女性を阻む「ガラスの天井」をテニスのトーナメントから説明しようとする経済学者

2007年6月27日 - 6:13 PM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

Marginal Revolution にヘブライ・エルサレム大学経済学講師 Marco Daniele Paserman による、自身の論文を元としたコラム「Gender-linked performance differences in competitive environments: evidence from pro tennis」が紹介されていた。女性の社会進出が進むなか、経済界・学界などのトップエリートはいまだに男性が大多数を占めていること(いわゆる「ガラスの天井」)について、プロテニス選手のデータから説明しようとした壮絶な論文。
テニスの試合では、一つのプレイの重要度は試合中に変動する。圧倒的に勝敗がはっきりしているセットにおける1ポイントより、接戦となった試合の終盤の1ポイントの方がはるかに重要なのは確実だ。そして、その重要さはそれぞれのプレイがどれだけ勝敗に関係するかの確率で表すことができる。
また、ある一つのプレイに注目すれば、その結果はウィナー、フォーストエラー、アンフォーストエラーのどれかとして記録される。ウィナーとは相手に反撃できないショットを撃って得点することで、フォーストエラーは相手の絶妙なショットをミスすること、そしてアンフォーストエラーは相手のショットとは無関係の凡ミスで失点することだ。厳密にはどこか違うかもしれないけど、まぁだいたいのところ理解できればいいのでこれで勘弁。
Paserman は男女のプロテニス選手が出場する4大トーナメント238試合の記録を1プレイごとの重要度に注目して分析することで、男子テニス選手と女子テニス選手がそれぞれ重要度によってどれだけアンフォーストエラーを記録するかを比べた。論文によれば、男子テニス選手はプレイの重要度にあまり影響を受けないのに対して、女子テニス選手は重要度の高い場面で有意に多くのアンフォーストエラー(凡ミス)を繰り返していることが分かった。具体的には、男子は試合のいつの時点でもほぼ 30% の確率でアンフォーストエラーによるポイントを記録するのに対し、女子は重要度の低い場面では 36% でしかないアンフォーストエラーの確率が、重要度の高い場面では 40% 近くまで上昇する。
この傾向は、個々の選手の実力、トーナメントのどのラウンドにおける試合であるか、そのプレイまでの試合時間、トーナメントの会場、メインのコートで行なわれたかどうかという要素をコントロール(って日本語で何て言うんだ)しても確認された(すなわち、これらの要素によっては説明できない)。
  
こうした差異のある部分は、男女のプレイングスタイルの違いによって説明できるという。Paserman によれば、女子テニス選手は重要な場面になるとより慎重なプレイをする傾向があり、ウィナーや相手のフォーストエラーを狙った攻撃的なプレイを避ける結果、単調な撃ち合いが続くうちにどちらかのアンフォーストエラーによってポイントがつくと考えられる。と同時に、アンフォーストエラーを犯す危険が高いことを感覚的に知るからこそ慎重なプレイをしているという可能性もあるわけで、どちらが原因でどちらが結果なのか分からない。ただ、同性間で比べた場合でも、最初に撃つサーブのスピードが比較的遅い(すなわち、筋力が劣ると思われる)プレイヤーの方が重要な場面で慎重にプレイする傾向があるとされ、だとすると平均的な筋力の男女差がプレイングスタイルの違いに関係していることも考えられる。
いずれにしても、このデータから社会のトップエリートの中に女性が少ない理由を「女性は精神的なプレッシャーに弱い、社会的地位が上昇し重要な場面に置かれるとミスをおかしやすい」ことに求めるのはいかにも乱暴。男女の違いがプレイングスタイルの違いによって説明できる可能性があるのであれば、アンフォーストエラーが多いことはよりミスを犯しやすいことを必ずしも意味しない(攻撃的なプレイを避ける結果、ウィナーやフォーストエラーになりにくいだけかもしれない)し、そもそもテニス選手が受けるプレッシャーと企業や大学の上層部が受けるプレッシャーは全然違うモノであるはず。コンマ何秒というタイミングで相手のショットに対応して体を動かすテニスというスポーツにおいて筋力の差がプレイに関係するというのは納得いくけど、企業や大学において筋力が同じように関係するとは思えない。テニスのアンフォーストエラーと経営や学問における失敗とでは、全然発生メカニズムが違いそうだし。
ていうかそもそも、テニスの実況中継を見たことがある人なら分かると思うけど、あるプレイがウィナーなのかフォーストエラーなのか、あるいはアンフォーストエラーなのかという判断は、素人目にはそんなにはっきり区別が付くようには思えない。もしかしたら、男女の違いは記録上のことでしかなくて(つまり、プレイの判定をする人が無意識に男女で異なる基準を採用しているだけで)、実際の性差はそれほどない可能性すら考えられる。この辺りは、わたしが分かっていないだけかもしれないので、テニスに詳しい人がいたら聞いてみたい。
いずれにしても、テニスの研究としてならこれはそこそこ面白い話なんだけど、経済界や学界のトップエリートに女性が少ない理由の「仮説」としてこんな発表しないでくれよ。既存の「ガラスの天井」研究で十分だとは思わないけど、いくらなんでもこれは話が違いすぎると思う。以前空間認識能力の違いから将棋の強さの男女差を論じることの短絡さを論じたけれども、今回の議論はそれよりさらに強引な気がする。一応著者の Paserman も、「この研究1つだけをもって労働市場全体(における男女の不均衡)を説明することはできない」と言うけど、そんなの当たり前だよ。
もしこんな論文が登場したのもレヴィット&ダブナー『ヤバい経済学』の影響だとしたら、この本はほんとにヤバいのかもしれない。市場に圧倒的な信頼を寄せる Greg Mankiw センセイは「レヴィットの真似をする経済学者が続出しても全く問題なし、いずれ収穫逓減の法則が働くので元に戻る」(要約)と楽観視しちゃってるのだけれど、そうなるまでの間けっこう辛いモノがあるかもしれない。
【追記】
小谷野敦さんが以前のわたしとのやり取りに関して、ミルトン・ダイアモンドさんに確認のメールを送ったようです。ダイアモンドさんから連絡があって少し電話で話したけど、やっぱり小谷野さんは「生まれか育ちか」というときの「育ち」を文字通りに解釈しすぎじゃないかと思う。少なくともマネー・ダイアモンド論争の文脈では、「育ち nurture」にはいわゆる「育て方」だけでなく社会的・文化的その他、生まれつきの形質に還元されないあらゆるものが含まれると解釈するのが妥当なのにね。おそらくまたどこかで何か書くんじゃないかな。誰か見かけたら教えてください。

14 Responses - “女性を阻む「ガラスの天井」をテニスのトーナメントから説明しようとする経済学者”

  1. Josef Says:

    件の男女差のほとんどの理由は技能の高低から来るプレイングスタイルの違いでしょう。
    まず、テニスでもピンポンでもバレーボールでも技能が劣る者同士の方がラリーの応酬になりやすいわけで(劣りすぎるとラリーにすらならないが)、「ミスした方が負け」という戦いになる。当然、失点はミスによるものの率が高くなる。
    次に、重要な局面でミスの率が高まるのは、「ミスしてはならない」という命令が強いプレッシャーになりやすいことと関係しているのではないか。そういう心理学の実験を何かで読んだ記憶があるけど思い出せないのでありふれた例を挙げると、9回裏満塁で一打出たら逆転という場面では守備側にミスが出やすいとか、スポーツではないが間違いを恐れるあまり外国語がうまく話せないとか。逆に、アグレシブなプレイングスタイルの選手は重要な場面がさほどプレッシャーにならない(むしろ「よっしゃー!」という気分だったり)。
    以上が主な理由だと思いますが、技能の高低に起因するもの以外に、文化的な違いも少々あるような気がします。男と女は育てられ方に違いがあるなど、ある意味「文化」が違う。その違いが、ここという場面での心理的な違いと関係している可能性はあるでしょう。
    文化といえば、たとえばサッカーでは日本人の決定力不足が言われ続けています。統計を取ってみると面白いと思うけど、サッカーに限らずスポーツでは日本人は大舞台に弱いという印象を私を含め多くの日本人が抱いています。期待度が高いからそう見えるだけ、という可能性もありますが、私は実際に弱いと思う。関心のある暇な人は是非調べてみてほしい。

  2. NEXTNEXT Says:

    はじめてコメントいたします。時々拝読しています。
    この論文の内容は馬鹿げていると思います。というか「プロ(どんな分野でも)」を馬鹿にしている。
    プロが本能のままにプレーするなんてありえない。
    プロは実力・体力・実績・戦法を瞬時に判断して、もっとも相手のミスを誘いやすいボールを打つのみ。
    もし女子のほうがラリーが続きやすいならば、それはボールを打つ腕の筋力は弱いが、ボールに追いつく足の筋力は弱くないからだ。統計的に腕と足のバランスが男女で違えば、当然統計的に戦法は変わってくるのはあたりまえ。
    いずれにしても、「慎重なプレー」などという概念設定がすでに「役割分担」のフィルターにかかっている。
    この論文が二重におかしいのは、「慎重な性格ではトップエリートになれない」というエリートについてのフィルターにもかかっていること。あたりまえですが、アグレッシブなだけではトップエリートにはなれません。性格はアグレッシブで慎重で明朗で狡猾でと、使い分けることも必要です。そんなことより、実力・人脈・家族の支え・自分を信じて邁進できること(=馬鹿ともいいます)などのほうがよっぽど重要だ。
    とにかく、男女の違いを生物学に還元しようとするのは、あらゆる科学を物理学に還元しようとした20世紀科学者の悪しき権力主義です。男女の違いなど歴史的に変遷してきているのに、それを生物学で説明しようなんて、小生にいわせればナチの優生学とおんなじだ。
    失礼いたしました。マチカさんがんばってください。
    (ここは素人は遠慮したほうがいいのかな?)

  3. Josef Says:

    エントリの文中、どうかな?と思ったところ。
    >もしかしたら、男女の違いは記録上のことでしかなくて(つまり、プレイの判定をする人が無意識に男女で異なる基準を採用しているだけで)、実際の性差はそれほどない可能性すら考えられる。
    性による基準の違いがある可能性はあります。が、あるとしたらmacskaさんが言うのとは逆方向に振れるのではないか。
    つまり、女子より男子の方が技量が高いという前提があって、男子ではアンフォーストと判定されるケースが女子ではフォーストと判定されやすい、という可能性です。言い換えると女子に甘い基準で、この場合、実際の性差はもっとあることになります。
    >NEXTNEXTさん
    >もし女子のほうがラリーが続きやすいならば、それはボールを打つ腕の筋力は弱いが、ボールに追いつく足の筋力は弱くないからだ。
    ここは、反射神経に男女差があまりないという要因の方が大きいでしょう。筋力は腕も足もはっきりした差があります。

  4. ラクシュン Says:

    >ただ、同性間で比べた場合でも、最初に撃つサーブのスピードが比較的遅い(すなわち、筋力が劣ると思われる)プレイヤーの方が重要な場面で慎重にプレイする傾向があるとされ、だとすると平均的な筋力の男女差がプレイングスタイルの違いに関係していることも考えられる。
    ここは誰の分析かはっきりしませんが、男女共通の傾向と思われる「筋力が劣る」選手のプレイングスタイルから、
    「男子は試合のいつの時点でもほぼ 30% の確率でアンフォーストエラーによるポイントを記録するのに対し、女子は重要度の低い場面では 36% でしかないアンフォーストエラーの確率が、重要度の高い場面では 40% 近くまで上昇する。」
    という男女間格差が生じる理由についてはほとんど触れられていませんね。
    肝心の部分が、「だとすると平均的な筋力の男女差がプレイングスタイルの違いに関係していることも考えられる」、だけではちょっと…。
    >マチカさんがんばってください。
    発音が悪いですね。正式には「マチュカ」だそうですから。(^ω^#)
    >(ここは素人は遠慮したほうがいいのかな?)
    なーに気にする必要はありません。気に入らなければ削除されるだけですから。

  5. 厘斗 Says:

    はじめまして
    いつも大変面白く読ませていただいております。
    controlについてですが、ご存知のことと思いますが、これは科学の文脈ではまずは対照を意味します。したがって、噛み砕いて訳するならば、・・・の要素に関して対照グループを設定して比較したところ、というような意味合いであろうかと思います。ただ、これだと対照の意味をご存知の方にしか通じないですね。尤も、controlだって、厳密に言えば対照に相当するcontrolの字義をご存知の方にしか通じないわけですが。英語圏でのcontrolならばそんなことを知らなくてもなんとなく理解できるが、日本における対照だとそうは行かないという問題はあるかもしれません。

  6. macska Says:

    あ、概念は分かるんですが、日本語の訳語が分からないんです。
    control group というときの control が対照というのだということは分かりましたが、この場合それでいいのかなぁ。というのも、この場合リサーチメソッドの部分で対照グループを設定して、という意味合いではないですから。
    今回紹介した研究は、実験を行なったわけではなくて既にあるテニストーナメントのデータから、統計学的な手法によってある要素の影響を除外しているんです。そうすることで、問題となっているデータを説明するかもしれない別の仮説を退けている。そういう時に、英語だと controlled for … という具合に、どの要素を除外したかを明示するんですが、そういう文脈では日本語だとどういう表現になるんでしょうか。

  7. 田中 Says:

    「……という要素をコントロールして」でいいです。 “コントロール変数” と適当な統計分析の名称を組み合わせて検索すると、いろいろ出てきます。「統制」とか「影響を除去」とかもつかわれますが。いずれにせよ、わかるひとにしかわからない表現ではあります。
     しかし、差が4%しかないというデータからは、ふつうは「差があるとはいえない」という結論になるのではないでしょうか。Point は自己相関をもつ時系列データのはずですが、それを考慮しないで分析して「有意」な結果を出してるだけなのでは。原文にあたってないのでよくわかりませんが。
     あと、変な論文 (というか discussion paper ですが) が出てくるのは、学問の世界の仕組みからいってあたりまえのことであって、別に「辛い」ことではないと思います。ちゃんとした批判がおこなわれて淘汰されていけばいいだけの話です。そもそも論文とは眉唾モードでよむものでしょう?

  8. macska Says:

    田中さん、ご教示ありがとうございました。
    そっか、「コントロールして」で良かったのか。

    あと、変な論文 (というか discussion paper ですが) が出てくるのは、学問の世界の仕組みからいってあたりまえのことであって、別に「辛い」ことではないと思います。ちゃんとした批判がおこなわれて淘汰されていけばいいだけの話です。そもそも論文とは眉唾モードでよむものでしょう?

    おっしゃることはもっともなんですが、社会的影響を考えると「女性がトップエリートになれないのはこういう理由である」というときはマスコミで騒がれて、それへの学術的な批判はあまり取り上げられないということがよくあり、しかし社会的影響があるからといって学問に制限を付けるわけにもいかないので、辛いモノがあるなぁと。

  9. 田中 Says:

    >社会的影響があるからといって学問に制限を付けるわけにもいかないので、辛いモノがあるなぁ
     そういう意味であれば、よくわかります。が、それはまあしょうがないというか……
    で、もとの論文を
    http://www.cepr.org/pubs/new-dps/dplist.asp?dpno=6335
    から入手しようとしたんですが、うまくいきません。でも、要約された記事をみるかぎり、上でのべた推測であまりはずしてないんじゃないかと思っています。

  10. 田中 Says:

     やりなおしたら、ちゃんと入手できました。で、よんでみたら予想どおりでした。というか、女性の試合数が111というのは書いてあるけど、そもそも選手が何人いるのかとか、選手内・選手間の分散・相関とかが何も書いてない。というわけで、テニスの研究としてもぜんぜんダメ。

  11. 別寅 Says:

    『ていうかそもそも、テニスの実況中継を見たことがある人なら分かると思うけど、あるプレイがウィナーなのかフォーストエラーなのか、あるいはアンフォーストエラーなのかという判断は、素人目にはそんなにはっきり区別が付くようには思えない。もしかしたら、男女の違いは記録上のことでしかなくて(つまり、プレイの判定をする人が無意識に男女で異なる基準を採用しているだけで)、実際の性差はそれほどない可能性すら考えられる。』
    ↑この反論はおかしいと思いマス。
    女性同士で比較してunforced errorに差が出る、
    と言ってるんですから。

  12. Josef Says:

    >↑この反論はおかしいと思いマス。
    >女性同士で比較してunforced errorに差が出る、
    >と言ってるんですから。 (別寅さん)
    そこの部分は36と40だから田中さんの言うように結論は出し難いということにして、男子と女子とでは30対36ないしは30対40だから差が大きいというところに着目してみます。macskaさんは「無意識に男女で異なる基準を採用している」かもしれないから本当の差はもっと少ない可能性に言及し、私は同じ理由で本当の差はもっと大きい可能性に言及しました。
    これを別の例で補強(?)してみます。テニスでも男女比較でもありませんが。
    野球ではヒットかエラーか微妙なケースが多々あります。どんなに微妙でも、公式記録員はどちらかに判定することになってます。もちろんプロ野球と高校野球では高校野球の方がエラーが多い。下手なんだから当たり前ですね。そして「下手」であるがゆえに、プロではエラーと判定されるプレーでも高校野球ではヒットと判定されるケースが多いことは野球ファンなら誰しも知っているでしょう。その逆はほとんどありません。
    概して、競技者の技量が低いことが前提となっている場合ほど個々のプレーが「失敗」と判定されにくいと言えるのではないでしょうか。
    当該の統計が示す30対36ないしは30対40という男女の差異に、意識的であれ無意識的であれ「男女で異なる基準」が採用されていることが影響していると仮定するならば、同一の基準を持ってきた場合この差異はさらに開く可能性の方が大きいのではないかと私は思います。

  13. 別寅 Says:

    >josefさん
    ここで問題になっているのは単なる男女のunforced error の差ではなくて、
    重要度の差によって現れるunforced errorの差についての男女差なんですね
    (解り辛い表現(´;ェ;`))。
    だから私が言及した部分のmacskaさんのコメントやjosefさんのコメントは
    的を射ていないと思います。
    無意識の性差によるバイアスがかかっていたせいで30:30:36:40の比率になったんだとして、
    歪を取り除いた本来の結果が20:20:36:40だったり38:38:36:40になるのだとしても、
    「女子は重要な場面でより多くのunforced errorをする」
    という結論には影響を与えません(統計的に有意な差を得られるだけのサンプルがあるのなら)。
    無意識に性差によるバイアスがかかっていたのが事実だとしても、
    「それがどうした」って事になるんですね。

  14. Josef Says:

    いや、別寅さんの仰ることは分かってるんですよ。
    (a) 男子は30—>30
    (b) 女子は36—>40
    男子は局面の重要度による差がないのに女子はあるというところがポイントだとのことで、まったくその通りです。
    ただ、(b)の4ポイントの差は「差があるとはいえない」という田中さんの判断を尊重すれば、という仮定の下で、別寅さんの指摘とはズレたこと(しかしmacskaさんの言う解釈可能性とは関係あること)を書いたのが昨日の私のコメントです。

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