健康保険改革への第一歩としての「遺伝子情報反差別法案」

2007年7月27日 - 1:43 PM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

先日の議論に関連して、言いかけて脱線しそうなので断念した話題の続き。もとは id:kanjinai さんの、肥満者の自己肯定を認めたとして「肥満の後遺症治療による医療費高騰を公的費用でまかなうのはフェアじゃないと非肥満者が言い出したら、どうなるんだろう」という問いかけだけど、今回は取りあえず肥満の話じゃなくて、わたしが最近注目している「2007年遺伝子情報反差別法案」(Genetic Information Nondiscrimination Act of 2007) について。この法案は米国議会においてここ数年毎年のように提出され廃案になってきたのだけれど、今回は4月に下院において420対3で可決された(反対票を入れたうちの一人はもちろんリバタリアンの共和党大統領候補ロン・ポール議員)。ブッシュ大統領の支持も得ており、採決さえ行なわれれば成立する見込みが強い。
この法案の内容は、雇用と保険において遺伝子情報を理由とした差別を禁止するというもの。下院においてこれだけの大差で可決されたということは、多くの人にとって生まれ持った遺伝子の情報ーー自分の努力ではどうしようもないものーーを理由に差別されることがいかに耐え難いことかという表れだろう。生まれつき与えられるという点では人種や性別と似ているけれど、自分自身では見えないものがコンピュータ上のデータとして解析され理不尽な扱いの元となりかねないという意味では、遺伝子情報によって差別されることの不安はことさら大きいかもしれない。
人種や性別に関する差別禁止法が「雇用・住居・パブリックアコモデーション(不特定多数を対象とする施設)」における差別を禁止しているのに比べ、この法案は保険における差別を禁止している点が珍しい。しかし一般の人にとって遺伝子情報の扱いに関連して最も心配なのは、生命保険や健康保険に加入しようとして「あなたはこういう病気にかかりやすい遺伝子を持っているのでお断りします」と言われることだろうから、雇用とならんで保険における差別禁止が謳われているのはよく分かる。そして、「差別されない」という保証があるからこそ、もしかしたら何か見つかるかもしれない遺伝子検査を安心して受けることができるようになり、それによってより効果的な予防医療を受けることができる。
というわけで、めでたしめでたし… となれば良いのだけれど、そうはいかなかった。人種や性別によって差別をしてはならないというのは、職務を果たす能力に人種や性別は関係ない(仮に白人と黒人や男性と女性のあいだに統計的な偏りがあったとしても、個人差の方がはるかに大きい)と考えられていたからで、「本来関係ないものを理由に異なった扱いをしてはならない」という論理だから、分かりやすい。でも生命保険や健康保険において、その人が遺伝子的に持つさまざまな疾患リスクは決して無関係な要素ではない。もし重大な疾患リスクを多く抱えた人とそうでない人が同じ保険料で生命保険や健康保険に加入したとすると、前者にかかる余分な支払いは後者の保険料の一部によって補填されていることになる。
それでも健康な人が納得して負担を受け入れている限りはそれで良いのだけれど、そういう事にはなりそうにない。よく知られているように保険市場では、リスクを抱える人ほど保険に加入しようとし、かれらへの支払いのために保険料が上昇するとリスクの低い人が保険を避けるようになるという逆選択がはたらく。だから理論的には保険会社という業態は成り立ちにくいのだけれど、保険会社は事業を成り立たせ利益を挙げるために、逆選択を回避しようと必死になって加入申請者をスクリーニングしたり払い出しを止めようとする(そのあたりはマイケル・ムーア『SiCKO』観てね)。今回の法案が成立すれば、そこで遺伝子情報を使ってはいけないことになる。
当然、保険業界はこの法案に反対の立場から「この法案を通すと、このさき遺伝子検査が一般化するとともに生命保険や健康保険が成り立たなくなる」とロビー活動を繰り広げているのだけれど、一般市民は逆選択の理論なんて理解していないから(あるいは理解していても)、「生まれつきの形質で差別を受けるなんてことがあってはいけない!」とごく当たり前の倫理観から大多数が賛成している。
わたしは、逆選択の理論を踏まえ、遺伝子情報差別禁止法のもとでは「このさき遺伝子検査が一般化すると、生命保険や健康保険が成り立たなくなる」というところまで保険業界に賛成したうえで、だからこそ保険業界のあり方をブチ壊して国民皆保険導入に結びつけるために、この法案を支持する。生命保険はともかく健康保険については、それが最も医療が必要な人を医療から遠ざけることでしか成り立たないようなものであるなら、別の制度に移行した方がよっぽどみんな幸せになれると思う。

2 Responses - “健康保険改革への第一歩としての「遺伝子情報反差別法案」”

  1. 芹ーム Says:

    ≪リスクを抱える人ほど保険に加入しようとし、かれらへの支払いのために保険料が上昇するとリスクの低い人が保険を避けるようになるという逆選択がはたらく≫からあとを読んでないのだがリスクを抱える人ほど保険料を支払うのが困難だから保険に加入しようとしないから(中略)保険会社ってでかいビル建てるんじゃないの?

  2. しゅう Says:

    リスクを抱える人が保険料を支払うのが困難なのは,保険会社が被保険者のリスクを把握し保険料を吊り上げているから。
    今回の場合,たとえば被保険者は自分がガンになる確率が高いということを自分の遺伝子を調べて知ることができるが,保険会社はその遺伝的要因を理由に保険料のつり上げをすることができなくなる,結果保険会社は割に合わない顧客ばかりを相手にする羽目になり商売が成り立たないという話ですよね(゜゜

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