HIV/AIDSの検査を呼びかける啓蒙活動が「暴力」になるとき

2016年4月18日 - 8:58 PM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

今日4月18日は、シアトルで、National Transgender HIV Testing Dayというのに関連したパネルがあったので参加してきた。これはカリフォルニア大学サンフランシスコ校のCenter of Excellence for Transgender Healthというところが提唱したもので、トランスジェンダーの人たちがもっとHIV検査を受けられるような環境を整えよう、みたいな話。今年が初めての開催で、各地でイベントが開かれたが、来年以降も毎年行われるらしい。

トランスジェンダーの人たち、なかでもとくに白人でないトランスジェンダーの女性たちの多くが、無職であったり、ホームレスだったり、性労働をしていたり、日常の辛さに耐えるためにドラッグをしていたりして、HIV感染のリスクがとても高いとされている。だからもっと検査や予防や治療を呼びかけよう、みたいな日だ。

当事者のうち、社会的に底辺に置かれた多くの人たちが、たとえば医療現場での無理解や差別によって、それらの医療から遠ざけられている。だからもっとかれらをリスペクトするように医療従事者を訓練すべきだ、なんならもっと当事者を雇ってアウトリーチすべきだ、みたいな話がされていた。

でもわたしは、それに根本的に疑問を感じている。社会的に底辺に置かれた人たちがHIV検査に来ないのは、医療現場での無理解や差別、あるいはアウトリーチの欠如だけが問題なのではなく、そもそも日々の生存に苦しんでいる人にとってはHIVという脅威の「重み」違うのではないかと思うのだ。

これは、山形浩生さんが以前紹介していた、アフリカにおけるHIV危機に関する経済学者・エミリーオスターの見解にも関係する。山形さんは、オスターの研究を次のように紹介している

だが、彼女の研究結果でいちばんとんでもないのが、最後の部分だった。実はアフリカ人でも、所得が多くて余命が長い人々はちゃんとエイズの予防措置も積極的にやっている。余命が短いところは、そういうことに関心がない。 […] エイズによって寿命が縮んだという面だけ見ていてはいけない。もともと寿命が短いからエイズにかかることを気にしない点を重視すべきである! 生でやったところでエイズにかかる確率はもともとそんなに高くないし、万が一エイズになっても発症して死ぬのは 10 年以上先だ。その頃に自分が確実に生きていると思えば、エイズ予防のために余計な手間もかけよう。でも、どうせその頃は死んでるだろうと思えば……リスクは知っていても手はうたない! バカだからエイズ予防をしないんじゃない。ちゃんと賢く合理的な計算に基づいて、そんなことをするだけ無駄だという陰惨な結論を、意識的か無意識のうちにか出してしまうだけの知恵があるからこそ予防しないわけだ。

HIVというのは感染しても発症するまで潜伏期間が長いので(とはいえ、山形さんの言う「10年以上先」は、もしかすると当時の一般的な認識なのかもしれないけど、誇張しすぎだと思う。実際はそこまで長くはない)、いま生きるために苦労している人にとっては、そしてそんなに先の自分の未来を想像できないような状況に置かれた人には、それほど大きなリスクとは感じられない。もっともこの(経済学的)合理性というのは完全ではないので、少なくとも先進国だと実際には発症までに亡くなる割合はそう高くないのではないかと思う。

さらに言うと、いま生きるために(あまり安全でない売春やドラッグ使用など)リスクを日常的に犯さざるをえない状況に置かれた人にとっては、そうしたリスクをいちいち意識していたら、生存のほうが脅かされてしまう。そうしたリスクを意識の外に遠ざけることは、サバイバルのための自己防衛策だと言っていい。そういう人たちに向かって「HIV感染のリスクに敏感になろう」と呼びかけることは、もちろん善意に基づくものだけれど、ある意味「暴力」にも思える。

医療現場における無理解や差別は是正されるべきだ。しかしそれだけでは「貧しいトランスジェンダー女性の高いHIV感染リスク」という問題を解決することはできないし、HIV検査の普及という短期的目標にすら届かないだろう。長期的リスクに備えるよう呼びかけたいのであれば、いま現在の生存を脅かしているさまざまな要素、たとえば安全な住居や職や収入の欠如などを是正することで、みんながこれからも健康で長生きしたいと思えるような、つまり長期的な未来設計図を思い描けるような社会的環境を作らなくてはいけない。

そうした考えのないままただHIV検査や予防だけを呼びかけるような取り組みが行われるとしたら、それはトランスジェンダーの人たちのためというよりは、彼女たちを買春する異性愛男性とその(中流)家族のためのものではないかと感じてしまう。

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