「アシュリーに法定代理人は不要」と判断した弁護士の倫理的問題

5/24/2007 - 2:28 pm | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

前編後編とわけてお届けした「重度障害児に対する『成長停止』をめぐるワシントン大学シンポジウム報告」の番外編。今回はアシュリーの両親が雇った弁護士の書いた文書を読み解き、どこで弁護士は発達障害者の不妊手術の際には必須とされている裁判所の許可を得なくても良いと誤った判断をしてしまったのか、そして他に問題はなかったのかを論じる。文書の原文は Washington Protection & Advocacy Systemのサイト(6月に Disability Rights Washington と改称されるのに先駆けてウェブサイトは既に新しい名前が使われている)で公開されている資料集に Exhibit O として収録されている。

アシュリーの両親が雇ったのは Larry Jones という人物で、seattledisabilitylaw.com というドメイン名を所有していることからも分かるように発達障害者に関連した法を専門とする弁護士だ。かれのサイトに掲載された情報によると、Jones は 1975 年にシカゴ大学神学校から倫理の、1989 年にワシントン大学から法学の博士号を授与されている。かれには重度の発達障害を持つ娘がおり、そのことをきっかけに障害者やその家族の法的権利を代表する仕事に携わることになったらしい。 1984 年には発達障害者とその家族の全国団体である The Arc からボランティアとしての活動を表彰されている。

このことから分かるように、Jones はかれなりに自分の娘を含めた発達障害者たちのために日々活動しているのだろうと推測できる。と同時に、アシュリーの両親を含む「発達障害のある子どもを持つ親」ーーというより、親一般ーーにありがちなこととして、ともすれば親の利害を優先してかれらとは別個の子ども自身の利害や権利を軽んじてしまう危険はあった。これから示すように、アシュリーの件において Jones が書いた文書はそういう危険が結実してしまったものではないか。

まずは判例解釈の間違いから。アシュリーから子宮を摘出するために裁判所における審理が必要かどうか答えるために、Jones は3つの判例を引用している(判決文は WPAS サイトの資料集に含まれている)。最初は In re the Guardianship of Hayes (1980) で、Jones は保護者が障害児の不妊手術に代理で同意するためには、(1) 当人は性行為について理解できず、将来において自らの行動を制御できない、(2) 不妊手術以外に医学的に妥当な避妊方法がない、(3) 不妊手術が将来における本人の健康や情緒を害さない、(4) 妊娠は本人にとって身体的もしくは感情的に耐え難い、(5) 本人に責任ある親となるだけの能力がない、という要素が必要だとまとめた。両親及びアシュリーの医者の判断では、これらの条件は全て満たされている。

第二の判例、In re the Guardianship of K.M. (1991) では、IQ 40 程度の女性の親が不妊手術に代理で合意することができるかどうかが争われた上告審において、不妊手術を認めた第一審では女性本人の利害を代弁する弁護士が任命されていなかったことを理由に判断が差し戻された。この判例はアシュリーにも法定代理人が必要であったことを示すように思われるのだけれど、Jones はこの判例の女性とアシュリーでは知能のレベルが違いすぎることからあまり関係ないと解釈している様子。かれの言葉を引用すれば、「この女性は不妊手術が逆行不能なものだと理解しているかどうかが疑問とされたが、アシュリーは周囲の人たちとコミュニケーションを取っているのかどうかすら定かではない。」

第三の判例 Morinaga v. Vue (1997) では、IQ 62 の 25 歳の女性が、五度目の妊娠のあとに十分なインフォームドコンセントのないまま親の代理合意によって不妊手術をほどこされたとして訴えたところ、不法行為があったという証拠が見られないとして却下された。わたしはこの判例はアシュリーの件にそれほど関係していないように思うのだけれど、前後から判断するにどうやら Jones は、In re the Guardianship of K.M. や Morinaga v. Vue のように当事者が法廷で証言できる例に比べて、はるかに障害の度合いが重いアシュリーの件では法律上の要件は下がると言いたいようだ。つまり、In re the Guardianship of Hayes の5要件を満たせば問題がない、と判断したらしい。

ところがこの In re the Guardianship of Hayes の解釈がどうも怪しい。たしかにこの判決では優生学とは別の方向から発達障害者に対する不妊手術が容認されるため必要な条件として、Jones が紹介するような要件が列記されている。

考慮に入れるべき要件のひとつは、当人の年齢及び学習能力だろう。たとえば、10代前半の子どもの時点では、性的活動がもたらす結果を正しく理解することは不可能で、異性との関係をどのように持てば良いかも分からないかもしれないが、より発達し物事を学習することでそれが可能になるかもしれない。

それに関連して考えるべきは、その当人が親としての役割を果たすことができるかどうかだ。既に述べた通り、発達障害を持つ人々の多くは子育てをする能力があり、遺伝により発達障害のある子どもを産み親子ともに困難な状態に陥るのはごく一部だけだ。

もう一つの要素としては、不妊手術が医学的に当人にとって最終手段として提案されているかどうかである。例えば他の避妊手段では不十分だということが説得力のある証拠によって示されているか、ということだ。

しかし Jones が見逃しているのは、これらが「保護者が発達障害時の不妊手術に代理で合意するための要件」ではなく、「保護者に代理で合意する権利を認めるために、法廷の認定を必要とする要件」であるということだ。出来の悪い法学生ならともかく、Jones ほど障害に関連した法律に詳しいはずのベテラン弁護士がどうして見逃したのかまったく理解できないが、上記の引用部分の次のページにはこう書いてある。

不妊手術が法的に許されるかどうかの決定は、(1) 手術を受ける当人が、直接の利害を持たない法定代理人 guardian ad litem によって法廷で代弁され、(2) 法廷が利害関係から独立した医学・心理学その他の専門的な見解を得て、(3) 可能な限りにおいて、発達障害者当人の意志を考慮したうえで、なされなければならない。

Jones の言っているのは、何らかの不法行為に対する賠償金を受け取るためにはこういう要件が必要であるとされた法律解説を読んで、なるほどそうなのか、要件は全て揃っているからと言って、相手の財布から勝手に現金を奪うようなものだ。あるいは、捕まれば死刑が確実な犯人を個人の資格で勝手に処刑するようなものだ。到底認められるわけがない。(と偉そうに書いているお前の解釈は大丈夫なのかと思うかもしれないけど、わたしはここに書いてあることについては事情を知る複数の弁護士に既に確認してます。)

しかし、問題はさらに深い。判例解釈の間違いは悪意のない単純ミスとして認めるとしても、Jones はこんなことまで書いてしまっている。

さらに付け加えれば、Morinaga v. Vue のケースと違い、アシュリーが弁護士を見つけて両親を訴える可能性はまったくないということも事実です。また、以前お話した通り、優秀な訴訟弁護士は民事裁判において小児病院を被告とするような件には関わりません。わたし自身、医療瑕疵により発達障害のある女性が死亡したとされた事件でそうしました。小児病院やそこで働く小児科医たちは陪審(地域から選出された一般人)に圧倒的に好印象を持たれており、小児病院を被告に名指しするだけでどんな裁判も勝ち目がなくなるほどですから。

ここに書かれたことはおそらく事実なのだろうが、これから合法性が疑われる行為をしようとする依頼人に対して、「仮にそれが違法でも訴えられることはないし、訴えられても(小児病院とともに訴えられる限りにおいて)絶対に負けませんから」とアドバイスすることは、弁護士としての倫理規定に違反しているのではないか。はっきり言って、これを読んだときは思い切り目を疑ったよ。倫理の博士号を持ち、障害者とその家族のための団体からボランティア活動を表彰されたこともあるほどの弁護士が、どうしてこうも障害者が法廷において自分の利害を代弁され、人権憲章と法に基づいた正当な判決を受ける権利に冷酷になれるのか。

そして、このような文書を読んだ倫理委員会のメンバーたちは、一体何も疑問に思わなかったのか。あるいは「ほぅ、自分たちは何をやっても安全なのか」と安心して、親の言うがままに「アシュリー療法」を承認してしまったのか。問題の深さを再認識した。spitzibara さんも「アシュリー療法」をめぐるさまざまな問題について別の側面から詳細に事実を検証しているので、そちらも参照。

ちなみに、米国の医学大学院において医学生が受ける倫理についての授業はだいたい15分から長くてせいぜい1時間だけ。内容は、「患者とセックスするな、患者の家族とセックスするな」だけでほぼ終わりらしい。それに対して法律大学院では倫理の単位が必須となっていて最低でも一学期間みっちり職業倫理や倫理規定について学んでいるはずだけど、それが特に良い結果をもたらしているとは言えないところがまた困ったところ。

【追記】上記のうち、倫理委員会について書いた部分は事実誤認があった。倫理委員会は2004年5月に開かれ、「アシュリー療法」容認の結果が出たが、その際倫理委員会は両親に「裁判所の許可を得ること」を薦めている。翌月それを受けて両親が雇った弁護士が Jones であり、かれが「裁判所の許可は必要ない」と回答したことにより医師らは納得し手術を行なった。つまり、直接アシュリーの治療に関わった医師らが弁護士の書いた文書をもとに裁判所の許可を得ない不妊手術を行なったのは事実だが、倫理委員会はそれに関与していない。

8 Responses - “「アシュリーに法定代理人は不要」と判断した弁護士の倫理的問題”

  1. 結城美知 Says:

     三度めの礼を述べます。昨日の私のコメントへの応答に謝意を重ねます。
     コメントののち、私には、どうにも「乳腺」がひっかかりました。斜めからの暴見でしょうが、アシュリー氏(ちゃん)の摘出部位が実験試料に供された可能性はありませんか? 医療の知識はないのですが、子宮を(全部か?)摘出したなら、卵巣もとっちゃうんですよね。卵子はある。それと、おぼろげな記憶ですが、乳腺芽(乳房芽か?)をクローン技術に利用する、というのを昔新聞でチラと読んだおぼえがあります。その筋からの強い要望があって、故意に法廷に持ち出さずにオペしたという可能性はありませんか? アシュリーちゃんはまだ6才で、初潮までの猶予は十分。オペ(トリートメント=療法は使いたくない。ある価値が含まれる)を急いだのは、日進月歩のクローン技術の点からの、3年前という時期と、どうせなら若い生体資料が欲しかった。病院側からの巧妙なオペ誘導は、まったくなかったのでしょうか? 私が訝るくらいですから、ちゃんと調査報告されているとは思うのですが。
      この一連の貴方のレポート、私のほかにも申し出があったようですね。よろこばしいです。  エディターからのささやかな助言をします。わずかなチャンスでも逃すな、です。なにがしかの影響力をもちたい(一目置かれるのも容易ならざること)なら、自他の認める「適任者」になるか、それにむけた努力をつづけられることを望みます。たまたま私の目にした今回のレポートが貴方のライフ・ワーク(につながる)でないようなら、出すぎた提案でした。ごめんなさい。贅言侮言ご海容のほど。
     私は、普段ネットはあまり利用しないのですが、さらなる健筆を期待し、時折伺うのを楽しみにします。

  2. rna Says:

    「不妊治療」というと一般的には不妊を治す=妊娠できるようにする治療を指すので紛らわしいと思います。「不妊手術」だと妊娠できなくする手術を指しますが。

  3. macska Says:

    rna さん、そういえばそうですね。
    おっしゃる通り紛らわしいので全置換しました。

    結城美知さん、

    斜めからの暴見でしょうが、アシュリー氏(ちゃん)の摘出部位が実験試料に供された可能性はありませんか?

    それは担当した医師しか知らないでしょうね。ただ、卵巣は摘出していません。もししていたら、本人の健康という意味から子宮摘出よりはるかに重大な問題となっていたはずです。

    この件についてはわざわざ斜めから見ずとも、はっきり証拠がある範囲でいろいろ問題が指摘できるわけですから、それを追求するのでお腹いっぱいだと思います。

    エディターからのささやかな助言をします。わずかなチャンスでも逃すな、です。なにがしかの影響力をもちたい(一目置かれるのも容易ならざること)なら、自他の認める「適任者」になるか、それにむけた努力をつづけられることを望みます。

    ありがたく拝聴しておきます。りぼーさん(倉本さん)にはメールでお返事をしましたが、分量が多すぎないかという点を不安に感じています。脚注や背景説明をつければ、2万字近くになってしまいそうですからね。もしあちらで出版できなければ、分析や取材を追加して新書としての出版を狙うという選択もありそうです。そうなったらまた連絡しますので、紹介お願いします。

    たまたま私の目にした今回のレポートが貴方のライフ・ワーク(につながる)でないようなら、出すぎた提案でした。

    いや、わたしはインターセックスの問題を専門の一つとしており、その周辺領域として障害学や法の側面から非典型的な身体を持つ子どもの医療について広く関心を持っているので、ライフワークに非常に近いんですけどね。しかし名川さんやspitzibaraさんらがブログで書いていることを見て、わたしのアドバンテージって現場の近くに住んでいて英語が自由に話せることだけだよなぁ、と思っていたので(spitzibaraさんは、シンポジウムのわたしが聞き逃した部分までウェブキャストでちゃんと聞いてるし)。が、よく考えてみると、確かにわたしは最も適任ではないけれど、適格者の末尾くらいには入れるような気もしてきました。ボクはここにいてもいいんだ!みたいな。

  4. 匿名 Says:

    初めまして。英語教師の知人から「アメリカでこんなケース=アシュリー治療が実施されたらしい」と聞き、あちこち検索したら、(以前からひそかに愛読していた)macskaさんのサイトにたどり着きました。まだ日本ではほとんど報道されていない問題なので、情報提供をありがたく読んでいます。

  5. Ryosha Says:

    上記続きです。すみません、ブログ等にコメントを寄せるのがまったく初めてなのでうっかり送信ボタン押してしまいました。
    このケースについて思うことはいろいろありますが、結城さんのご指摘「摘出部位が(他の実験試料)に供された可能性、真実はわかりませんが、少なくともその場合は手術同意書とは別に、研究に用いるための同意書が(本来は)必須と考えます。
    また、卵巣は温存されたようですが、エストロゲンを多量に投与したのは卵巣を機能不全にするのが目的、つまり臓器として温存されていても機能しない/成長発達しない、ということかと考えます。つまりアシュリーさん本人にとっては「摘出」と同義であり、であれば卵巣はあえて「摘出」するまでもなかったということかも。私は医療者ではないのであくまで推測ですが…。
    あと、日本の場合、まだ一部ではあるようですが、HP上で倫理委員会名簿、審査ケースや審査状況の概略を掲載する病院も出てきています。英語がほとんどダメなのでシアトル小児病院のチェックまでまだ行き着きませんが、「バイオエシックス」という単語の発祥地(のはず)のアメリカでも、まだこのあたりの情報公開はなされていないということなのでしょうか…。
    それにしても、着床前診断(受精卵診断)、デザイナーベビーなどなど……。「親」に子どもの存在のありようを決める権利があるのか、仮にそうした権利があったとしても、「どこまで」なのか。改めて考え込んでいます。

    ところで「macska」さんの発音、「マチカ」は違うんじゃないか〜と思ってるのですが★ 

  6. Ryosha Says:

    たびたび。あれこれチェックしたらエストロゲン投与は「骨が伸びないようにするため」のようですね。macskaさん、上記記述の削除または適切な訂正などお願いします。

  7. 結城美知 Says:

     拝復ありがとうございます。
     はじめにお伝えします。量が障壁で、こちらがダメなら、あちらで、という貴方の考え方、お考えを私は容れません。
     編輯者とはパートナー・シップを結ぶのです。
     2万字が4万字としても、はじめに枷をはめられたうぶな書き手は成果をえられません。書き手自身が制約を念頭した文章は、のちにふくらましたところで、一本立ちにはなりません(掲載論文数を稼ぐ要はないのでしょう? 売文のプロになるおつもりもないのでしょう?)。
     (掲載の裁量権がりぼー氏にあるなら、申し出により2万字は提供分で、貴方には、さらに2万字の加算を折衝なさることを勧めます。水準以上の出来なら、その分、誰かの一枠が食われても仕方ないのです。それを許さぬしくみがあるなら、そのしくみを保持するメディア(支える学会という界を含んで)の将来に、私は期待しません。)
     貴方が、内からの欲求なり、義務感なり、なんでもをまっすぐに吐き出してみなければ、はじまりません。かりに、貴方が「ちゃんと伝えたい」という思いを、起こしてみたら、書き出しで200枚になったという事態を、編輯者は喜ぶはずです。
     「うーん、単行本でいけるかもしれん」」とか言って、小躍りします。
     そこからなんです、エディター・シップが動きだすのは。macskaさん、そのエネルギーを受けてみてください。
     たのしみにしてます。

     言いたい放題で、ごめんなさい。ご不快目障りでしょうから、お手数でもゴミ箱に捨ててください。

     あっ、こんな詩句を思い出しました(間違っているかも?)、
        I learn by going
        where I have to go 
     たしかレトキのWaking だか、 Wake up。
     もう寝なきゃいけないのに(笑)。

  8. 結城美知 Says:

    追伸、貴方を私の方に引き寄せるように読めそうですが、トンチンカンな読者としての私の余計な説教です。
     明石書店さんは、ごく良質な版元。数年に一度私は刷り物の目録をあまた請求します。翌年になって「あたらしい目録ができました」とご恵贈いただく版元はほぼ皆無。明石書店はそのくすしき例外。そうしたところには、きっとエディターが生き延びていると思ってます。りぼー氏と取っ組み合いを試みるのが、賢明です。

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