小谷野敦『すばらしき愚民社会』文庫版加筆部に見る「ニセ科学」的心情

2/28/2007 - 3:33 pm | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

以前このブログで議論(と言えるのかどうか分からんが)の相手として登場した小谷野敦氏(ここここを参照)が、最近文庫化された『すばらしき愚民社会』の加筆部分でその議論に関連してわたしの悪口を言っていると chiki さんに教えてもらったので、早速取り寄せた。本当は田中玲さんの『トランスジェンダー・フェミニズム』や伏見憲明さんの『欲望問題』の感想を先に書くべきだと思いつつ、旅行から帰ってきたばかりで疲れているのであまり頭を使わなくてもいい小谷野さんの相手を先にしておく。

この本『すばらしき愚民社会』はもともと雑誌の連載を単行本化したもので、今年になってから文庫本が出た。わたしが登場させられているのは第7章「若者とフェミに媚びる文化人」という文章の「補論」部分で、以下のように書かれている。

ここで取り上げた『ブレンダと呼ばれた少年』は、版元の無名舎が倒産か廃業したため絶版になっていたが、『新・国民の油断』(二〇〇五)で西尾幹二と八木秀次は、フェミニストの政治的圧力で絶版になったと憶測し、二〇〇五年五月、八木の解説を伏して扶桑社から復刊した。 (…) 『朝日新聞』二〇〇五年六月二十一日朝刊(東京版)科学面のコラムで高橋真理子は、マネーの実験がインチキであることは一九八六年から知っていたと書き、マネーを批判しつつ、八木の解説をも批判し、マネーの実験を早くから疑問視していたハワイ大学教授・ミルトン・ダイアモンドの談話を引いて、「生まれつきか育て方か、一方ではなく、両方の相互作用が性を決めるのです」と言ったとされている。しかし「性」とは曖昧な表現だ。仮にジェンダーだとしても、育て方によってジェンダーが変更されるなどということはありえない。

二〇〇六年一月号『諸君!』で私は、八木・仲正昌樹と鼎談をし、フェミニズムのおかしな所を批判し、ダイアモンドの発言に対しても、「だいたいは生まれつきで決まる」というのが正しいだろうと言った。六月(2006年、引用者注)に論集『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか』(双風舎)が出て、米国在住の性的少数派解放運動家らしき小山エミが、八木の一連の言説を批判していた。 (…) その後、ネット上で小山と私が論争したが、小山は特異な病気をもった男児が、女児として育っている例があると述べ、私は、それは特殊な例で、だから「だいたいは」で違っていないし、しかもそれはダイアモンド発言の「育て方」ではないと反論したが、あまりに態度が居丈高なので途中でやめた。

議論の内容のまえに、上記を見て『バックラッシュ!』にわたしが書いた論文の内容が小谷野との「ネット上の議論」とどういう関係にあるのか分かる人がいるだろうか。実のところ、まったく関係ない。議論の発端は、小谷野がわたしが『バックラッシュ!』よりも前にブログで書いたことと『バックラッシュ!』掲載論文の議論を混同して、「小山エミが『バックラッシュ!』でこう言っている」と、本に書いてもいないことを延々と批判してきたことだ。さすがにそんな恥ずかしいことは自分の読者に伝えたくないのだろうけれど、これじゃ読者が混乱するだけだよ。

で、内容だけど、まずは問題となっている論争がどういうものか理解する必要がある。マネーとダイアモンドの論争について話している以上、ここで議論されているのは「人の性自認(ジェンダー・アイデンティティ)は生まれつき決定されているか、それとも出生後に変化させることが可能か」というものであるはずだ。マネーは「生後18ヶ月までに手術によって性器の外見を目的の性別のものにし、その性別の子どもとして一貫して育てれば、どの子も男の子にでも女の子にでも育てることができる」と主張し、ダイアモンドはそんなことはありえないと反論してきた。『ブレンダと呼ばれた少年』に出てくるデイヴィッド・ライマーの症例は、当初マネーによって自説の補強材料として利用され、ダイアモンドによってのちにマネーの報告が現実と違っていたことが暴かれた。

でもわたしが『バックラッシュ!』でも小谷野との議論でも紹介したように、ライマーと同様に事故によってペニスを失い女児として育てられた別の症例では、大人になっても女性として生活している人がいる。となると、ライマーの件の結末が例外だった可能性すらあるわけで、それだけを根拠に「性自認は生まれつき決定されている」と断じることはできない。しかし「生まれつきまったく正常な男児が女児として育てられた」例はほかに報告されていないし、まさか人体実験をするわけにもいかないので、これ以上厳密な調査はできない。

そこで研究者が注目したのが、総排泄腔外反症をもって生まれた男児だ。小谷野は一方的に「特異な病気を持った男児」とまるで特殊例だから参考にならないかのように書いているけど、世界中の専門家が総排泄腔外反症男児の例は参考になると思っている理由を理解していないだけ。それどころか小谷野は、わたしが具体的な研究論文や研究者の名前を挙げて(小谷野さんって英語できるから、原文に当たったり研究者に連絡取ったりしようと思えばできるはずだよね?)かれらのうち性自認が女性になった割合まで説明したのに、わたしの主張を「女児として育っている例がある」という風にまとめることで、わたしの挙げた科学的根拠を著しく矮小化している。

研究者らが総排泄腔外反症男児に注目する理由とは、これらの男児が性器形成に問題をもって生まれ、その多くが手術を受けて女児として育てられた経緯がありながら、遺伝子的・ホルモン的には通常の男児とまったく変わらないと考えられているから。脳の性分化は胎児期に脳が浴びるホルモンシャワーによって起きるという説が最有力だけど、総排泄腔外反症男児はそうでない男児とまったく同じホルモンシャワーを浴びて生まれている。つまり、かれらの脳は通常の男児と同じだけ男性化していると考えられているので、かれらについて研究すれば他の男児にも通用する結論が得られる可能性が高い。また、この症状自体かなり稀だけれど、それでも多数の症例が研究の対象となっているという点で、たった2例しか報告されていない「まったく正常な男児が女児として育てられた例」の研究よりは多くのデータを得られる。

そうした研究の結果なにが分かったか。手術を受けて女児として育てられた総排泄腔外反症男児を長期に渡って調査したところ、具体的な数字は調査によってばらつきがあるものの、だいたい全体の6割がのちに男性として生きることを選択している。一方、性器が正常とは言えない状態でそのまま男児として育てられた子どものうち、のちに女性となることを選択した人はほとんどいない。つまり女児として育てれば6割(もしくは、本当は男性として生きたいけれどカミングアウトしていない人を含めるとそれ以上)が失敗に終わり、男児として育てるとほとんど全員少なくとも性自認のうえでは問題を抱えることはない。

このことから、明らかに性自認には生まれつきの要素が強く影響していることが言える。もし仮に生まれつきの要素が何もないのであれば、男児に育てようと女児に育てようとどちらも成功率は変わらないはずで、女児として育てた場合だけ過半数がのちに男性として生きることを選択するのが説明できない。また、この結果からは「総排泄腔外反症男児を女児として育てるのはひかえるべき、たとえ性器が正常でなくても男児として育てるべき」という医学的な方針も導き出せるし、既にそういう方向に医療は変わってきている。

でも、だからといって性自認は「だいたい生まれつきで決まる」と言ってしまっていいのだろうか。遺伝子的にもホルモン的にも正常な男児として生まれたはずの子どもが女児として育てられたケースにおいて、4割もの人たちが大人になっても女性として暮らしていることは無視できない。もし「だいたい生まれつきで決まっている」ならば、そんなに多くの人が生まれつきの性別とは違う性を自分のものとして生きていることは説明できないものね。生まれつきの要素の影響が強いのは確かだとして、明らかに育て方ーー小谷野はダイアモンドの言う「育て方」には手術は含まれないと言うが、マネーとダイアモンドの議論は手術による性器形成を前提としているので小谷野が間違いーーの影響もある。だからこそ、ダイアモンドは「生まれつきか育て方か、一方ではなく、両方の相互作用が性を決めるのです」と言っているのね。

「だいたい生まれつきで決まる」でいいじゃないか、といまだに言い続ける小谷野は、ダイアモンド(やわたし)が「生まれつき」の優勢さをはっきり決めつけないことに苛立っているように見える。その様は、ちょっと前にネットで流行った「まん延するニセ科学」で菊地誠氏が批判する「ニセ科学」を信奉する人たちの態度と似ているのではないか。

さて、「ニセ科学」が受け入れられるのは、科学に見えるからです。つまり、ニセ科学を信じる人たちは、科学が嫌いなのでも、科学に不審を抱いているのでもない、むしろ、科学を信頼しているからこそ、信じるわけです。

たとえば、マイナスイオンがブームになったのは、『プラスは身体に悪く、マイナスは身体に良い』という説明を多くの人が「科学的知識」として受け入れたからです。

しかし、仮に、科学者に、『マイナスのイオンは身体にいいのですか』とたずねてみても、そのような単純な二分法では答えてくれないはずです。

『マイナスのイオンといってもいろいろあるので、中には身体にいいものも悪いものもあるでしょうし、身体にいいといっても取りすぎればなにか悪いことも起きるでしょうし、ぶつぶつ……』と、まあ、歯切れの悪い答えしか返ってこないでしょう。

それが科学的な誠実さだからしょうがないのです。

ところが「ニセ科学」は断言してくれます。

『マイナスは良いといったら良いし、プラスは悪いといったら悪いのです。また、ゲームをし過ぎるとなぜ良くないのかといえば、脳が壊れるからです。ありがとうは、水がきれいな結晶を作るから、良い言葉なのです。』

このように、「ニセ科学」は実に小気味よく、物事に白黒を付けてくれます。この思い切りの良さは、本当の科学には決して期待できないものです。

(…)

たしかに、なんでもかんでも単純な二分法で割り切れるなら簡単でしょう。しかし、残念ながら、世界はそれほど単純にはできていません。その単純ではない部分をきちんと考えていくことこそが、重要だったはずです。そして、それを考えるのが、本来の「合理的思考」であり「科学的思考」なのです。二分法は、思考停止に他なりません。

「ニセ科学」に限らず、良いのか悪いのかといった二分法的思考で、結論だけを求める風潮が、社会に蔓延しつつあるように思います。そうではなく、私たちは、『合理的な思考のプロセス』、それを大事にするべきなのです。

小谷野にいまさら「合理的な思考のプロセス」を期待するのは酷かもしれないけれど、だからといって議論から逃げ出して自分の関連エントリも含めて全部削除しちゃったことを「相手の態度が悪いからやめた」と誤摩化すのはやめようよ。いくらなんでもみっともないよ。

…と、今日はわたしについて言及している部分だけ。
ついでなので、明日はデビューボ度満点のこのコラムの他の部分にもツッコミを入れていきたいと思います。

26 Responses - “小谷野敦『すばらしき愚民社会』文庫版加筆部に見る「ニセ科学」的心情”

  1. 純子 Says:

    小谷野さんもMacskaさんも気が付いてないのか、気が付かなくて知らんふりしているのか? それとも、自分たちがどこでズレているのかまったく気が付かないのか?

    >つまり女児として育てれば6割(もしくは、本当は男性として生きたいけれどカミングアウトしていない人を含めるとそれ以上)が失敗に終わり、男児として育てるとほとんど全員少なくとも性自認のうえでは問題を抱えることはない。

    「だいたい」というのは、「すべて」ではない。
    つまり、「生まれつきか育て方か、一方ではなく、両方の相互作用が性を決めるのです」と「だいたいは生まれつきで決まる」との間には矛盾はない。

    男の子に生まれれば、だいたいの人は男の子として育つ。
    この事実が間違っているとmacskaさんは言いたいのだろうか?

    現在の社会で男性として暮らしている人の中には、社会から男の子として育てられたせいで社会からの強制されて男になった人もいるはずだ。
    だから男の子は、まずは女の子として育てて、女児として育てられた総排泄腔外反症男児のうち大人になっても女性として暮らしている4割の方のように、選択的に男女を選べるよう「自己決定権」を行使させる機会を与えるべきだとでもいいたいのだろうか^^?

    macskaさんは、まさかそんな主張をしたいわけではないよねえ(^^)

    ついでに以前の私のコメントにつけられた、これについて反論しておこう。

    >それを逆に言うと、俗世の価値観に沿わないジェンダー表現をするような人は「何かと損だし、生きにくい」。しかし自然現象として損したり生きにくくなっているわけではなく、社会のしくみが「公認ジェンダー」を基準に作られているからこそ苦しいわけです。

    「公認ジェンダー」自身は、おおむね大多数の人が従っているものです。これ自体の抑圧性は薄いと思われます。また時代ともにジェンダーの内容に変化があっても、それほど大きな変化はないでしょう。

    「特別な事情のある人」は「公認ジェンダー」があるせいで苦しんでいるわけではなく、事情があって「公認ジェンダー」に乗りづらいから苦しんでいるわけです。

    だから「公認ジェンダー」を非難攻撃するより、何で苦しいのか?どんな事情があるのか?を、を大多数の「公認ジェンダー」を生きて人たちに伝えて理解してもらうほうが先ではないですか?

    >そういう状況においては、「特別な事情がある人」だけでなく、すべての人が不自由な自己決定を迫られます。

    不自由な自己決定をどこの誰が迫られているのですか? すべての人がですか?

    >だからこそ、もっと自由に選べるように、多様なジェンダーに寛容な社会のしくみを作ろう、という呼びかけがあるのね。多様なジェンダーに寛容な社会は、「特別な事情がある人」だけでなく、そうでもない人の自由度も高めます。

    宮台さんもいうように、「保守思想」の要諦は「寛容」ということにつきます……(^^)。たとえ貴族制度に腹が立っても、貴族に生まれたというだけでギロチン送りにしてはいけませんと、エドモンド・バーグも「フランス革命についての省察」の中で主張していました。
    ところで日本にはソドミー法はあるですか? 中世ヨーロッパみたいに半陰陽者を悪魔の使いとして火あぶりにしていた歴史があるのですか?

    >多様なジェンダーに寛容な社会は、「特別な事情がある人」だけでなく、そうでもない人の自由度も高めます。

    これは疑問、むしろ寛容な社会をつくるためには、人道的な配慮として、そうでない人の自由を制限して「義務」を課す必要もあるのではないですか? たとえば「いじめは絶対いけません!」とか(^^)

  2. makiko Says:

    > 田中玲さんの『トランスジェンダー・フェミニズム』や伏見憲明さんの『欲望問題』の感想

    アイデンティティ政治とのからみ、どういう立場をとられるのか、楽しみにしています。

  3. Josef Says:

    >遺伝子的にもホルモン的にも正常な男児として生まれたはずの子どもが女児として育てられたケースにおいて、4割もの人たちが大人になっても女性として暮らしていることは無視できない。

    人間は可塑性・環境適応力の大きい動物だからこのように自らを「育ち」に適合させることができるということでしょうね。その気になれば「殺人機械」にも「産む機械」にも育てることができる、それが人間というもの。それにもかかわらず、

    >女児として育てれば6割(もしくは、本当は男性として生きたいけれどカミングアウトしていない人を含めるとそれ以上)が失敗に終わり、男児として育てるとほとんど全員少なくとも性自認のうえでは問題を抱えることはない。

    ということであれば、やはり性自認はおおよそ生まれた時には方向づけられているということでしょう。それを「環境」でもって強引に変えようとすれば4割程度は適応するが、そんなことはすべきではない。だから、

    >この結果からは「総排泄腔外反症男児を女児として育てるのはひかえるべき、たとえ性器が正常でなくても男児として育てるべき」という医学的な方針も導き出せるし、既にそういう方向に医療は変わってきている。

    という真っ当な方向に進むわけですね。

    ところで、

    >「だいたい生まれつきで決まる」でいいじゃないか、といまだに言い続ける小谷野は、ダイアモンド(やわたし)が「生まれつき」の優勢さをはっきり決めつけないことに苛立っているように見える。

    明らかに「生まれ」が優勢でしょう。どういうふうに考えたら「優勢とはいえない」ことになるのですか?

  4. jo Says:

    久々に過去のお二人の論争(と言えるのかどうかわからないですけど)を呼んで、なんというか小谷野さんの迷走っぷりが必死過ぎて笑ってしまいました。彼はあれが渡世の芸なのかもしれませんが。

    まあ学者さんたちにとって議論なんて一緒にお茶を飲んでゲームする程度のもんなのでしょう、と思うことにします。マジメに怒っちゃ負けですしね。
    とりあえずお疲れさまでした。伏見本あたりへの感想、楽しみに待ってます。

  5. crafty Says:

    小谷野さんは女性として育てられた総排泄腔外反症男児を単に「特異な病気をもった男児」と書くことで、
    「特殊な例」の人達が女性として生きることを選択したのは病気からくるフィジィカルな影響だ、
    という印象を読者に与えたいかのように読めます。
    イチャモンかもしれませんが。

    それと前段の
    >仮にジェンダーだとしても、育て方によってジェンダーが変更されるなどということはありえない。
    では「ありえない」とまで言い切っているけどこれも根拠は無いのだろうなあ。

  6. 小谷野敦 Says:

    小山エミがあげている例は「育て方」によって性自認が変わる例とは言えない。ダイヤモンドのコメントの日本語訳の「育て方」の原文がnurtureだとすれば、明らかに間違いだろう。

  7. macska Says:

    純子さん:

    「だいたい」というのは、「すべて」ではない。

    「だいたい」は「すべて」ではないけれど、大多数は、とか基本的には、という風に受け取られますね。そんな単純な話ではないとわたしは批判しているのです。なにも小谷野さんが「すべて」がそうだと言っている、なんて思っていません。

    男の子に生まれれば、だいたいの人は男の子として育つ。
    この事実が間違っているとmacskaさんは言いたいのだろうか?

    事実はその通り。しかし、その男の子たちは、「男の子に生まれた」だけじゃなくて、男の子の性器を持ったまま、男の子として社会に扱われて育っているわけですよ。だから、「男の子に生まれること」と「男の子として育つ」ことのあいだに相関関係はあっても、因果関係があるかどうかまでは分からない。「だいたいの人は男の子に育つ」というだけでは、可能性としては「育て方だけが子どもの性自認を決定する」という説だって否定できないわけですから。

    以前のエントリについての反論は、向こうにつけてください。

    Josefさん:

    ということであれば、やはり性自認はおおよそ生まれた時には方向づけられているということでしょう。それを「環境」でもって強引に変えようとすれば4割程度は適応するが、そんなことはすべきではない。だから、

    性自認については、生まれた時にある程度方向性というのはある。でも「環境」によっては半分近くが違う性自認を獲得することができるように、「環境」の影響もかなり大きい。もちろん、そんなギャンブルはするべきではないというのは当たり前のことだけど、科学的な認識としてどちらか一方で「おおよそ」決まる、という言い方は乱暴です。

    明らかに「生まれ」が優勢でしょう。どういうふうに考えたら「優勢とはいえない」ことになるのですか?

    6割と4割だから2割の差で優勢とでも言うつもりですか? そんなくだらない話じゃないですよね?

    学問的に真摯な言い方をすれば、どちらも大きな影響があり、両方の相互作用で性自認が作り出されるとしか言いようがない。どちらか一方で「おおよそ」あるいは「だいたい」決まるというのは、ニセ科学的な断言です。

    小谷野敦さん:

    小山エミがあげている例は「育て方」によって性自認が変わる例とは言えない。

    本文で既にその論点については論じているのに、なんで同じことを繰り返すかなぁ。

    マネーとダイアモンドが「生まれか育ちか」を論じるとき、どちらも「手術によって育ての性に合致した外見の性器を作ること」を前提として議論していたわけですよ。マネーは手術しなくても育て方だけで性自認を決定できるとは一度も言っていない。もしマネーがそう言っていたならば、デイヴィッド・ライマーはじめ多くのインターセックスの当事者が不必要な手術を受けずに済んで、もしかしたらライマーは自殺しなくても済んだかもしれない。

    もしそういう事ではなく、別の理由で「『育て方』によって性自認が変わる例とは言えない」と言うのでしたら、どういう理由なのか説明してください。

  8. rna Says:

    macskaさん:

    Josefさん:

    明らかに「生まれ」が優勢でしょう。どういうふうに考えたら「優勢とはいえない」ことになるのですか?

    6割と4割だから2割の差で優勢とでも言うつもりですか? そんなくだらない話じゃないですよね?

    Josefさんが言いたいのは、何もしなければ生まれの性と一致した性自認を持つのに対して、コストをかけないと反対の性自認を持たせることはできないという意味で、生まれの性は優勢、ということでしょうか?
    もっとも、実際には「何もしなければ」というのは見かけ上そう見えるだけで、我々が生活しているこの社会には生まれの性と性自認を一致させる方向に仕向けるような仕組みが多少なりともあり、普通の人たちが普通に生活しているだけで、その仕組みを維持するコストを無意識のうちに負担されている、とも考えられるわけで、単純なコスト比較で優劣はつけられません。実験群も対象群もどちらも社会から隔離された空間で育てたらどっちが優勢かわかるかもしれませんが、人道的に無理そう。

  9. rna Says:

    あ、blockquoteネストできないのか。。。上のコメントは、「6割と4割だから2割の差で優勢とでも言うつもりですか? そんなくだらない話じゃないですよね?」までが macska さんの発言の引用です。

  10. Josef Says:

    macskaさん

    >性自認については、生まれた時にある程度方向性というのはある。でも「環境」によっては半分近くが違う性自認を獲得することができるように、「環境」の影響もかなり大きい。

    >学問的に真摯な言い方をすれば、どちらも大きな影響があり、両方の相互作用で性自認が作り出されるとしか言いようがない。どちらか一方で「おおよそ」あるいは「だいたい」決まるというのは、ニセ科学的な断言です。

    厳密に言うならそもそも生まれと環境を截然と区別することはできないでしょうね。きちんとした定義抜きで両者を区別して語ろうとする時点で既に「だいたい」です。以下はその前提の下で言いますが、環境を過小評価しているわけではありません。人間の認知パターンや諸能力はそれなりの環境があって獲得されるのは当然です。

    生まれた時点で既に方向づけがなされているということ、これが「だいたい決ま」っているということでしょうし、そう理解した上で「優勢」と言っています。それがスムーズに発現するかどうかについてはもちろん環境が大きな役割を果たします。乳児期を真暗闇の中で育てれば視覚認識ができなくなる。歪んだレンズを目に入れて育てれば視覚認識も歪む。しかしそういう特殊な環境に置くのでなければやがてちゃんとモノが見えるようになること、これは生まれた時には「だいたい決ま」っています。性自認も同じことでしょう。

  11. ラクシュン Says:

    >遺伝子的にもホルモン的にも正常な男児として生まれたはずの子どもが女児として育てられたケースにおいて、4割もの人たちが大人になっても女性として暮らしていることは無視できない。

    以前のエントリーからの疑問ですが、「総排泄腔外反症を原因としてペニスを持たずに生まれてきた男児のうち新生児期に手術によって女性に変更された人たち」のケースにおいて、「14例中8例が男性を自認し」ているということでしたが、あとの「6例」は女性としての「性自認」を持っているということでしょうか?

  12. macska Says:

    Josefさん:

    生まれた時点で既に方向づけがなされているということ、これが「だいたい決ま」っているということでしょうし、そう理解した上で「優勢」と言っています。

    別の話をしているのであればそういう言い方をしてもほぼ問題はないでしょうが、マネーとダイアモンドの論争という文脈を考えればこの問題についてそう言うのは誤解を招く言い方です。ジョン・マネーですら「生まれたじてんで方向づけがなされているということ」には反対していませんでしたから(よく誤解があるのですが、マネーは生後の書き換えが可能だと言っていただけであり、ブランク・スレートを主張してはいません)。しかしマネーは「18ヶ月までに手術を施して性器の外見を育成上の性別に合わせさえすれば、思う通りの性別に育てることができる」と言い、ダイアモンドはそうではないと言ったわけですから。

    ラクシュンさん:

    以前のエントリーからの疑問ですが、「総排泄腔外反症を原因としてペニスを持たずに生まれてきた男児のうち新生児期に手術によって女性に変更された人たち」のケースにおいて、「14例中8例が男性を自認し」ているということでしたが、あとの「6例」は女性としての「性自認」を持っているということでしょうか?

    調べたところ、1例は女性として生活しているが性自認は不明とのことでした。消去法で考えると、残る5名は女性と自認している(少なくとも、そう回答した)と思われます。また、男性を自認しているが女性として生きているとされた2例も、よく調べると男性を自認していると「以前言ったことがある」だけのようです。もしかしたらその後性自認が変わって女性を自認するようになっており、だから女性として暮らしているという可能性もなくはないようです。

    総排泄腔外反症の調査はこれだけじゃないですし、6割4割というのはまだ医学誌に掲載されていない(学会などでは発表された)大きな調査を含めてざっと見て言っているだけなので、あんまり厳密な数字ではありません。どちらも無視できないだけの割合を占めていそうだ(その中では、男性を選んだ人の方がやや多いようだ)、ということだけ理解していただければ良いと思います。

  13. 小谷野敦 Says:

    私が言っているのは朝日新聞のダイヤモンドの発言です。

  14. macska Says:

    分かってるって。分かったうえで、それはマネーとの論争の延長上にある発言だと言っているわけ。

    では逆に聞きますが、小谷野さんは、朝日新聞のダイアモンドの「生まれつきか育て方か、一方ではなく、両方の相互作用が性を決めるのです」という言葉を(マネーとの論争の延長でないとしたら)どういう意味に解釈しているのですか? なんなら、ダイアモンドには先週会ってきたばかりですし、いつでも質問できますよ。

  15. 小谷野敦 Says:

    もちろん「育て方によって性自認が変わる」という意味だと理解していますよ。あの新聞記事だけ読んだ人は、そうとしか考えないでしょう。ダイヤモンドの真意がどうなのかは、この際関係ないのです。あの新聞記事がミスリーディングだということは認めるわけですね。

  16. macska Says:

    あのですね。

    小谷野さんは、出版された本の中でわたしの議論を受け入れない理由として「ダイアモンドの言った『育て方』は、小山が示している研究での『育て方』と意味が違う」と言っていたんですよね。ということは、もしダイアモンドの真意がわたしの言う通りであれば小谷野さんは間違いだし、もしダイアモンドの真意が違えば小谷野さんが正しいということになります。それくらい重要なのに、いまさら関係ないと言われても困るわけで。

    もし小谷野さんが「自分は間違っており小山が正しかったが、朝日新聞の記事がミスリーディングだったために自分は誤読してしまった」と言いたいならそれでいいですよ。でもそれなら、「自分は間違っており小山が正しかった」という部分を先に言ってくれなくちゃいけない。いや、言うだけじゃ済まないな。あれだけ小倉氏に対して「増刷で訂正しないのはおかしい」と文句を言ってきたのだから、もし『すばらしき愚民社会』が増刷されることがあったらあの部分は削除もしくは修正しなくちゃいけない。

    ついでに言うと、「あの新聞記事だけ読んだ人は、そうとしか考えない」と言うけれども、あの新聞記事だけ読めばそもそも「性を決める」の「性」が「性自認」のことであると分かるはずがありません。小谷野さんにそれが分かるのは、まがりなりにもマネーとダイアモンドの論争や「双子の症例」の議論を踏まえているからで、ご都合主義的にある部分は「あの記事だけ読んだ人の視点」に沿って解釈し、ある部分は「ダイアモンドの真意」に沿って解釈していることになります。

  17. 小谷野敦 Says:

    小山さんは、日本語が不自由なのではないかと思います。「育て方」という言葉は、あなたの言うような意味にはなりえません。男として生れたのに女として育てたら女の性自認を持ってしまったなどという例はないでしょう。それから「だいたいは生まれつき」で間違っていません。「だいたい」と「すべて」は、論理的には全然違います。朝日新聞の高橋真理子の記事を、何も知らない人が読んだら、「男に生れても女の子のように育てれば、ペニスが消える」と解釈はしないでしょう。要するにあの記事はミスリーディングか意味不明か、さもなくばたとえばマネーやコラピントの本を読んでいる人が「性自認」のことだな、と思うかのどれかです。

  18. macska Says:

    小谷野敦さん:

    「育て方」という言葉は、あなたの言うような意味にはなりえません。男として生れたのに女として育てたら女の性自認を持ってしまったなどという例はないでしょう。

    普通の用法ならその通りです。しかし、言葉は文脈によって意味が変わることがあります。マネーとダイアモンドの論争という文脈では、どちらもわたしの言う通りの意味として議論してきました。例えばマネーは、一般的な意味で「育て方」によって性自認が決まるとは一度も言っておらず、18ヶ月以内に手術によって育て上の性に合致した性器を形成することが不可欠であると主張していました。それを文章上「育て方」と表現することがあるというだけの話で、論争をきちんとフォローしていれば意味は分かるはずです。

    それから「だいたいは生まれつき」で間違っていません。「だいたい」と「すべて」は、論理的には全然違います。

    それについても既に論じている通り、「だいたい」と「すべて」が同じだという立論はしていません。「だいたい」の意味を正確に理解したうえで、それが科学的な証拠に基づかない過剰な断言であると指摘しているのです。

    朝日新聞の高橋真理子の記事を、何も知らない人が読んだら、「男に生れても女の子のように育てれば、ペニスが消える」と解釈はしないでしょう。

    もちろんしないでしょう。しかし、ジェンダーには「男らしさ・女らしさ」といったレベルから性役割や性自認などさまざまな側面がありますから、とくに「性自認」のことだと理解するとは限りません。小谷野さんが「これは性自認のことだ」とはっきり理解できたのは、マネーとダイアモンドの論争の延長線上にダイアモンドのコメントを解釈しているからです。つまり、小谷野さんは「ダイアモンドの発言は、マネーとの論争という文脈によって解釈すべきである」という点でわたしと同意見でなければおかしいはずです。

    要するにあの記事はミスリーディングか意味不明か、さもなくばたとえばマネーやコラピントの本を読んでいる人が「性自認」のことだな、と思うかのどれかです。

    あの記事がミスリーディングかどうかなんて、それこそここでの議論と全く関係ありません。いまはあの記事の評価を議論しているのではなく、小谷野さんが「朝日新聞の記事においてダイアモンドの言う『育て方』と、小山の言う『育て方』は意味が違う」と書いたのが妥当かそうでないかを論じているのです。

    ただし、もし小谷野さんが「朝日新聞の記事がわかりにくかったために、誤解に基づいて小山を批判してしまった、次の版では訂正する」と言うのであれば、すなわち小谷野さんがわたしに対して誤った批判をしてしまったことを認め、そのやむを得ない理由として記事のわかりにくさが挙げられるのであれば、その場合に限って朝日新聞の記事がミスリーディングかどうかはこの議論に関係があることになります。小谷野さんはそう言っているのですか?

  19. 純子 Says:

    >つまり、小谷野さんは「ダイアモンドの発言は、マネーとの論争という文脈によって解釈すべきである」という点でわたしと同意見でなければおかしいはずです。

    すでに同意見なんじゃないですか(^^)。

    小谷野さん、ひっかかちゃだめですよ。
    これがmacskaさんのいつもの手だから……。

    反対派を批判するときには、科学的な根拠をあげて、相手のミスを指摘し、その上で、自分の考えを主張するときは、科学的な根拠なぞ、無視して言いたい放題ですから……。
    macskaさん流、ディベート戦略だね。時たま、自己矛盾を起こして墓穴を掘るけど……。もう、これは性格だから、どうしようもないね。

    いいかげん、ダイアモンド発言の政治利用、やめてくんないかな。

    右も、左も、保守も、革新も、フェミも、アンチフェミも、上野も、小倉も、八木も、山谷も、高橋も、世界日報も、朝日も、macskaさんも、小谷野さんも……(^^)

    ダイアモンド先生は普通のまともな心理学者なんだから、根拠もないのにそんな極端なイデオロギー的主張ができるわけないじゃないですか。

    たとえばmacskaさんが翻訳してくれたダイアモンド氏のメールから引用
    >Basically I do support gender-free ideas. I don’t think there is anything in the book “As Nature Made Him” that goes against that idea. (基本的に、わたしはジェンダーフリーの考えを支持している。「ブレンダと呼ばれた少年」のどこを読んでもそうした考えを否定する要素はないと思うね。)【強調はダイアモンド氏による】

    […]

    >As I told you, I think that everyone ought to have open opportunities to be educated and develop as they wish and can. I do believe that males and females are somewhat different but there is no way to predict which individuals would benefit the most from any teaching or opportunity thus all should be offered the same opportunities and treated equally. Any individual man or woman might avail themselves differently of the opportunities and might do different things with them but I think each and every person should have the chance to find their own niche in the world. (あなたに話した通り、わたしは人々はみんな可能な限り自分の望む通りに学び成長する広い機会を持つべきだと思っているよ。わたしはたしかに男性と女性は生物学的にやや違っていると思うけれど、どの個人がどういった教育や機会を活用できるかなんて誰にも分からないのだから、全ての人が同等の機会を与えられ、対等に扱われるべきだと信じている。それぞれの男性なり女性が個人として自分にふさわしい居場所を見つけられるチャンスを与えられるべきだ。)

     基本的にはジェンダーフリーアイデアを支持するとは言っているけど、その後の部分で、政治的に利用されたり、誤解されたりしないように、そのジェンダーフリーアイデアの内容を「全ての人が同等の機会を与えられ、対等に扱われるべきだと信じている。それぞれの男性なり女性が個人として自分にふさわしい居場所を見つけられるチャンスを与えられるべきだ。」と限定しているでしょう。

    でも、この後者の内容の部分に関しては、私は全然、異論はない。

    でも、小谷野さんや、ひょっとしたら八木さんや山谷さんですら、この内容に異論はないのと違うか? 批判しているのは、むしろ、この内容からはみ出している「ジェンダーフリー運動」だったり「ジェンダーフリー教育」だったりするのじゃないか? たとえば、「個人として自分にふさわしい居場所」が、女子校や専業主婦だったとしても、それはもちろん認められるべきだよねえ。

  20. macska Says:

    と、またいつものように純子さんが話を逸らしに入ると。

    いいかげん、ダイアモンド発言の政治利用、やめてくんないかな。

    純子さん、全然議論についてこれないんですか?
    いまの議論は政治利用とかそういう話と全然関係ないでしょ。ダイアモンド発言の解釈をめぐる、小谷野さんのわたしに対する批判が妥当かそうでないかという議論なんだから。

    右も、左も、保守も、革新も、フェミも、アンチフェミも、上野も、小倉も、八木も、山谷も、高橋も、世界日報も、朝日も、macskaさんも、小谷野さんも……(^^)

    わたしは少なくともジェンダーフリー論争においてダイアモンドの意見を政治利用した覚えはないよ。例えば、「ダイアモンドがジェンダーフリーを支持しているからジェンダーフリーは正しい」とか、そういう風に主張した事は一度もない。「ダイアモンドは上野千鶴子をデタラメ学者だと言っている」とか「ダイアモンドの研究によるジェンダーフリーは否定された」みたいな明白なウソを言う人がいるから、証拠を挙げてそれがウソだと指摘したことはあったけどね(自身の主張を正しく伝えることは、当のダイアモンドが望んだことでもあるし)。

    ウソをまき散らすことと、事実を公開することによって誤情報を訂正することを並列に置いて「どっちもやめろ」と言うのは無責任。そうやって議論に何の貢献もしないで自分だけ高みに置こうとすることこそ、やめてくんないかな。

    ダイアモンド先生は普通のまともな心理学者なんだから、根拠もないのにそんな極端なイデオロギー的主張ができるわけないじゃないですか。

    根拠もなく「〜などということはありえない」と断言する小谷野さんは、普通でもまともでもないということですね。

    でも、ダイアモンドが普通というのはどうかと思うけど。あれはあれでちょっと変わった学者ですよ。

    それから、何度も言う通りエントリ違いのコメントを長くつけるのはやめてね。今回は大目に見るけど、次は削除するから。

  21. 小谷野敦 Says:

    私は「ブレンダと呼ばれた少年」を読んだ時点では、マネーの実験はインチキまたは誤りであり、性自認は性同一性生涯を含めて事後的には変えられないと思っていました。しかし小山さんに教えられて例外もあることを知り、「だいたいは」と書いたのです。もし小山さんに教えられていなければ「だいたいは」などと書かなかったでしょう。「愚民社会」加筆版ではダイヤモンドの言葉と、小山さんの態度の居丈高さを批判しているだけで、いずれも間違っていません。しかし、「論座」とか「世界」とか、なぜ小山さんに原稿依頼をしないのでしょうね。私にはそれが不思議です。
    「居丈高」の実例をあげる必要はないでしょうが、「看護婦」が日本の新聞では「看護師」に変えられていると私が言ったとき、小山さんは誤った反論をしてきました。そしてそれについて一言も謝罪しませんでした。「だいたいは」が過剰な断言だなどと私は思いませんし、「過剰な断言であるかどうか」は客観的には判断できませんね。

  22. 純子 Says:

    >今回は大目に見るけど、次は削除するから

    おお、芥屋さまと同じあつかいだ。これは名誉な話ですねえ。

  23. ラクシュン Says:

    >遺伝子的にもホルモン的にも正常な男児として生まれたはずの子どもが女児として育てられたケースにおいて、4割もの人たちが大人になっても女性として暮らしていることは無視できない。

    どうせなら、女児として育てられた総排泄腔外反症の男児(手術なし)の4割の性自認が女というデータを出して欲しかったですね。
    でなきゃ私的には、あまりにも説得力なさ杉。
    ではでは…

  24. macska Says:

    小谷野敦さん:

    「愚民社会」加筆版ではダイヤモンドの言葉と、小山さんの態度の居丈高さを批判しているだけで、いずれも間違っていません。

    わたしの態度が「居丈高」であるという批判については、思い当たることが全くないわけでもないですし、小谷野さんのわたしに対する評価ですので、素直に受け入れて今後の参考にしようと思っているところです。ですから、その点についてはこれまで何ら反論していません。

    わたしが問題としているのは、以下の部分です。

    小山は特異な病気をもった男児が、女児として育っている例があると述べ、私は、それは特殊な例で、だから「だいたいは」で違っていないし、しかもそれはダイアモンド発言の「育て方」ではないと反論したが、

    第一に、「特異な病気をもった」「特殊な例」と言われれば、読者は「そういう例は通常の男児について考えるのに何ら参考にならない」という印象を受けるでしょう。しかし、総排泄腔外反症男児の研究は参考になるとして世界中の専門家から注目を浴びているのです。どうして総排泄腔外反症男児の研究が参考になると思われているのかも、わたしは以前の議論の時点で既に説明しています。総排泄腔外反症は「特異な病気」ではありますが、脳の性分化という点に限って言えば通常の男児とまったく同じだと(少なくとも現在の科学的知識によれば)考えられているからです。それを「特殊な例」だからと掃いて捨てるのは、学問的に真摯な態度ではありません。

    第二に、総排泄腔外反症の男児が手術やホルモン治療によって女児として育てられることを「ダイアモンド発言の『育て方』ではない」と小谷野さんは書いていますが、これも事実に反します。たしかに通常「育て方」というと手術やホルモン治療は含まないでしょうが、マネーとダイアモンドの論争という文脈においては含むことが前提とされています。かのマネーですら、手術やホルモン抜きでただ「育て方」だけによって性自認の書き換えが可能であるとは一度も言っていません。

    もしかしたら小谷野さんは「以前の議論で自分がそう主張したのは事実で、だから記述は間違っていない」とお考えかもしれませんが、既に間違いであることが明らかになった主張をまるでもっともな意見であるかのように書くと読者がミスリーディングされます。朝日新聞の記事がミスリーディングだと非難するのであれば、ご自身の著書のミスリーディングな記述も直すべきでしょう。

    さらに言うと、「だいたい生まれつきで決まる」の「だいたい」というのもいい加減で、科学的事実に基づいた学問的に真摯な発言とは言えません。生物学的な影響も、出生後の影響も、どちらも無視できないくらい大きいというのが現時点で言える最も誠実な学問的態度であり、ダイアモンドの立場もそれです。小谷野さんはこの分野についてダイアモンドやわたしほどの知識もないのに、大袈裟な断言に走り過ぎだと思います。

    わたしが「居丈高」であるという部分については修正を要求していませんし、そんなことはどうでも良いのです。人物評価は小谷野さんの主観で何とでも言えますが、科学的事実について書くのであればそれなりの根拠に基づいて発言すべきです。わたしの態度を批判されるより、小谷野さんの文章によって「ニセ科学」的な認識が広まる方がわたしにとっては嫌なのです。

  25. crafty Says:

    匿名なので小谷野さんは読みもしないかもしれませんが。。

    nature vs nurture、生まれか育ちかの「育ち」は、
    後天的な要因全てを指しているからこそ生得的な要因と二分して対置できるんですよね。
    その二分法にどれだけ意味があるのかはさておき。
    でも日常的な意味での「育て方」のことを言ったら、
    性自認から(日常的な意味での)「育て方」が与える影響を引いたらあとは生まれつきだ、とは言えないので
    小谷野さんの主張の前提がおかしくなってしまうのでは。

  26. Josef Says:

    >rnaさん
    >実際には「何もしなければ」というのは見かけ上そう見えるだけで、我々が生活しているこの社会には生まれの性と性自認を一致させる方向に仕向けるような仕組みが多少なりともあり、普通の人たちが普通に生活しているだけで、その仕組みを維持するコストを無意識のうちに負担されている、とも考えられるわけで

    その通りですが、じゃあなぜそういう仕組みがあるかといえばそれが「自然」だから(=「生まれ」に適っているから)とも言えちゃうわけで、堂々巡りなんですよね。その意味でも生まれと環境をキレイに分けるのは無理っぽい。

    >macskaさん
    >しかしマネーは「18ヶ月までに手術を施して性器の外見を育成上の性別に合わせさえすれば、思う通りの性別に育てることができる」と言い、ダイアモンドはそうではないと言ったわけですから。

    ごく大雑把に次のように考えていいのですか?
    性自認に関して、マネーは「脳の性分化とは別のこと」、ダイアモンドは「脳の性分化と密接に関連したこと」と主張した、と。そして総排泄腔外反症男児の研究から状況証拠的に前者はほぼ否定され、後者が相対的に有力といえるが、性自認の決定要因それ自体が明らかになったわけではない、と。

    >純子さん
    >でも、この後者の内容の部分に関しては、私は全然、異論はない。
    >でも、小谷野さんや、ひょっとしたら八木さんや山谷さんですら、この内容に異論はないのと違うか? 批判しているのは、むしろ、この内容からはみ出している「ジェンダーフリー運動」だったり「ジェンダーフリー教育」だったりするのじゃないか?

    仰る通りで、ダイアモンド氏の規定なら常識的すぎて議論にすらなりませんね。

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