『バックラッシュ!』掲載論文への小谷野敦氏の批判に応えて

2006年7月5日 - 12:36 PM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

発売して10日で増刷になった双風舎『バックラッシュ!』だけれども、はじめてわたしの書いた文章に関連する批判が出てきたので反論する。批判をしたのは以前このブログでも議論に参加してくださった小谷野敦氏で、mixi 内に書いてあるらしい。mixi のような半公開のサイトに掲載された論評を非会員がどう扱って良いのかよく分からないので、批判があるなら公開のサイトに掲載するなり、直接メールで送ってくるなりして欲しかったのだけれど、いまさらそれを言っても仕方がない。小谷野氏にメールを出してその辺りを尋ねたところ、反論のためにブログで引用して構わないという返事はあった。また、その直後かれが公開のブログの方にも書名をあげないまま(宣伝したくないらしい)追加の批判を書いたようなので、それにも応えておく。【07/08 追記】
まずは mixi に掲載された批判のうち、わたしに関する部分について。というか短い批判のうち約半分がわたしに関するものだ。

小山エミ(引用者注:macska の筆名)は、アメリカでも100人くらい、事後的にジェンダーが変わった例がある、と、小谷野敦の「だいたいは生まれつきでジェンダーは決まる」という発言を批判しているが、2億人のなかの100人なら「だいたい」でしょ。「だいたい(On the whole)」を否定するなら、2億人中3000万人くらいは事後的にジェンダーが変更されてなきゃダメでしょ。そもそもジョン・マネーのブレンダ実験を援用して、ジェンダーなんて曖昧なものなのだという話を広めたのは小倉千加子の『セックス神話解体新書』。だがこの連中は決してこの本に触れず頬かむりである。『異性愛の擁護』にしても、わざわざそんな本が出るほどに、米国ではその当時「同性愛こそが正しい」みたいな変な風潮があったという例として出しているだけで、すばらしい本だとか言っているわけではない。

すぐに分かるように、一段落に3つの批判が含まれている。はじめから見ていこう。
第一の批判は、わたしによる小谷野氏の「だいたいは生まれつきでジェンダーは決まる」という発言への批判はおかしいということらしい。しかし、そもそもわたしは小谷野氏のその発言を批判していない。わたしが『バックラッシュ!』掲載論文において小谷野氏に言及しているのは、『諸君』2005年12月号に掲載された鼎談で八木秀次氏に同調して日本のメディアを批判している部分についてだ。以下にその部分を引用する。

朝日新聞にダイアモンドが寄せたコメントが「ジェンダーフリー・バッシング」勢力にとって痛手であったことは、保守系言論誌「諸君」2005年12月号の鼎談において八木秀次が次のように言っていることからも分かる。

「フェミニスト」といえば、「ジェンダーフリー」ですが、ジョン・コピラントというジャーナリストが書いた『ブレンダと呼ばれた少年』が扶桑社から復刊された後の朝日新聞をはじめとする一部の報道には、辟易としました。…
(略)
教科書問題と同じく、ある種の勢力は都合が悪い事実が出てくると、すぐに「正義」に駆られて海外にご注進に及びますね。海の向こうから、「お前の『生物学的還元説』がジェンダーフリーを邪魔している」なんて言われれば、さぞかしダイアモンド氏にとって「寝耳に水」だったことでしょう。 

これに答えて、評論家の小谷野敦もこう言う。

ジョン・マネーの実験の失敗をいち早く指摘したミルトン・ダイアモンド(ハワイ大学教授)が、朝日新聞や東京新聞の取材に対して、「生まれつきか、育て方か一方ではなく、両方の相互作用が性を決める」といった、中途半端なコメントをしている。「大体は生まれつきで決まる」というのが正確でしょう。(略)
「八木という日本の悪名高い“右翼”学者があなたの学説を利用している」と吹き込まれたのでしょうか。米国では「異性愛の擁護」などという本が出るくらい同性愛論者やらフェミニストやらが跋扈していて、彼らに下手に楯突くと「右翼学者」の烙印を押されるから、不安になったのかもしれません。

小谷野がこうして大袈裟に宣伝している「異性愛の擁護」という本が二十年以上も前にどこかのちょっと変わった心理カウンセラーが自費出版で出した本だったという笑い話はともかく(小谷野にこの本の内容について確認したところ、かれ自身この本を読んでいない様子だった)、ジェンダーフリーや男女共同参画に恐れをなして海外の識者(ダイアモンド)にあることないこと吹き込んで、強引に上野千鶴子に対する批判コメントを引き出したのは世界日報の山本のほうだ。山本や八木が先に「男女共同参画の見直しを迫る業績を残した海外の専門家」としてダイアモンドを巻き込んでおきながら、フェミニストの側が「すぐに海外にご注進に及ぶ」と決めつけて批判するのは筋違いも甚だしい。
小谷野は朝日新聞の記事を「非常に政治的」であると批判しているが、政治的な意図からダイアモンドの真意を捩じ曲げた記事を掲載した山本を先に批判すべきではないか。また、朝日新聞の高橋は少なくとも、デイヴィッド・ライマーの自殺に至る悲劇にきちんと思いをやってそこから同様の悲劇を繰り返さないための教訓を汲み取っているのに対し、八木の「解説」はただただライマーの生と死を嬉々として「フェミニズムバッシング」「ジェンダーフリーバッシング」に政治利用するだけのものだ。

小谷野氏への言及はこれだけだ。普通に読めば分かるとおり、ここでは小谷野氏が同調している八木氏の朝日新聞への批判が世界日報のほうにより良く当てはまることを指摘しているのであって、「だいたいは生まれつきでジェンダーは決まる」の部分に反論していない。反論していないのに「〜という発言を批判しているが」と言われても、それは自意識過剰というほかない。
さらに言うと、わたしはこの論文のどこにも「アメリカでも100人くらい、事後的にジェンダーが変わった例がある」と書いていない。書いてもいないことを書いたといわれても「書いていないこと」を引用で示すことができるわけもなく、どう反論すればいいのか困るのだけれど、本当に書いていないのだから仕方がない。
ただ、以前小谷野氏がこのブログのコメント欄に登場して議論になったときに、それに近い話はした。それは総排泄腔外反症を持ってうまれた男児のケースだ。100人とは書いていないけれども、その件なら論文でも言及している。

また、関連した報告で、総排泄腔外反症を原因としてペニスを持たずに生まれてきた男児のうち新生児期に手術によって女性に変更された人たちの追跡調査では、14例中8例が男性を自認し、6例は現実に男性として生活していることが明らかにされた。総排泄腔外反症とは骨盤や骨盤内組織の形成不全であり、男児はペニスを持たないけれども遺伝子的・ホルモン的には一般の男児と何ら変わらないため、胎児期における遺伝子やホルモンの影響を考えるうえでは一般の男児とほぼ同じ条件にあると言って良い。
ライマーと同じように手術によって女児として育てられた総排泄腔外反症男児のうち半数以上が後に「男性」として生きることを希望しているというこの報告は、マネーの主張した「新生児の性別は任意に変更できる」という理論のさらなる反例として医学界に大きな衝撃を与えた。しかし、逆に言えば14例中8例は男性として生活しておらず、6例は男性としての性自認を持たないのだから、マネー説とは逆の「新生児の性別は生物学的に決定されていて一切変更不能である」という説が立証されたわけでもない。これらのことから言えることは、人間の性自認とは生得的な傾向と社会環境の双方の影響を受けて発達するものであり、どちらか一方だけで決められることはないという程度であろう。マネー説が否定されたからといってその逆が証明されたと考えるのは論理的にも実証的にも間違いなのだ。

引用している研究で追跡調査の対象となったのは22例だけれども、女児として育てられた総排泄腔外反症男児のケースは他にも報告されていて、それがだいたい合計100件前後になる。そういう話は以前したので、小谷野氏は今回の論文を読みながらそれを思い出したのかもしれないが、記憶が不正確だ。さまざまな調査を総合すると、その100件のうち6割程度が男性に戻って生活しており、残りの4割は女性のまま。だから、「子どもの性自認は自在に決められる」とするマネーの説は間違いだけれども、その逆に生物学的に決定されているというのも間違い。両方の影響が複雑に関係しているというのが適切な考え方だろうというのがわたしの理解だ。
小谷野氏はこうした記述に対し、2億人いるうちの100例とか40例において性自認の変更が成功したからといって、そんなことは「だいたいは生まれつきでジェンダーは決まる」という主張への反論にはならないと言うのだろう。しかし、性同一性障害でもインターセックスでもない(総排泄腔外反症男児は遺伝子的・ホルモン的に完全に男性なので、インターセックスとはみなされない)のに幼いうちに手術を受けて生物学的な性別と逆の性別で育てられたのは100例前後しか報告されていない。そして、100例しかない母集団のうち40例において生物学的な性別とは違う性自認を確立するのに成功したのは驚きであり、2億人を母集団とする理由がどこにもない。非人道的なので決してやるべきではないけれど、もし2億人全員に幼いうちに手術をほどこして性別を変えていたなら、当然そのうちの何割かでは生物学的性別とは逆の性自認を持つことになるはず。
これが分かりにくいなら、例えを出そう。新薬が開発されたとして、その有効性を調べるために1000人の被験者に服用してもらったところ、そのうち400人の病状が一気に回復したとする。普通に考えれば、それだけ効けばかなり有望な薬だと思うだろう。しかし小谷野氏の論法でいけば、世界には60億人の人がいるのだから,そのうち400人に効いたからといってそれはごく僅かな例外に過ぎず「だいたい効かない」と言って良いことになる。そんなことでは、有効な新薬なんて永遠に開発されないだろう。
ここまで最初から最後まで間違いだらけの批判をされると、一体わたしの論文を本当に読んでくれたのかどうか疑問に感じる。
続いて第二の批判。ジョン・マネーの「双子の症例」を援用した小倉千加子氏の著作について何も言っていない点について。この点については、はてなダイアリーで公開されている小谷野氏の日記のほうにもこのように書かれている。

だが2000年にコラピントの『ブレンダと呼ばれた少年』が出て、マネーの実験が失敗だったことが明らかになると、翌年出た『セクシュアリティの心理学』で小倉は見苦しい弁明に終止し、上野千鶴子は小倉著を絶賛したのである。私はこの小倉著については繰り返し語っているのだが、フェミニスト連はこの点だけは常に黙殺する。なぜ誠実に「小倉著は間違っていました。でも」と言わないのか。荻上チキにしても、結局は逃亡した。小山エミもまた、しかりである。上野、小山、荻上は、小倉著について正々堂々と総括したらどうか。

わたしは小倉氏の本などこれまで読んだことがないのだけれど、調べてみたところ『セックス神話解体新書』が発売されたのは1988年で、文庫化されたのが1995年。『ブレンダと呼ばれた少年』が発売される5年も前であり、当時書かれた書物にマネーの嘘が掲載されているのは仕方がない。そして小倉氏は、小谷野氏も認める通り『ブレンダと呼ばれる少年』以降の『セクシュアリティの心理学』(2001年)では5ページに渡って「双子の症例」をめぐる新事実を紹介している(こちらは取り寄せて読んだところ、読みにくい文章だとは思ったが見苦しいとは感じなかった)。一体どこが問題なのか分からない。
「小倉著は間違っていた」と言って欲しいなら、いくらでも言ってよい。というかわたしは『セックス神話解体新書』を直接確認したわけがないので本当は言うべきじゃないかもしれないけれど、仮に小谷野氏の指摘が正しいならば間違っていたのだろう。なにより、小倉氏自身がそう認めるだろうし、わたしがフェミニストだからという理由で批判を控えたりしないことはこのブログを読めば分かるはず(なにしろ、同じ本の執筆者である上野氏まで、発売直後に批判しているのだから)。黙殺するとか逃亡したとか言われても、必ず言及しなければいけない重要な書物だと誰も思っていないだけのことではないか。そんなに小倉氏の著作に思い入れがあるのは小谷野氏だけだろう。
さて最後の点。これも『諸君!』鼎談における小谷野氏の発言に関連した部分だが、小谷野氏は『異性愛の擁護』という本を紹介したのは「わざわざそんな本が出るほどに、米国ではその当時『同性愛こそが正しい』みたいな変な風潮があったという例として出しているだけで、すばらしい本だとか言っているわけではない」という。しかし、わたしだって小谷野氏が「すばらしい本だと言っている」とは解釈していない。かれの発言の意図を正確に解釈したうえで、「自費出版でそういう本を出すトンデモ心理カウンセラーが一人いたというだけで、そんな風潮があるという例になるのか」と批判しているのだ。
そもそも「同性愛こそが正しい」という風潮があるというなら、そういう主張をする本を挙げれば良いではないか。わたしはその米国に住んでいるが、そんな風潮があるとは到底思えない。もし仮にそうした主張が書かれた本がベストセラーになっていたり、一流紙の社説にそういう主張が掲げられていたのであれば、たしかにそういう風潮が(少なくとも一部には)あるというように認められるだろう。しかし、実際にあるのは『異性愛の擁護』という、どこかのトンデモ心理カウンセラーが自費出版した本一冊だけだ。そんなものを理由に「米国にはこういう風潮がある(あった)」みたいな主張をしてもらっては困る。
このように、せっかく批判をいただいたのだけれど、どうも以前の議論をむしかえすばかりでショボすぎる気がする。小谷野さんなら独自の視点から的確な批判をしてくれると思ってわざわざ chiki さんが献本したらしいのに、残念。
【追記】
小谷野氏が、以下の部分を追記している。

追記:荻上は、私が変だと言っているが、変なのは荻上のほうである。なぜそうまで頑なに小倉著に触れるのを避けるのか。ここで私が問題にしているのは、学者の世界で何が知られているかではなく、一般知識層において何が知られているかである。その意味で、文庫で版を重ねている小倉著の影響力は絶大である。米国滞在の小山エミには、日本における「文庫版」というものの力は分からないのだろう。それにしても、八木秀次らとの鼎談でも私は小倉著をあげているのに、上野の『差異の政治学』ばかり問題にして、それにはなぜか触れないのは、どう見たって変なのは小山のほうである。確かに八木は小倉著を問題にしていない。しかし私はかねてから、上野著などより小倉著のほうが重大問題だと考えているし、言っている。矛先を私に向けるなら、小倉著について総括しなければアンフェアだろう。それにしても荻上チキ、自腹を切って本を送ったと言うが、私があれを読んで「ああそのとおりだねえ」などと言うとでも思ったのか。

さて、わたしの反論を受けてこの部分だけ追記するということは、わたしに対する第1及び第3の批判については撤回したと解釈して良いのだろうか。もしそうなら、そのように明言して欲しいし、そうでないなら、それらの点についてもどのように納得できないのか追記でも新たなエントリでもいいので説明して欲しい。
小倉氏の著作についてだけれど、わたしは既に立場を表明している。こちらのエントリの昨年9月13日のコメントで、小谷野氏の質問に応えてこう書いている。

小倉千加子氏や「セックス神話解体新書」については読んでいないので評価できませんが、小谷野さんの言う通りだとすると問題だし、新しい版で訂正を入れるべきだと思います。が、小谷野さんの文面をよく読んでみると、小倉さんは「セクシュアリティの心理学」でマネーの実験が失敗であったことをちゃんと認めて報告しているわけでしょう? その態度が「誤摩化している」ように見えた、というのは小谷野さんの主観であって、外形的な事実だけ見れば彼女は自分が過去に引用した間違った記述について公的に「間違いだった」と報告しているわけですから、ますます「ブレンダ少年の事例をごまかして自らの過ちを認めようとしていない」というのは事実として間違いであるように思えてきます。現に、認めているわけですから。

「セックス神話解体新書」の文庫本が発売されたのは「ブレンダと呼ばれた少年」やその元となった報道より前の話だから、少なくともその時点で小倉氏にまったく落ち度はない。問題があるとすると、間違いが判明したにも関わらず新たな版で一切訂正を入れていなかった場合に限られるけれども、重版したのかどうかわたしには知りようがないので、全てが小谷野氏の言う通りであったならという前提で「問題だし、新しい版で訂正を入れるべき」だと回答している。とはいえ小倉氏は「ブレンダ」以降の書籍では「双子の症例」の失敗を書いていることから、彼女が「双子の症例」の失敗を隠蔽するという意図がないことは分かる。そう答えた時点で既にこの議論は小谷野さんとの間では解決したとわたしは思っていたのだけれど、一体どこが逃げ回っているというのか。
なお、小谷野氏は「矛先を私に向けるなら、小倉著について総括しなければアンフェアだろう」と言っているけれど、どうしてそんなことが言えるのか。あの論文の中で小谷野氏を登場させた部分はごく一部であり、「諸君!」鼎談における小谷野氏の主張全てにチェックを入れるという趣旨の文章ではない。もしかすると小谷野氏にとっては小倉批判の部分が一番重要で是非取り上げて欲しかった部分かもしれないけれど、そんなことわたしが知るはずもないし、知っていたとしてもそれを扱わなければアンフェアだという理由がまったく分からない。そもそも総括しろと突きつけられても、わたしは自分自身が関与した件についてしか総括のしようがないではないか。
まぁそれでも、「小倉についても取り上げて欲しかった」というだけなら、ご要望に添えなくてすみませんでした、くらいは言っても良い。でも、そんなに小倉氏についてこだわっているのは小谷野氏ただ一人でしょ。しかも、自分がそれだけ偏狭的にこだわっている対象をわたしがたいして重要だと思わなかったというだけで「避けている」「逃亡した」「正々堂々とせよ」と言われても、そのあまりの荒唐無稽さに呆れるだけ。わたしが著名なフェミニストへの批判をちっとも厭わないということは、このブログを見ればすぐに分かるはずなのにね。
最後に1つだけ蛇足。 chiki さんが小谷野さんの文学評論を尊敬しているっていうのは本当だよ。もちろん chiki さんだって、小谷野さんが「ああそのとおりだねえ」とか言ってただ褒めてくれるとは思っていなくて、批判はあるだろうなと思っていたはず(というか、執筆者同士でも批判はあるし)。それでも、小谷野さんに読んで欲しい、小谷野さんの批判なら聞いてみたいと思ったからこそ、chiki さんは自服を切って小谷野さんに本を送ったの。もちろん、小谷野さんが本当にくだらない本だと思ったならばその通り書けばいいと思うけれど、chiki さんが献本した背景や動機までからかいの対象にするのはやめてください。
【07/07 追記】
小谷野さんが「追記」にさらに加筆している。いくら「追記」と明示されても、その「追記」を際限なく改変しちゃうのはやめて欲しいなぁ。あと、わたしに反論があるなら、こちらのコメント欄にでも書いてくれたらいいのに(小谷野さんがコメント欄解放したらわたしが向こうに行ってもいいです)。それはともかく、最新の追記は以下の通り。

いったいなぜ「性自認は事後的に変えられる」などと主張しなければならないのか、別にそんな主張をしなくたって、男女平等や同性指向者解放は十分可能であろう。これはまさに朝鮮における儒教論争や、文化大革命みたいなもので、空理空論で争って目標を見失うの類である。まあ「女性学会」とかにいる人は、論文書かないと出世できないからね。 

なぜそう主張しなければならないのかと問うているが、そう主張「しなければならない」理由などない。学問的に誠実な立場として、知りうる限りの科学的事実を付き合わせて考えた結果、性自認が生まれた時点で決定しているとは到底言えないのだ。うまれつき与えられる傾向が大きいが、社会化による影響も無視できない。わたしは具体的な医学論文を参照しながらそのことを示しているのに、どうしてそれが「空理空論」となるのか。
空理空論で目標を見失っているのは小谷野氏のほうだ。「性自認はだいたい生まれつきで決まる」という、中途半端な知識をもとに行った発言を自己弁護しようと、「宮崎哲弥氏もそう思っている」以外に何の追加の根拠も示さず、わたしが提示した医学論文に反論もしないまま、ただ単にぐちゃぐちゃ文句を言っている。そんなに自分の間違いを認めるのが怖いのか。だいたい、小谷野氏は「性自認はだいたい生まれつきで決まる」という発言がわたしに批判されたと思い込んで反論しているわけだけど、『バックラッシュ!』に掲載された論文を見れば分かる通りわたしはその点について一切批判していない。あの論文の趣旨は「生まれか育ちか」という論争のためにデイヴィッド・ライマーの生と死を利用するのはもうやめようということであり、そんな論点にこだわりたくないのだもの。「生まれつきでもそうでなくても、男女平等やジェンダーフリーの是非には関係ない」ということは、わたしが『バックラッシュ!』の論文で主張していたことだ。
勝手に自意識過剰を起こして批判されたと思い込んで中途半端な知識を披露したあげく、それが間違いだと具体的な医学論文によって示されたら、今度はわたしがその論点に過剰にこだわっているとか空理空論で争っていると人格攻撃してきた。卑怯としか言いようがない。ついでに言っておくが、わたしは「女性学会」なるものの会員ではないし、小谷野氏に以前メールで伝えたとおり既に大学に籍を置いていない。論文をいくら書いても出世には何の関係もない。小谷野氏はそう知っているはずのに「論文書かないと出世できないからね」と書くのは、印象操作であり読者に不誠実。
なんかもう、小谷野氏の狼狽ぶりは、無惨で見るに耐えないです。
【07/08 追記】
小谷野氏が7月9日付け(日本時間なのでこちらの更新日より先)で以下のコメントを書いている。

http://d.hatena.ne.jp/aftercare/20060708
 そうなんだよね。小山エミと荻上チキは、長谷川眞理子先生を「バックラッシュ派」として批判したらどうかね。そんなこと怖くてできないよねえ。生物学者に論破されたらおしまいだもんね。

あのー、小谷野センセイ、これはいくらなんでも醜いと自分で思わない? 自分が論破されて手も足も出ないからといって、喧嘩で負けた小学生みたいなこと言い出さないでください。 chiki さんがあれだけ評価していた人がこんな醜態を晒すとは、chiki さんがかわいそうになってきました。
真面目にお応えすると、わたしは aftercare さんが参照している「大航海」1月号の長谷川・田中対談を読んだけれども、かれらのどちらかが「バックラッシュ派」だとは全然思わなかった(ついでに言うと、わたしは小谷野氏だって「バックラッシュ派」だとは思っていない)。たしかに、長谷川さんは「ジェンダーフリーだから男女同質で着替えさせようとしている人がいる」的に、バックラッシュ派が主張していることをそのまま信じ込んでいるような部分があって、その部分については「事実ではない」という批判はあるけれども、肝心の生物学的理解の部分では特におかしなものは見つからなかった。それなのにどうして彼女を「バックラッシュ派」として批判する理由があるのか。
いくら論争でかなわないからといって、相手が自分と同じくらい卑しい人間だと勝手に思い込まないでいただきたい。
【07/08 追記2】
小谷野さんがまたまた追加。

権威であるジョン・マネーを打ち破ったミルトン・ダイヤモンド、とか小山は書いていたが、ダイヤモンドの「ハワイ大学教授」というのは、果たしてアカデミズムの世界で「勝った」人のポジションなのだろうか。71年以来ハワイ大学だし。結局、非難の嵐にもかかわらずマネーの権力は相変わらずなんじゃないかなあ。

あのね、これまでの論点について間違いを認めるのかどうかはっきりしないうちに、次々と別の論点に逃げないでください。
それは置いておくとしても、小谷野さんの言うことは全くなんの論理性もない。わたしが「ダイアモンドがマネーの権威を打ち破った」と言ったのは、小谷野さんがやたらと「米国ではフェミニストや性的少数者の圧力があるから、ダイアモンドはそれに屈したのだろう」みたいなことを何の根拠もなく、まったくの想像で言うから、そんなに圧力に弱い人物であれば、マネーの権威に屈していたはずではないかと言ったわけね。かつて絶大な権威を誇ったマネーにも屈しなかったのだから、そんなに簡単に「圧力に屈したのだ」と決めつけるのはおかしいとわたしは言ったのであって、ダイアモンドがアカデミズムの勝者だか成功者だとは言っていない。
はっきり言うと、ダイアモンドは学問的にはほとんど認められていないと言っていいと思う。それはマネーの権力とは関係なくて、ただ単にかれが学問的な論文をほとんど書いていないことが原因じゃないかな。マネーの権力は相変わらずだというけれど、それもない。心理学者の中にはいまだにかれを支持する人がいるというのは事実だけれど、すでにジョンズ・ホプキンス大学でもマネーのインターセックス治療に反対する学者や医者が台頭しているくらいで、かれの権威や権力はかなり失われている。このあたりは、もっとエグい話も知っているけれど、マネーの個人情報に関わるので公表するわけにはいかない。
いずれにしても、「〜なんじゃないかなあ」というのは小谷野さん得意のまったく無根拠の決めつけだし、仮にそれが正しかったとしてもわたしの書いた物に対する何の反論にもなっていない。
しかし、あんまりキリがないというのも困るな。こうなったら、YES/NO で回答可能な形で質問するしかないか。
1)mixiで書いた第1の批判について。小谷野氏は、わたしが『バックラッシュ!』内でかれの「だいたいは生まれつきでジェンダーは決まる」という発言を批判したと書いているが、実際にはわたしはその発言を何ら批判していない。つまり、小谷野さんの批判は間違いであったということでいいですか?
2)小谷野氏は、「だいたいは生まれつきでジェンダーは決まる」ということへの反証としてわたしが「アメリカでも100人くらい、事後的にジェンダーが変わった例がある」と『バックラッシュ!』に書いている、と書いているが、実際にはわたしはそのような記述をしていない。つまり、小谷野さんの批判は間違いであったということでいいですか?
3)以前議論した際、わたしは遺伝子的・ホルモン的に完全に男性であるにも関わらず女児として育てられたケースについて具体的な研究を挙げながら、「大人になって男性として生きることを選択する人も多いけれど、女性として生きている人も4割いる」という事実を紹介しました。mixiにおいて小谷野氏は「2億人いるうちの100人程度なら、いないも同然」というような批判をしていますが、全部で100例ちょっとしか報告されていないうちの4割が女性として生きているという時に「2億人のうち40人だけ」という話をしても無意味であり、詭弁にすぎないことを認めますか?
4)小谷野氏は小倉千加子氏の著書をわたしが取り上げないことについて「逃亡した」「避けている」「正々堂々とせよ」と批判しているけれど、前回議論したときに小倉さんについてわたしが既に立場を表明しており、またこうして議論に応じていることから言ってもちっとも「逃亡していない」ことを認めますか? (『バックラッシュ!』でも取り上げるべきだった、という批判については、わたしはそのような必要性があったとは思わないけれども、意見の相違としてそういう考え方もあるのだなと受け入れます。しかし、必要でないと思ったから言及していないことを「正々堂々としていない」と評価されるのは不当だと思います。)
5)小谷野氏は、「いったいなぜ『性自認は事後的に変えられる』などと主張しなければならないのか」と書いているが、わたしは知り得る限りの科学的知識を元に妥当な合理的認識を示しているだけであり、特定の主張に固執してはいない。もし小谷野氏が「固執している」と言うのであれば、わたしが何か自説に不利な情報を排除しているとか、そういう具体的案根拠が必要です。小谷野さんは、わたしの動機を揶揄するに足りるような、具体的な根拠が存在しないことを認めますか?
6)小谷野氏は、上記の揶揄に続けて「まあ『女性学会』とかにいる人は、論文書かないと出世できないからね」と書いているが、わたしは女性学会のメンバーではないし、アカデミックなポストを持たないことは既に以前メールで小谷野氏に伝えた通りだ。すなわち、ここで小谷野氏はわたしについて単に邪推したにとどまらず、知っているはずの事実を知らない振りして印象操作を行っている。小谷野さんは、そうした印象操作を行ったことを認めますか?
7)小谷野氏は、「小山エミと荻上チキは、長谷川眞理子先生を「バックラッシュ派」として批判したらどうかね。そんなこと怖くてできないよねえ。生物学者に論破されたらおしまいだもんね。」と書いているが、どうして長谷川氏を「バックラッシュ派」として批判しなければいけないのか分からない。わたしは長谷川さんの文章をほとんど読んだ事がないのだが、具体的にわたしが長谷川氏との論争を避けていることを示す根拠があれば提示していただきたい。小谷野さんは、そうした具体的根拠を提示できないことを認めますか?
これ以上議論を続ける気なら、最低限これらの質問に答えてからにしてください。

57 Responses - “『バックラッシュ!』掲載論文への小谷野敦氏の批判に応えて”

  1. 成城トランスカレッジ! —人文系NEWS & COLUMN— Says:

    小谷野敦さんがちょっと変だ。
    chikiがお手伝いした本『バックラッシュ!』に、小谷野敦さんがmixiとamazonに書評をお書きになったようです。この件についてはMacskaさんが既に書いていますが、議論の流れの中で私も言及されているようなので、簡単にレスポンスさせていただこうと思います。 小谷野さ

  2. ラクシュン Says:

    >非人道的なので決してやるべきではないけれど、もし2億人全員に幼いうちに手術をほどこして性別を変えていたなら、当然そのうちの何割かでは生物学的性別とは逆の性自認を持つことになるはず。
    「総排泄腔外反症男児」は正常児ではないのだから、偏ったサンプルの誤謬ではぁ?

  3. macska Says:

    「総排泄腔外反症男児」は正常児ではないのだから、偏ったサンプルの誤謬ではぁ?

    そういう可能性もあります。が、現時点で性自認が生物学的に強く方向付けられているという主張の最も有力な説明は「ホルモンシャワー説」です。そしてホルモンシャワーに関しては、「総排泄腔外反症男児」はその他の男児と何ら変わりません。現実にブルース/ブレンダ/デイヴィッドのようなケースが他に1例しか報告されていない以上、できるだけそれに近い例を参考にするほかないじゃないですか。

  4. ラクシュン Says:

    >現実にブルース/ブレンダ/デイヴィッドのようなケースが他に1例しか報告されていない以上、できるだけそれに近い例を参考にするほかないじゃないですか。
    というか、よく解ってないのですが、もしかしたら勘違いがあるんじゃないんですか?
    「だいたいは生まれつきでジェンダーは決まる」、「事後的」云々というのは、現実にはほとんどの人が性自認と性器が一致しているじゃん、という意味なのではないのですか?
    だとすれば、特殊なケースを一般化してもあまり意味がないかなと思ったのです…。

  5. macska Says:

    勘違いではないです。
    もし「性自認と性器が一致していない例」なら、アメリカに100例どころかそれよりはるかに大量にあります。桁が違いすぎる。
    小谷野さんだって、まさかアメリカ全土に100名しか性同一性障害の人がいないとは思っていないでしょう。
    従って、その解釈は成り立ちません。
    さまざまな可能性を考えるのは良いですが、少しくらい現実的かどうか考えてから書いてください。
    あなたの突飛な思いつきの相手をいちいちするほど暇じゃありません。

  6. ののたん Says:

    >14例中8例が男性を自認し、6例は現実に男性として生活していることが明らかにされた。
    >しかし、逆に言えば14例中8例は男性として生活しておらず、6例は男性としての性自認を持たないのだから、
    この二箇所、素人目には矛盾しているように見えるのですが、どのように解釈すれば整合性がとれるのでしょうか?

  7. macska Says:

    矛盾してますか?
    6例:男性を自認し、男性として生活している
    2例:研究者に男性を自認していると答えたが、男性として生活するには至っていない。
    6例:男性を自認せず、男性として生活もしていない。

  8. ののたん Says:

    なるほど、つまり
    前者が、
    6例:男性を自認し、男性として生活している

    2例:研究者に男性を自認していると答えたが、男性として生活するには至っていない。
    =8例が男性を自認
    後者が
    2例:研究者に男性を自認していると答えたが、男性として生活するには至っていない。

    6例:男性を自認せず、男性として生活もしていない。
    =8例は男性として生活しておらず
    というわけですね。これは説明していただかないと混乱しますって。どっちも8:6なので同じ内容だと思っちゃいました。

  9. ののたん Says:

    >これは説明していただかないと混乱しますって。
    ちょっと考えれば何でもないことでしたね。すみません。前言撤回するとともに御説明感謝いたします。

  10. 純子 Says:

    >勘違いではないです。
    いや、小谷野さんの主張って、同性愛や性同一性障害についてよく知らない一般人の感覚とそれほど外れてないのじゃないかと思う。
    要するに、生まれた時にオチンチンがついているのが男、ついてないのが女、それぞれ普通に男らしく、女らしく育てられ、普通の異性愛の社会人になって、結婚して子供を産んで、その生活にそれなりに満足して年老いて死んでいく、そういう人が大多数なんだといいたいんですね。
    もちろん同性愛者や性同一性障害者や半陰陽者という「カタワ」の人は少数はいるけど、そういう人は日本じゃないアメリカのような外国で大発生していたり、病院などに収容されていたり、社会の陰でひっそり暮らしていたりする。そういう人たちは普通の異性愛の社会人になれない、かわいそうな人だから差別してはいけないし、できることなら「治療」してあげるべきだけど、それとは別に、そういう「カタワ」の例を一般化して、子供たちを「カタワ」に育てあげようとする「ジェンフリ教育」はやっぱり異常な教育でよくないと主張したいんじゃないかな。
    「ダイアモンド先生も通常の健康な男子なら、普通の男性に育つと言ってるじゃないか、それなら伝統的な男らしくする教育をして、立派な男に育てあげてあげるのが子供のためで、「カタワ」にする教育など言語道断」とか。
    それに対するmacskaさんの、反論は、そういう人は一般人が考えているほど少数でもないし、「カタワ」ではなく、私たちの社会を個性する「ナカマ」である。その治療によって得たデータは、一般人の性のあり方を推測するのにも役立つということでしょ。それはもちろん正しいし、異論はないんだけど、でも、そこから「ジェンダーフリー」や「ジェンフリ教育」の正当性を主張するのは飛躍がありすぎるような気がする。
    むしろ「ジェンダーフリー」を主張する側が、不用意に「マネー理論」を引用して議論がズレてしまい、そこに「バックラッシュ」がズレて突っ込んで、さらにそこにmacskaさんら「アンチバックラッシュ」側がズレて突っ込んで収拾がつかなくなってる気がする。
    そもそも「ジェンダーフリー」や「ジェンフリ教育」の目的って何だったの……?

  11. xanthippe Says:

    純子様 こんにちわあ
    >いや、小谷野さんの主張って、同性愛や性同一性障害についてよく知らない一般人の感覚とそれほど外れてないのじゃないかと思う。
    なるほど、それはおっしゃるとおりかもね(笑) んでもだったら専門家面して書評を書くなんておこがましいわなあ・・・。

  12. ラクシュン Says:

    >もし「性自認と性器が一致していない例」なら、アメリカに100例どころかそれよりはるかに大量にあります。桁が違いすぎる。
    私が「現実にはほとんどの人が性自認と性器が一致している」と書いたのは、普通の性的マジョリティーを占めている人たちのことですよ。何の性的トラブルも抱えずに普通に生活している人たちです。
    >小谷野氏はこうした記述に対し、2億人いるうちの100例とか40例において性自認の変更が成功したからといって、そんなことは「だいたいは生まれつきでジェンダーは決まる」という主張への反論にはならないと言うのだろう。
    しかしこの文章に続けて、新薬の例えがあげられています。そこでは妥当な統計的一般化が行われているのですが、結局のところmacskaさんは、そのことによって偏ったサンプルによる性急な一般化の誤謬の妥当性を説明しようとしているのです。これは無理だと思うんですけどね。
    しかも、本来なら正常児の性自認を性転換なしで逆転させる必要があるものを、正常な男児の睾丸(精巣)切除に摩り替えて。
    ちなみに、男の性自認を持たない6例の人は女の性自認を持っているのですか?

  13. 芥屋 Says:

    >ラクシュンさん
    いや、あの、チンコついてたって「あたしは男じゃなくって女だったんだ!おかしいと思ってた!」っていうふうに思う人いるわけですが、それは「非科学的か?医科学的にありえないことか?」といえば「や、科学がどうこうじゃなくって、実際たまにいますわなぁ」ってことだと思うのですよ。で、あとは「あたしは女なんですから女と思ってください!」みたいな展開になったとき「チンコついてるんなら男でしょ。なに言ってんの?」とか「けしからん!」とか出てくる。でもそういうのって科学の話じゃないですよね。
    で、ここで科学の問題として「チンコついてる(or)染色体がY遺伝子だと、自分が男だという認知は狂わないはずである」という命題が科学的に証明されるか?ということになるとすれば、「や、それはどうも直接の因果関係があるわけじゃないっぽい」というあたりでしょう、どう見ても。医科学的な診断基準としての(つまり自称ではなく)GIDを考えた場合でも、ホルモンシャワー説は専門医でも「これですべて説明がつくわけではない」のであって、それ以上のものではないでしょう。胎児期のホルモン作用による脳の性別分化の影響「も」あるんだということによって、明らかに否定されるのは「空白の石版」説によるドグマだけでしょう。だからといって「自分が男か女かという自己認知」や「男らしさ女らしさの由来」までがすべて生来のものであるという証拠など、医科学的には何もない、ということではないでしょうか。

  14. macska Says:

    文脈が分からず因縁つけられてもね。
    『バックラッシュ!』を読めとは言わないから、小谷野さんとの以前の議論くらい読んでからコメントしてください。

  15. macska Says:

    科学の関係で基本的な事実を。
    まず、染色体や遺伝子は直接関係ありません。ほとんどの身体的性差と呼ばれるものはホルモンによって引き起こされているとみられており、そのホルモンを作る性腺の発達に関係するのが遺伝子ですね。だから普通Y染色体があると男性型の性腺(睾丸)が発達して、男性ホルモンを大量に分泌し、身体や脳を形作るとされているわけです。しかしそれらが正常にはたらくには他の多くの遺伝子や酵素に依存していて、そのうちどれかに異常があると性分化が正常とは違った形になるわけです。
    ホルモンシャワー説というのは、胎児の脳が性分化するある特定の時期にその異常が起きたため、身体的には男性でも適切に男性型の脳が形成されなかった場合、その人の性自認や性的指向が女性型になるという話です。あるいは、身体的に女性の胎児の脳が性分化する特定の時期に何らかの理由で大量の男性ホルモンを浴びたとき、脳が男性化するとかですね。このあたりは、完全に証明されてはいないものの、そこそこそれを示唆するデータはあり、有力な説とされています。
    これに対し、ホルモン分泌がはじまる前の段階でも脳の性差が存在するかもしれないという研究があります。 UCLA の Eric Vilain という研究者によるもので、わたしは先日かれと直接会って話を聞いてきました。ただしこれは人間ではなくマウスで確認された段階で、また性差があるにはあるけれどもその意味や作用は不明です。現時点では、とりあえずそういう説もあるとだけ覚えておけばいいでしょう。
    さて、脳の性差に関する研究はたくさんありますが、それが性自認に関係することを示した研究はほとんどありません。よく取り上げられるものはただ1つ、Swaab らによる分界条床核の研究です。小谷野さんのブログに掲載されている宮崎哲哉さんの文章でも(おそらく新井康允氏経由で)紹介されています。脳の中に分界条床核という小さな部位がありますが、この働きははっきりしないものの、男性と女性でサイズに違いがあることがわかっています。そこでMTFトランスセクシュアルの人の分界条床核を調べてみたところ、女性と同じサイズであった。よって、この部位が性自認に関係するのではないかという予測がでてきます。
    しかし最近では、同じ Swaab を中心とした研究グループによって、分界条床核の性分化は生まれたときには発生しておらず、大人になってはじめて男性と女性の違いが生じることが明らかにされました。となると、分界条床核が性自認を形作るのではなく、逆に性自認が分界条床核の大きさを決定するという可能性も出てきます。例えばMTFトランスセクシュアルの人は女性ホルモンを処方してもらって摂取するわけですが、ホルモンシャワー期ではなく思春期以降長年に渡って大量の女性ホルモンの影響を受けることで分界条床核のサイズが影響を受けるのかもしれない。もちろん、第三の要素が性自認と分界条床核の両方に作用していることも考えられます。従って、「MTFの人の分界条床核が女性型であること」は性自認が生まれつき決定している証拠にはならない、とこの研究グループ自身が認めています。
    小谷野氏はもちろん、こんな事実は何も知らないでしょう。科学的研究を知らない人間が、知っている人間に向かって「文化大革命みたいな空理空論」と罵声を浴びせるのは、みっともないと思わないのかな。

  16. バジル二世 Says:

    しかし、性同一性障害でもインターセックスでもない(総排泄腔外反症男児は遺伝子的・ホルモン的に完全に男性なので、インターセックスとはみなされない)のに幼いうちに手術を受けて生物学的な性別と逆の性別で育てられたのは100例前後しか報告されていない。そして、100例しかない母集団のうち40例において生物学的な性別とは違う性自認を確立するのに成功したのは驚きであり、2億人を母集団とする理由がどこにもない。非人道的なので決してやるべきではないけれど、もし2億人全員に幼いうちに手術をほどこして性別を変えていたなら、当然そのうちの何割かでは生物学的性別とは逆の性自認を持つことになるはず。

    そうでしょうか? ここでmacskaさんは
    「100例=母集団」としていますが、正しくは「100例=標本数」なのであり、常識的に言ってあまりにも過少な標本数による統計調査結果を、本当の母集団である2億人(小谷野氏の真意は分からないが、これは多分アメリカ人の男女の人口)に当てはめようとしているように見えます。統計学はもう忘れましたけどね。

  17. バジル二世 Says:

    ラクシュンさんが指摘された疑問点にほぼ同感なのですが、重複部分があるのを承知でさらに疑問点を言うと、「総排泄腔外反症男児」は本当に「完全に男性」なのかどうか現状では全くわからないのに、完全な男性なのだ前提されていることです。つまり「総排泄腔外反症」発症の原因やメカニズムが、脳の性にも影響を及ぼさないものであるのかどうかという疑問が残っているのです。

  18. macska Says:

    思い切り重複してますね(笑)
    いいですか、科学に完全な真理などありません。全ては「現時点で知り得る限りの、もっともよくできた説明」でしかない。そして、現時点で知り得る限りの、もっともよくできた説明のモデルによると、総排泄腔外反症男児はホルモン的に完全に正常な男児と同じだとしか言えないのです。また、現時点で知り得る限りの、もっともよくできた説明のモデルによると、性自認の傾向に強い影響を与える生物学的要素はホルモンだと言われているのです。
    こんなことわざわざ説明させないでください。創造論者が進化論につける因縁とそっくりですよ。

  19. バジル二世 Says:

    >科学に完全な真理などありません。
    ↑は一般論なのですよ。そりゃ原子論や進化論だってそう言ってしまえばそうでしょう。しかし、いろんな検証を経て確からしいとして定説になっているわけです。しかし、脳の性=性自認は最新の分野でまだ分かっていないことも多いんじゃないでしょうか? そういう検証を経ていない命題を原子論・進化論といっしょにして、だから「確からしい」と言ってしまっていいものかどうか?
    症例の男児たちにしても、ホルモンシャワー説にしても、どれだけ検証を経たか分からず、「現時点で知り得る限りの、もっともよくできた説明のモデルによると」としか、macskaさんは言えないわけでしょう? もしもそれが誤っているとしたら、「新生児2億人に手術しても何割かは女の性自認を持つはずだ」なんて命題は、たとえ「非人道的だからすべきでない」という断りを入れていたとしても、迷惑この上ないものになるんじゃないでしょうかね。

  20. バジル二世 Says:

    誤解を招くといけないので補足します。
    >ホルモンシャワー説にしても

    現時点で知り得る限りの、もっともよくできた説明のモデルによると、性自認の傾向に強い影響を与える生物学的要素はホルモンだと言われているのです。

    について言ったものです。性自認に影響を与えることを否定するものではありません。ほかの生物学的要素もないのかどうかについて、疑問を持ったものです。

  21. macska Says:

    疑問を持つだけならバカにもできます。「総排泄腔外反症発症の原因やメカニズムが、脳の性にも影響を及ぼしている」ことを仮説としてであれ掲げている科学者が、一人でもいますか? それを示唆するような研究が、一つでもありますか? 現時点で最も有力な学説に従って書いた記述に対して「他の可能性も考えられる」と言うなら、せめて「こういう可能性ならあるかもしれないな」と思わせる程度の根拠を述べてください。何の事実も述べないまま「他の可能性も考えられる」ということなら、どんな科学的主張に対しても言えることであり、ことさら今の議論に関係があるかのように持ち出されても邪魔なだけです。

  22. 芥屋 Says:

    何だか、またここで錯綜しているようですが・・・。医科学で「Gender Identity Disorder」というときの「gender」と、社会学などでいう「gender」とは異なる概念なのですよね。
    Gender Identityというのは個々人のもので、「自分が男か女かの自我同一性」です。おそらく英語で「Sex Identity Disorder」と言ってしまうと、「自分の体が男女いづれであるかというアイデンティティに認知障害がある人」みたいな語感になる恐れがあるんじゃないかな。「Sexual Identity Disorder」にすると、もっと変。GIDはそういうものではないですから、命名上の工夫でしょうね。
    対して社会学での指標として使われるgenderとは本来「個々人の男女観を規定したり影響を与えたりする社会通念としての男女観」でしょう(文法用語からの借用語として。この場合、「文法」に当たるのがgenderで個々人の男女観は「発話」に当たる。個々人がまるっきり標準文法どおりに発話したり作文したりするわけではないが、かといって文法からまったく離れた造語としての「自分語」で話しているわけでもない;by Josefさんの説明)。
    >バジル二世さん
    うーん。そりゃぁホルモンシャワー説だって「現時点で最有力な仮説」でしかないと言えばそうですが、思いつきで唱えられているのではなく「そこそこそれなりのデータがあって」提唱されているわけです。確かに疑問は持っていいでしょうし、そうした疑問から何かの反証となるデータが出てくれば、仮説は覆るでしょう。科学ってそういうことの繰り返しの中から「より確からしいといえること」を見出してゆく営みですから。
    ただバジル二世さんの疑問というのが、どのような観点からどのように疑問を感じたのか、まったく見えません。たとえば上野千鶴子が同様の疑問を持つなら、上野のよって立つ立場から容易に理解できます。しかしそれならそれで、反証となる事例(少なくともこの仮説に対する重要な科学的指摘)が必要になりますよね。それもなくただ「仮説でしかない」とか言ったって、ためにする批判でしかないわけで。
    >脳の性=性自認は最新の分野でまだ分かっていないことも多いんじゃないでしょうか?
    そのとおりで、macskaさんもそれを言っているのですが。また、「脳の性=性自認」ではありません。「脳の性別」と「性自認=自分が男か女かのアイデンティティ」とは別概念です。別々の概念なんですが、「両者にどのような因果関係があるのか、ないのか」という科学的な研究については、「とりあえず現時点で、この程度には確からしいと言えそうな事例」がいくつかあります。それらをひとまず承認しつつ突き合わせると、どうなるか。もっと上位概念で「さらに確からしい」と言えそうなことが示されるのか、どうか。それをmacskaさんが実例を挙げて説明しているわけです。
    簡単にいうと、
    1. 性自認にはホルモンの作用がもっとも大きな影響をあたえるようだ。
    2. GIDの多くは胎児期の脳形成期におけるホルモン異常で説明がつきそうだ。
    3. しかし、第二次成長によるホルモンの影響のほうが大きいのかも、とも考えられる研究発表がある。
    4. 一方で、総排泄腔外反症男児は、胎児期のホルモン的には、まったく普通の男児と変わらない。しかし彼らの性自認の転換は相当程度にのぼる。
    5. 総排泄腔外反症男児の性自認転換には、別の生物学理由の存在の可能性も想定しうるが不明。
    現時点で科学的にいえること。
    「胎児期の脳形成期におけるホルモンだけで生まれつき性自認が決定される」とまでは言えなさそうである(そのような科学的な確からしさは今のところ見出せない)。

  23. 芥屋 Says:

    ちなみに、
    >「新生児2億人に手術しても何割かは女の性自認を持つはずだ」なんて命題は、
    これが「命題」というのではなくて、「だいたいは生まれつきでジェンダーは決まる」という命題に対する「しかし」以下の反証を挙げる部分に出てくる事例の解釈です。あくまで極論であって実際にそんなことをしたら「迷惑」どころではなく「非人道的だからすべきでない」ことは言うまでもないが、ということです。
    そもそも「だいたいは生まれつきでジェンダーは決まる」というのは、生物学的に考えても社会学的に考えても表現として意味不明です。ここでいう「ジェンダー」は「ジェンダーアイデンティティ」を縮めてしまったのでしょうけど、おそらく「性自認」という訳語から「認知・認識」を連想してしまっているのではないかと。
    http://homepage1.nifty.com/NewSphere/EP/b/cog_psych.html
    ↑これとごっちゃになってるのかも。でもIdentity(自我同一性)であってRecognition(認識・認知)ではないわけで。「ある人が、自分が男か女か、どちらに認識しているか」であれば、「だいたいは生まれつきの体のままに」でいいと思います。が、「Gender Identity」については、社会との兼ね合いのなかでのアイデンティティになります。それが「だいたい」であるかどうかの量的な問題ではなくて、そもそも「自分と社会との兼ね合いで形成されるアイデンティティは生まれつきで決まる」というのは変でしょう。そこで言ってる「gender」が何かということを考えないと、混乱するばかりだと思います。
    というか、ある人の何かについてのアイデンティティ形成が「生まれつき決まっている」わけがありません。生まれつきのものが土台になっていることももちろんあるでしょう。しかし生物学的因子との関連で言えば、例えば「発癌性遺伝子がある」からといって「その人が癌を発症することは生まれつき既に決まっている」わけではないし、「発癌性遺伝子がない」からといって「その人が癌を発症することはありえない」のでもない・・・基本的にそれと同じことではないでしょうか。

  24. macska Says:

    少しだけ。

    医科学で「Gender Identity Disorder」というときの「gender」と、社会学などでいう「gender」とは異なる概念なのですよね。

    医科学で、と言うと括りが大きすぎるのですが、精神医学でということならその通りです。精神医学では、ジョン・マネーの用法がいまだに通用しています。一応いまでは「ジェンダーアイデンティティ」と「ジェンダー」くらいは区別するようになっていますが、日本の場合そういう区別が一般化したのは2000年以降であり、90年代には精神医学の分野では「ジェンダーアイデンティティ」の意味で「ジェンダー」という言葉が平然と使われていました。同時期の社会学や女性学などでは(マネーについての歴史的な記述など例外はありますが)あり得ないことです。

    4. 一方で、総排泄腔外反症男児は、胎児期のホルモン的には、まったく普通の男児と変わらない。しかし彼らの性自認の転換は相当程度にのぼる。

    この点で追加なんですが、「男性として育てられた総排泄腔外反症男児」で大人になってから女性として生きている人はほとんど皆無です。つまり、女性として育てられたうちの相当数が大人になって男性として生きる事を選択しているのに、その逆はない。おそらく「男性として育てられた総排泄腔外反症男児」の中にも性同一性障害の人は生まれ得るんでしょうけれど、絶対数が少ないためいまのところそういう例はわたしの知る限り一件も報告されていない。
    この事から、(1) 総排泄腔外反症男児は、性器に異常があっても男児として育てるべきだ、(2) 総排泄腔外反症男児は(多くのインターセックスの子どものように)平均的男女の中間にあるとは言えず、生まれ持った性自認の傾向は通常の男児に限りなく近いと考えられる(けれど、もちろんそれに決定されているわけではない)、ということが言えます。
    そういうレベルの科学研究に誠実な話をしているのに、まるでわたしがイデオロギーでそう決めつけているかのように無根拠に決めつけている小谷野さんは困りものです。

  25. ラクシュン Says:

    というかそもそも、正常なものに人工的に手を加え改造したものが、正常なものと違っていたとしたって、それが何なのですか? そんなの当たり前。
     |彡サッ

  26. azami Says:

    Diamond DA, Burns JP, Mitchell C, Lamb K, Kartashov AI, Retik AB.  Sex assignment for newborns with ambiguous genitalia and exposure to fetal testosterone: attitudes and practices of pediatric urologists. J Pediatr. 2006 Apr;148(4):445-9.  http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/query.fcgi?db=pubmed&cmd=Retrieve&list_uids=16647402&itool=pubmed_abstractplus&dopt=abstract&dr=abstract
    2006年のこの論文をみると,小児泌尿器科医の態度は変わってきているようです。全米専門医へのアンケートで,XYの総排泄腔外反症の場合に実に2/3は男児にする事に賛同し,その大きな因子はアンドロゲンによる脳のインプリンティングだそうです。女児へする人は陰経を作る困難さ,歴史があるなどの理由です。ReinerらのNEJMの論文のインパクトは大きくて多くの医師は,女児にする事に対する充分な警告と取ったようです。

  27. azami Says:

    Agate RJ, Grisham W, Wade J, Mann S, Wingfield J, Schanen C, Palotie A, Arnold AP. Neural, not gonadal, origin of brain sex differences in a gynandromorphic finch. Proc Natl Acad Sci U S A. 2003 Apr 15;100(8):4873-8. Epub 2003 Apr 2.
    http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/query.fcgi?db=pubmed&cmd=Retrieve&dopt=abstract&list_uids=12672961&query_hl=19&itool=pubmed_docsum 全論文が無料でダウンロードできます。
    ラット,マウスなどで性ホルモン非依存の脳の性分化は既に示されているけど,上記のキンカチョウの雌雄同体(何と右が雄で左が雌)でもっともキレイに示されています。精巣・卵巣も同様に左右にあり,興味深い事に脳のさえずり中枢も同じ様に左右差があり,それは遺伝子でも確認されました。もしホルモンだけの影響なら循環血中で混じり,左右が均等の脳になるはずです。つまりホルモンシャワーだけでは,全ては説明されませんでした。

  28. macska Says:

    つまりホルモンシャワーだけでは,全ては説明されませんでした。

    はい、わたしが書いた通りですが、人類では一切確認されていないんですよね。また、脳の性差が性自認にどう関係しているかは、マウスやキンカチョウに性自認をたずねることができない以上、確認のしようがありません。すなわち、性自認の傾向に影響する現時点でもっとも有力な説はホルモンシャワーであることにかわりはないですね。
    さらに言うと、XYの総排泄腔外反症児はホルモン的に正常な男性と同じであるばかりか、遺伝子的にも正常な男子と違いないというか、正常な男子との遺伝子上の差異は全く発見されていません。つまり、仮に性自認に遺伝子が強く影響しているとしても(これは仮定であり、そう信じる理由はとくにありません)、今回の議論に全く影響はありません。
    ちなみに総排泄腔外反症男児を女児として育てるべきではないという点に関しては、コンセンサス・ステートメントが出ています。もはや医学的なスタンダードだと言って良いでしょう。

  29. 純子 Says:

    xanthippeさま
    >専門家面して書評を書くなんておこがましいわなあ・・・。
    そういう態度はまずいんじゃないの。「無知蒙昧な一般大衆は専門家の言うことをおとなしく聞いていればいいんだ」ってことになっちゃいますが。まして「バックラッシュ」は専門家じゃない人向けの一般書なんだし。
    「素人の小谷野さんが、解らないのは、専門家としてのmacskaさんの、技量不足じゃないの?」という指摘はありでしょう?
    私がmacskaさんと小谷野さんや、林さんとの議論を傍から見ていて思ったのは、小谷野さんも、林さんも、実は「生まれつきか、育て方か一方ではなく、両方の相互作用が性を決める」ということは、(細かい知識には、確かに、あぶない所がいっぱいあるけど^^)ある程度、納得しているんじゃないかと。たとえば小谷野さんだったら「大体は生まれつきで決まる」の、「だいたい……」のあたりに、そういう気分はこめられている気がする。
    むしろ、それでも「通常の健康な男子(女子)なら、普通の男性(女性)に育んだから、それなら普通に男らしく(女らしく)する教育をして、立派な男(女)に育てあげてあげるのが子供のためでしょう。男らしさ、女らしさを一方的に抑圧だと決め付けるフェミニズムが主張するジェンダーフリーは間違っている」と言いたいんだと思うんだよね。
    それに対するmacskaさんの反論は、小谷野さんや、林さんが、極端な生物学的還元説に基づいてバックラッシュしていると思い込んでいて、小谷野さんや、林さんの主張の中の、生物学的還元説ぽいところを、医学的なデータから主に批判している。(それは、データとしては間違ってはいないんだけど)でも、実は、小谷野さん、林さんとも生物学的還元説→バックラッシュじゃなくて、生物学的基礎+伝統文化擁護→バックラッシュなんだよね。お二人とも伝統文化が大好きなだけなんだよ。そこで議論が噛み合わなくなってしまっているような気がするんだな。

  30. バジル二世 Says:

    話が進んでしまっているようですが…
    >「総排泄腔外反症発症の原因やメカニズムが、脳の性にも影響を及ぼしている」ことを仮説としてであれ掲げている科学者が、一人でもいますか? それを示唆するような研究が、一つでもありますか?
    昨日仕事もありましたので多くは調べられませんでしたが、検索で出てきた結果(Yahoo!での「総排泄腔外反症」検索結果全49件だけ)を見た限りではありませんでした。おっしゃるように、反証がないので、このことについてはそれが見つかるまでは発言を控えます。
    遺伝子・染色体の話は分からず、また医療の実情を知らぬ素人の疑問で恐縮なのですが、macskaさんはなぜ男児たちがホルモン的に全く正常の男性であると書かれるのか、その100例についてそういう記述があるのでしょうか。専門家・研究者にとっては全く馬鹿馬鹿しい質問でしょうが、素人には全く分からないことであり、その点について蛇足ながら質問したいと思います。

  31. macska Says:

    macskaさんはなぜ男児たちがホルモン的に全く正常の男性であると書かれるのか、その100例についてそういう記述があるのでしょうか。

    ホルモン分泌になんら問題はないですし、ホルモン受容も同じです。第二次性徴も普通の男性として迎えます(女児として育てられる場合は、男性型第二次性徴を防ぐために睾丸が除去されます)。これまでのいかなる調査でも、ホルモン的に総排泄腔外反症男児が他の男児と違うのではないかと疑う理由が何一つありません。もちろん、だからといって絶対にないとは言い切れず、今後新たな発見によって医学的常識がくつがえされる可能性はありますが、今の時点では「ホルモン的には全く正常」と言うしかないです。

  32. 芥屋 Says:

    >ラクシュンさん
    >というかそもそも、正常なものに人工的に手を加え改造したものが、正常なものと違っていたとしたって、それが何なのですか? そんなの当たり前。
    おそらく「正常でない男児の事例が正常な男児の性自認の一般例に当てはまるわけないだろう」ということだと思います。が、文中に二回出てくる「正常なもの」が、それぞれ指すものが違うのではないでしょうか。そこでいう「正常なもの」とは、どんな「もの」についての何の「正常さ」か、ということを第一に考えないといけないでしょう。
    まずはじめの「正常なもの」とは「他の男子と変わらないホルモン分泌」のことです。次に、「改造したもの」というときに、どんな「もの」についての何の「改造」かといえば「女児として育てるべく手術された性器」です。次の二回目の「正常なもの」とは「ストレートなジェンダーアイデンティティ」です。最後に、「違っていた」というときに何が違っているのかといえば、「ジェンダーアイデンティティが違っていた」です。
    つまり、ラクシュンさんの文は「他の男子と変わらないホルモン分泌の男児を、女児として育てるべく性器を手術したら、ジェンダーアイデンティティが違っていた(ケースも相当数にのぼった)」です。
    したがって「それが何なのか」と言われたら、「胎児期のホルモンシャワーによって個体のジェンダー・アイデンティティが決定されるとも言い切れないのではないか、という反証たりうるということなのだ」でしょう。
    要するに、専門的な医学知識の有無は必要なく、普通に論理的に考えれば「そんなの当たり前」ではないでしょうか。ラクシュンさんが何に反発しているのかはわかりますが、論理的に混線しております。

  33. 芥屋 Says:

    そこで、「それが何なのか」について論理ではなく倫理的にどうなのか、を考えます。以前の処方により女として育てられた人の中には、確かにその後も女として生きることを自分の意思で選択した人も相当数いるわけです。が、人間には適応力もありますし、また、ものごころつくころから女として生きてきた自分の人生について、今後もそのままで良い、という意思判断をする人も相当程度いるということは、何ら不思議ではないでしょう。
    しかし「だからといって、その男児たちを男として育てようが女として育てようが自在である、とは言えない。これこれのことが既に明らかになっているのだから、今後は同様の障碍のある男児は男として育てるべきである」ということだそうで、それもmacskaさんが言及済みのとおりであり、その理由も書いてありますよね。要は、これは何の何に対する反証の例なのか、ということだけ読めば、非常識な話でも何でもないでしょう。常識的で倫理的なことしかmacskaさんはここで述べていないと思いますが。

  34. バジル二世 Says:

    >芥屋さん
    >ためにする批判でしかないわけで。
    これは分かりにくかったかもしれません。私は、

    「もし2億人全員に幼いうちに手術をほどこして性別を変えていたなら、当然そのうちの何割かでは生物学的性別とは逆の性自認を持つことになるはず。

    に反発したのです。正直なところ「性転換の薦めじゃないか」と。これは「残りは自分の性自認と身体のギャップに苦しむこともあるはず」というのと表裏になるんですけれど、その部分を見落としていたのでしょうね。
    そこから来た感情的反発というか「身体に害のあるかもしれないものを安易にまるでないかのように薦められている」という嫌悪を感じた非は私にあるんでしょうが、立場についてはそうで、それがあっての一連の投稿です。
    >macskaさん
    男児のホルモンの状態については納得しました。

  35. 芥屋 Says:

    >純子さん
    私も同感であることは多いです。ただ、ちょっと違う見方をしている部分もありますので、そこを書いてみます。林が小谷野が、ということではないのですが、男女論について保守的価値観を大切にしたいという人たち一般を考えます。その人が同じ口で「だいたいは生まれつきでジェンダーは決まる」などなどの決定論的フレーズを言うとき、自分が何を言っていることになるのか少しは考えたらどうだ、と私はいつも思うのです。上で書いたように、ここで言うジェンダーが、単にジェンダーアイデンティティを縮めちゃったのだとしても、です。
    ましてや、例えば「父親には父親の、母親に母親の、取替えの聞かない大切な役割がある」「男らしさ女らしさというものは文化的に大切な様式であり守り伝えていくべきものなのだ」といったことが本来の主張であったはずです。ジェンダーフリー派はこうした男女観およびそれを前提に成り立っている社会制度(必ずしも法制に限らない)を批判したのであり、保守派との争点はそこであったはずなのですね。
    彼らが大切に思う価値観が生まれつきのものであるかどうかなど、争点になるほうがおかしいのです。そもそも争点になっている価値観とは基本的に道徳観や美意識なのです。道徳観や美意識が「生まれつきにある」などと馬鹿げた話になるわけがないでしょう。そういったものが生まれついてのものなら、教えてどうなるものでもないし、躾ける必要もない、ほっといても自然に身につくものなのだ、でいいじゃないですか。ジェンダーフリー教育によってそれらが変えられるんだ、変えるべきなんだという人たちには、勝手にさせておけばよい、どうせ変えられやしないのだと冷笑しておれば済む話のはずです。
    誰だってそう思うはずです。しかし似非科学の決定論にはまりこむ保守派が現実に多い点について、私は「彼らは道徳観や美意識の伝統など大事にはしていないのだ」と見ています。たとえば「男らしさ女らしさ」について、小林秀雄や三島由紀夫なら、まずそれを「美」の観点から語るでしょう。そしてそれゆえに、誰でもそうあるべきだなどとは決して言わないでしょう。しかし林や山木らが一度だって、そうしたものを「美」の観点から語ったことなどあるでしょうか。心理学的にどうである、教育上必須である、サヨクがフェミが日本を破壊しようとして云々。そういう彼らの語り口の中に、私は一片の美も感じることがありません。自分で守れないどころか自分たちでブチ壊しにしているものを、やれ日本のためだ、おまいら守れなどと、バカじゃなかろうかと思う次第です。

  36. macska Says:

    例えば「父親には父親の、母親に母親の、取替えの聞かない大切な役割がある」「男らしさ女らしさというものは文化的に大切な様式であり守り伝えていくべきものなのだ」といったことが本来の主張であったはずです。ジェンダーフリー派はこうした男女観およびそれを前提に成り立っている社会制度(必ずしも法制に限らない)を批判したのであり、保守派との争点はそこであったはずなのですね。

    まったくその通りです。以前 *minx* でやっていた「救済計画」というのは、くだらないジェンフリたたきをやっている自称保守の人を、もっと保守本来の主張に立ち返った価値観としてのジェンフリ批判をするよう誘導しようとしたのですが、結局ダメでした(笑)
    ちなみに、「本来争点とすべきは『生まれか育ちか』ではない、そういった事とは関係なく伝統的な家族制度や性役割分担の是非を議論することができる」という指摘は、わたしの論文にも書いています。

  37. ラクシュン Says:

    >芥屋さん
    >したがって「それが何なのか」と言われたら、「胎児期のホルモンシャワーによって個体のジェンダー・アイデンティティが決定されるとも言い切れないのではないか、という反証たりうるということなのだ」でしょう。
    要するに、(よほどの例外がない限り)ホルモンシャワーによって、(将来的な)性自認が決定されるという学説があったとした場合。例えば(仮にブレンダのような)正常児の精巣切除の性転換(女性器へ)で、性自認が揺らげば(女の性自認があるとは聞いていないから)その学説への反証になる、ということですかね。 でも、正直言って解りにくいです。手足の切除などとは訳が違って、精巣の切除は男なら男の(対他的反照の)シンボルが無くなる=逆転されることであり、第二次性徴を司るテストステロンが分泌されなくなるということですよ。普通に考えればこれだけで、性自認が不安定になることは推測できると思うんですけどね。原理的な問題とでもいうのか…。

  38. 芥屋 Says:

    >バジル二世さん
    その反発が背景にあるのはよく理解できます。また、ジェンダーフリー教育で考えられているセクシュアルマイノリティの扱いについてのバジル二世さんの反論したいことが言外にあるかとも思います。そこで率直に申しますと、そのことを言いたくて一足飛びになった、あるいは先走ってしまったという感じが強いです。
    しかしその場合でもなおさら、今ここでmacskaさんが小谷野とどういう争点で論をぶつけあっているか(小谷野がどこでつまづいているか)を見て取ることが必要だと思います。ここでつまづくと、「科学として現時点で言えることの確認と理解」ができないままに科学的見地を論じてしまうことなるのですね。保守派の似非科学は、だいたいにおいてそうしたところから出てくることが多いようなので気になりました。上野vs八木のブレンダ論争は、そうした「保守派の似非科学」と「進歩派の反科学」との無意味な空中戦、その最悪パターンと言ってよいでしょう(「フォースの暗黒面」と言っても可)。

  39. 芥屋 Says:

    >macskaさん
    >くだらないジェンフリたたきをやっている自称保守の人を、もっと保守本来の主張に立ち返った価値観としてのジェンフリ批判をするよう誘導しようとしたのですが、結局ダメでした(笑)
    そりゃ無理ですよ(笑)。『フェミナチを監視する掲示板』でそればかり書いていた私と告天子さんは投稿禁止になりましたしね(私は「フェミの回し者」、告天子さんは「戦後民主主義の寵児」という称号をいただきますた)。それ以前にもメフィスト騎士団さん沢渡憂作さんという2名の人が同様の主張をしていましたが反応なく、彼らは黙って去ってゆきましたし。右翼が言っても聞かないものをフェミが言って聞く耳持つわけがありません。
    「日本を破壊するフェミニストを監視しよう!しかしわれわれは断じて右翼ではない!」のですから、まぁ当然なのでしょうけど。でも、いったい何に反対していて何を監視しているのやら、見当もつきません。そうそう「監視」といえば、こないだ久しぶりに見てみたら何とテレビドラマのジェンダーチェックで盛り上がってましたよ。いえ、彼らがジェンダーチェックしてるんですよ。「このような男女観を刷り込ませることになる!」「このような刷り込みでこのような悪影響が社会に蔓延するのだ!」「抗議の声をテレビ局に送るべきだ!」って。BIG BROTHER IS WATCHING YOUです。
    >わたしの論文にも書いています。
    macskaさんのはまだ読んでなかったんですが、どれどれ、読んでみましょう。

  40. 芥屋 Says:

    >ラクシュンさん
    >精巣の切除は男なら男の(対他的反照の)シンボルが無くなる=逆転されることであり、第二次性徴を司るテストステロンが分泌されなくなるということですよ。普通に考えればこれだけで、性自認が不安定になることは推測できると思うんですけどね。
    全く同感です。ところが、胎児期のホルモンシャワーによる脳の性別分化が性自認に対する決定要因(この場合は至近要因)だとしますと、生後に男性器を切除しても脳の性別は確定しているので性自認は揺るがないはずです。でも、揺らぐ。GIDにおける分界条床核についてのmacskaさんの報告も併せて、第二次性徴によるホルモン分泌もまた大きなものかもしれないと示唆されるように思います。つか、宦官がナヨナヨしてておよそ「普通の男とは思えない風貌・振る舞い方であった」ことを考えても、胎児期のホルモンシャワーだけで説明がつくとは到底思えないのですけどね。
    どうもその、「生まれつき」という言葉を「生まれ持ってのものが生涯にわたって」の意味ではなく「生れ落ちたときに、もう決まっている」の意味で使われているようなことが最近多いと思いませんか?決定論の最大の落とし穴は、そこにあると私は見ています。

  41. macska Says:

    右翼が言っても聞かないものをフェミが言って聞く耳持つわけがありません。

    それはそうだ。
    美学もしくは文化的価値としての性役割分担みたいな主張をしてくれれば、反論するにしても議論にそれなりの意味を見出せるのですが、「ジェンフリがこんなことやってる」「それはデマだよ」「今度はジェンフリがこんなことやってる」「…それもデマ」の繰り返しじゃバカらしくてやってられません。しまいには「誤解が起きるのもフェミの責任」とか言っていて、それを第三者が言うならまぁそういう面もあるかなぁと思うのですが、その誤解を誤解と知りつつ宣伝している連中に言われるのはちょっとね(笑)
    ちなみに、このあたりの問題は『バックラッシュ!』のコラム「7つの論点」のうちの1つ、「ジェンダーフリーは伝統文化を破壊するか」で取り上げています。

    macskaさんのはまだ読んでなかったんですが、どれどれ、読んでみましょう。

    おぉ、買ってくれたんですね。お買い上げありがとうございます。
    ブログで煮るなり焼くなりご自由にどうぞ。
    ちなみに、ジェンダーチェックについて斉藤さんが興味深い歴史を紹介してくださっています。ご一読ください。東京女性財団が発行しようとした「メディアのジェンダーチェック」を、草の根フェミニズム運動が阻止した事実があるというものです。

  42. 芥屋 Says:

    >macskaさん
    いい論文ですね。と同時に、macskaさんが上野のインタビューについて、「ブレンダ論争のおかしな解釈」を含めて「上野のページを全部破り捨てても」と言いたくなったのがわかるような気もします。「ゴンベが種まきゃカラスがほじくる」って言葉を、あの本の中に感じました。とりあえず読後の感想の第一報まで。

  43. ラクシュン Says:

    >芥屋さん
    >でも、揺らぐ。GIDにおける分界条床核についてのmacskaさんの報告も併せて、第二次性徴によるホルモン分泌もまた大きなものかもしれないと示唆されるように思います。
    なるほど、GIDのケースがありますよね。こちらの人たちは、自然に育っていても揺らぐということですよね。
    しかしその人たちは、第二次性徴を迎える前からなんとなく違和感を感じていたんじゃないでしょうかね。だからどうだということまで考えていませんが。
    しかし難しいことはよく解りませんが、たしか第二次性徴には精巣および卵巣自体の発達が必要だということですよね。そして、精巣・卵巣の発達は、脳の視床下部から下垂体を通して生殖腺に働きかける生殖腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)の働きが必要なようですが、そのあたりの関係が実際にどうなっているのかなどということは、私にはまったく解りません。
    (参考文献:『生き物をめぐる4つの「なぜ」』長谷川眞理子^^ゞ)

  44. 芥屋 Says:

    >ラクシュンさん
    そうですねぇ・・・。そこんとこになると、もちろん私にもわかりません。ただGIDについては、これは専門家も言ってることですが、「おそらく医学的には全く別々の要因によるものを現在の医療制度上、ひとつの診断名で把握せざるを得ないことからくるカテゴライズにすぎない可能性もある」ということは、充分に考慮しておく必要があります。GIDだけではありません。双極性障害(いわゆる躁鬱病)やADHDもそういうことが言われています。ただし病態や症状がほぼ同一であり、有効な処方が同一である限りは、原因の機序(メカニズム)は別々のものであっても医療上、現時点で最善の処方を選択するうえで、さしあたってそのカテゴリーは「有効である」ということです。
    話は吹っ飛びますが、実は「魚類」や「爬虫類」については、ほぼ「同一の先祖から分岐した一群の動物群ではない」ということはわかっています。古生物学者のコルバートの表現を借りれば「爬虫類とは、両生類でもない哺乳類でもない、その間にある全ての脊椎動物の総称にすぎない」ということ(正確な引用ではありません。そういう趣旨のことを説いていました)。恐竜と鳥類の血筋は非常に近いが、「恐竜と鳥類」と「カメ類」の血の遠さは、実は「恐竜と鳥類」と「全ての哺乳類」の血の遠さより、はるかに隔たったものだったりします。「爬虫類というカテゴリーって、いったい、なんなの?」というのは刺激的で面白いテーマだったりしますが、どこが面白いかというと、「人はどのようにカテゴライズして世界を認知してゆくのか」ということですね。
    で、話を戻すと、私はここでGIDと双極性障害とADHDを挙げましたが、これに自閉症スペクトラムを加えても良いのです。「表面に表れている現象が類似していて、同じ処方で有効なのであれば、とりあえず原因論の究明は先にまわしても同一の症候群として扱ってよい」のですね、医学としては。それが生物学的に真であるとは限りませんよ、でもそれは今後の研究課題であって、さしあたって「今なにをすべきか」とは別なのです。そこでmacskaさんも言ってましたが、社会構築主義だろうが保守主義だろうが、もし「自説の根拠に使えるかどうか」しか考えていないのであれば、それは当事者はもちろん、医科学とも何の関係もありません。医科学的に言えば、「あー、まだ便宜上の分類とわずかな知見しかないのですが、あなたの論の補強になるとでもお考えでしょうか?」ということになるんじゃないかな、と思うことは多いですね。
    もちろん私もこの分野は素人ですけど、素人目に見て専門家が「ここまではわかって、ここからがわからない」「今わかっていることを突き合わせると、こうは言えそうだが、しかしこんな反証もあって、うーむ・・・」ということの繰り返しだったりします。だから、信頼できるのですけどね。上野も八木も、そこんとこ、まったくわかってないでしょうけど。

  45. ラクシュン Says:

    まぁいろあるんでしょうけど、↓この人いったい何が言いたいのか未だに解らないのですがぁ…
    [マネーとタッカーの業績は、セックスとジェンダーのずれを指摘したにとどまらない。もっとも重要なことに、かれらの仕事は、セックスがジェンダーを決定するという生物学的還元説を否定した。万一外性器に異常があっても、もし遺伝子やホルモンが性差を決定するならば、患者たちは周囲の性別誤認にもかかわらず、自然に「男性的」もしくは「女性的」な心理的特徴を発達させていたはずである。]
    (上野千鶴子「性差の社会学」 岩波講座 現代社会学11『ジェンダーの社会学』より)
    http://www.ne.jp/asahi/village/good/feminism.htm
    ホルモンや遺伝子以外の要因で、「普通の男とは思えない風貌・振る舞い方」であるような人がどのような理由で出現するというのでしょうか? そしてその理由をマネーがどこかに書いているのでしょうかねぇ? また、ホルモンの影響は生得的なものとして前提されているようですが、生物学界ではそれは環境(≒≒文化)として位置付けられているのではないの?という疑問もあるんですけどね。

  46. 芥屋 Says:

    >ラクシュンさん
    macskaさんはもう、上野のおかしな話はしたくないと思うんですよ。破り捨てたくなりますよ、せっかくブレンダ論争であれだけきちんとまとめて寄稿した、その本で、上野があれほどブチ壊したら・・・わかってやりましょうよ。上野のジェンダー論のおかしなところは、私んとこでやりましょう。

  47. xanthippe Says:

    純子さん こんばんわあ
    MiXiが”半公開のサイト”だというのを読み落としていましたわん。自分でも著書を持ってらっしゃる人だから、依頼されて新聞か雑誌か、なにかに「書評」を掲載されたんだと誤解していました。ほとんど仲間内で批判していただけなんですね。なーんだ。
    ということなので、
    >んでもだったら専門家面して書評を書くなんておこがましいわなあ・・・。
    という発言は撤回しますね。んでも、そのレベルだったら書評じゃなくてただの感想文じゃん?

  48. 純子 Says:

    芥屋さま、ていねいなレスありがとうございます。
    概ね芥屋さんに同意なんだけど、若干ちょっと違う見方をしている部分で気になったことなど……。
    >その人が同じ口で「だいたいは生まれつきでジェンダーは決まる」などなどの決定論的フレーズを言うとき、自分が何を言っていることになるのか少しは考えたらどうだ、と私はいつも思うのです。
    あっ、それを決定論と思ってしまっているんですね。私は、本人たちが、よくわかっていないだけで、ただの常識論なんじゃないかと思うんですよ。「(性同一性障害や同性愛のような例外的な人は別にして)だいたい(普通の人は)は生まれつきでジェンダーは決まる(のが常識だ)」という感じの……。
    >彼らが大切に思う価値観が生まれつきのものであるかどうかなど、争点になるほうがおかしいのです。
    でも、現に小谷野さんも
    >いったいなぜ「性自認は事後的に変えられる」などと主張しなければならないのか、別にそんな主張をしなくたって、男女平等や同性指向者解放は十分可能であろう。
    と言ってるくらいだし、これは、「性自認は事後的に変えられようが、変えられまいが、男女平等や同性指向者解放は十分可能であろう」ということで、それが争点になるほうがおかしいと指摘している。
    それなのに「性自認は事後的に変えられる」からこそ、男女平等や同性指向者解放は可能なのだという小倉千加子ら、フェミニストの主張はヘンだし、妙に「性自認は事後的に変えられる」論にこだわるmacskaさんもヘンだ。ということなのでは? それで
    >これはまさに朝鮮における儒教論争や、文化大革命みたいなもので、空理空論で争って目標を見失うの類である。
    ということだから、なんだか小谷野さんも、舌足らずだけど、同じことを言ってるような気がしませんか?
    >ジェンダーフリー教育によってそれらが変えられるんだ、変えるべきなんだという人たちには、勝手にさせておけばよい、どうせ変えられやしないのだと冷笑しておれば済む話のはずです。
    どうなのかなあ。子供たちに対する大人の責任ってあるんじゃないのかなあ。どうせ変えられやしないとしても、それによって子供たちが混乱したり、大人の世界では、通用しないムダなイデオロギーや知識を注入されているとしたら……。やっぱり大人としては注意すべきなのでは……。文化大革命の時みたいに、毛沢東語録しか暗唱できなくて、九九も知らない子供ばかり出来てもなあ。
    これが、大人がジェンダーフリー社会をすでに確立していて、それを次世代の子供たちに伝えていこうというのなら、いいんですよ。その上で、子供たちが、それを受容したり、反発したり、挑戦したり、反抗したりして、自分たちなりの価値観を作っていくわけだし。
    でも「ジェンダーフリー教育」を主張している人たちの議論を見ていると、今の大人は男女二分制に骨がらみ洗脳されててダメだ、いっそ頭の柔らかい子供たちを洗脳して……。という議論が、まま見られるような。そういうのは良くないんじゃないかなあ。程度の問題だけど、私の経験から言っても、教育って、やや伝統的、保守的な方がよくて、そのほうが子供もよくものを考えるようになるような。ヘンに物分かりがいいふうで、そのくせ頭の固い日教組の教師って大嫌いだったような。
    >しかし似非科学の決定論にはまりこむ保守派が現実に多い点について、
    「保守も質が落ちたな」という点には同意ですけど、最初に「進歩派の反科学」を持ち込んだのは、フェミニストの側ですからねえ。(上野さんとか、小倉さんとか)それに対抗しようとして「フォースの暗黒面」に堕ちると「保守派の似非科学」が成立してしまう。私の印象だと、八木さんや中川さんや西尾さんは、完全に暗黒面に堕ちてるけど、小谷野さんや林さんは、まだ暗黒面の一歩手前で、堕ちないようになんとか踏みとどまっているような気がするのですが。
    >しかし林や山木らが一度だって、そうしたものを「美」の観点から語ったことなどあるでしょうか。
    山本はともかく、林さんは「美」の観点から語っていると思うけどなあ。「最近の男子学生の腑抜けぶり、女子学生の慎みのなさは何だ」とフンガイしてるわけだから……。その美観に同意できるかどうかは別にして。
    あと、macskaさまへ
    >「誤解が起きるのもフェミの責任」
    というのは、あると思うな、「ジェンダーフリー」というスローガン自体の欠点ですね。ジェンダーという言葉で表現される事象はあまたあるから、そのうちの、何が不満で、何を批判したいのか、このスローガンでは解らない。一見、DV問題から性的少数派の問題まで、すべての問題をトータルにカバーできるスローガンのように感じるでしょうが、逆に敵も増やしてしまう結果になっている。しかも暗黒面に落ちたゾンビみたいのが、後から後からわいて出るんですね。伊田みたいにジェンダーフリー派内部からもゾンビがわいてくることになる。
    >ちなみに、「本来争点とすべきは『生まれか育ちか』ではない、そういった事とは関係なく伝統的な家族制度や性役割分担の是非を議論することができる」という指摘は、わたしの論文にも書いています。
    私もそう思います。だったら、バックラッシュの本質は生物学的還元説だと思い込まないほうがいいと思うのですが。林さんも小谷野さんもジェンダーフリー派がアンチ生物学的還元説の人が多いから、立場上、生物学的還元説っぽい主張になってるだけで……。やってるうちに、だんだん自分たちの本質が生物学的還元説だと思いこみはじめて、やがて暗黒面に……(^^)
    >いい論文ですね。と同時に、macskaさんが上野のインタビューについて、「ブレンダ論争のおかしな解釈」を含めて「上野のページを全部破り捨てても」と言いたくなったのがわかるような気もします。
    芥屋さまが、そうおっしゃるので、読みたくなりました。今、本屋さんで探し中です。置いてないよー(^^)

  49. 芥屋 Says:

    >純子さん
    ジェンダーフリーに対する部分はほぼ同感です。そっちをお話したい気はあるのですが(あと林のところとかいろいろ)、エントリの主題からズレちゃうと思うので割愛させてください(もう少しで50コメントですし)。macskaさんからのお題「ジェンダーフリーと伝統」「ジェンダーチェックの歴史」についても、自分のところにでも書こうと思っています。
    >あっ、それを決定論と思ってしまっているんですね。
    いえ、彼らがズッポリ決定論者だというのではなくて、何気に決定論的フレーズを言うとき、気付かずに自分が何を否定してしまっているかということです。
    ちなみに「だいたいは生まれつきでジェンダーは決まる」というのが常識論だとは思いません。社会学的な「個々人の男女観を規定したり影響を与えたりする社会通念としての男女観」という用法と、精神医学で「ジェンダーアイデンティティ」というときに想定されている「自分の性別についての、自分と社会の兼ね合いでのアイデンティティ」という用法、そのいづれから見ても。少し調べれば、詳しい人に聞けば、わかることです。
    そもそも文法用語からの借用語であるgenderは、ごく身近な会話で使う場合にしろ何にしろ、何かの「性別」についてのsocialなポジショニング(位置づけ・意味づけ)を指しているのですから、「生まれつきで決まる」ものを指しているわけがないのです。一部のフェミニストが言う特殊な用法ではなく、この程度のことは標準的な英語の辞書を引くだけでわかります。ですので、常識論を言いたかったのであろうけど不勉強だ、としか言えないですね。あるいは自分で勝手にgenderという英語を翻案して別の意味にしちゃったとか。そうした自分の不勉強・不見識を論敵のせいにするなら、非常識な態度と言えましょう。
    ところで、上野や小倉(およびそのエピゴーネン)は著しく変なのですが、macskaさんは自分で言うように「ゴリゴリの社会構築主義者(文化決定論者)ではない」と思いますし、実際にそんな主張は見たことないです。ただ何と言うか、妙にかばっちゃう印象は強かったですね。上野については、自分の目で確かめるまで批判者の指摘が信じられなかった(一縷の望みというか希望的観測を捨てきれなかった)のかなぁ、とか思っています。ともかく八木らの主張に反駁するのがメインだったのでしょう。どちらに重点を置くかは、それはそれかと。

  50. 芥屋 Says:

    >最初に「進歩派の反科学」を持ち込んだのは、フェミニストの側ですからねえ。(上野さんとか、小倉さんとか)それに対抗しようとして「フォースの暗黒面」に堕ちると「保守派の似非科学」が成立してしまう。
    そうですね。「反」の思想だからです。対抗主義に陥ってしまう。すると軸線は常に政敵・論敵の側にあって自分の側にはないでしょう、そうなると鏡合わせに同じものになっちゃいますよ。そこで、
    >ジェンダーフリー派がアンチ生物学的還元説の人が多いから、立場上、生物学的還元説っぽい主張になってるだけで……。
    そういうことになるんだと思います。でも「伝統文化を大切にしたい。男女の様式美を大事に守り伝えたい」という立場からも、似非科学の生物学的決定論など、まず真っ先に批判すべきものでしょう。つまり「ジェンフリ派のアンチ生物学的還元説」には、その部分については同意できていなきゃいけません。ところがジェンフリ派の生物学的決定論批判は、返す刀でしばしば「社会文化決定論」なのですね。そこを批判するのはわかるけれど、それにあたって自分たちが批判すべき生物学的決定論に頼ってしまい、知のフォースの暗黒面に堕ちていくのです(・ω・)
    というか、生物学的見地に対する反科学は大いに問題ですが、生物学的見地を重視することと、それをして「生れ落ちたときに既に決まっている」「生物としてそうなるのは決定されている」と短絡する決定論とは全く別のものですから。いわゆる生物学的決定論・遺伝決定論というものは、科学用語を散りばめた似非科学のイデオロギーであって、生物学的でもなければ遺伝学的でもありません。生誕決定論とでもいうべき思想です。
    ところで、小谷野は長谷川眞理子に注目しているようですね。macskaさんとの議論(サシの勝負!)が楽しみです。なお『バックラッシュ!』は本屋にはないですよ。アマゾンでどうぞ(事情は私んとこの掲示板でmacskaさんが語っています)。

  51. ラクシュン Says:

    >これらのことから言えることは、人間の性自認とは生得的な傾向と社会環境の双方の影響を受けて発達するものであり、(…)
    macskaさんの論拠から、この結論を導出するというのはやはりオカシいと思う。
    どういう基準でその性自認を判定するのかから疑問ですが、何か、性自認の機能を受け持つ脳の機関を赤ん坊の内に切り取っておいて、ホラホラホラ、だから言った通り生得的なものor生まれつきじゃないのよねぇー、エッヘン、とかっていうのとほとんど同じだと思いますけど。
    そんなの当たり前じゃん。

  52. 芥屋 Says:

    >ラクシュンさん
    >何か、性自認の機能を受け持つ脳の機関を赤ん坊の内に切り取っておいて、ホラホラホラ、だから言った通り生得的なものor生まれつきじゃないのよねぇー、エッヘン、とかっていうのとほとんど同じだと思いますけど。
    全然違うでしょう・・・。「性自認の機能を受け持つ脳の機関」って具体的に何ですか?つうか、アイデンティティが「生得的な傾向と社会環境の双方の影響を受けて発達するもの」であることは当たり前でしょう。酔っ払ってるんでしょうか?

  53. ラクシュン Says:

    >全然違うでしょう・・・。「性自認の機能を受け持つ脳の機関」って具体的に何ですか?
    何処かにあるはずでしょう?
    自己同一性の認識にしたって同じでしょう。
    >つうか、アイデンティティが「生得的な傾向と社会環境の双方の影響を受けて発達するもの」であることは当たり前でしょう。酔っ払ってるんでしょうか?
    もちろんは酔ってますが、その意味の「当たり前」のことを主張するためなら、わざわざ「総排泄腔外反症男児」を持ち出す必要なないと思うんですよ。

  54. ラクシュン Says:

    >しかし、性同一性障害でもインターセックスでもない(総排泄腔外反症男児は遺伝子的・ホルモン的に完全に男性なので、インターセックスとはみなされない)のに幼いうちに手術を受けて生物学的な性別と逆の性別で育てられたのは100例前後しか報告されていない。そして、100例しかない母集団のうち40例において生物学的な性別とは違う性自認を確立するのに成功したのは驚きであり、
    macskaさんはここでは、「総排泄腔外反症男児」≒正常児の性転換後のデターに基づいて推論を立てている訳ですよ。でその統計的一般化によって、2億人をわざわざ前提することの無意味さを述べ立てているとしか思えないんですけど。
    人の体を(形の上では)好き勝手に弄くり回しておいて、そんなデータを根拠にして何が主張できるのですか?
    だからそれは当たり前だろう、と。

  55. 芥屋 Says:

    ・・・。
    やはり酔っ払ってましたか。仕方のない人だなぁ。
    私も今から飲んで付き合いますから、河岸を変えましょう。

  56. macska Says:

    重くなってきたので、コメント欄を打ち切ります。
    続きの議論は、掲示板でお願いします。

  57. macska dot org Says:

    小谷野敦『すばらしき愚民社会』文庫版加筆部に見る「ニセ科学」…
    以前このブログで議論の相手として登場した小谷野敦氏が、文庫化された『すばらしき愚民社会』の加筆部分でその議論に関連してわたしの悪口を言っていると chiki さんに教え (more…)