いわゆる「尊厳死」論争は聞けば聞くほど不愉快

3/26/2005 - 9:34 pm | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

ここ一週間ほど、ラジオのニュース番組を聴くのが不愉快だ。もちろん、ニュースというのはそもそも不愉快な事件や事故についての報道が大部分を占めているわけだし、ブッシュ政権のいま政治関連のニュースは不愉快なことだらけなのが当たり前だけれど、ニュースの内容が不愉快なのとニュースを聴くことが不愉快なのとは別の話。最近、ニュースを聴くこと自体が不愉快なのだ。その理由は、ここのところ米国で大きな騒ぎとなっている、脳にダメージを受けて15年間意識不明の状態にあるフロリダ州の女性の「尊厳死」を巡る左右両派のバカげた言動にある。再三の審議において裁判所は彼女の夫の主張どおり彼女の栄養補給装置を取り外すことを認めたけれど、それに反対する彼女の両親に宗教右派と保守政治家が肩入れして、大きな政治的問題となっている。

わたしはもちろんどちらかというと左派(リベラル)に属する人間だから、宗教を背景とした右派のバカな言動には普段から呆れているのだけれど、今回のそれはこれまでになく突出してバカらしい。例えば、ほとんどの専門家がこの女性は植物状態にあると証言しているのに、一人だけ「彼女には意識があり、自分なら治療ができる」と主張する医者がいて、こいつが「ノーベル平和医学賞候補」という触れ込みで右派系メディアでさかんに発言している。しかし、そもそもノーベル平和医学賞なんて賞はどこにもないし、好意的に解釈して「ノーベル平和賞、及び(もしくは)医学賞」のことだと解釈しても、知られる限りその人が候補となった証拠はない。

実はこの医師、妊娠中絶反対運動に関わっている活動家で、中絶反対運動への貢献に感銘した州議会の議員が「この医師こそノーベル平和医学賞を受け取るべきだ」と発言した、というのが「ノーベル賞候補」であるという唯一の根拠らしいのだが、その議員にはノーベル委員会に受賞候補者を推薦する権限はないから全く意味がない。そんな訳のわからない人物がメディアにさかんに登場したおかげで、「意識がないというのは間違っている可能性がある」かのような誤解を呼んでいる。

さらに、右派メディアの中核である FOX News ケーブルテレビ局では、政治討論番組に死者とのコミュニケーションが取れるという霊能者を登場させて、女性には意識があり治療を受けたがっていると発言させたが、仮にその霊能者に死者と対話できるという特殊な能力が会ったとしても(ないと思うけど)、どうして霊能者が生存中の人と霊的なコミュニケーションを取れるのか訳がわからない。繰り返すけど、これバラエティとかじゃなくて、24時間ニュース専門局の看板政治討論番組なのよ。

保守政治家の介入のやり方も醜悪で、たまたま民主党が妥協案に応じたおかげで実現しなかったけれど、一番最初に共和党の保守系議員がやろうとしたことは、国政調査権を使って15年間意識不明の女性を証人喚問することだった。証人として議会に呼ぶと決まれば、彼女を生かし続けるほかなかろうというのがその理由だけれど、明らかに国政調査権という強大な権力の濫用だ。その後も、既に決着が付いた裁判についてもう一度訴え直すことができるような法律を提案したり、フロリダ州のジェブ・ブッシュ知事に至ってはホスピスから女性を「救出」して別の病院に連れて行くために州警察を直行させたりしていて(地元の警察が、判事の支持がなければホスピスには通さないという立場を示したため、混乱を恐れて退却させたらしい)、三権分立の原則を明らかに逸脱している。

このようないつもより増して常軌を逸した右派の政治手法・メディア手法に呆れつつ、リベラル系のコメンテータの発言を聞いてみると、困ったことに彼らの言うこともデタラメがあまりに多い。「尊厳死の権利を認めるべきだ」とか「彼女の死ぬ権利を尊重しよう」とか言うのだが、当人の意志が不明なのだから「死ぬ権利」の議論とは全く関係ない。一応、彼女の夫は「彼女は植物状態で生きるよりは死を選ぶと言っていた」と証言するのだが、その程度ではそれが本当に彼女の意志であるとは到底認められない。

また、彼女は病気にかかっているのではないから末期的症状でもなければ死期が近づいているわけでもないし、意識がないのだから苦痛を感じているわけでもない。彼女が必要としているのは、栄養を補給するためのチューブだけであり、生命維持装置に繋がれているわけでもない。つまり、一般に「尊厳死」だとか「安楽死」と呼ばれる措置をする際必要とされる要件の何一つとして満たされてはいないのだ。こうした条件のなか、彼女から栄養補給チューブを取り上げ飢えと渇きのうちに死をもたらすことに、正統性を与えるような論理はいまの社会には何もない。つまり論理的に言って、彼女を「殺してはいけない」と主張する方に正統性があるように思えるのだ。

ただ単に脳にダメージを受けているからというだけの理由で、本人の意志すら確認できないのに安易に「死ぬ権利」「尊厳死」という言葉を使うのは、やたらと重い障害を持った人たちを「尊厳死」に追いやる、社会における一般的な傾向を思い起こさせる。そういうことに無自覚なリベラル派が、リベラルらしく温情的なフリをしつつ「障害者を殺すこと」を「死ぬ権利の尊重」と美化するのが我慢ならない。さらには、「こうした場合、生死の決定を夫が代理で果たす権利がある」と言い出す人までいて、ただでさえ緩い「尊厳死容認」の基準をさらに緩めてもっと多くの障害者を殺せるようにしたいのか、と言いたくなる。

とはいえ、わたしは必ずしも彼女をこの先何十年も生かすべきだと主張しているわけではない。原理的に言って彼女を殺すことの正統性が社会の側にないことを認めつつも、現実的にいってそうした原則だけを無制限に尊重するべきだというだけの自信もわたしにはないんだもの。これは例えば、「財産の有無によって医療を受けられたり受けられなかったりするのはおかしい、全ての人が必要な医療を受ける権利を持つべきだ」という原則に同意しつつも、一方何百億円かかっても無制限に最高の医療を受ける権利が誰にでもあるのかというと疑問を感じるのと同じ。そして、現実的にどこまで生かすべきか、どこまでの医療なら受ける権利があるのかという線をどこかに引かなければならない場合、その線を引く役割を裁判所に任せるというのはそれほど間違った話ではないと思う。

今回のケースだと、既に15年間も意識不明のままベッドに伏せている人がおり、まともな専門家全員が回復の見込みがないと言っていることや、当人が生き続けることによって何の楽しみも感じていないことなどを総合的に考慮して、裁判所が「この辺りで線を引きましょう」と判断したのであれば、わたしは仕方がないこととしてそれを受け入れる。その上で、それを尊厳死だとか安楽死だとか美化するのではなく、現実的な決断を迫られた社会による殺害として、その疚しさを社会全体で負うべきだ主張したい。ところが、右と左のどちらに賛成するかという政治的なゲームとなってしまい、結局どちらの陣営を見ても不愉快な発言ばかり。こうした扱いこそ、もうすぐ死を迎える女性に対して一番失礼かつ尊厳を損なうことだと思うのだけれど。

8 Responses - “いわゆる「尊厳死」論争は聞けば聞くほど不愉快”

  1. celine Says:

    macskaさん、こんばんは。またまた、しゃしゃり出てきました^^;

    書いていらっしゃることに特に異論は御座いませんが、ちょっと気になった点がありましたので・・・

    > 意識がないのだから苦痛を感じているわけでもない

    いわゆる大脳皮質前頭野レベルでの自意識や思考・精神活動が喪失しているとしても、それがイコール「身体的な痛みを感じていない」ということにはならないのが、現代の脳科学的な見方ではないでしょうか。身体的苦痛は脳のどのレベルで感じているか、どのような脳損傷、脳機能の喪失によってそれが消失するか、という問題についての明確な医学的結論は出ていないと思います。

    彼女のようなケースについて、昏睡のレベルや脳損傷や脳機能障害についての医学的情報が報道されていないのではっきりしたことは尚更言えないと思いますが、「植物状態の昏睡=いっさいの苦痛を感じていない」と一般化してしまうのは早計のように思います。

  2. macska Says:

    んん、わたしは「現代の脳科学」には詳しくないのでよくわからないのですが、仮に一般論として「意識がない=いっさいの苦痛を感じていない」とは限らないとしても、今回のケースで彼女が苦痛を感じているということはおそらくないんじゃないでしょうか。

    再三の裁判の副産物ですが、判決文などを読むと医学情報はかなり公開されているように思います。そればかりか、こちらには彼女の脳のCTスキャンの画像まで置いてあります:
    http://www.miami.edu/ethics/schiavo/CT%20scan.png

    わたしが見てなにか解釈できるわけじゃないですが、celine さんなら何かわかるかも?
    一般に報道されている解説によれば、「大脳皮質が完全に消失し、代わりに脳脊髄液が入り込んだ」状態らしいのですが、それを聞いてもわたしにはよく分からないです。

  3. 皿うどんにはウースターソースでしょう。 Says:

    [社会]尊厳死って言葉の使い方変だよ・・・。
    リンク先の人の主張はわかるなぁ〜。けど、単純に言葉の使い方を間違っているだけな気がする。尊厳死の権利って本人に帰属するものでしょう?だから、意識不明の方は持っていても行…

  4. Floridarian Says:

    こんにちは。ふろりだ在住の日本人です。アメリカ時間の木曜日午前9時過ぎに、話題になっている方、お亡くなりになられました。
    議論にとても興味を持って、毎日ニュースをみていました。
    いくつか気になった点がありますので通りがかりのものですが、書かせていただきます。
    >まともな専門家全員が回復の見込みがないと言っていることや
    裁判では、5人の専門家が証言し、そのうち3人が植物状態であるとの証言を、残りの二人が、植物状態であるとはいえないとの証言をしたそうです。
    メディアに顔を出して証言した医師のことばかりが目立っているようですが。
    本当に植物状態であるのかどうか、というのは、実際はっきりしていないと言えると思います。
    よって、意識が無いのかどうかも実際の所は不透明だそうです。

    今日はCNNで3時間の特集が組まれていますが、その番組内でも、複数の医師が、
    2002年以来の脳医学の進歩はすばらしく、現在の脳医学のスタンダードで行われているテストを受けることなく、
    チューブを抜かれてしまったのは残念でならないという事でした。
    植物状態であるから、プラグを抜く事を考えなさい、と言われて後から、回復した例もかなりおおく、
    植物状態であるという診断結果が誤っているケースは45〜55%に登るという研究結果もあるそうです。
    今回の女性の件でも、植物状態なのではなく、意識はあるけれども一歳児レベルである事もありえるのだと言う意見を述べる医師も
    少なくは無いようです。

    そういう事実から言って、ケースを見直すことをしなかった司法の判断は正しかったのかと考えずには居られないのです。
    個人的に言って、司法に頼るのは間違いではないとは思いますが、人間の生死にかかわる問題ですから、
    そこに植物人間ではない可能性がある限りは、念には念を入れて、と言う風にしてほしいんですが・・・
    遺書、書かないとなぁと思います。

  5. Macska Says:

    floridarianさん、こんにちは。

    > 裁判では、5人の専門家が証言し、そのうち3人が植物状態であるとの証言を、
    > 残りの二人が、植物状態であるとはいえないとの証言をしたそうです。

    これは、フロリダ州上告審において夫の側が指定した専門家2人、両親が指定した2人、そして中立の立場から裁判所が指定した1人が意見を述べた時、夫が選んだ2人と裁判所が選んだ1人が「彼女は植物状態であり、回復の見込みはない」としたのに対し、両親が指定した2人が「回復の可能性はある」と主張したことを指しているのだと思いますが、両親が指名した2人のうち1人は、上で紹介した自称「ノーベル平和医学賞候補」の人です。その気になれば裁判で自分の側に有利な証言をしてくれる人をいくらでも探せたはずなのに、このような胡散臭い人物しか見つからなかったわけです。

    > よって、意識が無いのかどうかも実際の所は不透明だそうです。

    全然不透明じゃありません。特殊な宗教的ドグマを持った人がおかしな事を言っているだけです。

    > 現在の脳医学のスタンダードで行われているテストを受けることなく、
    > チューブを抜かれてしまったのは残念でならないという事でした。

    彼女は10年間も脳のテストを受けていないだとか、脳のCATスキャンすらなされていないなどという言説が右派メディアで飛び交いましたが、全部ウソです。最新のテストによって、彼女が植物状態であったことは十分に証明されています。もちろん、今後飛躍的な新技術が確立して治療が可能になる可能性が全くないとは言いませんが、既に15年待ったわけですからねぇ。

    これだけ問題になっていて延々と裁判闘争が行われている問題なのに、脳のテストすら十分に行われていないなんて事は、普通に考えれば全く有り得ない、非常に信じ難い話です。ところが、事実の報道を目的としていない右派メディアでは、そうした信じ難い主張がよく登場するのです。あまりに突飛な話をメディアで聞いたら、鵜呑みにしないでちゃんと調べましょう。

    > 植物状態であるから、プラグを抜く事を考えなさい、と言われて後から、回復した例もかなりおおく、
    > 植物状態であるという診断結果が誤っているケースは45〜55%に登るという研究結果もあるそうです。

    これは、事実です。患者やその家族が貧しくて治療費を払えない場合や、重い障害を持った患者のケースでよくあります。ただし、今回の件に関しては、裁判で延々と争われたこともあり、普通よりずっと慎重にかつ再三診断がなされているので、誤診であるおそれはほぼありません。

    特殊なドグマを持った勢力が「植物状態でなかった」と大騒ぎすることで、右派でない一般の人まで「もしかしたら違う可能性もあるのでは」と思ってしまうのはよく理解できますが、それこそ右派メディア・論客の狙いなわけですよ。

    > 意識はあるけれども一歳児レベルである事もありえるのだと言う意見を述べる医師も
    > 少なくは無いようです。

    少ないです!
    だいたい、そんな事を言う医師のうち何人が彼女を直接看ているんですか?

    直接彼女に関与した医者は9人で、そのうち「ノーベル平和医学賞候補」のバカを除く全員が「植物状態である」と判断しています。共和党のフリスト上院院内総務は本職が医者であるにも関わらず、患者を写したほんの1時間くらいのビデオを観て「彼女には意識があるとしか思えない」と断定するという無茶をやってのけましたが、全国の医者(その多くは共和党員であるにも関わらず)の失笑を買っています。

    わたしは、「植物状態であったのかどうか」ではなく、「植物状態であれば殺しても良いのか」という点により興味を持っています。「植物状態だから、チューブを外すべきだ」「植物状態ではないから、チューブを外すべきではない」という議論は、どちらも「植物状態の人は殺しても構わない、植物状態の人間は人間ではない」という認識を共有しているように見えますが、わたしは少なくとも無原則に「植物状態の人間は人間ではない」ということが既成事実となることは問題であると思っています。

  6. Yoko Says:

    フレッド・コレマツさんがお亡くなりになったそう。

    Fred Korematsu Dies at Age 86
    http://sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/n/a/2005/03/31/national/a133816S72.DTL

    彼が敗れたKorematsu v. USは、米連邦最高裁最大の汚点の一つだけど、それと正反対に今回のSchiavo Caseでは、政治家からの不当な圧力を排して、非常に的確な判断を下したと思います。

  7. Macska Says:

    コレマツさんを追悼するメモリアルが16日にオークランドで行われるようです。
    ちょうど14日にサンフランシスコに用事があるので、予定を少し伸ばして参加してきます。
    あとで何か書くかも知れません。

  8. Floridarian Says:

    こんにちは〜!

    >共和党のフリスト上院院内総務は本職が医者であるにも関わらず、患者を写したほんの1時間くらいのビデオを観て「彼女には意識があるとしか思えない」と断定するという無茶をやってのけましたが、全国の医者(その多くは共和党員であるにも関わらず)の失笑を買っています。

    これは私も笑いましたよ。そんなばかな〜と思いました。

    >最新のテストによって、彼女が植物状態であったことは十分に証明されています。もちろん、今後飛躍的な新技術が確立して治療が可能になる可能性が全くないとは言いませんが、既に15年待ったわけですからねぇ。

    何年待てば十分なのか、と思いますが。。。

    >わたしは、「植物状態であったのかどうか」ではなく、「植物状態であれば殺しても良いのか」という点により興味を持っています。「植物状態だから、チューブを外すべきだ」「植物状態ではないから、チューブを外すべきではない」という議論は、どちらも「植物状態の人は殺しても構わない、植物状態の人間は人間ではない」という認識を共有しているように見えますが、わたしは少なくとも無原則に「植物状態の人間は人間ではない」ということが既成事実となることは問題であると思っています。

    大賛成です。何を持って人間の生とするのか、が議論されることは、かなり哲学的な境地ですが、良いことだと思います。
    特に、尊厳死であるとか、死刑制度であるとか、論議に論議を重ねて無駄は無いと思いました。
    司法を心から信頼している訳じゃない、私のような人間は特にそう思います。

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