日本の左翼や社会運動の問題点/不十分点を指摘するために、朝鮮学校に在特会が押し掛けた事件をネタに使ったつもりはなかったんだけれど、どうもそういう流れになってしまっている件について。

2009年12月24日 - 5:49 AM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

続けて今回は、ひびのまことさんのエントリ「【お願い】日本の左翼や社会運動の問題点/不十分点を指摘するために、朝鮮学校に在特会が押し掛けた事件をネタに使うのをやめてもらうことはできないでしょうか」について。ひびのさんがわたしに望んだのは、こうして返事も応答もせずに今すぐこんな議論はやめてくれ、ということなのかもしれないけれども(これが批判ではなくお願いとして書かれたのは、そういうことだと理解している)、ちょっとそのとおりにはできそうにない。だけれど、ひびのさんが訴えようとしている点には共感しているので、その困難についてちょっと書いてみたい。そうすることで、本来あるべき議論からまた一歩遠ざかるかもしれないけれど、ここまで来たらもう行き着くところまで行って今後の教訓にする以外どうしようもないとも思うので。
ひびのさんは、今回の騒動におけるわたしの一連の発言を見てきて、一般論としての問題意識としてはわたしの考えに賛成だとしたうえで、次のように書いている。

上に書いたようなことについて、議論したり考えたりすることは、実はみんな結構大好きなのです。はてなブックマークのコメントが大盛況であることも、そのことを分かり易く示しています。だって、それは、日本人の運動にとって、直接の利害があるテーマなんですから。日本人にとっては、「在特会が今後初級学校に来ない状況を本当に実際にどうやって作るのか」「民族学校が置かれている厳しい状況をどうやって日本の人に伝えるか」「どうやって日本社会の中の日本人中心主義に反対するのか」を考えることよりも、日本の社会運動の内部にある問題について考えたり議論したりすることの方が、楽しいのです。
今回の在特会による押しかけ事件は、「実際に顔と名前を持つ被害者」が存在する事件です。だからこそ被害者の人たちの事情や都合こそが話題の中心にあるべきだし、関連する諸問題は、できる限りその中心テーマに具体的に取り組む過程の中で扱われるべきだと思います。
先のエントリーにも書きましたが、京都朝鮮第一初級学校に在特会が押し掛けた事件をネタにするのなら、私は、まず何より「朝鮮学校の状況を改善すること」こそが話題や関心の中心になるべきだと思っています。そういった観点から、例えば「どうやってまた在特会が朝鮮学校に来るのを防ぐか」について、いろんな意見やアドバイスが欲しいし、どんな取り組みが出来るかを私は話したかったです。

わたしも実は、ひびのさんの意見には大賛成。でも、それがまたかなり難しいと思う。というのも、わたしがそもそもなんでああいう批判をはじめたかというと、「在特会をやっつけた、ばんざい!」的な反応が気になって、集会が無事に開かれたというのは結構なことだけれど、本当に大切なのは集会に妨害が入らないことではなくて、朝鮮学校が置かれた状況を改善することだろう、と思ったから。一部のブックマーカーには誤解されているようだけれども、わたしは対話だとか言論の自由だとかを絶対視するわけではないし、集会から特定の人を排除することの是非という問題では、おそらくひびのさんより排除に甘い考え方をしていると思う。
わたしが「反在特会」側の排除論が排外主義に転化しうると批判している(それが妥当かどうかはこの際別の問題として考えてください)のは、単に概念的に「どっちもどっち」と言っているわけではなくて、「反在特会」側の日本人の一部が安易に表明する論理や心情が排外主義を強化し、在日コリアンをはじめとする在特会が攻撃の対象としている人たちをさらに追い込むことを、本当に懸念しているから。つまりわたしは、「反在特会」側の(某秘密主義ML上の)日本人たちが、在特会との勝ち負けという「日本人の運動にとって、直接の利害があるテーマ」に没頭しているのがおかしいと思い、よりきちんと論じられなければいけないこと、たとえば朝鮮学校を支えたり、日本人中心主義を問題化するために、何をするべきか、といったことを中心に置くよう、方向転換させるつもりで、議論を開始したわけ。
でも、後から結果を見てみると、たしかにひびのさんの言う通り、「朝鮮学校に在特会が押し掛けた事件をネタに使って、日本のサヨクや社会運動の問題点/不十分を論じる」ような議論になってきてしまっているし、わたしにその気がなくてもそう受け取られている。わたしは「日本人の運動」には参加していないから利害もないし、これは忘れてもらっては困るのだけれど、わたし自身が「外国人」として生きているから、ひびのさんと違って「日本のサヨクや社会運動の問題点/不十分を論じる」動機よりも、外国人(と在日コリアンの人たちの置かれた地位や歴史的経緯を単純に扱えないのは分かっていますが、在特会のターゲットには他の外国人も含まれるので)がどのような扱いを受けているかという話の方がずっと興味があるのだけれど、「それでも」はてなブックマークから判断する限り、いつの間にか「日本のサヨクや社会運動の問題点/不十分を論じ」ていることに、なってしまっている。
それは、もう日本人中心主義という磁場は、個々の意思や意図よりずっと強いから、誰かが話を逸らそうと企んでいなくても、それどころか別の話をしようという意思があったとしても、日本人にとってもともと関心の薄い「朝鮮学校固有の問題」よりは、自分たちが関心を持つ運動論のような形に流されてしまう。ということは、わたしがやろうとしたよりももっと強力に、明示的に、「このネタで何かを話す時は、こうした問題意識を中心に据えていこう」と、呼びかけ続けなければいけないのかな、と思う。でもそれが困難な証拠に、あれだけ強力かつ明示的にそれを書いたひびのさんの文章まで、またさらにわたしがいま書いているこのエントリを含め「議論についての議論」を延命させてしまう。って自分で続けておいてこんな言い方悪いけど。
もう、どうすればここから抜け出せるのかわたしには分からないのだけれど、そういうトラップにはまっていることを理解しないよりはしていた方がいいので、それを認識させてくれたのは嬉しかった。
ひびのさんはもう一つ、次のような「お願い」もしている。

わざわざmacskaさんに言われるまでもなく、「私たち」は(少なくとも私は)この京都の地で、22日の掲示のようなものを無くすために、対話をする可能性を広げようとしています。「在特会のメンバーであるというだけで、あるいは在特会の思想に賛同するからといって、公共の施設から排除するべきだ」という考え方に反対できる仲間を増やすためにこそ、努力しています。それは、外部から見たら不十分なもので遅々たるものかもしれません。しかし、「私たち」のテンポとやり方で事を進めるのを認めて貰えませんか。
(略)
それでもどうしても東京の集会のことが気になるというのなら、集会主催者や、もしくは件の報告メールを書いた前田さんとこそ、まず、直接やりとりをしてみてはいかがでしょうか。もしくは、実際に今回の事件について考え取り組んでいる人達の中にも、macskaさんの言われるようなことを考えている人は必ずいるはずです。そういう人達のやり方とテンポを尊重しつつ、影からそういう人達を応援するようなことをしていただくことは出来ないでしょうか。

前半はよく分からないのだけれど、わたしが認めるとか認めないとかいう問題なの? 後半の「影からそういう人たちを応援するようなことをしていただく」というのも、そりゃできたらやりたいけれども、何をしろというのかよく分からない。もちろんこういう議論をすることで後押ししたいみたいな思いはあったけれど、それがかえって邪魔だというのであれば、結局ブログ書くのをやめろっていうだけの話になってしまいそう。かといって、わたしがブログに記事を書くのをやめたら何か目標達成が近づくようにも思えない。ていうかそもそも、わたしの意見は集会主催者に対して送ったわけでもないし… 心情的に応援するだけでいいなら、いくらでも応援するだけどね。

2 Responses - “日本の左翼や社会運動の問題点/不十分点を指摘するために、朝鮮学校に在特会が押し掛けた事件をネタに使ったつもりはなかったんだけれど、どうもそういう流れになってしまっている件について。”

  1. ピッピ Says:

    細かい説明は省きますが、戦後、国家神道は「普通」に名を変えて維持されています
    日本で生まれ育った人は意識的にこれを取り除かないと、右翼にバックドアを仕掛けられているのと同じ状態になります
    一方、アメリカナイズされていても、このナショナリスティックな部分が「アメリカ中心主義」に置き換わっただけで「普通思考=集団主義」は払拭できません
    こちらの人たちの態度の取り方はたとえ左翼であってもこの問題が現れてくることがありえます
    日系アメリカ人も帰化した人も「普通のアメリカ人」にはなれません。なぜなら、諸外国には「普通」という概念がないから
    「普通」という観念自体が国家神道、つまりは「日本教」と通じているためです
    問題の本質はここまで、で、なんで誤解が生じるのか
    あなたが、アメリカを世界最先端のように考え、オピニオン雑誌を売ろうとしていることで警戒心が生じるのだと思います
    こちらではリベラル志向の人は反米が強く、アメリカと違って市民活動やアカデミックな活動を商売にすることや政治に直接関与することを嫌う傾向があります
    あとは「右も左もなく」というポジションをとるような人は「日和見」であり、なにも知的な努力をしないという意味で「右翼寄り」になるので警戒されます
    これについてはアメリカでも同様でしょう
    いつぞやのエントリでFSFについて触れていたので蛇足
    現在、オープン陣営が執拗にフリーソフトウェア陣営(FSF)を排除しようとしているのですが、
    中立を装っているくせにオープン陣営は国家主義者や政治状況に安易に妥協するビジネス志向の連中が多い
    そういう連中は結局、暗に保守的なものにコミットしているに過ぎない訳です
    あとアメリカのITジャーナリスト(ZivDavisやCNETは顕著)はカネで魂を売るような狡猾であざとい連中が多い
    Slashdotなんかも最近では雲行きが怪しくなりつつあって…(本当に蛇足なのでここでやめます)

  2. 金明秀 Says:

    一連のやり取りを興味深く読ませていただきました。このテーマについてはぼくなりに考えるところがあったのですが、思索が一歩進んだ気がします。

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