「チャレンジド」ケネディ由来説は間違い、米国的宗教観からの解釈もハズレ

2010年1月20日 - 1:53 AM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

以前のエントリ「20年遅れで輸入された『チャレンジド』の問題——あるいは『ジェンダーフリー』の再来」の続き。というか追加情報の整理。かのエントリを書いたあと、何人かの人に(たとえばブックマークで)教えてもらったのだけれど、どうやら「チャレンジド」という言葉を日本で広めたのは、社会福祉法人プロップ・ステーションの竹中ナミさんらしいということ。プロップ・ステーションは1991年創設だし、95年からはチャレンジド・ジャパン・フォーラムという国際会議を開いているらしいので、どうも最近になって突然「チャレンジド」という言葉が広まったというわけではないらしい。というより、竹中さんが20年近く前から地道に取り組んでいたのが、ようやく首相レベルにも伝わったということか。
それは良いとして、ふたたびこの言葉が気になったのは、雑誌『サイゾー』最新号の記事紹介で、次のような導入部を見かけたから。

「チャレンジド(challenged)」という言葉をご存じだろうか?アメリカで「障害者」を指す呼称として認知されているもので、提唱者はジョン・F・ケネディ米大統領。1962年の議会において、「障害者も健常者と変わらず納税できるような社会を作るべき」と訴える際に初めて使用されたのだが、それから47年たった昨年12月11日、我が国の鳩山由紀夫首相も中央障害者施策推進協議会にて、障害者への差別を禁止し、社会参加を促進する障害者権利条約の締結へ前向きに取り組む姿勢を強調するとともに、「『障害者』という言葉よりも、『チャレンジド』のほうが望ましい」との意見を表明した。
「障害者」から「チャレンジド」へ 首相ご推薦の新呼称は定着するの? — 日刊サイゾー

もしケネディ大統領(あるいはその側近)が「チャレンジド」という言葉を考案したのだとしたら、これは驚き。だって当時はまだPC(ポリティカル・コレクトネス)が流行る前で、そもそも言葉を言い換えるような発想があまりなかったはずだし、第一かりに発案者がケネディ大統領なら、米国の障害運動の中である程度そのことが知られているはずだもの。わたしは米国の障害者運動についてなんでも知っているというわけではないけれども、それくらい重大なことを一度も聞いたことがないというのはちょっと考えられない。
本当かなぁと思いつつ、「チャレンジド」「ケネディ」で検索したら、「就任演説で言った」という説と「一般教書演説で言った」という説がでてきた。どちらも大統領として行う重大な演説であり、全文が簡単に入手できるので調べてみたけれども、そのどちらにも「チャレンジド」という言葉は書かれていない。これはおかしいと思ってプロップ・ステーションのサイト内検索で「ケネディ」を探してみたら、次のような記述が見つかった。

「納税者に」という言葉は日本では私が言い出しっぺですが、最初に障害者に対してこの言葉を遣ったのは、あのケネディ大統領です。ジョン・F・ケネディが大統領に就任して、最初に提出した教書(1962年2月1日)のなかで述べています。教書とは日本で言う所信表明のように、国の情勢を縷々(るる)と述べて、自分はこのような政策をしていくと発表するものです。そして、ケネディが語っているその当時の状況は今の日本に似通った危機的な状況でした。その中で彼は社会保障の項目で「自分はすべての障害者を納税者にしたい」と言ったのです。活動を始めた頃にこの日本語訳を読み、目からウロコが落ちました。そしてケネディは政治家の言葉として言ったのではないということがわかったのです。
国際文化研修 2004年秋号 — プロップ・ステーション

そこでプロップは「誇らしく生きるために、自分たちで社会の仕組みを変えよう!」と行動を起こしました。ITを駆使して「チャレンジドを納税者にできる日本を創造しよう」というのがプロップの合い言葉。この合い言葉は、J・Fケネディ大統領が、大統領就任後、初めて議会に提出した教書の中の一説を参考にしたフレーズです。彼は教書の「社会保障」の項目で「障害者をタックスペイアー(納税者)にしよう」と書いたんです。
特別支援教育 2004年 No.12 — プロップ・ステーション

「ケネディ大統領が、1961年2月1日に議会に出した教書の中で、『私はすべてのハンディキャッパーを納税者にしたい。それが自由主義経済の中で彼らを最も幸せにするのだ』ということをキッパリおっしゃっている。それを、私はプロップを始める前に知りました」
NEW MEDIA 2002年5月号 — プロップ・ステーション

  アメリカもその変化の出発点は、実はケネディ大統領のときでした。ケネディ大統領が大統領になって最初に議会に提出した教書に、「私はすべての障害者を納税者にしたい」とあります。その当時はまだチャレンジドという言葉がありませんでしたから、ハンディキャップドという言葉が使われています。私はそれを、このプロップ・ステーションの活動を始めるころに、翻訳した文書で読んだのです。 マッセOsaka セミナー講演録集2006 2007年3月 — プロップ・ステーション

プロップ・ステーションのサイトには、ほかにもいくつか記事が保存されているが、だいたい中身は同じ。同団体の「すべての障害者を納税者に」という理念がケネディ大統領の演説に基づくということは書かれているけれども、チャレンジドという言葉をケネディが考えたとか使い始めたとは書かれていない。むしろ逆に、当時はチャレンジドという言葉はなかったとまで書かれている。
実際、19世紀中頃からの記事がすべて保存されているNew York Times紙のアーカイブを調べたところ、physically challengedというフレーズがはじめて使用されているのは1980年であり、それ以前の記事にはまったく使われていなかった。1963年に暗殺されたケネディ大統領が考案者のはずがない。
プロップ・ステーションの記事は、さらに演説が行われた日付まで指定してあるので、元となった演説も見つけることができた。以下は、その演説から該当部の引用。

There are other steps we can take which will have an important effect on this effort. One of these is to expand and improve the Federal-State program of vocational rehabilitation for disabled people. Among the 92,500 disabled men and women successfully rehabilitated into employment through this program last year were about 15,000 who had formerly been receiving public assistance. Let me repeat this figure: 15,000 people, formerly supported by the taxpayers through welfare, are now back at work as self-supporting taxpayers. Much more of this must be done–until we are restoring to employment every disabled person who can benefit from these rehabilitation services.
John F. Kennedy: Special Message to the Congress on Public Welfare Programs

これを読むと、政府の就労支援プログラムのおかげで92500人の障害者が職を得ることができたが、このうち15000人は以前は福祉受給していた人たちだった、と書かれている。すなわち、それまで納税者が提供する福祉に依存していた15000人の人たちが、今では納税する側に回ったのだ、としたうえで、「就労支援プログラムによって利益を得られるすべての障害者が就労するまで」そうしたプログラムを続けるべきだ、とケネディ大統領は主張している。
こうした内容は、大筋において竹中さんの紹介する通り。厳密に言うと「すべての障害者」を対象としてはいないし、「納税者にしたい」とも言っていない(就労させるべき、と言っている)、「ハンディキャッパー」という言葉も使われていない、など、細かく間違っているポイントはあるけれど、少なくとも「チャレンジドという言葉をケネディが言い出した」と竹中さんが言い出したわけではない様子。(ただし、プロップサイト内にある、ドキュメンタリビデオ「Challenged」紹介ページには、「チャレンジド」は「ケネディ大統領の造語」である、と書かれている。内部のあまり知らない人が書いたのではないか。)
となると、問題はサイゾーの方だ。おそらく、プロップ・ステーションが「チャレンジドを納税者へという理念はケネディ由来なのだ」と書いているのを見て、「チャレンジド」という言葉そのものがケネディ由来なのだと勘違いしてしまったのではないかと思うけれども、そのプロップ・ステーション自身の文書を5分でも10分でも読めばそうでないことは分かったはず。サイゾー記事の担当者は、次はもうちょっとちゃんと調べて記事を書いてね。
もう一つ気になったのが、そのサイゾー記事で「新語アナリスト」として意見を求められている亀井肇さんという人の発言。チャレンジドという言葉は定着するだろうかと聞かれて、次のように答えている。

そもそも「チャレンジド」は、 “神からチャレンジすべき課題を与えられた人” という意味を込めてアメリカで使用されてきた言葉。日本人とアメリカ人では宗教観がまったく異なりますし、事前に知識がなければ “チャレンジド=障害者” と理解しづらいので、定着させるのは難しいのではないでしょうか。

日本と米国では宗教観が違うから「神から〜」という概念は日本では定着しにくい、というのはごもっとも。ただ問題は、もともと米国で「チャレンジド」という言葉にそのような宗教的な意味合いは皆無だということ。そもそも「challenged」が「disabled」の言い換えとして(主に障害者当人ではなくその家族らの)一部で歓迎されたのは、「disabled」という言葉そのものに能力がまったくないかのようなニュアンスを感じる人がいたからで、そうしたニュアンスのない言葉としてchallengedと言い換えられたに過ぎない。試練や課題がどうとか、神がどうしたというのは、もともとまったく関係ない。「障害者」が「障碍者」に変わるくらいの違いしかない。
にもかかわらず、この記事だけでなくプロップ・ステーションのサイトでも、その他のサイトでも、「チャレンジド」という言葉の解説には必ずといっていいほど「神から与えられた試練」みたいなことが書かれている。前エントリでは、「障害者が普通に生きることをそんなに困難にしているのは社会のせいなのに、神から与えられた試練みたいに言うのはおかしい」と指摘したけれども、もともと米国では宗教的な意味合いを持たないはずの言葉が、日本でことさら宗教的に(というより、キリスト教的に)解釈されるのは、単に社会の責任を隠蔽する以外の理由があるのではないか。
その理由とは、日本において「チャレンジド」という言葉を広めようとする人たちが、「チャレンジド」という言葉を「より進んだアメリカで広まっている考え方」として権威付けするために、いかにもアメリカで広まっていそうな宗教的意味を、おそらく無意識のうちに、付け加えてしまったのではないか。すなわち、日本とアメリカでは宗教観が違うから日本では通用しないのではなく、日本とアメリカで宗教観が違うからこそ、宗教的な意味付けを付与することが、「より進んだ外国の素晴らしい考え方」として「チャレンジド」という言葉を広めるためには、都合が良かったのではないか。ケネディ大統領による造語であるという「誤解」も、半ば神話化された「偉人」が提唱した言葉であるという形で、権威付けを強化するのに役立っているように見える。
かつて「ジェンダーフリー」を宣伝した人たちも、おそらくはバーバラ・ヒューストンの論文なんて読んでなかっただろうに、「アメリカの教育学者がこう言っている」と紹介することで、わけのわからない言葉を権威付けしていた。また、「ジェンダーフリー」を批判する側も、ハワイ大学教授のミルトン・ダイアモンドに(ウソを吹き込んで)「上野千鶴子は学問的ではない」と言わせたり、ジョン・コラピント著『ブレンダと呼ばれた少年』の「解説」としてデタラメな教訓を書き加えたりしたように、やはり「アメリカの進んだ考え」を使って権威付けしている。どっちもくだらない。
まあ、せっかく調査したので、「チャレンジドという言葉はケネディと関係ない」「宗教的な意味あいもない」という事実の指摘だけでもエントリにして残しておく。

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