に入学できないといったような)法律さえ取り除きさえすれば、あとは市場が解決してくれると書いた。これは女性や黒人の賃金が白人男性よりも安ければ人種や性別にこだわりのない雇用主が人件費節約のために優秀な黒人や女性を雇うようになるからで、他の企業が人件費が高すぎて経費がかさんで最初の企業と競争できないとなれば、こちらの企業も黒人や女性を雇うようになる。多くの企業が同じことをはじめれば黒人や女性の需要は高まり自然と給料も上がり、そのうち才能のある黒人や女性は白人男性と同等の給料をもらえるようになるというわけだ。

カカシさんの言いたいことは分かるのだけれど、こういう説明が経済学的に間違いであることは、過去エントリ「『蔑視』と『偏見』/自衛的行為を装う『合理的な差別』に対抗するための倫理」で解説している。簡単にまとめると、差別にはここでカカシさんが想定しているような「経済合理性の観点から言って非合理な差別」(経済学用語でいうと「選好による差別 taste-based discrimination」だけでなく、経済合理性にかなった「合理的(ここでは、それが正当であるという意味ではなく、行為主体の利益を最大化するという意味)な差別」(「統計型差別 statistical discrimination」)が存在しており、前者についてはカカシさんの言う通り市場による解決が理論上可能だが、後者についてはそれでは解決できない。

わたしの書いていることでは信用できないというなら、元世界銀行エコノミストで英誌フィナンシャル・タイムズに経済学コラムを書いているティム・ハーフォードならどうだろうか。ハーフォードの新著「The Logic of Life: The Rational Economics of an Irrational World」という本の第六章に、「The Dangers of Rational Racism」としてほとんど同じことが、より説得的に書かれているので読んで欲しい(わたしがエントリを書いたのは、この本が出る前です)。ハーフォードは、「選好による差別」は究極的にはカカシさんが言う通り(かなり)長期的には市場の自浄作用により解決することを説明したうえで、「統計型差別」について次のように説明している。

Statistical discrimination is different. If done cleverly,it could improve profits, which makes it more worrying because it is more likely to endure than dumb prejudice. That is why I have chosen to use the discomforting term “rational racism” rather than the more anodyne-sounding “statistical discrimination”–I want to drive home the point that it will not go away if we don’t do something about it. […] This disparity is not going to go away on its own accord, and that’s the difference between rational racism (or rational sexism, or rational ageism) and taste-based discrimination.
Harford T. 2008. The Logic of Life: The Rational Economics of an Irrational World. New York: Random House. p.137

統計型差別というのは、集団についての統計的情報をもとに個人を判断することだ。たとえば「女性は早期退職する可能性が高い」という情報が事実なら、女性より男性を優先的に採用したり、男性に優先的に将来的な出世に繋がるような経験を積ませたりすることは経営上理にかなっている。もちろん個人としての資質ではなく集団についての情報をもとに判断されることは理不尽な差別だが、企業の側にとってみれば個々の求職者について綿密に調査するにもコストがかかるし、いくら調査しても将来のことなんて分からない部分が多いので、統計情報に頼りがちになってしまう。そうした差別については放置しておいて構わないというならそれも一つの見解ーーわたしに言わせれば、公正性に欠ける見解ーーだが、市場に任せておけば解決するという論理は経済学的に言って間違いだ。

こう言うと、より多くの女性が早期退職せずに男性と対等に働くようになれば、企業の側もそうした差別は行なわなくなると言うかもしれない。しかし市場に任せていたのではそういう変化が起きるとは思えない。というのも、もしコストをかけて学歴や技能を磨き必死に働いても統計型差別によってそれに見合った地位を与えられないのであれば、コストをかけずにそこそこに仕事をやって結婚相手を見つけて寿退社する方が個々の女性にとって合理的になってしまうもの。差別の問題が深刻なのは、ただ単に差別そのものによってマイノリティの側が被害を受けるだけではなく、努力しても報われない状態を作り出すことにより、努力することーー自分の将来に投資することーーへのインセンティヴを著しく損なうことだ。

この通り、経済学の理論は市場の有利さだけでなく、市場の限界がどこにあるのかも教えてくれる。市場に任せておけば適正なインセンティヴ配分がなされて解決する問題もあれば、市場が歪んだインセンティヴのスパイラルーー統計型差別の存在が自分の将来への投資意欲を損ない、自己投資を避けることがさらなる統計型差別を呼び込むという悪循環ーーを起こしてしまう場合もあることは、経済学そのものから説明できることであり、何が政策的な介入を必要とする問題であるかの判別こそが経済学の効用の一つでもある。市場主義を本当に尊重するのであれば、その限界や前提条件についてもきちんと理解する必要があると思うのだが、カカシさんの主張は市場の効用を過大評価しており、経済学の見解とは異なっている。

ちなみに、「選好による差別」なら市場に任せて解決するのかというと、理論的にはそういう方向に働くことが考えられるけれども、実証的にはその作用は小さ過ぎてーーつまり速度が遅過ぎてーー話にならない、とハーフォードは説明している。ハーフォードの記述を信じるならば、その点でもカカシさんの主張は現実社会における波及速度を無視した机上の空論だということになる。詳しくは「The Logic of Life」第六章参照。世間話のレベルではそれでも構わないが、政治的な課題についてまともに議論する水準ではないようだ。

カカシさんが再三こだわるアファーマティヴアクションについても、ハーフォードは次のような意見を述べている。

Since blacks are locked into a spiral of negative incentives, we need to work out how to change those incentives. Affirmative action programs are often thought to dampen the incentives of minority groups to work hard. […] A badly designed program certainly could have that effect, but it doesn’t have to. Instead, affirmative action could make the difference between a young black kid giving up because he thinks he has no chance and striving on because he realizes that he does have a chance if he studies. Not all affirmative action programs are alike; what matters is what impact the program has on incentives.
Ibid. p. 145

ここでハーフォードが「spiral of negative incentives」(負のインセンティヴのスパイラル)と呼ぶのは、上で書いたような統計型差別と自己投資を避けるインセンティヴの悪循環のことだ。そしてハーフォードは、「アファーマティヴアクションにもいろいろある」として、努力するインセンティヴをスポイルする「悪い」アファーマティヴアクションもあれば、差別によって損なわれたインセンティヴを回復させるようなアファーマティヴアクションもあると主張する。個別のアファーマティヴアクションが良いか悪いかは、それがインセンティヴにどのような影響を与えるかに注視する必要があるというのだ。アファーマティヴアクションについてのわたしの見解は過去エントリ「世界一単純なアファーマティヴアクションの解説」に書いているけれども、それに追加してハーフォードの意見にも賛成する。

ところがカカシさんはこのような緻密な議論が苦手なようで、以下のようなことを書いている。

ところがこの自由市場による差別緩和を阻止する悪法がある。これが先に説明したアファーマティブアクションで(AA)ある。AAは才能のあるなしに関わらず、ある企業はある一定数の少数民族や女性を雇わなければならない、それだけでなく、昇進の時でも人種や性別を考慮にいれなければならない。仕事のできない少数民族や女性でもやたらに解雇できないといった非常に厳しい規制がある。こうなってくると企業は少数民族や女性を雇う利点を見いだすことができない。かえって少数民族や女性には迷惑な政府介入なのである。

もしこの記述が事実であれば、カカシさんの言うことは正しいだろう。しかし現実には、そんな法律は存在しない。企業におけるアファーマティヴアクションはあくまで企業が自主的に行なうもので、それを強制するような法律は存在しないし、一定数の少数民族や女性を雇わなければいけない法律も存在しない。仕事ができない人でも解雇できないような規制も全くない。いったいカカシさんはどの国のことを話しているのだろうか。

アファーマティヴアクションが少数民族や女性に有害だという主張は確かにある。例えば前エントリで紹介した黒人保守論客シェルビー・スティールはアファーマティヴアクションに反対しているけれども、カカシさんの言うような現実離れした否定論は主張していない。かれがアファーマティヴアクションに反対する理由の中心は、マイノリティの子どもたちに「自分たちは優遇措置がなければ成功できないんだ」と思い込ませることでかれらの自尊心を傷つける、というもので、これはかつて教育における人種隔離政策に違憲判決が出た1954年の画期的な最高裁裁判 (Brown v. Board of Education of Topeka) で専門的証人として発言して影響を与えた黒人の発達心理学者ケニス・バンクロフト・クラークの見解と同じだ。

そういう現実に即した反対論ならば「トレードオフとして見た場合、コストと利益とどちらが大きいか」「他にコストが低い方法はないか」と意見を闘わせる価値もあるが、ありもしない「悪法」という妄想を前提にしては議論のしようがない。しかしカカシさんは強引に次のように言う。

もしエミちゃんが本当の意味で自由市場を尊重しているのであれば、このような悪法には真っ先に反対するはずだが、私のアファーマティブアクションを支持するかしないかという質問に彼女は「アファーマティブアクションにもいいところもあれば悪いところもある」とか「必ずしも女性優遇なシステムとは言えない」とか言って私の質問から逃げてしまった。

もしアファーマティヴアクションがカカシさんの言う通りのものであれば、もちろんわたしはそれには真っ先に反対する。というより、そんなおかしな法律に賛成する人なんてどこにもいないだろう。でも現実にそんな法律はないわけだから、存在しないものに賛成か反対かを問われても答えようがないわけ。

せっかくなのでわたしが「良い」アファーマティヴアクションだと思う例を一つあげると、前にも挙げたけれどもブッシュ大統領がテキサス州知事だった時に導入した大学入学システムがある。米国では裕福な地域ーー当然、人種的にもどういう地域にどの人種が多いかという偏りがあるーーに住むかどうかによって公立学校の質が圧倒的に違うことが知られているけれども、ブッシュはどの高校に通う生徒でも校内でトップ10%に入る成績を修めた生徒は州立大学への入学を優先的に認めることにした。すると当然、貧困地区の学校で80点しか取れなかった生徒が入学を認められ、裕福な地域の学校で90点取った生徒は認められないということがあり得る。

もし仮に成績だけで入学審査した場合、貧困地域に住む子どもはほとんどそこで生まれたというだけの理由によって、他の地域の子どもたちと競争するためのスタートラインにすら立てないまま、高等教育を受ける機会から見放されることになる。しかしこの措置の導入によって、どの地域の子どもでも努力すれば大学に行けるという希望が生まれた。裕福な地域の学校に通う優等生がかわいそうではないかと思うかもしれないけれども、それほど成績が良いのであれば優先措置を受けなくても普通に受験すれば合格するから、弊害も小さい。州知事時代のブッシュは穏健保守の改革派知事として知られていたのだけれど、これはなかなか良い政策だったのではないかと思う。

ハーフォードの引用からも分かる通りアファーマティヴアクションには良いものも悪いものもあるというのはわたし独自の考えではなくて、ハーフォードばかりかブッシュ政権も同じ考え。もちろんわたしに比べてブッシュ大統領やライス国務長官の考える「許容範囲」は狭いかもしれないけれども、全面賛成か全面反対かなんて極端な答えを出せる問題ではない。そのような極端な要求をするカカシさんは、ブッシュ政権の閣僚よりはるかに強硬保守だということになる。まぁ意見が保守なのは別に構わないけど、現状認識がおかしいのは直してね。

あと、以下はどうでもいいのだけどあんまり無茶苦茶な批判なのでコメント。

私は最近のフェミニストたちの本当の目的は女性救済ではなく左翼主義の促進であると書いたが、これをエミちゃんは『左翼やフェミニストは口先で正義を語りながら実際にはこんなに腹黒い奴らだみたいなことを言っていたのだけれど、わたしが思うに問題はその逆だ。腹黒いだけの連中なら、利害によってはどちらにでも転ぶわけだから』と言って、利益の追求=腹黒いと解釈している。本当の資本主義者なら利益を追求するのは当たり前。それが腹黒いとはどういう意味だ?

いや、それはあまりに強引な揚げ足取りとゆーものではないですか。わたしが言わんとすることは、「左翼やフェミニストが暴走するのは、かれらが悪い奴で悪いことを考えているからじゃなくて、むしろ逆に善意のカタマリだから暴走するんですよ」ということ。また、企業なら利益を追求するのが当然だけど、社会を良くしようと呼びかける社会運動が自分たちの利害だけで動いていたらそれはダメでしょう。資本主義社会にも、社会運動や非営利団体や政府みたいに利潤とは別のものを追求するモノは存在するんですよ。

しかもこうした活動家たちの動機や目的は現実的トレードオフを考慮にしていないが「正しい」と書いていることも注目されたし。(もっとも鍵括弧をしているから自分では正しいとは信じていないというのであればまた話は別だが。)

いやだから、まさにその「正しい」動機や目的を疑え、というのがわたしの主張なんですが… ここまで読解力がないというのは逆にすごいかもしれない。鍵括弧を付けているのは、かれらの掲げる「正しさ」が相対的なものでしかないとわたしが思っているからで、文脈からも事実としても、例えば左翼だけでなく右翼や保守派にもかれらなりの「正しい」動機や目的があることをわたしはまったく疑わない。なにも左翼活動家の動機や目的を「正しい」と認定しているわけじゃないのね。

もうちょっと説明すると、ある人の動機や目的が「正しい」かどうか極端に気にするのは、非束縛的価値観のなせるわざだ。かれらにとっては「正しい」動機や目的こそが行動の「正しさ」を支えるので、敵対勢力は動機や目的が間違っていることになるし、仲間に「間違った」動機や目的を持つ「裏切り者」がいるのではないかと不安を感じる。相手の動機や目的が「正しい」かどうかが政治的な綱引きの対象となり得るわけ。ところが束縛的価値観においては、動機や目的の「正しさ」は行動の評価とは切り離されているので、自分たちの動機や目的の「正しさ」に固執する必要がないし、敵対勢力が「自分たちは善意に基づいて行動している」と言うならそれを認めることに躊躇しない。

束縛的価値観において政治的評価の対象となるのは、基本的に行為の結果であって動機や目的ではない。わたしは後者の価値観に立ってこの話をしているので、左翼活動家たちの動機や目的が「正しい」かどうかにそれほど興味はないわけ。わたしがそれを「正しい」と鍵括弧付きで表記しているのは、かれらはそれが「正しい」と思っているのね、程度の意味しかない。一方カカシさんは保守主義者なのにどうもわたしの「隠された」動機や目的に興味があるようで、話がどうも合わないのはこのあたりに理由があるのかもしれない。

しかもエミちゃんはアフガニスタン戦争後も前と同じく一貫したイスラム批判を貫き通しているフィリス・チェスラーをイスラモフォビアのラディカルフェミニストと言って批判してみたり、エクイティーフェミニズムを唱えるクリスティナ・ホフ・ソーマーズの概念をデタラメな解釈だとして「排除」している。

いや、イスラモフォビアとは言ったのはわたしでなくて別の人だよ。わたしは基本的に「〜フォビア」という言葉は使いたくないと思っているし(ここ参照)。ラディカルフェミニストというのは彼女が昔から一貫して自称していることで、批判でもなんでもない。エクィティフェミニズムという概念がデタラメであることは、それが現実にあり得ないほど醜悪な「ジェンダーフェミニズム」という仮想敵との組み合わせでしか意味を持たないことを考えれば当たり前。ただし、ソマーズを過小評価しているというのはカカシさんの勘違いで、「ジェンダーフェミニズム」という概念はデタラメだけれど、それ以外のところで彼女の批判には重要なものも多くあったとわたしは思っていて、実は彼女のことはかなり評価している。これは本当。

そして別の件でも旧日本軍(右翼)による慰安婦問題の責任を追求しているのに、当時の共産主義といっていいほど左翼よりだったルーズベルト大統領が総指揮官だったアメリカ軍やその配下にあった韓国軍への責任追及には興味がない。

えー、よく読んで欲しいんだけど、わたしが率先して追求しているのは日本軍の責任じゃなくて、読売新聞に論破されてしまっているバカな声明文を出した VAWW-NET Japan とかいう団体の責任だよ。ていうか、ルーズベルト大統領は第二次大戦末期に死亡しているわけだけど、その当時韓国軍が米軍の支配下にあったってホント? わたしはてっきり、当時の朝鮮半島は日本の植民地支配下だと思っていたけどな。

自分がマルクス主義でも共産主義でもないなら、マルクス主義フェミニズムを弁護する理由などないはずだ。

党派的に弁護する理由はないんだけど、学問的に間違った批判は放っておけなかったというか。誰もが「味方は何がなんでも弁護する、敵は何がなんでも叩く」という行動原理を取っているわけではないことをご理解ください。

ではどうして左翼は自分を左翼と認めないのだろうか?自分の思想に誇りはないのか?他人に自分の本心を知られると何か都合の悪いことでもあるのか?

大きな意味で左翼にしろ共産主義者にしろ動機は同じだ。これらの思想を一般市民が認めないことを彼等は知っている。彼等が左翼だとか共産主義者だということが暴露されれば普通の人はまじめに意見を聞いてくれないことを彼等は十分承知しているのだ。だからその事実はなんとか隠さなければならない。

いやぁ、誇るほどの思想を持っているかどうか怪しいものだけど、わたしは自分の本心は隠してないよ。リベラルであるというのは何度も自称しているし、フェミニストであるというのも(常に「フェミニストのmacskaさん」みたいに呼ばれるのはどうかと思うけど)隠していない。ていうか、ブログでこれだけ自分の意見を書きまくっているのに、どうして「左翼」だけ本心を隠していると思うわけ? 少なくともわたし自身は自分のことを「左翼」だとは思っていないだけ、という、よりシンプルな説明じゃ何が不満なんだろう。

しかし彼等が自分達のことを「自分は左翼ではありません!」と断言しないのは、そのように断言して自分達の仲間から「裏切り者」と思われると困るからである。例えばエミちゃんにしても、左翼である以上アファーマティブアクションを支持しません!とは断言できない。かといって支持します、といってしまえば自分の正体がばれてしまう。だからそういう質問は間違っているとか、そんな単純な答えのでるものでもないとか、いい面もあれば悪い面もあるとかいって保守派や右翼の直接的な質問には絶対に答えないのである。

あ、断言しようか?「自分は左翼ではありません!」 仲間から裏切り者と思われると困ると言うけど、既に著名フェミニストとか女性団体とか批判しまくってるから、いまさらそんなことで黙ったりしない。そういえば以前、誇りを持って左翼をやってるひびのまことさんと話をしていて、ひびのさんが昔の新左翼のなんちゃら、みたいな本(内容全然覚えてない)について話をしているのにわたしが全然興味を示さないから、「macskaさんって本当に左翼じゃないんだねー」みたいに言われたことがあるし。

アファーマティヴアクションについては、カカシさんの言うような種類のアファーマティヴアクションがもし存在するなら、当然それには反対するよ。でも現実にはそれとは違ったアファーマティヴアクションがあり、それが場合によっては必要だと考えられるそれなりの理由も理解しているから、全面否定はしない。そのことについては過去のエントリや今回ちゃんと説明している。もしそれがわたしが左翼である証拠だというなら、元世界銀行エコノミストのハーフォードだけでなく、ブッシュ大統領だって左翼だということになる。そんなバカな。

前にも書いたけど、カカシさんが突きつける単純な選択肢がおかしいことは、質問を引っくり返してみればすぐ分かる。彼女の質問が「あなたはアファーマティヴアクションに反対ですか、それともあなたは女性優遇主義者で共産主義者ですか?」だとすると、彼女が答えるべき質問は「あなたはアファーマティヴアクションに賛成ですか、それともあなたは差別主義者なのですか?」というものになる。もちろんこの質問は間違っており、彼女だって「選択肢が単純すぎておかしい」としか答えられないだろう。するとすかさずわたしは「あなたがこの質問に答えないのは、あなたが差別主義者だからである」と決めつけても良いことになる。

もちろん、このようなやり取りは到底議論とは呼べないモノなのだけど、いつになったらカカシさんはそれに気付いてくれるのだろうか。だいたい、この記事の最初でカカシさんは

これは読者の皆様もすでにお気付きのことだろうと思うが、保守派や右翼の人たちは自分達の政治思想を隠したりしない。それどころか「私は極右翼です!」などと誇り高く宣言するくらいで、こうした人たちを間違って「あなたは左翼でしょう」などといった日には何時間にも渡ってどういう理由で自分が右翼であり左翼ではないのか延々とお説教を受けること間違いなしである。

と書いているけど、どうしてその人が「自分は左翼ではない」というのは認めるのに、わたしのことは「左翼であることを否定するのは左翼の証拠」と決めつけるのかな。カカシさんがわたしのことを間違って「あなたは左翼でしょう」などと言うから、何時間にも渡ってどういう理由で自分がポスト・ロールジアン・リベラルであり左翼ではないのか延々とお説教を書いているわたしの誇り高い宣言にも耳を傾けて欲しいところだ。

3 Responses - “市場が解決できない統計型差別と「負のインセンティヴ・スパイラル」/苺畑カカシさんへのお返事”

  1. brother-t Says:

     う〜んとアメリカはわからないのですが、日本で言えば左翼=共産主義ではないです。その証拠に90年代を中心に「マルクスを支持する共産主義者」である青木雄二氏は左翼扱いはそれほどなされていなくあのホリエモンですら「共産主義云々を除けば」と条件付ながら共感を示しています。
     左翼か否かのポイントはもはやイデオロギーではなく中国・インドの発展等の地殻変動の中、足元の生活に関していかに「お金」等の「生きていくのに付き合っていかなくてはならないもの」を使って語っているかどうかなのではないでしょうか?
     右翼的な主張が受けるのは左翼と同じく保守的守旧的な枠組みとはいえ、結果的にそれに近いことができているからだと思います。

  2. 田中 Says:

    「すべてを市場に任せるべき」という人たちは、国籍法とか出入国管理法とか学校教育法とか民法第4編とかのことをどう考えてるんでしょうね。全部廃止せよ、というならそれはそれですじのとおった主張と思うんですけど。

  3. COCO Says:

    ここ半年ぐらいかかしさんのブログを見つけてから、不快極まりなく感じているCOCOと申します。私もどちらかと言えば左寄りだし、断然リベラルなので、それによる偏見と思われると大変残念ですが、またこういっちゃあかかしさんに申し訳ないですけど、ここまでおそらくリパブリカンの旦那様とFOXニュースにブレインウォッシュされている右翼アクティビストを相手にするって本当にのれんに腕押し、ぬかに釘ですよね。どう考えてもアコモデイト出来る対策はなさそうなら、いっそ無視しちゃったらどうかと思ってしまいます。macskaさんの試みに心から敬意を感じていますが、偏見甚だしい右寄りなご意見を対処されるよりも是非、macskaさんのラショナルでオブジェクティブなご意見を読ませていただきたいと思う次第です。

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