世界一単純なアファーマティブアクションの解説

12/15/2005 - 6:11 am | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

アファーマティブアクション、あるいはポジティブアクションとか積極的格差是正措置みたいな言い方もされるけれど、こんな単純な話をよく理解しないまま賛否を議論している(大半は反対論だけど)人が多いように思う。そこで今回は世界一単純にそのあたりを解説するので、賛成か反対かはとりあえず棚上げしてアファーマティブアクションの論理を理解して欲しい。賛成とか反対とか言う前に、何について議論しているのか理解していなければ意味無いものね。ただ、論理は単純だけどそこから先はちょっと頭を使って考える必要があります。それから、ここ試験に出ます(ウソ)。

いきなり一言で言ってしまうと、要するにアファーマティブアクションというのは、陸上競技で内側のトラックを走る選手よりも外側のトラックを走る選手がより先の位置からスタートできるというルールと同じ。もちろん陸上競技ではトラックの円周を計算したり実際に測ったりすることで「誰がどれだけ先のスタート地点に立てば良いのか」を合意するのが容易いけれど、就職や入試といった実生活上の競争では誰もが合意できるような明白な基準が存在しないため「誰にどれだけリードを与えるか」という点で紛糾しがち。それがアファーマティブアクションの弱点の1つでもあるのだけれど、アファーマティブアクションが社会的に要請される論理やその基本的な目的は陸上競技のそれと全く同じ。それがいわゆる「実質的平等」ということなのね。ほら、単純でしょ。

米国でのアファーマティブアクションはリンドン・ジョンソン大統領の演説からはじまったのだけれど、これは1964年に成立した公民権法で性別や人種を理由とした差別を禁止するだけでは不十分だと考えられたから。どうして不十分かというと、今日から平等だから白人男性と対等に競争しなさいと言っても、それまで受けてきた教育が全然違うから同じ試験を受けても勝ち負けが目に見えているし、これまで稼いだお金や祖先から相続したお金に差があれば(差があるどころか、以前は一方が他方の所有物扱いだったんだから)ビジネス上でも対等に競争なんてできるわけがない。そういう競争は外見上平等なだけであって、実質的には社会の周縁に置かれた人たちに対して一方的に不利な「機会不平等」状態だ。だから、本当の意味で対等な競争が実現するまでのあいだ、暫定的な措置として失われた分の機会を補填しようというのがアファーマティブアクションの考え方。

先に述べたけれど、これには「そんな事言っても、誰にどれだけ補填すれば本当の意味で平等になったと言えるのか?」という疑問が浮かぶ。そして、この問いに答えることはとても難しい。例えば、今の社会では黒人の子どもより白人の子どもの方が良い学校に通わせてもらえる可能性が高く、教師から熱心に教えてもらえる可能性が高く、また同じエッセイを書いても高い点数を貰える可能性が高いとしよう。これは仮定の形を取っているけれど、実際に子ども一人当たりの教育予算や図書室の蔵書数やコンピュータの数を比べたり、教室における教師の言動をビデオテープに録画して分析したり、書いたとされる生徒の人種だけ変えて同じエッセイを多数の教師に採点してもらう実験を行ったりすると、こういった不平等の存在は簡単に証明できる。問題は、そうした不平等を求職者や受験者の審査に反映させるとした場合、どこにどれだけ反映させれば良いのか誰もが納得できる方程式がないこと。そこに恣意的な判断が入り込む余地があるので、アファーマティブアクションは駄目じゃないかという意見もある。

だけど、白人の子どもと黒人の子どもではかれらを取り巻く社会環境が全然違うという点を全く審査に反映させないのでは、不平等な状態を温存することになる。それだって1つの恣意的な判断に違いないわけで、問題は一切解決されない。仮に時折「アファーマティブアクションが過剰となる危険」があったとしても(それは長期的・全体的に見れば「アファーマティブアクションが不十分となる可能性」によって相殺されるのだから)、特定のグループだけが永遠に苦しみ続けるよりは「社会的不均衡による不利益(を受ける可能性)をみんなで背負う」ほうがマシだという判断はありうると思う。

先の陸上競技の例に戻ると、トラックの内側/外側という違いであれば距離を計算したり計測したりできるからどうすればフェアなのか誰にでも分かる形で証明できるので簡単だ。でも、もし片方だけのトラックがぬかるんで水たまりになっていたらどうする? もし一方が上り坂で他方が下り坂だったら? もちろん、理想を言うならばそんなトラックで競技をするのはやめて、両者ちゃんと同じ条件で競争するのが望ましい。でも現実社会はいくら平等平等と言ってもそんなに簡単に平等は実現しない。不平等を是正する努力は続けつつも、当分のあいだは不平等な条件のまま競争を続けざるを得ないのだから、競争のルールの中にそうした不平等を補正する仕組みを作ろうというのがアファーマティブアクションの論理なのね。

ちょっと考えて欲しいのだけれど、普通の企業では社員を採用する際、筆記試験の点数だけで上位から○名といった採り方はしていない。試験によって最低限の能力を確認することはあるかもしれないけれど、そうしてある程度の能力(資格)が確認された中から面接したり評判を聞いたりして判断するはず。面接では、発言内容だけでなく言葉遣いや受け答えの態度も評価の対象となるだろうし、なかには誰々の紹介だからとか母校の後輩だからといった理由で採用に積極的になったり、偶然面接官と同じ趣味で意気投合して好印象を与え合格した、なんて例もあるかもしれない。そういった採用に関係するさまざまな要素は、誰もが納得できるような形で一律に数値化することが不可能な性質のものだ。つまり、企業の人材募集においては既に数字に還元できない要素が組み込まれており、そこにアファーマティブアクションとして「社会的不均衡」という変数を入れてもそれで新しい問題が加わるわけではない。その変数の値が妥当かどうか議論ができるだけ。

大学入試についてはアファーマティブアクションが行われている米国の仕組みを参考にして欲しいのだけれど、米国では高校の成績や試験の点数だけで入学者を決めるようなことはしていない。数字だけ見てかなり成績優秀な志願者は合格、問題外の志願者は失格とするとして、その中間つまり当落線上にいるような志願者については本人のエッセイや課外活動の成果を見たりして総合的に決められる。点数が多少低くてもほかにアピールするような経歴や能力を持っている人は評価されるってこと。つまり、あらかじめ数字にできない要素を考慮する土台があるから、志願者の人種や性別も考慮に入れることもできるわけ。

どういったアファーマティブアクションなら良くて、どういうものは「行き過ぎ」なのか。それは社会における機械の不平等がどれだけ深刻かにもよるけれど、まず言っておくと全く資格のない者を数合わせのためだけに大学に入れたり職を与えたりするのはいけない。そんなので大学や会社に入っても周囲について行けずにドロップアウトするだけだし、もしその職が消防士や教師など他人の命や将来に関わるものだったらその使用者が損失を出すだけでは済まなくなる。クォータ制、すなわち女性や少数民族などの社会的弱者を一定の割合で採用することを義務づけるような制度は、適切な人材がいなくても無資格の者を入学させたり採用したりすることになりかねないので基本的にわたしは反対の立場。ただし、後述の通りこれとは別の目的を持ったクォータ制があってそれは否定しない。

最近米国の最高裁で争われたケースで、こんなのがあった。ある大学では人種に応じて「黒人なら○ポイント、ラティーノなら○ポイント」といった感じで試験の点数を機械的に補正する制度を実施していたのだけれど、白人学生から「逆差別だ」と訴えられて違憲判決が出た。あれは確かにマズいやり方だとわたしでも思う。だって、補正で足された点数は試験の点数とは性質が違うものだもの。仮に最低限の基準を満たしていない人が「人種ポイント」を足してその基準に達したとしても、それは評価に値しない。その人の置かれた社会的状況というのは、あくまで基準を満たした人の中で誰を入学させるか/採用するかという場面になったときに、さまざまな数字にできない要素と一緒に考慮にいれるものだと思う。そうしたファジーで細やかな運用をする手間を省くためにポイント制にしたとしたら、大学側の怠慢だよ。

テキサス州では、90年代に「アファーマティブアクションは逆差別だ」とする保守派の主張が通って、大学入学審査の基準として人種などを一切考慮に入れてはいけないということが決まった。州知事だったのは今のブッシュ大統領だけれど、当時かれはまだ「中道派・穏健保守」とみなされていて、アファーマティブアクションにも今ほど否定的ではなかった。そこでかれが何をしたかというと、州内のどこの高校であっても校内トップ10%の成績をおさめた人は州立大学への入学を認めることにした。米国では地方分権の名のもとに教育予算はそれぞれの地区ごとに運用することになっていて、中流家庭が多く住む地域では図書室やコンピュータの設備も立派で(待遇が良いので)良い教師がたくさん集まるけれど、貧しい家庭が多い地域ではボロボロの校舎で何年も前の教科書を使って授業をやっている。もともと厳しい状況に生まれ育った子どもが劣悪な学校に通わされているというわけで、当然ながら授業のレベルも違えば州内統一試験における生徒たちの平均点も全然違う。前者に白人が多く、後者に黒人やラティーノが多いというのは言うまでもない。

そういう状況にあって、どの高校からでもトップ10%に入れば大学に進学できるということは実質的に、それまでマトモな教育を受ける機会を奪われてきた貧困地区の生徒たちに対する救済措置だ。能力があるにも関わらず環境にめぐまれない生徒たちに、大学へ進学できる現実的なチャンスを与えることになったのだから(とはいえ、教育予算の配分を見直して教育格差そのものを是正してくれた方がずっといいわけですが)。もちろん、貧困地区の学校で80点取ってトップ10%に入った生徒もいれば、裕福な地域で90点取ってもトップ10%に入れなかった生徒もいるだろうから、点数絶対主義の立場から見れば不公平。でも90点取れた人は普通に受験しても合格できるだろうし、劣悪な教育を受けながらトップ10%に登りつめた人はそれなりに能力があるはずなので、目に見える弊害はない。ブッシュにしては割といい政策だと思う。

人種や性別を考慮に入れるアファーマティブアクションに反対する人の中には、「人種や性別でなく親の収入を考慮すべきだ」という人もいる。たしかに黒人でもお金持ちはいるし、女性だって親にが裕福で教育熱心なら貧しい家庭で育った白人男性より有利な環境にいると言える場合もあるはず。過去のアファーマティブアクションで一番得したのは「裕福な家庭出身の白人女性」であってそれ以外の女性はあまり恩恵をこうむっていない、という説もあるしね。でも、ここで「階級か、それとも人種か、あるいは性別か」といった不毛な論争に引き込まれる理由は何もない。アファーマティブアクションの一環として親の収入を考慮に入れるのもアリだと思うし(現にそういう制度もあるし)、収入さえ考慮すれば人種や性別を考慮に入れることは不必要になるということもないはず。

米国の大学でよくある例だと、両親が大卒でない家庭出身の子どもを優先的に入学させるところがある。これはまさしく、生まれ育った家庭の階級的背景を考慮に入れたアファーマティブアクションで、そうすることで世代間階級格差の再生産を防ごうとしている。また、軍隊経験者を優遇するところもあるけれど、これはただ単に国のために体を張って働いてくれた人に報いるためだけじゃなくて、貧しい家庭出身の人が多い元兵士たちに機会を再配分する意味もある。

アファーマティブアクションは、なにも入学審査や採用試験のときにだけ行われるわけでもない。例を挙げると、物理学などハード・サイエンスを専攻する女性が少ない理由の1つとして、子どもの頃からメディアにおいても周囲の意識としても科学は男性的という決めつけがあったりして女の子が科学に興味を持つことを阻害している、という事実があるかもしれない。もしそうだとすると、女の子が科学に興味を持てるようなプログラムを実施すること,例えば女の子を対象とした科学教室を開いたり、女性科学者の話を聞く機会を設けたりすることが、動機の供給という意味で「機会の平等」かもしれない。いや、何も女の子だけのために何かやれというわけじゃなくて、例えば小学校で消防士さん(あるいは看護士さんでもいいんですが)の話を聞くことがあれば必ず男性と女性の消防士を一緒に行かせるということだけでも、将来の進路をより自由に考えられるようになるはず。

子どもだけじゃない。例えば大学が女性や少数民族の学生をサポートするためのオフィスを作って差別やセクハラなどの問題について相談できるようにするのもアファーマティブアクションに含まれるし、企業が求人広告を女性がよく読む雑誌や(米国なら)スペイン語や中国語の新聞に積極的に載せたりするのも、積極的に応募を促すという意味でアファーマティブアクションだ。もっと言えば、差別や嫌がらせは許さないぞ、と学内や社内に周知させるだけでもアファーマティブアクションと言って良い。こういったやり方は普段あまりアファーマティブアクションとは認識されないけれど、入学・入社審査といった場面で行われるそれに比べ格段スマートで反発を招きにくい(それでも「女性センターは差別だ」みたいに言う人はいるんだよねー)。だから、アファーマティブアクション反対派はなにかというと一番スマートでない「クォータ制」ばかり取り上げたがるんだ。

アファーマティブアクションについてはこれで終わりだけど、クォータ制の話が出てきたのでそれについて少し。先に述べたように、わたしはアファーマティブアクションにおけるクォータ制については基本的に反対(だけど、あまりに機会の格差が大きければ容認しちゃうかも)なのだけれど、クォータ制そのものについては必ずしも否定しない。それは、例えば国会や政府審議会のように広く国民を代表する必要があるモノにおいては、決して女性候補や女性有識者を救済するためではなく、女性一般の利益が害されないためという理由で、最低限○%は女性にするといったクォータ制が考慮されてもいいと思う。ここで女性といったのは例に過ぎなくて、同じことは少数民族にも障害者にもその他の社会的弱者にも当てはまる。そんなのはおかしい,民主的でないと思うかも知れないけれど、どうして島根県民に(膨大な一票の格差を生み出してまで)議席を保証するのが良くてアイヌ民族に議席を保証するのはいけないのか、説明できないはず。

(ごめんなさい島根県民のみなさま、1票の格差問題でよく取り上げられる県なので例にしましたが、他意はありません。ちなみにわたしは1票の格差問題について、米国の上下院のように衆議院を純粋に人口比に比例した議席数にする一方、参議院を1都道府県あたり○議席という形にして人口の少ない地方を救済すべきだと考えています。もちろんこれを実現するには憲法改正が前提。)

国内に複数の大きな民族集団を抱えている国では、クォータ制を採用することでなんとか国の統一を保っているところがいくつかある。もちろん、それぞれの民族の居住地域がきれいに分かれていれば分離独立すれば済むのだけれど、例えば60%の多数派民族と40%の少数派民族が混住している国で小選挙区制なんて採用したら、6割の多数派民族が全議席を独占するようなことになって内戦が起きる。それを防ぐためには政府が両方の民族を適当なバランスで代表することが必要になるわけで、クォータ制が絶対に必要だ。そこまで極端なケースでなくても、人口比では半々なのに一方の性だけが議会の大半を占めるような状態では、少数派とされた性にとってかなり不利な法律が通される危険が常にある。女性議員が必ずしも一般の女性のことを考えているかどうか分からないと言うかもしれないけれど、ほんの少ししか女性議員がいないのとたくさん女性議員がいるのとでは違いがあるに決まってる。

これはクォータ制を「否定しない」理由であって、必ずしもわたしがその導入を主張しているわけではない(ただ、アイヌについては5議席くらい保証してもいいんじゃないかと思うけど)。実際、クォータ制を導入して失敗した例もある(e.g. 1972年民主党党大会の代議員選出)。でも、「アファーマティブアクション」とか「クォータ制」とか聞いただけで「逆差別だ!」と叫ぶような短絡的な考え方は改めて、どういう場合に、どういう形であればそれらが容認できるのか、あるいはできないのか、きちんと考えて欲しいな、と思って今回のエントリは書きました。そもそもいまの世の中、絶対的に反対できるような政策なんてほとんどなくて、大抵のことは「条件次第では賛成」「条件次第では反対」という答えしか出るわけがないんだから、その条件というのをちゃんと考えて意見を言おうよ。

chiki さん、これでいいですかー?

12 Responses - “世界一単純なアファーマティブアクションの解説”

  1. Yoko Says:

    ざっと読みました。が一つ納得いかないところが。

    >米国と上下が逆さまですが。

    下院=衆議院、上院=参議院です。ちなみに日本の衆議院は英訳するとHouse of Representativesだそうです。参議院はHouse of Councillorsなのでちょっと違いますが。

    それと、私の記憶が正しければ、日本の最小人口の県は島根じゃなくて鳥取です。人口格差の例にあげるなら鳥取を出すべきでしょう。

  2. arai Says:

    アファーマティブアクションについては興味を持っていたので、
    ざっと考え方を理解することができて面白かったです。

    考え方はすごく素敵だとおもいます。
    が、政治家などが売りにするためには
    「選考するとき多数派と少数派が近い水準で競合した場合、少数派を優遇するようにする」
    というのはちょっとパンチが弱そうではないですか?
    数値目標などにくらべて。

    あとあまり関係がないですが、医学では女性が活躍しているというのは
    面白いですね。昔は医師=男性というイメージが強かったと思うのです。
    モチベーションは社会的バイアスだけでは規定されないのではないでしょうか?

  3. Macska Says:

    Yoko さん:
    > 下院=衆議院、上院=参議院です。

    あれ、そう思っていたのに、どうしてあんな余計なこと書いたのかな。普段はあとから間違いを書き直したりあんまりしないのですが、内容に深く関わる部分ではないですし、「何のことだ?」と読者を混乱させかねないので、直しておきます(その代わり、経緯はここにコメントとして残します)。

    > 人口格差の例にあげるなら鳥取を出すべきでしょう。

    どちらでも例になると思いますが。

    arai さん:
    > が、政治家などが売りにするためには
    > 「選考するとき多数派と少数派が近い水準で競合した場合、少数派を優遇するようにする」
    > というのはちょっとパンチが弱そうではないですか?
    > 数値目標などにくらべて。

    あー、ごめんなさい、それはリアルポリティクスの問題になっちゃうんで、ここで議論している原理的な話とはまた別ですね。数値目標というのは政治的なベンチマークとしてあっていいんですが、それを実現するための手段はやっぱり本文で書いたような方法にならざるを得ないんじゃないかと。

    > モチベーションは社会的バイアスだけでは規定されないのではないでしょうか?

    それはその通りですが、メディアや周囲の環境はモチベーションに大きく影響しますよ。都市部に住む若い黒人男性で「自分はスポーツで活躍するかラップで成功するかしなければほかに成功する手段がない」と思い込んでいる人がどれだけ多いことか。

  4. chiki Says:

    >chiki さん、これでいいですかー?

    はーい。とってもいいでーす。クォータ制に限らず、制度吟味の際に「欠点があるからダメ」とするコメントを耳にするとき、その欠点があったとしても現状肯定するのと比べてどちらがマシであるか、という議論はあまり聞かないですね。理解は出来ますけれど。さて、試験までに暗記しなきゃ(ウソ)。

  5. SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS Says:

    [本日の気になる記事]

    「世界一単純なアファーマティヴアクションの解説」http://macska.org/article/117 成城トラカレさん経由。http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20051216/p1 わろた。 「メイド服の効力を明らかにするための95箇条の論題」 http://maidken.hp&#46infoseek.co.jp/sasagawa/dispu

  6. Yoko Says:

    下のカリフォルニア州法のように、公共事業などで州と取引する企業には、その従業員に対してドメスティック・パートナー制度を設けることを義務づける、これも広い意味でアファーマティブ・アクションに含まれるものです。日本では男女共同参画に配慮している会社に、入札時プラスのポイントを与えてる県があるようですが。

    Davis signs landmark equal benefits law
    Patrick Letellier, Gay.com / PlanetOut.com Network
    Monday, October 13, 2003 / 05:07 PM
    SUMMARY: Outgoing California Gov. Gray Davis signed landmark legislation mandating that any company doing business with the state offer domestic partner benefits to its employees.
    http://www.planetout.com/news/article-print.html?2003/10/13/1

  7. xanthippe Says:

    さよですね。 広島市とかそうだったかな? 広島県の他都市だったかな?

    ともあれ、そういった類のことを「検討中」というのでもかなりの効果があるみたい。

  8. 田中 Says:

     選挙制度に関する議論のところは、3種の問題がまざっています。
     そもそも地域別に選挙区をセグメントすること自体がある種のクォータです。○○選挙区の住民は○○地域の候補者にしか投票できないようになっているという点で、それだけ選挙者の自由が制約されているのですが、そのかわり、○○地域を代表する議員がかならずえらばれるようにしてあるわけです。
     セグメントごとに1票の重みがちがうという問題をもちだすと、話の性質がかわってしまいます。

    >人口比では半々なのに一方の性だけが議会の大半を占めるような状態では、少数派とされた性にとってかなり不利な法律が通される危険が常にある。

    この問題に対処するには、単に人口比例でセグメントをつくる(あるいは比例代表制で名簿を男女交互にするとか)でじゅうぶんでしょう。当選した議員が背負う投票者の数、という意味では、条件は対等です。これに対して、

    >島根県民に(膨大な一票の格差を生み出してまで)議席を保証するのが良くてアイヌ民族に議席を保証するのはいけないのか

    こっちのほうは、人口比例セグメントではなく、議員の当選ライン自体をかえないといけない。単なる人口比例にくらべるとハードルが高いのではないでしょうか。
     ただ、問題になるのは、選挙人のセグメントではなく、被選挙人のセグメントなので、ほんとうは、話はもっと複雑でしょうが……ふかく考えているわけではありません。
     あと、セグメントのサイズが小さいことによって少数意見が反映されなくなるという小選挙区制の問題は、さらに別問題です。

    >60%の多数派民族と40%の少数派民族が混住している国で小選挙区制なんて採用したら、6割の多数派民族が全議席を独占するようなことになって内戦が起きる。それを防ぐためには政府が両方の民族を適当なバランスで代表することが必要になるわけで、クォータ制が絶対に必要だ。

    この場合、単にセグメントを大きくすればいいだけなので、「クォータ制が絶対に必要」という理由としては弱いかと。

    >実際、クォータ制を導入して失敗した例

    フランスも失敗していると思います。強制的なクォータではなかったと思いますが。

  9. きつねのすみか Says:

    「大卒」がばれてクビ…「高卒」と偽り11年間勤務

    「大卒」がばれてクビ…「高卒」と偽り11年間勤務 兵庫県尼崎市は30日、4年制大

  10. kalliklesの日記 Says:

    macskaさんのアファーマティブアクションの解説

    http://macska.org/article/117 。この件あんまり勉強してないのでただのメモ。このブログではネット上の情報について書くことはなかったのだが、不十分かと問われれば不十分だと思うのでメモだけは残しておくです。 米国の現状や判例に興味あるひとは http://en.wikipedia.

  11. 廿日市 Says:

    ■ 虚像の Positive Action

    以前、 Chiki さんのところ や Macska さんのところ で「アファー

  12. macska dot org Says:

    米国の大学入学審査で「男性優遇措置」が行なわれる理由…

    山口智美さんのブログエントリ「学術会議のジェンダー関連シンポのフシギ」及び「アファーマティブアクションと大学についての雑感」に関連して、米国の大学において女子学生の割合 (more…)

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