社会派の学者たちが創設した「レイチェル・コリー賞」のバカらしさ

2004年12月5日 - 1:21 PM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

進歩派の学者たちが集まるとされる団体が今度「レイチェル・コリー賞」を創設したという発表をメールで受ける。レイチェル・コリーというのはワシントン州オリンピア出身の23歳の女性で、国際連帯運動(本家サイトがダウンしているようなので、ひびのさんのページにリンク)に参加中、パレスチナ人の家屋を守るためイスラエル軍のブルドーザの前に立ちはだかり、轢き殺された。その時コリーさんは光沢性のあるオレンジのベストを身につけておりメガホンでイスラエル兵に破壊をやめるよう呼びかけていたようであり、運転手に気付かれずに事故死したということは有り得ない(つまり、殺害は意図的であった)と目撃者は証言している。
そのコリーさんの名前を付けた賞というから、どういう賞なのか気になったのだけれど、中身はこういうかんじ:

The Progressive SIGs and Caucuses Coalition (PSCC) of the CCCC wishes to honor the memory of this extremely courageous student by recognizing a teacher in the CCCC who has taken professional risks in order to promote social justice through the teaching of writing. It is well known that the politics of hiring, tenure, and promotion often motivate graduate students and junior faculty to write, teach, and serve in “safe” subject and project areas; many are encouraged by mentors to shy away from genuinely “controversial” or “risky” subjects until they are tenured. In making this award, the PSCC hopes, conversely, to encourage writing teachers early in their careers to take on research, pedagogy, and service projects that promote commitment to peace, justice, and human dignity-even when hazarding the ire of deans, chairs, editors, and hiring and review committees.

アメリカの大学では、終身任命を取れるか取れないかで学内のキャリアも評判も給料も愕然と違うため、大学院生の時代からはじまり正式に就職してからの最初の6〜7年のあいだ、熾烈な競争が行われる。そのあいだは自分の上司であり評価者でもある学部長やその他影響力のある人たちを怒らせると終身任命が貰えなくなってしまうので、何か反発が予想されるような新しい教育手法なり研究なりをやりたい人は終身任命を貰うまで大人しくしておいて、終身任命を受けた上でやりたい事をするべきだという風潮が強い。
いや、学内での空気はそんな表面的な事ではよく分からないだろう。実際には、終身任命を貰う前の学者は生活全てを終身任命のために捧げるよう要求されていて、外部から見るとなんでそこまで何もかも犠牲にする必要があるんだと感じるほど異様な雰囲気がある。一方が大学に就職した直後に別れたカップルなんていくらでもいるし、わたしがヤワ系な学問にいたためかノイローゼに陥って脱落したり、自殺未遂を起こしたりした人も知っている。内部の嫌らしいポリティクスのせいで余計な喧嘩に巻き込まれた事もあったりして、大学というのはもはや誰も信用できない世界なんだと思い知らされた。
そんな中で、社会的にインパクトのある何らかの研究なり授業なりをやろうというのは、かなりリスクのある行為だ。例えば、クィア理論の論文をいくら発表しても「発表した論文数」のカウントに含めてくれなかったり、それどころかマイナスに数えられたりするかも知れない。その分野の研究の既存のあり方に疑問を呈するような発表をすると同じ分野の偉い人から嫌われて推薦状が貰えなくなってしまうし、そういう仕事上の話でなくとも上司のセクハラを騒ぎ立てると自分のキャリアもお終いって事になりかねない。もともと終身任命という制度は学問の自由な発展のために取り入れられた制度なんだけれど、それが若い研究者の間では物凄い不自由の原因となっているというところが皮肉。
だから、リスクを背負って社会的な問題について取り上げた研究なり教育をやろうという若い学者に賞をあげたいなら、それはそれでいいのよ。逆にその賞を貰う事が命取りになったりしてね、ははは。でもねー、その賞にレイチェル・コリー賞と名付けるのはちょっとやめてくれないかなー。
終身任命を貰えなくなる危険をおかしてでも社会にインパクトを与える研究をするというのは確かに「勇気」ではあるけれど、それはどう考えても民間の家屋を破壊する軍隊を止めるために無防備でブルドーザの前に立ちはだかる23歳の女性の「勇気」とは別じゃないの。それが同種に見えてしまうのは、上で書いたような学内の異様なマインドコントロール状況があるからなんだけれど、アカデミアでしか通用しない集団妄想でしょ。だいたい、一般の米国の労働者は終身雇用なんてほとんど一生得るチャンスを持たないけど、それで人生終わったりしてないわけよ。
アカデミアという狭い業界の強迫観念にだけ抗ったどこかの学者に賞をあげるのは勝手にすればいいけれど、その賞にコリーさんの名前を付けるのは、侵略軍のブルドーザの前に立ちふさがって殺されたコリーさんに対して失礼じゃん。さらに言うなら、立ちふさがるまでもなく向こうからイスラエル軍がやって来て殺されたり家を潰された多数のパレスチナ人に対しても失礼。平和と社会的正義のために闘う学者の団体だというなら、もっと真面目に闘ってよね。腐ったアカデミア内部にリベラル系学者の居場所を作り出してそこに隠れ込むんじゃなくてさ。

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