Facebookの普及に見る米国の社会階層性と、『米国=実名文化論』の間違い

2010年6月8日 - 8:49 AM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

世界最大のソーシャルネットワーキングサービス(SNS)、Facebookが日本(語圏)に進出してから二年がたった。よく知られているように、Facebookは実名での登録を前提としていることが特徴であり、「米国で人気の実名SNSが日本社会において受け入れられるか」と話題になった。日本で最も利用されているSNS・ミクシィも、かつては実名での登録を推奨していたが、個人情報や個人的な写真が流出するという騒ぎを経て、実名で利用されることはあまりない。日本語版開始から二年たったいま、日本在住のFacebookユーザ数も二〇〇九年だけで約三倍に増えたものの、国別ランキングでは上位三十位にすら遠く及ばず、米国の1%前後に留まっている。
Facebookが日本で広まらないのは、当初から言われていたように、実名登録制が日本のネット文化に合わないからである、という説明がよく聞かれる。なるほど、匿名を前提とする2ちゃんねるや、ハンドルを使って繋がるミクシィ、さらには歌や踊りを見せても実名はなかなか出さないニコニコ動画も含め、日本のネット文化においては、会社や学校の人間関係から切り離されたところに、匿名だからこそ普段は出せない自分を出したいというニーズが反映されているかもしれない。
また、米国で人気のSNSは、流動的な労働市場において自分を売り込むために使う人が多いから実名なのだという人もいる。この説明は、個人が実名ばかりか学歴や職歴を公開するなど、主にホワイトカラーの求職・求人を目的に使われるLinkedInには当てはまる。しかしFacebookにおいてそれが一般的な利用法であるようには見えない。そもそも、実名登録制によって浸透したSNSは、米国においてもFacebookとLinkedInのほかにはない。すなわち、単純に「日本人は実名制に抵抗を持つが、米国人は持たない」という話ではないことになる。
実名登録制には、もちろん大きな利点がある。それは、現実社会における知人・友人を探しやすいということであり、また実名公開によってより責任ある発言をするようになり、情報の信頼性があがるということだ。にも関わらずFacebook以前は、あるいはそれ以降においても、実名登録制SNSは実は米国でも一般的ではない——というより、MySpaceやFriendsterを含め、SNSの最も顕著な使われ方は「出会い系」としてのそれであり、Facebookのように「実名登録により、現実社会の友人と繋がる」という使い方はあまりされてこなかった。
となると、求人・求職目的のLinkedInは別として、むしろ問われるべきなのは、なぜFacebookだけがほかのSNSを一線を画す「実名登録制」という特色を掲げ、そしてこれほどまでに成功したのかという点だ。それはつまり、Facebookはどのようにして米国で「実名制への抵抗」を乗り越えたのか、ということでもある。その答えは、米国に特有の階級文化のあり方と、それを背景としたFacebook自体の出自——あくまで一利害関係者の視点を通してという形でだが、今秋の映画公開が予定されているベン・メズリック著『facebook』に詳しい——にあるとわたしは考えている。
Facebookは、米国ハーヴァード大学の学生だったマーク・ザッカーバーグによって二〇〇四年に創設された。当時SNSといえばFriendsterが最も有力で、それをMySpaceが急激に追い上げていた時期だったが、Facebook(当時はThefacebook)はハーヴァード大学のメールアドレスを持っている人だけが参加できる仕組みにすることで、実名登録への安心感を担保すると同時に、特権性・排他性を演出した点が新しかった。そして当初Facebookを学内に広めるのに大きな役割を果たしたのが、ハーヴァード大学に多数あるさまざまな社交クラブの存在だった。
米国映画を観ているとたまに出てくると思うが、米国の大学ではフラタニティ(男性)・ソロリティ(女性)と呼ばれる社交クラブが多数存在しており、大学の枠を超えて全国的な繋がりを持っている。クラブの普段の活動は、個々のクラブによって多少の違いはあるにせよ、九割型パーティと宴会で、残りがその他の触れ合いやたまに社会貢献みたいなものが含まれる。学生はこうしたクラブに加入することで、「兄弟」と呼び合う仲間を得て、パーティに呼ばれて恋人と出会ったり、卒業後の就職や仕事で頼りになる人脈を手に入れたりする。
ところがハーヴァード大学ともなると、普通の大学にあるフラタニティだけでなく、さらに排他的な社交クラブも多数存在していて、本人の資質だけでなく家柄や財産などによっても選別されることになる。普通の大学よりも、より将来に向けた——あるいは在学中にはじめるビジネスの——人脈作りという傾向が強いのだ。とはいえ、現実にそうしたクラブの内部で行われることは、将来の地位を約束されている男性がそれを目当てに集まる女性の出会いイベントという意味あいはあるものの、一般の大学におけるフラタニティのそれとあまり変わらない(らしい、行ったことないけど)。
メズリックが指摘する通り、初期のFacebookは、まさにこうした社交クラブをそのままネットに持ち込んだようなものだ。ハーヴァード大学という排他的・特権的なコミュニティにのみ開かれたネットワークを作ることによって、実質的な利用目的はそれまでのSNSと同じく「出会い系」——クラブで開かれるパーティや宴会の目的と同じ——だったしても、それに「信頼できる仲間を作る」「将来のための人脈を築く」といった建前を用意することによって、出会い系そのものにしか見えないサイトへの登録をためらうエリート層が加入しやすいようになった。
また、Facebookは社交クラブの仕組みをそのまま真似るだけでなく、社交クラブそのものを通してユーザを獲得していった。ザッカーバーグやその協力者たちは、自分が参加しているクラブの「兄弟」たちにFacebookへの登録を呼びかけ、さらにそのメンバーが知り合いの女性らに声をかけ…というかたちで、社交クラブの人脈を通して指数関数的に会員を集めることに成功した。とはいえこれも排他的なエリート校の中のさらに排他的なクラブという土台があり、Facebookに登録することで少しでもそこに近づきたいと思わせることができたからできたことで、普通の大学のフラタニティを通して同じことができたとは思えない。
その後のFacebookの拡大も、排他性と特権性をうまく利用したものだった。ハーヴァード大学の会員数が飽和状態に達したFacebookは、まず同じボストン近辺の他のエリート校に対象を広げ、次にそれよりややレベルが下がる大学、そして普通の大学一般、高校、最後に所属に関係なく誰でも参加できるようにした。こうすることで、当初はハーヴァードや他のトップクラスのエリート校だけという排他性と特権性によって参加者を集め、次にそれより少し下の階層の人たちに「エリートと同じところに並べる」という優越感を与えながら、段階的にユーザ数を増やしていったのだ。つまり、Facebookは人々に米国的な「社会的上昇の物語」を疑似体験させることを通して、実名登録制への抵抗を意識させずに、順次拡大していった。
人気ブロガーでSNS研究者のダナ・ボイドは二〇〇七年に発表したエッセイで、Facebookが二〇〇五年に高校生の参加を認めて以来の変化に注目しつつ、FacebookとMySpaceのあいだでユーザが階級に沿って分離しはじめていると指摘している。それまで高校生のあいだで人気のSNSはMySpaceだったが、かれらにとってFacebookはただ単にMySpaceとは別のもうひとつの選択肢というだけではなくて、大学生たちが使っている格好いいモノとして登場した。とはいえ、大学生の使っているFacebookに入りたいと思うのは、将来大学に行こうと思っている生徒や、周囲にFacebookに招待してくれる大学生がいる生徒が多く、大学という選択肢からはじめから疎外されているような貧困層の生徒は、Facebookについて知る機会も参加する動機もなかった。Facebookを使っている生徒はMySpaceについてもよく知っているが、MySpaceを使っている生徒はFacebookについてほとんど知らないことが多いという状況も、社会階層的な分断を考えさせる。現実社会の人間関係をネットに持ち込んでいるということは、現実社会の分断がそのまま反映されるということでもあるわけだ。
またボイドは、米軍内部でも貧しい家庭の出身が多い前線の一般兵士たちの多くがMySpaceを使っており、より恵まれた背景を持つ士官の多くがFacebookを使っていた——軍は二〇〇七年にこれらのサイトの使用を禁止する通達を出した——という点も指摘している。一般兵士たちの多くが貧しい家庭の出身で高校卒業直後に入隊するのに対し、士官たちは大学卒業後に入隊することを考えれば、高校で既に見られる分断がそのまま軍隊にも持ち込まれているのは当然だろう。
ボイドの説明は、高校生のなかでも大学に行く意思や機会のある上昇志向の生徒が率先してFacebookに移行し、卒業後軍隊に志願する生徒を含めたそれ以外の生徒たちが既に慣れ親しんだMySpaceに残った結果、FacebookとMySpaceのあいだで社会階層に沿った分化が発生したというものだった。Facebook初期の発展も、同様に大学の中でもよりエリート校に近いところに行きたい、エリート校の中でもさらにハーヴァードをはじめとするアイヴィーリーグのレベルに加わりたい、という学生たちの「ほんの少し上に上がりたい」という上昇志向を利用するかたちで、実名登録に対する不安を感じさせずに、ユーザを増やすことができた。
Facebookの成功の背景にあるものは、一世紀前の経済学者ソースタイン・ヴェブレンが「衒示的消費」と名付けた行動を動機づけたものと似ている。衒示的消費とは自分の財産やステータスを誇示するための出費を指し、絶対的な必要性や利便性を満たすためではなく、周囲の人たちに対してより有利な相対的位置を獲得するために行われる。簡単に言えば、ある家や車が自分のステータスになるかどうかは、その家や車の絶対的な広さや性能ではなく、ほかの人たちの家や車とくらべてどうかという点で決まる。そして多くの場合、人は自分よりはるかに上や下の階層と比較するのではなく、自分の少し下の階層に対して優越感を感じながら、少し上の階層に自分も上がりたいと願う。
Facebookのハーヴァード大学内外での成功やFacebookとMySpaceのあいだの階層分化においても、Facebookの機能がより優れていたから移行したとか、MySpaceの方が自分にとっては使いやすいから、という動機はあまり聞かない。そこに、ただ単に自分の周囲の人が使っているから(それ自体も階層分化の影響を受けるが)というだけにとどまらず、自分はハーヴァードのようなエリートの仲間になりたい、あるいは大学に行っていい職を得たいというささやかな上昇志向、あるいは高卒や州立大学のやつらと同じとは思われたくない、という優越感も含めて、階級文化に基づいた心理的動機がはたらいたのではないだろうか。
そしてそうした消費やSNS参加を通した社会的上昇の疑似体験は、いまでも「階層分化は深刻ではない、努力すれば誰でも成功を手に掴むことができる」というアメリカンドリーム的な幻想がいまでも中流層以上のあいだで広く共有されている米国社会において、強力なマーケティングギミックとして機能する。Facebookは、ハーヴァード学内における排他性と特権性を持つ社交クラブをうまく利用し、また学外に開放する際はその排他性と特権性を保ちつつ徐々に対象を拡大する戦略を取ることで、実名登録にともなう不安をステータス向上の夢で中和させながら、成長してきたのだ。そう考えると、続いて日本のユーザたちが「自分たちも米国と同じところに入りたい」という劣等感と歪んだ上昇意識からFacebookに殺到しなかったのは、健全なのかもしれない。
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(この記事は、メールマガジン α-Synodos(アルファ・シノドス)第53号(6月1日発行)に掲載されたものを再掲しました。)

9 Responses - “Facebookの普及に見る米国の社会階層性と、『米国=実名文化論』の間違い”

  1. nagyoshi Says:

    はじめまして。WASP的思考回路が世界を席巻しつつある事実、大変参考になりました。自分もかつて1年半ほどヨーロッパの会社に籍を置いていたこともあり、その間、彼らのカソリック的唯物論との闘いに辟易した記憶があります。一方でFBがネットを席巻しつつある事実にガラパゴス日本がどう立ち向かうか。真剣に考えなければならない局面でもあり。。
    失礼ながら、自分のtwitter(@nagyoshi)にリンクさせていただきました。お許しください。

  2. hayato Says:

    すごく参考になりました!

  3. 小倉 摯門 Says:

    面白く読ませて戴きました、その上で質問です。
    Facebookのユーザーが変遷を遂げた現在、Harvardその他真の特権的階層は依然としてFacebookを「主たるCommunicationTool」として利用し続けているのでしょうか?
    FacebookCrimsonRoomが別途有ったりして?(笑)

  4. macska Says:

    小倉さま、
     さあどうでしょう。特権的階層を狙ったSNSと称するサイトはいくつもあるみたいですが、現実に多くのエリートがそれを使っているというようには見えませんし。わたしの知る範囲では、有名大学の学生たちもみんな普通にFacebookを使っています(もっとも、わたしが知っている人たちよりもっと本格的なエリートはどうだか分かりませんが)。
     NYTにこういう記事がありました。
    A Facebook for the Few
    http://www.nytimes.com/2007/09/06/fashion/06smallworld.html

  5. 小倉 摯門 Says:

    macskaさん
    ご返事、有り難うございました。
    そうですよね、難しい質問をしてmacskaさんを困らせてしまいましたね。お詫びします。
    私も属したことはありません、特権的階層の心理を推測するとTPOに応じてExclusiveなSNSは必要になる筈。Facebookが実名・顔写真付きなら尚更。
    ご紹介戴いたSamllWorldは金銭的特権的階層(70%がEuropianUserということなので違うかも?)ですが、知的特権階層もニーズがある筈。重なる部分はあるにせよ。

  6. 珪素の唇 Says:

    […] 関連したことが、 http://biglizards.net/strawberryblog/archives/2010/08/post_1113.html http://macska.org/article/270 […]

  7. 雑記 最近のFacebookの過熱ぶりについて思う事チラ裏 - iPhone plus + Says:

    […] トの通りだとすると社会的に地位の高い方々を対象。 >>Facebookの普及に見る米国の社会階層性と、『米国=実名文化論』の間違い   2-mixiやモバゲー、GREEがあること メニュー周りが […]

  8. 映画「ソーシャル・ネットワーク」観ました – ネットクリエイツの、主にコンテンツ系のスタッフが書くほうのブログ Says:

    […] ころでは先にこの記事を読んでたので理解できたけど、読んでなかったら置いてけぼりだったかもしんないです。 Facebookの普及に見る米国の社会階層性と、『米国=実名文化論』の間違い […]

  9. Facebookのプライバシー設定が更新 « IT Evangelist.net Says:

    […] Tags: SNS, ソーシャルネットワーク [Translate] tweetmeme_style = 'compact';tweetmeme_url='http://itevangelist.net/?p=415';tweetmeme_url = 'http://itevangelist.net/?p=415';tweetmeme_source = 'kanucchi';日本では米国とは異なり「実名文化」がないと言われていましたが、震災以降、facebookは急速にユーザー数を増やしました。 これは「Facebookの普及に見る米国の社会階層性と、『米国=実名文化論』の間違い」で述べられているアメリカの状況とは異なり、単なる情報拡散ツールとしてはtwitterが優れているが、情報を整理し信頼に足る情報だけを見る場合にはFacebookの方が使いやすい、と感じたからだと思われます。 […]

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