開設1周年を迎える「ミーガン法のまとめ」サイトの懺悔

2005年12月28日 - 1:40 AM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

今年ももうほとんど終わり。去年のこの時期に起きた事件と言えば奈良の少女誘拐殺害事件だけれど、その後も幼い子どもたちに対する性暴力や殺害といった犯罪が繰り返し大きく報道された一年だった。1月に奈良の事件で容疑者として過去にも子どもの性的搾取で逮捕された経歴のある男性が特定されると、「子どもたちを守るため」という口実でミーガン法をはじめとしたネオリベラリスティックな社会政策を求める世論が沸騰する恐れを感じたので、それに対抗するために数日のうちに「ミーガン法のまとめ @ macska dot org」というサイトを作り上げてミーガン法を導入すべきでない客観的な根拠を挙げた。
ところでわたしは、当時どうすれば一番ミーガン法への要求を逸らすことができるかと考えて戦略的にあの「まとめ」を作り上げたのだけれど、そうして出来上がったサイトの内容は決してわたしが満足できるものでもなければ、わたしが本当に主張したいことでもなかった。ある意味ネット世論に影響を与えることを優先して、自分の本来の主張を取り下げたようなものだ。あの時は確かにそういう戦略が必要とされていたと思うけれど、「まとめ」設置一周年を前にしてやっぱり一度本当のコトを言っておきたいと思って、懺悔することにした。と同時に、常々「政治的行動には目的とそれを実現するための戦略が必要」と言い、戦略を欠き自己満足に陥った運動体を批判してきたわたしが、じゃあ実際にどのように目的を設定して戦略を立てるのかという舞台裏を見せることにもなると思う。
奈良の事件で容疑者が逮捕されたときわたしが真っ先に考えたことは2つある。1つは前述したとおり「これでミーガン法を求める世論が沸騰するぞ」だけれど、もう1つ考えたのは「またメディアでオタクバッシングがはじまるな」ということだ。さすがに「フィギュア萌え族」なんていう変な言葉が出てくることは想定外だったけどね。でも残念ながら、わたしには世論やメディアに直接訴えかけて何らかの影響を及ぼすような力はない。わたしが影響を及ぼせるとしたらネット世論を経由して既存メディアのチェックを果たすことだと思い直し、それを目標と定める。
ではネット世論をどうやって動かすか? バッシングを受けて反発するはずのオタクたちが、メディアに反撃できるような強力な武器を与えれば良い。ネットでオタクが(それ以外もだけど)集まるコミュニケーション空間と言えば2ちゃんねる、そして2ちゃんねるで一番強いのはソースがしっかりした情報。あそこは良くも悪くも足の引っ張り合い・梯子の外し合いが作法だから、誰かが「性犯罪者を監視しろ」みたいな意見を出したらすぐに足を引っ張って引きずり降ろせるくらい強力な情報を提供するのが有効だ。
じゃあ2ちゃんねるにわたしがそういう情報を書き込めばいいのか。いや、それじゃたくさんいる人のうちの一人としての影響力しか持てない。多くの人たちにわたしが提供する情報を使ってもらうためには、まとめサイトがいい。一部で「まとめサイト脳」という言葉があるように(当時はなかったと思うけど)、「まとめサイト」に書かれている情報を検証せずに鵜呑みにする人が多いのは問題ではないかという懸念も聞くけれど、この際利用しない手はない。通常なら相当議論を重ねてスレッドがいくつか続くような重要な問題でなければ「まとめサイト」が作られることはない(だから、まとめサイトが作られることは普通はその話題がネットでかなり関心を持たれていることを示す)のだけれど、議論が煮詰まらないうちに一気に作ってしまうことで実際より重要な問題であるような錯覚を起こそうと思った。別にすべてがわたしの手柄というわけじゃないけれど(他にもミーガン法的なモノに反対を呼びかけていた人はたくさんいた)、その後の2ちゃんねるやブログでの議論はわたしが願っていたような方向に推移したように思う。
わたしが提供した情報の内容は、米国のさまざまな調査によって分かったミーガン法の現実について。「ミーガン法には再犯を減らす効果は認められない!」「ミーガン法のせいで無関係の市民がこんなに迷惑している!」といった資料を大量に提示することで、もともとミーガン法に不安を感じていた人だけでなく「再犯を防ぐためにはミーガン法の導入は必要なのではないか」と思っていた人にもアピールできたのではないかと思う。けれども、これらはわたしがミーガン法に反対する本当の理由ではないのね。
だって、「ミーガン法は効果がないから反対」と言うのであれば、効果があれば賛成ということになってしまう。「第三者にとばっちりが行くから反対」というのも、じゃあとばっちりが行かなければ賛成なのね、ということになる。そういう立場の人だっているだろうけれど、わたしはそうじゃないのよ。奈良の事件のような特殊なケースについて大騒ぎすることでより一般的な子どもの虐待を無くすために必要な対策が取られなくことがまず問題だし、そうでなくても社会の中の異物を排除もしくは監視することで偽りの「安心」を求めるようなやり方がわたしは嫌いなんだ。子どもの虐待や性暴力の加害者は決して「わたしたち」と何の繋がりも持たないような別の種族ではないし、そもそも加害者で一番多いのは孤独な異常性愛者なんかじゃなくて肉親やその他の親しい人が一番多い。程度の差こそあれ「わたしたち」一人一人がちょっと違った条件を与えられていたら加害者だったかもしれないという想像力をはたらかせた上で、小児性愛者や前科を持つ人たちを含めた「わたしたち」がどうやってお互い侵害し合わないように共存できる社会を作るかという方向に議論を進めたいとわたしは思っている。
わたしがロリコンメディアの規制に反対なのも、それが他者との共生に必要な最低限の条件だと思うから。ロリコンメディアがあれば子どもへ向かう性欲が「ガス抜き」されて犯罪が減るといった単純な図式は信じていないけれど、かといってそれらを取り上げれば犯罪が減るという話でもないと思う。世の中には子どもに性的関心を持つ人が一定数いるのだから、かれらが虚構で遊ぶことを通して現実社会と折り合いをつけながら生きることを選択してくれるような条件を整備しなくちゃいけない。そのためには、かれらが現実感を失っておかしな行動を取らないような支援体制(non-judgmental なコミュニケーションチャンネル及び相談窓口など)を整備するとともに、かれらが現実の子どもを傷つけない形でメディアを使って遊ぶことは妨げてはいけないと思う。前者は現実を生きるスキル、後者はその動機を供給しようということね。かれらからロリコンメディアを取り上げてしまうと、「わたしたち」はかれらに現実社会との共生を呼びかける根拠を失うとわたしは心配しているの。
でも、そういった話をブログで書いた途端に「そもそも性犯罪に限らず、凶悪犯は社会復帰させるべきではないと思うので、釈放後に監視するよりも刑期を長期化して刑務所に入れておくほうがいいと思う」というトラックバックを受け取ったことに象徴的だけど、「そういう想像力が大事なのは同意するけれど、リベラリズムに共鳴しない人は納得しないし、納得したとしても現実の利害や素朴な道徳感情には逆らえないのではないか」、要するに「それはリベラリストの戯れ言だよ」みたいなことをなんばりょうすけさんに言われてしまった。そして、それはもちろんその通りなのよ。それでも当時わたしは「もっと通じる形でリベラリズム的な理念を語る努力をすべきだ」とは答えたのだけれど、それはこの先長期的にという話であって、現実に目の前に迫っているミーガン法的なものを求める世論の沸騰には対処できない。
それでわたしは、本意ではないのだけれど「ミーガン法のまとめ」では緊急避難的に「ミーガン法は有効ではない」「こんなに弊害がある」といった部分に重点を置いたまとめ方をしたし、それはあの時点で間違ったことではないと思う。内容は事実だし、自説に都合のいい研究だけを取り上げたつもりもない。でも、「緊急避難的に」という言い訳でいくらでも原理原則を曲げることが許されるのであれば、それはスケールの違いこそあれ「子どもを守るため」「テロを防ぐため」といった口実で憲法における人権憲章的な原則を曲げてミーガン法や「愛国者法」みたいな法律を通すことと同じではないか、という疑念は残る。わたしが今回「ミーガン法のまとめ」サイト1周年を前にしてこうした懺悔記事を書いているのは、自分が取った行動や戦略をミーガン法的なものと区別するためには事後であっても説明責任を果たすことが必要だと思ったからだ。
ついでに、このブログ過去1年のその他の懺悔。1月6日の「憲法24条の「異性愛主義」を隠蔽する「メタ異性愛主義」言説」で紹介したように、フェミ系のメーリングリストである人を「メタヘテロセクシズムだ」と批判したら、わたしと議論していた学者連中が一斉に黙ってしまったけど(賛同する人もいた)、実は「メタヘテロセクシズム」なんて言葉は存在しません(爆笑) 学者って、重要そうな用語を知らないことを認めたがらないからねー。ちなみに「メタレイシズム」という言葉はあって、わたしが「メタヘテロセクシズム」と言ったのはその応用なんですけど、「メタヘテロセクシズム」で検索しても何もヒットしない。もし広まったら言い出したのはわたしだというコトでよろしく。2月15日の「障害者運動と映画『ミリオンダラー・ベイビー』」のコメント欄が紛糾したのは、わたしが「自分の意見」と「他人の意見の紹介」の区別がつきにくい文章を書いたせいです。ごめん。それから「絶対映画観てからでなくては書くべきではなかった」とは今でも思わないけど「観ておいた方が良かった」のは確かです。8月15日「お手軽に公選法違反ができるサイト、作ってみようかなぁ」は反応が皆無だったので誰も興味がないんだと思って断念しちゃったけど、あとから複数の人から「あれ、どうしてやらなかったの?」と聞かれた。「赤信号みんなで渡れば怖くない」と思わずに、自分一人でも公選法違反する覚悟を決めておくべきだった。ま、次からウェブにおける選挙運動は解禁になりそうだけどね。11月24日「ミルトン・ダイアモンド教授が『ジェンダーフリー支持』を明言」及び25日「世界日報・山本彰記者によるインチキ取材の手法を暴く」はネタを握っておきながら公開するタイミングを待って3ヶ月も温存させていたのだけれど待ちきれなくなって公開しちゃいました。12月15日「世界一単純なアファーマティブアクションの解説」は世界一というほど単純ではないという苦情がありました(笑) 誇大広告を謝罪します。あと、知ってる人もいますが1つだけまだ絶対言えない懺悔があります。以上。みなさま、よいお年を。

5 Responses - “開設1周年を迎える「ミーガン法のまとめ」サイトの懺悔”

  1. mill Says:

    月並みな表現ですがこのブログ凄く楽しみにしてます。
    macska様もよいお年を。

  2. しゅう Says:

    ブログ楽しみにしてます〜♪”
    良いお年を(´・ω・`)ノシ

  3. AJ Says:

    ネット住民だけでなく、マスコミもいろんな方が見ていたようですよ。

  4. Macska Says:

    そういえば当時、「性暴力情報センター」のサイトの方に NHK はじめ取材がたくさんきました。
    性暴力に取り組んでいる立場から、犯人は許せないみたいなコメントが欲しかったのかも。
    そのあたり、マツウラさんの言う「支援者に被害者を代弁させている」という問題がありますが。
    記者の方たちには、ミーガン法のサイトを見るように言っておきました。
    ミーガン法的な政策ではなく、本当に意味のある対策をしろと。
    記者が予想してたコメントとは違っていて、かなり驚いたんじゃないかな。
    マスコミの対応に関しては、例えばテレビで最初は再犯率についておかしな数字をどこも流していたのが、
    しばらくしたらちゃんとしたことを言う番組が増えて来たような気がします。
    それは多分、おかしな数字が報道されるたびに、各局に電話して苦情を入れていた人のおかげでしょう。
    その際、基礎情報として「まとめサイト」が役に立ったのであれば良かったです。

  5. おーつか Says:

    「ミーガン法のまとめ」サイトはわたしも活用させていただき、某月刊誌から「謝罪と訂正」を勝ち取りました。ありがとうございました。今年もよろしく

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