市民運動の閉鎖性と公共性についてのメモ

2007年10月1日 - 9:49 AM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

ファイトバックの会問題のつづき、ただしメモ程度。これまでの経緯は Kodakana さんがまとめてくださっているのでそっち参照。
チキさんの新刊やサンスティーンの『Republic.com 2.0』についていろいろ考えていたわたしは、ブログから垣間見えるファイトバックの会の内部が「カルトのよう」になったことが集団分極化によって説明できると考え、そう書いた。続いて他の方が同会の閉鎖性を問題とされ、その一例として同会ブログにコメント欄がないことが挙げられた。
でも問題なのは、コメント欄があるかないかじゃないはず。問題は、公共性を指向しているかしていないかということだ。公共性とはこの場合、「わたしたち仲間」以外ーーすなわち他者ーーの視線を気にするかどうかということだと思っていい。もう少し正統な説明すると、一般に言う近代社会における公共性というものは、さまざまな異なる価値観や生き方を前提とする共同体や共同体を飛び出した個人が出会う場所であり、そうした場所を成立させるための条件のこと。
ファイトバックの会ブログは、三井さんをやたらと持ち上げたり、自分たちに都合の悪い決定をした人たちの動機や人間性にまで立ち入ってこれでもかというほど貶めたりと、ほとんど自分たちの仲間しか読んでいないと思っているのではないかと思うくらい、みっともないほど他者の視線に無頓着な内容だ。居酒屋で内輪の宴会を開いて騒ぎ散らし周囲に顰蹙を買うのとよく似たことを、市民運動の場でやっている。そうした「三井マリ子ファンクラブ」的な「わたしたち仲間」の生温い同質性を前提とし、かつそれを心地よく感じる共同体主義的感性こそが、公共的な市民運動を起こす妨げとなっている。
このことには、規模がどうだとか、資金がなくて手弁当だろうが、一切関係ない。「わたしたち仲間」の心地良い同質性に浸っているのか、そこから這い出して他者と出会おうとするのか、それだけが問題だ。他者というのはもちろん、ただ単に「他の人たち」という意味ではなく、自分たちとは価値観の違う共同体や個人のこと。他者に語りかけようとするなら、おのずと表現に違いが出てくる。
ファイトバックの会のブログは、「価値観を共有するけれども、まだ支援者になっていない人たち」には呼びかけているものの、「他者」への呼びかけや応答がほとんど欠けている。ファイトバックの会が信用できる団体かどうか見極めようとしている読者から見て、例えば豊中市の女性職員や裁判官を口汚く罵るようなコメントや、極端に三井さんを褒めちぎるようなコメントがどう映るか、気にすらしていない様子だもの。
ただ、これは別にファイトバックの会だけが特に酷いというわけではなくて、おそらく多数の運動体は同会以上に酷いのだろうけれども、ブログを持っているファイトバックの会だけ問題点が見えやすくなっているということ。本当はむしろ、長い間にわたってブログを更新しつづけた点を褒めたいくらいなんだけどね。
あとこれは本題と関係ないけど、女性のシンボルと突き上げた腕のシンボルを組み合わせたロゴは日本のウーマンリブでも広く使われていた、歴史のあるものなので、そのあたりよろしく。知らない人がいてもおかしくないけど、団体のブログにあんな記述載せると歴史を忘却したバカみたいだよ。
I know there is strength in the differences between us; I know there is comfort where we overlap. – ani difranco

11 Responses - “市民運動の閉鎖性と公共性についてのメモ”

  1. 山口一男 Says:

        I know there is strength in the differences between us; I know there is comfort where we overlap. – ani difranco
      いい言葉を紹介しますね。中国産の「小異を捨てて大同につく」はいかにも功利的ですが、この言葉には功利的な感じが無く、人々の多様性への積極的肯定とともに、人との結びつきへの前向きの感性が感じられていいです。
      三井さんの法廷には外から興味を持っていたし、JANJANでのさとうしゅういちさんの記事にもコメントしたりしたのですが、このmacskaの記事を読んで、非常にまっとうな議論でこういう議論がもっとされるべきと思うので、参考までにコメントします。
      社会運動〔の一部)がなぜ閉鎖性を持つかと言うと、一つにはどのような報酬・成果を得ているか得ようとしているか、によります。運動の成功を第一義に考えるのが合理的ですが、多くの人の支持を得ていない場合、そこから逸脱しやすいのです。特に目に見える成果や成功の確率が小さく、その点見返りの少ない運動が持続するには、運動を進めている仲間うちでのお互いの励ましや、連帯感、といった心理的報酬の影響が大きいことは良く知られています。しかし、問題はそこにのみ報酬を求めるようになると、様々な閉鎖性を生み出すということです。まず政治運動には、大雑把にいって自分たちの「仲間や同調者(シンパ)」、「反対者」、大多数のどっちでもない「一般に人」たちがいるのですが、そこに暗黙の線を一本引くときに。「仲間・同調者プラス一般の人 対 反対者」でなく、「仲間 対 反対者プラス一般の人」という線を引きやすくなるのです。もし主たる目的が運動の成功であるなら、出来るだけ多くの「一般の人」の支持を得ようとするのが合理的ですから、「仲間・同調者プラス一般の人 対 反対者」という線を引きます。ところが仲間内や同調者内の連帯感と言うような心理的報酬を求めるようになると、「仲間・同調者 対 反対者プラス第3者」という線を引きやすいのです。その一つが、仲間内でのみ通じる用語の頻繁な使用です。もっとも最近のジェンダーに関する様々な用語の使用・誤用は仲間内でも混乱をきたしているようですが。
      僕は、今度の三井さんの裁判を「バックラッシュ裁判」と呼んだときから、「仲間・同調者」と「バックラッシュって、なにそれ(なんだそれ)?」とまず反応する一般の人との間にある種の垣根が出来てしまったと思います。
       社会運動がmasckaさんのいう公共性を持つにはどうしたらよいか。それにはまず、運動をする人が仲間内から受ける心理的報酬を求めることをやめること。むしろ仲間でない、反対者ではないが自分と意見の異なる「一般の人」たちとの共通点を見出し、自分たちの立場を絶対化せず彼らの考えを学ぶことで、根本的目的(男女平等の実現)が変わらないなら、個別の問題ごとにそのつどより多くの人の賛同や支持を得られることを、心理的報酬とみなすようになることだと思います。masckaさんの引用された言葉の精神と基本的におなじです。当然仲間内でのみ通用する用語は避けるか、さもなくば一般の人が頭だけで無く心で理解できるように説明していくべきでしょう。一般に仲間内でリアリティーがあり、外でリアリティーが無い用語が増えるほど、運動を閉鎖的にしていきます。まず、自らの立場や意見を仲間内で表現するところから、一般者の目でみて、わかる言葉に変えていく必要があるのではないでしょうか。運動に参加していない、傍観者がいうことには、聞く耳持たないという状況かもしれませんが。

  2. macska Says:

    山口一男さま
     長文コメントありがとうございます。お気づきかと思いますが、わたしは今年の五月にもうひとりの山口さんに招かれて、シカゴ大学で国際養子問題インターセックスの講演をさせていただいた者です。今後ともよろしくお願いします。

    いい言葉を紹介しますね。中国産の「小異を捨てて大同につく」はいかにも功利的ですが、この言葉には功利的な感じが無く、人々の多様性への積極的肯定とともに、人との結びつきへの前向きの感性が感じられていいです。

    Ani DiFranco はフェミニストで活動家でシンガーソングライターです。引用した部分は 13 年も前に発表された Overlap という曲に出てくるのですが、先月出たばかりのベストアルバムに新バージョンが収録されているのを聴いて、この言葉がとても気になったのです。歌詞全文はこちらにあります

  3. 山口一男 Says:

        5月にいらっしゃったことは後から知りました。お話を聞けなくて残念でした。山口智美さんには彼女がジェンダー・フリー概念について書いたものを含め色々資料をいただいています。
       一寸前の貴女の記事ですが、差別のについての「偏見による差別と」「蔑視による差別」の区別についても最近コメントしました。ただし61もエントリーのあるほうは一杯だったので、「差別についてのごく基本的な考え」の方へです。関連するものとして最近日本での「統計的差別」の非合理性について、論文を書きました。以下に出ています。
    http://www.rieti.go.jp/jp/publications/summary/07090006.html
       引用された言葉は歌詞だったんですか。OVERLAPという題なのですね。歌詞には
    気になるというか、心に残るフレーズがたくさんありますよね。アメリカに来た当時、根無し草に
    なったせいで落ち込んだときなど、Stevie WonderのA Place in the Sunの中の
      ”Like a long lonely stream, I’ve been searching for a dream. Movin−on, Moving-on” て口ずさむと一寸元気が出たり。シカゴで長い寒い冬が終わって、春に息吹が
    感じられる日は、思わずGeorge Harrison(Beatles)のHere comes the sunのフレーズ
      Little Darling, It’s been a long cold lonely winter. Here comes the sun と
    口ずさんだりします。個人的なこと書いてすみません。
      僕は基本的に自由主義なので、ラディカル・フェミニスムには随分距離を感じますが、日本での男女共同参画社会の推進には、職業人としてという範囲は超えませんが(自分の出来ることと出来ないことがわかっていますので)、これからも積極的にかかわろうと思っています。あまり残ってない人生なので、たいしたことはできるわけないけれど。

  4. macska Says:

    山口一男さま 
     統計的差別についての論文は、これから読ませていただきます。

    歌詞には気になるというか、心に残るフレーズがたくさんありますよね。

    歌はリリンの文化の極みですから。

  5. ふぇみにすとの論考 Says:

    [フェミニズム]「他者の視線」、市民運動、ネット…
    macskaさんのブログにて、市民運動が「他者の視線」に無頓着になっているという問題が指摘されている。その一例として、ファイトバックの会のブログが「他者」への呼びかけ (more…)

  6. 山口一男 Says:

    masckasさん
       「歌はリリンの文化の極み」。。貴女の世代ではビートルズなんか聞いている分けないし、僕の世代ではEvangelionなんて同時代的に見ているわけない。ロジックや価値観の分野ではOVERLAPはありえても、感性は日常住む世界や、時代や、コホートの壁は結構大きくて、想像力で補えるのには限界がある、だか感性の分野で安易に人に同意を求めるのは無意識に押し付けがましくなりますね。

  7. 山口一男 Says:

    追記:勿論このコメントは自己反省で、貴女の言葉に対するものではありません、

  8. macska Says:

    ビートルズ大好きですよ。iPod に全アルバム入っています。特にジョージ・ハリソンの曲が好きで、かれのソロアルバムも持っています。もちろんわたしはビートルズを同時代的には聴いてはいませんが、それを言うならエヴァも実はわたしは5年以上遅れて観ましたし… 世代に関係なく、わたしはエヴァよりもはるかにビートルズの方に親しんでいます。

  9. 山口一男 Says:

    思い込みですみませんでした。ところで慰安婦問題に関するMACKAの一連の記事を読みました。
    特に「米国外交当局の視点から見た慰安婦問題:議会調査局報告・解説」。こういうことを
    きちっと人に正確に伝えていくのは重要なことだと思います。慰安婦問題については、ネットでの
    日本人の議論が、随分欧米の目とずれているので、JANJANでこの問題の記事への
    書き込みを通じ市民参加しようしたのですがきちんとした議論にならないので疲れて
    撤退してしまいました。「日本は悪くないtという」答えが先にあって、そのための変な形式ロジックをもてあそび、人権問題という、このことの本質から物事を見ようととしない人が少なくともネットの世界では多いことに、社会心理の面から関心があると共に日本はどうなっていくのかと言う危惧もあります。ネットの世界だけでなく、読売も産経もここは似たりよったりですから。

  10. たんぽぽのなみだ~運営日誌 Says:

    市民団体の宿命?(2)…
    わたしが、メインサイトで書いている、選択別姓推進の インターネットの市民団体も、自分たちだけの世界に浸っているうちに、 非常識になった、典型的なサンプルだと思います。 (more…)

  11. macska Says:

    ここにあったbrother-tさんと山口一男さんの議論(?)は、以下に保存して削除しました。
    http://d.hatena.ne.jp/macska/20071022/p1

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