「シアトルというコミュニティの再編に向けて」(『現代思想』2020年10月臨時増刊号掲載)再掲

2024年9月3日 - 10:29 AM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

以下に掲載するのは、青土社『現代思想』二〇二〇年十月臨時増刊号・総特集=ブラック・ライヴズ・マターに寄稿した記事「シアトルというコミュニティの再編に向けて」の元原稿です。このたび、この記事から四年後の状況をアップデートする記事を二〇二〇年十月号・特集=〈人種〉を考えるに掲載していただくことになったので、四年前の記事ですがこれを機に『現代思想』さんの許可を得てここに再掲します。

現代思想2020年10月臨時増刊号表紙画像

二〇二〇年六月二十二日、シアトル市議会は満場一致で麻薬取引目的徘徊罪・売買春目的徘徊罪の廃止を決議した。これらの法律は主に黒人やラティーノ・ラティーナの男女を、実際にかれらが麻薬売買や売買春に関わっているかと関係なく特定の場所にいるだけで麻薬ディーラーや売春婦としてプロファイリングし取り締まりの対象にしているとして以前から批判を受けていた。

とくに売買春が頻繁に行われているとされるある地区では、ただ歩道を歩いているだけの若い黒人やラティーナの女性が売春目的に徘徊している疑いで警察に呼び止められることが頻発していた。彼女たちが実際に売春目的徘徊で逮捕されるケースは少ないものの、職務質問された結果として別の逮捕状が出ていたり麻薬を所持していることが判明して拘束されるケースや、売春しているのだろうと決め付けてセクハラを受けるケースが後を断たなかった。

これらの法律が警察による人種差別や性暴力の温床になっている点については少なくとも二〇一五年頃から市の人権委員会などで取り上げられ、二〇一八年に人権委員会の報告書はその廃止を勧告した。三年前から性労働に従事する人たちの権利と安全を守る政策を実現するための仕事をしているわたしも、この問題について市議や市検察官らと何度も話し合ったが、法改正に向けた具体的な動きを生み出すことはできなかった。

状況が変わったのは、わたしたちが法改正に向けた直接の働きかけを始めてから二年後の二〇二〇年、シアトルでもミネアポリスからはじまったBLM運動の大きな広がりに呼応したデモが毎日起こり、市内のキャピトルヒル地区に活動家たちが「自治区」(CHAZ、のちのCHOP)の設立を宣言したあとだ。それまで法改正に賛成だと言いながら何の動きも見せなかった市議たちが法案を提出し、背後から法改正に抵抗していた市検察までもが「これらの法律は時代遅れだ」と言い出す始末。

「時代遅れ」という言葉には「過去においては問題がなかったが、時代が変わり、いまでは現実に即さなくなった」という意味がある。もちろんわたしは「過去でも現在でも問題がある」と考えていたが、デモが全国的に広がり、ミネアポリスでは市警察分署が焼き払われ、シアトルでもパトカー数台が焼かれキャピトルヒルにある東分署から警察が撤退させられたこの一ヶ月間で、本当に「時代が変わった」感があった。

わたしがこの文章をシアトル市におけるマイナーな法改正についての話からはじめたのは、マスメディアを見ているとジョージ・フロイド氏の殺害という一つのイベントをきっかけに突然はじまったように見えるBLM運動の全国的拡散という現象が、これまで大きな注目を集めることもなくそして滅多に華々しい戦果を上げることもなく続いていたローカルな運動の積み重ねとどのように連動するのか、ローカルな活動家の視点から記録しておきたいと思ったからだ。

そのなかで、保守系メディアなどでBLM運動の「過激化」あるいは「暴徒化」の例として紹介されるシアトルのキャピトルヒル自治区CHAZ/CHOPの存在や、各地の運動が掲げる「警察廃止」の主張が、決して突発的に生まれたものでなく、長年にわたる運動の蓄積に連なるものであることや、いつかは終わるであろうこの歴史的モーメントから何を生み出し、何を紡いでいくのか、展望したい。

シアトルにおいてBLMデモが本格的にはじまったのは、フロイド氏の殺害が起きたミネアポリスに数日遅れた五月二九日のことだ。初日のデモでは市内の中心地で複数の集会や行進が行われ、そのうち一つが暴動に発展。大手デパートなどが略奪にあい、パトカー数台が路上で焼かれた。もちろん大多数のデモ参加者はごく平和的に抗議活動をしていたが、催涙ガスの使用を含めた警察による無差別な鎮圧行動を受け、翌日からさらに参加者が増えた。

とくに大勢の人が集まったのは、ダウンタウンから少し離れたキャピトルヒル地区だ。人が大勢集まれるような屋外のスペースがほとんどないダウンタウンと違い、キャピトルヒルには大きな公園があり、普段からよく政治的な集会が行われている。また、古くからシアトルにおけるゲイ・コミュニティの中心地としても知られており、近年ジェントリフィケーションによって裕福な白人が増えているものの、市内でも左派の支持者が多いとされる。

わたしは健康に不安があり、コロナ禍から身を守るためにほとんど外出ができない状況にあるため、これらのデモに直接参加できずに悔しい思いをしているが、実際に参加している友人たちから話を聞くだけでなく、毎日デモ現場からのネット生配信を観てきた。

当時わたしが毎晩目撃したのは、キャピトルヒルの路上で少しの緩衝地帯を空けて向き合うデモ隊と警察だった。そのうち、警察から集会の解散と現場からの退去を求める警告があり、それに従わないデモ隊に対して催涙ガスやゴム弾が撃ち込まれたり、警察が盾や自転車を武器としてデモ隊に襲いかかる。しばらくデモが押されて撤退するとまたすぐ近くで再集結して、新たなラインを介して警察との睨み合いがはじまる。これが毎日延々と続く。そのうちに警察の暴力に対する市民の批判が強まっていった。

六月八日、それまでシアトル警察東分署を中心としたキャピトルヒル地区を死守する姿勢を見せていた警察は、分署の建物を分厚い板で覆い尽くすと、突然撤退する。わたしはたまたまその瞬間生配信を観ていたが、当初はそれまで警察が通行禁止にしていた道路を笑顔で渡る人、「なにかの罠ではないか」と疑い移動をやめさせようとする人や、警察が催涙ガス以上の化学兵器を使う前触れなのではないかと不安に駆られる人などがいた。そしてその日のうちに東分署周辺の数ブロックをデモ参加者たちが占拠して作ったのが、キャピトルヒル自治区(CHAZ/CHOP)だ。

それからCHOPが警察によって閉鎖されるまでの約三週間、わたしは毎日配信で現地で起きているさまざまなミーティングやデモや普段の様子を観た。また、どうしてもCHOPを実際に見たくなって、十七日には三月はじめにコロナ禍を受けて自宅待機をはじめてから三ヶ月ぶりに外出して(できるだけ人との接触を避けたかったので水曜日の午前というおそらく最も人がいなさそうな時間を選んだ)一時間ほど現地を見てまわった。

米国の保守系メディアでは、CHOPは武装したウォーロード(軍閥長)が恐怖で支配しており、暴力と略奪の限りを尽くしている、CHOPへの出入りは厳重に管理されていて、地区内にある店などからみかじめ料を恐喝している、といった話が宣伝されたが、実際にその現場をたくさんの配信主の映像で見る限り、そのような様子は一切見られなかった。もちろんわたしが三ヶ月ぶりの外出で現地を見に行った時にも、そんな事実は見かけなかった。

わたしが生配信で、そして現地で見たCHOPは、恐怖に支配された殺伐とした空間ではなかった。わたしが見たのは、公園内で頻繁に行われる集会や周囲に繰り出すデモ、寄付された食事や必需品を無償で配るテントや対話を呼びかける屋外ラウンジ、救急医療ステーション、黒人やその他の非白人たちによる小さな畑、街を彩るアートやグラフィティ、ドッジボールやフリースタイルダンス対決を楽しむ人たちなどだ。

これはCHOPが何の問題もない理想郷だという意味ではない。たとえば現地で何が起きているか知ろうと日本から取材に来た現代記録作家の大袈裟太郎(猪股東吾)氏がCHOPに踏み入れたところ、入境15分でそこにいた人に「ボコボコにされた」(本人談)件は日本だけでなく米国の保守系メディアでも嘲笑的に取り上げられた。しかしCHOPの本質はそこにはない。

大袈裟氏自身も言うように、おかしな行動を取る人はどこにでもいる。「CHOPへの出入りは武装した門番により厳重に管理されている」という保守メディアのデマとは逆に、実際には誰でも自由に出入りできるからこそ、現実の一部を切り取りおかしな編集をしてCHOPを攻撃する右翼も多いから、もしかしたら見慣れない外国人っぽい人がカメラを持って入ってきたのを見て過剰反応してしまったのかもしれない。でもここで重要なのは、かれがなぜ襲われたのかではない。襲われた時に何が起きたかだ。

[脚注 https://note.com/oogesa/n/nd3bd96638ba2 ]

暴漢に殴られた大袈裟氏は、すぐに近くにいたボランティアのところに逃げ込む。すぐに数名のボランティアが集まってきて、殴られた箇所を冷やすための氷を持ってきてくれたり、緊急手当てを行ってくれた。何人もの人が大袈裟氏の話を聞いて、「ごめんなさい」と謝ってくれたという。

この件だけではない。わたしは生配信でCHOP内での実際の対人暴力事件を目撃することはなかったが、喧嘩に発展しそうな口論や罵り合いは何度か見かけた。その度に周囲の人たちが介入して、対立している人たちを引き離すなり、説得して握手させるなりしていた。またある時には、一人の男が閉鎖された警察分署の前で火をつけたが、周囲の人たちが一斉に駆け寄ってすぐに消化した。

周囲の人々が駆け寄っての助け合いは、思えばCHOPが成立する以前、警察とデモ隊が対峙している時点からも見られた。たとえば配信主がよりいい映像を撮ろうと警察から数メートルのところに近づいて何らかの武器で撃たれた場面(本来これらの武器は地面に向けて撃つものとされており、直接人体に向けて撃つべきではないはずなのだが、警察は気にしていない)では、撃たれて倒れ込んだ人を担ぎ上げて救急医療テントに連れて行こうと数名のデモ参加者が駆け寄り、さらにその数名を守るために傘を盾のようにして掲げた別の数名がそれに続くのを目撃した。

車で接近しての無差別銃撃など、外部からCHOPへの暴力も起きていた。デモに対して車がスピードを上げて突入するシーンも何度か目撃したが(その加害者の中には非番の現職警察官や、警察官の兄弟なども含まれている)、人を跳ねる寸前に止まった車をデモ参加者の一部が取り囲んで窓の中を覗き込もうとすると、周囲にいる他の参加者たちが「やめておけ、行かせてやれ」と説得して、運転手に対する暴行などに発展することを防いでいた。

シアトルのBLM運動に深く関わっているある友人は、もともと公園内で住んでいたホームレスの人たちがCHOPによって不利益を得ないような取り組みを主導していた。彼女の話によると、CHOPが生まれて内部の公園に多くのデモ参加者がテントを張って住み込んだことで、もともとそこで暮らしていたホームレスの人たちが追いやられるような状況が当初あったらしい。そこでCHOPで食事やテントなど必需品の配布をしている人たちとかけ合い、ホームレスの人たちがそれらの配給を無償受けやすいようにする、希望する人にはその他の支援に繋げるソーシャルワークのような活動を提供するなどの仕組みができた。

また、CHOPで少なくとも一件の性暴力事件が発生したが、その被害者を支援するチームが結成され、被害者の希望に沿った解決が行われるような取り組みが行われた。

これらを目撃したり話を聞いたりして、警察が撤退したあとのキャピトルヒルで、警察なしにどのようにして暴力や対立を解決するか、あるいは解決できないまでもさらなる悪化を防ぐか、という試行錯誤が行われていると感じた。これはわたしが九年前のニューヨークで起きた「ウォール街占拠運動」で見たさまざまな取り組みとよく似ていた。

[ http://macska.org/article/394/ ]

ちなみにわたしの個人的な感覚だが、なにか問題が起きた時に周囲の人が駆け寄って困っている人を助けてくれるという文化は、普段のシアトルにはあまりない。シアトルやポートランドなど太平洋北西岸と呼ばれる地方では、対極的な文化のあるニューヨーク市と比べて、周囲で起きている他人の問題に関わり合いになりたくないという風潮がとても強いように感じる。もちろんシアトルにも問題に一緒に立ち向かってくれる勇気ある人や、困っている人を助けてくれる親切な人はいるが、ニューヨークのように近くにいる人たちが一斉に助けに来てくれる、という状況はCHOPの外ではあまり見かけない。

一説によればニューヨークの「一斉に駆けつける」文化は、いまより犯罪がずっと深刻で、警察がまったく頼りにならなかった時代に形成されたものだと聞くが、CHOPでも「警察には頼らない、頼れない」という感覚が共有されたことから、同じような文化が生まれようとしていたのかもしれない。

さてCHOPは、外部からの相次ぐ銃撃事件、そして独立記念日を前にして右翼ミリシア組織がCHOPの武力的殲滅を予告していたことを懸念してか、七月一日に警察により撤去された。その後も黒人女性たちが中心となって企画していた毎晩のデモはキャピトルヒルとダウンタウンの間の地域で続いているが、毎日のように起きていた車によるデモ隊への突入で、ついに死亡事件が起きてしまった。意図されたものではないが、一帯が封鎖されていたCHOPの閉鎖によってより危険な公道にデモが移動した結果だとも言える。

ちなみに、殺されたサマー・テイラー氏はわたしが犬を連れていっている動物病院のスタッフで、個人的な知り合いではないけれども全く知らない人ではない。また、同じ車に跳ねられ、この原稿を書いている時点でも入院中ももう一人の被害者、ディアス・ラブ氏はたびたび生配信を行っていて、わたしはその配信を観て氏の私生活(飼い犬の話など)についても少し知り一方的に親近感を感じていた。それほど近い関係ではないとはいえ、全く関係のないわけでもない二人のデモ参加者が犠牲になったことで、現場に出たい、でも出られなくて悔しい、という気持ちはさらに強まった。

こうして三週間で終焉したCHOPだが、シアトルの歴史において公共空間の占拠を伴う運動はたびたび起きてきたし、それで成功した例も多数存在する。たとえば「不要になった軍用地は先住民に返還する」という十九世紀に結ばれた条約の遵守を求め、米軍によって閉鎖された基地を占拠し、先住民のためのコミュニティセンターとして勝ち取った一九七〇年の運動。一九七二年には移民労働者たちのための英語教室が閉鎖されたことに抗議して教師や支援者らが廃校を数ヶ月占拠し、ラティーノ・ラティーナのための社会支援施設や低所得層向けの住宅を作った運動。シアトルの黒人活動家たちは別の廃校を一九八五年から一九九三年の八年間にわたって占拠し続け、そこにアフリカ系アメリカ人博物館を設置することに成功している。

CHOPそのものは閉鎖されたけれども、その動員力と市民の支持を背景として、冒頭で挙げた麻薬取引・売買春目的徘徊罪の廃止のほかにも、さまざまな改革が実現している。たとえば伝統的に黒人が多く住んでいるセントラル地区では、閉鎖されて駐車場としてしか使われていない消防署の建物をコミュニティセンターとして使用するために明け渡すよう要求する運動が過去八年のあいだ続いていたが、CHOPが始まってから市が正式に引き渡しを決定した。続いて、子どもたちに対する人種差別的な懲罰を増やし「学校から刑務所へのパイプライン」と批判される現象の一因となっていた公立学校内での警察によるパトロールは廃止。また、シアトル市は警察による市民殺害事件を調査するためのキング郡の制度を中止させようとする裁判を取り下げただけでなく、過去の人種差別的な取り締まりを理由として警察に課せられた制約の廃止を目指していた市当局が、当面制約を続行することも発表した。

市議会では、今回のデモへの対応で特に批判された催涙ガスなどの群衆管理兵器の警察による所持や使用の禁止、ミネアポリスでフロイド氏が殺されることになった警察官による市民の首への圧迫行為の禁止、そしてデモ鎮圧で暴力をふるった警察官のほとんどが自分の識別番号の上に他のものを着用して隠していたことを受けて、識別番号の隠匿の禁止が決議された。

さらに九人の市議のうち七人までが、警察予算の五割削減、そして削減された予算の一部を黒人やその他のマイノリティの人たちのコミュニティが自分たちの安全を守るための取り組みに割り当てることなど、市予算の大幅な見直しに賛成している。

またキング郡は、二二〇億円かけて昨年完成したばかりの未成年拘留施設を五年以内に閉鎖し、別の用途に転換することを発表した。この施設は未成年の収監に反対する市民による激しい反対運動がかねてから続いていたが、売春目的徘徊罪廃止や旧消防署の引き渡し同様に、これまで実現してこなかった運動の成果がBLM運動の盛り上がりを受けて一気に実現した一例だ。

これらの警察や刑事司法制度に対する改革や予算組み替えは、BLM運動やCHOPの出現により突然持ち上がったわけではない。上に挙げた成果を見ても分かるとおり、これまでずっと続いてきたさまざまな運動が、フロイド氏殺害をきっかけに生まれた新しい政治的な可能性の窓を得て、一気に現実的な政治の議題に挙がっているのだ。

シアトルでは一九九九年に世界貿易機関(WTO)シアトル閣僚会議を瓦解させた大規模な抗議活動や二〇一一年のウォール街占拠運動に呼応して起きた「シアトル占拠運動」をはじめ、大小さまざまなデモやプロテストの歴史があるだけでなく、いろいろな事情があって警察や司法に頼れないコミュニティによる問題解決のための取り組みが古くから続いてきた。

たとえば一九八七年当初は「虐待されたレズビアンたちの支援者」として発足した団体、現ノースウエスト・ネットワーク。警察や既存のDVシェルターに頼ることができないクィアやトランスのドメスティック・バイオレンス被害者たちを匿うためのセーフハウスとして始まり、LGBTコミュニティだけでなく米国における反DV運動にさまざまな理論的・実践的貢献をしてきた。なかでも特に警察や既存の支援組織の支援を受けにくい非白人クィアのサバイバーたちのために作られた、問題が起きる前から関係における暴力に意識的なコミュニケーションを取ることでDVに対するコミュニティの免疫力を強める取り組みは、その後全国の他のグループにも取り入れられている。

たとえば一九九三年に地元のパンクミュージシャン、ミア・サパタ氏がライブからの帰宅途中に殺された事件をきっかけに仲間の女性たちによって結成された、護身術を教えるグループ、ホーム・アライブ。暴力は性差別やホモフォビア、人種差別や性労働者嫌悪から起きるという認識から、社会的不公正と戦うことまでを護身術の射程に含めた社会運動でもあった。

たとえば一九九五年にフィリピン系女性スサーナ・ブラックウェル氏とその胎児が、付き添いで来ていたベロニカ・ローレタ氏・フィービ・ディソン氏とともに、法廷でDV加害者の夫に射殺された事件をきっかけに結成された「アジア太平洋諸島系女性と家族の安全センター」。翌年結成された南アジア系女性のグループとのちに合併したが、ボランティアをサバイバー支援者としてホットラインに置くより、アジア太平洋系コミュニティの人たちに広く性暴力やDVについて知らせてコミュニティ内で対応する力を付けさせようとする取り組みに力を入れていることで知られる。

そしてたとえば二〇〇〇年に黒人クィア女性たちが中心に創設した反性暴力団体「レイプと虐待に反対するコミュニティ」(CARA)。大手フェミニスト団体が性暴力やドメスティック・バイオレンスへの対策として無批判に重罰化や警察による取り締まりを推進するなか、警察による黒人コミュニティへの暴力や刑事司法制度による黒人への差別的な扱いを批判し、警察や司法が黒人女性に対する暴力への解決にはならないことを強く主張した。反性暴力運動と刑務所廃止運動やラディカルな障害者運動を繋げるとともに、運動内やコミュニティ内で起きる性暴力について警察や司法ではなくコミュニティ内のリソースを持ち寄って被害者の快復と加害者の自覚と更生を支える先駆的な取り組みを行った。

これらの運動体は、イデオロギーとして警察が嫌いだから、あるいは反体制だから、警察に頼らずに問題を解決する仕組みを模索しているわけではない。イデオロギーとは関係なく、警察がわたしたちのコミュニティを安全にしないこと、それも性暴力やDVのような、被害者と加害者が多くの場合同じコミュニティのメンバーであり、家族や友人・知人といった関係にあるような暴力について、とくに無力であり、関係を修復するのではなく悪化させるように働くことを、多くの人が実感しているからだ。

シアトルに住んでいた三〇歳の黒人女性チャーリーナ・ライルズ氏は、二〇一七年に自宅のアパートに何者かが侵入しようとしていると思い警察に通報したところ、強盗が入ってくると思ってナイフを手に持っていたために、駆けつけた二人の警察官によって四人の子どもたちの目の前で射殺された。彼女を撃った警察官はいまのところ逮捕も解雇もされていないが、このような悲劇は、シアトルでもあまりに多い。殺されないまでも、性暴力やDVを通報したことがきっかけで駆けつけた警察官にセクハラや暴力をふるわれたり冤罪や微罪で逮捕される危険は小さくない。そして仮に警察が被害者を保護し加害者を逮捕したとしても、それによる家族やコミュニティへの長期的なダメージは大きい。多くの場合DV加害者は愛する家族であり、子どもたちの親であり、一家の家計を支える働き手でもあるのだ。

わたしが尊敬するシアトルの活動家たち、とくに女性、非白人、クィア&トランス、障害者、移民、性労働者の活動家たちが求める「警察廃止」は、そうした現状認識とこれまでの取り組みの延長線上にあるものだ。

警察の存在を前提としてその弊害を少しでも取り除くための取り組みは大事だし、これからも続けていくべきだが、それだけでいいのだろうか。警察廃止とは、いまある社会をそのままにしておいて警察だけ廃止するということではない。警察が存在しない社会があるとしたら、それはどのような社会だろうか、その社会では政治や経済はどのように組織されていて、人々はどのようなコミュニティに生き、どのような関係性を結んでいるだろうか。

警察による暴力や差別的な扱いを受け、警察に頼ることができないコミュニティには、警察に頼らずにコミュニティの安全を守るための取り組みがすでにたくさんある。それらは今すぐ警察を代替できるほど強固ではないかもしれないし、小さなコミュニティにおいて通用する解決策を社会全体にスケールすることは難しいだろう。シアトルにおけるBLM運動がいま掲げている「警察予算五割削減、コミュニティへの一部予算振り分け」は、すでに存在するさまざまな取り組みをベースとした、そうした不確かな試みへの呼びかけだ。

最後に、BLMの今後について少し書いておきたい。米国社会における黒人へのレイシズムはそう簡単には変わらないし、警察による暴力も終わらない。警察が廃止されることも当面ないだろう。だからBLM はこれからも続く。しかし現在のような一般社会への強い影響を持った盛り上がりは長く続かないだろう。それは九年前のウォール街占拠運動と比べても分かる。

ニューヨークのズッコーティ公園で起きたウォール街占拠運動は全国に広まり、数ヶ月のあいだ盛り上がったが、警察により公園から排除されるとともに終焉した。リーダーのいない運動、権力構造のないフラットな運動としてもてはやされた運動は、いったん勢いを失うと何も残すことができなかった。同じようにリーダーのいないCHOPは、ついに直接市政府や警察と交渉することもできないまま解散してしまった。

わたしがそのことを強く感じたのは、CHOPが閉鎖された直後にサウスダコタ州で起きた先住民活動家による道路封鎖の生配信を見ていた時だ。サウスダコタ州には巨大な歴代大統領の頭像で有名なマウント・ラッシュモアがあり、トランプ大統領が独立記念日の前夜祭として支持者を集めての大集会と花火大会を予定していた。しかし巨大頭像のあるあたり一帯の土地は一九世紀に結ばれた条約によって先住民の土地として決められており、米国政府は違法に土地を占拠している状態にある。最高裁でも違法状態にあることは認定されているが、米国政府は賠償金の支払いで解決しようとしており、先住民側はあくまで土地の返還を求めて数十年にわたって係争が続いている。

トランプ大統領の集会が開かれることを知った現地の先住民活動家たちは、会場に続く道路を数時間にわたって封鎖し、トランプ支持者たちの通行を妨害した。しばらくキャピトルヒルで見かけたような警察との睨み合いが続き、また通せんぼにあったトランプ支持者たちによる暴力が勃発するなか、ついに活動家たちに退去を命じる最終的な警告が発せられる。

そのとき、封鎖を主導していた先住民活動家のリーダーが警察の責任者と交渉し、警察が強制排除を実行するまでに三十分の猶予を設けるよう受け入れさせた。そしてそのことを仲間に告げてこう言った。これから三十分後に警察はわたしたちを逮捕します、未成年の人、ご年配の方、病気のある方、その他逮捕されることで危険な状況に置かれてしまう人たちは、いますぐに退去してください。もしあなたの車が警察のラインの向こう側にある場合は、安全に車にたどり着ける方法を教えるので言ってください。そしてこれを覚えていてください、わたしたちはみんな戦士だと。いまここで退去してもあなたは他の人より戦士ではないなどということはないし、残って逮捕された人が他より優れた戦士だということでもない。わたしたちはみんな戦士なのです。逮捕された人はわたしたちのグループが責任を持って全員釈放させます。

これを見てわたしは、これこそがウォール街占拠運動にもCHOPにもいなかった、コミュニティから信任を得たリーダーなのだと感じた。そしてそういうリーダーたちが、シアトルの歴史において先住民やラティーノ・ラティーナや黒人たちのためのスペースを勝ち取ってきたのだし、アジア系やクィア&トランスや女性たちのためのグループを生み出してきたのだと。

BLM運動は続く。けれどもそれが瞬発的な盛り上がりを超えて、今後も施策に影響を与え続けることができるかどうかは、ローカルなコミュニティに根ざした強固な組織を構築できるか、そしてそれをベースとし、コミュニティの信任を得たリーダーを生み出すことができるか、という点にかかっているのではないだろうか。

One Response - “「シアトルというコミュニティの再編に向けて」(『現代思想』2020年10月臨時増刊号掲載)再掲”

  1. おーつか Says:

    新しい原稿が2024年10月号に掲載されるんですね

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