フェミニズムと異性愛中心主義:上野千鶴子さんとの対話報告

8/31/2006 - 2:00 am | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

先日このブログで双風舎刊『バックラッシュ!』掲載の上野千鶴子氏のインタビュー「不安なオトコたちの奇妙な〈連帯〉——ジェンダーフリー・バッシングの背景をめぐって——」について、異性愛中心主義的であり、バックラッシュを批判するという形を取りながら上野氏の発言そのものが「ジェンダーフリー」という看板のもとに多少なりとも始まっているセクシュアルマイノリティに関する教育へのバックラッシュではないかと批判した。

その後しばらくその件については放置していたのだけれど、ある方からのアドバイスによって上野さんに「このような批判を書きました」と連絡したところ、上野さんから返事があり、それから3週間かけてそこそこ建設的な対話を持つことができた。現在その対話が一段落したので、そのことについて以下に報告したい。ただし上野氏は対話内容の公開を拒絶したので上野氏に関する部分は直接の引用ではなくわたしが理解する彼女の主張であり、実際の彼女の意図とは違う可能性があるのでご注意を。

わたしの批判を読んだ上野さんの最初の反応は「誤解が多い」「ためにする批判ではないか」というものだった。誤解というのはすなわち、上野氏はセクシュアルマイノリティの排除やセクシュアルマイノリティについての教育を否定してはおらず、否定しているかのように批判するのは誤解に基づくということだ。また、「ミソジニーでないゲイがいるのか」というのは挑発的なレトリックであり、彼女自身を含めミソジニーを持たない人などどこにもいない、自分の内外のミソジニーに抗い続ける人こそがフェミニストであるというのが真意であるということだった。また、「ためにする批判」というのは、すなわち批判したいという気持ちが先にあるためにする批判という意味だ。

誤解ではないかという反論については、わたしはそれこそ上野さんがわたしの批判のロジックを誤解しているのではないかと思った。というのも、今回の批判においてわたしが採用したのは言説分析の手法であり、言説分析は「著者の意図したことが文章の正しい意味である」とする解釈を否定し、文章に隠された意図せざる前提や権力関係を明らかにするものだ。したがって、「それは意図していなかった、だから誤解である」というのではまったく反論にならない。意図すらしていない部分に問題が潜んでいる場合だってあるのだ。

具体的に言うと、「セクシュアルマイノリティに関する教育」を論じるうえで、上野さんはまるで生徒全員がヘテロセクシュアルであり、セクシュアルマイノリティは彼らにとって「ショッキングであり、しかし差別をせずに理解すべき他者」としてのみ立ち表われるかのように発言していたり、あるいは「フェミニズムとゲイとの共闘可能性」を問うことでレズビアンの存在を抹消したりしている。これらの点は、上野さんが意図していようといまいと、彼女自身の内なるヘテロセクシズムが言説の「暗黙の前提」として露呈したのではないか。わたしの批判はそういったものだった。「意図しているかどうか」は最初から問題にしていない。

また、上野さんは「生徒全員がヘテロセクシュアルだとは言っていない」とも反論したが、それは異性愛中心主義のもとではわざわざ言明するまでもないことなのだから「言っていない」というだけでは前提としていないことにはならない。異性愛中心主義社会において、異性愛者は単に多数派であるだけではなく、標準であり無徴なのだから、ほとんどの場合それは言明どころか意識されないまま「暗黙の前提」として通用しているのだ。上野さんの発現は、その「暗黙の前提」をそのまま受け入れてセクシュアルマイノリティを他者として扱っており、生徒の中にもゲイやトランスジェンダーの人がいるという事実をまったく考慮していない。

さらに、「ためにする批判」という点については、このブログの常連読者ならご存知の通り、これまでバックラッシュ派による中傷から上野さんを擁護するような記事をたくさん書いてきた。特に世界日報によるインタビューにおいてミルトン・ダイアモンド氏が上野さんを批判する発言をしたときには、わざわざダイアモンドさんに電話までしてその真意を聞き出し、世界日報の卑劣な取材手法を暴くといったことまでやっており、そのため同紙の山本彰氏のうらみを買って8月24日付けの記事で大々的に批判までされている(これについては反論を準備中)。

そこまでしているのに、わたしが寄稿した同じ『バックラッシュ!』の中で上野さん自身があのような発言をしていたことは、わたしにとってショックだったし、ブログを読んでくれている読者に対する責任も感じた。都合のいい時だけ擁護して、都合が悪くなると見て見ぬ振りでは許されないだろうと思ったからこそ、『バックラッシュ!』発売直後に急いで批判を書いたのだ。そういう意味からは、「ためにする批判」ほどわたしの心情から遠い表現はないと言える。

さらに、上野さんは当初わたしのことを「ジェンダーフリー」支持派であり「男女平等」という言葉に否定的な立場だと思っていたらしいのだが、わたしはむしろ「ジェンダーフリーはいらない」という上野氏の主張に同調するからこそ、なおさら一部の人が感じている「ジェンダーフリーを男女平等に言い換えることは、セクシュアルマイノリティの権利を後退させることになるのではないか」という懸念に敏感になるべきだと考えている、とも伝えた。「ジェンダーフリー」の看板はいらないと主張するのであれば、「ジェンダーフリーの看板を取り除いてもセクシュアルマイノリティに関する教育はできる」という点を強調するべきであるのに、インタビューにおける上野氏の発言は逆にかれらに不安を抱かせ、「ジェンダーフリー」という看板に固執させるような内容だったと思う。

そうした説明に対し、上野さんからは「言説の意図と効果のずれ」に関しては彼女自身が常に指摘してきたことであり、意図でなく効果が問題だという意味であればわたしの懸念はあたっているかもしれない、次回からはもっと注意深く発言しようと思った、との回答が来た。また、ゲイの男性に対する挑発の部分は上野さんが持つ男性一般に対する強い不信感の反映であり、レズビアンを「セクシュアルマイノリティ」の運動から引き剥がし「女性」ジェンダーの運動に引き入れる「言説の政治」を遂行している、という指摘も正しいと認めた。

しかし、わたしにはまだいくつか疑問が残った。第一に、わたしはただ単に「上野さんの発言には意図せざる効果があった」ことを指摘しているのではなく、上野さんの発言が彼女自身の意図せざる異性愛中心主義を露呈しているからこそ、セクシュアルマイノリティの人たちを疎外し、かれらが「ジェンダーフリー」の看板により固執するという「効果」を巻き起こしたのであり、ただ漠然と意図せざる読み方をされたように言うのは正しくない。そうだとすると、今後「注意深く発言する」だけでは自分の中に潜む異性愛中心主義に正面から向き合うことにはならず、対処として不十分ではないか。

第二に、上野さんの中に「男性に対する強い不信感」があるのであれば、なおさらゲイの男性を含めたセクシュアルマイノリティの側にも「ヘテロセクシュアルのフェミニスト」に対する強い不信感がある可能性にも敏感になるべきではないか。例えば、この世にミソジニーから完全に自由な人などいないと分かっていながら、ゲイの男性に限って「ミソジニーから自由でない」ことを理由に共闘できないなどと言う事は、他の人には決して要求しないような無理難題をゲイの男性だけに押し付けているように見える。こうした言動はフェミニストとゲイのあいだの相互不信を深めるばかりであり、それによって最も被害を受けるのはレズビアンやバイセクシュアルの女性たちだ。

第三に、レズビアンを「女性」ジェンダーの側に引き入れる「言説の政治」を遂行していると上野さんは認めるが、その事に対するわたしの批判を彼女がどう受け止めたのかまったく分からない。わたしはそうした政治はレズビアンに対して「『ジェンダー』か『セクシュアリティ』かどちらかを選べ」と迫ることになり、それ自体不当であるばかりか、フェミニズムにおける議題設定に置いて「女性」という側面においてのみ抑圧されている人たちを特権化するから批判しているのだが、上野さんがそれに同意するのかしないのか、また同意しないならどのような理由によるのかはっきりしない。

そうした疑問に対し、上野さんからは自分は異性愛者だが異性愛中心主義者とならないように務めており、今後「注意深く発言する」というのもただ単に「政治的に正しい」物言いをするという意味ではなく、自分の無知や無理解を改め本来の意味でより多様性への配慮をしようと思っている、という回答を得た。また、セクシュアルマイノリティの人たちのあいだで「ヘテロセクシュアルのフェミニスト」に対する不信感を広めてしまったとしたら残念だとしたうえで、レズビアンを「女性」の側につなぎ止める「言説の政治」については、その暴力性を自覚しており批判は受け入れる、とのことだった。

わたしの批判に納得がいかない主な点としては、長いインタビューのうちこの部分だけに限って批評したこと、レズビアンをセクシュアルマイノリティの運動から引き離してフェミニズムに引き止めるという問題はあるにしても、「ゲイとフェミニズムの共闘が可能か」という問いは成り立つのではないかということなどが挙げられていた。一部に限って批評したことは別におかしくないと思うのだが、上野さんの印象を悪くしたことは確かだろう。

意図の有無に関わらずインタビューにおける発言に問題があったと考えるのであれば、わたしに対してそれを認めただけでは不十分だろう。その点について聞いたところ、上野さんは『バックラッシュ!』の次の版が出るときに、該当箇所を改訂することで対処するという意志を表明していた。わたしとしては、せっかくだからこのブログにおいて対話の全文を公開するなり、上野さん自身の「まとめ」を掲載するなどして欲しかったし、そもそも『バックラッシュ!』がこれ以上版を重ねるかどうかも怪しいのだけれど、とりあえず対話がまったくの無駄ではなかったことは嬉しい。『バックラッシュ!』の次の版に限らず、今後セクシュアルマイノリティの問題ーーや、その他のマイノリティ問題ーーについての発言をする際は、よりきちんと配慮した発言を期待したい。

この対話を終えての感想だが、わたし自身、内外のミソジニーやその他のさまざまな抑圧や権力の不均衡に抗い続ける必要性を痛感する立場であり、同じフェミニストとして異性愛中心主義に抵抗する姿勢を上野さんと共有できたことは嬉しく思った。また、上野さんにこのように柔軟に対応していただいたことは、わたしにとって直接的コミュニケーションへの信頼を少しばかり回復することになった。と同時に、上野さんほどの人がセクシュアリティの問題についてあれほどまで無神経というか無防備な発言をし、その問題を分かってもらうためにこれだけの労力が必要であったことは、日本のフェミニズムにとって大きな問題かもしれない。とはいえ、最後まで対話を続けてくださった上野さんに感謝したい。

*上野さんへ。上記はすべてわたしの主観に基づくまとめですから、もしこれを読まれたら「ここは違う」と感じる部分があるかもしれません。もしそう思われたのでしたら、いまからでも「対話の全文公開」もしくは「上野さんの立場からのまとめ掲載」に応じますので、ご連絡ください。コメント欄に直接書かれても構いません。

46 Responses - “フェミニズムと異性愛中心主義:上野千鶴子さんとの対話報告”

  1. oji Says:

     興味深いやりとりのご報告を読ませていただき、ありがとうございます。

    >自分の中に潜む異性愛中心主義に正面から向き合うことにはならず

     自分の「中に」であれ、他人の「中に」であれ、「潜む」なにかを問題化するのは行き過ぎではないか、と個人的には思います。外にあからさまに出ているそれこそ「言説」をそのものとして問うていけばよいのではないでしょうか。macskaさまは、決して彼女の「内なるなにか」を見抜いたのではなく、「注意深く発言する」という表現そのもの(の意味しうること)が引っかかったわけで、その点はたしかに間違っていません(文脈としても普通の日本語感覚からしても)。

    >今後「注意深く発言する」というのもただ単に「政治的に正しい」物言いをするという意味ではなく、自分の無知や無理解を改め本来の意味でより多様性への配慮をしようと思っている、という回答を得た。

     まともな対応だと思います。どのように読まれうるか、読まれたか、ということをきちんとふまえた対応ですね。「バリバリの生物学者」やその周囲の雑音との違いでしょう。真理値(あるいは蓋然性)を変えることなく別の表現が可能であるかぎり、表現の適否にこだわることはかならずしも学問の自由を脅かすことにはなりません。詩人の自由は脅かすことになるのかもしれませんが・・・。

  2. 芥屋 Says:

    >そこまでしているのに、わたしが寄稿した同じ『バックラッシュ!』の中で上野さん自身があのような発言をしていたことは、わたしにとってショックだったし、ブログを読んでくれている読者に対する責任も感じた。都合のいい時だけ擁護して、都合が悪くなると見て見ぬ振りでは許されないだろうと思ったからこそ、『バックラッシュ!』発売直後に急いで批判を書いたのだ。そういう意味からは、「ためにする批判」ほどわたしの心情から遠い表現はないと言える。

    まさにそのとおりだと思うんですね。だからこそ意外と核心はここじゃないのかなぁ。あえて突き放した言い方になるんですが、これだと、「そりゃmacskaさんの自己都合でしょ?」みたいな感じもあるわけですよ。私が上野の立場なら、「あなたに弁護を頼んだ覚えはないのだけど弁護を買って出てくれるのは嬉しくないわけではない。でも、弁護した以上これは見過ごせないから批判するんだみたいなことを言われても私は困る」という気持ちになるかもしれない。それが「ためにする批判」という言い回しに込められた違和感の表明かなぁ、とか。でも私はmacskaさんの書くものを追ってきたので、件の批判が「ためにする批判」だとは全く思わないし、私が上野の立場でもそんな言い方はしないと思うけど。

  3. 芥屋 Says:

    >今回の批判においてわたしが採用したのは言説分析の手法であり、言説分析は「著者の意図したことが文章の正しい意味である」とする解釈を否定し、文章に隠された意図せざる前提や権力関係を明らかにするものだ。したがって、「それは意図していなかった、だから誤解である」というのではまったく反論にならない。意図すらしていない部分に問題が潜んでいる場合だってあるのだ。

    これもそのとおりなんですけど、私に理解できないのは、こう書いているmacskaさん自身が「上野(その他のフェミ言説)の書いたこと」「自分の書いたこと」について、そのような批判に拒絶的であることが非常に多いんですよ。テキストの解釈論すら拒絶する(自分の読解・意図ではないものを「不当」として強要する)ことが多くないですか? ですからここでも、このような批判は「ためにする批判ではない」と力説している本人が、自分や上野の言説について他者がなす批判には安易に「批判が自己目的化している」「粘着だ」などなどの言葉で議論を放擲するのは「言ってることととやってることが違うじゃん」と感じてしまう。「意図すらしていない部分に問題が潜んでいる場合」の適用が、なぜに自己都合の中で完結しているのかな、と。

    macskaさんから、上野の問題として「障害者や在日などのマイノリティへの意識が全く感じられない」と私に言われたことがありました。私は、上野は上野なりに意識して取り組んでいるんだとお答えしたことがありました。ただし、そこで問題になるのは、意識して取り組んでいるということと、実際には全く無理解な偏見に満ちた言説が繰り返し出てくるということの「意識と言動の乖離」でしょう。上野の、macskaさんが批判する面での無理解はひどすぎると私も思う。その一方で、上野自身は強く意識しているのも事実です。だからこそ、上記のmacskaさんの批判の主旨にも同感であるのです。

    >上野さんからは「言説の意図と効果のずれ」に関しては彼女自身が常に指摘してきたことであり、意図でなく効果が問題だという意味であればわたしの懸念はあたっているかもしれない、次回からはもっと注意深く発言しようと思った、との回答が来た。

    >今後「注意深く発言する」というのもただ単に「政治的に正しい」物言いをするという意味ではなく、自分の無知や無理解を改め本来の意味でより多様性への配慮をしようと思っている、という回答を得た

    上野はそうした「ずれ」も意識しており敏感でありたいと実践している人であるのに、でも同じことを繰り返す。自閉性症候群の時にも同じ「反省の弁」を述べていたのに、まったくそれがいかされていない。「言説の意図と効果のずれ」といった次元の問題ではないのではないですか?それだけ強く意識しているはずの人から、何であのような発言が繰り返し出てくるかということは、やはり「意識の程度」とは別の問題があるんじゃないかと私は思いますね。それは思想信条からくるものだと私は自分のブログに批判を書いたのですが。

  4. 芥屋 Says:

    >ojiさん

    他板で自分に対してなされた批判に答えずに持ち出すのはいかがなものかと思いますが、このエントリに関連しなくもないようなので(少なくともあなたには)ここでも指摘したいと思います。
    http://nosumi.exblog.jp/3505799/

    >自分の「中に」であれ、他人の「中に」であれ、「潜む」なにかを問題化するのは行き過ぎではないか、と個人的には思います。

    しかしあなたの大隅先生への批判?は、外にあからさまに出ていないようなことを他人の「中に」読み、そこに「潜む」なにかを問題化していたではないですか。そしてその挙げ句、科学者が公の場でこのような問いを発すること自体が問題だとされました。それがあなたの言う、

    >外にあからさまに出ているそれこそ「言説」をそのものとして問うていけばよいのではないでしょうか。

    なのですよ。そのような問題化は間違っているという私とtpknさんとろれさんの指摘には全く答えようともせず、いきなりここで、

    >「バリバリの生物学者」やその周囲の雑音との違いでしょう。真理値(あるいは蓋然性)を変えることなく別の表現が可能であるかぎり、表現の適否にこだわることはかならずしも学問の自由を脅かすことにはなりません。詩人の自由は脅かすことになるのかもしれませんが・・・。

    ですか。私たち三人は学問と言論の自由についてあなたを批判したのであって、詩を論じたのではありません。というか、あなたの幼稚な「政治的ポエム」を批判したのですから、全くの自己投影ですね。

  5. 芥屋 Says:

    肝心のお題について少し。

    >「ミソジニーでないゲイがいるのか」というのは挑発的なレトリックであり、彼女自身を含めミソジニーを持たない人などどこにもいない、自分の内外のミソジニーに抗い続ける人こそがフェミニストであるというのが真意であるということだった。

    macskaさんはこれで少し「そうだったのか」と思われたのでしょうか。私は当初macskaさんが書かれた、以下の文を思い出しました。

    >ミソジナスでない相手としか共闘できないというなら、ミソジニーを一切内面化していない女性なんていまの世の中のどこにいるというのか。仮にその点を問わないにしても、

    「ミソジニーでないゲイがいるのか」というのは挑発的なレトリックだ、という言い訳を私は認めていいものかと私は思います。そんなレトリックの必要は全くないことはmacskaさんが書かれていたことで充分なはずです。私自身は「ミソジニーを一切内面化していない女性なんていまの世の中のどこにいるというのか」という問いに対して疑問符もあるのですが、それはさておくとして、上野とmacskaさんのいうとおりだとしたら、なぜに「ゲイ」を名指しする必要があるというのか。つまり「フェミニズムはノンケでストレートの女と共闘できるのか」という問いを上野はすべきであったことになりませんか?

    しかし単にゲイは「女嫌い」云々ではなく、それがゲイの「アイデンティティ形成」なんだとしているんですから、あくまで挑発的なレトリックであったのだとすれば、上野のアイデンティティ形成論はいったい、何だったのでしょうか。上野は、挑発的なレトリックとして、あのように他人のアイデンティティ形成を雑に断じることができるのでしょうか。しかも世間から白い目で見られがちな属性について?・・・私は、上野にホモフォビアがあるとかないとか断じる根拠は全く持ちません。そんなフォビアが上野にあるなら話はいたって単純になるとさえ思うのですが、そんな単純な話かどうか、私は疑問に思うのです。

  6. 純子 Says:

    >言説分析は「著者の意図したことが文章の正しい意味である」とする解釈を否定し、文章に隠された意図せざる前提や権力関係を明らかにする。

    これを、俗世間の言葉では「揚げ足をとる」とか、「因縁をつける」という
    主に、ヤクザなどが、喧嘩を売るときに使う手法。

    フーコーみたいに、何世紀も前の古文書などを対象として行うなら、問題もないし、意義もあるのだが、現在、存命中の方の文章や発言に対してやると、まず、間違いなく、ケンカを売って、いらぬ争いを増やそうとしていると受け取られるような気もするのだがなあ。

  7. makiko Says:

    私は上野氏のインタビューは、最初から優先順位の問題だと思っていたのですが。
    いまどきジェンダー、セクシュアリティ関係の研究者や運動家で、公然と異性愛主義を唱える人はいないとは思いますが、いろいろリソースが少なくなる中、優先順位をめぐるマイノリティ間の議論や衝突は今後増えて来る気がしますね。
    ジェンダーフリーでなく、男女平等に戻れ、という言説が説得力をもつとしたら、メンズリブや性的マイノリティの運動が出て来て、これまで当然に「女性」のものであったフェミニズムが、そうではなくなってきたからだと思います。バックラッシュもあってリソースが限られる中、どれを先に解決するか、という段にになって、「女性」の救済が埋もれてはならない、と。
    確かに、「女性」差別を解決することが同性愛差別やトランス差別の克服につながる、という主張と、それゆえ「女性」差別の克服を優先すべきという主張は、理論的には正当でしょう。しかし、そのために生じるであろう短期的な不利益を、性的マイノリティやいわゆる弱者男性が受忍しうるかは、別の問題だろうと思います。

  8. macska Says:

    makiko さん:
    > これまで当然に「女性」のものであったフェミニズムが、そうでは
    > なくなってきたからだと思います。バックラッシュもあってリソー
    > スが限られる中、どれを先に解決するか、という段にになって、
    > 「女性」の救済が埋もれてはならない、と。

    いやだから、その「女性」のもの、というときの「女性」って誰のことなんですか。上野さんのインタビューにおける「女性」が異性愛・非トランスの女性だけを指しているから批判しているわけで。

    伊田広行氏批判のエントリでも書きましたが、「女性」だけに注目することは「女性」という集団の利益を主張する上でも不十分であるとわたしは思っています。「女性」だけに注目するということは、「女性」という側面においてのみ抑圧を受ける集団を特権化し、それ以外の女性を周縁化することに他なりません。

    > 確かに、「女性」差別を解決することが同性愛差別やトランス差別
    > の克服につながる、という主張と、それゆえ「女性」差別の克服を
    > 優先すべきという主張は、理論的には正当でしょう。

    いや、不当でしょう。もちろん、一人の人間にできることには限りがありますから、ある人が「自分にとってこの問題が切実だし、最も興味があるから」と優先することに文句を付けるつもりはありませんが、ある差別問題より他の差別問題を優先することに理論的な正統性を主張するのはダメですよ。

  9. Josef Says:

    >makikoさん
    「優先順位」というより「権力闘争」の方が近いかなと。女視点からするジェンダー論とセクシュアル・マイノリティ視点からするジェンダー論との権力闘争。上野の権力性は著書を読んでるとそこかしこに感じるのですが、今回についていうと、

    >レズビアンを「セクシュアルマイノリティ」の運動から引き剥がし「女性」ジェンダーの運動に引き入れる「言説の政治」を遂行している、という指摘も正しいと認めた。

    という辺り、端的にそれが現れていると思います。上野のフェミニズムはジェンダーという言葉を手に入れても特に変化したわけではなく、古いマルクス主義が「労働者」を実体化したように、万国に存在する「女」という「実体」に依拠した階級闘争でしかないのですよ、きっと。その辺が、第三世界の女について論じる時にも同じフェミニストから突っ込まれる(岡真理とか)理由ではないでしょうか。

    上野には気の毒ですが、こと「ジェンダー論」に関してはmacskaさんの方が圧倒的に説得力がありますね。上野が素人に見えるくらい、思考の蓄積がまるっきり違う感じです。

  10. makiko Says:

    macskaさん
    >いやだから、その「女性」のもの、というときの「女性」って誰のことなんですか。

    それはこっちが上野氏に聞きたいですよ(笑)
    いや、私はこのところ、その問いを行使することはあえて避けているわけですが、MTFがこの問いを行使すること、というかそこに「自己規定する性別」という回答を置くことの権力性という批判、そしてそれに対するフェミニスト的な回答の不在くらいは自覚していますからねえ。
    その結果として、フェミニズムを語る時の私の立場は「非当事者」であり、メンズリブを語る時の立場は「当事者」です。

    >いや、不当でしょう。

    これは私自身が正当だと思っているというのではなくて、女性の個別利益を主張する立場の人の主張としては、一貫している、当然ありうるといえる、というくらいの意味です。だから、私の立場からすると、もちろん「不当」です。

    Josefさん
    >>レズビアンを「セクシュアルマイノリティ」の運動から引き剥がし「女性」ジェンダーの運動に引き入れる「言説の政治」を遂行している、という指摘も正しいと認めた。

    現実のレズビアンの政治運動は、フェミニズムよりGIDの運動に多くを学んでいますから、上野氏の試みは失敗すると思いますが、

    >古いマルクス主義が「労働者」を実体化したように、万国に存在する「女」という「実体」に依拠した階級闘争でしかないのですよ、

    私はその通りだと思いますが、むしろ今ではジェンダーフリー派の方がそのように捉えられていますね。いや上野氏がそう捉えているという意味ではありませんが。

  11. oji Says:

    >純子さま

     一般論としてはご指摘の通りですが、或る言動が「ヤクザの因縁」かいなかの判別はさしあたりたいてい、つくし、つけていますし、場合によっては(とくに法的には)つけねばならないのです。
     したがって問題は一般論ではなく、この個別事例の判断でしょう。
     ご自身の目には、「ヤクザ」の因縁と同列、あるいは「いらぬ争いを増やそうとしている」だけ、とみえておられる、ということでしょうか?

     私自身は、すでに書きました通り、「中に」「潜む」というような表現に若干の問題は感じますが、「いらぬ争いを増やそうとしている」とはみえません。だから上野氏も、「ためにする批判では」との当初の疑念はあったにせよ、真摯に回答されているのではないでしょうか?

  12. macska Says:

    makikoさん:
    >> いやだから、その「女性」のもの、というときの「女性」って誰のことなんですか。
    >
    > それはこっちが上野氏に聞きたいですよ(笑)

    (笑)
    いやそこは、トランスジェンダーの問題とか、「女性」という言葉が指し示す範囲がはっきりしていない、曖昧であるみたいな事を言っているわけではなくて、仮に「女性」という言葉が示す範囲がはっきりしていたとしても、それでも「あなたが『女性の利益』とか『女性の問題』という時に、その『女性』とは具体的に誰のことを指しているのか」という疑問がありうるわけですよ。わたしはそういう話をしているわけで。

    なぜそういう疑問が生じるかというと、例えば「女性」の問題が優先だから、同性愛者の問題は後回しにすると決めた場合、それはすなわち「異性愛者の女性」の問題を優先して「同性愛者の女性」の問題を後回しにすると決めているわけで、そこで優先されている「女性」は本来「女性」が指し示す範囲よりかなり限られているわけです。全く同じことが、セクシュアリティだけでなくほかの問題でも成り立ちます。そういう話をわたしはしているわけで。

    > これは私自身が正当だと思っているというのではなくて、女性の個別利益を主張する
    > 立場の人の主張としては、一貫している、当然ありうるといえる、というくらいの意
    > 味です。だから、私の立場からすると、もちろん「不当」です。

    うーん、それは「女性の個別利益を主張する立場」の主張ではなくて、「女性という要素を除いて何の抑圧も受けていない立場」、すなわち「女性であるほかは、さまざまな面において特権を受けている立場」の主張としてならありそうだ、ということになります。が、そういう立場の人が自分の利益だけを考えるような主張をすることはどう考えても「不当」であって、何か前提が違えば正当とされるような問題ではないはずです。

  13. 芥屋 Says:

    >純子さん

    >>言説分析は「著者の意図したことが文章の正しい意味である」とする解釈を否定し、文章に隠された意図せざる前提や権力関係を明らかにする。

    macskaさんのこれ↑についてですが、私はフーコーの権力論はよくわかっていないし方法論としての是非如何にも踏み込めないのですが、筆者・発言者が用いた論理はひとり歩きしますよね。ですから表現された論理を、筆者・発言者の内心の問題にして是非を判断するよりはむしろ論理的帰結を問うべき場合も多い、ということではないでしょうか。ですからここでは、フーコー流の方法論の是非というより、上野の論理とmacskaさんの論理とを比べてみて当否を考えたいなぁ、と。単なるPCの問題になっちゃうとアレですが。

    >現在、存命中の方の文章や発言に対してやると、まず、間違いなく、ケンカを売って、いらぬ争いを増やそうとしていると受け取られるような気もするのだがなあ。

    確かにそれもありますね。「えぇ?何でそんなこと言うの?」と思ったときには、いきなり批判するのではなく、その表現の真意を尋ねるほうがいい場合も多そうです。macskaさんも私にそう要望するくらいですし、気持ちの問題としては無視していいことじゃないですよね。
    http://macska.org/article/140

    ただし今件は、上野の真意をmacskaさんは却下しているわけではないし、上野のこのような発言は何回もありますので今さらに「そんな意図ではない」と筆者が言うからといって、「そういう意図ならいいよ〜」と言えるかといえば、どうでしょう。

  14. 純子 Says:

    「言わぬが華」

    という言葉もあるから、存命中の方の文章を言説分析するのは、注意したほうがよいのでは……ということです。「素人目にはこう見えるよ」というか。

    ちなみに、macskaさんだけじゃなくて、上野先生も「言説分析」(因縁をつける)の手法を多用するくせがあります。
    それを、やってるうちに、本人自身がいったい誰のために、何に対して因縁をつけていたのかわからなくなってしまうことがあって、今回のはそのケースかなとも思う。

  15. macska Says:

    「素人目にはこう見える」とさえ前置きさえすれば、どんなくだらないことでも無責任に言えるという良い例ですね。
    そういう発言こそが最も無意味な因縁なんじゃないかと思いますが。

  16. マサキ Says:

    純子さんへ

    > 存命中の方の文章を言説分析するのは、注意したほうがよいのでは……ということです

    存命中に「そういう意図じゃなかったんだよ」と言うチャンスをあげるのって、学者に対してはとても優しい態度なんじゃないかと思いますが(笑)

  17. oji Says:

    >マサキさま
    >とても優しい態度なんじゃないか

     なるほど・・・。
     まあ、学者にかぎらず、チャンスをいかせず、ますますその知性・品性を露呈していく人もいるわけで、こうしてみると、優しすぎるのも考えものですね(笑)

  18. makiko Says:

    補足的なことですが、

    >第二に、上野さんの中に「男性に対する強い不信感」があるのであれば、

    かなり前の文章ですが(岩波のジェンダー講座で、別冊男性学というタイトルの本の序文だったと思います。今手元になし)、上野氏はMTF異性装者に対しても強い不信感を表されてましたね。なぜか「トランスセクシュアルはともかく」と前置きがあったりしたのですが。というか、日本語文献でフェミニストからのトランスバッシングは、唯一これだけであったりするわけですが。

    macskaさん

    >そこで優先されている「女性」は本来「女性」が指し示す範囲よりかなり限られているわけです。全く同じことが、セクシュアリティだけでなくほかの問題でも成り立ちます。そういう話をわたしはしているわけで。

    ん、これはたぶんmacskaさんと私の立ち位置の違いが反映されているのだと思う。一旦「女性」の圏外に退却している私から見ると、そもそも「女性の利益」というのは他者の利益であって、直接的には私の利益ではないから。

    >すなわち「女性であるほかは、さまざまな面において特権を受けている立場」の主張としてならありそうだ、ということになります。が、そういう立場の人が自分の利益だけを考えるような主張をすることはどう考えても「不当」

    ここでこのような言葉をmacskaさんから聞けたのは、うれしいような、それでもひっかかると言えば、これまでのいわゆる弱者男性論の中でも、これは妥当するのか、ということです。すなわち、男性であることからは特権を受け*うる*けど、さまざまな面において特権を受けていない立場と比較しても、やはりこの結論は維持されるのか、ということですが。

    あと、
    >セクシュアルマイノリティの人たちを疎外し、かれらが「ジェンダーフリー」の看板により固執するという「効果」を巻き起こしたのであり

    これはmacskaさんの言葉であると理解して、やはり「ジェンダーフリー」の看板に固執することは、価値判断として、良くないということを含んでいるのですか? だとしたら、どのような対案を提供されようとしているのですか? それは山口智美さんあたりが提唱されているようなアイデンティティ政治なわけですか?

  19. macska Says:

    makiko さん:
    > ん、これはたぶんmacskaさんと私の立ち位置の違いが反映されている
    > のだと思う。一旦「女性」の圏外に退却している私から見ると、そも
    > そも「女性の利益」というのは他者の利益であって、直接的には私の
    > 利益ではないから。

    ご苦労さまです。わたしも一時期自称ジェンダークィアだったんですが、ジェンダークィアという概念そのものがアンチアイデンティティからベタなアイデンティティに変質してしまって以来、ただ単に「性自認」にこだわらないことにしています。

    ところが、こだわらなければ「女性」もしくは「男性」として普通に社会に埋没しがちなわけですから、わたしが特に「女性」と自認しなくても、「女性」圏内に安住してしまっていることは否定できない。圏内にとどまっていたいと思うわけではないけれども、わざわざ圏外にまで退却する理由も特にないというか。

    > それでもひっかかると言えば、これまでのいわゆる弱者男性論の中で
    > も、これは妥当するのか、ということです。すなわち、男性であるこ
    > とからは特権を受け*うる*けど、さまざまな面において特権を受けて
    > いない立場と比較しても、やはりこの結論は維持されるのか、という
    > ことですが。

    ん? 言っていることがよく分かりませんが。

    わたしは「弱者男性」なんてカテゴリへの配慮の必要性を認めませんが、女性を含んだ(もちろん男性も含まれている)経済的弱者や底辺労働者への配慮であれば一貫して主張していますよ。そこから男性だけを外すという話はしていない。

    > これはmacskaさんの言葉であると理解して、やはり「ジェンダーフリー」
    > の看板に固執することは、価値判断として、良くないということを含ん
    > でいるのですか?

    文脈上分かると思いますが、ここは上野さんの価値判断において「ジェンダーフリーより男女平等が良い」とされていることを前提に、そうあなたは言うけれども、あなた自身の発言が人々を「男女平等」より「ジェンダーフリー」にしがみつく要因となっていますよ、と指摘したものです。

    わたしの価値判断としては、はっきり言ってどっちでも良いし、どっちも個人的にそれほど好きではない。ただ、ある特定の看板を守り通すことが自己目的化しちゃった人も中にはいて、そういうのはおかしいんじゃないかと。例えば伊田広行さんが新刊の「『ジェンダー』の危機を越える!」(青弓社)に「フェミニストの一部がどうしてジェンダーフリー概念を避けるのか」という文章を載せていて、それがまたヘンなので、近い将来扱う予定です。

    > だとしたら、どのような対案を提供されようとしているのですか?

    看板より中身を見ようよ、ってのじゃダメですか? 看板の定義争いばかりやってても仕方がないし。

    > それは山口智美さんあたりが提唱されているようなアイデンティティ政
    > 治なわけですか?

    山口さんがアイデンティティ政治を提唱されているとは思いませんが… 具体的な記述で示していただけますか?

  20. makiko Says:

    macskaさん
    >ご苦労さまです。

    あのね、私も好き好んで男性ジェンダーなんか引き受けたくないですよ(苦笑)。

    2年ほど前、大阪の現在はレズビアン中心の団体になっているところで、生まれながらに女性としての経験をしていない人とは連帯できない、とか言われて以来、公の場で女性だとかレズビアンだとか言うことはやめてますし、性同一性障害だけでなくトランスジェンダーですら、家元制度みたいに、ある特定の当事者の一派みたいなコノテーションがついている状況では使いたくないですし(笑)、ジェンダークィアというのはその意味で日本では手垢がついていないし便利だったのですが…。
    ただ、ここまでだけでは「男性」を引き受けるということにまで結びつかない。これを引き受けなければならないと思ったのは『バックラッシュ!』が出てからです。その理由はもう少し下で。

    >わたしは「弱者男性」なんてカテゴリへの配慮の必要性を認めませんが

    私なりに定義しておきますと、「社会的に男性という立場に立つことを期待されながら、男性という立場を十分に引き受けることが出来なくて、社会的に不利益を受けている人」です。これは、他の理由(人種、障がい、性的指向/嗜好、被差別部落等々)が無くても、男性というジェンダーそのものによって起きる不利益なんですよ。これは、私が生まれながらに受けてきたことであるし、今も直面している課題です。
    この層も、男女平等ではすくい切れずに、どちらかと言えばジェンダーフリーの方に親和性があるグループではありますが、現在では反対にバックラッシュに流れていることが多いと考えられます。
    そして蛇足ですが、MTFやMTXに該る人とこの層は、FTMやFTXとタチ女性の関係がそうであるように、ズルっとつながったりしています。

    macskaさん、恐らくはご存じ無いというよりは政治的に、意図的に無視してらっしゃるのでしょうが、それならばあなたも同性愛者やトランスジェンダーの存在をことさら無視していた、さらに観念的に男性への不信感をあらわにしている上野氏と変わりありませんよ。
    というか、私自身、ここのところのmacskaさんの弱者男性論批判に、かなり不信感を強めています。

    >わたしの価値判断としては、はっきり言ってどっちでも良いし、どっちも個人的にそれほど好きではない。

    へぇ、そうなんですか? てっきり男女平等派だと思っていましたので。

    >看板より中身を見ようよ、ってのじゃダメですか? 看板の定義争いばかりやってても仕方がないし。

    だから、その中身をお聞きしているのですが。

    6.10座談会の時点では、ジェンダーフリーをなにがなんでも擁護するつもりはありませんでしたが、それぞれの立場に立つ人が個別に動きながらも、ゆるやかに手を取り合うみたいなイメージを持っていました。しかし、実際に本を手に入れて精読してみると、私の方が甘く見ていたというか、上野インタビューを中心に、予想以上にセカンド・フェミニズムへのアンワインドだという印象を強めました。
    その中では当事者の包摂よりは純化の方向に向かう懸念を払拭できないし、その中で過剰に男性の特権性について責任を負わされるのは、実際に特権を持っていてジェンダー論なんかにも目もくれない男性でなく、今そこにいるジェンダー論に救いを求めている男性になるのが、これまでの私の経験から予想されることです。ならきっちり立場を取って戦った方が身のためか、というのが今の私の見通しです。
    (この辺は、いずれ第2次メンズリブみたいな題で自分ところでまとめます)

    >山口さんがアイデンティティ政治を提唱されているとは思いませんが… 具体的な記述で示していただけますか?

    山口さんについては、『バックラッシュ!』ブログでちょっと議論になりかけましたが、その後山口さんが乗られませんでしたね。この辺の議論はここで空中戦をやっても仕方がないので、私のところでやります。
    では聞き方を替えて、macskaさんは、脱構築の政治からアイデンティティ政治への回帰を指向されますか?

  21. ともみ Says:

    makikoさん、『バックラッシュ!』ブログでの議論の件、おぼえています。あの後すぐキャンペーンが終わってしまったので、機を逸しておりましてすみません。ちょっと今(日本滞在中)はじっくりとネットにむきあう時間がとれないので、後日、私のところでも何か書けたらと思っています。

  22. macska Says:

    makikoさん:

    あのね、私も好き好んで男性ジェンダーなんか引き受けたくないですよ(苦笑)。

    ジェンダークィアまでは知ってましたが、男性ジェンダーまで引き受けているとは知りませんでした。政治的レズビアンみたいな意味で「政治的男性」を指向しているのでしょうか?

    ジェンダークィアというのはその意味で日本では手垢がついていないし便利だったのですが…。

    日本では makiko さんがパイオニアですから、好きなように使えば良いのでは。

    私なりに定義しておきますと、「社会的に男性という立場に立つことを期待されながら、男性という立場を十分に引き受けることが出来なくて、社会的に不利益を受けている人」です。

    ええ、ですからどうしてそれを「男性」として切り出す必要があるんでしょうか。「社会的に期待されたジェンダー・ロールやジェンダー・ステレオタイプに合致しないために不利益を受けている人」への配慮というか、そういう人をそもそも生み出さないような社会的期待の変化が必要だとわたしは思っていますが、どうしてそこで「男性」だけ特権化して扱わなければいけないのか分かりません。

    もちろん、女性ジェンダーを引き受けられなくて不利益を受ける女性と、男性ジェンダーを引き受けられなくて不利益を受ける男性では、全く同じ経験ではありません。だから、「ジェンダー・ロールやジェンダー・ステレオタイプに合致しないために不利益を受けている人」を支援するような社会的取組みの中で「男性」に注目することはあっても良いと思います。

    しかし、「弱者男性」論を主張する人たちが、「女性」は既に差別を受けていない、不利益を受けていないと決めつけたうえで「男性」だけに限って「ジェンダー・ロールやジェンダー・ステレオタイプに合致しないために不利益を受けている人」の存在を社会的問題として扱えと強要するということがよくあるわけで、それは認められない。

    というか、私自身、ここのところのmacskaさんの弱者男性論批判に、かなり不信感を強めています。

    どうも makiko さんはわたしの立場を誤解しているように思うのですが。わたしは「弱者男性」とされる人たちが配慮を必要としないということは一言も言っていない。そうではなくて、「弱者男性」への配慮を主張する人たちが、「弱者女性」やその他の「弱者」への配慮を否定し、「弱者男性」だけが特別に配慮を必要とする集団であるかのように主張することを批判しているのです。

    へぇ、そうなんですか? てっきり男女平等派だと思っていましたので。

    なんでだよ!(笑) 「ジェンダーフリー」ならこれまで数えきれないくらい擁護してきたけど、「男女平等がいい」なんて全然言ってないよ。ホントにもう、一体どこをどう読めばそういう印象を受けるのか。

    しかし、実際に本を手に入れて精読してみると、私の方が甘く見ていたというか、上野インタビューを中心に、予想以上にセカンド・フェミニズムへのアンワインドだという印象を強めました。

    上野さんへの意見はメールで送ってみてはいかがでしょうか。わたしに答えてくれたくらいですから、makiko さんにも答えてくれるかもしれません。

    その中で過剰に男性の特権性について責任を負わされるのは、実際に特権を持っていてジェンダー論なんかにも目もくれない男性でなく、今そこにいるジェンダー論に救いを求めている男性になるのが、これまでの私の経験から予想されることです。

    はい、だからわたしは上野さんのフェミニズムを再三批判しているわけで。

    では聞き方を替えて、macskaさんは、脱構築の政治からアイデンティティ政治への回帰を指向されますか?

    するわけがないでしょ! もともとわたしは「脱構築の政治」にコミットした覚えはないけれど、「アイデンティティ政治」についてはこのブログを初めて以来一貫して否定的な立場を取ってきていますよ。

    アイデンティティ政治に対抗してわたしが取っている立場は、インターセクショニズムとスタンドポイント理論。ひとつ前の記事で「わたしはフェミニズムが女性だけのものだとも、女性だけを救済するものだとも思わないけれども、男性と女性とでは同じようにフェミニズムに関わることはできないと思う」というのは、それらから導き出されることです。アイデンティティ理論であれば「フェミニズムは女性のものだ」と言い切るでしょうし、脱構築の政治(の良くあるパターン)であれば「男性も女性も関係ない」となるでしょうが、わたしの立場から見ればどちらも極端だと思います。

    しかし考えてみたら、これまでこのブログではわたしが依って立つインターセクショニズムやスタンドポイント理論の考え方を実践的に示すのみで、それらがどういう考え方であるのかを説明したことはありませんでした。もしかしたら何かの役に立つかもしれないので、いずれ書いてみようかと思います。

    ところで、今度またチャット座談会やりませんか? makiko さん&山口さんメインで。

  23. makiko Says:

    ともみさん
    >後日、私のところでも何か書けたらと思っています。

    楽しみにしていますです。

    macskaさん
    >男性ジェンダーまで引き受けているとは知りませんでした。政治的レズビアンみたいな意味で「政治的男性」を指向しているのでしょうか?

    ん?、ここでベンジャミン・ストーリーでも語れとでも(笑)。私はたぶん男性としての人生経験の方が多いですよ。昔のアウロラMLなんかでは私は結構メンズリブについても発言していましたよ。
    メンズリブはここ数年は遠ざかっていたのですが、ここにきてまた関わる必要があるかな、と思っているのは政治的ですけど。

    >どうしてそこで「男性」だけ特権化して扱わなければいけないのか分かりません。

    特権化というのでなくて、私の場合は「男性」としての当事者性から言っているだけで。

    >「女性」は既に差別を受けていない

    そこまで言っている人はいるんですか?
    単にフェミニズムへのルサンチマンからやっているよっぽど質の低いメンズリブならいるかもしれませんが。

    >「弱者女性」やその他の「弱者」への配慮を否定し、「弱者男性」だけが特別に配慮を必要とする集団であるかのように主張することを批判しているのです。

    これは了解。

    >一体どこをどう読めばそういう印象を受けるのか。

    本の帯!w

    >上野さんへの意見はメールで送ってみてはいかがでしょうか。

    macskaさんはご丁寧に上野さんの性別二元論関係の発言についてはおとりおきしてくださってますね(笑)
    で、どうやったら連絡つくんですか?

    >インターセクショニズムとスタンドポイント理論

    後日で結構ですから、kwskお願いします。

    >ところで、今度またチャット座談会やりませんか?

    いいですね。ともみさんと私のペーパーが出てからにしましょうか?

  24. macska Says:

    makiko さん:

    そこまで言っている人はいるんですか?

    いますよ。というか、そう言っているから問い詰めたところ、実際には「完全にない」という意味ではなく、「ないと言っても構わない程度にまで減った」という意味だそうですが。わたしに最近噛み付いてきた「弱者男性」論者はたしかにそういうことを言っていました。ちなみに、その人たちはメンズリブに関わっている人でもないと思います。

    特権化というのでなくて、私の場合は「男性」としての当事者性から言っているだけで。

    はい、だから実際に特権化していた人がいたから、わたしはそれを批判していたわけです。ですから、makiko さんがわたしの発言に不審を抱いたというのは、何かの勘違いじゃないかと思うんですけどね。

    本の帯!w

    「男女平等で何が悪い!」ってやつですね(笑) あれは、『男女平等バカ』という本を見たときの谷川さんの素朴な反発ですから。で、その谷川さんが書いたこちらもご参考に

    macskaさんはご丁寧に上野さんの性別二元論関係の発言についてはおとりおきしてくださってますね(笑)
    で、どうやったら連絡つくんですか?

    あとでメール送ります。
    チャット座談会は、山口さんがこちらに帰ってきてからにしましょう。

  25. Tous Les Livres Says:

    [批評]バックラッシュ!なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?…

    お金を払って手に入れるのはあまり気がすすまないので、キャンペーン・ブログにトラックバックして贈呈をねらうも当たらず。斎藤環の論考でもとは取れたと思うべし。上野インタヴ (more…)

  26. o-tsuka Says:

    おーつかです。

    makiko さんへの質問など。

    > 現実のレズビアンの政治運動は、フェミニズムよりGIDの運動に多くを学んでいますから、上野氏の試みは失敗すると思いますが、

    それは保守への陳情戦術という意味で?
    それこそ失敗すると思うけどなぁ。
    GID は「病気」にしてもらうことで成功したのであって、今さら同性愛者がそんな戦術を採用するはずがないと思われます。
    初期のレズビアン運動(「れ組」とか)、トランスジェンダー運動は、明らかにフェミニズムの影響下にありましたね。

    > かなり前の文章ですが(岩波のジェンダー講座で、別冊男性学というタイトルの本の序文だったと思います。今手元になし)、
    > 上野氏はMTF異性装者に対しても強い不信感を表されてましたね。なぜか「トランスセクシュアルはともかく」と前置きが
    > あったりしたのですが。というか、日本語文献でフェミニストからのトランスバッシングは、唯一これだけであったりするわけですが。

    渡辺恒夫(ナベツネにあらず)『脱男性の時代』に登場する、彼が「秘密女装クラブ」(昔はこういうところでしか女装できなかった)で
    取材した銀行員(執筆当時はトップエリート)を、「いいとこどり」と批判した文章でしょうか。
    あれは至極まっとうな批判だったと思います。

    > 同性愛者やトランスジェンダーの存在をことさら無視していた、さらに観念的に男性への不信感をあらわにしている上野氏

    これは言い過ぎだと思う。
    彼女は日本のメンズリブを焚きつけた筆頭者だし、同性愛者とも積極的に対話してきたし、かつてもっとも
    活動的なトランスジェンダーだった蔦森樹とは友人として常に連帯してきた人ですよ。

    /おーつか

  27. makiko Says:

    > 今さら同性愛者がそんな戦術を採用するはずがない

    表だって病気にはしないと思うけど、同性愛は生まれつきで変えられない、自己決定による性的嗜好のような汚らしい奴らと違う、とは今でも言い続けているでしょ?

    > 初期のレズビアン運動(「れ組」とか)、トランスジェンダー運動は、明らかにフェミニズムの影響下

    うん、その通りだけど、だから同性婚なんかには懐疑の目を向けていた。だけど、今の20代以下のLGBはかなり雰囲気違いますよ。
    トランスの場合は、初期のTNJなんかでさえ、今にしたらフェミの影響は強かったと言えるけど、特例法の時に一旦フェミニズムと決別してますやん。これはどこの党派も同じだったわけで。

    > あれは至極まっとうな批判だったと思います。

    ま、ジャニス・レイモンドも、読んでいて全部が全部トンデモというわけでなくて、GID医療業界の男性中心主義なんかは私も物凄く的を得ていると思いますが。

    > 彼女は日本のメンズリブを焚きつけた筆頭者だし、同性愛者とも積極的に対話してきたし、

    いや、だからこそ『バックラッシュ!』での変節に、ここの管理人さんも私も戸惑っているわけでして。

  28. HAKASE Says:

    ども.
    えーと,makikoさんの下の文章,ちょっとステレオタイプ的だなと感じてしまったので,ひとこと
    だけ書かせてください.

    >表だって病気にはしないと思うけど、同性愛は生まれつきで変えられない、自己決定による性的嗜好のような汚らしい奴らと違う、とは今でも言い続けているでしょ?

    確かにそう訴えてる人もいるのは事実だけど,そうでない考えの人だって結構いっぱいいますよ.
    「生まれつきかどうかはわからないけど自分の意志では変えるのは(不可能といっても
    いいくらいに)困難」と考えてる人もいるし,「興味本位に同性と性交渉する異性愛者がいても
    べつにいいじゃん」って考えの人もいます.
    エイズの問題とかの影響もあって,「嗜好でやってるのとそうでないのとでどっちが良いとか
    悪いとか,そういう考え方をするのはよくない(違いはあるので,全てにおいてまったく同じと
    みなされたりするのは困るけど)」という考えの人もいますし.

    同性愛が生得的かそうじゃないか?という議論について言うなら,科学的には判っていないの
    だから,ちゃんと「判っていない」という事実を受け入れよう,という感じの意見があって,それは
    運動しているような人からもよく聞かれる話です.けっこう前から(TVのここが変だよ日本人に
    同性愛者が出てた頃にそれに関連してこの手の話を見た記憶があるんでかなり前だと思う)
    言われてたはずです.

    なので,先の話について,一部の同性愛者にそう考える人がいるという意味なら良いんですけど,
    一般化はしないでいただければと思います.

  29. HAKASE Says:

    自分の考えを書いてなかったので追記です.僕自身は,同性愛が生まれつきかどうかについては,「たぶん生得的な影響と社会的な影響とが両方絡んでる可能性があってその状況はケースバイケースなのでは」と思っててますし,変えられるかについては,他人のことはわからないけど少なくとも自分の場合は(自分の意志だろうが他人の手が入ろうが)不可能と言ってもいいくらい変えるのは困難だ,と思ってます.自己決定による性的嗜好については,互いに合意が得られていて(合意形成に必要な知識が互いにある程度あるとして)他人に一方的に迷惑をかけるようなことがないのであれば,僕がとやかく言う筋合いのものじゃないと思うし,汚らわしいとも思いません.なので,makikoさんの挙げられているのとは全然違う考え方をしています.
    # 話を脱線してしまってすいません.

  30. makiko Says:

    誤解を招く言い方ですみませんでした。一般化ははじめからするつもりはありません。
    トランスの場合もみんながみんな障害だと思っているわけではないですよ。
    ただ、政治の場ではどうしてもそういう言い方をする人の声が大きくなる、ということを
    言いたかっただけです。

  31. o-tsuka Says:

    おーつかです。
    makikoさん、レスありがとう。

    > 表だって病気にはしないと思うけど、同性愛は生まれつきで変えられない、自己決定による性的嗜好のような汚らしい奴らと違う、とは今でも言い続けているでしょ?

    日本の保守にそうした主張を受け入れる度量があるとはまったく思えません。
    また、GID はへテロセクシズムを逆に利用することで政策的に勝利したのであって、ゲイリブには原理的に真似が出来ない。

    > うん、その通りだけど、だから同性婚なんかには懐疑の目を向けていた。だけど、今の20代以下のLGBはかなり雰囲気違いますよ。

    そう?
    わたしの友人知人の20代LGBは、同性婚なんかバカにしている人ばかりだけど(交友関係、偏ってるけどさ)。
    むしろ30代後半の90年代初期ゲイリブ世代が拘ってるっぽい。

    >> あれは至極まっとうな批判だったと思います。
    >
    >ま、ジャニス・レイモンドも、読んでいて全部が全部トンデモというわけでなくて、GID医療業界の男性中心主義なんかは私も物凄く的を得ていると思いますが。

    なら「トランスバッシング」なんて書いちゃマズイでしょう。

    ではでは。

  32. mango Says:

    私もmacskaさんのさいきんの弱者男性論批判に、違和感を感じています。

    macskaさんの言っている内容の「弱者男性」をあるいは「女性」と言い換えて、「男性」を「女性」に言い換えると、そのままバックラッシュ派の言説として通用しちゃうんですよね。

    例えば、以下のようになります(ついでに「makikoさん」を「macskaさん」に入れ替えています)
    =======================================
    しかし、「女性」論を主張する人たちが、「男性」は既に差別を受けていない、不利益を受けていないと決めつけたうえで「女性」だけに限って「ジェンダー・ロールやジェンダー・ステレオタイプに合致しないために不利益を受けている人」の存在を社会的問題として扱えと強要するということがよくあるわけで、それは認められない。

    macska>というか、私自身、ここのところのxxさんの女性論批判に、かなり不信感を強めています。

    どうも macska さんはわたしの立場を誤解しているように思うのですが。わたしは「女性」とされる人たちが配慮を必要としないということは一言も言っていない。そうではなくて、「女性」への配慮を主張する人たちが、「弱者男性」やその他の「弱者」への配慮を否定し、「女性」だけが特別に配慮を必要とする集団であるかのように主張することを批判しているのです。
    =======================================
    なんかものすごく既視感ありませんか?

    個人的にはこの同じ論理の噛み合わないやりとりの不毛さに萎えてきています。

  33. 通りすがり Says:

    有象無象の「弱者男性」論者が抱くルサンチマンの主たる源は、「ジェンダー・ロールを内面化し、またその規範に沿うことで個人的利益を得て(得ようとして)いるマジョリティの女性たち」ではないかとわたしは思うのですけどね。
    (むろん彼女らの個人的=ミクロな戦略が、マクロには「合成の誤謬」という形で女性全体の地位向上を妨げているというややこしさもありますが)
    マジョリティ女性の意識のありようの例http://blog.goo.ne.jp/egrettasacra/e/eb71471cff3d714b0ad1ba9c0212fbf4
    それこそが、自称弱者男性らが「弱者女性>弱者男性」と感じる理由だし、そうしたルサンチマンがフェミニズムへと八つ当たり的に投影されているのではないかと。

    どうして誰もこうした角度から論じようとしないのか不思議でなりません。

  34. makiko Says:

     o-tsukaさん
    > ゲイリブには原理的に真似が出来ない。

    そこ、まだ気付かれてすらいないんじゃないかな…。
    『同性パートナー』で私が書いたのはそこなんだけど、例えば子無し要件なんかが、自分たちの問題だと気付いているLGBなんて誰もいないわけだし。

    > むしろ30代後半の90年代初期ゲイリブ世代が拘ってるっぽい。

    なるほど、あのあたりか(笑)。関西の20代も、その方々も、行動は共にされているとは思いますが、

    > なら「トランスバッシング」なんて書いちゃマズイでしょう。

    いや、アメリカのトランスバッシングにしても、その矛先が制度に向かえば良いのですけど、当座の矛先は制度が擬人化された個々の当事者に向かったりするわけで、それはやはりバッシングと言わずして何なんでしょうか?

    と、スレ違いになってきたので、あとはメールにしましょう。

  35. HAKASE Says:

    すいません.また気になったもので・・・

    >例えば子無し要件なんかが、自分たちの問題だと気付いているLGBなんて誰もいないわけだし。

    確か,法律成立直後にゲイ関連のニュースとかで話題になってた記憶があるし,どこかの団体(か個人かちょっと記憶があいまいだけど)が法律成立直後に関連した議員さん(だったか団体さんだったか)に質問状を出してた記憶もあるんですけど・・・(調べる時間がないのであいまいな情報です申し訳ないのですが・・・).
    僕のようなWebを適当に見てるだけで運動とかしてない自分でも,関連しそうだって話題があがってたのを知ってるくらいだし,「自分たちの問題だと気付いているLGBなんて誰もいないわけだし」ってのは誇張しすぎなんじゃないですか?

  36. makiko Says:

    あ、だからその人たちと本出したんですけど(笑)。
    ここの管理人さんの文もさりげなく入ってますです。
    ま、それでも当事者を国会に送れるチャンスが来て、
    立法が目の前に見えてきているという共同幻想が働けば、
    人間誰でも多少目をつぶってでもという感じになりますね。
    GID特例法前夜を見ていた老兵の戯言ですが…。

  37. macska Says:

    mangoさん:

    macskaさんの言っている内容の「弱者男性」をあるいは「女性」と言い換えて、「男性」を「女性」に言い換えると、そのままバックラッシュ派の言説として通用しちゃうんですよね。

    これほど無意味な発言も珍しいです。「男性」と「女性」とでは社会的に置かれた地位が違う、というのがフェミニズムの大前提なんだから、フェミニストが主張することの「男性」と「女性」を入れ替えたら意味がおかしくなるのは当たり前です。逆に言うと、「男性」と「女性」を入れ替えても意味が通じなければおかしい、という指摘は、「男性と女性は今の社会においてまったく対等な地位である」という前提を必要とします。

    前提が違うのだから、その違いを議論しようというなら良いのですが(というか、この場合そんな事にまで遡って議論するのははっきり言ってごめんですが、一般論としてはという意味)、相手の発言を無理矢理自分の前提に当てはめてあれこれ言うことは全く意味をなしません。

  38. POI Says:

    >これほど無意味な発言も珍しいです。「男性」と「女性」とでは社会的に置かれた地位が違う、というのがフェミニズムの大前提なんだから、

    その大前提は論証され続けているのでしょうか?
    社会変化に応じて論証しなおされ続けなければ、「男性と女性は今の社会においてまったく対等な地位である」という状況になっても、それに気づかず無意味な活動を繰り返してしまうのでは?

  39. macska Says:

    It doesn’t take a weather man to see which way the wind blows とも言います。
    もしかして、POI さんは「ひょっとすると、既に男性と女性はまったく対等な地位になっているかもしれない」と感じておられるのでしょうか? もしそうだとしたら、そういうナイーブさって恐ろしい。

  40. makiko Says:

    またループしそうなので…
    しばらく撤収しますです。。。

  41. mango Says:

    すみません。意図が全く伝わっていなかったようです。

    >相手の発言を無理矢理自分の前提に当てはめてあれこれ言うことは全く意味をなしません。

    私は「自分自身の前提」を当てはめること自体が目的であったわけではなく(ちなみに私自身はジェンフリ派ですよ」)、相手陣営と「同型の論理構造」による批判の応酬になってしまっていることを指摘したかったのです。こういう応酬の形にはまると単に議論はループして声の大きい方が(それぞれの声が通りやすい場所で)勝つだけと予想されるので、不毛なのではないかと思ったのです。

    以上のような意図だったのですが、正直、こういう形で誤解されるとは、思ってもみませんでした。私の書き方が悪かったのでしょう。どちらにしろ実りのある議論にはなりそうにないので、撤収します。

  42. macska Says:

    mango さん:

    私は「自分自身の前提」を当てはめること自体が目的であったわけではなく(ちなみに私自身はジェンフリ派ですよ」)、相手陣営と「同型の論理構造」による批判の応酬になってしまっていることを指摘したかったのです。

    なるほど、mango さんの意図についてはわたしが誤解していたようです。

    しかし、いずれにせよそれらが「同型の論理構造」であるとは思いませんし、「同型」であると判断すること自体が「社会的強者と社会的弱者の関係を無視する」という政治的行為であり、バックラッシュ派の認識を無批判に受け入れていることになります。

    例えば、「若者はお年寄りに席を譲るべきだ」と「お年寄りは若者に席を譲るべきだ」は、形式上まったく同型に見えます。しかし現実問題としてどちらの主張がより妥当かというと、明らかに前者が妥当だと誰でも判断するはずです。ところが mango さんの論理では、どっちもどっちという話になってしまう。そんなバカな話はありません。

  43. mango Says:

    ご返事ありがとうございました。意図をくみ取っていただき、ありがとうございました。

    ただ、私のもともとのコメントの意図とはまた微妙に違う理解をされてしまったようなので(この点の誤解についての責任はすべて私の書き方にあると思います。申し訳ありません)、少し補足させていただきます。

    >しかし、いずれにせよそれらが「同型の論理構造」であるとは思いませんし、「同型」であると判断すること自体が「社会的強者と社会的弱者の関係を無視する」という政治的行為であり、バックラッシュ派の認識を無批判に受け入れていることになります。

    厳密には、「同型」であること自体が問題というわけではありませんでしたので、そう書くべきでした。
    私の懸念は、具体的には、以下のようなものです。

    例えばバックラッシュ派の言説の変遷のパターンとして

    1:「過激すぎるジェンフリ」への批判を(「ジェンフリ批判」として)する
    2:「そんな過激なジェンフリは実際には殆どいないよ」という1へのつっこみが(例えばmacskaさんから)入る
    3;「2のつっこみはそうかもしれないが、私もジェンフリが不必要だといっているわけではなく、その内容とバランスが大事だと言っているだけ」というようなディフェンスをはる(でもたぶん「ジェンフリ批判」の看板は下ろさない)

    というのが多く見られていて、たぶん多くの人が食傷していると思うのですが、macskaさんの「弱者男性論批判」も同じような以下のパターンをたどっているのではないかと懸念しています。

    1:「過激すぎる弱者男性論(弱者男性以外へのケアは実質的に考慮する必要がない、等)」への批判を(「弱者男性論批判」として)する
    2:「そんな過激な弱者男性論者は実際には殆ど(ネットの片隅くらいにしか)いないよ」という1へのつっこみが入る
    3;「2のつっこみはそうかもしれないが、私も弱者男性論が不必要だといっているわけではなく、その内容とバランスが大事だと言っているだけ」というようなディフェンスをはる(でもたぶん「弱者男性論批判」の看板は下ろさない)。

    もし、macskaさんの「弱者男性論批判」が以上のようなパターンを踏襲してしまうなら、それは不毛ではないか、と懸念しております。(このパターンを避けるためには、「弱者男性論」批判を看板として掲げるよりも「弱者男性」に対するケアの「内容とバランスがどうあるべきか」を定性的・定量的に議論したほうが建設的かと思いましたが、それは一長一短にできるものではないのかもしれませんね。)

    私の書き方が足らず、度重なる投稿をしてしまい申し訳ありませんでした。

  44. HAKASE Says:

    makikoさん.
    えーと,実は先の書き込みをする前に一応ざっとですけど当時の話がないかWebで調べました.
    そこではじめて,僕が以前から知ってた本(読んではないです)の共著者にmakikoさんのお名前が
    あるのに気付いたんですが(いろんな所に書かれてたのに,その時までそのことを自覚的には
    認識してませんでした.すいません),そのmakikoさんの文章に「・・・誰もいないわけだし」と
    書かかれてたわけでして・・・.よけいに「あれ?」っと思って,「誇張しすぎなんじゃないですか?」
    という文章でご質問したのです.
    同性愛者の中でも気付いた人がいたということと,一部で話題になっていたということについては,
    誤解なく伝わればと思います.(もちろん居酒屋とかでそういう話が一般に話題になってたかと
    問われれば,そういうのは確かに見たことないですけど).
    # よく知ってる事柄については説明を省略してしまうことが多いということなんでしょうかね・・・.
    # そういう意味では,エントリの本題とちょっとだけ関係ある話なのかも・・・(^^;

  45. C plus M | おともだちとぬえっくに行ってきました。 Says:

    […] では「要素」による情報の整理の問題はというと、例えば「レズビアン」という要素で情報が整理されたとき、そこからは「女」であること、「在日コリアン」であること、「障害者」であること、更に言えば「男」であること、「トランスであること」など、他の要素が削ぎ落とされてしまうという問題が生じる。これは、レズビアンに対して「同性愛者として政治をするならゲイ男性と、女として政治をするならフェミニスト女性とやればいい」と言うことに似ている。「女であること」と「同性愛者であること」の足し算の和が「レズビアンであること」というわけではない。逆に言えば「レズビアンであること」から「同性愛者であること」を引くと「女であること」が残るのでもない。更に、「レズビアンであること」から「女であること」を引いた時に「同性愛者であること」になるとすれば、そこでは「同性愛者」は男性に限定されてしまう。SNSで複数のアカウントを使い分けている人、あるいは日記などの公開レベルを調整してプライバシーをコントロールしようとしている人などにとって、自分が引き裂かれるような思いがあることは多く聞かれることだ。 […]

  46. フェミニズムの歴史と理論 » 「『ジェンダーフリー』ではなく『男女平等』だ」と言うことの危険性 Says:

    […] この批判に対して上野さんと小山さんのあいだで対話がなされ、その結果がまとめられている。 […]

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