鈴木謙介氏論文「ジェンダーフリー・バッシングは疑似問題である」と「弱者男性」論への疑問

2006年7月19日 - 8:35 AM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

フェミニズムやジェンダーフリーに対するバックラッシュの背景に「弱者男性」の不満や不安があるという種の指摘は以前からたまに見かけていたのだけれど、『バックラッシュ!』刊行以来そういった主張をさらに目にするようになったように思う。その1つの例が、先日コメントした赤木智弘氏の「『バックラッシュ!』を非難する」だけれども、その赤木氏の「『バックラッシュ!』は弱者男性の包摂を考えていない」という批判があたらないことは既に指摘した。けれども、わたしはその『バックラッシュ!』収録論文において「弱者男性」(という用語を鈴木氏自身は使っていないが)の包摂を訴える鈴木謙介氏の主張の方にも疑問を感じるので、この機会に鈴木氏の主張をまとめたうえで疑問点を提示しておく。
鈴木氏の論文「ジェンダーフリー・バッシングは疑似問題である」の前半は、だいたい同じことを様々な理論的視点から繰り返すだけ。簡単にまとめると、フェミニズムやジェンダーフリーへの「バックラッシュ」として立ち現れている現象を世間の右傾化と見なすのは間違いであり、思想的な反発ではなくコミュニケーション様式としての「サヨク」的なものへの反感がバックラッシュの原動力となっている。バックラッシュ言説の担い手が、「サヨク」の主張に逐一反論するのではなく、誇張や過剰な一般化によって「サヨク」をただひたすら叩くという傾向(鈴木氏によれば、それこそかれらが隠避するサヨク的なコミュニケーション様式そのものなのだが)があるのもそのためだ。
さて、ではどうしてそうした「サヨク」隠避がことさらジェンダーフリー、すなわち「『ジェンダーにとらわれない多様な生き方を選択しやすくする』ための施策」(p.127) への反発という形で噴出するのか。鈴木氏はその理由を「流動性と安定のジレンマ」に見いだす。すなわち、社会の流動性が高まるにつれ人々は以前にも増して安定性を求めるようになるけれども、かといってかつてのような安定的な社会関係ーー具体的には、「男は企業に尽くし、女は家庭に尽くす」といった近代家族的と、企業内福祉厚生制度を含めた福祉国家的体制の蜜月関係ーーを担保していたような社会的条件は既に失われている。
その社会的条件とは、鈴木氏によると「男性の働き手が長期にわたって安定的に家族を支えうる雇用に就くことが可能であり、経済発展による社会的な富の増大によって、専業主婦であっても夫との関係が維持されていれば、将来まで一定の分配をあてにすることが可能である」(p.130) という状態だ。そしてそういた経済的条件が変動したことにより、もはや「近代的家族と福祉国家の蜜月関係」を維持することができなくなっていると鈴木氏は喝破する。
かれによると、固定的な性役割分担が瓦解していく根本的な理由は必ずしもジェンダーフリーの運動があったからではなく経済的環境が変化したからであり、それに対応して性別にとらわれない多様な生き方が追求される結果そうした経済的環境もますます遠ざかるというサイクルがある。そのような変化がもたらす流動性を不安に思う人が安易にジェンダーフリーを叩くことで溜飲を下げようとしているのだ。
ここで鈴木氏は、バックラッシュに理論で反論することの無力さを指摘し、流動性に怯える人たちを社会的に包摂することがジェンダーフリーバッシングを沈静化させるのに有効だと説く。以下は鈴木論文の最後の段落の一部だ。

だとするならば、手当を必要としているのは、自由で多様な生き方を選択できないがゆえにサポートを求めている人びとだけではない。自由で多様な生き方を選択させられているがゆえに非寛容になっている人びとにこそ、サポートが必要とされているのである。ジェンダーの問題に関していう限り、前者が継続的な労働市場から排除されている女性だとすれば、後者はいずれ家族を支えることを期待され、市場原理に基づく自己責任を求められ、見通しも立たないのに必死で働かなければならない男性のことになるだろう。(p.134)

なるほど一見筋が通っているように見えるけれど、よく考えてみると「ジェンダーフリーバッシングを無くすには、バッシングをしている男性に手当てしろ」と言っているだけだ。それはまるで、「女性は『フェミニズム利権』でトクをしている、不公平だ」というトンデモバックラッシュ論者の主張をそのまま認めるようなものだし、昔から「フェミニズムが成功するためには女性だけでなく男性の解放も目指すべきだ」と何もしない男性から指図されていたのと何ら変わらないように思える。
実は、わたしも『バックラッシュ!』に掲載されたキーワード「新自由主義」解説において、鈴木氏に近い分析を書いている。以下に引用する。

新自由主義とは、福祉国家的な「大きな政府」を否定し、個人の自由と自己責任を重視する政治思想であると定義される。注意したいのは、よく新自由主義のスローガンとして「小さな政府」という言葉が掲げられるが、これは単純に政府の規模や権限を縮小するだけのものではないということだ。「小さな政府」は、福祉政策や社会的弱者救済措置を縮小させる一方で、防犯カメラの設置や犯罪者に対する重罰化といった形で国家権力を肥大化させる側面がある。福祉国家が担おうとしてきたある特定の分野、すなわち再分配や貧困削減などのプロジェクトから国家が撤退して市場に任せる代わりに、市場を成り立たせている法秩序や経済ルールを防衛するためにはこれまで以上に強大な役割を国家が果たすべきだと考えるのが新自由主義である。
1980年代のサッチャー英政権・レーガン米政権以降、先進諸国の多くがこうした方向に政策を転換させた背景として、ただ単に福祉国家の継続が財政的に困難になったということを挙げるだけでは不十分だろう。問題は、後期資本主義における社会の複雑化と不透明化である。社会が複雑かつ不透明になると、何をもって誰が「弱者」とされるのか、そしてどの程度の「手当て」が必要とされるのかという共通了解が失われ、社会的弱者に対する温情的かつ「リベラル」な施策が、実は不当な既得権益と利権の温床なのではないかという不信が広まる。新自由主義はこうした温情的な施策に替えて、誰にも等しく適用される透明なルールを徹底させることで、「リベラル」な施策に対して不信感を抱いてしまった人たちから支持を集めている。
(略)
新自由主義とバックラッシュの関係も同様に複雑だ。新自由主義の進展は社会の流動化を促進し、「伝統的」とされる地域社会や家族のあり方を形骸化するため、「伝統」を自尊心の拠り所とする人たちは不安を感じる。また、新自由主義の一環として起きる経済的なグローバル化は、先進国から途上国への生産拠点の移転や産業形態の転換、移民労働者を増加などの影響をもたらすが、これらも雇用や安全に対する社会的な不安を増加させる。
とはいえ、こうした様々な不安をもたらしている社会や経済の大きな動き全体を的確に把握して批判するなり対案を提示するのは困難なため、これらの不安が新自由主義に対する批判として表面化することはめったにない。むしろそのような不安は、社会の流動化や伝統の形骸化を「体現している」かのように見える人たち、具体的にはフェミニストの女性や同性愛者などの性的少数者、移民労働者といった人たちに対するバッシングや、かれらの権利拡張に対するバックラッシュという形で噴出することになる。しかもこうしたバッシングは、「フェミニストや同性愛者や移民らは、温情的な社会政策に寄生し既得権益を貪る『弱者権力』である」といった形を取ることが多く、新自由主義による社会の変化に怯える人たちがいつの間にか新自由主義を強化するような論理を主張するという皮肉な構図をつくっている。

新自由主義による経済構造の変化が過剰な流動性を生み出し、それを不安に感じる層がいわば身近なターゲットを「誤爆」するかたちでバックラッシュが起きるという分析は鈴木氏と同じだ。しかし違うのは、わたしがあくまで「誰が弱者であり、どの程度の手当てが必要とされるのか」という社会的合意が成立しなくなったことがジェンダーフリーやフェミニズムがバッシングの対象となる理由だと見ていることだ。鈴木氏は実際に女性への手当ては既に行き届いており(だから「恨まれる」対象となる)、現在手当てをより必要としているのは男性の側だと主張しているようだが、わたしからみるとかれは社会の複雑化と不透明化によって起きた「社会的合意の変化」と現実社会の変化を取り違えているのではないかと思う。
そもそも、この「男性」という括りに疑問がある。鈴木氏によれば、ここでいう「(弱者)男性」とは経済構造の変化による流動性の暴走におびやかされる存在だとされるから、逆に言えば経済構造が変化する前の時代に生まれていれば一人で家族を養うだけの収入を得られる「強者」ーーと当時は描写しないだろうけれどもーーとなるはずだった人たちのことだ。そこには何故か、在日コリアンの男性やアジアや南米から出稼ぎに来ている外国人労働者の男性、被差別部落出身の男性、障害のある男性、ゲイやバイセクシュアルの男性など、わたしが「弱者男性」と聞いてまず思い浮かべるような人たちの存在がまったく想定されていない。鈴木氏の論文は最初から最後まで一貫して「日本人で、部落出身ではなくて、健常者で、異性愛者の男性」が新自由主義が猛威を振るう前と後でどうなったかという点にしか関心が示されていないのだ。このことは、赤木さんが「弱者男性」の立場を主張しながら「いまだに在日が弱者なのか」「いまだに部落が弱者なのか」と、まったく在日の男性や部落出身の男性の存在を無視した記述をしていたことと同じ問題だ。まぁ、上野千鶴子氏からして「差異の政治学」という仰々しいタイトルの論文を書いておきながら「男女の性差」以外の「差異」を全く扱わないで平気でいられるくらいだから、これは鈴木氏や赤木氏個人の問題ではなく日本の言論空間に広く共有された問題なのかもしれない。
鈴木氏が「強者もしくは強者になれたはずの層」だけしか思考の対象に含めていないという点では、男性について書かれた部分だけでなく女性についての記述にも一貫している。鈴木氏の文中に登場する女性は、経済力の男性と結婚して専業主婦となることを希望する安定志向の女性(以前ならば強者になれたはずの女性)と、「継続的な労働市場から排除されている」ために「自由で多様な生き方を選択できないがためにサポートを求めている」キャリア志向の女性(現代的強者女性)のみだ。しかし現実には、性別だけを理由に不安定な職しか与えられず、かといって専業主婦になれるだけの経済的余裕を持たない女性が、多くの男性の地位が流動化するより何十年も前から存在していた。かれらに対する手当てはずっと後回しにされてきたのに、いざ(日本人/非部落出身/健常者/異性愛者/etc.の)男性の一部が同様の苦難を抱えるようになった途端に大きな社会問題としてあれこれ議論されるようになった。かれらへの手当てが必要ではないと言いたいわけではないけれども、あまりの扱いの違いに唖然とする。
「『女性』だけに手当てするので十分なのか」という問いは圧倒的に正しい。しかし、それへの回答としてベタに「男性への手当てをしよう」という議論が浮かび上がるという状況はなんとかならないか。鈴木氏が述べるような「メインストリームの男性とメインストリームの女性の物語」の裏には昔から「弱者男性」がいたし、「専業主婦になれない女性」がいた。「男男格差」「女女格差」が叫ばれるはるか以前から、そういった格差は存在していたのだ。現在起きている変化は、要するに「これまでなら強者となるべき」メインストリームの男性の一部が、流動化する経済構造の中「強者」から脱落しはじめただけ。戦略的観点から「かれらを手当てしよう」というのは分からないではないのだけれど、公正さの観点から言えばより先に包摂されるべき「弱者」はほかにいくらでもいる。「元強者」男性はバックラッシュに加担して迷惑だから手当てをするべきだけれど、外国人労働者らより弱い立場にいる男性(や女性)はバックラッシュを起こすほどの力もないから放置しておくというのでは、あまりに不公平ではないかと思う。

56 Responses - “鈴木謙介氏論文「ジェンダーフリー・バッシングは疑似問題である」と「弱者男性」論への疑問”

  1. 斉藤 Says:

    すばらしい力作(あ、いつもか・・)でした。これ、今年の日本語圏フェミニスト論文大賞ものです! 
    おっしゃるように、フェミニズムがバッシングの対象となるのは、ネオリベ社会になり、「誰が弱者であり、どの程度の手当てが必要とされるのか」という社会的合意が成立しなくなったことにある、というmacskaさんのご説明に納得です。
    それと、「現実には、性別だけを理由に不安定な職しか与えられず、かといって専業主婦になれるだけの経済的余裕を持たない女性が、多くの男性の地位が流動化するより何十年も前から存在していた。かれらに対する手当てはずっと後回しにされてきたのに、いざ(日本人/非部落出身/健常者/異性愛者/etc.の)男性の一部が同様の苦難を抱えるようになった途端に大きな社会問題としてあれこれ議論されるようになった。かれらへの手当てが必要ではないと言いたいわけではないけれども、あまりの扱いの違いに唖然とする。」にも共感しました。
    で、鈴木氏のような主張は、宮台氏もそうですが、日本女性学会のQ&A本や、これまでの対バックラッシュ本の大半に流布している主張です。これらの主張にずっと違和感だったのが今回このように整理していただき、納得できました。
    あと、「誰が弱者であり、どの程度の手当てが必要とされるのか」という社会的合意が成立しなくなった」とのことですが、これを少しでも解きほぐして社会的に話し合う必要があるのではないでしょうか。macskaさんは、こうした世論対策としてどのような行動を考えておられますか。

  2. mango Says:

    今回のエントリ、とても面白かったです。しかし、違和感を持ちましたので感想をポストしてみます。
    macskaさんの言われていることも理解できるのですが、私は、今回の場合には、鈴木さんの「弱者」定義もまあ許容の範囲かなあと思いました。
    なぜなら、一般的に、「ある政策」について論ずる場合に「その政策が行われる前後での変化」に着目して議論することは(論点が必要以上に拡散するのを防ぐために)ある程度必要なことだと思うからです。
    もし鈴木さんの論文が「日本における弱者救済について」という主題(あるいは「差異の政治学」とか)でしたら、macskaの言われていることも尤もだと思います。しかし、今回の話では(私の理解する限りでは)基本線は「ジェンダーフリーという政策方針」についての議論ですから、「ジェンダーフリーという政策方針の施行」により割を食うかもしれない「弱者」に限定した議論をするのがそんなに非難されるべきことだとは思えませんでした(まあ、それを何の気無しに「弱者」という語で記述してしまったのがマズいのかもしれませんが)。
    macskaさんの言われていることも正しいと思いますが、鈴木さんも「反ジェンダーフリーバッシング」特集本に「ジェンダーフリー論争」にまつわる論考を書くように頼まれたので「ジェンダーフリー論争」を念頭において原稿を書いたら、「<弱者>に在日外国人etcが含まれていないのはけしからん」と批判されてしまった、というのでは少し気の毒な気もします。

  3. macska Says:

    あ、ごめんなさい、鈴木さんは「弱者」という言葉は使っていません。「男性」だけです。「弱者男性」を使っているのは宮台さんと、あと赤木さんですね。鈴木さんの議論も実質的にかれらの言う「弱者男性」と同じですが、鈴木さんがそう書いているという誤解をあたえかねないのでその部分は加筆しました(最初の段落のカッコの中)。
    「反ジェンダーフリーバッシング」の本だから仕方がないのではないか、という点についてですが、何もわたしは「弱者」一般の問題について論じろと言っているわけではないです。また、「弱者」を羅列しろというわけでもない。そうではなく、かれの語る「男性」「女性」が徹底して外国人労働者 etc. を排除している点でわたしは批判しているのです。過剰流動性(これも鈴木氏ではなく宮台氏の表現ですが)に怯える「男性」の問題を考える時に、どうしてマジョリティ属性の男性以外が考慮されないのか、とわたしは問うているのです。
    斉藤さんへの回答はややこしいから明日。でもコメントありがとうございます。

  4. charlie Says:

    赤木さんと宮台さんと私の距離がものすごく縮められていることには若干(以上)の違和感を表明しますが、ご批判≠非難はまっとうなものだと思います。というより私はむしろ「鈴木の言ってることは官僚主義的エリートの発想だ」とか言い出す人が出てこないことの方に驚いていたので、こうしたコメントをいただけるのはありがたいです(つうかまあそろそろ振られるんじゃねーかなーとは思ってたのですが)。
    ご批判についてですが、書かれていないことについて非難するのも、書くつもりだったと言い訳をするのも、読まれていないものを前提に話をするのも、勉強していればこのくらいは常識だ!とか叫ぶのも、すべて単なる後出しジャンケン合戦になるからやめましょう。可能な限り書かれたものと、ご批判に内在しながらリプライしたいと思います。まず、ここで私は「いずれ家族を支えることを期待され、市場原理に基づく自己責任を求められ、見通しも立たないのに必死で働かなければならない男性」への手当てを問題にしています。macskaさんはここで述べられているような人を「弱者男性」と「意味するところは同じ」と述べられていますが、「弱者男性」というカテゴリーに対する私の理解が間違いでない限り、この指摘は誤りだと思います。少なくともこのテーマに関して私がウェブ上で見た限り、弱者男性とは、A.「正社員として働くのがまっとうな姿」という世間/周囲/自分の期待に応えることのできない状況にいる人びと(具体的にはフリーターなど)、B.自らの望まざる状況(たとえばAのような状態)にいることを、自分以外の誰かに帰責して溜飲を下げる、あるいは暴走する人びと(いわゆる「ヘタレ」?)、C.女性を含めた他者に対するアクション−リアクションをスムーズに行うことができない(と周囲から思われていたり、自分で思いこんでいたりする)人びと(≒コミュニケーション弱者)のいずれかあるいは複合的な状態にある人のことを指しているように思われます。しかしながら私は、ここで手当を必要とする男性を、上記のような人びとに限定していません。P.124〜125にあるとおり、私は「すこしでも『現実』の内容が異なる人とコミュニケーションするのは、非常にストレスフルである」ので、「サヨクの国家転覆説を採用する人びと」と「政治的主張としてその内容に照準したコミュニケーションをはかることに、さしたる意義はない」と述べ、その上で、極端な主張の政策へのフィードバックを許す「普通の人びと」の存在こそが問題だと考えています(その理由が前段で長々と述べられているのであって、単に今までの主張を繰り返しているのではないことにもご注意ください)。もっと簡単な言い方をするなら、「話の通じないバックラッシャーは放置せよ、ただしバックラッシャーの主張にも一理ある、と思う人びとが増えないような政策的手当を講じるべし」(宮台口調)ということになります。
    さて、ではそこに「在日コリアンの男性やアジアや南米から出稼ぎに来ている外国人労働者の男性、被差別部落出身の男性、障害のある男性、ゲイやバイセクシュアルの男性」などの、「弱者男性」が含まれていないではないか、というご指摘について。私は上記のような目論見で文章を書いたので、唖然とされようと別に痛くも痒くもありませんし、無責任なお題目を書いて非難されるくらいなら書かずに批判される方がマシだと思います。ですが、私がこうした人びとに対する配慮を欠いた人間だと思われるのは困るので、若干補足します。私の文章の中では「手当てが必要だ」とは述べたものの、それがどのようなものであるのかについてまでは踏み込んでいないため、ともすれば不安がっている人たちに正社員と専業主婦の枠を用意しろ、と言っているように受け取られかねない。むろんそんなことを考えているのではありません。macskaさんの新自由主義の解説が、イデオロギーの支持者/非支持者の構図を中心としたものだったので若干疑問に思ったのですが、本来の新自由主義政策は、まさに正社員や専業主婦のような人びとの「安定」を維持するために、そうでない人びとに貧困や不安定や被差別を強いるということの「不公正」と「非効率」を問題にします。私もこうした考え方に一部同意しているので、正社員/専業主婦を囲い込んで安定させるべきだとするコーポラティズム的主張には与しません。ですが同時に、「公正」と「効率」をいたずらに追求しようとすると、そのプロセスで人びとの間に強い不安が生じ、1.不安の捌け口としての排外的ナショナリズムが起こったり(ヨーロッパ)、2.為政者に近い人から順番に不安を解消する不平等な権益が確保されたり(日本)する可能性が高まるので、これも問題だと考えます。長くなりそうなので間を端折りますが、こうした問題を回避するためには、一方で制度としての流動性を高めつつ、人びとの生活実感においては流動性への予期(流動性期待)の低い状態を確保する必要があります。私の文章で引用したキッチェルトの言う「アナルコ・サンディカリズム」は、語の用法としては厳密さを欠いている気がしますが、「自発的に形成されたコミュニティによる再分配を政府がサポートする」という考え方であるとするならば、いわゆる「第三の道」そのままの内容になります。こうした政策パッケージは、「リバタリアン的市場資本主義」(いわゆる新自由主義と同内容だと考えていいでしょう)の広がりによって「権威主義的市場資本主義」(排外的ナショナリズムを含む)の側に浸み出した人びとのメンタリティに対する手当てとして生まれてきた、という背景も一部にはあります。すなわち、自発的に形成されたコミュニティをむき出しの市場主義(から生じる不安)に対するシェルターとして機能させるために、その点について政府がサポートするのだという発想です。
    つまり、ヨーロッパにおいては「アナルコ・サンディカリズム」と「権威主義的市場資本主義」が対立している。これはキッチェルトの実証研究の結果とも重なります(というかこの枠組み自体が実証研究の結果から導き出されていますが)。ところが日本の場合、コーポラティズム的安定が長く続き、また社会的期待としての「安定」志向も根強いため、「リバタリアン的市場資本主義」と「権威主義的社会主義」(いわゆるコーポラティズム)が対立することになる。このままでは、市場資本主義から生じる不安を解消するために、限られた人だけが安定を享受し、「弱者男性」を含むマイノリティへのいっそうの排除が生じる(という方向へ「バックラッシュ」する)可能性があります。むろんそうなっていないがゆえに、別の問題が生じるというのは、本文で書いたとおりです。いずれにせよこうした状態から早く脱却し、新しい政治対立の枠組みへの共感を増していかなければならないことは間違いないでしょう。というわけで結論。macskaさんがおっしゃるような人びとへのサポートは続けられるべきであるし、縮小されることがあってはならない。そのための啓蒙も怠ってはならない。だが同時にそのサポートは、マイノリティも等しく自らの進みたい道を選択する競争(という言い方は非常に微妙ですが仕方ないのでこう言います)に参加する蓋然性を高めるようなものに限るべきである。また同時に、そうした競争から生じる不安について、何からの形で存在論的安心の核となる場を、政策的なサポートによって整備するべきである。要するに、キッチェルトの言う「アナルコ・サンディカリズム」ないしヨーロッパにおける「第三の道」へと梶を切るべきである。その意味で市場主義的構造改革派と抵抗勢力ないしコーポラティズム支持者が対立している(ように思われる)現在の日本の状況は不健全である。というわけで、「オトコだってツラいんだ!」という、ある意味「素朴な実感」がバックラッシュ支持の苗床とならぬよう、彼らに存在論的安心の足場を提供し、同時に自らの道を切り開く競争へと彼らを開いていく必要がある。というわけで本文の主張まで戻ってきたわけですが、いかがでしょう。
    # っつかこれがはじめましてですか。どうぞよろしくお願いします。

  5. Imaginary Lines Says:

    macska dot org「鈴木謙介氏論文「ジェンダーフリー・バッシングは疑似問題である」と「弱者男性」論への疑問」
    「このエントリを誇りに思っている」              シモン・デビューボ 「ものすごく気に入った!」              ジェン・ダーロール 世界中の女の子たちに 夢を与えた パワフル・アンド・もっとパワフル・エントリ! yamtomさんへのお告げを実

  6. macska Says:

    こんにちは、charlie さん。建設的なコメントありがとうございます。わたしも無論 charlie さんが文中で「弱者」と書かずに「男性」と書き続けたことは、いわゆる「弱者男性論」からは距離を取る意図があってのことだと思い、ひとつの見識だとして評価していました(だから、わたしの書いた物を読んで charlie さんが「弱者男性」と書いたという読み方をした人がでてきて慌てて修正しました)。また、charlie さんの記事の中では、バックラッシュの主体は2ちゃんねるに書き込んでいる若者ではなくこれまでの保守層と同じく上の世代であることを指摘した点も良かったと思います。つい批判点ばかり先に気付いてしまいますが、良い点も言っておくべきだったと思い直しました。
    charlie さんが論じている対象が赤木氏的な「弱者男性」に限定されないという点については分かりました。というか、わたしはそれが層として全く同じとは思っておらず、「弱者男性」の排除が問題とされる論理が charlie さんの論理と同一だという意味で宮台氏が進める「弱者男性」論の一種だと判断したのですが、たしかに「意味する内容は同じ」というのは言い過ぎました。上記のように、mango さんの書き込みを見てあまり考えずにあわてて訂正を入れたから不正確になってしまったのだと思います。もう一度訂正しておきました。
    さまざまな社会構造により生み出されている「社会的弱者」については「「無責任なお題目を書いて非難されるくらいなら書かずに批判される方がマシ」ということなので、批判は想定済みで甘んじて受けるということなのかもしれませんが、やはりわたしは「これまで」すべての女性に専業主婦への道が保証されていて、すべての男性が一家を養うに足る収入を得ていたかのような記述は問題があると思うのです。流動性が上昇するはるか以前から、「近代的家族と福祉国家」の恩恵にあずかることができなかった人はたくさんいるわけで、charlie さんの記述はあまりにメインストリームの男女の体験を一般化したものではないかと思いました。仮にそういった男女の事情についてフォーカスするのであっても、そうだという断りくらいは入れて欲しかったです。もし「書かずに非難される」ことを想定していたのでしたら、脇が甘かったのでは。
    後半のキッチェルトの議論のあたりは、もとよりわたしは「弱者男性」もしくは「(これまでは強者として安定的な立場にいられたけれど現在では)流動性に不安を感じている層」への手当てを否定しているわけではないのでだいたい同意ですが、かれら「にこそ」手当てが必要であると論じられるとき、それがいわゆる「逆差別」批判的な主張と共振するようでそれこそわたしは不安になるのです。(もちろん、charlie さんが「正社員と専業主婦の枠を準備しろ」と言っているわけでないことはわたしも承知済みです。)
    さて、charlie さんもマイノリティに対する手当ては(その形態がどうなるかは別として)いままでと同じく今後も必要だと言いますが、不透明化した現在の社会では政策的にそうすることが困難になっています。上の方のコメントで斉藤さんがそうした困難をどのようにして解きほぐせばいいのかという質問をしていますが、わたしも頭を抱えています。たとえば先日わたしの知人の売春婦が HIV に感染するリスクをあまりに軽く考えているのを知って現実はこうだという話をしていたのですが、彼女が「HIV に感染すれば住居や医療の提供してもらえるし、さまざまな社会的サービスが受けられる」と軽く言うので非常に驚きました。それほどまでに「弱者」はむしろ優遇されている、利権となっているという嫌疑が広まる中、どのようにすればかれらに対する手当てを存続あるいは拡充することができるのか、とても悩むところです。「『弱者』を恨む強者」の情緒的な手当てをすればそれで済む問題なのでしょうか?
    最後に、わたしの「新自由主義」の解説ですが、ここに掲載したのはその一部でしかありません。省略されている部分に、「公正」への希求が新自由主義的なものを呼び起こすことも書いています。『バックラッシュ!』本文もしくはキャンペーンブログの方をご覧ください。また、わたしが参加した LiP magazine という米国の雑誌の最新号に掲載されている座談会でも、流動性の高い社会は「公正」を求める側の運動自身が求めてきたものであり、「ネオリベ反対」みたいに簡単に履いて捨てることができないということは主張しました(その座談会のあとに書いた記事がこちらにあります)。

  7. makiko Says:

    そのうち自分とこで書くつもりでいますので、ここでは手短にしますが、
    「弱者男性」とは誰か、というところが人によってあまりに違っていて、議論が成立していないように思えますね。
    大別して、
    1.現在特権をもっているといえるが、将来的にそこから転落しかねない層(具体的には、上場企業会社員の中堅層だが、グローバライゼーションや男女雇用機会均等の脅威を感じている層)
    2.男性であるが、他の属性によりマイノリティ化されている層(人種・民族、部落、性的マイノリティ、障害をもつ人など)
    3.男性の特権をつかみそこねた層(若年層のフリーター、ニートなど。2ちゃんねらーはかなり重なる)
    1.は現時点では明らかにまだ「弱者」ではないですね。潜在的な不安はもちろん看過すべきではないですけど。一部のフェミニストは1.のような類型をみて、まだ男は弱者たりえない、みたいなことを言っていますが。
    2.については、確かに周縁化されているが、各カテゴリ(場合によっては各マイノリティのコミュニティ)の中では依然として男性の特権を行使しうる層である。
    なので、それはそれで論じるべきところがあると思うのですけど、「弱者男性」というとき私は3.のカテゴリが最も問題になると思うんですよね。メンズリブも含め、ジェンダー論が今まで一番無視してきて、それゆえ草の根レベルのバックラッシュの一番の支持層になっている部分がここなのではないかと思います。
     もちろん、それはセックスワークと同列の、男性中心主義の反映でしかないわけですけども、日雇い派遣なんか見てみると、露骨な性別分業が行われていて、女は時給1000円でキャンペーンガールやエアコンの効いたオフィスでの事務、男は時給800円で荷役作業や建設現場とか当たり前です。これでは直観的にかれらは男は差別されていると思うのは当然ですよ。
     政策論的には、以前minxの方で男性派遣労働者の話が出たときの議論がそのままあてはまるので、ここでは繰り返しませんが。

  8. o-tsuka Says:

    メンズリブが「男性の特権をつかみ損ねた層」を無視してきたというのは事実とは異なります。そういうアプローチは過去10年、たくさんなされてきました。しかし「男性の特権をつかみ損ねた層」によるメンズリブはうまく行かなかった、というのが現実ではないかと

  9. makiko Says:

    >o-tsukaさん
    >しかし「男性の特権をつかみ損ねた層」によるメンズリブはうまく行かなかった
    のはなぜだと思われますか?

  10. o-tsuka Says:

    >makikoさん
    >しかし「男性の特権をつかみ損ねた層」によるメンズリブはうまく行かなかった
    現場にいたものとしてはっきり言えば、「男性の特権をつかみ損ねた層」は組織運営の能力を持っていなかったからです。

  11. 芥屋 Says:

    まぁ、世の中で男に期待される能力の中でも、組織運営の能力というのは代表的なものですね。その能力を持っていなかったから「男性の特権をつかみ損ねた層」になる。してみると「男性の特権」なる用語もずいぶんと怪しいもので、組織運営の能力を期待される男は、その能力を持った場合には能力に見合った特権も与えられるが、その能力を持たなかった男には特権は与えられない、というごく当たり前とも思われる話だと思います(それの良し悪しではなくて、実も蓋も無い話として)。

  12. o-tsuka Says:

    メンズリブにもいろいろありましたが、継続しているのはアカデミズムと共同している団体だけですね。弱者とは言い難い。
    あと、企業でリーダーをやっていた人が嫌われるわけではありません。
    そういう場で、「私は企業でリーダーをやっていた」と自称する人が嫌われるんです。
    つまり状況が理解できないタイプ。
    そういう人は、企業でもとっくに現場から見放され、神輿に乗っていただけなのだろうと思われます。

  13. makiko Says:

    >o-tsukaさん
    >組織運営の能力を持っていなかったからです
    あ、聞き方が悪かったですか?
     思想的に、なぜこの層がバックラッシュ的な方向、もっと言えば新自由主義を選択し、自民党に投票すらしていったか、ということを聞きたかったのですが…
     やはり、持つべき物を持ち得*た*層だから、ある種の郷愁にひかれる、というかそういう立ち位置に立ちうること自体が男性の特権、と言えなくもないですが、一方で、それゆえ自己責任であると切り捨てられているのもこの層なわけで。
    というところで、
    >芥屋さん
    >「男性の特権」なる用語もずいぶんと怪しいもので、
    フェミニズム(場合によってはメンズリブも)は打倒すべき目標として、多かれ少なかれこの言葉を掲げてきましたが、それ自体が怪しい、と切り捨てるのでなくて、もう少し「男性の特権」ということ自体を精密に分析すべきだと思います。
    フェミニズムも、男並み、というのを求めるものから、権力関係そのものを疑うものまで、いろいろありますから、案外難しい作業かもしれませんが…
    でまた>o-tsukaさん
    >継続しているのはアカデミズムと共同している団体だけですね。弱者とは言い難い。
    ですね。
    最初、私が3の層がメンズリブでも看過されている、と言ったのは、結局このアカデミックな層が、アカデミックなフェミニズム、というより行政主導の*男*女共同参画と連動して、既に企業などで中堅層以上の地位にある人のライフスタイルみたいな流れになってしまった(それゆえ広がりを見せなかった)ことが前提にあったとご理解いただければ。

  14. o-tsuka Says:

    makiko さんへのレス。
    >あ、聞き方が悪かったですか?
    > 思想的に、なぜこの層がバックラッシュ的な方向、もっと言えば新自由主義を選択し、自民党に投票すらしていったか、ということを聞きたかったのですが…
    うん、こういう質問とは思わなかったです。
    思想的に言えば、戦後50年の社会民主主義的施策によって膨れ上がった公的セクターや労働組合に対する、そこに乗り損ねた人間の怨念を、資本の側がうまく掬い上げた結果だと思います。
    組合主義左翼の限界ともいえる。
    > 最初、私が3の層がメンズリブでも看過されている、と言ったのは、結局このアカデミックな層が、アカデミックなフェミニズム、というより行政主導の*男*女共同参画と連動して、既に企業などで中堅層以上の地位にある人のライフスタイルみたいな流れになってしまった(それゆえ広がりを見せなかった)ことが前提にあったとご理解いただければ。
    一度は広がったし、別に看過したわけじゃない、ということを抑えておかなければフェアではないでしょう。
    また、メンズリブは80年代以降のフェミニズムをベースにしていますから当事者性を重視しており、その結果主体性を発揮できなかった「第3層」の運動が廃れていった、という流れがあるわけで、そのことについてアカデミシャンや行政の責任を問うというのはパターナリスティックな態度だと思う。
    余談ですが、文系院生の悲惨な生活を見るとアカデミックな方々が必ずしも強者とはいえないような気もしますが、まぁこれはまた別の話。

  15. 赤木智弘 Says:

    >しかし現実には、性別だけを理由に不安定な職しか与えられず、かといって専業主婦になれるだけの経済的余裕を持たない女性が、多くの男性の地位が流動化するより何十年も前から存在していた。
    こうした女性の具体例を示してください。

  16. macska Says:

    > こうした女性の具体例を示してください。
    農家の女性。
    とゆーか、専業主婦というのは高度成長期に歴史上はじめて、そして短期間だけ一般化した現象で、それまでの長い歴史にそんな存在はほとんどいませんでした。いたとしたら、ものすごい特権階級だけです。そして高度成長期になっても、主婦になった割合は3/4程度で残りは違ったし、70年代には50%台に落ち込んで現在では半数以下。そして、専業主婦にならなかった層のうち男女雇用機会均等法による採用差別禁止の恩恵を受けた世代なんてごく最近の人たちだけです。
    てゆーか、自分で少しは調べてみてはいかがでしょうか。

  17. 赤木智弘 Says:

     どうもどうも。わざわざすみません。
     私が引用部におかしさを感じたのは、1つがそもそもなぜ「専業主婦」に話を限るのか。そしてもう1つが「なぜここで何十年も前の話を持ち出すのか」の2点です。
     別に専業主婦でなくとも、「主な収入を夫に頼る妻」すなわち兼業主婦というのは存在するわけで、別段専業に話を限る必要はありません。
     主婦という立場、すなわち労働市場に組み込まれなくとも生活が(金銭、尊厳共に)成り立つ立場が、普通に存在することは、男性にはない女性の圧倒的な優位です。
     あと、「専業主婦というのは高度成長期に歴史上はじめて、そして短期間だけ一般化した現象」だといいますが、高度経済成長というのは、果たして何十年前のできごとでしょうか?
     30年代から40年代に「男性が働き、女性が家を守る」ということになって、そこから既に50年以上が経過しています。
     せいぜい寿命が70年程度の人間の社会で、うち50年に「主婦」という立場がいるなら、それは普通に多くの人にとって「主婦という立場が一般化されている」と考えるべきです。
     さらに、「弱者男性」の問題はバブル崩壊後の問題ですから、まさに「専業主婦にならなかった層のうち男女雇用機会均等法による採用差別禁止の恩恵を受けた、ごく最近の世代」の問題なのです。
     あなたは「昔から女性は差別されてきた」みたいな事をいいますが、問題は「今の時点でどのくらいの差別があるか」であって、「女性」という大ざっぱな括りに対する今までの累計ではないはずです。差別を累計で語るべきだというなら、それはイスラエルの暴挙を必然とする強硬なシオニズムの立場と同じことです。
     そうしたユダヤ人の暴挙に対して、逆側に振れたネオナチが登場してくるのは、私は必然だとしか思えませんけどね。
    P.S.そうそう。あなたが「固定制というのは過剰流動性と同じなのだ」と言った「流動性」という言葉。
    >要するに「これまでなら強者となるべき」メインストリームの男性の一部が、流動化する経済構造の中「強者」から脱落しはじめただけ。戦略的観点から「かれらを手当てしよう」というのは分からないではないのだけれど、公正さの観点から言えばより先に包摂されるべき「弱者」はほかにいくらでもいる。「元強者」男性はバックラッシュに加担して迷惑だから手当てをするべきだけれど、外国人労働者らより弱い立場にいる男性(や女性)はバックラッシュを起こすほどの力もないから放置しておくというのでは、あまりに不公平ではないかと思う。
     この文章の中で、完全に都合よく書き換えられてますね。
     社会に出る前にバブルが弾けて、完全に弱者になってしまった弱者男性が、いつの間にか「元強者」になってしまっています。
     こういう安直な書換があるから、私は(過剰)流動性という言葉は使うべきではないと思うのですよ。

  18. macska Says:

    > 私が引用部におかしさを感じたのは、1つがそもそもなぜ「専業主婦」に話を
    > 限るのか。そしてもう1つが「なぜここで何十年も前の話を持ち出すのか」の
    > 2点です。
    だったらどうして「実例をあげろ」と言うのかなぁ。意味不明。
    専業主婦の話をしているのは、赤木さんが専業主婦の話をしていたから。何十年も前の話が出て来るというけれど、いま50歳の人にとっては30年くらい前の女性の就職状況が人生に大きな影響を与えたわけで、それを無視して「今時点」の話だけできないに決まっているでしょ。いま現在の若い人の話に限定なら、専業主婦になるという選択肢はごく少数の限られた人にしかない選択肢であって、一般的なオプションとして論じるのは間違い。
    ようするに Masao さんの議論は、自分に都合のいいことなら昔の話を無規範に持ち出すけれど、自分に都合が悪いものは「なんでそんなに昔の話を持ち出すのか」と拒絶するという、まったく一貫性のない議論です。
    > 30年代から40年代に「男性が働き、女性が家を守る」ということになって、
    違いますね。戦前専業主婦(あるいは収入のほとんどを夫に依存する兼業主婦)になれたのは一部の特権階級だけで、多くの女性は男性と並んで労働していました。また戦争により若い男性が戦場に取られると、そのあとの国内の労働を女性労働者がカバーしました。「男は企業に尽くし、女は家庭に尽くす」という体制が一般化するのは、あくまで戦後の高度経済成長時代です。
    > あなたは「昔から女性は差別されてきた」みたいな事をいいますが、問題は
    > 「今の時点でどのくらいの差別があるか」であって、「女性」という大ざっぱな
    > 括りに対する今までの累計ではないはずです。
    「今の時点」は、過去の歴史の結果あるわけですよ。だから過去の歴史は今現在の社会を構成している一部であり、全く関係ないということはあり得ない。歴史的にずっとあった差別がある時点で突然なくなるなんてこともありえません。
    また、「弱者男性」は性別によって差別されているのではなく、単に競争によって「強者男性」にかなわないだけでしょ? 女性はその競争においてはじめから差別されていて、対等の立場で参戦できないわけですよ。そして、代わりに「専業主婦」という選択肢があるではないかと言うけれど、いまの若い人にとってその選択肢は非常に小さい。というのも、家族を養えるだけの給料を得る男性自体、若い世代では少なくなっているからです。
    女性が専業主婦になれなくなっているのも、「弱者男性」が安定的な職に付けなくなっているのも、経済構造の変化によるものです。そして、そうした経済構造自体を元に戻すというのはちょっとありそうにない。なぜなら開発された通信技術や運送技術を全部捨てて昔に戻るわけにもいかないし、国際的な相互依存関係が強まるなか突然鎖国するわけにもいかないから。じゃあどうするかというと、あらたな経済構造に適応した社会的な手当ての制度を作るべきで、鈴木さんもわたしもそういう話をしている。
    赤木さんの言う「専業主夫」論は、そうした経済構造の変化をまったく見ずに、ただたんに強者女性がかつての強者男性と同じ地位まで登りつめているかのような錯覚を元にしています。たしかに、「専業主夫」になることへの社会的な偏見はよくないし、なくしてくべきでしょう。しかし現実に一人で一家を支えられるだけの収入を持つ女性がほとんどいないことを考えると、その路線の先には解決はありません。(まぁ、そういう女性が一人でもいたら、赤木さん個人にとっては解決する可能性がないわけでもないでしょうが。)
    > 社会に出る前にバブルが弾けて、完全に弱者になってしまった弱者男性が、いつ
    > の間にか「元強者」になってしまっています。
    もう少し読解力をつけましょう。ここでは個人のことを言っているのではなく、「バブル崩壊以前ならば強者となれるはずだった」社会集団のことを言っています。バブル崩壊後に社会に出てしまったために強者とはなれなかったと言われても、ちっとも反論していることになりません。

  19. 赤木智弘 Says:

    >専業主婦の話をしているのは、赤木さんが専業主婦の話をしていたから。何十年も前の話が出て来るというけれど、いま50歳の人にとっては30年くらい前の女性の就職状況が人生に大きな影響を与えたわけで、それを無視して「今時点」の話だけできないに決まっているでしょ。いま現在の若い人の話に限定なら、専業主婦になるという選択肢はごく少数の限られた人にしかない選択肢であって、一般的なオプションとして論じるのは間違い。
     確かに私は「専業主婦」という言葉を使いましたが、別に「専業」という言葉にそんなにこだわりはありませんよ。ただ「強者女性が弱者男性を養うつもりがあるのか?」ということを強調するために専業と書いただけのことで。
     専業主婦も兼業主婦(パートタイマー)も、収入の多くを夫に依存している点で同じようなものです。
    >> 30年代から40年代に「男性が働き、女性が家を守る」ということになって、
    >違いますね。戦前専業主婦(あるいは収入のほとんどを夫に依存する兼業主婦)になれたのは一部の特権階級だけで、多くの女性は男性と並んで労働していました。
     ごめんなさい。ここは「昭和」という言葉を付けるのを忘れてました。昭和30年代から昭和40年代は、そのまま高度経済成長時代を指します。
    >「今の時点」は、過去の歴史の結果あるわけですよ。だから過去の歴史は今現在の社会を構成している一部であり、全く関係ないということはあり得ない。歴史的にずっとあった差別がある時点で突然なくなるなんてこともありえません。
     いいえ、なくなります。
     なにがどういう理屈で無くなるかといえば、そのことに対する代替物が十分に与えられることによって、なくなります。代替物とは、ズバリ金です。
     たとえば、部落差別などは、経済成長によってその余剰金がずいぶん後回しにはなりましたが、部落地域にまわることによって、今や部落も、見た目はその他の地域とほとんど変わりのない普通の住宅地になりました。
     もちろん、就業や結婚などでの差別はそれなりに残るでしょうが、そんなことを言ったら就業もできない、金がないから結婚どころか恋愛すらできないフリーターに比べれば全然マシです。運動などによって、一緒に支えてくれる組合もありません。TVなどで部落をボロカスに言えば、多くの人がその行為を批判しますが、フリーターは経済構造によって意図的に生み出されているにもかかわらず、そうした批判が行なわれることは非常に少ないのが現状です。
    >また、「弱者男性」は性別によって差別されているのではなく、単に競争によって「強者男性」にかなわないだけでしょ? 女性はその競争においてはじめから差別されていて、対等の立場で参戦できないわけですよ。そして、代わりに「専業主婦」という選択肢があるではないかと言うけれど、いまの若い人にとってその選択肢は非常に小さい。というのも、家族を養えるだけの給料を得る男性自体、若い世代では少なくなっているからです。
     ほら来た、弱者男性差別。今まさにあなたは男性弱者を差別しました。
     現在の弱者男性は性別によって差別されているわけではありませんが、バブルの崩壊から発生した新入社員の引き締めと、団塊ジュニア世代という人数の多い世代であったことが重なり、超買い手市場の就職氷河期に就職を勝ちとらざるを得ませんでした。あなたは「競争」といいますが、競争の難度がバブル以前と、ポストバブルではまったく違うのです。すなわち、バブル崩壊以前の世代とポストバブル世代は「対等の立場で労働市場に参戦できない」わけです。
     我々は「時代」によって差別されています。「性別」も「(部落差別の最大要因である)生まれ」も「時代」も「自分ではどうにもできない」という点で同じ性質のものです。
     そして、そこから現在に至るまで景気はロクに回復せず、回復しつつある今でも、新卒ばかりを優先する労働市場において、ポストバブル世代は「失われた10年」のなかで、完全に放置されています。
    >女性が専業主婦になれなくなっているのも、「弱者男性」が安定的な職に付けなくなっているのも、経済構造の変化によるものです。そして、そうした経済構造自体を元に戻すというのはちょっとありそうにない。なぜなら開発された通信技術や運送技術を全部捨てて昔に戻るわけにもいかないし、国際的な相互依存関係が強まるなか突然鎖国するわけにもいかないから。じゃあどうするかというと、あらたな経済構造に適応した社会的な手当ての制度を作るべきで、鈴木さんもわたしもそういう話をしている。
    >
    >赤木さんの言う「専業主夫」論は、そうした経済構造の変化をまったく見ずに、ただたんに強者女性がかつての強者男性と同じ地位まで登りつめているかのような錯覚を元にしています。たしかに、「専業主夫」になることへの社会的な偏見はよくないし、なくしてくべきでしょう。しかし現実に一人で一家を支えられるだけの収入を持つ女性がほとんどいないことを考えると、その路線の先には解決はありません。(まぁ、そういう女性が一人でもいたら、赤木さん個人にとっては解決する可能性がないわけでもないでしょうが。)
     経済構造の変化を全く見てないのはあなたの方でしょう。
     その理由は上記の通りです。そもそも労働市場が完全に縮小し、さらに新卒偏重の雇用状況であるかぎり、「皆が仕事によって自分ひとりを支える」などということは不可能です。
     さらにネオコンネオリベが蔓延る現状を見るに、正当な再配分を政治に期待することも不可能。
     ならば、「強者が弱者を養うべき」という道徳的強要をもって、強者と弱者のカップリングを発生させ、必要な再配分を行なうしかありません。
     まぁ、もちろん結婚は1つの例えであって、地域通貨等、その他の方法によって再配分が行なわれるならそれでもかまいませんが。
     ところが、なぜかそういうことを言うと、あなたのようなネオリベだか、リバタだかの捻じれた思想家に批判されるんですよねぇ。なぜですかねぇ。
    >> 社会に出る前にバブルが弾けて、完全に弱者になってしまった弱者男性が、いつ
    >> の間にか「元強者」になってしまっています。
    >もう少し読解力をつけましょう。ここでは個人のことを言っているのではなく、「バブル崩壊以前ならば強者となれるはずだった」社会集団のことを言っています。バブル崩壊後に社会に出てしまったために強者とはなれなかったと言われても、ちっとも反論していることになりません。
     いいえ、そもそも私はこうした問題を「男性」という集団で括ること自体を批判しているのです。
     「「バブル崩壊以前ならば強者となれるはずだった」社会集団」といいますが、現にその社会集団は弱者なのですから、弱者として扱うべきなのです。
     それを「弱者男性は状況が違えば強者だったのだから弱者ではないのだ」などというのは、それこそ明確な「男女差別」です。先にも書いたように「我々はかつて被差別者だったのだから、一生弱者なのだ」と、パレスチナ侵攻を延々くり返すシオニズムとまったく同じ考え方です。
     結局のところ、過去に受けた差別はどこかで自分の懐に納める必要があります。
     私は時代によって差別を受けて来ましたが、それを納めるための条件を私自身の決定として「自分を経済的に支えてくれる女性が現われること」に設定しています。もちろん「仕事で身を立てる」事ができればそれでもいいのですが、先にも書いたように、それは叶いそうにありませんからね。

  20. macska Says:

    > 確かに私は「専業主婦」という言葉を使いましたが、別に「専業」という
    > 言葉にそんなにこだわりはありませんよ。
    うーん、しかし赤木さんは「専業主婦」を女性にだけ開かれた特権的なポジションとして論じているんですよね。パート労働で安くこき使われる兼業主婦がそのような特権階級だとは思えないのですが。
    もちろん男性には一家の主要な稼ぎ手であれという規範があり、一方では主要な稼ぎ手たるに足りる給料を得られる職が少なくなってきていることから、それにあぶれた男性が苦しんでいるというのは分かります。そういう男性特有の悩みを解消するためには、「専業主夫」となる道を開くというのは現実的ではなく、「一家の主要な稼ぎ手であれ」という重圧から男性を解放することが現実的だと言っているのです。
    「専業主夫」が現実的でない理由は、一家を養える(あるいは一家の主要な稼ぎ手としてその大部分を稼ぐ)ような給料を得る女性の絶対数がどう考えても足りないからです。男性すらそんな良い職を得るのが難しくなっている現在、女性にとってはさらに難しいです。
    では「一家の主要な稼ぎ手であれ」という重圧から男性を解放する現実的な施策とは何か。ひとつは福祉の社会化です。企業単位の福祉厚生制度は高度成長の産物であり、流動化した社会では労働者の生活を守るのに不十分です。もう1つは、赤木さんは何か勘違いして笑い飛ばしたけれど、何らかの方法で少ない雇用をシェアする必要がある。ワークシェアリングという語を資本側が都合良く「パートタイマーや派遣労働者などを使ってコストを下げる」意味で使ったことはあるかもしれませんが、本来の意味はパートタイマーや派遣労働者と「正社員」との地位の違いを減らすことです。それはもちろん企業に任せておいて実現することではなく、政策的にインセンティヴを作り出す必要があります。もちろんそれは困難ですが、「強者女性が弱者男性を養う」という夢物語を語っているよりははるかに現実的です。
    > ごめんなさい。ここは「昭和」という言葉を付けるのを忘れてました。
    了解しました。
    >> 歴史的にずっとあった差別がある時点で突然なくなるなんてこともありえません。
    >
    > いいえ、なくなります。
    って言いながら、その例が「被差別部落の住宅地が、見た目はほとんどほかと変わりない外見になった」というだけ。しかも「突然なくなった」例になっていないし、「就業や結婚などでの差別はそれなりに残る」と認めている。支離滅裂です。赤木さんの言ったことを正しく書き直すと、「ある一面に限って比較すれば、なくなることもあります」程度であって、「いいえ、なくなります」と言うだけの根拠がないことは赤木さん自身の記述から明らかです。
    > 就業や結婚などでの差別はそれなりに残るでしょうが、そんなことを
    > 言ったら就業もできない、金がないから結婚どころか恋愛すらできな
    > いフリーターに比べれば全然マシです
    そのような比較をするためには、「すべての被差別部落出身者はフリーターではない」「すべてのフリーターは被差別部落出身ではない」という前提に立たなければいけません。しかし被差別部落出身者は赤木さんが認めるように就業差別を受けるからこそ、部落出身ではない人に比べてフリーターや日雇い労働者といった不安定な立場におかれる確率が大きいわけです。つまり被差別部落出身者は、部落出身者として差別して損するだけでなく、部落出身者として差別されたためにさらなる差別を受けやすいポジションにおかれてしまう。「フリーターに比べれば部落出身者の方がマシ」と気楽に言ってしまえる赤木さんのふるまいは、それこそ強者のそれです。
    > TVなどで部落をボロカスに言えば、多くの人がその行為を批判しますが、
    > フリーターは経済構造によって意図的に生み出されているにもかかわらず、
    > そうした批判が行なわれることは非常に少ないのが現状です。
    それは、部落差別を受けた人たちがこれまで何十年何百年と血を流して必至に抵抗してきた結果なのですよ。それでも、なお差別がなくなったわけではない。赤木さんは何もせずに「強者女性に結婚して欲しい」と言うばかり。しかもその要請を読んでみても、「僕と結婚してもあなたのキャリアに邪魔にはなりません」ということしかアピールされていなくて、自分が何をオファーするのか全然書かれていない。自分は何もしないで部落出身者や女性のように長年の運動によって何かを獲得してきた人たちにイチャモンつけてばかりいるのが赤木さんです。どうしてそんなにこの自称「弱者男性」は強者ぶったふるまいができるのか、非常に不思議。
    > ほら来た、弱者男性差別。今まさにあなたは男性弱者を差別しました。
    どこが差別なんですか? まったく理解不能なので具体的にどこがどう差別なのか指摘してください。
    > 我々は「時代」によって差別されています。
    ポストバブルの世代は経済構造の変化によって苦しんでいる、というならその通りですが、それを「差別」とは言いません。
    > 「性別」も「(部落差別の最大要因である)生まれ」も「時代」も「自分では
    > どうにもできない」という点で同じ性質のものです。
    そうです。しかし経済構造の変化は歴史的事実であって他人にだって「どうにもできない」。それに対し、被差別部落出身者を結婚や就業において差別するかどうかは他人が「どうにかできる」ことです。人は「どうにかできる」ことについて責任を負いますから、「差別しないという選択肢もあるのに」結婚差別や就業差別を行った人は非難されます。しかし「時代」は人ではないので選択肢を持ちませんし、非難することもできません。
    > ポストバブル世代は「失われた10年」のなかで、完全に放置されています。
    はい、そうですね。ではどうしたらいいと思いますか? ちなみに、同世代の女性も同じくポストバブル世代ですから、彼女たちに養ってもらうというオプションはあり得ません。
    どう考えても、新卒以外の人員採用をすすめるための社会的手当てを政策的に提供したり、限りある職をシェアできるだけのーーパートタイマーや派遣労働者が一方的に損しないようなーー経済構造の調整が必要ですね。
    しかし考えてみてください。新卒採用がスタンダードな雇用形態を崩せば、いま以上に流動化は進むわけです。弱者救済のためにより公正な職の分配を求めた結果、流動性がさらに加速してしまうというパラドクスが存在します。経済的に流動化する点については失業保険や再就職支援の政策でカバーできますが、問題は流動化が赤木さんのような人に与える情緒的な影響です。こればかりは所得や職の分配では対処できない。この問題に対する回答はわたしにはありません。
    > 経済構造の変化を全く見てないのはあなたの方でしょう。
    > そもそも労働市場が完全に縮小し、さらに新卒偏重の雇用状況であるかぎり、
    > 「皆が仕事によって自分ひとりを支える」などということは不可能です。
    わたしは経済構造の変化を見たうえで、社会保障制度を改革することで新たな経済構造においても人々の生活が守られるような政策をかんがえているのです。社会制度をいまのまま放置しておいて倫理的に「お前らみんな仕事によって自分ひとりを支えろ」と言っているわけではない。
    > ならば、「強者が弱者を養うべき」という道徳的強要をもって、強者と弱者の
    > カップリングを発生させ、必要な再配分を行なうしかありません。
    何度も言うように、それがダメなのです。
    第一に、強者だって弱者を養うにはそれなりの見返りを要求するはずで、道徳的強要くらいで弱者と結婚するわけがありません。したがって解決にはなりません。
    第二に、仮にそうした道徳的強要が成功したとしても、強者と弱者の比率が問題となります。自分だけを養えるだけでは足りずに、一家を自分一人の収入で養えるような強者は、若者世代ではかなり数が限られます。それに対して養われる側の弱者は多いため、ちっとも解決になりません。
    第三に、それに加えて女性差別が根強く残る現状では「強者(家族を養えるだけの収入を持つ人たち)」の集団が圧倒的に男性に偏っています。つまり、弱者女性は救われるかもしれないけれど弱者男性はごく一部しか救われない。それでいいんですか?
    もし「道徳的強要」とやらにそんなに効果があるのであれば、カップリングと言わずに強者に二人三人と大勢の弱者を養わせればいいじゃないですか。それはすなわち、高額所得者の税金を上げてベーシックインカム制度を導入するということです。強者にしたって、「道徳的要請」とやらで無理矢理弱者を家族として迎え入れるよう強要されるよりは、その分税金として取られた方がマシなはず。あるいは、ワークシェアリングによって正社員が独占している権益をパート労働者や派遣労働者などにも分配するということも考えられます。
    しかし、そのようなことを書いた途端、赤木さんは嘲笑するかのような態度を見せました。まったく解せません。
    # 読者に注意:わたしはここでベーシックインカムが現実的と言っているのではなく、
    # 「道徳的強要」というのがそれほどまでに効果的なら、という前提で書いています。
    > ところが、なぜかそういうことを言うと、あなたのようなネオリベだか、
    > リバタだかの捻じれた思想家に批判されるんですよねぇ。なぜですかねぇ。
    わたしはネオリベでもリバタリアンでもなくロールジアン・リベラリストです。「道徳的強要」ではなく社会政策による経済的弱者の包摂と、実りのある労働機会の再分配を主張しています。
    > 現にその社会集団は弱者なのですから、弱者として扱うべきなのです。
    そう言われると唖然とするのですが、弱者として扱わなかったことが一度でもありますか? わたしは一貫して「弱者男性の包摂は必要」という前提で「弱者男性」論の語られ方(それが他の弱者の存在を無視することなど)を批判しているのです。
    > 先にも書いたように「我々はかつて被差別者だったのだから、一生弱者なの
    > だ」と、パレスチナ侵攻を延々くり返すシオニズムとまったく同じ考え方です。
    それは正反対です。「自分は弱者なのだから」と、別の面で自分が強者としてふるまっていることや、他にも様々な弱者がいることに全く無頓着になっているあなたこそその例えにふさわしい。

  21. ともみ Says:

    赤木さんのいう「強者女性」というのは、バブル以前就職組女性を指すようですが、均等法以前就職の大部分の大卒女性の就職状況は氷河期なんてものじゃないくらい厳しかったわけですね。「4大卒」というだけで企業での職に多くの場合、応募することすらできなかったわけですから。短大卒や高卒で企業に採用された女性たちの多くが「肩たたき」にあっていた可能性も高く、続けていても給料がそう上がるわけでもない。彼女たちを「強者女性」と呼ぶのは無理があります。
    となると、せいぜい80年代後半から90年代前半の、均等法以後のバブル時期に就職した女性たちが「強者女性」カテゴリーと言いたいのかとも思われますが、実際あんな罰則規定もないザル法だった均等法の下で、その恩恵を受けた女性たちなど極少数。ひじょうに狭き門だった「総合職」を得ることができた女性くらいでしょう。バブル期の就職でも、男性と同じような給与を得るような仕事をとれた女性など、ごくわずかです。しかも、そういった女性を生かす術をもたない企業も多く、いじめやら差別やらなにやらで退職に追い込まれた女性たちもかなりいたはず。
    ポストバブルは、男性の就職以上に、女性の就職は厳しかったわけで、「強者女性」カテゴリにはまる人はますます少なくなります。
    要するに、「強者女性」カテゴリーにはまるような人たちって、ものすごく少ないわけですよ。その人たちが、仮に「弱者男性」と結婚して養ったとしても、ほんの少数の話。あぶれる「弱者男性」は続出するはず。何ら問題の根本的な解決にはならないと思いますが。
    (ほとんどmacskaさんのポイントの繰り返しになってしまった。。)

  22. 赤木智弘 Says:

    >うーん、しかし赤木さんは「専業主婦」を女性にだけ開かれた特権的なポジションとして論じているんですよね。パート労働で安くこき使われる兼業主婦がそのような特権階級だとは思えないのですが。
     パート労働でこき使われるという点では、主婦もフリーターもかわりはありません。
     しかし、フリーターはその細々とした賃金で自分の身を立てなければならない一方で、主婦は旦那の給料を組み込む形で身を立てる事ができます。
     フリーターの給料が年150万、主婦の給料が60万、旦那の給料が500万だとして、フリーターは150万の収入しかないのに対し、主婦は(60+500)/2 = 280万の給料を得ているのと同じことです。さらには旦那の給料は昇給の可能性があります。逆にリストラの可能性もありますが、それはフリーターも同じですし、使い捨てと社会に認識されているぶん、フリーターのほうがリスクも高いのです。
     そして、さらに主婦というポジションは社会的にも正当なものと認められている一方で、フリーターはあなたのような自己責任論者によって、不当に貶められています。
     そうした状況下で、フリーターは数年後に自分が生きることができるかということすら、不明の状態にあります。一方で、老後のことを考えて貯蓄したりできる主婦が特権的だというのは、言うまでもないでしょう。
    >もちろん男性には一家の主要な稼ぎ手であれという規範があり、一方では主要な稼ぎ手たるに足りる給料を得られる職が少なくなってきていることから、それにあぶれた男性が苦しんでいるというのは分かります。そういう男性特有の悩みを解消するためには、「専業主夫」となる道を開くというのは現実的ではなく、「一家の主要な稼ぎ手であれ」という重圧から男性を解放することが現実的だと言っているのです。
     だから俺は「主夫にしろ!」って言ってるんですよ。
     「「一家の主要な稼ぎ手であれ」という重圧から男性を解放すること」というのは、ただ「「一家の主要な稼ぎ手であれ」という重圧から男性を解放しろ」という口先の論理ではなくて、「現実に女性が男性を養う必要性」に対して、実際にどのような行動を必要とするかという話です。
     解放しろしろ言うだけで、現実には男女平等を利用していい企業に就職した女性は、その周辺企業から更なる強者である男性を探し出して結婚してしまう。これでは「解放」など、夢のまた夢です。強者女性自身がそうした楔を利用してるんですから。
     私は、そうした卑怯なふるまいをする女性を甘やかしてきたエセ男女平等論者に強い憤りを感じています。
    >では「一家の主要な稼ぎ手であれ」という重圧から男性を解放する現実的な施策とは何か。ひとつは福祉の社会化です。企業単位の福祉厚生制度は高度成長の産物であり、流動化した社会では労働者の生活を守るのに不十分です。もう1つは、赤木さんは何か勘違いして笑い飛ばしたけれど、何らかの方法で少ない雇用をシェアする必要がある。ワークシェアリングという語を資本側が都合良く「パートタイマーや派遣労働者などを使ってコストを下げる」意味で使ったことはあるかもしれませんが、本来の意味はパートタイマーや派遣労働者と「正社員」との地位の違いを減らすことです。それはもちろん企業に任せておいて実現することではなく、政策的にインセンティヴを作り出す必要があります。もちろんそれは困難ですが、「強者女性が弱者男性を養う」という夢物語を語っているよりははるかに現実的です。
     もうそんなことは10年近く前から左傾論壇は言い続けているんですから、実現したらいいじゃないですか? そんなに現実的なら、なんで今なお真っ当なワークシェアリングが実現されず、むしろ格差社会が広がっているという現実があるんでしょうか? まさかあなたも安倍先生のように「格差問題は朝日新聞が言わなければ存在しない」と言って逃避しますか?
     左傾論壇はこうしたことを口先だけでは調子よく言いながら、そうした政策を全く実現しませんでした。
     私もかつては彼らに期待していたこともありました。しかしね、時間がもうないんですよ。ポストバブル世代はもはや30歳以上になり、既に若者とも言えない年齢になっている。そうした人たちが今なお苦しんでいるのに、左傾論壇は今だに「ワークシェアリング」などという、自分たちが実現させることができなかった単語を使って、さもそこに希望があるかの様に吹聴する。
     問題だけを声高に叫ぶことによって、本を出版したり、講演会を行なうことによって、金を得るだけ得て、その実現には全く責任を持たない。これは完全に我々を食い物にした詐欺行為です。どこぞのインチキ宗教団体や拉致議連と同じです。
     で、実現に責任を持つのだというなら、それをできなかった連中は全員論壇から引退するべきです。宮台など、真っ先に仕事を奪われてしかるべきでしょう。しかし現実には、彼らが平等政策を実現できないことによって、むしろ彼らの重要度が増えてしまっている。これでは彼らは一生「言うだけ詐欺」をくり返すでしょうね。
     結局、ネオリベ政府がそのような正当な再配分を実行することは期待できず。
     さらにネオリベ左翼も自身の利益の為に正当な再配分を実行する気などない。
     ならば、たった一人の女性の合意さえあれば実現できる「女性が男性を養う方法」の現実性の方が高いというのは、極めて真っ当な論理です。
    >>> 歴史的にずっとあった差別がある時点で突然なくなるなんてこともありえません。
    >> いいえ、なくなります。
    >って言いながら、その例が「被差別部落の住宅地が、見た目はほとんどほかと変わりない外見になった」というだけ。しかも「突然なくなった」例になっていないし、「就業や結婚などでの差別はそれなりに残る」と認めている。支離滅裂です。赤木さんの言ったことを正しく書き直すと、「ある一面に限って比較すれば、なくなることもあります」程度であって、「いいえ、なくなります」と言うだけの根拠がないことは赤木さん自身の記述から明らかです。
     差別がなくなる云々は、あくまでも度合の問題ですから、差別の度合が少なくなれば、なくなったといってもさしつかえはないはずです。問題は差別の度合が「フリーター(またニート等)>部落」という現状ですから。
     逆に言えば、旧来左翼の色眼鏡的被差別者、すなわち女性、部落、在日といった「色の着いた弱者」に対しては、ほんのわずかでも差別でも「差別だ差別だ」と吹き上がるのに対して、「部落や在日以外の男性」という括りに対しては、極めて冷淡にしか振る舞わない左傾論壇の態度が問題なのです。
    >> 就業や結婚などでの差別はそれなりに残るでしょうが、そんなことを
    >> 言ったら就業もできない、金がないから結婚どころか恋愛すらできな
    >> いフリーターに比べれば全然マシです
    >そのような比較をするためには、「すべての被差別部落出身者はフリーターではない」「すべてのフリーターは被差別部落出身ではない」という前提に立たなければいけません。しかし被差別部落出身者は赤木さんが認めるように就業差別を受けるからこそ、部落出身ではない人に比べてフリーターや日雇い労働者といった不安定な立場におかれる確率が大きいわけです。つまり被差別部落出身者は、部落出身者として差別して損するだけでなく、部落出身者として差別されたためにさらなる差別を受けやすいポジションにおかれてしまう。「フリーターに比べれば部落出身者の方がマシ」と気楽に言ってしまえる赤木さんのふるまいは、それこそ強者のそれです。
     そうそう、部落絡みでおもしろい記事を見ました。
     部落解放同盟全国連合会の記事です。(http://www.zenkokuren.org/2006/01/post_1.html)
     こうしたことはフリーターにとっては良くあることでしかありません。
     社員募集で行ったら、実は派遣労働だったなんて、珍しくもなんともありません。
     しかし、この記事に出てくるA君が、数多のフリーターたちと違ったのは、彼が部落民であり、連合会という後ろ楯があったことです。
     多くのフリーターは、しかたなくその条件で働くか、就職をあきらめるかしかありませんが、強力な後ろ楯を持ったA君は適切なアドバイスを得て労組に加盟、団体闘争によって就職を勝ち取りました。
     それもこれも彼が後ろ楯をもつ部落民だったからこそできたことです。
     一方で多くのフリーターたちは団体で闘争をすることすらできません。後ろ楯も、「弱者男性が不当に扱われている」という社会通念もないからです。すべては小規模な個人闘争にならざるを得ず、まったく勝ち目がありません。
    >> TVなどで部落をボロカスに言えば、多くの人がその行為を批判しますが、
    >> フリーターは経済構造によって意図的に生み出されているにもかかわらず、
    >> そうした批判が行なわれることは非常に少ないのが現状です。
    >それは、部落差別を受けた人たちがこれまで何十年何百年と血を流して必至に抵抗してきた結果なのですよ。
     ええ、だから私はこうしてWebで、弱者男性が卑下される現状に対して、必死に抵抗をしているのです。
    >それでも、なお差別がなくなったわけではない。赤木さんは何もせずに「強者女性に結婚して欲しい」と言うばかり。
     匿名でも構わないWebでわざわざ本名を晒して、恥を忍んでまで自分が弱者男性であることを明らかにして文章を書いているのに、それを「何もせずに」と言われてしまうと、さすがにこちらも温厚ではいられませんね。そんなことを匿名の卑怯者であるあなたに言われたくなどありません。
     こっちが自称弱者男性なら、あなたはいったいなんなのですか?
    >> ほら来た、弱者男性差別。今まさにあなたは男性弱者を差別しました。
    >どこが差別なんですか? まったく理解不能なので具体的にどこがどう差別なのか指摘してください。
     社会状況を鑑みない自己責任論は差別そのものです。
     あなたの言いようが差別でないというのなら、男女差別も部落差別も民族差別も全部差別ではありませんね。
    >> 「性別」も「(部落差別の最大要因である)生まれ」も「時代」も「自分では
    >> どうにもできない」という点で同じ性質のものです。
    >
    >そうです。しかし経済構造の変化は歴史的事実であって他人にだって「どうにもできない」。それに対し、被差別部落出身者を結婚や就業において差別するかどうかは他人が「どうにかできる」ことです。人は「どうにかできる」ことについて責任を負いますから、「差別しないという選択肢もあるのに」結婚差別や就業差別を行った人は非難されます。しかし「時代」は人ではないので選択肢を持ちませんし、非難することもできません。
     おかしいですね。
     あなたは既に「ワークシェアリングによって、格差をなんとかすべきだ」と言っています。それは「経済構造を変化させるための施策」ではありませんか?
     経済行動は社会活動である以上、それはすべて人が作ったものです。特にバブルの崩壊は十分な引き締め金融政策を行なわなかった当時の政府や経済界が原因です。ですからそれは当然「どうにかできる」ハズのものです。
     そしてそれを「どうにもしなかった」のは当時の大人であって、当時に未成年であった我々が責任を取らされる必然性はまったくないのです。にもかかわらず、当事者である彼らはほとんど責任をとらず、一方的に我々に責任を押しつけている。これを差別と言わずして、なにが差別なのでしょうか?
     就職や結婚だって、他人が「どうにかできる」ことです。ならば、新卒偏重をやめて、かつて就職氷河期であぶれた弱者男性から優先的に雇用したり、強者女性が弱者男性を養うことだってできるはずです。
    >しかし考えてみてください。新卒採用がスタンダードな雇用形態を崩せば、いま以上に流動化は進むわけです。弱者救済のためにより公正な職の分配を求めた結果、流動性がさらに加速してしまうというパラドクスが存在します。経済的に流動化する点については失業保険や再就職支援の政策でカバーできますが、問題は流動化が赤木さんのような人に与える情緒的な影響です。こればかりは所得や職の分配では対処できない。この問題に対する回答はわたしにはありません。
     単純な話です。
     バブル以前の経済成長による利益を得た世代から、金を取りあげて、ポストバブル世代に回せばいいだけの事です。
     問題は流動化そのものではなく、あるところだけが下流に流され固定化され、あるところは上流で固定するというのが問題なのですから、ならば上流から下流に金を流す仕組みを作ればいいだけの話です。
     多くの弱者男性にとって、自分の立場は弱者に固定されてしまっているのですから、流動化を否定する必然性はありません。カタカナウヨクはそういうことを利用し、若者をオルグしています。「流動性の高い社会であってこそ、初めて君たちが正当に評価されるのだ」と、嘘を吹き込んでいます。
     その一方で左傾論壇は「流動化は良くないのだ」とは言いますが、それだけです。具体的に弱者男性がどうすれば救われるのかなど、サッパリ考えてもいない。これでは弱者男性がカタカナウヨクの尖兵になって、バックラッシュに走るのは必然です。流動化を否定したところで、弱者男性の立場が良くなるわけじゃないんだから。
    >わたしは経済構造の変化を見たうえで、社会保障制度を改革することで新たな経済構造においても人々の生活が守られるような政策をかんがえているのです。社会制度をいまのまま放置しておいて倫理的に「お前らみんな仕事によって自分ひとりを支えろ」と言っているわけではない。
     それが、もう10年前に提言されて、今だまったく実現の兆しもなんにもない「ワークシェアリング」ですか?
     そりゃ、赤城山の埋蔵金か、M資金か、祭りの屋台の当たりクジみたいなものですね。
    >> ならば、「強者が弱者を養うべき」という道徳的強要をもって、強者と弱者の
    >> カップリングを発生させ、必要な再配分を行なうしかありません。
    >何度も言うように、それがダメなのです。
    >第一に、強者だって弱者を養うにはそれなりの見返りを要求するはずで、道徳的強要くらいで弱者と結婚するわけがありません。したがって解決にはなりません。
     強者は既に「弱者から奪いとっている」存在なので、現状そのものが見返りを受けている立場なのです。
     それを弱者に返さないというのは、ネオコンの言い分ですね。
    >第二に、仮にそうした道徳的強要が成功したとしても、強者と弱者の比率が問題となります。自分だけを養えるだけでは足りずに、一家を自分一人の収入で養えるような強者は、若者世代ではかなり数が限られます。それに対して養われる側の弱者は多いため、ちっとも解決になりません。
     「ワークシェアリング」では、もっと解決になりません。
    >第三に、それに加えて女性差別が根強く残る現状では「強者(家族を養えるだけの収入を持つ人たち)」の集団が圧倒的に男性に偏っています。つまり、弱者女性は救われるかもしれないけれど弱者男性はごく一部しか救われない。それでいいんですか?
     そもそも「女性差別が根強く残る」というあなたの言い分をを信じていません。
     また、現状のままなら死を選ぶしかない弱者男性が、それによってわずかでも救われるなら、それでいいじゃないですか。弱者が100いるとして、100全員が死ぬのと、10は助かって90は死ぬという2つの選択肢があるとすれば、私は迷わず後者を選びますよ。あなたは前者を選ぶようですが。
    >もし「道徳的強要」とやらにそんなに効果があるのであれば、カップリングと言わずに強者に二人三人と大勢の弱者を養わせればいいじゃないですか。それはすなわち、高額所得者の税金を上げてベーシックインカム制度を導入するということです。強者にしたって、「道徳的要請」とやらで無理矢理弱者を家族として迎え入れるよう強要されるよりは、その分税金として取られた方がマシなはず。あるいは、ワークシェアリングによって正社員が独占している権益をパート労働者や派遣労働者などにも分配するということも考えられます。
    >しかし、そのようなことを書いた途端、赤木さんは嘲笑するかのような態度を見せました。まったく解せません。
     結局、私があなたの話に頭を抱えてしまうのは、そうした左傾的労働施策が、これまで言われるだけ言われておいて、まったく実現する兆しが見えていないどころか、実現を待っている間にどんどん格差が広がってしまっているという現状を、あなたが理解していないからです。
     要は、1990年代からの左傾的言論、特にバブル崩壊を目の当たりにしての経済の平等論は、とうの昔に敗北してるってことですよ。
     そして、それ以前の「女性」「部落」「民族」という左翼言論も、高度経済成長によって金銭が潤沢に行き渡ることによって、問題そのものが消失しているのです。
     にもかかわらず、今だにそうした過去の問題だけをほじくり返して、さも現代社会にとっての重要な問題に対する提言を行なっているように思っているから、あなたや『バックラッシュ!』を支持する連中は滑稽なんですよ。
     あなたたちはいつまで過去の左翼の栄光にしがみつくつもりなんですか?
     そろそろどっかに出ていっていただけませんかね? 邪魔なんですけど。
    >わたしはネオリベでもリバタリアンでもなくロールジアン・リベラリストです。「道徳的強要」ではなく社会政策による経済的弱者の包摂と、実りのある労働機会の再分配を主張しています。
     言うだけならタダです。
     弱者に対して「何もしていない」と嫌味を言うくらいなら、強者であるあなたがたが実行するべきでしょう。
     特に社会学者先生あたりは、そうした義務を負っているはずです。
    >> 現にその社会集団は弱者なのですから、弱者として扱うべきなのです。
    >
    >そう言われると唖然とするのですが、弱者として扱わなかったことが一度でもありますか? わたしは一貫して「弱者男性の包摂は必要」という前提で「弱者男性」論の語られ方(それが他の弱者の存在を無視することなど)を批判しているのです。
     弱者だけど、優先順位が下位なんでしょ。
     被差別比例代表第1位や2位の女性に比べて、男性弱者は比例代表256位ぐらいですか?
    >> 先にも書いたように「我々はかつて被差別者だったのだから、一生弱者なの
    >> だ」と、パレスチナ侵攻を延々くり返すシオニズムとまったく同じ考え方です。
    >それは正反対です。「自分は弱者なのだから」と、別の面で自分が強者としてふるまっていることや、他にも様々な弱者がいることに全く無頓着になっているあなたこそその例えにふさわしい。
     その言葉はそのまんまお返しします。
     かつての左翼文脈でしかない色付き弱者だけを弱者と見て、現在の急激な経済体制の変化の中で生まれた男性弱者というクリティカルな問題から目を背ける人間に、リベラルを名乗る資格などありません。

  23. 赤木智弘 Says:

    ともみ さんへ
    >赤木さんのいう「強者女性」というのは、バブル以前就職組女性を指すようですが、均等法以前就職の大部分の大卒女性の就職状況は氷河期なんてものじゃないくらい厳しかったわけですね。「4大卒」というだけで企業での職に多くの場合、応募することすらできなかったわけですから。短大卒や高卒で企業に採用された女性たちの多くが「肩たたき」にあっていた可能性も高く、続けていても給料がそう上がるわけでもない。彼女たちを「強者女性」と呼ぶのは無理があります。
     だから、そういう時代においては、女性は男性に扶養されるのが普通で、男性も家族を養えるだけの給料を貰っていたんでしょうに。当時、夫に養われた専業主婦が、経済的理由で「あと何年生きられるか分からない」ということを悩んだりしないでしょう、普通。それは彼女たちが強者だからです。かつての右肩上がりの経済状況においては、ほとんどの人が強者でいられたのです。
     私は弱者男性が仕事を得られないことではなくて、弱者男性が社会に居所がないことを問題にしています。
     だから、仕事の有無は関係ないという意味で、「専業主夫になりたい」という話を入れ込んでるんですよ。それを勝手に「仕事か専業主夫か」という話にされて、こっちは迷惑しています。
    >要するに、「強者女性」カテゴリーにはまるような人たちって、ものすごく少ないわけですよ。その人たちが、仮に「弱者男性」と結婚して養ったとしても、ほんの少数の話。あぶれる「弱者男性」は続出するはず。何ら問題の根本的な解決にはならないと思いますが。
     少なかろうが多かろうが、今のままでは弱者男性は死を選ぶしかなくなります。
     差別主義者のmacskaさんへの返信にも書きましたが、弱者男性がほぼ100%死ぬしかない方法論と、弱者男性の10%ぐらいは救えるかもしれない方法論のどっちを取るのかということです。
     根本的な解決方法でないことを理由に、その場で可能な解決法をとらない、もしくはとることを非難するなど、強者の思い上がりもいいところです。

  24. 深夜のシマネコBlog Says:

    『バックラッシュ!』非難の本質とは?(その1)
    ●「成城トランスカレッジ!」によると、私が火をつけた(と自慢してもいいだろう)「…

  25. macska Says:

    > 逆にリストラの可能性もありますが、それはフリーターも同じですし、
    > 使い捨てと社会に認識されているぶん、フリーターのほうがリスクも
    > 高いのです。
    フリーターが苦しい思いをしていることを、ここの掲示板に書き込んでいる人は誰も否定していません。そして、それに対して具体的にどうすればいいかということを、あなたと同じくらい真剣に考えています。しかしあなたは、自分が属する集団以外の苦しみに何ら思いを致さず、逆にかれらが受けている抑圧の存在をなかったことにしたり、攻撃したりしている。そのことが非難されているのです。分かりませんか?
    > フリーターはあなたのような自己責任論者によって、不当に貶められています。
    赤木さん、わたしがいつ自己責任論を主張しましたか? わたしがいつフリーターを不当に貶めましたか? このような不当な言いがかりはやめていただきたい。わたしの書いたものを読めば分かる通り、わたしは社会政策を通じた「弱者男性(及びその他の経済的弱者)」の救済を主張しており、そうした主張は明らかに「自己責任論」とは反対のものです。「自分の意見に反対=自己責任論者、フリーターの敵」とみなすのは間違いです。「あなたのような自己責任論者によって、不当に貶められています」という部分を撤回してください。
    > だから俺は「主夫にしろ!」って言ってるんですよ。
    まず、わたしは「主夫に対する社会的なスティグマや偏見」については反対の立場を表明しています。しかし、主夫を養えるほどの収入がある「強者女性」は非常に少ないですし、「フリーターを差別するな」「主夫を差別するな」とは言えても「弱者男性と結婚しろ」ということを強要することはできません(強者男性が弱者女性と結婚するのは、別に弱者女性を救済するために善意でやっているわけではありません)。
    しかも、赤木さんの案ではもし完全に成功したとしても、ごく一部の弱者男性しか救われない。それじゃ困るわけです。100%というのは難しくても、かれらの大多数を救えるような仕組みを作るべきでしょう? そのためには、例えばベーシックインカムなり、政府の規制を通した正社員とフリーターやパートタイマーや派遣社員との待遇格差是正などが必要とされるわけです。
    わたしの主張は、ですから「弱者男性」への差別でも自己責任論でもなく、赤木さんの案よりすぐれた社会政策だと思っています。が、もちろん赤木さんは「そんなの非現実的だ、自分の案の方がすぐれている」と思うかもしれません。それは構わないのですが、自分の案の方がすぐれていると思うからといって、相手の案を「差別」だとか「自己責任論」だと歪曲しないで欲しいです。
    > そんなに現実的なら、なんで今なお真っ当なワークシェアリングが実現さ
    > れず、むしろ格差社会が広がっているという現実があるんでしょうか?
    赤木さんのおっしゃる通り、現在新自由主義勢力が政治において影響力を増しており、それに対しリベラル勢力がうまく対抗しかねているという現実があります。もし社会の過剰流動化によって苦しんでいる人や不安を抱いている人たちが大挙して、そうした状況を生み出している経済構造を改革するような政策を支持する政党に投票すれば、さぞ弱者の救済が進んでいたでしょう。
    しかし現実には、多くの人は「弱者である自分はこんなに苦しんでいるのに、向こうの(別の)『弱者』はあんなに手当てを受けていて不当だ!」というように吹き上がって「救済反対派」「自己責任派」の政治家に投票することで、自らの首を絞めてしまっているのです。「弱者男性」がフェミニズムに対するバックラッシュに加担する、というのはこの典型的な一例ですね(もちろん、逆に女性として差別を受けた人の中でフリーターを叩く人もおり、わたしはかれらも批判しています)。
    > 結局、ネオリベ政府がそのような正当な再配分を実行することは期待できず。
    > さらにネオリベ左翼も自身の利益の為に正当な再配分を実行する気などない。
    > ならば、たった一人の女性の合意さえあれば実現できる「女性が男性を養う
    > 方法」の現実性の方が高いというのは、極めて真っ当な論理です。
    なるほど、左翼的な論客と言われる人たちが、「弱者」を食い物にして商売をやってきたというのはその通りだと思います。だから政治運動を通した社会政策の転換に希望を抱けない、自分は個別の解決として強者との結婚を望むというのもよく分かる。それは分かるから、政治運動に参加せよとか希望を持てとは言わないけれど、せめて邪魔をするのはやめてもらえないでしょうか。
    というより、社会変革の可能性を否定して個人的解決を優先するのであれば、『バックラッシュ!』や女性運動を非難して時間をムダにせずに、強者女性を口説くなり、主夫としての価値を高めるために料理を習ったりしてはどうかと。これは「自分の力でなんとか強者女性を射止めろ」という自己責任論に聞こえるかもしれませんが、論理的に言って、社会変革の可能性を否定すれば「自己責任論」(現状の社会のままで、うまく生きろ)しか残らないのです。
    > 問題は差別の度合が「フリーター(またニート等)>部落」という現状ですから。
    赤木さんは部落問題に関する認識が甘すぎると思いますし、このように差別を比較すること自体間違いです。フリーターと部落でどちらがより差別されているかと問うことは、部落出身者が就職差別を受けるためにフリーターなど不安定な立場での労働を強いられているなど、さまざまな差別が相互に影響し合うことや、一人の人が複数の差別を同時に受けることなどを忘却した議論だからです。
    > ええ、だから私はこうしてWebで、弱者男性が卑下される現状に対して、必死
    > に抵抗をしているのです。
    なるほど、赤木さんが「問題だけを声高に叫ぶことによって、本を出版したり、講演会を行なうことによって、金を得るだけ得て、その実現には全く責任を持たない」論者にならなければいいですけれどね。もちろんわたしもそうならないように気をつけます。
    それから、赤木さんは『バックラッシュ!』が教養主義によって読者を疎外しバックラッシュに駆り立てていると批判しましたが、赤木さんもわたしを「自己責任主義者」「差別主義者」と何の根拠もなく決めつけ、繰り返しそう呼ぶことで、わたしを疎外しています。だからといって「弱者男性」に対するバックラッシュに走るほどわたしは単純ではありませんが、フェミニズムが弱者男性をバックラッシュに駆り立てないように注意すべきなのと同じく、赤木さんの「抵抗」がほかの人たちを「弱者男性」へのバックラッシュに駆り立てないような注意を払うべきではないでしょうか。
    > そんなことを匿名の卑怯者であるあなたに言われたくなどありません。
    あの、わたしはあなたが読んで非難している本に実名で文章を載せていますが。
    >> どこが差別なんですか? まったく理解不能なので具体的にどこがどう差別なのか指摘してください。
    >
    > 社会状況を鑑みない自己責任論は差別そのものです。
    だから、わたしは一貫して自己責任論を批判しているのです。それなのに「自己責任論者」「ネオリベ」と決めつけて、その間違った決めつけのうえで「差別主義者」と呼ぶのはやめてください。
    > 経済行動は社会活動である以上、それはすべて人が作ったものです。特にバブル
    > の崩壊は十分な引き締め金融政策を行なわなかった当時の政府や経済界が原因で
    > す。ですからそれは当然「どうにかできる」ハズのものです。
    >  そしてそれを「どうにもしなかった」のは当時の大人であって、当時に未成年
    > であった我々が責任を取らされる必然性はまったくないのです。にもかかわらず、
    > 当事者である彼らはほとんど責任をとらず、一方的に我々に責任を押しつけてい
    > る。これを差別と言わずして、なにが差別なのでしょうか?
    それは後付けの智慧であって、経済的な変化というのはその時点ではなかなか予測ができないものです(もし予測ができるのであれば、その予測を元に投機する人があらわれ、そのため元の予測とは異なった事態が起きる)。とはいえ、今現在どうするかは「どうにかできる」問題であり、責任を追求することはできます。現在これだけ若者が安定した職を得られずに苦しんでいるのに、実権を握る世代がまともな対策を取っていないことをもって「世代による差別意識が背景にある」というなら、それには同意します。「時代による差別」という表現はおかしいと思いますが。
    > 就職や結婚だって、他人が「どうにかできる」ことです。ならば、新卒偏重をや
    > めて、かつて就職氷河期であぶれた弱者男性から優先的に雇用したり、強者女性
    > が弱者男性を養うことだってできるはずです。
    就職については、できるでしょう。就職氷河期に社会に出た世代を救済するために政府が何らかの指導力を発揮すべきというのであれば、それも良いかと思います。結婚については、個人的な問題であり国家の強制力を及ぼせる領域ではありません(部落差別を理由として結婚を拒否することも合法です)。だからこそ、国家の強制力を及ぼせない結婚についてあれこれ論じるよりは、国家の管轄下にある社会制度の変革を訴える方が有効なのです。
    > バブル以前の経済成長による利益を得た世代から、金を取りあげて、ポストバブル
    > 世代に回せばいいだけの事です。
    あのね、わたしの書いたものをよく読んでから反論してください。わたしは「経済的な不安は再分配で解決できる」と言っているじゃないですか。経済的な不安は再分配で解決できるが、経済的な要素に還元できない人々の不安や不信をどう解消するのか難しい、と言っているのです。
    > 強者は既に「弱者から奪いとっている」存在なので、現状そのものが見返りを受け
    > ている立場なのです。それを弱者に返さないというのは、ネオコンの言い分ですね。
    そうですね。でも自主的に(結婚などを通じて)返す見込みはありません。
    あるとすれば、弱者が政治行動によって高額所得者に税金という形で支出を迫ることです。それがわたしの主張。
    > そもそも「女性差別が根強く残る」というあなたの言い分をを信じていません。
    差別されているのは自分の属する集団だけだ、と言い続けるつもりですか? 酷い言い分ですね。
    > また、現状のままなら死を選ぶしかない弱者男性が、それによってわずかでも救われ
    > るなら、それでいいじゃないですか。
    「道徳的要請」によって強者女性が弱者男性との結婚を決意するという前提が成り立たなければ、わずかな弱者男性すら救われません。もちろん、自分だけは何としてでも強者女性を射止めて生き延びるというのであれば、止めはしませんが。
    > そして、それ以前の「女性」「部落」「民族」という左翼言論も、高度経済成長に
    > よって金銭が潤沢に行き渡ることによって、問題そのものが消失しているのです。
    わたしから見ると、それは「性別」「部落」「民族」といった側面において強者である(とこれまでの議論から推測します)赤木さんの、強者らしい無知と無関心の表現であるように見えます。その傲慢さは、「弱者男性」の苦しみを見て見ぬ振りする連中と何ら変わりません。
    念のために言っておくと、ここで「強者」と言ったのは「性別」「部落」「民族」という側面においてそれぞれ強者の側に立つという意味であり、赤木さんが何ら抑圧を受けていないとか、絶対的な強者であると言っているのではありません。というより、絶対的な強者なんてほとんど存在しないと思っています。ほとんどの人は、ある側面では強者の側に立ち、ある側面では弱者の側に立っているとわたしは考えています。
    > あなたたちはいつまで過去の左翼の栄光にしがみつくつもりなんですか?
    過去の栄光って、わたしが政治に関心を持つ前には既にソ連が崩壊していたので、左翼に栄光があると思った事は一度もありませんが。
    > 弱者に対して「何もしていない」と嫌味を言うくらいなら、強者であるあなたがた
    > が実行するべきでしょう。
    わたしがあなたに対して一体どのように「強者」でしょうか?
    赤木さんが口先だけの左翼論客に不信を抱いているのは分かります。しかし、わたしがその一員であると決めつけるには、あなたはわたしのことを全然知らなさすぎるのではないですか?
    > 弱者だけど、優先順位が下位なんでしょ。
    わたしは抑圧に順位はつけません。もちろん政策としては「全部を同時に」なんてできないから、ある程度順番をつけざるを得ないですが、わたしは一貫して格差問題における経済的弱者の包摂を主張していますし、経済的弱者の問題を無視した既存の運動を批判しています。疑うならば、わたしのブログの過去のエントリを読んでみてください。
    >> それは正反対です。「自分は弱者なのだから」と、別の面で自分が強者としてふるまって
    >> いることや、他にも様々な弱者がいることに全く無頓着になっているあなたこそその例え
    >> にふさわしい。
    >
    > その言葉はそのまんまお返しします。
    どうして返せるんですか?
    自分の属する集団以外は既に弱者ではないと言い張っているのはあなたでしょう? わたしが「弱者」だと思っている集団には、わたしが属していない集団もたくさんありますが、自分の属する集団の権利だけを主張するというみっともないことをわたしはやっていませんよ。
    > かつての左翼文脈でしかない色付き弱者だけを弱者と見て
    だから、勝手にあなたがそう決めつけているだけでしょ。

  26. 赤木智弘 Says:

    >フリーターが苦しい思いをしていることを、ここの掲示板に書き込んでいる人は誰も否定していません。そして、それに対して具体的にどうすればいいかということを、あなたと同じくらい真剣に考えています。
     考えるだけなら、バカでもできます。問題はそれが的確に実行されるか否かです。
     特に、この手の問題で飯を喰ってる人間は、それを実行する責務があります。
     その責務を否定したり、言い訳ばっかりするから批判されるんでしょうに。
    >しかしあなたは、自分が属する集団以外の苦しみに何ら思いを致さず、逆にかれらが受けている抑圧の存在をなかったことにしたり、攻撃したりしている。そのことが非難されているのです。分かりませんか?
     私は彼らが抑圧を受けたり攻撃されたりしている事を、なかったことになどしていませんよ。
     「彼らも抑圧や攻撃を受けているけど、我々の方がもっと抑圧や攻撃を受けている」そう言っているだけです。私が「差別がなくなった」と言っているのと、あなたが私がそう言っていると思いこんでいる「差別がなかった」では、言葉の意味がまったく違うことに気付きませんか?
     私は女性や部落や民族といった差別については、かつては反差別と言う意味で最大の論点であったことは、否定しません。
     しかし、社会の大幅な経済成長を経て、そうした差別がなくなったと言っていいほどまで縮小した現在に、かつてと同じ強度で女性、部落、民族といった問題は声高に叫ばれるのに、一方でバブル崩壊によって発生した「弱者男性」という新たな問題の根深い被差別層に対して、まったく運動の矛先が向かないことを批難しているのです。
    >> フリーターはあなたのような自己責任論者によって、不当に貶められています。
    >赤木さん、わたしがいつ自己責任論を主張しましたか? わたしがいつフリーターを不当に貶めましたか? このような不当な言いがかりはやめていただきたい。
     ここ、ここ。
    >自分は何もしないで部落出身者や女性のように長年の運動によって何かを獲得してきた人たちにイチャモンつけてばかりいるのが赤木さんです。
     「自分はなにもしないで」=「何もしないのだから自己責任だ」以外のなにものでもないでしょうに。
     毎日の時給数百円の労働で疲れ果てたなかでも、こうやってなんとか文章を書いてWebにアップしています。しかも、読んでもらえるかどうかもロクに分からない文章をですよ。
     それに対して「何もしていない」などというのは、あなたのように文章が本に掲載されるような環境を簡単に得られるあなたのような特権階級の傲慢です。
     また、これはあなたではありませんが、弱者男性論に「非モテ」という言葉をくっつける人が出てきています。これがかつての「甲斐性」と同じ論理で使われています。「甲斐性がないのは男の責任」=「非モテは男の責任」という意味で、これも自己責任論です。
     こちらはその他の選択肢がないにもかかわらず、それをさも「当人の選択の結果だ」と嘯くなら、それは自己責任論なのです。
    >しかも、赤木さんの案ではもし完全に成功したとしても、ごく一部の弱者男性しか救われない。それじゃ困るわけです。100%というのは難しくても、かれらの大多数を救えるような仕組みを作るべきでしょう? そのためには、例えばベーシックインカムなり、政府の規制を通した正社員とフリーターやパートタイマーや派遣社員との待遇格差是正などが必要とされるわけです。
     だからその格差是正とやらは、いつ行われるのかと言っているのです。
     ワークシェアリングなんていうのは、もうバブルが弾けてすぐの頃から言われてました。しかし、今だに実現の兆しは全くない、むしろ逆に格差が拡大している。その間、あなたたちは一体なにをしていたんですか?
     こっちは「いつかは格差は是正されるはずだ」という霞でもう10年なんとか希望を繋いでいるわけですよ。にもかかわらず、なんにも是正されていない。で、肝心の左傾論壇をみまわせば、今だに「女性は差別されている!!」なんて、80年代にやっていたのと同じことをやっている。
     今だに20年前の問題を当然のようにやっている連中が、現在の我々の問題に目を向けるのは、いったい何十年後なんですか?
     焼け太りの左傾論壇が、ヒマになってようやく我々の問題に目を向けた時に、私というよぼよぼのジジイが、路上でのたれ死んでいたなんてのは、勘弁願いたいですね。もっとも、その頃まで生きていられない可能性の方がはるかに高いでしょうが。
    >赤木さんのおっしゃる通り、現在新自由主義勢力が政治において影響力を増しており、それに対しリベラル勢力がうまく対抗しかねているという現実があります。もし社会の過剰流動化によって苦しんでいる人や不安を抱いている人たちが大挙して、そうした状況を生み出している経済構造を改革するような政策を支持する政党に投票すれば、さぞ弱者の救済が進んでいたでしょう。
     でも、そういう政党を支持する人間が、あなたのような差別主義者とか、今だに20年前の問題(男女や部落や民族)を声高に叫んでいるような時代遅れの連中なわけです。そりゃ、自公に票が集まってしまうのは当然ですよ。私自身は一生懸命、共産党あたりを中心に、野党に票を入れ続けてますが。まぁ、自民絶対安全県の栃木じゃ空しいだけです。
    >なるほど、左翼的な論客と言われる人たちが、「弱者」を食い物にして商売をやってきたというのはその通りだと思います。だから政治運動を通した社会政策の転換に希望を抱けない、自分は個別の解決として強者との結婚を望むというのもよく分かる。それは分かるから、政治運動に参加せよとか希望を持てとは言わないけれど、せめて邪魔をするのはやめてもらえないでしょうか。
     そもそもは、格差是正がちゃんと行なわれていればいいだけの話です。
     それが誰かさんたちの「邪魔」のおかげでまったく期待できないからこそ、「専業主夫」などというねじ曲がった論理を私が言い出さなければならなかったし、『バックラッシュ!』を非難しなければならなかったのです。
    >というより、社会変革の可能性を否定して個人的解決を優先するのであれば、『バックラッシュ!』や女性運動を非難して時間をムダにせずに、強者女性を口説くなり、主夫としての価値を高めるために料理を習ったりしてはどうかと。これは「自分の力でなんとか強者女性を射止めろ」という自己責任論に聞こえるかもしれませんが、論理的に言って、社会変革の可能性を否定すれば「自己責任論」(現状の社会のままで、うまく生きろ)しか残らないのです。
     料理はやりますよ。せっかくなので料理でブログ一本立ち上げようと思っています。
     あと、強者女性と知り合う機会がないので、ぜひ身近にいれば紹介していただけませんかね。
    >> 問題は差別の度合が「フリーター(またニート等)>部落」という現状ですから。
    >赤木さんは部落問題に関する認識が甘すぎると思いますし、このように差別を比較すること自体間違いです。
     運動に関わることのできるマンパワーが限られてしまうことを考えれば、差別もその度合に応じた緊急度を設定することは、必要なことだと考えます。
     また、たとえば「早稲田大学のビラ配り逮捕事件」などという、必要性のまったく無いところに人があつまってしまうような左翼の悪癖は、期待を失墜させること大ですので、こうした事をなくすためにも、まず必要なところを明確に認識し、そこに人が集まるのが当然だという意識がなければなりません。
    >フリーターと部落でどちらがより差別されているかと問うことは、部落出身者が就職差別を受けるためにフリーターなど不安定な立場での労働を強いられているなど、さまざまな差別が相互に影響し合うことや、一人の人が複数の差別を同時に受けることなどを忘却した議論だからです。
     本当に部落の人は、部落でない人と比較して、フリーターなどの不安定な立場での労働を強いられている割合が高いのですか? その辺はちゃんと調べてもらわないと。
     先日引用した「A君」の例は、彼が部落民であったために、身近にこうした問題を相談でき、さらに利益を共有する人々がいたために、運動を起すことができ、無事固定給20万円という、我々弱者男性からしたら夢のような高給を得ることができたという話でした。こういう例は極めて数少ない一部の話なのでしょうか?
    >それから、赤木さんは『バックラッシュ!』が教養主義によって読者を疎外しバックラッシュに駆り立てていると批判しましたが、赤木さんもわたしを「自己責任主義者」「差別主義者」と何の根拠もなく決めつけ、繰り返しそう呼ぶことで、わたしを疎外しています。だからといって「弱者男性」に対するバックラッシュに走るほどわたしは単純ではありませんが、フェミニズムが弱者男性をバックラッシュに駆り立てないように注意すべきなのと同じく、赤木さんの「抵抗」がほかの人たちを「弱者男性」へのバックラッシュに駆り立てないような注意を払うべきではないでしょうか。
     なるほど、私はあなたの文章を「弱者男性は黙って寝てろ」ということだと受け取りました。ネズミやゴキブリだって、自分が殺される状況になったら抵抗するでしょう。弱者男性はそれ以下の立場なのですね。
    >> そんなことを匿名の卑怯者であるあなたに言われたくなどありません。
    >あの、わたしはあなたが読んで非難している本に実名で文章を載せていますが。
     ああ、そうなんですか。
     だったらBlogも実名でやればいいのに。
     私が、かつて「東天王ポチ」と名乗っていたのを、特徴的な部分をそのまま残して「東天王ヨブ」とし、さらに本名に変える時も、しばらくは「赤木智弘(=東天王ヨブ)」として、
    >>> どこが差別なんですか? まったく理解不能なので具体的にどこがどう差別なのか指摘してください。
    >> 社会状況を鑑みない自己責任論は差別そのものです。
    >だから、わたしは一貫して自己責任論を批判しているのです。それなのに「自己責任論者」「ネオリベ」と決めつけて、その間違った決めつけのうえで「差別主義者」と呼ぶのはやめてください。
     間違った決めつけではありません。あなたに自覚がないだけです。
    >就職については、できるでしょう。就職氷河期に社会に出た世代を救済するために政府が何らかの指導力を発揮すべきというのであれば、それも良いかと思います。結婚については、個人的な問題であり国家の強制力を及ぼせる領域ではありません(部落差別を理由として結婚を拒否することも合法です)。だからこそ、国家の強制力を及ぼせない結婚についてあれこれ論じるよりは、国家の管轄下にある社会制度の変革を訴える方が有効なのです。
     有効というなら(以下略)
    >> バブル以前の経済成長による利益を得た世代から、金を取りあげて、ポストバブル
    >> 世代に回せばいいだけの事です。
    >あのね、わたしの書いたものをよく読んでから反論してください。わたしは「経済的な不安は再分配で解決できる」と言っているじゃないですか。経済的な不安は再分配で解決できるが、経済的な要素に還元できない人々の不安や不信をどう解消するのか難しい、と言っているのです。
     少なくとも若者の不安の99%は金銭で解決できるものです。
     逆にその他の1%については、政策でどうこうできるものではありません。
     どうも、あなたは「金銭」というものに対して、極めて軽くしか考えてないようです。そのあたりの問題は私のエントリー「問題は「金」という言葉が有するイメージ」をご覧ください。
     すなわち、給料を当たりまえに受け取っている強者にとって、給料をロクに受け取れない弱者の問題などまったく想像の外にある。という話です。だからこそ若者に金を与える右翼に、あなたたちは絶対に勝てないのです。
    >「道徳的要請」によって強者女性が弱者男性との結婚を決意するという前提が成り立たなければ、わずかな弱者男性すら救われません。もちろん、自分だけは何としてでも強者女性を射止めて生き延びるというのであれば、止めはしませんが。
     そういうことをしないのならば、男性弱者は安直に右傾勢力と手を結び、バックラッシュによって女性を社会から追い出す事を考えるでしょう。また、社会全般から人を追いだすためには、戦争もいい手法です。人が死ねば当然マンパワーは貴重になり、弱者男性が社会に入り込める可能性は高くなるからです。最近は復興の時代が素晴らしい時代として語られてますし、自尊心を求めて、そうした時代に憧れる弱者男性も多いでしょう。もちろん戦争になってしまえば弱者男性も死ぬ可能性は高いのですが、今のままでは死んでいるのと変わりませんし。
     弱者男性と結婚するよりは、そうした勢力と対峙するほうがマシだというなら止めはしませんが、男女平等や平和を叫ぶなら、そうしたバックラッシュ勢力を取り込む方法を考えておかないといけません。『バックラッシュ!』という本は、そういう勢力を取り込むどころか無視して、彼らを激昂させるだけの存在です。
    >> そして、それ以前の「女性」「部落」「民族」という左翼言論も、高度経済成長に
    >> よって金銭が潤沢に行き渡ることによって、問題そのものが消失しているのです。
    >わたしから見ると、それは「性別」「部落」「民族」といった側面において強者である(とこれまでの議論から推測します)赤木さんの、強者らしい無知と無関心の表現であるように見えます。その傲慢さは、「弱者男性」の苦しみを見て見ぬ振りする連中と何ら変わりません。
     問題のすり替えですね。
     程度の問題だと言っているのを、勝手にゼロサムゲームに置き換えてしまっている。
    >念のために言っておくと、ここで「強者」と言ったのは「性別」「部落」「民族」という側面においてそれぞれ強者の側に立つという意味であり、赤木さんが何ら抑圧を受けていないとか、絶対的な強者であると言っているのではありません。というより、絶対的な強者なんてほとんど存在しないと思っています。ほとんどの人は、ある側面では強者の側に立ち、ある側面では弱者の側に立っているとわたしは考えています。
     つまり、強権力者も「ある側面では弱者」である以上、誰に対しても「我々は弱者である」という主張を許さないということですね?
     だったら、女性が弱者だのいうのはやめなさいな。
    >> 弱者に対して「何もしていない」と嫌味を言うくらいなら、強者であるあなたがた
    >> が実行するべきでしょう。
    >わたしがあなたに対して一体どのように「強者」でしょうか?
    >赤木さんが口先だけの左翼論客に不信を抱いているのは分かります。しかし、わたしがその一員であると決めつけるには、あなたはわたしのことを全然知らなさすぎるのではないですか?
     少なくとも、今までのもののいいようで、それなりに分かりますよ。
     結局のところ、今までの失敗した「あんなこといいな、できたらいいな」レベルの政策を口にして、なんら実質を動かすつもりはないんだから、いわゆる左翼論客とレベル的に一緒です。
    >わたしは抑圧に順位はつけません。もちろん政策としては「全部を同時に」なんてできないから、ある程度順番をつけざるを得ないですが、わたしは一貫して格差問題における経済的弱者の包摂を主張していますし、経済的弱者の問題を無視した既存の運動を批判しています。疑うならば、わたしのブログの過去のエントリを読んでみてください。
     職業にしろ、金銭にしろ、全体のパイがある程度決定されている以上、優先順序の設定は必要不可欠です。
     たとえば最近「ワーキングプア」なんて言葉が流行っていますが、どう考えてもあの言葉で救われるのは、「商店などで働いているお年寄り」や「シングルマザー」といった優先順位トップクラスの連中であって、我々男性弱者は救われそうにありません。
     そう考えるのも、それまで一貫してなにかと救済の手が差し伸べられるのは「年寄り」「女性」「子供」という優先度が不文律ながら明確に決まっているからであり、「ワーキングプア」という言葉も、明確に救うべき優先順位を決めない限り、その不文律が有効であることは間違いないからです。
     そして、あなたのように「わたしは一貫して格差問題における経済的弱者の包摂を主張しています」なんていうのは、それこそ「弱者男性なんか後回し」という宣言に他なりません。あなたがそのような主張を明確にするかぎり、それは現在サヨクの差別思想をハッキリと受け継いだ「弱者男性差別主義論者」の振る舞いに他ならないのです。
    >>> それは正反対です。「自分は弱者なのだから」と、別の面で自分が強者としてふるまって
    >>> いることや、他にも様々な弱者がいることに全く無頓着になっているあなたこそその例え
    >>> にふさわしい。
    >> その言葉はそのまんまお返しします。
    >どうして返せるんですか?
     上記の通りです。
    P.S. かなり長くなったので、ひとまず私が必要ないと思った部分はバッサリ削りました。しかし、あなたが必要な部分だと思えば、復活させてもかまいません。

  27. macska Says:

    赤木智弘さん:
    > 考えるだけなら、バカでもできます。問題はそれが的確に実行されるか否かです。
    はい、だから考えた内容が現実的ではないとか、間違っているとかいう指摘ならどんどん行うべきです。しかしあなたは、自分と意見が違うというだけで「弱者男性のことを考えていない」差別主義者だと決めつけています。それがおかしいと言っているのに対して「考えるだけならバカでもできる」というのは話を逸らしているだけであり、言い訳にすらなっていません。
    > 特に、この手の問題で飯を喰ってる人間は、それを実行する責務があります。
    > その責務を否定したり、言い訳ばっかりするから批判されるんでしょうに。
    そうですね。そういうことはわたしではなく「この手の問題で飯を喰っている人」に言ってください。
    > 私は彼らが抑圧を受けたり攻撃されたりしている事を、なかったことになどしていませんよ。
    なるほど、しかし「なくなったと言っていいほどまで縮小した」とは言っていますね。いまの社会で「なくなってもいい」と言えない差別は弱者男性に対するものだけだと。要するに、自分が属する層に対する差別だけが重大だという、自分勝手な考え方です。
    わたしは、「弱者男性」の苦しみはどうでもいいとは言っていない。このコメント欄に書いている他の人も誰も言っていない。それも重要であり、他のさまざまな差別も重要だと言っている。自分の苦しみだけが重大で、その他の差別は「なくなったと言っていいほどまで縮小した」というおかしなことを言っているのは赤木さんだけです。それに対し、赤木さんは「弱者男性の苦しみが分からないのか」と延々と述べている。反論になっていません。
    >> 赤木さん、わたしがいつ自己責任論を主張しましたか?
    >> わたしがいつフリーターを不当に貶めましたか?
    >
    > ここ、ここ。
    >
    >> 自分は何もしないで部落出身者や女性のように長年の運動によって
    >> 何かを獲得してきた人たちにイチャモンつけてばかりいるのが赤木
    >> さんです。
    >
    > 「自分はなにもしないで」=「何もしないのだから自己責任だ」以外の
    > なにものでもないでしょうに。
    全然違います。言ってもいないことを勝手に付け足して「あなたは自己責任主義者だ、ネオリベだ」と決めつけないでください。「なにもしない」からといって差別や抑圧を受けるいわれはありません。「なにもしない」人は差別や抑圧を甘んじて受けて当然だと言えば自己責任論ですが、わたしはそうは言っていない。
    現実に差別と闘ってきた人たちは、「なにかをする」義理があるわけじゃないけれど、実際に「なにかをすることで」物事を変えてきたわけですね。「なにもしない」で待っていたら勝手に物事が変わったわけではない。赤木さんがそれを無視して、「なにかをすることで」物事を変えてきた人たちを中傷することに反論しているのです。
    > それに対して「何もしていない」などというのは、あなたのように文
    > 章が本に掲載されるような環境を簡単に得られるあなたのような特権
    > 階級の傲慢です。
    一度や二度本に文章が掲載されただけで特権的な環境にいると判断しないでください。環境という意味では、あなたと同じように誰に読まれるという保証もないブログで自分の考えを書いていたらたまたま原稿を頼まれたというだけであり、あなたより有利な立場に立っているわけではありません。
    > こちらはその他の選択肢がないにもかかわらず、それをさも「当人の選
    > 択の結果だ」と嘯くなら、それは自己責任論なのです。
    全くその通り。そして、わたしは一切そういうことを書いていないので、自己責任論者と呼ぶのはやめていただきたい。
    > だからその格差是正とやらは、いつ行われるのかと言っているのです。
    > ワークシェアリングなんていうのは、もうバブルが弾けてすぐの頃から言われてました。
    > しかし、今だに実現の兆しは全くない、むしろ逆に格差が拡大している。その間、あな
    > たたちは一体なにをしていたんですか?
    赤木さんは何か勘違いされているのかもしれませんが、どうしてあなたは受動的に他人の責任だけをそのように追求できる身分だと思っているのですか? 格差を拡大させないために、わたしはいろいろ頑張っている。あなたも、まぁブログに文章を書くくらいには頑張っている。それなのに、結果についてどうしてあなたが一方的にわたしを責めることができると思っているんですか? わたしは政治家でも役人でもないんですよ?
    > 焼け太りの左傾論壇が、ヒマになってようやく我々の問題に目を向けた時に、私という
    > よぼよぼのジジイが、路上でのたれ死んでいたなんてのは、勘弁願いたいですね。
    そうなってはいけないと思っていますが、どうしてそれが一方的にわたしの責任になると考えているのですか? もちろん、一市民としての責任ならわたしにもありますよ。でもそれなら、あなたにも同等の責任があるでしょ?
    > 料理はやりますよ。せっかくなので料理でブログ一本立ち上げようと思っています。
    > あと、強者女性と知り合う機会がないので、ぜひ身近にいれば紹介していただけませんかね。
    よく玉の輿に乗るためには女性はゴルフを覚えればいいとか言いますが、弱者男性も強者女性と趣味を通じて知り合うという方法が良さそうですね。ちょっと費用がかかってしまいますが、フィットネスクラブあたりが弱者女性にとってのゴルフ場に相当するかもしれません。わたしの身近には、一家を養えるだけの収入のある女性はあんまりいないですね。
    > 運動に関わることのできるマンパワーが限られてしまうことを考えれば、差別も
    > その度合に応じた緊急度を設定することは、必要なことだと考えます。
    なるほど。そしてその緊急度というのは、あなた一人が決めてその他大勢が従うべきだと言うんですか? そうじゃないですよね。それぞれの人が自分の中で何が重要かを決めるべき。その際、あらかじめ自分が興味を持っていることだけではなく、広くさまざまな問題に心を開いておくべきですが、最終的に何が重要かはそれぞれの人がいろいろな問題についてしっかり考えたうえで決めることです。
    ところがあなたは、女性問題や民族問題など「弱者男性以外」の問題を重視する人たちを、一方的に時代遅れであるとか差別主義者であるとか決めつけています。「自分が属する集団」の問題だけが最重要で、他のことは「なくなったと言ってもいい」程度の緊急度の低い問題でしかないと。そうした傲慢な態度は、さまざまな反差別運動のあいだで柔軟に協力するということをまったく不可能にしてしまいます。
     また、たとえば「早稲田大学のビラ配り逮捕事件」などという、必要性のまったく無いところに人があつまってしまうような左翼の悪癖は、期待を失墜させること大ですので、こうした事をなくすためにも、まず必要なところを明確に認識し、そこに人が集まるのが当然だという意識がなければなりません。
    > なるほど、私はあなたの文章を「弱者男性は黙って寝てろ」ということだと受け取りました。
    わたしはそのようなことは言っていませんし、言うわけがありません。追いつめられた人たちが抵抗するのは人間として当たり前のことであり、弱者男性だって例外ではないでしょう。しかしあなたは、現に「弱者男性以外の『弱者』は、差別なんてほとんどなくなったと言って良いくらいになったのだから、弱者男性の問題だけを最優先に取り上げろ」と言っています。そんな言い方が通用するわけがありません。
    >> だから、わたしは一貫して自己責任論を批判しているのです。それなのに「自己責
    >> 任論者」「ネオリベ」と決めつけて、その間違った決めつけのうえで「差別主義者」
    >> と呼ぶのはやめてください。
    >
    > 間違った決めつけではありません。あなたに自覚がないだけです。
    自覚なく差別していると言うなら、実際にわたしが書いたことを元にそう指摘してください。「わたしはあなたの文章を〜という意味に受け取りました」と勝手に奇妙な解釈をしたうえで、従ってあなたは差別主義者なのだと言われても、それはわたしとは全く関係のないことです。
    > すなわち、給料を当たりまえに受け取っている強者にとって、給料をロクに受け取れ
    > ない弱者の問題などまったく想像の外にある。という話です。
    なるほど、ありがちな話ですが、それが今の議論にどう関係するのですか?
    > だからこそ若者に金を与える右翼に、あなたたちは絶対に勝てないのです。
    右翼ってお金くれるんですか? だったらわたしも欲しいなぁ。
    >> 「道徳的要請」によって強者女性が弱者男性との結婚を決意するという前提が成り立
    >> たなければ、わずかな弱者男性すら救われません。もちろん、自分だけは何としてで
    >> も強者女性を射止めて生き延びるというのであれば、止めはしませんが。
    >
    > そういうことをしないのならば、男性弱者は安直に右傾勢力と手を結び、バックラッシュ
    > によって女性を社会から追い出す事を考えるでしょう。
    なるほど、わたしが
    >> 多くの人は「弱者である自分はこんなに苦しんでいるのに、向こうの(別の)『弱者』
    >> はあんなに手当てを受けていて不当だ!」というように吹き上がって「救済反対派」
    >> 「自己責任派」の政治家に投票することで、自らの首を絞めてしまっている
    と言っていた通りということですね。分析の正しさを示す例となってくださって、ありがとうございました。
    > 弱者男性と結婚するよりは、そうした勢力と対峙するほうがマシだというなら止めは
    > しませんが、
    結婚ではなく、社会的な再分配によってそうした勢力を包摂すべきだと考えます。既に何度も指摘している通り、仮に強者女性の全てが赤木さんの提案を受け入れたとしても、弱者男性のうちごく一部しか救われません。ということは、「弱者男性」の中に新たに「強者女性に養われる層」と「強者女性との結婚からも見放された層」が生まれるだけです。そのような中途半端でありえない方法よりは、社会政策による包摂の方が良いでしょう。
    赤木さん個人の救済ということなら、一人でも合意してくれる強者女性がいれば良いわけですから、それで十分かもしれません。しかし赤木さん一人が救済されたところで、弱者男性がバックラッシュと手を結ぶという状況は解決されない。それを解決するには、再分配するしかないでしょう?
    > 男女平等や平和を叫ぶなら、そうしたバックラッシュ勢力を取り込む方法を考えておか
    > ないといけません。『バックラッシュ!』という本は、そういう勢力を取り込むどころ
    > か無視して、彼らを激昂させるだけの存在です。
    『バックラッシュ!』の中で、宮台氏のインタビューと鈴木氏の論文はまさに「そういう勢力をどう取り込むか」ということがテーマなわけです。それを読んだうえで、読者がそれぞれ「弱者男性」を取り込むような実践を考えれば良いのでは。
    『バックラッシュ!』そのものは、「どう取り込むか」を論じて入るけれど、取り組もうとする実践そのものではありません。そのことは宮台さんがきっちり書いています。しかし、もし赤木さんの言うように男女平等や平和を叫ぶ勢力が弱者男性の取り込みをしっかり考えていないのであれば、かれらに向けて書かれた書籍において「弱者男性を取り込むべきだ」という分析が書かれることは良いことなのではないですか? それを「そういう勢力を無視して、激昂させるだけ」と言うのは、単に赤木さんが本をきちんと読めないだけではないのですか?
    >>> そして、それ以前の「女性」「部落」「民族」という左翼言論も、高度経済成長に
    >>> よって金銭が潤沢に行き渡ることによって、問題そのものが消失しているのです。
    >> わたしから見ると、それは「性別」「部落」「民族」といった側面において強者で
    >> ある(とこれまでの議論から推測します)赤木さんの、強者らしい無知と無関心の
    >> 表現であるように見えます。その傲慢さは、「弱者男性」の苦しみを見て見ぬ振り
    >> する連中と何ら変わりません。
    >
    > 問題のすり替えですね。
    > 程度の問題だと言っているのを、勝手にゼロサムゲームに置き換えてしまっている。
    このようなことを書かれると、「この人は他人の文章を読む能力があるのだろうか」「ゼロサムゲームという言葉の意味を分かっているのか」と考えざるをえません。
    >> 念のために言っておくと、ここで「強者」と言ったのは「性別」「部落」「民族」
    >> という側面においてそれぞれ強者の側に立つという意味であり、赤木さんが何ら抑
    >> 圧を受けていないとか、絶対的な強者であると言っているのではありません。とい
    >> うより、絶対的な強者なんてほとんど存在しないと思っています。ほとんどの人は、
    >> ある側面では強者の側に立ち、ある側面では弱者の側に立っているとわたしは考え
    >> ています。
    >
    > つまり、強権力者も「ある側面では弱者」である以上、誰に対しても「我々は弱者で
    > ある」という主張を許さないということですね?
    全然違います。
    わたしたちの誰もが「ある側面で強者」であり、「ある側面で弱者」なのだから、自分が強者である側面についてはそのことを自覚して問題是正のために努力しつつ、自分が弱者である面については正当な権利として是正を要求していくべきだと言っているのです。
    どの運動を見ても、後者の主張ばかりはするけれど、前者は忘却しているというケースがあります。赤木さんも、現在までのところそうした類型どおりの言動をしているわけで、既存の反差別運動の一番ダメな部分のマネをしないで欲しいなぁと思っているのです。
    >> わたしがあなたに対して一体どのように「強者」でしょうか?
    >> 赤木さんが口先だけの左翼論客に不信を抱いているのは分かります。
    >>
    >> しかし、わたしがその一員であると決めつけるには、あなたはわたしのことを全然
    >> 知らなさすぎるのではないですか?
    >
    > 少なくとも、今までのもののいいようで、それなりに分かりますよ。
    だから、何がどう分かるんですか? 言ってくださいよ。
    > 結局のところ、今までの失敗した「あんなこといいな、できたらいいな」レベルの政
    > 策を口にして、なんら実質を動かすつもりはないんだから、いわゆる左翼論客とレベ
    > ル的に一緒です。
    どうして「実質を動かすつもりはない」と言い切れるのですか?
    あなたの考えに同調しないというだけでそのように決めつけられてはたまりません。
    > そして、あなたのように「わたしは一貫して格差問題における経済的弱者の包摂を主
    > 張しています」なんていうのは、それこそ「弱者男性なんか後回し」という宣言に他
    > なりません。あなたがそのような主張を明確にするかぎり、それは現在サヨクの差別
    > 思想をハッキリと受け継いだ「弱者男性差別主義論者」の振る舞いに他ならないのです。
    つまり「弱者男性だけが重要で、弱者男性だけを包摂しよう」という主張以外は、弱者男性差別主義論だと言うのですね。言うことが無茶苦茶すぎて話にもなりません。

  28. HAKASE Says:

    議論に参加するかどうか迷いましたけど,少しでも協力できればと思って書き込むことにしました.
    赤木さんの書き込みについて「差別される側の程度を比較してどっちがより差別されているか」という問題を設定しているように思うのですが,これについては,過去に差別関連の話題を扱う場面ではいろんなところで何度も問題視されていたと思います(自分もかなり昔に同性愛者とトランスジェンダーとの間での差別の程度を単純比較しようとしたことがあって,今は大反省してたりします).
    一般に,どんな対象であっても,比較の基準(視点)を設定しない限り量的な比較はできません(基準があいまいだと比較結果の妥当性もあいまいになる).今回の例と私個人の問題である同性愛に関連するもので言うなら,経済的な収入という点に限定して比較するなら,「同性愛者の男性」と「就職弱者の男性(と言っていいのかわからないけど)」では(おおざっぱな概算をすれば)前者の方がめぐまれているでしょう.しかし,例えば自分のことを家族親戚に知られたときのリスクで言えば,現状では(こちらもおおざっぱにみればですが)まだまだ前者の方が大変だと思います.
    自分がどの視点に限定した話をしているのかを明確にしたうえで,過度に一般化せずにその視点の範囲内で議論をすれば,もっと前向きな議論になるのではないでしょうか?
    それから,生死の問題を出されているほどなので,その深刻さから想像するに,おそらく,赤木さんはこれまでにも,さまざまな就職活動を繰返したり,職業訓練に長い時間を費やしたりされてる中で,様々な差別的な扱いを受けるなどの具体的な問題に直面してきた経験がおありなのだろうと推測しています(私自身は生活する中で同性愛者だからこそ起きる生き難さみたいなのと日々向き合ってますので,そこから想像して書いてます).
    それで,もし問題を解決したいという方向で議論をするなら,まずはそういったご自身の経験の事例の中から問題とすべき箇所を示したり,それを改善する具体的な方法を提案したりするところからはじめてみてはどうでしょうか?(その後で,それに基づいて資料などを使いながら一般化するなどしてはどうでしょう?)
    #赤木さんのブログは今回の話に直接関連している部分しか読んでいないので,既にそういうご自身の具体的な経験に基づいた提案を何度もされているのでしたらすいません(深夜のシマネコBlogは赤木さんのものと思って良いんですよね?).
    あるいは,今のところの赤木さんの具体的な提案は「結婚相手を募集する」ということだと思いますが,それを実施するにあたって,直接的な妨げになるのが何で,どの部分については直接ではないけど間接的な弊害にあたるのかを指摘しても良いと思いますし.
    実は,赤木さんの文章を読んでいて,経験的な事例と結びつくような具体的なイメージを持たずに文章を書いていらっしゃるのではないかと疑問に思いました.もちろん全てを経験することは難しい(というか不可能)と思いますし,本やWebなどからの情報を参考にすることもあって良いと思います.しかし,差別の問題について言えば,当事者が具体的に直面した問題や経験を示せないと,実質的な状況の改善は難しいと思うのです(インターネットがなかった頃の同性愛者にとってはこれができないのがかなりのネックになってましたし).
    #もちろん,事例ベースでの議論をする際には,いろいろ気を付けるべき点とか問題とかもありますが,書き込みの量の関係上ここでは割愛します.
    ということで,長く書きましたが,趣旨は2つの提案です.ひとつは「比較する際は基準を明確にしたうえで,その基準に即して話してはどうでしょうか?」ということ,もうひとつは「まずは,具体的に経験した事例をあげて(過度な一般化をすることなくその事例の範囲内で)その事例にもとづいた議論をしてはどうでしょうか?」ということです.

  29. makiko Says:

    あくまで主観的な印象ですが、フェミニストには弱者男性論への警戒感が大なり小なりあるように思えますね…。
    確かに、弱者男性や、場合によっては性的マイノリティの救済を理由に、体制側が女性の権利擁護の優先順位が低くする、あるいは運動自体が分断されるという可能性は無くはないですが。
    ただ、今は前にも書きましたとおり、概念的な面からして、相互の議論、対話が成立していない段階ですよね。
    女性の側が、今の一部男性が受けている差別は今まで女性が受けてきた差別より遥かにゆるいと言ってみたり、男性の側がフェミニズムはエリート女性の権利しか擁護していない、と言ってみたりしたところで、いわゆる不幸比べの域を出ないわけですから、何の解決にもつながらないと思います。
    もう少し冷静に議論してみませんか?

  30. 赤木智弘 Says:

    HAKASE さんへ
    >一般に,どんな対象であっても,比較の基準(視点)を設定しない限り量的な比較はできません(基準があいまいだと比較結果の妥当性もあいまいになる).今回の例と私個人の問題である同性愛に関連するもので言うなら,経済的な収入という点に限定して比較するなら,「同性愛者の男性」と「就職弱者の男性(と言っていいのかわからないけど)」では(おおざっぱな概算をすれば)前者の方がめぐまれているでしょう.しかし,例えば自分のことを家族親戚に知られたときのリスクで言えば,現状では(こちらもおおざっぱにみればですが)まだまだ前者の方が大変だと思います.
     私はまったくそうは思いません。
     そうしたトランスジェンダーの問題については、強烈に拒否する層がいる一方で、そうした人たちに友好的に接してくれる層がいます。そしてもっとも重要なのは「友好的に接してくれる層」が明確にいるということです。
     家族(結婚相手に後からバレてしまった場合などは問題ですが、親兄弟という自分が選択した関係性ではない場合)や親戚などとは関係を絶ってしまってもなんの問題もないわけです。それこそ人が生活するのに十分な収入があれば、トランスジェンダーだろうと何だろうと、ひとりでも生きて行けるし、友好的な人たちとだけ関係を結んでいけば、結婚なども含めて十分な社会生活を営む事ができるでしょう。
     しかし、自分ひとりで生活できる賃金を得られない弱者男性は、どれだけ親とそりが合わないとしても、そこに寄生しなければならない。そうした状態はひたすらに苦痛でしかありません。
    >それから,生死の問題を出されているほどなので,その深刻さから想像するに,おそらく,赤木さんはこれまでにも,さまざまな就職活動を繰返したり,職業訓練に長い時間を費やしたりされてる中で,様々な差別的な扱いを受けるなどの具体的な問題に直面してきた経験がおありなのだろうと推測しています(私自身は生活する中で同性愛者だからこそ起きる生き難さみたいなのと日々向き合ってますので,そこから想像して書いてます).
    >それで,もし問題を解決したいという方向で議論をするなら,まずはそういったご自身の経験の事例の中から問題とすべき箇所を示したり,それを改善する具体的な方法を提案したりするところからはじめてみてはどうでしょうか?(その後で,それに基づいて資料などを使いながら一般化するなどしてはどうでしょう?)
    >#赤木さんのブログは今回の話に直接関連している部分しか読んでいないので,既にそういうご自身の具体的な経験に基づいた提案を何度もされているのでしたらすいません(深夜のシマネコBlogは赤木さんのものと思って良いんですよね?).
     はい。深夜のシマネコは完全に私のサイトです。
     で、自身の具体的な事例という件ですが、私はワタリさん(http://blog.goo.ne.jp/egrettasacra)のようなアクティブに行動できる弱者ではありません。
     具体的にはここには書きたくありませんが、具体的な事例という話をする時に、弱者はどうしても「情けない自分」をさらけ出さなければならない一方で、強者は「輝かしい栄光」を提示すればいいことになります。これはどうしたって強者の方に有利な方向性です。
     私は「努力」という言葉が大嫌いなのですが、その理由は「努力」という言葉の大半は、現在の「実績」を前提にして、それを事前行為に還元させたものでしかないからです。
     そういう意味で「自身の経験による具体例」という考え方は、安易に「弱者は努力していないのだ」という結論を生み出してしまう、一方的な強者の論理であると考えます。
    >実は,赤木さんの文章を読んでいて,経験的な事例と結びつくような具体的なイメージを持たずに文章を書いていらっしゃるのではないかと疑問に思いました.もちろん全てを経験することは難しい(というか不可能)と思いますし,本やWebなどからの情報を参考にすることもあって良いと思います.しかし,差別の問題について言えば,当事者が具体的に直面した問題や経験を示せないと,実質的な状況の改善は難しいと思うのです(インターネットがなかった頃の同性愛者にとってはこれができないのがかなりのネックになってましたし).
    >#もちろん,事例ベースでの議論をする際には,いろいろ気を付けるべき点とか問題とかもありますが,書き込みの量の関係上ここでは割愛します.
     もちろん、私がこうした「男性弱者への保護」を要求する以上は、そのうち腹を括らなければならないのは分かっていますが、それが弱者にとっては自身を罵倒と嘲笑の場にさらけ出すかもしれない、酷く厳しい決断であることは、理解していただきたく思います。
    makiko さんへ
    >あくまで主観的な印象ですが、フェミニストには弱者男性論への警戒感が大なり小なりあるように思えますね…。
     いわゆる「バックラッシュ」が、所詮は古くさい男性優位の論理でしかないのに対し、私が提示しているような男性弱者論は、男女平等という側から男性弱者救済を呼びかける論理だからです。
     これまでのフェミニズムは「男女平等」を叫ぶことは、ただ「女性は男性より劣っていない」と叫ぶことと同意でしたから、とにかく女性に権利を解放すればいいということで、非常に単純な構造でした。
     しかし女性に対する差別が無くなっている、というか、弱者差別というひどい差別が生まれている現在において、ただ女性の権利を叫ぶだけでは、男女平等の観点から女性の権利を叫んでいた人たちと、女性優位の観点から女性の権利を叫んでいた人たちの間で意見の調整が取れなくなってきたわけです。
     そうした意味で、女性優位を求めるフェミニストの中では、フェミニズム論陣が分裂、弱体化しかねない男性弱者論に対して、極めて懐疑的、もしくは敵対的な議論が出てくるのは当然でしょうね。
     しかし、私は女性優位論でしかないフェミニズムは、女性の権利を「助長(「成長させようとして、ダメにしてしまう」という本来の意味です)」させてしまうものであると考えていますので、これを契機に、性差別を本当の意味で撲滅するために、女性優位論者の追い落としが進めばいいと考えています。
    >ただ、今は前にも書きましたとおり、概念的な面からして、相互の議論、対話が成立していない段階ですよね。
    >女性の側が、今の一部男性が受けている差別は今まで女性が受けてきた差別より遥かにゆるいと言ってみたり、男性の側がフェミニズムはエリート女性の権利しか擁護していない、と言ってみたりしたところで、いわゆる不幸比べの域を出ないわけですから、何の解決にもつながらないと思います。
     だからこそ「今現在」の感覚が必須なのです。
     20年前の論理をそのまま軽々しく持ち出し、学者がそのくり返しで金を稼ぐような事はあってはならないと考えます。
    >もう少し冷静に議論してみませんか?
     冷静な議論というのは、言葉だけ聞けば聞こえはいいですが、その一方で現状を放置しかねない考え方です。
     目の前の人が空腹で苦しそうなら、議論などせずに食べ物を与えればいいし、
     目の前で家が燃えていれば、議論をする前に消火にあたるなり119番に電話するべきです。
     議論は目の前の苦痛がなくなってからでもいいはずです。

  31. crafty Says:

    >赤木さん
    問題が生死、つまり家賃食費光熱費が払えず死ぬかもしれないというレベルで、
    かつ再配分を抜きにして考えるなら、強者女性との結婚よりは、弱者男性同士のルームシェアリング、共同炊事のほうが皆にとって現実的ではありませんか?

  32. 赤木智弘 Says:

    craftyさんへ
    それって、ただの先延ばしでしょ。それじゃなにも解決しないでしょ。
    問題は男性弱者の側にあるのではなくて、利権を独り占めする「男性強者−女性強者」の側にあるのです。
    私は一貫して、macska、ならびに「バックラッシュ!」を執筆するような連中の強者としての身の振り方、すなわち教養主義的なありようを批判しているのです。

  33. macska Says:

    赤木さん、あなたに対してわたしが強者であるという妄想はいい加減にしてください。いい加減じゃないというなら、何が基準となるか教えてください。収入ですか? 学歴ですか? それとも社会的地位ですか? いやあなたのことだから世代かもしれない。しかし、それらにおいてわたしがあなたに対して強者であるということを、どうしてそんなに自信をもって断言できるのか。
    それから、わたしは自己責任主義者でもネオリベラリズムでもなく、そのことはわたしが再分配を強く主張していることから明らかなはずです。「お前の意見は現実的ではない」という批判があるのは仕方がないですが、再分配を主張しているのに自己責任論者だとかネオリベだとか言われるのは納得がいきません。あなたが「自己責任論だ」と指摘した部分にはまったく自己責任論的なことが書かれておらず、あなたが勝手に頭の中で「だから自己責任だ」と補完したに過ぎません。
    これらの点は意見の相違ではなく中傷ですので、撤回してください。
    それができないようなら、今後議論の相手とはみなしません。

  34. crafty Says:

    先延ばし、なにも解決しないというのは、
    再配分、つまり強者がコストを払わなければ意味が無いということでしょうか。
    それなら、やはり再配分を結婚という形で実現するよりは、お金の形でルームシェアのコストを援助させたり、
    ベーシックインカムを保障する方が多くの弱者男性にとっては現実的な気がします。
    それとも弱者男性が単に生活が送れるだけじゃ駄目で、結婚したり子供を持てなければ意味が無いのでしょうか。
    赤木さんは、問題は弱者男性が死なずに生活を送ることで、
    結婚はそのための手段である、とおっしゃっているようなので、これは違うと思いますが。

  35. nector Says:

    macskaさん、赤木さん双方に、議論する能力の欠如がみられます。
    http://www.kt.rim.or.jp/~jda/intro/intro4.htm
    このあたり呼んでみては如何でしょうか。

  36. Gedol Says:

    恐れながらmacska様に申し上げます。
    本文についてなのですが、鈴木氏の言う「弱者男性への手当て」というのは制度上どうこうするといったものではなく、例えるなら「誰にも相手をされないで寂しがってキャンキャンと鳴いている子犬は、声をかけてやるぐらいのことはしないといつまで経っても鳴き続けるよ」という様な意味での「手当て」なんじゃぁないかと。「こっち見てよー・・・」と鳴いてるのに「まだ御飯の時間じゃありません」って言われてもなぁ・・・ってな感じでしょうか。
    御検討のほど、宜しく御願致します。
    ・・・他意はないですよ、他意は。

  37. HAKASE Says:

    赤木智弘さんお返事ありがとうございます.
    まず,最初にお願いですが,「比較する際は基準を明確にすべき」という点について同意いただいているか否かを明確にしてはいただけませんか?
    私の最初の提案の趣旨はそこにあったのですが.その返事の冒頭で「私はまったくそうは思いません。」と書かれてしまうと,この点について同意していただけなかったのか,あるいは同意はしたけど今回あげた例については同意しないという意味なのか,どちらなのか私には明確には判断ができません.
    それから,仮に赤木さんのその後の文章を「上記に納得していただいたうえで家族親戚との関係に限定して書かれたものである」と仮定しての話ですが,私が示した具体的な例は「同性愛者」に関するものであって「トランスジェンダー」ではありません.良くも悪くも近年急激に医療化が進んだトランスジェンダーと,そうではない同性愛者とでは,家族との関わり方や「友好的に接してくれる層」にも大きな違いがあります.
    もし同性愛者の家族等との関連について具体的な状況を知らないために,比較ができないのでしたら,まずはそう書いていただけないでしょうか?ちなみに,私自身もいろいろな問題に対して詳細を知らないために私個人では比較をすることができない事柄がたくさんあります.そして,そのことは,「基準があいまいな状態で,具体的な事例のともなわないで,2者を単純に比較をすること」に対して私自身が疑念を感じる理由のひとつにもなっています.
    それから,私からの2つ目の提案についてですが,赤木さんがおっしゃっていることの趣旨は(細かい点を別にすれば)おそらく同性愛者でもある私は十分に実感を持って理解していると思います.私も,実生活においては,よほど重大な問題でない限りは,自分のことをノンケの知人にはなかなか話せないですから.
    生死の問題まで出すほどのことですから,それを差し置いてでも解決すべき問題があるのかとも思っていましたが,書き込みの状況から察するに,赤木さん個人の状況に限定すれば,現状では,まだ,そこまで深刻というわけではなさそうですし,今のところは自分の経験を述べるのは無理だというのでしたらそれはしかたがないと思います.
    ただ,本人が話すかどうかは別にして,何らかの形で具体例が出てこないと,どこに問題があるかが明確にならないために解決方法の議論もできないと思います.
    実生活での同性愛者に対する周囲の理解という点について言うなら,どこかで覚悟を決めてカミングアウトをしない限りはなかなか状況を改善するのは難しいという側面があります.逆に過去にそうやって具体例を示す人がいたからこそ(あるいはインターネットなどによって以前よりは低リスクで具体例を出せる状況になったからこそ)少しづつではあるけれども問題を解決していく方向へ進んでいけているという面もあります.
    ご自身の体験であるか否かは別としても,困難な状況について当事者が具体的な例を出せないと,(特に周囲の人たちが気付きにくい問題点についてはなおさら)周囲のひとたちと協力しながら状況を改善していくことは難しいと思います.それをせずに抽象的な問題提起や論の展開をするだけでは状況改善は(不可能ではないにしろ)難しい,という点については,理解しておいていただければと思います(十分承知の上でのことかもしれませんが).
    最後に,もし,私があげた2つの提案のどちらにも乗れないというのでしたら,私としては他に言えることはありませんので,私と赤木さんとの議論は終了にさせていただきたく思います.

  38. xanthippe Says:

    奥さんがほしい!っていうキャリア女性はおりまするよ。東京あたりで夜の12時過ぎに電車から吐き出されてくるような女性たちの多くは、それに近いことを言っているのではないですかね?知人の娘さんもそうです。
    実家が近い人はその母親が肩代わりしている実態があります。
    ただ、キャリア女性ではあってもジェンダーによる拘束(差別)を受けている現実はあって、仕事を続けるのであれば、結婚して子どもを生むなんてこととてもじゃないが無理、と多くのキャリア女性は考えている。 多くの女性には「仕事か結婚して子供か」、の二者択一しかないんですよ。今のところね。
    強者女性というのは多分、「仕事も結婚子育ても」をゲットした人だけですよ。二者択一で仕事を選ぶしかない女性は強者とはいえないと思いまするなあ。弱者ですよ。
    んだから、こういう弱者女性を支え、励まし、おだて、余分な心配をさせないように家庭を守り、家計管理や子育てに励み、必要な時にはパートで家計を支え、あるときには熟練ホストのようにサービスし、仕事のアドバイスも適切にこなせる秘書の役割まで果たすことができる男性がいれば、良い組み合わせになるんじゃないですかね?料理がちょっとできるだけじゃ無理でしょうけどね。
    そういやイギリスの元首相、サッチャー氏は、家庭経営ができれば国家経営ができるっておっしゃってましたなあ。
    地域の連合(連合は男社会だというのは有名ですよね)のリーダーである男性が言っていたことですが、昔、ワークシェアリングを連合でも実現しようとしたことがあったそうです。しかし、結局内部の団結と調整ができなくて、組合員の労働条件を下げ、非正規雇用を増やすことにしかならなかった。失敗だったといってました。
    オランダなどは成功しているのだと思うのですが、組合と経営者の力関係の差ですかね? 連合が男社会だったってこともあるのかなあ?

  39. レジー・フォーチュン Says:

    >こういう弱者図女性を支え、励まし、おだて、余分な心配をさせないように家庭を守り、家計管理や子育てに励み、必要な時にはパートで家計を支え、あるときには熟練ホストのようにサービスし、仕事のアドバイスも適切にこなせる秘書の役割まで果たすことができる男性がいれば、良い組み合わせになるんじゃないでしょうかね?
    横槍すみません。強者男性と結婚した女性の場合、そこまで完璧に配偶者の「片腕」としての機能を果たしている専業主婦がどれだけいるのでしょうか。第一、そこまでできる男性なら、もはやそれは弱者ではなく、自力でどうとでも世間を渡っていける人でしょう。同じ養ってもらう身分を獲得するにしても、男の場合は無闇にハードルが高いと思いませんか?

  40. 芥屋 Says:

    charlie(鈴木)さんの小論の話がすっかりどこかへ行っているようですが、charlieさんはGedol さんが言ってるようなことはどこにも書いてないのですが。どこにそんなことが書いてあるのでしょうか。charlieさんの小論についての感想は、彼が書いたことについて述べられるべきだと思います。そのたりのことを私のブログのほうに書いておきました。彼は、「弱者男性」などというカテゴリーを論じていませんし、またそうした「弱者を嗤う」などというスタンスでものを書いてはいないはずです。Gedol さんは「赤木的なもの」を嘲笑したいご自分の気持ちを鈴木論文に投影しているだけではないでしょうか。

  41. Gedol Says:

    あうう・・・だから他意はないって書いたのに。
    鈴木氏の主張について本文中でmacskaさんが引用した文章と彼女が要約した説の範囲で、私はその様に感じたのですが。もしかすると、macskaさんの意識の投影が色濃く出ているのかもしれませんが、それにしては彼女の挙げた鈴木氏の「意見」と彼女のそれに対する「反論」が咬みあっていないような気がするのです。
    (「弱者男性」はmacskaさん側の「用語」です。コメントの対象が彼女ですから。念のため)

  42. 赤木智弘 Says:

    >わたしは、「弱者男性」の苦しみはどうでもいいとは言っていない。このコメント欄に書いている他の人も誰も言っていない。それも重要であり、他のさまざまな差別も重要だと言っている。自分の苦しみだけが重大で、その他の差別は「なくなったと言っていいほどまで縮小した」というおかしなことを言っているのは赤木さんだけです。それに対し、赤木さんは「弱者男性の苦しみが分からないのか」と延々と述べている。反論になっていません。
     いくら「言っている」など言っても、「他のさまざまな差別」に対してはいろいろと人手(左傾論壇)も金もジャブジャブつぎ込まれるのに対し、男性弱者にはまったくなにも回ってこない以上、そんな言い訳には意味がありません。
     10年も口約束だけで、それをまったく果たす気なんかないくせに、なんでそんなに偉そうなんですか?
    >現実に差別と闘ってきた人たちは、「なにかをする」義理があるわけじゃないけれど、実際に「なにかをすることで」物事を変えてきたわけですね。「なにもしない」で待っていたら勝手に物事が変わったわけではない。赤木さんがそれを無視して、「なにかをすることで」物事を変えてきた人たちを中傷することに反論しているのです。
     ほらきた「自己責任論」。
     80年代の「差別」がなくなったのは、別にその人たちの努力ではなくて、市場にふんだんに余っていた金がそうしたところにジャブジャブ降り注いだからに過ぎません。彼らが「なにかをする」ことができたのも、そうした金が彼らの運動の成功を保証していたからです。現在なにかをすれば、社会から放り出されて、それでおしまいです。
     意味が分からなければ、80年代の政治がどういうものであったのかを調べてください。またどこかの対談で後藤和智さんが挙げていた『若者殺しの時代』を読んで、80年代から90年代にかけて、社会がどのように変わっていったのかを読み取ってください。
    >> それに対して「何もしていない」などというのは、あなたのように文
    >> 章が本に掲載されるような環境を簡単に得られるあなたのような特権
    >> 階級の傲慢です。
    >一度や二度本に文章が掲載されただけで特権的な環境にいると判断しないでください。環境という意味では、あなたと同じように誰に読まれるという保証もないブログで自分の考えを書いていたらたまたま原稿を頼まれたというだけであり、あなたより有利な立場に立っているわけではありません。
     『バックラッシュ!』の紹介を見ましたが、どう見てもあなたはご立派な経歴を持つ「大先生」じゃありませんか。
     そんな先生が、私のような日々の低賃金労働をこなしながら、決死の思いで少ない賃金の仲から本を買い、少しずつでも読み進めながら、自分の考えを細々とサイトにつづっている人間と、対等な立場だなんてことが、とんでもございません。
     謙遜も過ぎてしまえばただの嫌味でしかありませんよ。
     それでも謙遜のつもりがないと言うなら、ただの傲慢ですね。
    >ところがあなたは、女性問題や民族問題など「弱者男性以外」の問題を重視する人たちを、一方的に時代遅れであるとか差別主義者であるとか決めつけています。「自分が属する集団」の問題だけが最重要で、他のことは「なくなったと言ってもいい」程度の緊急度の低い問題でしかないと。そうした傲慢な態度は、さまざまな反差別運動のあいだで柔軟に協力するということをまったく不可能にしてしまいます。
     主客が転倒してますね。その「さまざまな反差別運動」とやらが、男性弱者の問題をないがしろにするから、私は「ないがしろにするな!」と言っているんですよ。
    >>> だから、わたしは一貫して自己責任論を批判しているのです。それなのに「自己責
    >>> 任論者」「ネオリベ」と決めつけて、その間違った決めつけのうえで「差別主義者」
    >>> と呼ぶのはやめてください。
    >> 間違った決めつけではありません。あなたに自覚がないだけです。
    >自覚なく差別していると言うなら、実際にわたしが書いたことを元にそう指摘してください。
     なんどもなんどもあなたの文章をそのまま読んで指摘してますよ。
    >> すなわち、給料を当たりまえに受け取っている強者にとって、給料をロクに受け取れ
    >> ない弱者の問題などまったく想像の外にある。という話です。
    >なるほど、ありがちな話ですが、それが今の議論にどう関係するのですか?
     この一文で、あなたには根本的な現在の経済状況に対する知識がないということがよく分かりました。
     ならば、あなたは男性弱者、いや、男性だけじゃなくて女性を含めた格差問題について語る資格がありません。
     たしか安倍晋三が「朝日新聞が書かなければ格差問題など存在しない」と言ったとかいわなかったとかいう報道があったように思いますが、さしずめ女性優位論壇にとっては「赤木智弘が書かなければ、男性弱者など存在しない。男性弱者って言うな!」といったところでしょうか。
    >>> 「道徳的要請」によって強者女性が弱者男性との結婚を決意するという前提が成り立
    >>> たなければ、わずかな弱者男性すら救われません。もちろん、自分だけは何としてで
    >>> も強者女性を射止めて生き延びるというのであれば、止めはしませんが。
    >> そういうことをしないのならば、男性弱者は安直に右傾勢力と手を結び、バックラッシュ
    >> によって女性を社会から追い出す事を考えるでしょう。
    >
    >なるほど、わたしが
    >
    >>> 多くの人は「弱者である自分はこんなに苦しんでいるのに、向こうの(別の)『弱者』
    >>> はあんなに手当てを受けていて不当だ!」というように吹き上がって「救済反対派」
    >>> 「自己責任派」の政治家に投票することで、自らの首を絞めてしまっている
    >
    >と言っていた通りということですね。分析の正しさを示す例となってくださって、ありがとうございました。
     はい、また自己責任論。
     リベラリズムを標榜するなら、そうした連中に対してもちゃんと再分配を行なう必要があります。それをしないというなら、それはネオリベの論理です。
    >赤木さん個人の救済ということなら、一人でも合意してくれる強者女性がいれば良いわけですから、それで十分かもしれません。しかし赤木さん一人が救済されたところで、弱者男性がバックラッシュと手を結ぶという状況は解決されない。それを解決するには、再分配するしかないでしょう?
     だから再分配してくださいよ。
     女性や部落や民族だけではなく、弱者である我々にも正当に!!
     わたしは「再分配しろ」と、既になんども言っています。そのたびになんだかんだとイチャモンつけてくるのはそっちではないですか。
     なんであなたは再分配の実施を否定するのですか?
    >『バックラッシュ!』そのものは、「どう取り込むか」を論じて入るけれど、取り組もうとする実践そのものではありません。そのことは宮台さんがきっちり書いています。しかし、もし赤木さんの言うように男女平等や平和を叫ぶ勢力が弱者男性の取り込みをしっかり考えていないのであれば、かれらに向けて書かれた書籍において「弱者男性を取り込むべきだ」という分析が書かれることは良いことなのではないですか? それを「そういう勢力を無視して、激昂させるだけ」と言うのは、単に赤木さんが本をきちんと読めないだけではないのですか?
     もうとっくに議論の季節は終わりました。
     とっとと再分配してくださいよ。なんでそれを必死に否定するのですか?
    >わたしたちの誰もが「ある側面で強者」であり、「ある側面で弱者」なのだから、自分が強者である側面についてはそのことを自覚して問題是正のために努力しつつ、自分が弱者である面については正当な権利として是正を要求していくべきだと言っているのです。
     そういうあなた自身が、自分の強者たる側面を自覚していないのは何故ですか?
    >どの運動を見ても、後者の主張ばかりはするけれど、前者は忘却しているというケースがあります。赤木さんも、現在までのところそうした類型どおりの言動をしているわけで、既存の反差別運動の一番ダメな部分のマネをしないで欲しいなぁと思っているのです。
     じゃあ、私は一体どういう側面で強者なのでしょうか?
     自分で自分の生活もまかなうことのできない強者がどこにいるのでしょうか?
    >つまり「弱者男性だけが重要で、弱者男性だけを包摂しよう」という主張以外は、弱者男性差別主義論だと言うのですね。言うことが無茶苦茶すぎて話にもなりません。
     クリティカルな問題なのだから、優先順序を先にしろと言っているのです。
    >それから、わたしは自己責任主義者でもネオリベラリズムでもなく、そのことはわたしが再分配を強く主張していることから明らかなはずです。「お前の意見は現実的ではない」という批判があるのは仕方がないですが、再分配を主張しているのに自己責任論者だとかネオリベだとか言われるのは納得がいきません。あなたが「自己責任論だ」と指摘した部分にはまったく自己責任論的なことが書かれておらず、あなたが勝手に頭の中で「だから自己責任だ」と補完したに過ぎません。
    >
    >これらの点は意見の相違ではなく中傷ですので、撤回してください。
    >それができないようなら、今後議論の相手とはみなしません。
     撤回しません。別に撤回してもいいですけど、撤回しても自己責任論者のネオリベは、自己責任論者のネオリベであり続けることにはかわりはないですから、なんの解決にもなりません。
     いいですよね。あなたのような強者は主張するだけでリベラリストになれて。私の場合はどうも、自分の恥部をさらけ出して、みんなの笑い物にならないと、弱者として認められないらしいですよ。しかもそれで救われるかどうかは別問題らしいですよ。

  43. macska Says:

    赤木智弘さん
    > 10年も口約束だけで、それをまったく果たす気なんかないくせに、なんで
    > そんなに偉そうなんですか?
    赤木さんこそ、どうしてそんな偉そうなことをわたしに言うんですか?
    10年前に口約束をした人がいるのであれば、その人を問い詰めるべきでしょう?
    > ほらきた「自己責任論」。
    なぜ「なにかをすることで」物事を変えてきた人たちに対する赤木さんの中傷に抗議することが、「自己責任論」なんですか?
    もしかして、あなたが他者を中傷したことについて、中傷した責任を取れといっていることをもって「自己責任論」だと言っているのですか? だったら、その意味では確かに自己責任論でしょう。ある側面において弱者の立場におかれているからといって、他の側面において弱者を不当に攻撃することが許されるわけがありません。しかし、この問題において一般的な意味でいう自己責任論(すなわち、弱者男性が苦しい立場に置かれているのはかれら自身のせいであるという論理)をわたしが主張したことは一度もありません。
    > 80年代の「差別」がなくなったのは、別にその人たちの努力ではなくて、
    > 市場にふんだんに余っていた金がそうしたところにジャブジャブ降り注い
    > だからに過ぎません。彼らが「なにかをする」ことができたのも、そうし
    > た金が彼らの運動の成功を保証していたからです。
    はたしてそうだったかどうか、『バックラッシュ!』収録の山口論文や長谷川論文を読んでから考えてください。
    > 『バックラッシュ!』の紹介を見ましたが、どう見てもあなたはご立派な
    > 経歴を持つ「大先生」じゃありませんか。
    何か大きな誤解をされているようですが、少なくともあなたから「強者」と呼ばれるような立場ではありません。
    > 主客が転倒してますね。その「さまざまな反差別運動」とやらが、男性
    > 弱者の問題をないがしろにするから、私は「ないがしろにするな!」と
    > 言っているんですよ。
    でも、わたしを含めここで赤木さんに反論している人のだれも、男性弱者の問題をないがしろにしていません。他の問題も重要であると言っているだけです。ところが赤木さんは、他の差別はほとんどないと言っても良いほどだと言い放ち、自分の問題だけが最優先だと主張しています。つまり、他の団体はこれまでやってきたこともいまやっていることも全部放り出して、あなたのことだけをあれこれ手助けしてあげなければ「差別主義者」だとあなたは決めつけている。そんな調子で、さまざまな反差別運動のあいだの協力関係が築けるはずがないでしょう?
    >>> すなわち、給料を当たりまえに受け取っている強者にとって、給料をロクに受け取れ
    >>> ない弱者の問題などまったく想像の外にある。という話です。
    >
    >>なるほど、ありがちな話ですが、それが今の議論にどう関係するのですか?
    >
    > この一文で、あなたには根本的な現在の経済状況に対する知識がないという
    > ことがよく分かりました。
    知識の問題じゃないでしょ。
    強者は弱者の問題などまったく想像の外にある、それはよくあることです。だからそれが今の議論にどう関係するのか、あなたは全く説明していません。もしあなたと議論している人たちがその「弱者の問題などまったく想像の外にある」強者だというなら議論に関係ありますが、ここで議論している人は一人の例外もなくみんな「給料をロクに受け取れない弱者の問題」を想像の内に置いています。すなわち、議論に全く関係ない。
    むしろ逆に、あなたがたびたび他のさまざまな差別問題について「ないと言って良い程度」と言い捨てている点が、性差別や部落問題や性指向差別の側面において「強者」であるあなたには、弱者の問題などまったく想像できていないのだなぁと思うくらいです。
    > さしずめ女性優位論壇にとっては「赤木智弘が書かなければ、男性弱者など
    > 存在しない。男性弱者って言うな!」といったところでしょうか。
    そう言う人はどこかにいるかもしれませんが、少なくともいまここで議論している中には一人もいません。もし「いる」と思っているなら、被害妄想に過ぎません。
    > リベラリズムを標榜するなら、そうした連中に対してもちゃんと再分配を行な
    > う必要があります。それをしないというなら、それはネオリベの論理です。
    だから、するべきだとわたしは主張しているの。それを「しないというなら」と勝手に決めつけたうえで、「それはネオリベの論理です」と言われても、何の意味もない。
    あなたの発言には「〜なら自己責任論者だ」「〜なら差別主義者だ」「〜ならネオリベだ」という文句が多数見られますが、そう書いた直後には定であったはずのものがいつの間にか仮事実であるかのように勘違いしている傾向があります。これは、自分の勇ましい断言に酔っている人がよくする間違いなのですが、思い当たりありませんでしょうか?
    >> それを解決するには、再分配するしかないでしょう?
    >
    > だから再分配してくださいよ。
    > 女性や部落や民族だけではなく、弱者である我々にも正当に!!
    > わたしは「再分配しろ」と、既になんども言っています。そのたびになんだかん
    > だとイチャモンつけてくるのはそっちではないですか。
    > なんであなたは再分配の実施を否定するのですか?
    わたしが「それを解決するには、再分配するしかないでしょう?」と言っている部分を引用しながら、「なんであなたは再分配の実施を否定するのですか?」と問うというのは、いったいどういう神経をしていたら可能になるのでしょうか? 支離滅裂です。
    再分配をするべきですが、わたし個人には弱者男性を支えるような財産も稼ぎもないですから、社会政策的による再分配を主張しています。しかしわたし一人がそう思っても実際の政治が動くはずもなく、それなりに世論を喚起したり政党や政治家に主張を代弁してもらう必要がある。そのための運動にわたしはコミットしています。ところがそれを赤木さんは「再分配の実施を否定している」として批判する。もうワケがわかりませんね。
    > とっとと再分配してくださいよ。なんでそれを必死に否定するのですか?
    わたしに決定権限があれば、とっくに再分配を実施していますって。しかし、わたしは再分配を一度も否定していないのに、あなたにかかると「必死に否定している」ことにされてしまう。そんな間違った決めつけによって「差別主義者だ」「ネオリベだ」と言われても、「議論の通じない相手だな」と思うだけです。
    > そういうあなた自身が、自分の強者たる側面を自覚していないのは何故ですか?
    していますよ。その最たるものとして、先進国の人間として、国内的には貧しい生活でも途上国に多大な負荷をかけていることは自覚しています。赤木さんに対してわたしの方が強者に立っているという点については、想像が付かないです。少なくとも、赤木さんが考えているような意味ではわたしは強者ではありません。
    > じゃあ、私は一体どういう側面で強者なのでしょうか?
    まず、男性ですね。それから、お嫁さんを募集されているところをみると、おそらく異性愛者ですね。これまでの在日朝鮮人差別や部落差別に関する無見識から想像するに、生まれながらに日本国籍であり、被差別部落出身として差別を受けてもいない。賃金労働をしているというところからして、重度の障害者でもなさそうです。また、わたしと同様に先進国にたまたま生まれついたことによって恩恵を受けていますから、それも含まれます。少し軽く考えただけでも6つの側面が見つかりました(他にもいくらでも見つかると思います)。
    > 自分で自分の生活もまかなうことのできない強者がどこにいるのでしょうか?
    ある側面で強者であることは、他の側面で弱者であることと矛盾しません。「ある側面で強者」だったら必ず自分で自分の生活をまかなうことができるのだ、という思い込みがあるとしたら、それが間違いです。
    > クリティカルな問題なのだから、優先順序を先にしろと言っているのです。
    まず第一に、クリティカルな問題はそれ一つではない。第二に、優先順位を先にしろと主張したいのであれば最初からそう言えばすむわけで、他の差別は「ないと言って良い」と決めつけたり、自分に完全に同調しない相手を「差別主義者」「ネオリベ」などと決めつけて非難する必要はありません。それらの言説についてきちんと撤回したうえで「他の問題が重要なのもわかった、でも今この問題はすごくクリティカルだから少しでも早く対処して欲しい」と訴えるのであれば、まだ話をする価値もあったのですが。
    >> これらの点は意見の相違ではなく中傷ですので、撤回してください。
    >> それができないようなら、今後議論の相手とはみなしません。
    >
    > 撤回しません。
    わかりました。前言通りあなたを議論の相手とはみなしません。
    今後二度とわたしのブログにコメントを書き込まないでください。
    ただし、気が変わって撤回する気になったなら、macska AT macska DOT org までメールでご連絡をいただければ柔軟に対処しないわけでもありません。

  44. Taso Says:

    はじめまして。
    突然別の話を持ってくるようでなんなのですが、
    macskaさんが、はてなブログの方でMasaoさんに用いた表現
    >「自意識過剰」「不寛容」「視野が狭い」「ツッコミどころ満載」「脳内論理」
    は、中傷には当たらないのかなあ?(´・ω・`)
    ・・・決めつけは、どっちもどっちであるように見えます。
    そして、赤木さんは決めつけを覚悟で、討ち死にを覚悟で言説を吐き出しているけれど、
    macskaさんは少なくともこの件に限っては、そうでないように見えます。
    それと、
    「何もしない男性が、今まで私達が運動の結果勝ち取ってきた権利に文句を付けるのは許せない」
    と言わんばかりの表現は、慎むべきではないでしょうか。
    そういうところで成果主義を出すのは、方法論としても本当にマズイと思います。
    あなたに助言を貰うほどフェミニズムは落ちぶれていない、と返されちゃうでしょうかね(´・ω・`;)
    『斉天大聖』上等!なら、もうレスはこれ以上しません。

  45. macska Says:

    > は、中傷には当たらないのかなあ?(´?ω?`)
    あたらないでしょう。具体的な内容に即しての批判ですから。そんな区別もできないんですか?
    もしそれらが中傷であるなら、批判なんて不可能になります。
    > 「何もしない男性が、今まで私達が運動の結果勝ち取ってきた権利に文句を
    > 付けるのは許せない」と言わんばかりの表現は、慎むべきではないでしょうか。
    言っていないことを慎めと言われても困りますが(笑)
    > あなたに助言を貰うほどフェミニズムは落ちぶれていない、と返されちゃう
    > でしょうかね(´?ω?`;)
    わたしに対する批判でしょ? それならそれでいいですよ。
    しかし、なんでわたし=フェミニズムと勝手に決めつけるのか。
    でも、もし一言「あなたに助言を貰うほど〜」と返すだけであなたがこれ以上発言しないと約束してくれるのであれば、つい言ってしまいたくなりますね(笑)

  46. Taso Says:

    >あたらないでしょう。具体的な内容に即しての批判ですから。
    >もしそれらが中傷であるなら、批判なんて不可能になります。
    そうですか、中傷にはあたりませんか。
    具体的な内容に即しての批判である、と、“あなたは思っている”わけですね。
    納得しました。
    #大概は、批判対象の方も、「ちゃんとした基準で批判している」と思っているものなので
    #なかなか溝が埋まらないでしょうね(・ω・;)
    #私は、赤木さんもあなたも中傷をしている、赤木さんは戦略的に中傷をしている、と“思っています”。
    >なんでわたし=フェミニズムと勝手に決めつけるのか。
    そこまでは言っていませんし、決めつけてもいないですよ〜。
    そういえば、macskaさんの口から「あなたに助言を貰うほどフェミニズムは落ちぶれていない」という当事者性の言葉が出たのを見た覚えがありますが、
    あれはおそらく見間違いか書き間違いだったのでしょう。
    似たようなシチュエーションで、同じ言葉が返ってくるかなー?と思ったのです。お許しください。
    収穫はありました。それでは、また!(・ω・)ノ

  47. xanthippe Says:

    こんばんわ レジーフォーチュンさん コメントありがとうございます。
    >横槍すみません。強者男性と結婚した女性の場合、そこまで完璧に配偶者の「片腕」としての機能を果たしている専業主婦がどれだけいるのでしょうか。
    いえいえ、横槍、大歓迎です。
    専業主婦だって、期待され、求められなければ誰も発揮しませんでしょうね。ただ、主婦といえばみんな「三食昼寝つき」なんて思っておられるとしたら大きな間違いじゃないでしょうかね? 夫婦ってお互い人生の戦友です。それぞれの精一杯のところで力を合わせていくしかないし、一方通行でそういう努力をしてくれない相手ならさっさと離婚したほうがいいのかもね。
    それとね、先に申し上げたのは、仕事に夢を持っている女性が「こういう男性なら、社会的、経済的にマッチョじゃなくても、人生のパートナーにしたい」、と”期待”しますよってことです。「結婚したら家庭に入ってくれ」という男性が女性に期待するのも同じですよ。べつに男性だけにハードルが高いわけじゃない。
    期待がなければ結婚なんかだれがします? 人生が期待通りに展開するかどうかは当事者の努力しだいで、別の問題。
    >第一、そこまでできる男性なら、もはやそれは弱者ではなく、自力でどうとでも世間を渡っていける人でしょう。同じ養ってもらう身分を獲得するにしても、男の場合は無闇にハードルが高いと思いませんか?
    おやまあ。専業主婦をずいぶんバカにされているんですね。ひょっとして主婦を選択した多くの女性が、自分ひとりじゃ生きていけないから、養ってもらうために結婚したとでも思っていらっしゃるのですか?なんだか明治時代の人のご意見を聞いているようなんですけど・・・。
    専業主婦だって子育てがすんだ後、起業して実業家になる人もいれば、議員になる人もいる。そういえばパートから初めてその会社の社長になった主婦もいましたなあ。それほどでなくても、みなさん立派な社会人として地域を支え、中には行政に大きな発言力を持っている人たちもおりまするよ。専業主婦も立派に世間を渡っております。いまやずーっと専業主婦でいる女性自体少数派ですし、専業主婦というカテゴリーが、なにか女性の能力を示すものでもありません。
    なんだか・・・、お金を稼ぐだけが世間を渡ることだって思っていらっしゃいません?ひょっとして。

  48. しゅう Says:

    今クサ師匠が良いこと言ったヾ(゜д゜)ノ

  49. macska Says:

    そろそろ重くなっていますので、コメント欄を閉鎖します。議論を続けたい方は掲示板でどうぞ。
    http://macska.org/forum/YaBB.cgi
    重要な論点がいくつか出ていたようなので、わたしもこの議論は再び取り上げたいと思います。

  50. 深夜のシマネコBlog Says:

    コメントに対する返答
    ●件の場所がコメント欄を差し止めてしまったので、仕方なしにこちらでコメントに対す…

  51. 歩行と記憶 Says:

    [老人力][出版/流通]婆(爺)クラッシュ!〓
     前日のエントリー、コメントに続くのですが、マイミクさん、てるてるさんの赤木智弘さんに対する評価の違いは多分、理屈ではなくそれぞれの履歴による「感情」が装填された記憶の生自体によって、「弱さ」に対する反発と共振が鬩ぎ合うのでしょう。  女性であり、年齢も

  52. ※※※ Says:

    お便り(双風舎御中):読者共同体のあり方
    読者共同体のあり方

  53. ※※※ Says:

    返信
    小山さん(実名で書きますが、さしつかえがあればおっしゃってください。)、コメントをどうもありがとうございました。 それから、「バックラッシュ!」所収の論文記事「『ブレンダと呼ばれた少年』をめぐるバックラッシュ言説の迷走」を拝読しました。 小山さんは…

  54. ※※※ Says:

    小山さんの書き込み?@ 出先
    問題になっている赤木と小山さんの論争に関係して、赤木が運営するサイトの掲示板において、小山さんのものと思われる書き込みが発見された。 http://www7.vis.ne.jp/~t-job/bbs4/light.cgi 本人確認が行なわれていないために、その書き込みの真偽は不明であるが、�…

  55. 何でも速報 » 【大間違いは】赤木智弘18【流してね】 Says:

    […] http://macska.org/article/147#comments […]

  56. 【大間違いは】赤木智弘18【流してね】 | niti Says:

    […] http://macska.org/article/147#comments […]