自動車業界ビッグスリーの救済論議は、ニューディール完成への契機に

11/16/2008 - 11:11 pm | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

前エントリ「2008年米国大統領選挙を一応ふりかえっておく」でちらっと触れた自動車業界救済の話の続き。どうやらオバマが就任するまでGMが持たないということで、議会で救済が議論されているのだけれど、これこそ本当に旧来政治のやり方で嫌な感じ。民主党は労組の活躍で選挙で勝たせてもらった見返りに救済を主張し、共和党はというと政治思想的には自由市場擁護の立場から反対するべきところを、一部の(主に西部の)議員を除いては、工業地帯の票を今後ずっと失うことを恐れてはっきり反対できないでいる。この件については、わたしは西部出身の共和党議員の意見に基本的に賛成。自動車会社の経営が行き詰まったなら、多数の航空会社が行き詰まった時と同じくチャプター11(連邦倒産法第11章)に従って、事業を続けながら再建させればいい。

前回書いたように、米国のビッグスリーが他国の自動車会社より不利になっているのは、1950年代から数十年に渡って、労組の要求に応えて労働者やその家族のための福祉福利を充実させたから。もともと民主党は大恐慌から第二次世界大戦を経たニューディール政策の最後の要として国民皆保険の実現を目指していたけれど、こうした動きがさらなる社会主義化に繋がることを恐れた産業界が、政府主導でなく民間で人々の福祉への要求を解消すべく、労組と協調して米国型コーポラティズム(と呼ぶにはまったく不十分なんだけれども、少なくとも米国において歴史的に最もそれに近づいたもの)を作り出した。

特に自動車業界においては、当時の国内市場は事実上米国の自動車会社によって寡占されていたため、労働者の福祉にかかったお金はそのまま自動車の価格に転嫁することができた。また、そうした状況において労働者の福祉を大幅に向上させた自動車労組は、労働運動の中で中心的な存在となった。国にとって良いことはGMにとって良いことであり、GMにとって良いことは国にとって良いことだ、と言われた時代だ。

けれど自動車産業における国際競争が激しくなると、そうした時代は終焉を迎える。労働者の福祉にかかる費用が足枷となりビッグスリーは国際競争力を失ったが、かといって労組に保証した福祉福利を取り消すこともできない。一部では「GMはもはや自動車会社ではなく、自動車も作る保険組合だ」と言う人までいる。日本など他国の自動車会社も米国に工場を開くなどしたが、多くは労組の力が弱い地域であり、また労組に有利な過去の契約に縛られることもなかったので、同じ米国で自動車を生産しながらビッグスリーより安くて良い車を作ることができた。

ここ数日、自動車産業の救済が議論される中で、保守論客が「労組は社員への福祉削減に同意せよ」と言い出すのは予想していたけれど、保守より先にそう言い出したのはクリントン政権の労働長官だったロバート・ライシュだったのががっかり。金融業界の救済をめぐって「社員の保険や年金を打ち切れ」みたいな要求を聞いた覚えがないのだけれど、一人当たりにかかる人件費の総額で見れば確実に自動車工場の工員より銀行員の方がずっと多額のお金がかかっているはずなのに、工員だけ保険や年金を放棄しろと迫られるのは不公平。(ちなみに、わたしはライシュのことを「人間味のある熱血リベラル学者」として人物的に大好きなんだけれど、かれの経済理論はいろいろおかしいと思う。大学に入って最初の学期に『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』を読んで以来そう思っている。)

米国型コーポラティズム(に近いもの)において労組が勝ち取ったさまざまな保証や保護が、ビッグスリーの足枷となって国際競争力を奪い、結果としてかえって労働者の雇用を損なっているのは確実。自動車労組が過去の既得権益にしがみついているうちに、サービス産業などをはじめとするより立場の弱い労働者の運動と接点を失い、それが2005年の労組再編を引き起こしたことも、過去エントリ「歓迎すべき米労組全国組織 AFL-CIO の大分裂」で紹介した。

けれどもそれは、既得権益を奪えばそれで良いという問題では決してない。なぜなら労働者として、人間として、保険や年金といったセーフティネットを望むのは当然のことだからだ。とはいえ米国型コーポラティズムは終焉し、自動車労組だけが既得権益に守られる状態ももはや維持不可能なのだから、政府が健康保険と年金に責任を持つ制度に移行することで、今度こそニューディールを完成させなければいけないと思う。

ポール・クルーグマンは『格差はつくられた』において、先進国においてほとんど唯一米国だけが皆保険制度を持たないのは、人種差別が原因である、と指摘している。それは直接的には、第二次大戦後にトゥルーマン大統領が皆保険制度を導入しようとしたところ、それに反対するアメリカ医師会などの利益団体が「健康保険制度が公的なものになれば、白人と黒人が同じ病院で同じように医療を受けることになる」−−すなわち、人種隔離制度が骨抜きにされる−−と宣伝することで頓挫させたことを意味するが、それだけではない。現在に至るまで、「貧困層」「福祉受給層」が特定の人種的・ジェンダー的なイメージ(黒人、シングルマザー等)として想定されることが、現実には多くの白人を含むこれらの階層の人々への中流層の想像力を遮断し、放置することに貢献している。

マイケル・ムーア監督『シッコ』を見ていると、90年代の保険改革論争における保守派の発言に混じって唐突にそれより時代の古い白黒のフィルムが挿入され、その中でアメリカ医師会の時期会長が「政府は全ての人々を平等に扱わなければいけない、政府が病院に入り込めば全ての人に医療が与えられるのだ」と演説している映像がある。ムーアはきちんと説明していないが、これがクルーグマンの指摘しているアメリカ医師会の宣伝だ。皆保険制度によって「全ての人に医療が与えられる」ことは、当時のアメリカ医師会と白人社会にとって利点ではなく、致命的な−−たとえ引き換えに自分自身や自分の家族が医療を受ける機会を失ったとしても阻止されなければならないほどの−−欠点だった。

しかし『シッコ』を見れば分かるように、いまや米国の健康保険制度の問題は「貧しい人が医療を受けられない」どころの話ではない。そこそこ良い職を持ち健康保険もあるはずの中流家庭までもが、何か一つの事故や病気によって、あるいは不景気による失業によって、どん底までたたき落とされる恐怖と隣り合わせに生活している。また、オバマの大統領当選によってアメリカ社会が人種差別に決別したとは全然思わないけれども(ブット政権が生まれた1988年にパキスタン社会が性差別と決別したと思う人はどこにもいないだろう)、少なくともセーフティネットと白人優位主義の効用を天秤にかけて後者を優先するような状況でないことは(つまり、いまの時点で人種差別の貫徹はコストが高すぎる道楽であることは)みんな気付いているはず。

そうであるなら、いま民主党がやるべきことは、単に労組の代弁者として自動車会社の公的救済を要求することではないはずだ。仮に救済を要求するにしても、あくまでそれは近い将来の保険制度改革を前提とした緊急措置として主張されるべきであり、また「救済と引き換えに労組は労働条件悪化を受け入れろ」と迫ってはいけない。ビッグスリーの窮状は、自由貿易によってアメリカ型コーポラティズムを成り立たせていた条件が失われたことの帰結なのだから、労働者の保険と年金の責任を私企業から政府に移管することで−−ニューディールを完成させることで−−競争力を取り戻すことを主張すべきだと思う。

2 Responses - “自動車業界ビッグスリーの救済論議は、ニューディール完成への契機に”

  1. goldbug Says:

    GMのように私企業が年金や保険の責任を背負い込んだのは、アメリカ社会において例外的な存在でしょうね。GMのレガシーコストを政府に移管することにより、GMは再生するかもしれませんが、それを一般化して皆保険や公的年金制度を整備することで、アメリカ社会全体の競争力を強化出来るかのように言うのは、ミスリードでしょうね。アメリカは自己責任の名の下に、個人に社会保障の責任を負わせることで、企業の負担を減らし、それによって国際競争力を保って来たという一面があると思います。公的年金、健康保険の整備は、コーポレートアメリカの国際競争力を削ぐ結果になるでしょう。

  2. macska Says:

    goldbugさん、コメントありがとうございます。
     まず最初に言っておくと、わたしは「アメリカ社会全体の競争力」がどうという話はしていません。競争力が問題となるのはあくまで個々の個人や世帯や企業といった主体であって、「アメリカ社会全体」という主体は存在しませんから。
     次に、政府は既に医療費の五割以上を負担しています。最貧困層やお年寄り、障害者のためのメディケア、メディケイドをはじめ、私的な保険制度を成り立たせるための各種の免税措置、退役軍人のための医療、そして政府機関や軍で働く人たちの保険などのコストです。
     さらに、健康保険を持たない人が病院に来たときの緊急医療の費用や、過度の医療費負担が支払えずに個人破産した人の分の費用などは、必ずしも政府が負担しているわけではないですが、他の患者の医療コストを押し上げることにより、社会全体が負担しています。
     一方、私的な健康保険ですが、その大半は企業によって雇用パッケージの一部として提供されています。すなわち、若くて特に重い病気や傷害のなく、医療費が比較的かからない人が多く含まれます。
     さて、これらを総合して全体を見ると、医療という市場の中で、旨味のある部分は民間の保険会社が吸い付くして利益にする一方、コストがかさむ部分は社会全体に負担が押しつけられています。この「利益は民間企業に、コストは社会全体に」という公共簒奪図式は、リスクの高い博打がうまくいっているうちはさんざん利益を搾り取っておいて、失敗した途端に政府の支援を仰ぐ、最近の金融業界のあり方とまったく同じです。
     どちらにしても社会全体で医療費の大半を負担している事実はかわらないのに、こんなに非効率で不公正な制度のままでいいんでしょうか?

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