「性労働者のためのクリニック」をめぐる論争

2004年11月25日 - 1:22 AM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

わたしの知り合いがいろいろ関わっていてというか、実情を知りすぎていてあんまり気軽に書けないけれど、今回取り上げるのはサンフランシスコにある「性労働者のための無料クリニック」における内紛について。表面的なあらましは The San Francisco Chronicle の記事に書かれているけれど、その背景も含めてまず紹介する。ただし、関係者の実名はわたしの知り合いや仲間だったり、危ない方面の関係者だと言われてたりするので勘弁してください。
このクリニックは、性労働者の運動団体として知られる COYOTE(売春者団体)と Exotic Dancers Alliance(ダンサー中心)がサンフランシスコ公衆衛生局の協力を得て5年前に開設したもので、現在はサンフランシスコのミッション地区(も最近は随分と変わってしまったけど)で週3回、性産業で働いている人を対象に無料で医療やマッサージを提供している。公衆衛生局がこうしたプロジェクトに参加したのは、売買春や麻薬使用におけるHIVなどの感染症の広がりを最小限に抑えるには、売買春や麻薬使用そのものを取り締まるよりも、それらの行為をしている人たちに「どうすれば感染症から身を守ることができるか」という情報やコンドーム・新品の注射器など必要な器具を配布することで当事者たちの自覚を促す方が有効であるというハーム・リダクションという考え方に基づくものだ。特に路上で売春をしている人たちなど、その他の情報網や医療サービスから切り離された人たちに性感染症予防を訴えるには、彼らが最も必要としているサービスを提供する場所を作り、そこで「自分の身を守るツール」としての情報や器具を与えるのが便利だというのが当局側の思惑だ。
さて、問題となっているのは、このクリニックが市当局からの助成金では足りない運営資金を集めるために今月13日に行った「Erotic Health Day」というイベント。クリニックの理事を務める人物が市内のストリップクラブに呼びかけて、それらのクラブとダンサーたちがその日の収入の1割をクリニックに寄付するというもの。性労働者のためのクリニックなのだから性産業に呼びかけて資金を出してもらおうというのは一見筋が通っているように見えるけれど、さまざまな問題がある。
まず第一に、これらのストリップクラブが労働法規を完全に無視して当たり前のようにダンサーたちの収入を横領していること。例えば、カリフォルニア州の労働法規ではストリップクラブで働くダンサーたちは従業員として扱われる権利があるはずなのに、名目上「インディペンデント・コントラクター」として扱われるのが通常だ。コントラクターというのは契約業者という意味であり、本来インディペンデント・コントラクターというと高度な技能を持つ専門家がフリーの立場で企業と契約を結んで働くことを意味するのだが、性産業においては本来従業員として分類される人の大半がインディペンデント・コントラクターとして扱われている。それが何を意味するかというと、最低賃金や年金や労災補償など、一般の労働者を守るはずの制度が全く適用されないばかりか、給料は客が払うチップのみ(そのチップですら、他のスタッフと分け合うことが規則で強要されている)、さらにステージ使用料という名目で多額の現金を払わなければ労働させてもらえないという状況がフツーに存在する。
こんな扱いは当然違法であり、実際裁判に訴えれば支払ったステージ使用料と受け取らなかった給料の返還が受けられるようにはなっている。しかし現実には、一旦訴えれば他のクラブではもう雇ってもらえないし、そもそも何月何日にいくら払ったという証拠を保存しておくだけで大変だ。こうして横領されたダンサーたちの収入のごく一部に当たる額をクリニックに寄付すると言われても、そんな気があるならまずダンサーたちに返すのが先決に決まっている。第一、性労働者のための医療を支援すると言うのであれば、まず自分のところで雇っている労働者たちに医療保険や労災保障を適用するべきだろう。また、当日はダンサーたちにも収入の1割を寄付するよう求められたが、いくら「寄付は任意」という建て前であっても、これだけ労働者の権利を侵害している職場で寄付が完全に「任意」のはずがない。自分のクラブで働いているダンサーたちの労働条件を法律上最低限以下のレベルに放置したまま、性労働者のためのクリニックを支援しますだなんていい顔をされるのは、当のダンサーたちにとっては我慢ならないはずだ。
第二の問題点として、このイベントを企画したクリニック理事の背景が怪しいことが挙げられる。この人物が理事となった経緯が気になって関係者に問い合わせたところ、彼はゲイ男性向けの性産業施設に対する警察や行政の差別的な待遇と闘った活動家だと聞いたけれど、同時に(ゲイ向けとヘテロ男性向け両方の)クラブのオーナーでもあり、サンフランシスコのストリップクラブを束ねた業界団体の創始者という側面も持っている。つまり、性労働者の味方というよりは経営者の代表だ。今回のイベントを通し、ストリップクラブの経営陣は全く何も搾取的な事業形態を変更することなく「われわれは真っ当な企業主であり、労働者の健康を気にかけている」というイメージを作り出すことに成功し、事実そういう趣旨の記者会見まで開いたが、そもそも労働者のための団体であるはずのクリニックの理事に、どうして経営者の代弁者が加わっているのか。クリニック関係者は「そのことは関係ない」と言うが、その理事が何度かクリニックに多額の寄付をしているという点から、寄付と引き換えに理事の椅子を(そしてクリニックの運営に対する影響力を)得たのではないかという疑惑がある。
さらに、イベントについて宣伝するためにPR業者が付いているのだが、この程度の規模のイベントでわざわざ業者が関与しているという点は不自然だ。過去にこのクリニックが行ったチャリティ・イベントでは、適当にビラでも作ってそこらに貼り出しておくというのが普通だった。調べてみると、この業者は市内のストリップクラブの過半数を所有する最大手の企業と関係の深い会社であり、それらのクラブがクリニックに寄付した金額のいくらかはPR契約料として業者の側にキックバックされる仕組みになっていた。わたしはあんまり覚悟ないので具体的な名前は出さないけれど(とゆーか、裁判に訴えられるとか程度なら覚悟してもいーんだけど、それじゃ済まない可能性があるし)、この方面をさらに辿って行くと、割と簡単に地元の有力政治家やマフィア関係者の名前が次々に出てくる。
第三に、どうして今の時期にストリップクラブの経営者がこうしたチャリティ・イベントをやる気になったかという点だ。実は現在サンフランシスコのセックス産業で大きな論争となっているものに、ストリップクラブにおける「プライベート・ブース」の設置がある。プライベート・ブースというのは、文字通り客が希望するダンサーを指名して個室に入り、そこで1対1のサービスを受けるというもので、クラブによって多少差はあるが実質的に売春行為やそれに近い違法な行為が行われている。プライベート・ブースの設置は法的にグレイゾーンのまま90年代末期から広まってきたけれど、これまで(前市長と検察長官が共にストリップクラブの顧問弁護士だったこともあり)市当局には事実上黙認されてきた。ところが、最近になってこれを公式に合法化する条例案が市議会で議論されるようになり、そのことの是非で議論が割れているのだ。
わたしは売買春の脱犯罪化に賛成の立場であり、売買春自体を取り締まるべきだとは考えていない。でも、はじめから売春する意志のある労働者はとっくにそちら方面の仕事をしているのが普通で、売春に比べてかなり収入の劣るストリップクラブで働いたりはしない。つまりストリップクラブで働いている人の大半は、できれば売春はしたくない人たちなのだ。ところが、プライベート・ブースが設置され出したのとちょうど同じ頃に「ステージ使用料」というシステムがはじまり、最初10ドルだった使用料が50ドル、100ドル、200ドルとどんどん上昇するうちに、ストリップショーだけでは十分な収入を得られない労働者が増えてきた。事実上、プライベート・ブースは「本当は売春したくない人が、嫌々通常よりかなり割安で(だって建て前はダンスするだけだから)売春させられる施設」になってしまったのだ。さらに、本当にダンスだけをするつもりでブースに入っても、特別にお金を払ったのだからセックスできるはずだと思い込んだ客が納得せず、性暴力に発展した例も少なくはない。他の客やスタッフからは中で何が起きているか見えないし、下手に被害を訴えると「そうは言っても、売春していたんだろ」と自分が罪に問われかねないので、泣き寝入りすることが多い。
それが現実だから、市がプライベート・ブースを公認する案が表面化したとき、労働者の安全が保証できないようなプライベート・ブースは撤廃するべきだと求める運動が性労働者の中から出てきた。売春の強要や性暴力は刑法の問題であると同時に公衆衛生の問題でもあるから、この問題に市の公衆衛生局や性労働者のためのクリニックがどう対応するか問われる局面でもある。そのタイミングを図って、ストリップクラブの経営者たちが一致団結して「性労働者のためのクリニックを救うための」チャリティ・イベントを開催したのだ。それを示すかのように、このイベントについての記者会見はまるで市当局の発表であるかのように、市議会の建物の正面の階段で行われた。市政に何らかの影響を与えることを目的とした会見であったと感じる。
現在も続行中のこの論争を振り返ってみて、何年か前にわたしが関わったポートランド市議会における論争を思い出した。あの時、ポートランド市議会が可決した条例は「エスコート産業」を規制するというものだったが、エスコートというのはもちろん建て前であり実質的には売買春のことである。この条例には、エスコートとして働く人は全員警察に出頭して指紋採取に応じ、自分の本名・住所や写真が印刷された登録書を職務中常に携帯せよだとか(ふとした拍子に客に見られたら、本名どころか住所までバレるというのに)、提供されるサービスを明記した契約書を客とのあいだに交わして保存せよだとか、事務所を構えて営業時間を貼り出せだとか、とにかく無茶な決まりが多く、結局裁判所によって違憲判決が下されて廃止された。
この条例についての論争は何ヶ月にも渡ったけれど、わたしも最初のうちは「性産業を否定する勢力と、肯定する勢力の争い」だと思っていた。ところが、いろいろ調べるうちに、条例案が公になる前に市当局は既にポートランド市内の大手エスコート斡旋業者と話を付けており、業者はこの案に賛成していたという事実が分かった。考えてみれば簡単なことだ。いろいろと細かい規則をたくさん作ったところで、大手業者なら書類の保存も事務所に営業時間を貼り出すことも簡単にできるが、業者を通さずに個人で営業しているエスコートたちは自宅のドアに営業時間を貼り出すわけにもいかない。結局、この条例で損をするのは個人営業のエスコートだけであり、大手業者は厄介な競争相手を駆逐して、より多くのエスコートから上納金を吸い上げることができるようになっていたはずだ。
結局、「性産業の是非」みたいな議論の構え方で労働者の利害と経営者の利害をひとまとめにするような言い方は、結果的に経営者の利害だけを優先することになる。何も教条的に「労働者と経営者は何の利害も共有していない」とまで言うつもりはないけれど(やっぱりそこまで言おうかなぁ…)、それらは明らかに別の利害、しかも多くの場合対立する利害であるという事ははっきりと認識する必要がある。中には「クラブオーナーの中にも素晴らしい人はいる」みたいなバカな事を言う人もいるけれど(これだけ実名出してやろう、アニー・スプリンクルだよ)、個人的に優れた人物であってもやっぱりビジネス上の利害は対立している。
もしクリニックが本当に資金繰りで苦しんでいるのであれば、経営者側からの寄付を受け取らざるを得なかったとしても仕方がないかも知れない。わたしだって自分の過去を白状しちゃうと、昔ドメスティック・バイオレンス関係の団体をやってた時に、タバコ産業から寄付を受けた前科があるし(笑) だけど、労働者のための団体なのに経営者の代表を理事にするというのはどう考えても行き過ぎだ。それに、お金を受け取る事によってクリニックの運営方針にバイアスがかかることはないと言うけれど、今回のイベントを行う事自体がプライベート・ブースの公認を後押しする方向に働いているわけだし。そういう意味で、イベントは問題だったと思う。
とはいえ、今さらお金を返す必要は全くない。第一、返したところでそのお金がダンサーたちに還元されるわけでもないわけだし、プライベート・ブースの問題で市当局にアピールしようというクラブ経営者の思惑は既に達成されたのだから。わたしが望むのは、受け取った寄付を返金することではなく、「今後経営者側からの資金提供の申し出にどう対処するかという方針を策定すること」であり、放っておいてもいずれ任期が切れる現理事の解任ではなく、「今後理事の選任において考慮されるべき項目を見直すこと」だ。そして、その両方において、クリニックは労働者の側に立つということを前提とした議論が行われるべきだと思う。
ところが困った事に、サンフランシスコの性労働者運動はかなり前から内紛状態にあり、あらゆる論争が「どちらの側に付くか」という単純な路線の再確認になってしまっている。もともとの発端は Exotic Dancers Alliance におけるリーダー間の個人的な対立なのだけれど、その時の分断線がそのまま「チャリティ・イベント賛成/プライベート・ブース賛成」「チャリティ・イベント反対/プライベート・ブース反対」の立場の違いとなって今も続いている。全く馬鹿げた話だが、この内紛の中心的な当事者双方がどこか別の街に引っ越すでもしていなくなりでもしない限り、サンフランシスコの性労働者運動はダメだと思う。
これじゃ結論になってないけど、強引に終わる。ちゃんちゃん。

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