八木秀次だけではない!外国人の邦訳本に付けられたデビューボな解説
2007年1月23日 - 11:28 PM | |昨年わたしが週刊金曜日に寄稿した記事『悲劇の意味をすり替えたバックラッシュ勢力』では、ジョン・コラピントが書いたノンフィクション『ブレンダと呼ばれた少年』の日本語版がジェンダーフリーバッシングの高まりとともに扶桑社によって復刊された際、八木秀次氏による10ページ「解説」が付け加えられたが、その内容が著者であるコラピントの意図や思想に逆行するものであることを報告した。
本というのは、出版されてしまえば読者がどんな感想を持つかはコントロールできない。著書が自分の意図に反する受け止め方をされてしまっても、自分の筆力が悪いのだと納得するしかない。でも、わざわざ本文の意図を捩じ曲げるような内容の文章を「解説」として付け加えるのは、いくら著者が外国人であり直接邦訳を読むことはないだろうとはいえ、失礼だと思う。まぁ、例えば過去の独裁者の著作や戦争礼賛的な文献に批判的な「解説」をつけて歴史的史料として出版する、などの例外はあるだろうけれど、それらの場合であっても「解説」と呼ぶ以上は本文の内容をわざわざ間違って解釈させようとするのはおかしい。
こんな酷い話は他にはないだろう… と思っていたのだけれど、見つかってしまった。デイブ・ロビンソン著、オスカー・ザラット画の『絵解き ルソーの哲学 社会を毒する呪詛の思想』(PHP研究所)だ。翻訳は保守系評論家として知られる渡部昇一氏で、巻末にその渡部氏とプロフェッサーこと中川八洋氏による「解説」が付く。
原著はイギリスの Icon Books というところが作っている「Introducing …」というシリーズ(この場合ルソーなので「Introducing Rousseau」)で、米国では「… For Beginners」というシリーズとして展開されている。日本でも「フォー・ビギナーズ」シリーズとして、日本独自のタイトルも含めて現代書館から出版されている様子(ルソーは日本未発売のようだけれど)。著者のロビンソンは、このシリーズを多数執筆している人物で、難しい哲学の話を分かりやすくーーというのも程度問題で、分かりやすければいいというわけじゃないけれどーー解説することにかけては評価が高い。ところがこの日本版は、「社会を毒する呪詛の思想」という、いかにもデビューボな煽りタイトルを付けられて、原著の知的なイメージが無惨なことになっている。
原著の書籍紹介をアマゾンの米国サイトで見てみると、こう書かれていた。
This book provides a concise account of the major events in Rousseau’s complicated and troubled life. It explains his central ideas clearly by placing them in their historical and cultural context, and spells out many of the criticism that have been made of his work.
なるほど、ルソーの波乱の人生をなぞりつつ、かれの思想を歴史的・文化的なコンテクストの中に位置づけ、さらにそれらへの様々な批判を列挙していく、という内容らしい。本書の内容には確かにルソーへの批判が含まれているようだけれども、あくまでそれは学術的な異論といった様子。ところがこれが日本語版になると全然違ってくる。
近代以降の人類の歴史を一変させたルソーの哲学。そして彼の哲学は、日本にも影に日向に大きな影響を与えつづけている。しかしながら、これまで日本にはルソーの真の姿は、正確には紹介されてこなかった。
ルソーの生涯を知り、彼の著作をよく読みこんでいけば、それがいかに矛盾と詭弁に満ちているかがわかる。普通はこんなに矛盾と詭弁だらけであれば誰も見向きもしないはず。しかしルソーだけが例外的にとてつもなく魅惑的でありつづけている。これこそルソーの「常人にない透明性」のなせる技なのである。また、彼の哲学は花札でいう「ふけ」のようなもの。人類がこれまで正しいとしてきたものをすべてひっくり返して否定し、あってはならない間違った考えをどんでん返し的に「賢明で正しい考えだ」と鮮やかに転倒して見せたのである。
絵解きでよくわかる新しい時代の正しいルソー入門。崩れゆく日本を救うには、哲学を正しく知らねばならない!
って、歴史的・文化的コンテクストに位置づけてないじゃん、全然!
一体どのような内容になってしまっているのかヒジョーに気になるところだけれど、わざわざ日本から本を取り寄せてまで調べたいとは思えない。どうしたことかと思っていたら、アマゾンのカスタマーレビューに素晴らしいのがあった。全文引用する。
この本は2度おいしい本としてお勧めです。まず第一は、英米では標準的に知られているが、日本ではあまり読むとのできないルソー批判の本としてである。最終的に同意するかは別としてこの原著者が述べているルソー批判は、ヴォルテールなど啓蒙主義哲学者が行った古典的内容であるので、教養として理解しておく必要がある。その後で各自の立場を決めればよい。
2つ目は、渡部氏と中川氏による、愉快な保守信仰者のアジテーションにあふれた解説がついていることである。この2氏はルソーを頻繁に持ち出す自由教育者や共産主義が嫌いらしく、きわめて元気のいい論説が載っている。しかし、保守派を自称する2氏の論理展開は、原著者によるルソー批判の議論がそのまま適応できるのだが、「ルソー憎し、我が!意をえたり」の2氏が、自分自身の論理展開の破綻に全く気づいていないのが楽しい。洋書の方は、そこそこまともな入門であるが、日本版では、この2氏によるとんでも解説がついたため、オリジナルにはないいい味がでている。ちょーお勧め。
なかなかデビューボのわかるレビュアーだけど、ロビンソン氏にとっては迷惑千万だろう。誰もがこの人のように哲学史的に古典的な批判とトンデモ論者のデビューボ発言の区別が付くなら良いのだけれど、この本(日本語版)がジェンダーフリー反対サイトに参考文献として載っていたりするから困ったところ。
そういえば、ジェンダーフリーの元祖としてマルクスやエンゲルスを挙げる人がいたりジョン・マネーだという人がいたりいろいろするのは何とかならないのかと思うけれど、中でもルソーがジェンダーフリー思想の親玉だという主張をするサイトまであるのには恐れ入った。『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか』でジェーン・マーティン氏が言及しているように、ルソーの自由主義的な教育論は「男子のみ」に適応されるもので、女子には良き妻・良き母親になるための教育だけをしろというのがルソーの理論なのよ。『バックラッシュ!』の脚注「ルソー」にもこうある(というか、わたしが大部分を書いたんだけど)。
【ルソー】 一八世紀のフランスの哲学者。主著のひとつである『エミール、または教育について』(一七六二年)では、最初の四巻で子どもの権利を主張するなど、当時としてはかなりリベラルな教育論を展開するが、最終巻において突如、それまでの記述のすべてが、じつは「男の子の教育」についてであったことがあきらかにされ、女の子にたいしてはまったく別の教育方針が必要であると論じられる。ルソーの考えでは、男の子の教育は「市民」として個を確立させることを目標におこなわれるが、同時に家父長的夫、父親として、伝統的家庭のなかで生活するようにも定めている。そして、女の子の教育は、彼女たちが妻および母として、家庭内の役割を適切に果たせるようにすることを目的としている。ジェーン・マーティンは、『女性にとって教育とはなんであったか』のなかで、「自律的男性」であるエミールの犠牲になっている、エミールの妻ソフィーが、ルソーの教育論研究において、それまで無視されてきた存在だったことを指摘し、ソフィーに焦点を当てた分析をおこなっている。
それはともかく、日本では外国の本の翻訳版を出す際、「解説」を利用して原著の意図や内容を大きく捩じ曲げることは一般にOKだと思われているわけ? そんなことないよね? てゆーか、そんなことをする八木・渡部・中川といった人たちは、そうまでして「外国」のお墨付きを貰わなくちゃ(貰うと言うより強奪したみたいなモノだけど)自分の思想に自信が持てないんだろうか。保守を名乗るなら少しは恥を知れと言いたい(けど、いまさら言ったところで意味なさそうだ)。
…というところで終わろうと思ったんだけど、あれ、もしかしたら本家では「デビューボ」という言葉今回が初登場かも!? 「なんだよそれ」と思った方は、以下をご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C7%A5%D3%A5%E5%A1%BC%A5%DC
http://d.hatena.ne.jp/macska/20060126/p1
http://d.hatena.ne.jp/macska/20060127/p1
http://d.hatena.ne.jp/Backlash/20060530/p1
2007/01/26 - 18:57:23 -
読まずに印象批判するのはどうかと思いますよ。そんなことが許されるのなら、もうなんでもありだね。フリーセックスを推奨するルソーのことについても、フェミニストがまったく無知なのが笑える。
2007/01/26 - 19:03:03 -
スーフリーと言えば和田さんですが、デリダによればポストモダンの元祖といえばルソーだそうです。
2007/01/27 - 01:21:03 -
一般論としてはそうですが、この場合この本はシリーズの一冊なので、同じシリーズの他の本をいくつか読んでいれば日本語版に付けられた商品説明の記述が異常であることは分かるんですね。批判的なことが書かれていることはあっても、あんな煽り文句が書かれた本はこのシリーズに他にないはずで、あるとすれば日本版で勝手に付け加えただけでしょう。もしこれがわたしの勘違いなら、いくらでも謝罪・撤回しましょう。
あのー、ルソーがフリーセックスを推奨していたとしたら、それが何なんでしょうか? ルソーについて知らない人なんていくらでもいるでしょうが、それがなぜ笑えるのかも分からない。
なぜそこで突然スーフリーの和田さんの話になるわけ? 「フリーセックス=集団レイプ」なんですか? 笑えないなぁ。で、デリダがポストモダンの元祖はルソーだと言ったとしたら、それが何なんですか?
あなたの言うことでちょっとはマシなのは、最初の「読まずに印象批判はどうか」というポイントだけ。あとは何が言いたいのか全く不明ですよ。自分の脳内で完結しちゃわないで、きちんと論理を述べてください。
2007/01/29 - 11:57:36 -
ポストモダン思想とルソーの関係は切っても切れないものです。ポストモダンのフェミニズムを掲げる上野千鶴子さんにしても、ポストモダンの元祖としてのルソーの思想の影響を少なからず受けているはずです。
差異の哲学のドゥルーズは自殺しましたが、ポストモダン思想による価値相対主義の立場に立てば一切は許されるのです。そんなニヒリズムの間隙に陥った閉塞間を指摘するつもりでしたが、確かに脈絡がなさ過ぎました。口足らずで申し訳ない。
戦後レジームからの脱却を掲げている安倍内閣は、戦後という過去の文脈からの脱構築を目指す進歩主義的な発想が見て取れます。近代化は常に過去の伝統や価値観を破壊しながら進んできています。ロックや茶髪に対しても、未だに不良のやるものだという人はほとんどいないと思います。
最近、日本では右傾化とも言われていますが、イラン・イスラム革命のようなことがない限り反動主義的な懐古趣味には戻れないと思います。クレヨンしんちゃんの映画に『 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』があります。この映画は昭和ノスタルジーやレトロブームに拘泥する大人たちを揶揄しています。いかなるイデオロギーにしろ、あまりそれに拘泥してしまうと世の流れから取り残されてしまうのかもしれませんね。
2007/01/29 - 12:15:00 -
てことで、このルソーの本は読んだ方がいいと思うってこと。超、お勧めです。確かに、解説はフルスロットルで中川ぶしが炸裂していますが、ルソーを踏まえずして、マルクスについても、上野千鶴子についても、語ることは出来ないと思います。なにせ、近代の出発点となるフランス革命の思想的バックボーンですから。
2007/01/29 - 12:20:04 -
この本を読めば、中川八洋がどの視点にたって批判してくるかばれてしまうので、保守派としてはあまりリベラルだとかそういう連中には読んでほしくないのかもしれませんね。まあ、すでに、絶版ぽいようですが…。
2007/01/31 - 06:50:43 -
だからですねー、あなたの言うことは「だから何ですか」の一言で終わってしまうわけですよ。ルソーが西欧思想史上の重要人物である、なんてことは当たり前のことで、それをさも重要なことであるかのように言われても困るし、「ポストモダン思想による価値相対主義の立場に立てば一切は許される」と言っても実際にそういう主張をしている人がどこにいるのか分からない。上野千鶴子は「一切は許される」と言っているのですか? 文脈に関係なく自分の言いたいことを言うだけなら、自分のブログを作って勝手に言っててください。だいたい、そんなにルソーを理解することが大事だというなら、この本じゃなくてルソーが書いた本を読むのが先では。このシリーズは、あくまで「早わかり」のレベルでしかないわけで。
2007/02/01 - 00:23:59 -
原著が難解だから入門書というものがあるわけですが、あのファナティック・ベイビー中川さんを唸らせる本と言うのはそうはないわけです。浅田彰にしてもドゥルーズの入門書みたいなのを書いてから有名になったわけですし。柳沢大臣の問題発言にしても、あれはドゥルーズやガタリが闘走機械や欲望機械、原始土地機械、専制君主機械、資本主義機械、戦争機械などと、やたらと機械という言葉を好んで用いる人の神経と同じようなものを感じたと思います。ポストモダンな柳沢大臣の仰天発言については、仰るとおり自分でブログを作ってみたいと思います。
2007/02/01 - 06:23:29 -
>だからですねー、あなたの言うことは「だから何ですか」の一言で終わってしまうわけですよ。
だから何ですかじゃないでしょう。「読まずに印象批判するのはどうかと思いますよ。そんなことが許されるのなら、もうなんでもありだね。」というところから始まっているわけじゃないの?要するに「読まない奴がお手盛りの知識だけで何かキャンペーン張ってる」ということを突っ込まれてるわけで。ドーキンスの近著にかぶれて、お恥ずかしい「科学と宗教」知ったかぶりしたのと一緒なの。せっかくの才能を、何をくだらない政争に費やしているのさ。もったいない人だねぇ。
2007/02/01 - 06:51:14 -
芥屋さん、あなたは「別の場所でおきた議論について、自分勝手な解釈で中傷する」パターンが多過ぎます。あなたの意見の中には鋭い指摘もありますが、こうした中傷に反論するためには過去の議論に遡って同じ話の繰り返しをしなければならないので、やたらと労力ばかりかさみ、結果としてその労力に見合っただけの実りがありません。読者が判断すれば良いと言っても、あんまり度重なる中傷をその度に読者に判断せよと膨大な過去の議論を読ませるのも無茶な話で、結果として「言ったもの勝ち」になっている。
もともとまったく相手にする価値のない人だとは思わないだけに残念ですが、こうしたパターンを改める気がないのでしたら、今後コメント欄への書き込みはご遠慮ください。また、この件についての反論やお問い合わせはコメント欄ではなくメールでお願いします(ただ単にコメント欄にこれ以上あなたとのやり取りを増やしたくないだけですから、メールの内容をそちらが別の場所で公開されるのは自由です)。
2007/02/02 - 01:47:06 -
うわーすごいことになってる(^^)
ところで、素朴な疑問だけど、中川さんや、渡辺さんは「わざわざ本文の意図を捩じ曲げ」ているのか?
元々、「ルソー、大嫌い」で、有名なお二人だけど、「どうして、そんなにルソーが嫌いなの?」というファンの疑問に答えるために、ルソーに関する古典的な批判も載せた初学者向けの入門書をきちんと紹介しているわけでしょ? ねじ曲げてないじゃん(^^) それっていけないことなの??
その入門書の内容のルソーに対する批判が、中川さんや渡辺さん自身にあてはまってしまうのは、それはご愛敬というもので……(^^)。
そういう意味では「2度おいしい」と評価しているアマゾンのカスタマーレビューアさんの見識はさすがだと思うよ。
ちなみに、日本人って右左を問わずに、ルソーが大好きでしょ。
「自然に帰れ」とか「人は生まれながらに人権がある」とか「政府は一般意志を体現すべき」とか……なんだか、「人為を敗して、漢心を離れ、神ながらの道に帰れ」とか「衆議あい和して、大御心に帰すべし」とかいわれているような気もしてきませんか(^^)。
そんな、ルソーが大好きな日本思想界の「伝統」の中で、たまには、中川さんや渡辺さんのような批判的な「異端派」がいたっていいじゃないですか。ほらルソーって、本当はこんなに「毒」があるんですよと入門書を紹介していたっていいじゃないですか。
ちなみに、渡辺さん、「監訳」になっているけど、監訳というのは名義を貸しているだけなのだろうか……? とすると元本は現代書館の……???
調べてないから断言はできないjけど(^^)
2007/02/03 - 03:23:45 -
>日本では外国の本の翻訳版を出す際、「解説」を利用して原著の意図や内容を大きく捩じ曲げることは一般にOKだと思われているわけ?そんなことないよね?
ええ、そんなことはありません。もちろん、読んでいない本を「原著の意図や内容を大きく捩じ曲げ」ているとか「強奪したみたいなもの」などと罵倒するのも日本では一般にOKとは思われていません。
>この場合この本はシリーズの一冊なので、同じシリーズの他の本をいくつか読んでいれば日本語版に付けられた商品説明の記述が異常であることは分かるんですね。
そうであれば、その商品説明の異常さを指摘すればいいのでは?商品説明からはこの翻訳出版がどういう層をターゲットにしたかを推測できますが、実際の内容までは分かりません。
>ちなみに、渡辺さん、「監訳」になっているけど、監訳というのは名義を貸しているだけなのだろうか……?
二人が解説を書くというのは普通ではないので(そもそも入門書に長い「解説」など不要)、おそらく解説というよりは独立したエッセイの趣きが強いのでしょう。原著の翻訳そして中川氏と訳者によるルソー・エッセイ、これらを監修したという意味での「監」ではないでしょうか。もしかすると翻訳部分も全訳ではないかもしれません。「絵解き」とのことなので、絵の一部は採録されていないとか。
2007/02/03 - 09:06:19 -
なるほど、商品説明が本の内容(この場合、原著の部分にはシリーズの特徴からそんな煽り文句がないと確信できるので、解説の内容になりますが)をきちんと要約しているという前提は成り立たない、というご意見でしょうか。そういわれてみれば確かに、「解説が原著の意図を捩じ曲げた可能性」のほかにも「商品解説が解説を含めた本の内容を捩じ曲げた可能性」も考えられます。
が、あのレビューもあることですし、普段のプロフェッサーの論調などから考えても、やっぱり前者の可能性が99%くらいじゃないかと思うのです(もし中川さんが全然煽らないような冷静かつ学術的な解説を書いていたら、そっちの方が不自然でしょう)。そのうえで、もしわたしの間違いでしたら謝罪しますと言っているわけですから、それで了解していただきたいところ。
それに、他人の書いた本の「解説」としておかしなことを書く行為と、個人のブログで「こんな商品解説やレビューがあった、自分は読んでないけど酷い連中だなぁ」と書くことのあいだには、大きな度合いの違いがあるわけで、どっちも悪いみたいに同列に置かれてもなぁ。
ところで、ルソーが日本でそんなに人気とは知りませんでした。確かに批判的な入門書というのがあってもいいですが、プロフェッサー口調の大袈裟な煽り文句があるとかえって胡散臭くなって逆効果ではないでしょうか。八木氏のデビューボな「解説」が「ブレンダ」本の価値を下げたように。ジェーン・マーティンさんはじめ、フェミニストとかリベラル・左翼陣営寄りの論者だってルソー批判はしているわけですしね。
2007/02/03 - 19:46:35 -
>ルソーが日本でそんなに人気とは知りませんでした
アマゾンのカスタマーレヴューアさんから引用
>>まず第一は、英米では標準的に知られているが、日本ではあまり読むとのできないルソー批判の本としてである。
ほらほら、日本だと諸手を挙げて、ルソーマンセーな方が多くて(^^)
ちょっとは、「毒」を飲ませといたほうがいいかも。
>プロフェッサー口調の大袈裟な煽り文句があるとかえって胡散臭くなって逆効果ではないでしょうか。
「胡散臭い」からいいんじゃん(^^)。「胡散くさ」、と思った読者はもっと調べようとルソーの原著や他の本を読むし、調べない人は鼻から調べない。
昔、『ユダヤ人世界征服陰謀の神話』ノーマン・コーン 内田樹訳 KKダイナミックセラーズ刊というすごい名著があってね……(^^)。
いや、原著は例の「シオン賢者の議定書」という怪文書がどういう歴史的な過程をへてねつ造され、世界に普及していったのか? その経緯を調べた真面目な宗教社会学の本なんだけど……(^^)。
しかし、これを、当時のオカルトマニア、陰謀マニアがどんなふうに読んだかといえば……(^^)。出版社も、学術書じゃなくてオカルト書を出版してそうな出版社だし……(^^)。 当時、オカルトマニアだった私が言うのもなんだけど……wwwww。いやあ、笑ってる場合じゃないか。
でもその経験から、世の中なんてそういうものと思うようになったなあ。
読解力のある人は紙背まで見通すが、ない人は、何を読ませても、自分に見たいものしか見ない。
>ジェーン・マーティンさんはじめ、フェミニストとかリベラル・左翼陣営寄りの論者だってルソー批判はしているわけですしね。
ジェーン・マーティンさんは、妻ソフィーが「自律的男性」であるエミールの犠牲になっているよと指摘しているわけでしょ。
もちろん、それはそれでよい視点だと思うけど、中川さんや渡辺さんが、狂気に犯されながらも指摘しているのは、ソフィーだけでなく、実はエミール自身も犠牲者だということだよね。
エミールの冒頭部分で、主人公は、エミールを理想の自律的人間に育てあげるために、穢れた文明社会にふれないよう、山奥に拉致監禁してしまう……「おいおい、それって、犯罪じゃん」(^^)
ショッカーが、幼稚園児のバスをハイジャックして、ショッカー思想を洗脳しようと……(^^)。
まあ、当時の啓蒙思想家によくある、「思考実験」ですね。ヴォルテールの「カンデイード」とか、マルキ・ド・サドの「ソドム120日」みたいな? 一種のSFですよ、この本は……。
もちろん、この本の思想が、近代教育に与えた影響は少ないものではないのですが、それを、諸手をあげて万歳されると、どうもね(^^)
私が、「ジェンダーフリー教育」を「胡散くさ」と思うのも、同様の構造がそこにあるからですよ。大人たちがジェンダーフリー社会を確立していて、それを子供たちにも引き継いでもらおうというのならまだしも、大人は穢れたジェンダー観に支配されていてダメだから、せめて穢れのない子供たちには、ジェンダーフリー教育を……をいうノリは、所詮は先生たちの独善にすぎない。結局は子供たちのためになってないよね。
まあ、同じことは「美しい国」でも言えるんだが……{胡散くさ」(^^)
2007/02/10 - 05:46:10 -
純子様
>『ユダヤ人世界征服陰謀の神話』ノーマン・コーン 内田樹訳 KKダイナミックセラーズ刊
版元(KKダイナミックセラーズ)はこの本を、ユダヤ陰謀説を主張する本だと思い込んで翻訳権を取得、出版したそうですよ。訳者(内田樹氏)の反対を押し切って巻末に『議定書』の翻訳を収録したのも『議定書』とユダヤ陰謀説を支持する立場でのことだそうです。『ユダヤ人陰謀説』(デイヴィッド・グッドマン、宮沢正典 講談社)に内田樹本人から聞いた話として紹介されてました。
原著の意図を完全に誤解、捻じ曲げて出版したという点からすれば、たしかに件のルソー本との比較例として適切かもしれませんね。
あと、ノーマン・コーンは歴史学者ですし、この本も一般的には宗教社会学ではなく歴史学の本とみなされています。
2007/02/10 - 14:35:56 -
>しめさばさま
>あと、ノーマン・コーンは歴史学者ですし、この本も一般的には宗教社会学ではなく歴史学の本とみなされています。
訂正感謝!!
ウィキで調べてみたら、ノーマン・コーンさんは歴史学者とされていました。私が「おかげまいり」とか「ええじゃないか」に宗教社会学的な興味を持っていた時に、ノーマン・コーンの「千年王国」とか読んでいたので勘違いというか、宗教社会学的な読み方をしてしまってました。ご本人はヨーロッパ中世の宗教史がご専門の方らしい。
>訳者(内田樹氏)の反対を押し切って巻末に『議定書』の翻訳を収録したのも『議定書』とユダヤ陰謀説を支持する立場でのことだそうです。
やっぱり、そうだったのか(^^)。というより、当時は「陰謀論」ブームで、陰謀論を信じている読者層を当て込んで出版を企画したというのが真相でしょう。翻訳してみたら、陰謀論に批判的な著作だったので、しかたなく巻末におまけに「議定書」の翻訳をつけてみましたといったところ。
出版社も商売だからね(^^)。読者が買ってくれないことには、おまんまの食い上げになってしまう。
「韓非子」にもあるけど「棺桶づくりの職人は、人の死を望んでいるのではない。棺桶が売れること望んでいるのである」ということでしょう。
この本だって、やっぱりPHPがまずはルソーに批判的な読者をあてこんで批判的な本の出版を企画した。でも翻訳してみたら「毒」が足らなかったので、監訳者に渡辺さん、解説に中川さんを呼んできたといったところでしょう。
「ブレンダ本」もそうでしょうね。バックラッシュの間で「ブレンダ本」が話題になっているので、これは再刊したら売れるぞと扶桑社の人が考えた。でも読んでみたら、本文の趣旨はちょっと違っているようなので、おまけに八木さんの……商売上の都合ですね、これは。
「ねじ曲げている」かどうかは微妙なところだと思う。私みたいに、読んで、紙背まで読みとって、さらに深く調べていく人間は調べていくしね。
ちなみに、「エミール」を読み始めたんだけど、これは渡辺さんがいう共産主義の原型というより、むしろファシズムの原型だなあと思った。
例えば
「女性の義務は疑うことができない。ところが人々は、女性がその義務を無視しているのに同調して、子どもを自分の乳で育てようと、他人の乳で育てようと、同じことではないかというようなことで議論をたたかわしている」
(疑えないそうです(^^))
「母親がすすんで子どもを自分で育てることになれば、風儀はひとりでに改まり、自然の感情がすべての人の心によみがえってくる。国は人口が増えてくる」
(少子化問題、解決(^^))
「むだな説教。たとえ世間の快楽にあきたとしても、人々はけっkしてこういう楽しみ(夫婦あい和して自分の手で子育てする楽しみ。括弧内純子)に帰ってくることはあるまい。女性は母になることをやめた。女性はもう母にはならないだろう。なろうともしないのだ。たとえなろうとしても、なかなかなれないだろう。反対の習慣のできているこんにちでは、女性は自分の周囲にいるあらゆる女性の反対とたたかわねばなるまい。そういう女性は、自分で示したこともないし、従うことも欲しない手本に対抗するため一致団結しているのだ」
(そうか、一致団結して柳澤発言を……)
「ほんとうの乳母は母親であるが、同じように本当の教師は父親である。父と母とはその仕事の順序においても、教育方法においても完全に一致していなければならない。母親の手から子どもは父親の手に移らなければならない。世界でいちばん有能な先生によってよりも、分別ある平凡な父親によってこそ、子どもはりっぱに教育される」
(伝統的ムラの子育て、万歳!やはり自然に帰れ、農村に帰れ(^^))
「子どもを生ませ養っている父親は、それだけでは自分のつとめの三分の一を果たしているにすぎない。かれは人類には人間をあたえなければならない。社会には社会的な人間をあたえなければならない。国家には市民をあたえなければならない。この三重の債務をはたす能力がありながら、それを果たしていない人間はすべて罪人であり、半分しかはたさない場合はおそらくいっそう重大な罪人である。父としての義務をはたすことのできない人には父になる権利はない。」
(教育勅語の元ソースって、ルソー???(^^))
以上、岩波文庫版の「エミール」より。
なんだかなー、激しくワロタ(^^)
2007/02/11 - 13:42:31 -
ええと、原著の内容を意図的に歪曲して翻訳・出版することが、一般的な倫理として許されるべきではないのは勿論、出版業の商売上のコードにも抵触する行為なのではないかという認識を共有していただけないのであれば(つまり、儲けるためなら別に問題ないと思っておられるのなら)、考え方が根本から違うので、残念ながら会話にはなりませんね。
2007/02/11 - 17:20:12 -
>原著の内容を意図的に歪曲して翻訳・出版することが、一般的な倫理として許されるべきではないのは勿論、出版業の商売上のコードにも抵触する行為
「うそをつくな」という倫理は正しい。
しかし、この場合微妙なのは、いずれのケースも「内容」としての本文はそのままにしてあり、改竄されていない。むしろ解説やタイトル、おまけなどつまり「パッケージ」の部分が問題にされている。でもパッケージまで問題にしだしたら、右左も、保革も、フェミも、バックラッシュも関係なく、今のメディアで、そこの部分で「商売」していないメディアはない。
第二に本当に「意図的」にやっているのか? という問題。むしろ渡部さんや中川さんや八木さんには、「そう読めてしまっている」のかもしれないぞ(^^)。
たとえば「ブレンダ本」にしたって、皇統の説明にy染色体を持ち出す、一知半解(おっちょこちょい)な八木さんからみれば、マネーなんて、フェミニズムと同質の「性の解放」思想にはまって狂気に陥ったマッドサイエンティストに見えたとしても仕方がない気もする。
私みたいに、冷静に分析できれば、ははん、これは1960年代くらいのリベラリズム全盛時代のテイストが裏で通底しているんだな(フーコーのいうパラダイムです)と理解できるけど、八木さんはそれが分からなくて「陰謀論」にはまってしまっているだけとも言える。
このレベルの問題に関しては、もう仕方がないから、メディアや著者を責めるより、読者が読解力を鍛えたほうが効率がいいのでは?というのが私の主張。
ところでmacskaさんは「自己決定権を否定しているはずのバックラッシュ勢力が自己決定権を擁護しているブレンダ本の意図的にねじまげている」と主張している。
ところが八木さんたちが反対しているのは「性の自己決定権」(というより、「性の自己決定権」を盾にした、伝統的な倫理観、道徳観を軽視する行為や性的放縦のすすめ)。一方、ブレンダ本で主張されているのは「医療の自己決定権」だから、実はこの両者の主張は、ちゃんと両立できるわけ。
macskaさんは八木さんの意図を歪曲して宣伝していないの?
2007/02/11 - 17:57:45 -
なんだか変な文脈で呼び出されてしまったな。
あの本やコラピントの主張が「医療の自己決定権」だけではないということは、本自体もしくはインタビューを読めば分かるはずです。もちろん医療の自己決定は重要な論点ですが、同時にコラピントはもっと幅広く、社会がジェンダーや性の多様性に寛容になり、「男だから」「女だから」という決めつけや押し付けを減らすよう訴えています。
2007/02/11 - 20:39:27 -
コラピントさんのインタヴューから引用
>この本が性とジェンダー、同性愛、インターセックス、そして医療における患者の自己決定の権利に関して、寛容さの必要性を訴えていると伝わることを願っています。
どこにも、八木さんたちバックラッシュの人たちが反発している一部の過激フェミさんたちが主張している「性の自己決定権」は入ってないぞ(^^)
>最も重要なのは、デイヴィッドと同じような扱いを受けているインターセックス(半陰陽、性発達障害=注)の子どもに対する医療を見直すということだと思います。医者たちはよかれと思って性器形成手術を行なっているけれど、それは間違いです。
>第二に、そうした医療をどう変えるかについては、インターセックスの症状を持つ人たち自身の意見を反映させるべきです。これまでずっと、誰もインターセックス当事者の意見に耳を傾けようともしませんでした。これはとんでもない話だと思います。
これがコラピントさんの主張の本旨だよね。これは林さんも八木さんも否定したりねじ曲げたりしていないんじゃないの?
これはねじ曲げているというよりも、ジェンダーフリー派もバックラッシュ派も互いに視点が「ズレ」ているんだなというのが私の正直な感想。たぶん、アメリカの「保守派」と日本の「保守派」では、守るべき価値観は何かで大きな食い違いがあるんだよ、きっと……(^^)。
2007/02/11 - 22:37:12 -
そりゃ、八木さんの主張の中には、コラピントが直接言及していない問題だって含まれるでしょうよ。だから何?
傍目には、正直な感想というよりは、自分の政治的立場にあわせて強引に捻り出した「感想」(というかイデオロギー)に見えますが。
いいですか、ジェンダーフリーやその他の問題についていろいろな意見があるのは当たり前です。しかし八木が(というより扶桑社が)コラピントの本にしたことは、政治的立場がどうであれ認めるべきではない、恥ずべき行為でしょう。そこから出発しなければ、話にならないのね。
純子さんもそれは内心理解していて、だからおおっぴらに擁護はできないんだけれど、なんとかしてわたしや他のフェミニストも同じレベルまで引き下ろす屁理屈を述べることで、相対的に八木を守ろうとしています。そういうのは、やっぱり醜い党派的な行為だと思いますね。
2007/02/13 - 00:42:08 -
>そりゃ、八木さんの主張の中には、コラピントが直接言及していない問題だって含まれるでしょうよ。だから何?
だから、何?
「意図的にねじまげている」ということを証明するためには、コラピントのが主張しているとこを改竄したり、それとは反対の主張をしていなければならないが、八木さんはそういう主張はしていない。
>相対的に八木を守ろうとしています。そういうのは、やっぱり醜い党派的な行為だと思いますね。
私は、別に「つくる会」にも、「世界日報」にも属してないが……。
それより「八木さんは、おっちょこい(一致半解)で、そのせいで陰謀史観にはまってしまっているけど、主張していることに一理はあるし、気持ちは分かるよ」と発言しただけで「相対的に八木を守ろうとしています」「醜い党派的な行為」とまで言われるのか? それこそ醜い党派的行為ではないのか?
2007/02/13 - 02:11:31 -
本の帯コピーとかも、いつもおなじみの有名人がお勧めしてたりするけど、アレ見て中身がしょぼくっても、怒る方が野暮だよ。全米が泣いたとかの宣伝でも、全米が泣いてないって怒るバカいないぞ。解説はあくまで解説だろ。なんでそんなに解説か、帯コピーにこだわるんだ。出版社に踊らされすぎだぞ。
2007/02/17 - 19:31:57 -
これって良くあることで無いの?古い例だとジュレミーリフキンの「エントロピーの法則」(邦訳:竹内均)とか(参考ネタの宝庫 http://env01.cool.ne.jp/index02.htm )。以外に純情ですね。
2007/05/04 - 14:17:38 -
例えばさ、『新しい教科書をつくる会』とかの書籍を、左派的な人がけちょんけちょんにけなすような解説をつけた上で、欧米で出版するのはどうよ。
2007/05/04 - 14:19:53 -
そして帯には、『先進国の学者が書いたとは思えない、ファッショな思想が大全開!!君は読みきることが出来るか!!』とか書かれたらどうなのよ。