「日本将棋連盟から女流棋士会が独立」報道を巡って

2006年12月26日 - 6:30 PM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

bruckner05 さんのエントリ「女流棋士会独立に見る脳の男女差/ジェンダーフリーを放棄した AERA」を読む。このエントリ自体、産経新聞12月2日号の記事「将棋の女流棋士が独立、新法人発足へ」と AERA 12月18日号に掲載された「女流棋士会 独立示す男女の『脳』力」という記事を紹介し、コメントしているものだ。タイトルの通り、どちらも日本将棋連盟の下部組織と位置づけられていた女流棋士会が独立したことに関連して、男女の性差について扱った文章だ。

わたしは将棋には興味がないし、それどころかこれらの記事の見出しを見て「棋士ってなんだろう」と思ったくらい知識がないのだけれど、どうやら「女流棋士」というのは単に「女性の棋士」という意味ではないらしい。bruckner05 氏のエントリや Wikipedia の「女性棋士 (将棋)」の項を読んだところ、「棋士」とは4段以上の資格を得て日本将棋連盟の正会員となった人のことであり、いままでのところ女性でそこまで昇進した人がいないのだそうだ。

そこで日本将棋連盟は、競技人口の少ない女性への将棋の普及を進めるために、特例的に男性より低い基準でプロとなれる「女流棋士」という制度を作ったらしい。つまり、「女流棋士」とは単に「女性棋士」を言い換えたものではなく、「女性の棋士」は現時点では存在しない。また「男性棋士」はいても「男流棋士」は(そういう制度はないので)もちろん存在しない。そして産経新聞の記事によれば、女流棋士は(現時点では)日本将棋連盟の正会員にはなれないから、正会員たる「男性棋士と比べて経済的な格差が大きい」という。

将棋連盟で女流棋士はあくまでも準会員。このため男性棋士と比べて経済的な格差が大きく、年収が1000万円を超えたのはトップ棋士の清水市代女流王位くらいで、年収100万円に満たない棋士も多い。

新たな法人として独立すれば、4つのタイトル戦をはじめとする棋戦の契約金、将棋イベントに出演する女流棋士の振り分けや手当などを直接、女流棋士会で管理・調整することができ、各棋士の収入増につながると期待されている。

それを受けて、bruckner05 氏はこう言う。

なるほど。女流棋士の実力が男性棋士のそれに遠く及ばないという現実があり、経済的に厳しいので、今後は独立して「女性性」を前面に出し、人気を得よう(それが収入増につながる)という作戦だ。

「なるほど」と、まるで産経新聞の記事でそう読んだかのように書いているが、これらの記事のどこを見ても「女性性を前面に出し、人気を得よう(それにより、収入を増やそう)としている」という解釈は見られない。bruckner05 氏は AERA から以下の部分を引用している:

実は、女流棋士はプロではあるものの連盟(=日本将棋連盟)の正式な会員ではない。正会員、つまり「本物のプロ棋士」になるには養成機関の奨励会で4段以上にならなければならない。しかし、それでは、元々競技者が少ない女性への普及が進まないため、奨励会とは関係なく、特例的に設けられたのが女流棋士制度だ。だが、女流プロが誕生して33年たつが、肝心の奨励会では女性の最高位は初段止まり。

この間に女流の実力者が男性棋士に挑戦したが、通算成績も59勝248敗と大幅な負け越し。真の意味でプロ棋士になるにはまだまだ高い壁があり、今も女流棋士は連盟の「準会員」という位置づけだ。

bruckner05 氏は引用していないのだけれど、この「位置づけだ」の次の文はこうだ。

このため、企業の株主総会に当たる棋士総会に参加できず、運営に携われなかった。女流棋士の考えを実行するには、独立するしかなかったというわけだ。

産経新聞の記事から、確かに「女流棋士の実力が男性棋士のそれに遠く及ばない」ために女流棋士の収入が少ないことが分かる。しかし全体を読めば、女流棋士会は「独立して『女性性』を前面に出し、人気を得よう」としているわけではない。この引用部のどこを読んでも「女性性を前面に打ち出す」方針だとは書かれていないし、女流棋士の収入の低さの原因が「(実力がないために?)人気がないこと」であるようにも読めない。現に、AERA の記事の最後にはこう書いてある。(奇妙なことに、bruckner05 氏はこの部分より前の段落を本記事の「結び」として紹介して、この部分がなかったかのような振りをしている。)

とはいえ、性差があったとしても、女流棋士の人気は高い。独立しても、いつかは男性を破るようなスターが育ってほしいものだ。

この通り、女流棋士の人気が低いため、女性性を前面に押し出すことで人気を得て、収入を増やそうという話では全然ない。記事をそのまま読めば、女流棋士たちが参加する「タイトル戦をはじめとする棋戦の契約金」はそこそこあるのだけれど、日本将棋連盟の正会員ではないばかりに、その「振り分けや手当てなど」を自分たちで決められないことが、彼女たちの収入が低い理由の一つであると解釈できる。つまり、女流棋士たちに足りないのは人気でも「女性性」(のアピール)でもなく、日本将棋連盟内での権力ではなかったか。

これはわたしは入手していないのだけれど(ごめんなさい)、12月11日付けの読売ウィークリー誌には、「『コンパニオン代わりは、イヤ』女流棋士会独立へ」という見出しの記事がある。これもまた、「将棋が弱いから収入が低い」といった単純な話ではなく、地位が低いがゆえに女流棋士たちが日本将棋連盟内で耐え難い扱いを受けていることが想像できる。

もちろんわたしは女流棋士たちが具体的にどういう体験をしているのか知る由もないのだけれど、男性棋士のブロガーの中には、今回の分裂劇に関連して女流棋士に好意的というか、日本将棋連盟の男性幹部たちに批判的なエントリを書いている人がいる。例えば、片上大輔氏のこれ

一般的に言って、女流棋士は弱い。 (…) 最近はアマが(男性)プロにちょくちょく勝つようになっているが、そういう強い「アマ」というのは実は一部の女流「プロ」よりはずいぶん強い。「このために」、女流棋士は肩書きはプロでありながら、内部では「プロ」としてみなされていないようなところがある。

(…) この理屈を将棋ファンが言うぶんにはかまわない。そういうお客さん、つまり女流は弱いから問題にしない、という将棋ファンは意外と多い。そのことを女流棋士たちは知るべきだし、そうしたファンを振り向かせたければ頑張って強くなるしかない。 (…)

だが男性棋士が「弱いから」女流棋士たちをプロとはみなさない、というのは大きな間違いだろう。なぜなら、彼女たちを「女流棋士」(=プロ)として組織してきたのは男性棋士の側であるからだ。「プロと呼ぶには弱い」女性たちを「女流棋士」として遇してきたのは、将棋連盟を組織する男性棋士の側に他ならない。組織として見たときに、「日本将棋連盟」に属する男性棋士たちが、「女流棋士」たちをプロとして認めないのは、明らかに矛盾がある。そして、現在までの女流棋士の待遇というのは、プロと呼ぶにはあまりにも悪い。

(…) 女流棋士の待遇が悪いということの一つに、「決定権がない」という言葉を目にした方が多いだろうと思う。棋戦の契約・育成会の運営などをはじめ、現在女流棋士会として活動するすべてのことは将棋連盟理事会に決定権限がある。このことが、僕が四段になるまではよく知らなかったことのひとつであり、彼女たちがプロでありながら、内部ではプロとして認められていないことの象徴であろうと思う。

このことを考えるとき、僕の頭には「自治権」という言葉が浮かぶ。女流棋士たちにはこれまで、どんな些細なことであれ自治権は全く与えられていなかった。

プロである以上、自分の実力がないために収入が少ないというだけなら、まだ我慢も納得もできるだろう。しかし同じプロでありながらプロとして見られなかったり、自分たちの活動に関わる自治権すらないというのであれば、日本将棋連盟という組織からの独立を考えて当然だ。これを書いた片上氏は「彼女たちの才能を生かし、活躍の場を広げるには」現状では日本将棋連盟からの独立が「最良の方法であると思った」と書いているが、とても納得がいく。女流棋士たちにだって誇りはあるはずだもの。

別の棋士、窪田義行氏は以下のような複雑な感想を述べている。

そもそもは一般棋士及び理事会と、女流棋士の間に「正当化され、制度化された女性差別」というべき亀裂が入っていた訳である(私も棋界の大変動にかまけて事実上黙認していた)。

表面化した以上は修復が急務となる。

eventsに代表される男女合同の催事にも心理的に尾を引いてはならない。sponsorsの奪い合いが発生すれば、事実上fansの争奪戦となる。

fansの皆さんが気兼ねなく楽しめる状況を、優先せねばならない。

今回の件では未だ支持出来かねる心境で、「僅差で否決され、結果として男性棋士を覚醒させる」状況だったらと未練がある。

窪田氏は、片上氏ほどに積極的には今回の動きを支持しているわけではないが、それに至った事情についてはかなりの同情を寄せているように見える。しかし、かれのように理解のある棋士でさえ女流棋士に対する「正当化され、制度化された女性差別」を「事実上黙認」してしまっていたのだから、一般の男性棋士たちの「覚醒」はやはり遅過ぎたということだろう。

さらに Wikipedia の「女流棋士会」についての説明の部分を読むと、次のような記述がある。

当初は女流棋士全員が会員として登録されていたが、2006年2月に植村真理・林まゆみの2人が女流棋士会の普及活動への不協力等を理由として脱会扱いとされ、その事によって「女流棋士 = 女流棋士会会員」という形ではなくなった。しかし、女流棋士会は女流棋士としての活動を規制する権利を持たず、資格においても日本将棋連盟が認める形であるために、植村・林は脱会後も対局などの活動は続けている。

この項目によれば、要するに事情はともかく女流棋士会において今年の2月に何らかの内紛があり、会員2名が脱会させられた。しかし日本将棋連盟はこの2名が女流棋士会を脱会したあとも「女流棋士」として認めたままであり、要するに女流棋士会という組織そのものが何の実権も持たない単なる親睦会に過ぎず、女流棋士会が何を決めても日本将棋連盟は気にもかけないことが確認されたということだ。

もちろんわたしはこの2名に対する処分が妥当だったかどうかを判断できる立場にはないが、この件に見られるような日本将棋連盟の幹部による女流棋士会の決定の軽視や無視が積み重なるにつれ、女流棋士たちの不満が溜まっていったであろうことは想像できる。bruckner05 氏による解釈は、そうした不満の高まりを見逃しているように見える。

さて、それはともかく AERA の記事はここから「男女の脳の差」に議論を進める。

(…) 女流プロが誕生して33年たつが、肝心の奨励会では女性の最高位は初段止まり。

この間に女流の実力者が男性棋士に挑戦したが、通算成績も59勝248敗と大幅な負け越し。真の意味でプロ棋士になるにはまだまだ高い壁があり、今も女流棋士は連盟の「準会員」という位置づけだ。

(…) このことは、スポーツの世界では男女に体力差があることを前提にどんな競技でも「男女別」になっているのと同じように、「脳の力」にも男女差があるということにつながりかねない。

ジェンダーフリーの立場の専門家に「見解」を恐る恐る聞いてみた。横浜国立大学の金井淑子教授(女性学)は、「女性で将棋はないだろうという社会的通念が、女性の実力者をスポイルしてしまっているのではないでしょうか」と社会状況を指摘したが、意外なことにこうも付け加えた。

「一人も正会員になれないのは確かにかなりの差ですね。現在のフェミニズムはジェンダーフリーの概念で硬直している感もありますが、仮に社会的通念がなくなったとしても男女に向き、不向きというのはあるのかもしれません」

この金井氏の発言を受け、bruckner05 氏は次のように言う。

金井教授の見解を私なりに解釈するとこうなる。

「性差には生物学的性差(セックス)と社会的性差(ジェンダー)があり、社会的性差は解消したとしても、生物学的性差までは解消できない。セックスの違いは男女の心理や能力にある程度、影響を及ぼすから、社会的性差がなくなっても、男女に違いは残るだろう。しかし社会的性差は偏見だから解消しなければならない」

今どきは内閣府男女共同参画局も「生物学的性差は否定しない」と言っているから、ジェンダーフリーをこんな風に理解して支持する人も多いのではないか。

では加藤記者は、何で「意外なことに」と書いたのだろうか? 言うまでもなく、「現在の硬直したフェミニズム」はそうは考えないからだ。

保守派の批判をはねつけてジェンダーフリーを支持する連中は、生物学的性差が男女の心理や能力に違いをもたらすことを認めないのだ。だから、社会的性差を解消してしまえば、男女はまるっきり同じになると考える。「仮に社会的通念がなくなったとしても男女に向き、不向きというのはある」などとは考えない。社会的性差がなくなれば、男女に向き、不向きの差が出ることはありえない。

これが筋金入りのジェンダーフリー論者の考え方である。 (…) 加藤記者はそれが頭にあるので、金井教授のコメントを聞いて「意外」に思ったのである。

まったく、よくこうも飽きもせず同じことを繰り返すことができるものだ。念のため言っておくと、「生物学的性差」が一切存在しないとする「現在の硬直したフェミニズム」を主張している人なんてほとんどいない。現に、bruckner05 氏がその「硬直したフェミニズム」の例として引用している井上輝子氏の発言ですら、

私たちが「男性向き」「女性向き」と呼んできた性役割の多くは、生理的性差とは、わずかなつながりしかもたないといえる。

というものであり、「全くない」という主張ではない。「わずかなつながりしかもたない」という表現は生物学的性差を過小評価しているのではないか、という批判はあっても良いが、過小評価している(程度を間違えている)のと完全に否定しているのとでは全然違う。また、続いて挙げられる大澤真理氏の、

生物学的性差についてあきらかなことは、妊娠の可能性を女性はもつが男性はもたないということである。文化的な性差とは、この生殖に関すること以外のすべてのちがい、服装・言葉づかい・髪型・立ち居ふるまい・心のありよう・感受性等々、男らしいとか女らしいとかいわれるもののすべては基本的に社会的文化的につくられたものといえる。

という記述も、書き方は悪いがよく読めば「基本的に」という語句によって制限が付けられている。性差が「基本的に社会的文化的につくられた」ことは、必ずしも「生物学的な性差が一切ない」ことを意味しない。(ただしこうした記述は、以前わたしが指摘した「ありえそうにないことを断言しているように見えて、反論されれば『実は本当の意味はこうでした』とごく穏当なことを言っていただけだという逃げ道を残している論法」であり、学者としてふさわしくないと思う。)

まぁ、わたしは大澤氏や井上氏を擁護したいわけじゃないのでそんな話はどうでもいい(bruckner05 さんも、この議論はもう飽きたでしょうからスルーしてください)。 肝心なのはその次だ。AERA の記事はこう続く。

 肝心の脳科学者はどうか。「男女の脳に差はありますよ」とあっさり断言するのは、『男脳と女脳こんなに違う』(KAWADE夢新書)などの著書がある人間総合科学大学の新井康允教授だ。

「イギリスでの最新の研究では、胎児期に羊水の男性ホルモン濃度が高いほど空間認識能力に優れるというデータがあります。生まれた段階で男脳、女脳の潜在能力はある程度固まっているんです」

生まれた段階で、男性の脳と女性の脳とでは「平均値に」(ここ重要)ある程度の差があることには異論がない。しかし、将棋の強さというのは「空間認識能力」のような単純な能力によって決まるのだろうか。当たり前だが、「男女の脳には(平均値として)差がある」ことは、「将棋において男性が女性より強いのは脳の差異に由来する」という仮説を立てる理由にはなっても、そうした結論を直接要請しない。AERA の記者は、

もっとも、この能力差は将棋においては男の脳の方が向いているというだけであり、男女の脳に優劣があるわけではないという。

と書いているが、「将棋においては男の脳の方が向いている」という結論は、少なくとも bruckner05 氏が引用している部分からは導き出せないはず。せいぜい、「将棋には男の脳の方が(平均的に)向いているのかもしれない」程度が言えるだけだ。それ以上のことを言うより先に、より詳しい研究が必要だろう。

さて、将棋における男女の能力差についての研究をわたしは知らないけれど、将棋によく似た西洋のゲーム・チェスではいくつか研究が発表されている。チェスは将棋とルールが似ているというだけでなく、競技人口の多くが男性であること、そして頂点の競技者がほとんど男性だけで占められていることも将棋と共通している。しかしそうした男女の不均衡はどうして起きたのだろうか? そうした研究を知ることで、そのまま将棋に結論を適用することはできないとしても、将棋における男女の実力差について「〜かもしれない」以上のきちんとしたことを言うためにはどういう研究をしなければいけないのかを知ることはできるはずだ。

チェスの実力に男女差が見られる原因として、主な仮説が3つ提案されている。もっとも伝統的なのは、単純に男性と女性は生まれつき能力に差があり、それがチェスの成績の差として現れているとするもの。2つ目は、男性と女性は集団としての能力に差はないのだけれど、男性の方が圧倒的に多いためにトップレベルの競技者も男性が大多数を占めるのだとするもの。3つ目は、女性の競技者は平均して競技年数が短く、潜在的に優秀な競技者がトップレベルに上り詰める前に引退してしまっているというもの。2番目と3番目については、女性の競技人口が少なかったり、競技年数が短い理由の説明として、生物学的な要素と差別の存在を含む社会的・文化的な要素を考えることができる。

Journal of Psychological Science の最新号には、過去13年間に及ぶ25万人のチェス競技者の成績をもとにした、チェスにおける男女の実力差についての史上最大の研究報告が掲載されている。チェスにおいてある競技者にどれだけの実力があるかは、国際チェス連盟や米国チェス連盟といった組織が発表する各競技者のレイティングによってはっきりする。これは、あらゆる公式試合の結果に相手と自分の過去の成績差を加味して算出した数値であり、客観的な指標であるとされている。今回の研究では、そのデータベースを用いたというわけだ。

この調査によれば、まず男性と女性のレイティングを比べたところ、男性の方が平均値は高いものの、それぞれの集団内のレイティングの広がりはどちらも同じ程度であった。次に、男の子と女の子を比べたところ、どちらも同じペースで実力を上げており、また競技を辞める割合も同じであったが、チェスをはじめる時点で既に男の子の方が圧倒的に競技者が多く、実力も高かった。ところが、チェスをはじめる子どもの過半数が女の子である地域においては、はじめの時点において男女の実力の差は有意ではなかったという。次のグラフをご覧いただきたい。

(c) Christopher F. Chabris and Mark E. Glickman

このグラフは、2002年から2004年のあいだにチェスをはじめた男の子と女の子の成績の差を郵便番号によって比べたものだ。Y軸は男の子と女の子の実力の差を示し、数字が大きい方が男子有利という意味になる(マイナスは女子有利)。X軸はある郵便番号に含まれる地域における女子の割合で、0.5 が男女半々であり数字が1に近づくほど女子の割合が増える。このグラフを見れば、視覚的にも女子の割合が5割を越えると男女の成績の差がなくなることが分かる。それがロールモデルの欠如の問題なのか、周囲に女子が少ないことによる精神的な影響なのか、そういった理由までは分からないけれどね。

このデータは、男性の方が生物学的にチェスを得意とすることを必ずしも否定するものではないけれど、少なくともこの現象が生物学的に説明できないことは明らかだ。女子のチェス競技者が多い地域も少ない地域も、子どもたちの脳の構造はそれほど違わないはずだものね。また、生物学的な性差の影響を否定しないとはいえ、生物学的性差の存在を前提としなくてもチェスにおける男女の実力差は説明できることになる。

このことの示唆はかなり大きい。まず第一に、チェスや将棋における実力差のように男女のあいだにあまりに大きな差異が発見されたとき、わたしたちは「これほどの差はさすがに社会的・文化的に説明できるはずがない、生物学的な差があるに違いない」と思いがちだけれど、そういった直感はあまり頼りにならない。たしかなことを言うためには、データをきちんと分析しなければいけないのだ(金井淑子さん、頼みますよ)。第二に、仮にある能力について集団間に生物学的な差がなかったとしても、単純にその分野に参入する人数の差によって集団間に大きな実力差が生まれてしまう可能性があるということ。

ところで、日本将棋連盟の会長、米長邦雄氏の公式サイトの一部である「さわやか日記」(12月20日)を読むと、このようなことが書いてあった。

今年もあと10日です。

いくつものことを全て解決します。しかし、どう考えても無理な事はあります。

不思議ですが、そのどれもが女性がらみです。

あ、私の個人的トラブルではありません。

全ての女性に幸あれと祈りましょう。

いつの世も、女性の行動は謎が多いものです。

これじゃあ、女流棋士が独立したくなるのも無理はないよなぁと思ってしまった。てゆーか、この記述のどこが「さわやか」なんだか。

32 Responses - “「日本将棋連盟から女流棋士会が独立」報道を巡って”

  1. 小笠原功雄 Says:

    初めて書き込みます。私もそこそこ将棋が好きで、ひと頃だけ集中して(笑)ペーパー初段をとったころがありました。今回の件で、あらためて片上棋士のブログを拝見、「無関心」の指摘は印象的でした。私の「ひと頃」に読んだ将棋ジャーナリズムの記事だけでも、制度、ルール等色々問題点指摘がありましたが、それらが検討課題にすらされた気配なく、財政問題のみ浮上してきました。素人目にも現代将棋の歴史は浅く、組織としても層は厚いとはいえない(これは囲碁界だけを調べて比較しても種々、差がみられると思います)。そういう中で女流棋士が「プロ」として独立に動き出したのは、立派であるし当然のことだと思います。これは先ずれっきとした競技ビジネス、プロスポーツ論の話だと思います。

  2. Josef Says:

    実力プロならぬ特別枠としての「女流プロ」というヌエ的存在が将棋普及のためのコンパニオン的役割を担わされてきたことは周知の事実で、彼女たちも個人差はあれそれを受け入れてきたと思います。子供の頃から将棋に夢中になって努力してきた少女が悩んだ末に「女流プロ」を選択することは、プロ棋士になるのを諦めることと同義でした。プロであってプロでない、でもプロということにしてやるから将棋界のために尽くせ、言われたことには従え、その代わり好きな将棋「も」させてやる、そういう存在です。しかし、覚悟してなった「女流」とはいえ、アレもやれコレもやれ、アレもするなコレもするなと理不尽な扱いをされたのでは堪らない。もっと言えば、女たらしで知られる米長会長の下でいいように扱われて、もうこれ以上我慢できない−。ということが今回の独立の大きな要因だったと思います。もちろん米長個人の問題とは別に、名人戦スポンサー騒動で一般にも知られるようになった将棋連盟の財政難とそれに伴う待遇悪化が背景にはあったでしょう。ともあれ今回の独立は事実上、まずはコンパニオン組織としての独立という性格が濃厚だと思います。将棋のプロ組織というにはあまりにも弱すぎる。今のところ。
    ところで将棋における脳の男女差ですが、たぶんあるのでしょう(今のプロの男女差ほどではないにしても)。が、それを統計的に調べるのは難しい。というのも問題となっているのは「プロ」つまり子供の頃から「天才」と呼ばれたような特殊能力を持つ人たちだから、一般人を対象に調査してもあんまり意味がない。将棋に向く特殊能力を潜在的に持つ割合に男女差があるかどうか。私はあると思いますが、調べようがありませんね。
    小笠原さん
    >素人目にも現代将棋の歴史は浅く、組織としても層は厚いとはいえない(これは囲碁界だけを調べて比較しても種々、差がみられると思います)。
    というか、囲碁は貴族の、将棋は庶民の遊びという昔からの感覚が残っているだけで、組織として囲碁界の方が立派ということはないでしょう。競技人口は将棋の方がずっと多いし、プロへの道も遥かに厳しい。まるで政治の世界みたく親子・兄弟姉妹の棋士がいっぱいいる囲碁界はぬるま湯に浸かっている間に中国や韓国に実力で抜き去られ、アマ免状乱発で稼ぐのももう限界、改革の先頭に立った加藤名誉王座は若くして憤死し、その後はまた元のぬるま湯のようにみえます。

  3. 窪田義行 Says:

    初めてコメントします。macskaさんは性差問題の碩学とお見受けしますが、このエントリーを拝見してプロ将棋界に纏わる性差問題も表面化した様に思わされました。今後棋界で性差問題が声高に語られると混乱が増すにせよ、「新女流団体」としては理論構築しておくべきテーマかも知れません。ご引用頂いた私のエントリーですが、以前から分割すべき内容と考えておりましたので、この機会に二分しました。元記事に少し追加して置きましたが、ご引用の趣旨は損ねていないと思います。今後も将棋界にご関心、ご意見を頂けましたら幸いです。勝敗が付きまとう世界ですので、「さわやか」とは参らない事もままありますが。

  4. *minx* [macska dot org in exile] Says:

    チェスの実力についての国別データ…
     本家エントリ「『日本将棋連盟から女流棋士会が独立』報道を巡って」に関連して。  以下に挙げるのは、国際チェス連盟が2年に一度主催する国別国際チェス対抗戦「チェス・オ (more…)

  5. ジェンダーとメディア・ブログ Says:

    Brucker05さん、誤解しないでください。…
    bruckner05氏のブログ「人権・男女共同参画・性etc.」サイト[gender]女流棋士会独立に見る脳の男女差/ジェンダーフリーを放棄したAERAというエントリ (more…)

  6. 遠山雄亮 Says:

    棋士の遠山です。大変興味深く拝見いたしました。
    将棋の知識がほとんど無い、との事ですが、まったくそうは思えない、鋭い指摘ばかりでした。
    性差の問題について。私はただの将棋指しであるので、詳しいところは分かりません。
    ただ一棋士として、将棋の棋風が、男性は「我慢強く」女性は「血気盛ん」であると感じます。この事が実力的な部分で差になっているかと個人的には思います。将棋は「我慢強さ」が大切ですから。つまり脳の差ではなく性格の差によるところが大きいかと。
    余談かもしれませんが、現在の将棋界において男性棋士と女流棋士の実力差の違いは、「制度の違い」が非常に大きいと考えています。それは「歴史の長さ」の問題でもあるので、これから先女流棋界が脈々と続いていけばその実力差は小さくなるかとも思います。

  7. macska Says:

    みなさま、コメントありがとうございます。
    将棋についてはわたしは素人以下ですが、棋士の方やその他の将棋に詳しい方にも読んでいただけるとは嬉しいです。このように実名で礼儀正しいコメントが並ぶと、いつものこのブログのコメント欄とはえらく違うなぁと感じてしまいます(笑) さすがはファンを相手にするプロの方たちだなぁと頭が下がるところです。しかし、ここ数日将棋関係のブログをいろいろ読んでいると、将棋界では女流棋士に限らず男性でも若手棋士を中心にいろいろと不満が溜まっている様子。将棋そのものよりもそっちに興味が集まってしまうのはあんまり望ましいことじゃないでしょうが…
    Josefさんも、意外と詳しいですねー。そうか、「女流棋士」がそういう扱いであったことは、周知の事実だったのね。集団の規模がトップレベルの実力にどういう影響を与えるかは関数にできるはずで、チェスのレイティングについてそれを数式で表した論文もあるんですけど、数式がいっぱいでわたし自身理解できないでいます。もしどなたか、英語がわかって、数学が得意な人がいたら、論文を送るので解釈手伝ってください。

  8. Josef Says:

    遠山さん、はじめまして。
    >ただ一棋士として、将棋の棋風が、男性は「我慢強く」女性は「血気盛ん」であると感じます。
    これを「性格」ではなく「物の見方」として言い換えると、男(プロ)は「俯瞰的」であり女(女流)は「近視眼的」であるということになると思います(本質論ではなく現状記述として)。今のところ女性棋士は目の前の部分的な「戦い」の方に目が行ってしまい、全体を見渡す能力に劣る。これは昔から言われていることだと思いますが(囲碁でも同じ傾向が指摘されています)、なかなか変わりませんね。
    「脳の差ではなく性格の差によるところが大きい」とおっしゃる、その「性格」もまた「脳」の働きでしょうから、脳と環境の両面から考えることができるでしょう。
    >現在の将棋界において男性棋士と女流棋士の実力差の違いは、「制度の違い」が非常に大きいと考えています。
    やはり「女流」という枠が枷になっているのでしょう。女もまた男と同じコースで四段を目指すことはできるのだから、周囲も「女流に」なんて言わないで、「四段を目指せ」と叱咤激励した方がいいんじゃないでしょうか。女流の「独立」を私は支持しますが、強くなるという点では資するところは無いと思います。有望な少女はそっちに行かないでもらいたいですね。

  9. 発声練習 Says:

    [メモ] 素朴な疑問:将棋の強さに男女の性差が関係あるの?…
    YOMIURI ONLINE(読売新聞):「女流棋士会」が独立方針を可決…臨時総会 を見て疑問。 404 Blog Not Found:プログラマーを目指す女の子はな (more…)

  10. 人権・男女共同参画・性etc. Says:

    [gender]macskaさんの批判への感想〜AERAの女…
    先日書いた「女流棋士独立に見る脳の男女差/ジェンダーフリーを放棄したAERA」にmacskaさんと斉藤正美さんから批判をもらった。 Bruckner05さん、誤解しな (more…)

  11. pyon Says:

    はじめまして。http://d.hatena.ne.jp/mozuyama/20061227/P20061227JORYU のエントリからきました。macskaさんのエントリは将棋界のことを知らないかたとは思えないすぐれたものですだと思います。が、一つだけ必ずしもそうとも言えないのではないかというところがありました。macskaさんのエントリだと、この独立は「女流棋士たちが将棋連盟側からの待遇(金銭・「自治権」などの点での)に不満をおぼえて飛び出した」と解釈されているようにも見えました(産経新聞からの記事ではそのように解釈できることは理解できます)。
    しかし以下の記事
    http://www.toonippo.co.jp/tokushuu/danmen/danmen2006/1202.html
    を読むと、今回の独立計画は実際は連盟の米長会長からの提案から始まっています(また中井女流六段が今回の独立計画を「親離れ」と表現していることも注目に値します)。また、この記事によると、独立には不採算部門を整理したいという連盟の思惑も絡んでいるように思えます。
    私は「女流棋士」がおかれた状況には深刻な問題があることを否定するわけではありません。またそうした状況が独立へ向けた動きの背景にあることも否定しません。ただ、macskaさんのエントリで触れたような女流棋士の「不満」がこの独立へ向けた動きの直接の原因かどうかはわからないということです。

  12. ゴンゾ Says:

    少々興味深いテーマですね。
    脳か環境か。
    女流は本流(男流)の亜流のままでいいのか。
    永遠のふぇみ的テーマですな。
    たまに女流棋士がA級棋士を負かせば、雁首揃って拍手喝采するのが、これまた自分は男流側と思ってるヘボアマどもきているから始末が悪い。ヘボアマってのは、女流棋士を、普段は使えない進行役、棒読みの秒読み役としか思ってない連中のことね。
    Josef さんの全部わかった上での「女も四段目指せ」というあえての指摘ですが、しかし過去、奨励会で初段に到達した女性っていますか?そんな非現実的なところで力なんか発揮できますかね?
    つまりね、サッカーなら日本では男子よりも女子の方が先にワールドカップに進出しましたよ(笑)しかし知名度的には圧倒的に低く、実力や経済的な基盤なんか今でもはるかに劣っています。でも、選手個人は女子サッカーという世界で実力を磨けばいいのでは。
    かるたの名人戦でも実力差をはっきりさせるためにクイーンと名人で対決しろなんて思うかるたファンはおそらくいない。
    とまあそんな意見が女流を女流という枠内にとどまらせ、劣位の環境に固定するのだ、という反論が予想されますが、まったくその通り。
    別に良いじゃん。
    良いスポンサーさえ付けば。
    独立も可能。
    将棋はよく人生にたとえられますが、ここんとこも例外ではないってことで(チャンチャン)。

  13. seabass Says:

    20年ぐらい前、あの林葉直子氏が女流名人だったころは、女流棋士が男性棋士に勝つなんて、もう全くあり得ない話でしたがね。
    しかし最近では、勝率はまだ低くても、時々勝つんだから驚きです。(知らない人のために書くと、男性棋士は別に名人とかでなくても、「町の腕自慢」程度では全く歯が立ちません。)
    このことは、女性の脳がこの20年の間に急速に男性化していることを示している…なんてことはもちろんなくて、男女間の「見かけの能力差」がいかに環境に対して敏感に影響を受けるかということを示しているのではないでしょうか。
    「男性棋士と女流棋士の実力差」のように、明らかに差が存在する場合であっても、そこから性差を導き出すのは簡単とは限らないんじゃないですかね。

  14. macska Says:

    おしらせです。
    古田耕平さんとのやり取りは、全て以下に移行しました。
    http://d.hatena.ne.jp/macska/20070111/p1
    あまりに邪魔なので。以上。

  15. Josef Says:

    「一人も正会員になれないのは確かにかなりの差ですね。(中略)仮に社会的通念がなくなったとしても男女に向き、不向きというのはあるのかもしれません」という金井淑子氏のような感想は直感的なものに過ぎませんが、こういう直感はかなり多くの人が共有していると思います。これに対して、macskaさんが紹介するデータでたとえばロシア人と日本人との間のチェスにおける格差が示されても、これをロシア人と日本人との生得的な「向き、不向き」と考える人はあまりいない。金井氏もたぶんそうは考えないでしょう。この違いはどこから生じるのか。
    おそらく、ある種の対称性の有無が直感の働き方を左右しているのではないかと思います。ここで言う対称性とは、「チェスではロシア人が上、将棋では日本人が上」ということです。同系統のゲームにおいて、一方ではロシア人の実績が大きく上回り、他方では日本人の実績が大きく上回る。となれば、これは競技人口の差、つまりそれぞれの国でどっちの競技が盛んかを示しているに過ぎないであろう、と。
    男女間にもこういう対称性が観察されれば、直感もまた「競技人口の差にすきない」に傾くように思います。しかし今のところ、ある程度普及した思考型ボードゲームにおいて競技人口や実績が女性優位のものが見当たりません。直感はこういう現状及び歴史をひっくるめて分析的にではなく総合的かつ瞬時に判断を下す働きのようですね。

  16. Beaver Says:

    将棋ファンで公認会計士です。将棋の強さとジェンダーを巡る話興味深く読みました。ちょっと面白い話として公認会計士(国によって制度に差があるので、ほぼそれに相当する資格保持者・職業と考えてください)に占める女性の割合は国ごとに大きな差があるので、それを紹介させて下さい。(日本以外のデータは正確な統計ではありませんが、私が見聞きした感覚です。)日本は全体で10%程度ですが、ここ20年程度の試験合格者に限れば15-20%くらいで安定しています。米国はおそらく女性の方が多く55%くらいが女性ではないかと思われます。女性の割合が極端に高い国としてタイがあり、おそらく80-90%が女性です。フィリピンも比較的高く、間違いなく半数以上は女性です。シンガポール、香港、ベトナムなどもかなり多いように思います。一方、欧米で女性が少ないのは英国で多分比率は2-3割くらいです。
    会計士になるためには、国により制度が違いますが、必要とされる能力はほとんど同じはずです。民族による生物的性差の違いはないとすると、やはり社会的性差の影響が大きいのかなと感じざるを得ません。女性比率が極端に高いタイの人に聞くと「会計は女性の仕事」という強い社会通念があるようです。
    将棋の強さの男女差の大部分は競技人口の差から来ていると思いますが、生物的性差の影響も多少あるように思います。数多くの子供に将棋を教えている知人は、男女差を感じると言っています。具体的には駒の”動き”に対する感覚が全くの初心者であっても男の子の方が鋭いと感じるそうです。このあたり、空間認識能力の男女差や例えば、男の子の方が乗り物など動きのあるものを好むことと関係があるかもしれず、面白い仮説だと思っています。
    最近話題の里見香奈女流1級はまだ14歳ですが、大部分のプロ棋士の14歳のときの強さと比べて全く遜色ないように思えます。どこまで強くなるか非常に楽しみですね。

  17. Josef Says:

    Beaverさんのコメントを読んで思ったことです。
    将棋で「正着」を考えるのは一種のパズルですね。女性のパズル愛好者は多いし、景品を売り物にしたパズル雑誌もいろいろありますが、そこには女性をターゲットにした広告がたくさん載っていて(怪しげなのが多いけど)、景品獲得者にも多くの女性が名を連ねている。女性がパズル一般に向いていないとは思えません。
    そこで将棋というパズルの特徴なのですが、Beaverさんの仰る「駒の動き」とは、形の違う立体を順に積み上げていくような「動き」の感覚ではないかと思うのです。将棋は駒を平面上で移動させていくゲームでありながら、先の手を読むときには、平面上の図が模様を変えていくのではなく(囲碁はそう)、一手毎に「立体」が積み重ねられ、あるいは取り外されて形を変えていくようなイメージで思考が行われます。うまく言えませんが。正しい順序で異なる形の立体を積んだり外したりして、全体をより良い形にしていく。順序を間違えると致命的になる恐れがある。そういう空間的イメージの思考です。言葉=論理とは違う思考が行われるから、運転しながら会話ができるように、手を読みながら会話することもある程度できる(将棋解説者は聞き手と会話しながら先の手を読んでいる)。一億の手を読むと言われる棋士もいますが、一億という数字はともかく、何十手も先の様々な「形」が見えることをそう表現しているのでしょう。一手毎に可能性としての分岐の枝数は増えるから、後からそれを全部記述すれば膨大な数になることは間違いありません。
    ヘボの場合は「こうなって、ああなって」と「論理」で考えてしまうので(そうせざるをえない)、熟達者に比べると速度が極端に遅く、数手先の様々な可能性をイメージすることすら困難。思考中に話し掛けられたら思考はストップする。言葉=論理のレベルで思考が行われているのですね。
    将棋では主として脳のどの部分がどのように働くのか。それが分かれば男女差の有無についてもある程度説得力のあることが言えるようになるのかなあ、と考えてみました。

  18. kafuri Says:

    <<<
    このグラフは、2002年から2004年のあいだにチェスをはじめた男の子と女の子の成績の差を郵便番号によって比べたものだ。Y軸は男の子と女の子の実力の差を示し、数字が大きい方が男子有利という意味になる(マイナスは女子有利)。X軸はある郵便番号に含まれる地域における女子の割合で、0.5 が男女半々であり数字が1に近づくほど女子の割合が増える。このグラフを見れば、視覚的にも女子の割合が5割を越えると男女の成績の差がなくなることが分かる。それがロールモデルの欠如の問題なのか、周囲に女子が少ないことによる精神的な影響なのか、そういった理由までは分からないけれどね。
    >>>
    以下によってグラフを説明する。
    P1 男の子の方が女の子よりもチェスにおいて生物学的に優れている。
    P1からすれば、このグラフにおいて女の子の割合が0.5より小さい地域で男の子の方が優れていることについては説明を必要としない。なぜなら、P1により女の子より男の子の方が生物学的に優れているうえ、さらに人数まで多いのだから、男の子の方が優れた結果を残すのは当然であり疑問の余地がないから。よって上のグラフの横軸の0.5より小さい部分についてP1は矛盾しない。
    次にグラフの横軸が0.5より大きい部分について。P1からすれば、なぜ女の子の割合が0.5より大きくなると男の子と女の子の実力差がなくなるのかについて疑問の余地がでてくる。女性より男性の方が生物学的に優れているのなら、女の子の割合に関係なく男の子の方が有利であるはずだから。これはP1に対する反証になるのだろうか。
    以下を追加する。
    P2 純生物学的に記述できない社会的な能力については社会的文化的な要因も作用する。
    なぜ女の子の割合が0.5より大きくなると男の子と女の子の実力差がなくなるのかについては、P1によって本当は男の子の方が女の子より良い成績を残すはずが、P2によって社会的文化的に歪められたのだと説明できる。P2を追加することによりグラフの横軸が0.5より大きい部分についてもP1は矛盾しない。そもそもP1とP2は矛盾しない。
    それでは次によってグラフを説明してみる。
    P3 男性の割合が女性より大きくなると男性の成績が女性より上がり、女性の割合が男性より大きくなると女性の成績が男性より上がる、という意味でチェスにおける男女の実力差は男女の競技人口差に還元できる。
    グラフをP3のみで説明してみよう。女子の割合が0.5よりかなり小さい地域で男の子の方が優れていることについては、P3によって説明できそうだ。女の子の割合が0.5に近づくにつれて、依然として有意に男性有利の地域が多いとはいえ、有意な男女差がない地域がぽつぽつ散見されることについてもP3によって説明できそうだ。しかし女子の割合が0.5より大きくなっても有意な男女の実力差が確認できない点についてはどうか。
    P3のみによってグラフを説明するとき、女子の割合が0.5より小さい地域における男の子の有利が競技人口に因るのなら、女子の割合が0.5より大きくなるにつれて反対に女子の方が有利にならなければならないはずだ。女子の割合が大きい地域自体が少ないのはグラフを見れば分かることだが、男の子の割合が大きい地域が大半を占めるなかでのそのような地域はかなり女の子のチェスに力を入れているはずなのかどうかはともかく、それにもかかわらず実力に有意な差が出ない。これはP1を確証することにはならないだろうが、P3のみによって上のグラフを説明することは出来ないことになる。
    <<<
    このデータは、男性の方が生物学的にチェスを得意とすることを必ずしも否定するものではないけれど、少なくともこの現象が生物学的に説明できないことは明らかだ。女子のチェス競技者が多い地域も少ない地域も、子どもたちの脳の構造はそれほど違わないはずだものね。また、生物学的な性差の影響を否定しないとはいえ、生物学的性差の存在を前提としなくてもチェスにおける男女の実力差は説明できることになる。
    >>>
    女の子の割合が0.5より大きくなると男の子と女の子の有意な実力差がなくなることはP1を必ずしも否定するものではないけれども、P1「のみ」、若しくはP1「のみ」、によっては説明できない。さらに、P1を否定しないとはいえ、P1を前提としなくてもP3のみでチェスにおける男女の実力差は説明できることになる。つまりオッカムの剃刀によってP1は不必要であり、P3のみでよいと言っている。しかしどうなんでしょうか、例の論文を読んでmacskaさんの議論を読んでも、正直まだ良く分からないという程度の認識しか得られませんでした。
    それと別のブログで、
    <<<
    > 日本とロシアで人口差を比較しても仕様がないのでは??競技人口の差を比べないと
    論理をたどれよバカ。
    わたしが言っているのは、漠然と成績の差を比べるだけで、「あまりの差」があるのだから脳の差があるとかないとか言えるのか、ということですよ。もし男女差についてのあなたの発言に妥当性があるのであれば、ロシア人と日本人のチェスの実力の差は民族的な脳の差が原因だと言えなければおかしい、という論理なわけ。「日本人とロシア人の限界値の差」という論理がおかしいと気付いたならば、それと同じくらいあなたの漠然とした思いつきもおかしいとすぐ気付かないといけないわけで、それにいまだに気付かないのはバカだけ。
    >>>
    というような遣り取りを拝見しましたが、仮に相手がチェスの実力差は生物学的要因「のみ」によるという主張でしたら、ロシア人と日本人のチェスの実力の差は民族的な脳の差が原因だと言えなければおかしいと言えるかもしれない。しかし相手の方は生物学的要因のみではなく社会的文化的要因も認めているように思います。社会的文化的要因を一切認めず生物学的要因にすべて還元する意見のほうが潰しやすいかと思いますが、この場合には、ロシアの人口1億4千万強、日本の人口1億3千万弱で10%くらいしか違わないのにチェスにおける日本人トップの羽生善治さんだってロシアでは100位にすらはるかに遠く及ばないので日本人とロシア人の脳にも限界値の差がある、という信念帰属を相手にするのは無理です。
    因みに上の文章は、「チェスにおいて男女に生物学的な差がある」とか「チェスにおいて男女に生物学的な差はない」という文に、なんらかの意味なり意義がある、と思い込み信じ込むことにして書いた文章です。

  19. Josef Says:

    「泥沼流」こと米長連盟会長の女流分断による独立潰しがいよいよ露骨に見えてきました。経緯がいちばんよく分かるのは2ちゃんのテンプレでしょうか。
    http://game12.2ch.net/test/read.cgi/bgame/1173749408/
    大スポンサーである各新聞社(やテレビ局、出版社)は下らない力関係だの人間関係のしがらみだのではなく、どちらに「正義」があるかを冷静に見極めて報道してほしいと思います。
    それからプロ棋士の皆様も、相手が会長だろうが何だろうが批判すべき時にはきちんと批判していただければと思います。有力棋士による内部からの批判は将棋ファンの世論やスポンサーを動かすのに最も有効です。

  20. 小阪修平 Says:

    将棋ファンです。macskaさんのおっしゃっていることは正論だと思います。私たちは文化のなかに生きているので、どこまでが自然的なことかそれとも社会的・文化的に変化可能なことかはなかなか判別しがたいのですが、いまの社会的・文化的なあり方のなかで、これではいやだ、もっと違う可能性をためしたいと考える人がでてくれば、その可能性を尊重するのが原則だと考えています。
    たしかに、女流棋士と日本将棋連盟の正会員である棋士の間には実力差があります。だが、女流棋士は現在プロとして公認されており、また「人気」もかなりある存在です。にもかかわらず、「誇り」がもてない、コンパニオンとして扱われているのが現状です。これは言い過ぎかもしれませんが、かつて引退した高橋和が、ある棋戦のうちあげの席でメディア関係者から、君は将棋に勝たなくともいい、かわいいからそれでいいと言われて、傷ついたということを語っていました。 こういう言い方を、、相手を「差別」してない、かわいいと認めているんだからいいじゃないかと思う2〜30年遅れの雰囲気が将棋界にはまだ残っています。ぼくは以前『将棋世界』での男性棋士の発言にそのことを何度も感じました。基本的に将棋界は、女性を「対等」に扱う作風がないのだと思います。
    そういった現状のなかで、窪田さん、遠山さんがコメントを寄せられて真摯に答えようとされているのに感銘を受けました。また片上さんの考察も傾聴に足るべきものです。羽生さんもいわゆる「独立派」の説明会に出席して、きちんと話されたという報道を聞きました。こういう若手棋士の感覚で将棋連盟を改革されることを切に願います。

  21. Offtrackman_GT Says:

    はじめまして。アマチュアの一将棋ファンです。
    女流棋士の問題についてですが、最大のポイントは、
    (1)男性棋士と比べて、収入面の保証がない。対局料なども低い。
    (2)将棋連盟の運営に関する決定権や発言権が認められていない。
    の2点だと思います。
    (1)については、差別うんぬんではなく、女流の将棋というのは、単体ではビジネス(興行)として成立するレベルにはまだ十分に達してないので、ある程度はやむを得ない部分もあると思います。
    (将棋の技術面ではかなりレベルアップしつつあるようですが。)
    例えて言えば、プロ野球に対する女子ソフトボールのようなものじゃないですかね。
    現状では、どうしても前座的な扱いにしかならない。
    それは、主催者が女子を差別しているわけではなく、市場がそうなっているのだから仕方がない。
    有料のチケットを購入して女子ソフトボールを見に来る人は限られている、ということです。
    スポーツで言うと、種目によってはそうでないものもある。例えばバレーボールなどは、技術的な面では男子の方が上かもしれないが、男子バレー、女子バレーという形で対等に棲み分けがなされており、観戦スポーツとしてはむしろ女子バレーの方が人気があるかもしれない。
    しかし、野球や将棋は違いますよね。
    それは、もともと、野球も将棋も「男の子の遊び」だからです。
    その点がバレーボールやテニスなどとは違う。将棋をやる女性も少ないし、観る女性も少ない。
    小学校のとき、雨の日の昼休みは何をして遊んでましたか。
    男は将棋をやる奴が多かった。女子はおそらくトランプとかあやとりとか、そういうものが多かったんじゃないだろうか。
    やる人も観る人も少なければ、「見せてお金を取る商売」としてはなかなか成立しませんよね。
    (2)についても、「主催者はむしろ特例的に女性を優遇している」と言えるのではないでしょうか。
    将棋の場合、26歳までに奨励会の三段リーグを突破できなければプロにはなれない。
    言い換えると、三段リーグを突破できれば、「プロ野球の選手」になれる。男女を問わずです。
    つまり、制度上の男女差別は一切無く、男女を問わず門戸は開かれているのです。
    これをクリアできなかった者は、男であろうと女であろうと、他の職業に就いてアマチュアとして将棋を楽しむしかない。
    しかし、女性に限り、特例として女流棋士という別枠を認めており、前述した女子ソフトボールリーグのような形で将棋界に残れるようになっているのです。
    しかし、本来の意味でのプロではない(プロ野球の選手ではない)から、プロ野球の運営には直接は関与できない。
    つまり、女流棋士会というのは、あくまで関連機関的な位置付けでしかないんでしょう。
    その辺が曖昧にされて来たのは確かに問題あるかな、と思います。
    しかし、上記の理由で、女流棋士というのは、むしろ優遇された立場、手厚く(とまでは行かないかもしれないが)保護されている立場、と言えるのではないか、と思いますが。
    今回の問題を「男女差別問題」と見るのは必ずしも妥当ではないと思います。
    「同じプロ野球の選手(四段以上のプロ棋士)になったのに、男性棋士と同等の権利が認められない」というのであれば、それは確かに男女差別かもしれませんが、そもそも立っている土俵自体が違うわけですから・・・
    つまり、今回問題になっているのは、「男女」の権利差ではなく、「親会社と関連子会社の権利の違い」「子会社の持つ権限が小さ過ぎる」という点だと思います。
    女流棋士が抗議しているポイントもこの点であって、「男女差別」に対する抗議、というニュアンスは見受けられないように思いますが。
    要するに、子会社社員が待遇改善を求めるストライキのようなものではないでしょうか。
    おそらく子会社社員が全員男性であっても同じことになると思います。
    今回のような問題への対策としては、女流棋士会と将棋連盟本体が協議して、運営上の決定権・発言権をどこまで認めるのかを明文化して定め、アマチュアの女流棋士志望者などには(対局料等の諸規定も含めて)事前に公開・説明する、といった取り組みが必要かもしれませんね。すでにそういう取り組みは行われているのかもしれませんが・・・。
    ところで、最近まで将棋にほとんど関心をお持ちでなかったとのことですが、その後、女流の将棋をご覧になったことがありますか?
    こういう場で抗議するのもそれなりに意義のあることかもしれませんが、やはり、ファンとして観戦する、もしくはファンの増加につながるような呼びかけや活動をしてあげるのが何よりの協力だと思いますが・・・。
    まあ私のように、将棋もへぼ将棋で、フェミニズム運動などの実情にも疎い者の意見ですので、ピントがずれているかもしれませんが、連盟の制度面についての見方=必ずしも「性別」を理由に差を設けているわけではない、というのは多分間違っていないと思っております。

  22. Offtrackman_GT Says:

    補足させていただきます。mascka様の文章を引用させていただくと、
    > プロである以上、自分の実力がないために収入が少ないというだけなら、まだ我慢も納得もできるだろう。しかし同じプロでありながらプロとして見られなかったり、自分たちの活動に関わる自治権すらないというのであれば、日本将棋連盟という組織からの独立を考えて当然だ。
    とありますが、この中の、
    > しかし同じプロでありながら
    の部分ですね。
    要するに、「同じプロ」ではないわけです。
    女子ソフトボールリーグのプロであって、プロ野球の選手ではないということです。
    同じ「将棋」であっても、別物ということです。
    ちなみに将棋連盟には、女流棋士会のような関連組織の1つとして、「奨励会」というのがありまして、これは三段以下の棋士(正式には、まだ「棋士」ではない)が属する機関です。
    これはプロとアマチュアの中間のような養成機関的存在で、やはり同じ将棋であっても「別物」扱いです。
    例えて言えばプロ野球の二軍のような存在でしょうか。
    所属者はほとんど男で、女子もわずかながらいるようですが、待遇は女流棋士どころではなく、将棋を指しても一銭にもなりません。
    要するに、ここを突破して四段にならないと、正式な「プロ」とは認められないわけです。
    ところが女子だけは、別枠で「女流棋士」という道が認められているわけです。
    こちらも、正式には「プロ棋士」(プロ野球の選手)ではないのですが、「女流のプロ」(ソフトボールのプロ)という位置づけになり、それなりに収入も得られるわけです。

  23. Offtrackman_GT Says:

    たびたびすみません。
    今回問題になっているのは、その「それなりに得られる収入」の面でプロ棋士と差がありすぎるとか、関連組織としての自治権が小さ過ぎる(これは「女だから」というわけではない)、といった部分であって、論点は「男女差」ではないわけです。
    要するに、親会社と関連子会社の対立みたいなものではないでしょうか。
    一ファンとしては、将棋連盟は今回の問題を重く見て何らかの待遇改善を図るのではないか、と思っております。

  24. macska Says:

    「女だから」差別を受けている、なんて誰も一言も言っていないのに、なにこの必死になってる Offtrackman_GTってヒト。

  25. あら… Says:

    ↑のコメントは無かったほうが良かったんじゃないでしょうか?

  26. Josef Says:

    結局、新法人「日本女子プロ将棋協会」に移籍したのは17名、残りの39名は従来通り日本将棋連盟傘下の女流棋士として残留することになりました。
    現タイトル保持者は全員「残留」を選択。数の上でも質の上でも、新法人は苦しい出発となりました。
    連盟側の露骨な分断工作とか、独立のやり方が拙かったといった方法論の失敗とか、いろいろあるでしょうが、根本的には将棋の実力の問題ですね。アマ高段者にも勝てない者が集まって「プロ」を名乗っても誰がそこに大金を投じてくれるか。先の見通しの立たない新法人に移るより、将棋連盟に止まって、内部で権利の拡大を要求する方が現実的、という判断が大勢を占めたとすれば、この結果は当然だったかもしれません(ただの結果論ですが)。
    おそらくOfftrackman_GTさんが「将棋連盟は今回の問題を重く見て何らかの待遇改善を図るのではないか」とおっしゃる通りになるでしょう。いろんな綱引きがある中で選択された「残留」は「待遇改善」とトレード関係にあるはずで、実際、残留組の女流棋士会はさっそく様々な要求を掲げている様子。新法人の行方も含め、まだまだこれからでしょうね。

  27. pompom Says:

    こんにちは。初めて来ましたが興味深い内容でしたので、じっくり読ませていただきました。当方は、結構将棋好きで、この女流棋士会の動きも注目しています。職業は物理屋です。
    ところで、macskaさんのデータの扱いに関して疑問がありましたので、指摘しておきます。男性が女性よりもチェスが強い理由は生物学的に説明つかない理由としてJournal of Psychological Science?のグラフを挙げて、「このグラフを見れば、視覚的にも女子の割合が5割を越えると男女の成績の差がなくなることが分かる。」とおっしゃっていますが、研究者の立場からするとこのグラフからそのような結論は出せないのですが、本当にそう論文に書いてありましたでしょうか? それとも、ご自分でそう思われただけでしょうか?
    グラフを見ると、横軸が端の方のデータ(例えば0.2とか0.7付近)についてはエラーバーが大きいことが分かると思います。これは、データ数が少ないためです。縦軸に95%c.lと書いてありますので、2σですよね。2σでこのエラーバーですから、相当少ないことが予想されます。ですから、このグラフから言えることは、男女比0.3~0.4あたりのエラーが小さい領域のプロットは男性の方が強いことを示していますが、それ以外の領域についてはエラーを考慮すると男性or女性どちらかが強いのかもしれないし、男女の差が無いのかもしれない、つまりこのデータだけでは結論が出せないということです。また、女性の割合が5割を越えている部分は2プロットだけですよね。(0.7の方は相当エラーが大きいですし。) したがって、このデータから女性の割合が増えれば、男女の実力差がなくなるのだという結論を導くには、もっとサンプル数が必要です。素人相手ならこれでも信用してもらえるかもしれませんが、統計に関する知識を持った人にそんな主張をすれば笑われるだけでしょう。データというのは、説得力を持たせる有力な手段ですが、それだけに扱い方はきちんとすべきです。それから、データ引用する時には、出版雑誌名だけでなく、巻号やページ数を載せてくれると嬉しかったです。以上、だいぶ噛み砕いて書いたつもりですが、どちらかというと説明下手なので分かりづらかったらすみません。男性棋士のほうが、女性棋士より強い理由は、皆さんのコメント見てるといろいろ意見があって面白いですね。僕自身もいろいろ考えますが、まぁそれを書きたかったのではないので、グラフに関する指摘だけにしておきます。では。

  28. anonymous Says:

    競技人口が少ないのは、単に男性のほうが闘争本能が
    強いからでは、とも思います。私がたまに通っていた
    将棋道場では、誰にも教わったことがなく年下の女の子と
    しか指したことがありませんでしたが、たまに外部の
    男の子と指すと勝つことが多かったです。でその、
    いつも同じ相手だった女の子は、女流棋士になりました。
    その子も私も、元は父親の趣味だったと思います。
    でも私は元々興味も薄く、小学生でやめました。
    今も、勝敗を競うのが目的のスポーツや競技には
    興味がもてなくて、その暇があれば、先端科学の
    論文でも読みたい。
    関係ありませんが
    物理って、将棋のような実力の世界ではありません。
    1980年代から、全く実験と合わない「大統一理論」
    「超対称性理論」が流行して、それを信仰しなければ
    研究職にも就けないんです。
    単に、羽生さんが強すぎるから、他の棋士の年収は低めで、
    その不満から弱いものいじめしてるだけなのでは?
    ここで「弱い」というのは、待遇が悪くても大人しく
    我慢している、という意味です。
    でも棋士のように先を読むのって、プログラムにも似てますし、
    プログラマになれば、自分の作品を残すこともできて、
    しかも社会に役立って、面白いのでは?

  29. syougifan Says:

    女流は準会員なので、プロ扱いされず、準プロ扱いされるのは妥当ではないでしょうか。
    また一般の労働者は、約10時間毎日働いたうえで、年収は200〜300万円なので、女流の収入は悪くはないと思います。都会に住めるだけでも好条件でもあります。
    弱いのに女だから優遇されて甘やかされている、というのが女流の実態ではないでしょうか。

  30. 男女の違いを認められない病気 Says:

    将棋性を売る事が出来ないから女性性を売り出す。
    この行動こそが姑息な女性性。
    セックスは先天的なもの。
    ジェンダーは後天的なもの。
    セックス差があるからジェンダー差がある。
    ジェンダーを使ってセックスを埋めるのは病気。

  31. 日本将棋連盟 及ばざるは過ぎたるに勝れり « 稼ぐブログ! Says:

    […] macska dot org >> Blog Archive >> 「日本将棋連盟から女流棋士会…トルの通り、どちらも日本将棋連盟の下部組織と位置づけられていた女流棋士会が独立したことに関連して、男女 […]

  32. Tweets that mention macska dot org » 「日本将棋連盟から女流棋士会が独立」報道を巡って -- Topsy.com Says:

    […] This post was mentioned on Twitter by 御子神 and tamny, 菅原 琢(SUGAWARA, Taku). 菅原 琢(SUGAWARA, Taku) said: http://macska.org/article/167 ここにあるチェスの性別差に関する議論が面白かったです。元論文もいず […]

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