セクシュアルマイノリティのDV被害者救済の「求め方」

2007年1月22日 - 7:03 AM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

以前別ブログの *minx* [macska dot org in exile] で取り上げたように、わたしがサイトに書いたドメスティックバイオレンス(DV)の定義、『表面上「親密」な人間関係において、一方のパートナーが継続して他方をコントロールするパターン。またそのパターンを作り出し、維持するための仕組み。』がいろいろなところで紹介されているのだけれど、最近 id:nodada さん(ブログ「腐男子じゃないけど、ゲイじゃない」)のエントリ「げいざぱんぬーすでDV。」という、わたしの専門にかなり近い話に関連して取り上げられたので、それに対するコメント。
まず最初に nodada さんが取り上げるのは、ゲイジャパンニュースに掲載された「違う形の“クローゼット”」という記事。ここで言う「違う形の“クローゼット”」とは、同性パートナー間におけるDVのことだ。異性愛女性の被害者に対する支援体制や理解は不十分とはいえ整いつつある一方、同性のパートナーに虐待を受けた被害者には頼れる相談窓口もほとんどないし、逆に世間の偏見によって更に追いつめられるのではないかと恐れて、表沙汰にするのが難しい。
そういう状況を変えるために、そしてもちろん異性愛の関係において女性から被害を受けた男性にまで支援を広げるために、わざわざ「同性カップルでもDVが起きる」と下手をすると同性愛者に対する偏見を広めかねない言い方をしなくても、「女性も加害者になり得る、男性も被害者になり得る」と訴えていけばいいように思える。論理的にはね。 nodada さんも以前はそう考えていたのだけれど、考えが変わったという。

私の以前の感覚としては、「本来、男性も女性も、性別に関わらずDVは起こりうる。『男性から女性』の構図で救済の門を閉じるべきではない!」という、どっちか言うと「同性愛者にも救済を!」より「男性も女性も被害者(加害者)になりうる」の視点なのね。
(略)
でも、これ現実的ではない。
だって、忘れてはならないことに、現代社会は異性愛中心主義(ヘテロセクシズム)だから。
ヘテロセクシズムである以上、同性間のDVは想定されないし、不可視化される。
主張として「男性女性も被害・加害者になる!」じゃ、多分
「ああ、確かに『女性から男性』の構図でもDVは起きるナァ。」と解釈されるだろう。

もちろん nodada さんだって、「女性から男性」のDVへの対策だって必要だとは言っている。でも、「女性でも加害者になり得る、男性でも被害者になり得る」だけでは同性パートナー間でのDVの取り組みは進みそうにない。「女性でも、男性でも〜」の主張は必要だけれど、それと同時にやっぱり「同性間でもDVは起こる」ということを引き続き主張していかなければいけないということ。
さらに、nodada さんは「同性間DV」について個別に主張すべきもう1つの理由を述べている。

それと、「現代社会はヘテロセクシズムである。」という以外に「ホモフォビックである」ということが重要点だ。
このことで、最初のゲイジャパンニュースを引用したように、(ゲイビアンであることで非難されると危惧し)同性間DVは救済を求められなかったりと、ホモフォビアが問題になる時もある。
これは同性間特有の問題であり、異性間/同性間と分けて対策しないといけないよね。
そもそも同性間特有の具体的で突っ込んだ内容のDV実体には迫られないという事情がある。

たとえば「女性被害者」ならば男性の暴力を受けた人も女性の暴力を受けた人も同じ経験をしているかというとそうではないだろうし、かれらに対する世間の反応も全然違う。さらに言うなら、異性と結婚しているバイセクシュアルの被害者の経験が異性愛者の被害者の経験と同じとも言えないし、男性と結婚しているMTFトランスセクシュアルの人の経験は典型的な女性のそれとは同じではない。そう考えると、単に相談窓口が「被害者はみんな同様に受け入れます」というだけでは不十分で、それぞれのグループに特有の問題についてきちんと理解しているサービスが必要となるはず。 nodada さんはDVを専門としているわけではないと思うのだけれど、こうした指摘は鋭い。
さて、これに関連して nodada さんは田中玲著『トランスジェンダー・フェミニズム』におけるDVに関する記述についてコメントしている。わたしもこの本は田中さんからいただいていて、感想を書かねばと思いつつ後回しにしてしまっていてごめんなさい、というのはともかく、nodada さんはその中で田中氏が「レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランス」に「インターセックス」を含めた「LGBTI」のDV被害者に対する救済を訴えているのがおかしいという。

ん?なんもおかしくないと思った?レズビアンゲイバイセクシュアルトランスジェンダーインターセックス、どれも纏められててよい表現だと思われる方もおられるかもしれない。
確かに、これらすべての人に救済は必要だ。
(略)
でもここで、おかしいのは、なんの話として纏めてるのか分からないという点なのね。
そう、インターセックスを持ち出す理由が分からない。
私もここらへんの部分は実はきっちり読み上げてなかったので批判するのはお門違いかもしれないけど。でもなんの話をしていてもおかしいのではないかと疑問が残る。
だって、これはDVのお話だもの。
うん、
DVの話にインターセックスて概念を挙げるのはおかしいだろう!
何でも含めりゃいいってもんじゃないでしょう。ということです。

LGBTI とよくひとまとめにして語られることが多いけれど、もともとはそれぞれ別の集団のはず。レズビアンとゲイの男性とでは「同性愛者」という項目で繋がるけれども別個のコミュニティを形成していることがほとんどだし、バイセクシュアルの人たちは見かけ上「同性愛者」と同じ関係を持つことがあることと「異性愛者ではない」というだけのことで繋がっている感じ。トランスジェンダーがそこに繋がるのは、歴史的に性自認と性的指向が当事者を含めてよく区別されていなくてみんな「オカマ」と一緒くたにされてきたことや、本人が「異性愛女性」を自認していても世間からは「同性愛男性」とみなされるなどされてきたことによるのかな。
そしてさらに、そのトランスジェンダーが「身体の性と性自認のズレ」「性自認とジェンダー表現のズレ」という形で性の二元制を揺るがす存在であるとするとインターセックスは身体的なレベルで性の二元制を揺るがしている、くらいのところで関連付けられているのだろうか。そういう意味で、繋がりがあるのは確かだし、「繋がっているんだから、自分が属する集団だけでなく、みんなのためになるよう努力しよう」というのはいいと思うんだけど、それぞれ違った背景や問題を抱えているわけで、自動的に何でも含めればいいというわけではないのはその通り。
DVに関していえば、どうだろう。 nodada さんは、以下のように言う。

インターセックスの人っていうのは、つまりある種の身体的障害を有してるということじゃない?
ということは、だ。直接的にDVに関連する概念ではない。(インターセックスだからDVに遭うのではない。)ならば、DV関連でインターセックスを持ち出すには根拠が要る。
・インターセックスであることで、DV被害の隠蔽が起こったり或いはインターセックス特有の形態(パターン)としてDVが起きているのかどうか。
・そして、インターセックスの当事者がDVの文脈で自分達の保障・救済を訴えてるのかどうか。
この2点が重要なはず。

nodada さんの言うのは、インターセックスとは「性発達障害」という新しい医学用語に明らかなとおり一種の身体障害であり、セクシュアルマイノリティとして特有のDV被害を受けているわけではないだろうということ。インターセックスの人だって異性愛者だったり同性愛者だったりしてDVの被害を受けることはあるだろうけれど、それは普通に異性愛や同性愛の被害者支援の枠組みで十分ではないか、とね。インターセックスというと「男性でも女性でもない人」という印象もあるけれど、大半の人は普通に男性もしくは女性としてのアイデンティティを持って生活している。もちろんインターセックスでなおかつ「男性もしくは女性」以外のアイデンティティの人もいるだろうけれど、そういう人の支援はトランスジェンダーの人に対する支援に含まれるはずで、インターセックスだからそういうアイデンティティを持ったわけではないし、インターセックスの人だけがそういうアイデンティティを持つわけでもない。
そう考えた場合、セクシュアルマイノリティへの支援を訴える中で「インターセックスのDV被害者」への支援要請を含める意義はあるのだろうか。「私には想像できない」と nodada さんは言う。
この問題に、わたしの知る限り順を追って答えてみたい。まず、インターセックスの当事者が、インターセックスであることによって特有の問題をDVに関連して抱えているかどうか。これはきちんとした統計を元に言うわけではないのだけれど、特有の問題はあると思う。例えば、インターセックスの症状によって子どもを産むことができない女性がDVの被害者となったとき、「子どもを産めないこと」が加害者による攻撃の口実となり得ることは自明だと思う。あるいは、インターセックスの当事者の中には幼少時の経験から出来る限り医者を避ける人がいるけれど、それはDVの被害を相談する機会を失うということにもなる。
そういう意味から、インターセックスの当事者に特有の傾向があるかないかと言えばあるとは思うのだけれど、問題はそれを訴えるのに「インターセックス」というまとまりが有効かどうか、そしてそれを「セクシュアルマイノリティの問題」の一貫として訴えることが有効かどうか、という疑問が浮かぶ。「子どもを産めない女性」の例だと、インターセックス当事者と言っても男性もいれば子どもを産める女性もいるし、またインターセックスでなくても生まれつきもしくは医学的な理由で「子どもを産めない女性」はいる。「子どもを産めないこと」を理由に虐待されたインターセックスの女性は、インターセックスという集団よりは「子どもを産めない女性」の集団の方にアイデンティファイするのではないか。
それに、これはあんまり言いたくないんだけど、効率の問題も考えなくちゃいけない。わたしが以前働いていたDVシェルターでは、職員もボランティアも含めてシェルターに足を踏み入れるスタッフは全員が総計40時間を越えるトレーニングを受けることが義務づけられていた。そのなかで、DVや性暴力の基本的な話から、さまざまな民族的コミュニティやセクシュアルマイノリティのコミュニティにおけるDVについてなど、みっちり学ぶわけ。それでも全然時間が足りないほどで、含めたいトピックはいくらでもある。そういう中で、人口の 0.05% にしかならない集団(いくら定義を広く取っても 1% を越えることはない)について個別の対策を求めても効果はあんまり期待できない。そうであっても当事者自身が「これだけはどうしても訴えたい」というようなことであれば、どんどん訴えていけばいいと思うんだけど、そういうわけでもない。
結局、DVの相談窓口や支援機関で働く人たちに、何から何までしっかりした知識を持てと期待するのが間違い。ある程度多くの人に共通する問題や、人数は少なくても大きなインパクトのある問題であればあらかじめトレーニングで教えておけるけれど、それ以外は「被害者の話を真摯に聞く」「分からないことについて知ったかぶりの回答をしない」「相手の身体やアイデンティティを勝手に決めつけない」など基本的な姿勢が問われるんじゃないかな。
さて、今週中には感想が書けるように、『トランスジェンダー・フェミニズム』読み直そうっと。

3 Responses - “セクシュアルマイノリティのDV被害者救済の「求め方」”

  1. nodada Says:

    はじめまして。トラバありがとうございました。
    とても勉強になるエントリ、ありがとうございます。
    私はDVやセクシュアルマイノリティに関しては主にインターネットでの情報でしか知らない素人なのですが、私が少しでも「鋭い指摘」が出来たのなら、それはこちら様のブログがあったためだと思います。これからまた他のエントリなど読み直してDVに関しても考えていきたいです。
    田中玲さんの著書の感想、楽しみにしております。

  2. makiko Says:

    >LGBTI とよくひとまとめにして語られることが多いけれど、もともとはそれぞれ別の集団のはず
    これは、どこの国または地域の、どの時代を前提に言っておられるのですか?
    こう書かれるだけだと、事実の摘示というよりは、macskaさんの政治的立場の前提でしかないように思えますが。

  3. macska Says:

    makiko さん、鋭いツッコミありがとうございます。実際のところ、わたしは「同性愛と性同一性障害を区別せよ」「性的指向と性自認を区別せよ」みたいな言説を政治的立場ではなく事実の摘示として主張することには(まぁ通常黙っているけど)批判的な立場です。が、一般向けなので気を抜いて単純化して書いてしまいました。厳密には、LGBTI とひとまとめにして語られるけれども、今の世の中(の、欧米文化の影響下にある地域)では、(少なくとも LGBT については)それぞれ別個のアイデンティティやコミュニティを築いている、というのが正しいと思います。
    nodada さん、コメントありがとうございました。あれ、『トランスジェンダー・フェミニズム』どこへ行ったかなぁ… 本棚にない。部屋のどこかに転がっていそうだ。

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