ファット・ポジティヴィズムと、マイノリティによる自己肯定の難しさ

2007年7月24日 - 2:26 PM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

昨日書いた「肥満増加の裏にある米国の農業政策と階級格差」の後ろの方で「太っていてもいいじゃないか」と主張するファット・ポジティヴィズムの考え方についても少し書いたのだけれど、別のエントリにすれば良かったと後から気付いた。幸いその部分についてのコメントもついていないようだし、分離して以下に掲載する。
前エントリでは米国における肥満増加の問題をめぐる、決して無視できない政治的な問題を指摘した。ここではさらに、別の視点というか、kanjinai さんが紹介している元記事「肥満である権利」でも紹介されているファット・ポジティヴィズムの観点から、元となった kanjinai さんと eirene さんのエントリ、及びコメントを再び参照する。

kanjinai 『そうでしょうね・・・。でも、前のエントリーでも書いたような、肥満の権利というのは、どうなるんだろう。肥満の後遺症治療による医療費高騰を公的費用でまかなうのはフェアじゃないと非肥満者が言い出したら、どうなるんだろう。』 (2007/07/22 18:59)

ここで kanjinai さんは肥満と疾患を結びつけて医療費の問題を心配しているけれど、ファット・スタディーズでは「fitness at every size」(どんなサイズでもフィットになれる)という考え方が広く共用されている。すなわち、太っていることが不健康の原因なのではなく、不健康な太り方をする場合だけ不健康になるのだ、というわけ。
わたし自身の考えはというと、「every size」というのはいくらなんでも言い過ぎなんじゃないかと思うのと(この運動も、なんだか一部に疑似科学みたいな匂いがあって気になる)、そういう標語がただでさえ激しい「fitness」の規範化・倫理化を強化し、既に「デブ」と自他に認知されることで「fitness」の強迫から逃れていた人たちをそのゲームに巻き込んで「不健康」な人を貶めることに貢献するんじゃないか、くらいに思っている。
てゆーか、そういう内容の論文案をファット・スタディーズ関係の編集者に送ったら「fitness at every size」に疑問を投げかけるのはファット・スタディーズでは認められない、みたいに言われてボツくらった。他の理由ならともかく、なんなんだよその学問。一応ファット・スタディーズの名誉のために言っておくと、多分変なのはその編集者を含む一部だけだと思います。まぁそれはともかく、「太っている=不健康」では(必ずしも)ない、というのは正しいので、もしかすれば「健康な太り方」が周知されれば人々が太ること自体は問題じゃないかもしれない、くらいは考えてください。
医療保険の問題は、いま米国議会で遺伝子情報差別禁止法案ってのがあって、その議論と関係してきそう。雇用や医療保険加入の際、個人の遺伝子情報によって選別してはならない、という法案。これは別に経済学エントリで書こう。
上でいきなり書いたけど、「ファット・ポジティヴィズム」というのは文字通り、太っている自分を肯定し、体格による差別や偏見に対抗しようという運動のこと。前エントリで引用したコメントで eirene さんは、肥満者の自己肯定は「好きなものを好きなだけ食べられる」「高カロリー食を日常化した」「アメリカ文明に依存している」、と言うのだけれど、それって要するに「かれらのアイデンティティは、発達した消費社会を前提としている」ということでしょ。それは、先進国に住む人なら誰でも同じはずなのに、なんで肥満者の場合に限って「文明のあり方を問い直すことなしに」自己肯定すらできないというわけ? 肥満者のアイデンティティを否定しているのは、かれら自身じゃなくて eirene さんじゃないかな。
あ、もちろん肥満者がみんな自己肯定できるって言いたいわけじゃないよ。だって、世間は偏見だらけじゃん。テレビを見るのも医者に行くのも不快に決まってる。もちろん、「ありのままの私でよい」という言明は、「ありのままの私ではダメだ」というメッセージがどこからかーー実際には、ほぼ社会全体からーー発されているからこそ言語化される。「ありのままの私でよい」と宣言する当人も、社会全体から発されるアンチ・ファットのメッセージから完全に自由ではない、というのは当たり前の話。
わたしはファット・ポジティヴ系のアート(パフォーマンス、詩、その他)が「退屈だ」と書いたビラをそういう系統のイベントで配るという顰蹙行動を企画したことがあるんだけど、その理由はそういったアートのほとんどがこの当たり前の話を踏まえていないから。踏まえないというか、無意識に避けているんだと思うけど、そのこと自体が自己の掘り下げが足りない証拠。内面化された「ありのままの私はダメだ」というメッセージとの葛藤を隠蔽して(あるいは「洗脳されてたけど、洗脳が解けた」みたいな単純な物語にして)、アート足り得る表現が成り立つか、みたいに批判しちゃったのね。
ま、そういうわけで、わたしも「ありのままの私でよい」という自己肯定は危ういと思うけれども、社会的マイノリティの一員ーーここでは集団としての人数ではなく権力の配分でマジョリティとマイノリティを区別しているーーが、いまの社会を生きながら「危うくない自己肯定」なんて得られるわけがない。肥満者だけ特別に「アメリカ文明に依存している、文明のあり方を問い直すことなしに自己肯定ができるのだろうか」なんて言われる筋合いはないと思う。kanjinai さんは車椅子を使う人がそのことを自己肯定することと比べているけれども、身体的な障害で車椅子を使う人がうまく自己肯定できないとしたら、それは社会に障害者を例外・異常とみなす風潮があるからであって、かれらのあり方が発達した資本主義社会の余剰に依存していることの文化的宿命なんかではないでしょ。
問われなければいけない問題はたくさんある。農業政策の転換は是非実現して欲しい(けど絶対起きないーーただし、野菜やフルーツにも追加の助成金を出すという方向では議論が進んでいる様子… 米国の有権者はアホか?)し、階級的にハビトゥスの変革は困難だとしても、せめて経済的な理由で貧困層がジャンクフードに引き寄せられる状況は政策的に解決できるはず。それと同時に、太った人や痩せた人を含めた身体的な多様性にもっと社会が寛容になるべきで、それにメディアが果たせる役割は大きい。でも、肥満を過食とのみ結びつけて論じるのは、あまり建設的ではないと思う。
最後に、ファット・ポジティヴ(ファット・プライド)系なら以下のサイトを紹介しておきます。
FatGirl Speaks!
わたしがビラを巻いたイベント(笑) パフォーマンスアートではなく、太った女性たちのお祭りとしてなら十分楽しめるイベントです。ファッションショーもあって、見ていて楽しいし、デザインが良くて大きめのサイズの服がポートランド市内のどこで買えるか分かる。
NOLOSE
NOLOSE というのは「減量しない = no lose」と掛けているけど、もともと National Organization for Lesbians of SizE という団体名を略したもの。バイセクシュアルの女性やトランスジェンダー・トランスセクシュアルの人たちなど多様なクィアを含むことによって、正式名称も NOLOSE に変更された模様。この団体は、他のレズビアン団体と比べてかなり早くからバイセクシュアルの女性やトランスセクシュアルの人たちをグループに受け入れた印象がある。
FAT!SO?
このグループも名前が面白い。「FAT!SO?」というのは「デブだけど何?」という意味だけど、同時に太った子どもに対する嫌がらせの言葉「fatso」から来ている。中心となっている Marilyn Wann による編著「FAT!SO? Because You Don’t Have To Apologize for Your Size は読むべき。このグループは、あるスポーツクラブが会員を増やそうとユーモアで「宇宙人は太った人から先に食べる」という宣伝をしたことに抗議して、宇宙人の格好で「痩せた人の方が美味しそうだ、食べてみたい」というメッセージを掲げる行動を起こしたり、ダイエットしている人のための雑誌に FAT!SO? の広告を出そうとするなど、楽しい活動をしている。
バンド The Gossip のフロント、Beth Ditto が音楽雑誌の表紙でヌードになった件について kanjinai さんが取り上げていたけれども、この件については(ポルノ批判派以外の)フェミニストから批判がある。1) なぜヌードなのか? もし彼女がヌードを拒んだらはたして表紙に掲載されただろうか? 女性ミュージシャンが音楽雑誌の表紙に出るのにヌードにならなければいけないとすればおかしい。2) 確かに彼女の太った身体は映されているが、彼女の肌は通常のヌード写真と同じく丁寧にブラッシングされている。もし「ありのままのヌード」というのであれば、ブラッシングは不要だったのでは。詳しくは Feministing あたり参照。ちなみに彼女がイギリスでブレークしたと言っている人がいたけれど、彼女はアメリカ人でずっとこっちに住んでるし、ていうかうちの近所に住んでるよ。

One Response - “ファット・ポジティヴィズムと、マイノリティによる自己肯定の難しさ”

  1. “Don’t You Realize Fat Is Unhealthy?” 日本語訳 « G.R.E.A.T. 日本支部 Says:

    […] また、 Macska さんによる2つの記事:『肥満増加の裏にある米国の農業政策と階級格差』とファット・ポジティヴィズムと、マイノリティによる自己肯定の難しさ』も合わせて読んでください。この Shapely Prose の記事だけではカバーできない部分がたくさん書いてあります。 共有:メールアドレス印刷TwitterFacebookLike this:Like一番乗りで「Like」しませんか。 カテゴリー:身体サイズ ← 新しいサイト『フェミニズムの歴史と理論』 クィア理論は役立つ理論? → 会話をスタート […]

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