小谷野さんへのお返事/「ジェンダーフリー」と「男女平等」の関係

9/12/2005 - 6:36 pm | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

前回「はてなキーワード」の「ジェンダー」の項目におかしな内容が書かれているのを紹介したところ、その内容自体は直後に別の人によってより真っ当な内容に書き換えられたのだけれど、発端となったおかしな内容を書いた当の小谷野敦さんが当該エントリのコメント欄に登場していろいろ書き込んだ上に、自身のダイアリでも関係した議論を書き込み、さらにわたしがなんばさんに頼んで修正してもらったキーワード「ジョン・マネー」まで書き換えて「日本のフェミニスト、小倉知加子や上野千鶴子はその『ブレンダ』少年の事例をごまかして自らの過ちを認めようとしていない」と付け加えるなどご活躍中の様子。

論点はいくつかにわたっているようなのだけれど、まずは発端となったポイントについてもう一度わたしの主張を説明しておこうと思う。わたしが言わんとすることは単純で、「セックスとジェンダーが異なるという議論は、ジョン・マネーが、男児を女児として育てるのに成功したという人体実験に基づいていた」という小谷野さんの記述は事実として間違いであり、マネーの失敗をフェミニストやジェンダー論に結びつけて「従来通りのジェンダー理解は通用しない」と決めつけるのは浅ましいですよ、というだけのもの。だって、マネーが「ジェンダー」という言葉を「セックス」と区別したのは「双子の症例」とは関係ないし、さらに言うと「生育環境によって変えられるかどうか」といった議論とも全然関係ないコンテクストだもの。

マネーが「セックス」から区別されるものとして「ジェンダー」という言葉を当てはめたきっかけはというと、性同一性障害の患者の話を聞くうちに、生殖学上の性別とは別に「社会的な性」とでも呼ぶべきものがあり、性同一性障害の人たちは前者と後者がミスマッチしているのではないか、と考えたわけです。ここで言う「社会的な性=ジェンダー」というのは、今の言葉でいう「性自認=ジェンダー・アイデンティティ」のことであって、上野さんらフェミニストが問題とする性役割や「社会的に構築された男性性・女性性」といったモノとは全然意味が違うわけ。マネーがやったことというのは、要するに「単なる変態」と思われがちだった性同一性障害の人たちに心理学上の「お墨付き」を与え、そこにキャッチーな用語を当てはめたことだけなのね。

そうした経緯で今で言う「性自認」という概念を得たマネーは、次に生殖学的に未分化・不完全分化の状態で生まれたインターセックスの子どもたちに注目します。インターセックスの症状にはさまざまなパターンがあるのだけれど、どの症状の子どもも男子として育てられれば大半が「男性」としての性自認を獲得し、女児として育てられれば大半が「女性」としての性自認を獲得することにマネーは気付きます。もちろんそれには当時の社会では性自認とマッチしない性別として育てられた子どもがそう簡単には「自分の性自認は違うんだ」と名乗り出ることができなかったという事情はあったでしょうが、仮に全ての子どもが生まれつき確固とした性自認を持って生まれているとするならば、これほど少ないミスで大多数の子どもの性自認を正確に予測して生育上の性別を決定しているというのはありそうにない話です。

この問題について、「そもそも性自認というのは生後18ヶ月まではっきり固定しておらず、育て方によって変更可能なモノなのだ」と解釈したのがマネー、そしてそれに対して「インターセックスの子どもは身体だけでなく脳の性別(性自認)も中間的であるからどちらの性にも適合することができるかもしれないが、一般の子どもについてこの論理は当てはまらない」と考えたのがダイアモンド。そうした両者による論争の中、「双子の症例」によってマネーが自説の正当性を証明しようとしたわけですが、その「双子の症例」はウソだったことが今では明らかになりまりました。

「双子の症例」はウソだった、だからマネーの「性自認は生後18ヶ月までなら育て方によって変更可能である」という理論は怪しいぞ、というのはその通り。でも、だからといって「双子の症例」と関係ない部分まで一緒くたに否定するのは論理的に飛躍があるし、それ1つでジェンダー概念そのものが無用になったみたいな議論も乱暴すぎる。ましてや、その「双子の症例」を引用しているわけでも「性自認は生後18ヶ月までなら〜」論を主張しているわけでもない論者に対して、マネーの他の主張を紹介しているからといって「双子の症例」について申し開きを求める理由はないはず。例えば、性同一性障害の医療における「性自認」の概念は、その発案者であるマネーが後に「双子の症例」において許されない間違いをおかしていたこととは関係なく現在もきちんと通用している。「双子の症例」があったからマネーは全部通用しないとか、ジェンダーという概念は通用しないという指摘は端的に間違いというわけ。

本来の論点、すなわち小谷野さんによる「ジェンダー」項目の内容が正しいか間違いかという点での議論はそれだけなのだけれど、小谷野さんがそもそもどうしてあのような事を「ジェンダー」の項目に書こうと思ったかという動機は別のところにありそう。その別の動機というのはかれの書いたはてなダイアリのエントリのタイトルが「なぜ英語でいうか、それが問題だ」であることから分かる通り、男女共同参画もしくは男女平等のプログラムにおいて、意味や定義がはっきりしないままやたらと「ジェンダー」や「ジェンダーフリー」という言葉が使われることへの違和感だと思われる。ダイアリの本文でも小谷野さんはこう書いている:

結局、なぜ「男女平等」をわざわざ「ジェンダーフリー」と言い換えるのか、それが疑問なのであって、それは要するに「ジェンダー」というのは生後早い時期に人為的に変えることができる、というジョン・マネーの主張があって、それを根拠に、性差などというのはそんなもんだ、という認識に基づいて改めて策定された、と考えるほかないのだよ。

「なぜ『男女平等』をわざわざ『ジェンダーフリー』と言い換えるのか」という疑問は真っ当な疑問であって、「ジェンダーフリー」を推進する人たちはそれに正面から答えるべきだと思う。しかし、仮に「男女平等からジェンダーフリーへの不可解な(あるいは、少なくとも説明不足の)言い換え」が問題であるという点に同意したとしても、そこにマネーの亡霊を見出す必然性は一切存在しない。そもそもマネーが生後早い時期に変更できると主張したのは今の言葉で言う「性自認」でしかなく、仮に実験が成功に終わっていたとしても(つまり、ブレンダが普通の女性として今も生活していたとしても)それが「男女平等」を「ジェンダーフリー」に言い換える理由にはならないだろう。つまり、ジェンダーとかジェンダーフリーといった用語に対して「なぜ英語でいうか、それが問題だ」と言うのであればそこに議論を集中させれば良いのであって、その問題に無関係のマネーの「双子の症例」の失敗を持ち出すのはおかしい。

では、どうして「ジェンダーフリー」という言葉が使われるのか。わたし自身、「反・反ジェンダーフリー」の立場に立つことはあっても積極的に「ジェンダーフリー」を支持する立場ではないので不十分な理解かもしれないけれど、わたしはだいたい以下のように理解している。すなわち、ジェンダーフリー論というのは男女平等論の1つの形態だという理解である。以下に説明を試みる。

そもそも平等という言葉について考えてみると、それはある2つの個体なり集団がありとあらゆる全ての意味で全く同じということを意味しない。というより、はじめから全く同じなのであればそこに「不平等」という問題は存在しないはずだ。すなわち、平等が指向される限り、それは幻想としてであれ事実としてであれ、何らかの差異に関する認識が共有されることが前提となる。また、人間社会において平等を実現するためと称してありとあらゆる差異を抹消しようとすることは、人々がそれぞれ違った尊厳の様式や実存を持つことを考えに入れると、もっとも非人道的な政策として拒絶されるべきだし、平等を主張するほとんどの人はそこまで求めていない。つまり、わたしたちが求めている「平等」とは、何らかの差異の存在と存続を前提としたうえで、ある限定された次元において人工的に差異や格差を取り除くことを意味する。そして、どの次元における差異や格差を問題とするか(あるいは、どの次元においてであれば容認するか)によって、同じ「平等」といっても様々な形態があり得る。

古典的な例としては、「機会の平等」対「結果の平等」という議論がある。機会という次元に的を絞って平等な社会を実現すると、同じように労働しても1の結果を残す人もいれば10の仕事をできる人もいるので結果において格差が生じるし、結果が平等になるように手を加えると、こんどは同じだけの成果に対する報酬が不平等になる。あるいは、民主主義においてすべての市民が平等に参政権を持つべきとされるけれど、多数民族も少数民族もみんな一人一票というだけでは国会議員は全員多数民族出身ということになったりして、少数民族の人たちが不平等感を感じることになる。そこで最低でも一定数だけは少数民族にも議席を配分しましょうというクォータ制みたいなのが受け入れられることもあるのだけれど、そうすると今度は多数派の方から文句が来たりする。一言で「平等」と言っても、どの水準において「平等」を実現するかという設定によってはかなり違った社会が想定できるわけで、「男女平等」と言う場合にも、さまざまな水準における男女の「平等」が有り得るのだ。

「男女平等」論の一例を挙げると、リベラルフェミニズムによる女性の「近代市民化」の路線がある。すなわち、二級市民扱いされていた女性を男性と対等な立場まで押し上げるために進学・キャリア指向が奨励されるというもので、最近では「確かに女性の地位は向上したけれども、結局女性を男性化しただけではないか」あるいは「女性の一部を準男性としただけで、男性中心的な価値観を温存してしまった」という反省も見られる。

それとは別に、保守派がよく主張する「男女平等論」もある。それが「男女特性論」あるいは「性別特性論」と呼ばれるもので、男女は人間として平等であり価値は等しいが、男女にはそれぞれ生まれつきの得意・不得意があり、それに従って性役割分担するべきだ(その場合、男性の役割も女性の役割も等しく尊重されるべきだ)」という議論だ。なるほど、社会的評価の次元で「平等」を実現するなら、固定的な性役割分担を完全に温存したまま評価だけ「平等」という「男女平等」だって、理論上有り得る訳だ。そして、ジェンダーフリー論は、主にこの「男女特性論」に対抗する立場から、それとは別個の「男女平等」のヴィジョンとして主張されているというのがわたしの理解。

ジェンダーフリーという言葉について、小谷野さんは

もしジェンダーからフリーになるべきならば、あらゆる人はバイセクシャルになるはずだろう、とね。

と揶揄しているのだけれど、これは「ジェンダーフリー」という和製英語を無理して英語的に解釈しようとするから起きる間違い。和製英語なんだから、「ジェンダーフリー」の「フリー」は「自由」という意味に解釈すればいいじゃないの。それはすなわち、性役割(ジェンダー・ロール)や「男らしさ・女らしさ」の強要から自由な社会、個性を尊重する社会を作ろうというのがジェンダーフリーの運動。わたしは必ずしもこれに同調するわけではないし、ジェンダーフリーという言葉自体「分かりにくく、誤解を受けやすい言葉」だとは思うのだけれど、実際にジェンダーフリーを主張する人の話を総合するとだいたいこういったものがジェンダーフリー派の主張なわけ。自由にした結果、「男っぽい男」「女っぽい女」といった生き方を選択する人がいたって別に構わないわけで、全員がみな同じになる必要はない。生まれつきの性別を理由に「男はこうあれ」「女はこうあれ」といった強要を無くすという次元において「平等」を実現しようとするのが、男女平等論の一派としての「ジェンダーフリー論」だと思う。

それに対する批判や反論はあっても良いと思うけれど、マネーの実験がインチキだったからジェンダーという言葉自体ダメというんじゃ話にならないのよ。マネーの最近の著書「Gendermaps: Social constructionism, feminism, and sexosophical history」(1995) あたりを読むと、マネーは「アンチ・ジェンダーフリー」の論者だということがはっきり分かるくらいで、ジェンダーフリー論がマネーに依拠しているなんてことは絶対にないんだから。

これで小谷野さんに対するお返事は終わりだけれど、はてなダイアリの方を読む限りミルトン・ダイアモンド氏の関係で小谷野さんがご存じないことがありそうなので、このブログを以前から読んでいる人には繰り返しになるけれど小谷野さんのために説明しておく。小谷野さんのダイアリから以下引用:

 ところがなぜか無名舎版が絶版になり、保守派出版社・扶桑社から出て、妙な政治的色がついてしまった。八木秀次の解説がついていて、マネーの説を批判してきたミルトン・ダイヤモンドに、上野千鶴子の『差異の政治学』を紹介したら、「彼女は政治的目的のために真実を捻じ曲げている」という答えがあった、と書かれている。しかし、「朝日新聞」05年6月21日朝刊科学欄に載った、科学医療部次長・高橋真理子の文章は奇妙だった。高橋は、マネーの実験がインチキであることは、1986年に知っていたという。そしてこの本を読んで詳細が分かったというのだが、なぜ無名舎版を読んでいないのか。高橋は,自説を曲げないマネーも批判する。
 ところが、扶桑社版の解説で、男女共同参画を見直すべきだ、とあるのに驚いたと高橋は言い、ダイヤモンドに連絡をとると、ダイヤモンドは「生まれつきか育て方か、一方ではなく、両方の相互作用が性を決めるのです」と言ったという。「痛ましい悲劇から汲み取る教訓を間違えてはいけない」と高橋は結んでいる。
 さて、無名舎版を無視し(「朝日新聞」は書評もしなかった)、解説がついている扶桑社版をとりあげることで、高橋は話を捻じ曲げている。第二に、ダイヤモンドが本当にそう言ったのか、まさかダイヤモンドは日本語が読めないだろうから、自分で確認はしないだろう。しかもここで「性」と言われているのは「ジェンダー」だろうが、ダイヤモンドが言ったのは「ジェンダー役割」のことでしかありえない。

この辺りは、わたしが直接ダイアモンドさんに電話して確認を取っているので間違いない。また、「マネーの説を批判してきたミルトン・ダイアモンドに、上野千鶴子の『差異の政治学』を紹介した」のは世界日報の山本記者だけれど、彼は上野氏の記述をねじ曲げてダイアモンドさんに伝えており、それによって『彼女は政治的目的のために真実を捩じ曲げている』という答えを引き出した事になっているけれど、ダイアモンドさんはこれは自分の発言そのままではなく、上野氏を非難するような文面になったのは自分の意思ではなかったと言っている。朝日新聞と東京新聞にダイアモンド氏による「ジェンダーフリー派擁護」のコメントが載ったのは、ダイアモンド氏の側から自分のインタビューが間違った方向に利用されている状況を正すために、彼の弟子である日本人の元学生を通して各新聞社に持ち込まれたものであり、引用された部分は完全に正しい。

ちなみに「生まれつきか育て方か〜」の部分はマネーに始まる論争について言っているので、「両方の相互作用が決める」「性」とは「性自認」のこと。「ジェンダー役割」についての話ではありません。

また、先月になって山本記者よりダイアモンド氏にあてて、世界日報社が今度出す単行本にインタビューを転載して良いかどうか問い合わせていて、それに対してダイアモンド氏は「あのインタビューはわたしの主張が捩じ曲げられているので使用しないで欲しい」とはっきりと断っています。そのかわり、もう一度別のインタビューに応じるとしたうえで、今度は前回のような誤解が起きないようにメールを通して筆談でインタビューを受ける、と申し出たところ、山本氏からの連絡は途絶えたようです。また、山本氏はメールで「朝日新聞と東京新聞に載ったコメントで読者が混乱している」と泣きついているんですが、ダイアモンド氏は「わたしは常に同じ事を言っているだけで、あなたにも同じ話をしたはずだ、わたしはジェンダーフリーを支持している」と明確に答えている。

こうして見ると、朝日新聞の高橋氏はダイアモンド側の「自説の間違った利用を正す」ための戦略に乗せられてしまったかな、という感じはするのだけれど、この場合一番浅ましいのはダイアモンドを騙して自分の主張に都合の良いコメントを引き出した世界日報の山本記者だし、そんな怪しげなインタビューを引用して「ブレンダ本」をジェンダーフリー・バッシングのための道具として利用しようとした八木秀次氏の方でしょ。何度も言うように、ジェンダーフリーへの批判はあってもいいけれど、その根拠がいつ見てもウソだらけというのはみっともないから気をつけましょうね。

93 Responses - “小谷野さんへのお返事/「ジェンダーフリー」と「男女平等」の関係”

  1. TransNews Weblog Annex Says:

    小谷野さんへのお返事/「ジェンダーフリー」と「男女平等」の関係 – macska dot org
    小谷野さんへのお返事/「ジェンダーフリー」と「男女平等」の関係
    Filed under: feminism- Macska @ 6:36 pm
    前回「はてなキーワード」の「ジェンダー」の項目におかしな内容が書かれているの…

  2. rna Says:

    小倉知加子や上野千鶴子の問題発言等について述べたければ彼女らのキーワードに書けばいいのに。たとえばこういうふうに。
    http://d.hatena.ne.jp/keyword/%be%ae%c3%ab%cc%ee%c6%d8?kid=11326

  3. Macska Says:

    > 小倉知加子や上野千鶴子の問題発言等について述べたければ彼女らのキーワードに書けばいいのに。

    そうですねー、と思いつつ、いつの間にかここの論争が「小谷野敦」の項目で「ネット上のトラブル」として掲載されてるじゃないの(笑) いまのところ単なる議論であって、トラブルと呼ぶ必要はないと思うんですけれど…

  4. Macska Says:

    小谷野さんより、以下の内容のようなメールが届きました(以下に紹介するのは、「以下の文言を貼り付けておいてください」と指定された文面のみです):

    私はこれまでの経験から、インターネット上の議論の欠点は、すぐに返事をしたい衝動に駆られ、かつそれが可能であるために、相手方が提示した論文・著書等を参照することなく返事をしたりしてしまうことにあると考えている。そこで今回は、そのような必要が発生した時は、少なくとも私の側では、その論文・著書を参照するまで返答をしないことにする。あるいは一、二週間かかるかもしれないが、健全な議論の一つのモデルをこの機会に示したいと思う。

    わたしとしては、相手の返事を一・二週間待つこと自体は構わないのだけれど、現実問題として日本語圏の文献を取り寄せるのは困難なので、とても同じだけのコミットメントをわたしが共有することはできないな、と感じてしまう。もちろん、時にはどうしても文献にあたらなければ分からない部分もあるだろうけれど、大半の場面においては紹介する側の論者が要点をきちんと引用すればそれで済むんじゃないかなぁと思ったり。

    例えば、上野千鶴子さんの「差異の政治学」でマネーがどのような扱いを受けているか。他人から又聞きのわたしの理解だと、上野氏はさまざまな論者によるジェンダーという用語の定義の変遷を取り上げる中でマネーに言及しているに過ぎず、「双子の症例」には全く依拠していないどころかそもそもその例については言及すらされていないと聞いているのだけれど、こればかりは実際にそうなのかどうか小谷野さんに確認していただくしかない。(この点誤解して欲しくないのですが、わたしは上野さんの他の著作についてかなり批判的な意見を持っています。わたしが上野さんを擁護するのは「上野さんの理論がマネーの『双子の症例』に依拠している」という批判は的外れであるという点のみにおけるものであり、彼女の他の言説を支持しているわけでもなければ、「差異の政治学」を評価しているわけでもありません。)

    小倉知加子さんについては、日本のフェミニズムに詳しくないわたしは名前すら聞いた事がないのですが、もし彼女がおかしなことを言っているなら,直接その部分を引用して紹介していただけたらと思います。彼女の「○○」という本は悪い、みたいなことを教えてもらっても、わざわざケチがついた本を高い郵送料はらって日本から取り寄せたいというほど物好きでも金持ちでもないので、わたしには何の確認も取れないのです。より健全な議論を目指した結果、文献が入手できないというだけの理由で議論を滞らせてしまうのも困る。

    わたしの方から紹介した書籍についても、マネーの「Gendermaps」なんて別に読まなくても結構です(まぁ、ほんの150ページ前後の短い本なので、ヒマなら止めませんが)。中身を読まずとも、サブタイトルに「sexosophy」という言葉がありますよね。これもマネーの造語なのですが、要するに社会構築主義、フェミニズム、精神分析などといったものはみんな「sex についての philosophy = sexosophy」でしかなくて、自分がやっているような科学的な学問「sexology」と一緒にしてくれるな、と彼は言いたいわけですよ。科学者として一番やってはいけないコトをやったお前に言われたくねーよという声多数(笑)

  5. トニオ Says:

    まあ、
    >私の側では
    なので、「相手側」がそこまで付き合う必要は無いのではないでしょうか。

  6. 小谷野敦 Says:

    お答えします。
    まずマチカさん(いちいちアルファベットにするのが面倒なのでこうさせていただきます)が、「日本のことはどうでもいい」という態度をとることに、私は同意できません。はてなダイアリーは日本のものであり、日本語で運営されているからです。現に小倉千加子の『セックス神話解体新書』という、マネーの誤った実験に基づいてジェンダーを説明した本が版を重ねている以上、広くマネーの実験は失敗であり、日本の知識階層において「フェミニズム」の代表者と見られている上野・小倉がいかにこれを無視して、それまで言ってきたことの総括をしていないか、知らしめるべきでしょう(引用をマチカさんは望んでいますが、何しろこの本の最終章はほとんどマネーの実験の「成功」の説明に充てられています)。『ブレンダと呼ばれた少年』は、無名舎版が出た時に朝日新聞は書評しませんでしたが、これまた、日本の知識階層は朝日新聞をとっていることが多く、私もそうであって、この本は友人に教えられて初めて知ったのです。そして今回、私が考えても余計な解説がついた扶桑社版をわざわざ取り上げた高橋真理子のしたことも、もし八木秀次が浅ましいなら、それとと同じくらい浅ましいと思います。なお、『ブレンダ』に関する政治的隠蔽ですが、無名舎版は、数多くの部局がある東大図書館のどこにも入っていませんでした。先日私が扶桑社版を推薦したので総合図書館に入りました。読売毎日で書評された、これほど重要な本を東大が入れていないというのは、政治的作為を感ぜざるをえませんね。どうせなら変な色のついていない扶桑社版より無名舎版のほうがいいのです。
     さて、「ジェンダー」についてマチカさんは「上野さんらフェミニストが問題とする性役割や「社会的に構築された男性性・女性性」といったモノとは全然意味が違う」と言っておりますが、日本における上野らフェミニストの影響が大きい以上、この文章そのものを、「ジェンダー」の説明に加えるべきではないでしょうか。今の説明を見ただけでは、マチカさんがそう思って書いているなどとは、日本では誰も思いませんよ。
     また朝日新聞の記事ですが、マチカさんの説明では、ダイヤモンドは「インターセックスの子どもは身体だけでなく脳の性別(性自認)も中間的であるからどちらの性にも適合することができるかもしれないが、一般の子どもについてこの論理は当てはまらない」と考えた、としていますが、この記事では、「生まれつきか育て方か、一方ではなく、両方の相互作用が性を決めるのです」と言ったことになっており、重要な主語が抜けていて、高橋の記事もまたダイヤモンドの発言を捻じ曲げているのです。私だって、「インターセックスの子供は」という主語があれば、驚きませんよ。『差異の政治学』ではなくて、この件に関して上野が犯した罪は、小倉が『セクシュアリティの心理学』で、マネーの実験が失敗であったことに触れつつ、「マネーはフェミニズムにとって擁護すべき論者だろうか」などとごまかしたのを、『書斎の窓』2001年10月号の書評でそのまま認めたことでしょう。
     なお和製英語だからいい、というのは私は英語教師ですから見過ごせません。私は「男女平等」で一向に構わないと思うし、平等の内容がさまざまだ、などということは、言葉を言い換えることによってどうにかできる問題ではありません。
     ところでマチカさんは「科学者として一番やってはいけないコトをやったお前に言われたくねーよ」とマネーに対して言っているわけですが、それならなぜキーワード「ジョン・マネー」はああもマネー寄りに書かれたのでしょうか。「これらの批判を差し引いても、性科学における学会である Society for the Scientific Study of Sexuality (SSSS) の会長を2年間務めるなど性科学界における長年の貢献は他の研究者から高く評価されており」と書いたのはマチカさんですよね。「差し引いても」は日本語として変なので「考慮に入れても」でしょうが、その後の部分は、まさにダイヤモンドが長年マネーの誤りを指摘できなかった原因であるマネーの政治力にあるのではないでしょうか。学会の会長の言っていることが間違いだらけ、などという例は私自身よく知っています。主著が間違いである人が文化勲章を貰ったりね。米国もそれは同じはずです。
     また、ダイヤモンドが「わたしはジェンダーフリーを支持している」と明確に答えている」とありますが、「ジェンダーフリー」は和製英語なのにダイヤモンドが使ったんですか? 間違いのないように原語で書き直してください。
     いったんまとめると、上野、小倉といった人たちが広く読まれている日本においては、「ジェンダー」の説明をするなら、マネーの実験が失敗だったことを付記すべきである、ということ。学問的成果というのは、常に正しく一般知識階級に伝わるものではないからです。第二に、マネーの説明がマネー擁護的に見える点は、書き直すべきであるということです。
     ところでインターセックスの場合は、外性器において既に男女いずれともいえないわけですが、トランスジェンダーとトランスセックスにおいては、外性器に異常はないにもかかわらず、性自認に違和感を感じるわけですね。とすると、彼らにおいては、むろん男児として生れれば男児として育てられるわけですから、性自認すなわちジェンダーは、先天的なものである、と考えるべきではないのですか? インターセックスは、ジェンダーは先天的ではない、というテーゼを証明しないはずです。もし私の間違いであれば、正してください。もし「ジェンダー」という概念が、インターセックスという特異例をもとに構成されているだけなら、それを一般の人々にまで及ぼす必要はどこにもない、つまりジェンダー概念が必要だとは思えないのですが。なぜならマネーの実験が失敗したことが明らかになった時点で、男の外性器を備えて生まれ、性同一性障害ではない者は、先天的に男である、ということがはっきりしたわけですから。もっともこういうことを言うと「差別論」にしてしまう人がいますが、例外的事例である、ということは、その人々を保護しなくてよい、ということにはなりません。つまり、女は職業を持つな、みたいな性別役割分担を否定するだけなら、「男女平等」でいいのであって、ジェンダーという概念は不要です。
     なお清水晶子さんにお答えしますが、ジェンダーフリーならあらゆる人間が売セクシュアルになるべきだと主張しなければならない、というのは、一部文系学科および同性志向者解放運動における「強制的異性愛批判」(セジウィックの『クローゼットの認識論』)に基づいた議論です。性別というものは、生物学的に存在するからなくなりませんから。また一般に「同性愛」と訳されているhomosexualは「愛」の意味を含まないので、同性志向と訳すのが適切だと私は考えています(『聖母のいない国』)。セックスに「愛」が常に付随するとは限りませんからね。

  7. Macska Says:

     小谷野さん、お答えありがとうございます。
     日本でのマネー受容について「ジョン・マネー」も項目に書き込むことについてですが、全くダメだとはわたしは言っていません。わたしが「ジョン・マネー」の項目を書き直す前のバージョンでは、憶測にすぎないことが事実であるかのように断定調に書かれていたためバッサリ削除させていただきましたが、具体例をもってフェミニストの誰がどの著作でマネーの「双子の症例」をいまだに持ち上げている、という記述でしたら含めても構わないと思います。なんばさんが言う通り、そのフェミニストの名前で項目を作り、そこに彼女たちの間違いを書いた方が自然であるとは思いますが。
     では、実際のところ「日本のフェミニスト、小倉千加子や上野千鶴子はその『ブレンダ』少年の事例をごまかして自らの過ちを認めようとしていない」のかどうか。上野氏については、日本のある方から「差異の政治学」論文(書籍「差異の政治学」の一章分がそれにあたる)のコピーを送ってもらったのが今朝届いたので早速読んでみたのですが、やはりかねてから教えてもらっていた通り、上野氏の記述は一切「双子の症例」に依拠してはいませんでした。
     小倉千加子氏や「セックス神話解体新書」については読んでいないので評価できませんが、小谷野さんの言う通りだとすると問題だし、新しい版で訂正を入れるべきだと思います。が、小谷野さんの文面をよく読んでみると、小倉さんは「セクシュアリティの心理学」でマネーの実験が失敗であったことをちゃんと認めて報告しているわけでしょう? その態度が「誤摩化している」ように見えた、というのは小谷野さんの主観であって、外形的な事実だけ見れば彼女は自分が過去に引用した間違った記述について公的に「間違いだった」と報告しているわけですから、ますます「ブレンダ少年の事例をごまかして自らの過ちを認めようとしていない」というのは事実として間違いであるように思えてきます。現に、認めているわけですから。
     さらに、もし小谷野さんの言うように上野さんのこの件に関する「罪」が、書評で小倉氏の記述に鋭いツッコミを入れ損なったというだけであると、彼女自身が実行犯の一人であるかのような小谷野さんの記述はどこからどう見てもおかしいです。「日本のフェミニスト、小倉千加子や上野千鶴子はその『ブレンダ』少年の事例をごまかして自らの過ちを認めようとしていない」というのを正しく書き直すと、「小倉知加子氏は著書『セックス神話解体新書』においてマネーによる『双子の症例』実験を肯定的に引用しており、後に実験が失敗に終わったことを知りながら新しい版でも記述を訂正していない。ただし、後の『セクシュアリティの心理学』において実験が失敗であったこと自体は認めている。上野千鶴子氏は『セクシュアリティの心理学』の書評において、小倉氏が『セックス神話解体新書』の記述を訂正せずに放置していることについて批判すべきだったが、しなかった」。このように事実だけで文章を構成すると、随分と印象が違いますね。
     「ジェンダー」の項目により詳しい説明を入れる件については、わたしはどちらとも思っていません。わたしが問題としているのは「明らかに間違った記述、あるいは政治的に偏向した記述」であり、ただ単に不十分な記述について自ら積極的に充実させていくということまでは行っていません。
     朝日新聞の記事は,ダイアモンド氏の発言を捩じ曲げてはいません。かれが朝日新聞に向けて発した言葉の主語は「インターセックスのこども」ではなく、「こども一般」です。また、わたしがダイアモンド氏の主張として「インターセックスの子どもは身体だけでなく脳の性別(性自認)も中間的であるから〜」と書いたとき、それは彼が60年代あたりにマネーに対抗していて主張していたことであり、必ずしも彼の今の考えを表しているわけではありません。事実、インターセックスの子どもについてもそう恣意的に性別を決定することはできないことが最近は分かっているわけですし。
     和製英語について。英語教師としての小谷野さんが、できるだけ「正しい」英語を教えたいと思っていることについては理解できます。一方、わたしはポストコロニアリズム系の論理を少しかじっている者として、英語のさまざまな方言や合成語のうちどれか1つが「正しい」という考え方に批判的であり、フィリピン英語やモザンビーク英語があってもいいように和製英語も肯定する立場です。しかし、小谷野さんが英語教師としての立場を強調するのであれば、「ジェンダーフリー」論を批判するのにマネーの亡霊を持ち出す必要はないですね。「英語としておかしく、美しくないからダメなんだ」の一言でOKです。
     「男女平等」で構わないではないか、という小谷野さんの考えに、実はわたしも賛成です。「男女平等では、保守派の男女特性論につけ込まれる余地がある」みたいに言う人がたくさんいるのですが、「ジェンダーフリー」という概念の方がつけ込まれる余地がはるかに多いように思えますし… しかし、ジェンダーフリーを主張する人たちがそうした概念を選んだのにはそれなりの理由があるわけでして、ジェンダーフリー概念を批判するのであればその理由くらいは正しく理解した上で行うべきでしょう。
     キーワード「ジョン・マネー」は、決してマネーに好意的に書いたつもりはありません。わたしは仕事柄性科学業界を知る立場にいるわけですが、本当にマネーは今でも多くの関係者に尊敬されていて、彼がおかした過ちについては矮小化される傾向があります。「ジョン・マネー」の項目を書き換えるにあたって、もともとあった政治的に偏向した記述をバッサリ削除する以上は、できるだけわたしの個人的な意見を抑えた伝記的な記述にしようと心がけた結果、ああした記述になりました。
     はい、ダイアモンド氏の「わたしはジェンダーフリーを支持している」の原文ですね。8月10日付けのダイアモンドから山本記者へのメールから引用すると、以下の通りです:

    Basically I do support gender-free ideas. I don’t think there is anything in the book “As Nature Made Him” that goes against that idea. (アンダーラインもダイアモンドによる)

     この文章において、ダイアモンド氏はもちろん和製英語の「ジェンダーフリー」を正確に理解して使用しています。驚きました? ダイアモンド氏はアジア通ですし、彼の住むハワイでは日本人やフィリピン人・中国人らが持ち込んだ「変な英語」がたくさん普通に使われているので、ダイアモンド氏には和製英語を使うことにあまり抵抗がなかったのだと思います。
     トランスセクシュアルの人について、性自認が先天的であるかどうかについては、まだ決着がついていない論争だと認識しています。今現在言えることは、胎児期に浴びる男性ホルモンの量が性自認の構築に深く関係していそうだ、というあたりでしょうが、いずれにしてもそれによって100%性自認が説明できるとは思いません。やはりある程度は生育環境も影響しているとわたしは思っています。
     「男の外性器を備えて生まれ、性同一性障害ではない者は、先天的に男である、ということがはっきりした」ということは、マネーの実験失敗だけでは言明できません。なぜなら、たった1つの症例からそれだけの原理を導き出すのは学問的ではないからです。現に、「ブレンダ」と同じように幼くして事故によってペニスを失い女性として育てられた元男児の例が他にも報告されていますが(双子でなかったため、同じ様には騒がれなかった)、他の例ではそのまま女性として生きているのです。 [cf. Bradley SJ, Oliver GD et al. (1996). “Experiment of nurture: Ablatio penis at 2 months, sex reassignment at 7 month, and a psychosexual follow-up in young adulthood.” Pediatrics. 102(1):e9-e14.](この論文、ご希望ならお送りします。)つまり、マネーの説が否定されたからといって、その反対の説が証明されたわけでもなく、現在言えることは「性自認は、何か1つの原因だけによって決定されるほど単純なものではない」という事だと思います。
     えーと、これで全部答えたかな。

  8. 清水晶子 Says:

    小谷野さん、御返答ありがとうございます。
    わたくしは、おそらく「一部の文系学科」研究者であり、「強制的異性愛主義批判」も行っているつもりの者ですが、それに基づいた場合でも「ジェンダーフリー」は「バイセクシュアル」を導きださないと思うのです。とりわけ、小谷野さんの挙げられたセジウィックなどの90年代以降のジェンダー・セクシュアリティ論においては、「ホモセクシュアル」「ヘテロセクシュアル」「バイセクシュアル」という区別は、「生物学的な」オスメスの組み合わせではなく「ジェンダー自認」に基づく組み合わせに従って考えられることになると思うのですが、いかがでしょうか。その場合、「ジェンダーからフリーになるというのをジェンダーという指標を持たないという意味でとるならば」、「バイセクシュアル」は(もちろん「ホモセクシュアル」「ヘテロセクシュアル」も)存在しえなくなりませんか。
    ところで、「強制的異性愛主義批判」を仰るときにリッチ(あるいは最近の「日本のアカデミアでのジェンダー論」ではおそらく最も人気のあるバトラー)ではなくセジウィックを挙げてくださったのには、理由がおありなのでしょうか。セジウィクの解釈に従えば小谷野さんの指摘されたような「バイセクシュアル」論が成立するということでしたら、私の勉強不足で申し訳ありません。
    それ以外の点については、Macskaさんの仰ることに私はほぼ賛同なのですが、一つ気になる点がありましたので、それだけ。
    日本において上野千鶴子氏、小倉千加子氏がフェミニズムの著名人であり、おそらく現在一般にもっとも広く読まれて著者のうちに入ることは、小谷野さんのご指摘のとおりです。従って、一般の読者を想定する場合、この二人の影響というのは確かに小さくないと思います。しかし、研究者や学生、「ジェンダー論」を個人でフォローしている読者などを想定するならば(小谷野さんのおっしゃる「知識階級」が何を指すのかが分からないのですが、一応そのあたりを指すのではないかという想定をしておきます)、少なくとも小倉氏が学問としてのフェミニズムの代表者として見られているということはありませんし、上野氏についても、代表的で重要な研究者の一人としてみなされてはいても、日本のフェミニズム研究、ジェンダー論、セクシュアリティ論などの全てが彼女の研究内容をその学問的基盤にしているわけでは、決してありません。
    従って、上野・小倉両氏がマネーをどのように理解し伝えているかの検証はそれ自体では重要なものですが、たとえ両氏がマネーの「双子の症例」に全面的に依拠して「ジェンダー」を定義しているとしても(おそらくそうではないだろうというのがMacskaさんのコメントだと思いますが)、それは日本のアカデミアにおける従来のジェンダー理解、あるいは「ジェンダー」という用語そのものを無効にするものではありません。

  9. Yoko Says:

    小倉千加子さんの『セックス神話解体新書』、私も読んだことがないので早速読んでみようと思い、amazon.co.jpで検索しましたら、小谷野さんの署名入りのレビューで、

    http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480030859/

    > 既に著書に書いたが(「中庸、ときどきラディカル」)、それ以前に推薦したことがあるので駄目押しで書いておく。本書の最後に出てくるジョン・マネーの、性別(ジェンダー)は後天的に変えられるという説の根拠となった「実験」は、インチキであった、ということがジョン・コラピント「ブレンダと呼ばれた少年」に克明に書いてある。

    ってありました。小谷野さんが当ブログで

    >小倉千加子の『セックス神話解体新書』という、マネーの誤った実験に基づいてジェンダーを説明した本

    小倉氏の「基づいて」と言ってる以上、小倉氏の本で大々的に取り上げられてるのかと思ったら、やっとこさ「本書の最後に出てくる」に過ぎないんですね。それを、「基づいて」とまで言うのは、かなり荒技というか、悪意に「基づいて」いる表現だと思います。

    ま、私もこの本を読んでないのでそれ以上はいえませんが。小谷野さんのご指摘のとおり、最後にちょろっと書いてある程度なら、お金と時間の無駄ですので買うのやめようと思います。

  10. ko Says:

    いや、小倉千加子の二冊については、一度一応目を通しておくことは必要かもしれないと私は思います。
    二冊とも読んだことはありますが、アップするには分量が多すぎる。
    感想としてはなんとも言えないなあ。
    客観的(科学的→限定された時間・空間としての)事実として書いているのか、その場の勢いだけで、
    何でもいいと思って書いているのか、私には判然としませんでした。
    いずれにしても、あの程度の文章ごとき、一々取り上げるにもバカバカしいと、今では思うようになりましたが。

  11. まな Says:

    私は現在のところ本名を明かす用意はないので、とりあえず議論の材料としてのとしての情報提供のみで。
    NACSIS Webcatで検索したところ、『ブレンダと呼ばれた少年』(2000)無名舎版は119の大学図書館で所蔵していました。
    あと、参考として(数字は所蔵図書館数です)
    マネー&タッカー『性の署名』(1979) 204
    上野『差異の政治学』(2002) 325
    小倉『セクシュアリティの心理学』(2001) 308
    小倉『セックス神話解体新』(1988)学陽書房版 120
    小谷野『中庸、ときどきラディカル』(2002) 60
    小谷野『もてない男』(1999) 150

    それと、Yahoo!で検索して出てくる女性(男女共同参画、男女平等推進…)センターのうち、ネットでライブラリーの図書検索ができるもののいくつか(疲れて途中でやめてしまったので…)を検索してみたところ、8割以上(全部調べてないのであくまでも参考程度ですが)のセンターで無名舎版の『ブレンダ〜』を所蔵していました。

  12. 小谷野敦 Says:

    マチカさんへ
     なんだ、そういう論文があるんですか。いや、送ってくださらなくてもウェブ上で見つけました。でも98年ですね。これでいいのかな。
    http://www.cirp.org/library/complications/bradley/

    ダイヤモンドも引用されていますね。もう、それなら早く言ってくださればいいのに。いじわる。まあ、スペシウム光線は最初から出さないものですがねウルトラマンマチカさま。しかしそれならなぜ日本の「フェミニスト」はこれを訳して、八木秀次とかに突きつけないんでしょうね。高橋真理子だって「別の研究もある」と書いておけばいいのに。小倉千加子だって、変な言い訳しないで、こういうのもある、と書いておけばいいのに。もしまだ誰も訳していないなら私がやりましょうか。まあ最近の政治的人文・社会科学はあまりに低レベルで、しかも上野・小倉がフェミニストの代表だと思っている人は、日本で十万人程度の知識階級、百万人レベルでは、落合恵子と田嶋陽子です。それ以外の人は、こんな論争が起きているなんて夢にも知りません。
    ところでこんなのが出現しましたが、
    http://d.hatena.ne.jp/rna/20050914
     この人はマチカさんの言っていることを理解していない、また政府の見解におけるジェンダーの用法も間違い、ということでいいですか。
     清水晶子さんへ
     もちろん、「強制的異性愛」は、リッチの用語としては、女性が、女性との間でのほうがより強い紐帯を感じる、という意味ですが、日本ではその点あまり強制的異性愛が働いていないので、女性同士でも遊びに出かけるし、最近は結婚もしなくなりました。セジウィックは、同性志向者解放の立場からこの語を使っていますが、「異性愛者こそカムアウトすべきだ」というのはただの言葉遊びで何の解決にもならないと思います。実は小倉千加子の『セクシュアリティの心理学』もそう言っていて、同性志向者がより大勢カムアウトしか道はない、と言っていてこれには私も同意見ですが。もっとも「恋愛しなければいけない」という近代的恋愛思想に反対だというなら、もちろんそれは私が延々批判してきたこと、つまり恋愛なんかできない者もたくさんいる、ということになりますが、リッチやセジウィックはそんなことは考えてもいないでしょう。

     

  13. Macska Says:

    小谷野さん:
    > なんだ、そういう論文があるんですか。(略)
    > もう、それなら早く言ってくださればいいのに。いじわる。

     いや、そういう論文があろうとなかろうと、論理的に考えれば「マネーの1つの症例だけをもとに、どちらか一方が正しいと断言することはできない」というのは分かるはずです。つまり、マネーの実験の失敗が明らかになる前に、あの1つだけの例を「性自認は生育環境によって作られる」ことの証明だと持ち上げた連中も非科学的ですし、逆に失敗が明らかになた後に、あの1つだけの例を「性自認は生まれつき決定されている」ことの証明だと言い張る連中も等しく非科学的です。
     しかし、仮にブレンダがそのまま女性として生きていればそれでマネーの非人道的な扱いが許されるのか。コラピントの本を読むと分かる通り、マネーは「治療」と称して幼い子どもにセックスの真似事をさせたりポルノを見せたりしており、そうした「治療」そのものについての責任があると思います。わたしは、マネーの「理論的な間違い」よりも「心理学者としての臨床倫理上の間違い」の方が大きな問題だとずっと主張してきたのですが、世間ではあの重いテーマの本を読んで「性自認の根本の原因は何だろう?」みたいなくだらない議論のネタとしか扱われていないのが残念です。
     ちなみに、関連した話題で、過去に書いたブログエントリがあります: http://macska.org/index.php?p=73
     これは、Law & Order: Special Victim Unit という刑事ドラマの、「ブレンダ少年」の話をモチーフにしたエピソードについてですが、ジェンダーのミステリといった側面と、ジェンダーとは無関係に「治療」行為自体が生んだトラウマという側面をきちんと見せている点が良いと思っています。このドラマ、ギャングスタ・ラップの創始者の一人であり、「警官を殺せ」みたいな歌詞で社会問題になった Ice-T が刑事の役をやっているあたりがひそかなジョークだったりするんですが(笑)

    > しかしそれならなぜ日本の「フェミニスト」はこれを訳して、八木秀次とかに突きつけないんでしょうね。

     多分知らないからだと思いますが、突きつけてどうなるっていうんでしょうか。そもそも、仮に性自認が100%完全に生物学的に決定されていたとしても、それを男女共同参画やジェンダーフリー(自由という和製英語の意味で)に対する反論として持ち出すのは論理的に言って無茶苦茶じゃないですか。だって、性自認が生まれつき決定されていたとしても、男女に平等に機会を与えるべきだという主張や、ジェンダーの規範をもととした嫌がらせや強制など不当な扱いをやめようという主張を崩すことにはならないもの。もし「性自認は生物学的に決定されている」という事実が八木氏の主張を支える論理的根拠になっているなら、根拠として提示された事実を反証することには意味があります。ところが八木氏の主張は何らそういう論理的な構造を持っていないわけですよ。

     ところで小谷野さん、ほかの論点はどうなったのでしょうか? 横道に逸れた部分はどうでも良いとしても、本来のポイント、すなわちわたしは今でも小谷野さんがキーワード「ジェンダー」や「ジョン・マネー」に書き加えた内容はおかしいと思っていますが、それに対する反論はないのでしょうか。

    > ところでこんなのが出現しましたが、
    > http://d.hatena.ne.jp/rna/20050914
    >  この人はマチカさんの言っていることを理解していない、また政府の見解におけるジェンダーの
    > 用法も間違い、ということでいいですか。

     なんばさんとは fj 時代からもう10年近い論争相手(最近はあんまり争ってないですが)ですが、わたしの言っていることは理解していると思います。というか、本人は「小谷野氏の主張がほとんど理解不能」と言ってますよ。
     政府の見解については、わたしの採用する定義とは違いますが、「ジェンダー」という言葉に対する一般的によく使われる定義のうちの1つであり、間違いとまでは言えないと思います。最後の方が言い訳がましくて、あんまり良い文章だとは思わないですが。

  14. 小谷野敦 Says:

    マチカさん
     それはもう水掛け論にしかならないでしょう。私は、「日本では十万人レベルの知識階級が、マネーの実験を論拠として宣伝された『性自認は事後的に変えられる、だからジェンダーなどというのは曖昧なものなのだ』という議論を信じている。だからそれは違う、と言いたかった」のであって、確かに「たった一つの例」でそれを証明するのは科学的にも不十分だけれど、人体実験をするわけにいかないから、この例で満足していると。で、今回マチカさんが出した論文で、その点は解決しました。だからマチカさんは、「マネーの実験は失敗だったが、こういう別の論文もある」とあのキーワードに書いておけばいいんですよ。「ジョン・マネー」に関しては、あれでいいと思いますよ。それにマチカさんは、先に「ジェンダー」というのは、男女共同参画のなんたらで言われているのとは違う意味で言っている、と言っておきながら、今度は、間違いとまではいえない、というのでは二重基準ではないですか。それならもう一度、話を元へ戻さなければなりません。つまり、それなら「男女平等」でいいのであって、「ジェンダー」などという概念を使う必要はないだろう、とね。「本人は「小谷野氏の主張がほとんど理解不能」と言ってますよ」って、この人がマチカさんと「ジェンダー」のとらえ方が全然違うのはどういうわけでしょう。それこそ理解不能です。

  15. 小谷野敦 Says:

    あなたはこう言っています。「なぜ『男女平等』をわざわざ『ジェンダーフリー』と言い換えるのか」という疑問は真っ当な疑問であって、「ジェンダーフリー」を推進する人たちはそれに正面から答えるべきだと思う。」
    つまりあなたは私の言っていることを理解している。しかし「自動小銃」は全然理解していない、ということになるでしょう。自動小銃こそが「正面から答えるべき」なのに、おかしいですよ。これまであなたの言うことはなかなか明晰でしたが、自動小銃氏が出てきたとたんに不明瞭になった。長年のつきあいだからか? と勘ぐりたくなります。

  16. Macska Says:

    > 私は、「日本では十万人レベルの知識階級が、マネーの実験を論拠として宣伝された『性自認は
    > 事後的に変えられる、だからジェンダーなどというのは曖昧なものなのだ』という議論を信じて
    > いる。だからそれは違う、と言いたかった」

     でも、「性自認は事後的に変えられる」と「ジェンダーなどというのは曖昧なものなのだ」というのは論理的に何の繋がりもありませんよね。だから、もしそうした事を主張するフェミニストがいたら、その時点で論理の飛躍を批判すれば良いわけで、マネーの実験が失敗だったと分かったからといってジェンダーという概念が覆るわけがありません。もし上記のような発言に対して「それは違う」と言いたかっただけなのであれば、マネーの失敗に関連して「従来通りのジェンダー理解は通用しない」などと余計な事は書かないでください(というか、既に他の方が訂正しているのでもう良いですが、今後気をつけてください)。
     はっきり言って、マネーの「双子の症例」は、キーワード「ジェンダー」の解説に書き込むほどの重要な要素ではないと思います。だって、ジェンダーについて論じた人はたくさんいて、その中で特にマネーが有名というわけでも影響力があったというわけでもないですから。書き込むとしたら、「性自認」の項目において、性自認は生まれつきのものか、それとも生育環境によって作られるものかという議論の一部として紹介するのが自然じゃないでしょうか。
     
    > 「ジョン・マネー」に関しては、あれでいいと思いますよ。

     良くないです。「日本のフェミニスト、小倉千加子や上野千鶴子はその『ブレンダ』少年の事例をごまかして自らの過ちを認めようとしていない」と小谷野さんが追加されましたが、その部分が不要です。なぜなら、上野千鶴子氏がおかした「過ち」は小谷野さんの言う通りだとすると「書評において小倉氏の間違いを指摘しそこねた」程度の軽微なものでしかないですし、その小倉氏についても小谷野さんの記述を信じるなら後の著書で間違いを認めているわけですから、事実として間違いだし、そもそもマネーについての説明であそこだけ唐突です。「日本におけるマネーの受容とそれへの批判」みたいな形でふくらませて書くのであればまだ良いですが、あの2行だけじゃ「上野氏は今でも『双子の症例』を利用している」といった誤解を生むだけです。

    > この人がマチカさんと「ジェンダー」のとらえ方が全然違うのはどういうわけでしょう。それこそ理解不能です。

     要するにですね、「ジェンダー」という用語には、行政上での使われ方だとかセクシュアリティ研究における使われ方だとか場面に応じていくつかの用法があるわけです。政府の見解はそのうちの割とメジャーな用法の1つであるし、なんばさんの理解もそれに収まるものです。また、和製英語の「ジェンダーフリー」と違って、「ジェンダー」というのは世界中で使われている用語ですから、混乱することもないと思います。
     もちろん、「ジェンダー」という言葉を使わずに「男女平等」を訴えることだってできますが、逆にことさら「ジェンダー」という言葉を追放しようとする小谷野さんの主張の方がとっても不思議です。いや、「ジェンダーという言葉を使うな」と訴えるのは小谷野さんの勝手であるから黙ってみておくとしても、マネーの失敗に言及してもジェンダーという言葉にケチを付けたことにはならないのね(笑)

    > 自動小銃こそが「正面から答えるべき」なのに、おかしいですよ。

     わたしの知る限り、なんばさんは「ジェンダーフリー推進者」ではないはずです。したがって、ジェンダーフリーについての説明責任はないでしょう。そもそも、推進者でないとはいえわたしがちゃんと既に説明しているのに、何をこの上答えろと言うのでしょうか。

  17. 清水晶子 Says:

    小谷野さん
    > 私は、「日本では十万人レベルの知識階級が、マネーの実験を論拠として宣伝された『性自認は
    > 事後的に変えられる、だからジェンダーなどというのは曖昧なものなのだ』という議論を信じて
    > いる。だからそれは違う、と言いたかった」
    先ほどもコメントしましたが、これは明らかに小谷野さんの誤解です。「ジェンダーは曖昧なものだ」という議論はマネーに依拠することなく展開されていますし、それを「性自認は事後的に変えられる」という議論と混同している研究者は殆どいません。(探せば一人二人見つかるかもしれませんが。)

    それから、強制的異性愛について御返答いただいたのですが、小谷野さんと私とでは「日本における強制的異性愛の存在」について理解が違うということはわかったものの、小谷野さんの御理解においてどのように「ジェンダーフリー」が「バイセクシュアル」を導くのかが判然としません。それについても御返答いただければ幸いです。

  18. ほっかいどう はぐれ雲 おじさん日記 Says:

    ジェンダー?
    家の息子が学校で、
    「長靴が女みたいだ」と馬鹿にされて、
    ちっちゃなハートに小傷をつけて帰ってきた。

    妻は息子に
    「そういうのをジェンダーと言うんだよ」と
    語っておりまし…

  19. 小谷野敦 Says:

    北海道のおじさん
    >昔、ランドセルは男は黒、女は赤しかなかったけど
     ゴレンジャーのリーダーはアカレンジャーだし、ウルトラセブンも真っ赤です。徳川時代、井伊家の軍は赤備えと呼ばれました。平家の軍は赤旗。英国陸軍は赤の軍服です。赤は女の色だなどというのは真っ赤な嘘であると、教えてあげてください。なお「桃太郎」というのがありますから、桃色が女の色だなどというのも間違いです。「

  20. 小谷野敦 Says:

    扶桑社版『ブレンダ』でなぜ『差異の政治学』が出てきたのか確認しますので、二日ほどお待ちください。

  21. Yoko Says:

    http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai6/6siryou3.html

    八木秀次高崎経済大学助教授 入室)
    ○吉川座長 それでは、御紹介します。
     高崎経済大学助教授の八木秀次先生です。御専門は憲法学です。
     それでは、先生、よろしくお願いします。

    ○八木助教授 

    (中略)

    >仮に神武天皇を初代といたしますと、初代の性染色体、男の場合XとYのうちのY、Y1 は男系男子でなければ継承ができません。生物学者の中に、その点を「Y染色体の刻印」というふうに表現なさっている方もおられます。
    > 男系男子であれば、遠縁であっても同じY1 を確実に継承しているということが、お配りをした資料の、遺伝の系図で確認ができます。確認している時間がございませんので、それは後ほどたどっていただければと存じます。

    こんなことを堂々とほざいたスーパーバカを、まともに相手にするだけ時間の無駄。

  22. 山本 蘭 Says:

    ジョン・マネーの例はMacskaさんも書いていらっしゃるようにたった1例です。
    こういうものは、ケースに当てはまる場合もあるし、当てはまらない場合もあわけで、
    事例が多く集まれば、全体的な傾向と言えるものが出せるに過ぎないのだと思います。
    自然科学だから、個体ではなく、集合として扱うべきものです。
    例えば、http://pksp.jp/happygirlyuki/?o=0&ps=&ss=&km= に書いてあることが本当
    であるならば、この方は女性として育てられて女性としてのアイデンティティを獲得
    しているように見えます。また、私の親しい人にも何人か昔女性として育てられたと
    いう方がいらっしゃったりします。だから、1例で良い、悪いを判断するのではなく、
    今後の継続的な研究が望まれます。
    もっとも、私は学者でも研究者でもなく活動家なので、1つの事例でも有用なものは
    利用させていただきますけれど。

  23. 小谷野敦 Says:

    清水さん
     異性志向中心主義が批判されるなら、ジェンダーから解放された人間は、ジェンダーに捕らわれず、異性も同性もセックスの対象として見るべきだということになるからです。別に難しいことじゃないでしょう。これは「ジェンダー・フリー」を字義通りにとれば、という話です。
     確かに山本さんのおっしゃるとおりで、ダイヤモンドが「子供の性自認は生まれつきと環境で決まる」と断言してしまうのは、「環境」によって先天的な性とは違う性自認を持つようになる例がごく少数、数学的には天文学的に小さなパーセンテージであることを思うと、疑問なしとしません。米国のアカデミズムにも、フェミニズム系の抑圧がありますから、ダイヤモンドが政治的にこう言った可能性はあります。なにしろ、「異性愛の擁護」なんて本もあって、こんな本、日本では考えられませんからね。

  24. 清水晶子 Says:

    >異性志向中心主義が批判されるなら、ジェンダーから解放された人間は、
    >ジェンダーに捕らわれず、異性も同性もセックスの対象として見るべきだということになる

    申し訳ありません、まだわからないのですが。
    なぜ「異性愛中心主義批判」「ジェンダーフリー」の組み合わせが「バイセクシュアル」を導くということになるのでしょう。
    「異性愛中心主義が批判されるならば、異性も同性もセックスの対象として見るべきだということになる」というのであれば、まだ分かります。その場合、「異性愛中心主義批判」を根本的に誤解していらっしゃるとは思いますが。しかしこの場合、「ジェンダー・フリーがバイセクシュアルを導く」のではなく、異性愛中心主義批判がバイセクシュアルを導くのではありませんか。
    そして、「ジェンダーから解放された人間は、異性も同性もセックスの対象としてみるべきだ」というのであれば、こちらもまだ分かります。ここで「ジェンダーから解放された」は「ジェンダーを考慮の対象としない」ということであり、その場合「バイセクシュアル」は「性の対象を選ぶ際にジェンダーを考慮しない」ということですね。しかし、「ジェンダーを考慮しない」時点で、その人は「バイ」セクシュアルとは言えないと私は思いますが、いかがでしょうか。逆に「性の対象を選ぶ際にジェンダーを考慮しない」人間であっても、性の対象の解剖学的性別は二つあり得るのでその人は「バイ」セクシュアルであると仰っているとすれば、ここでは「ジェンダー」(社会学的性別)と「セックス」(解剖学的性別)は明確に区別されており、従って「性の対象を選ぶ際にジェンダーを考慮しない」でも「ペニスは嫌」「ヴァギナは嫌」などを考慮して性の対象を選べることになり、解剖学的性別が二つになるとは限らないと思うのですが。

  25. Macska Says:

    > ジェンダーに捕らわれず、異性も同性もセックスの対象として見るべきだということ

     だからですねー、人々がそういう行動を取るようになったと仮定して、それをバイセクシュアリティとみなすのは、ジェンダーの区別があるからですよ。ジェンダーの区別が無ければ(英語的に解釈した「ジェンダーフリー」)、ヘテロセクシュアリティ、ホモセクシュアリティ、バイセクシュアリティといった区別も無効になります。
     あと、ついでですけどすべての人がセクシュアルであるわけでも性的感心の対象に人間を選ぶわけでもないので、全員が「異性も同性もセックスの対象として見る」ことにはならないでしょう。

    > 「環境」によって先天的な性とは違う性自認を持つようになる例がごく少数、
    > 数学的には天文学的に小さなパーセンテージであること

     これは、何を根拠に断言されているのでしょうか? 仮に性同一性障害の発生率のことを言っているとした場合、性同一性障害の原因を「環境」によるものだと決めつけていることになりますが、そのような根拠はありません。(かといって、性同一性障害が生物学的に決定されているものだと言っているわけでもありません。どちらがどの程度の割合で影響を持つのか解明されていないのです。)それに、性同一性障害の発生率は社会是隊から言えば確かに「ごく少数」ですが、「天文学的に小さなパーセンテージ」というのは言い過ぎです。
     生物学的条件が性自認にどの程度影響を与えるかを考えるのに、ある程度参考になるデータはあります。aphallia(生まれつきペニスがないほかは正常な男児)や cloacal exstrophy(下半身の異常によって大腸の一部が剥き出しになている症状)の男児(ペニスにも異常がある場合が多い)のケースでは、いわゆる「完全な男性」ではないですが、一般的には「インターセックス」とも解釈されていません。なぜなら、かれらはホルモン的な理由で性器の発達に異常があったインターセックスの子どもと違い、遺伝子的・ホルモン的に「正常な男性」と何ら違うところがないからです。
     さて、aphillia や cloacal exstrophy の男児が生まれたとき、伝統的には「不十分なペニスを手術で正常な形にするのは難しい」という理由によって女児として育てることが一般的でした(そういう前例があるからこそ、ブレンダの件でもああいう決定がなされたわけです)。ところが最近になって、Reiner WG, Gearhart JP (2004). “Discordant sexual identity in some genetic males with cloacal exstrophy assigned to female sex a birth.” New England Journal of Medicine.350(4):333-341. をはじめいくつかの論文が発表され、「女児として育てられた CE や aphallia の子ども」のかなり多数が、後に自分の性自認は男性であると言うようになっていることが明らかにされました。ここに挙げた Reiner & Gearhart の研究がその代表例ですが、それによると女児として育てられた14人のうち8人までが「男性」を自認しており、逆に男児として育てられた2人はいずれも「男性」のままであった、とされています。
     「なるほど、やはり性自認は生まれつき決定されているのだ!」と思い込む前に注意。14人のうち8人が「男性」を自認したということは、14人のうち6人は「男性」を自認しなかったということでもあります。他にも同種の報告はいくつかありますが、だいたい一貫して40〜60%程度の人が「男性」を自認する、という結果がでています。
     一般の女児のうち40〜60%もの人が「男性」にトランジションするという事は到底有り得ませんから、遺伝子的・ホルモン的に男性として生まれたことの影響が多大であることは明らかです。その一方、男性を自認するようになるのが全体の半数前後でしかないということは、女性として育てられたことの影響も無視できません。
     もちろん、CE や aphallia の研究から判明したことが、どれだけ「完全に正常」な男児に当てはまるのかは分かりません。しかし、性自認に影響を与える一番の要素はホルモンであると考えられている以上、ホルモン的に正常な男児と何の違いもないかれらのケースは、正常な男児の性自認がどの程度環境によって左右されるかという問題と無関係ではないでしょう。
     わたしが書いたことは、ちょっと文献を調べれば分かることですので、あんまり思いつきばかりで勝手なことは書かない方が良いでしょう。小谷野さん自身がその程度の知識で分かったような事を言うようでは、マネーの実験に騙されたフェミニストたちを笑えませんよ。

    > 米国のアカデミズムにも、フェミニズム系の抑圧がありますから

     フェミニズムの圧力でダイアモンド氏が自分の見解を捩じ曲げているというのであれば、彼にたいして非常に失礼な発言だと思います。性科学の業界で圧倒的な影響力を持つマネーの圧力すら跳ね返したというのに。

    > なにしろ、「異性愛の擁護」なんて本もあって

     もしかして、Stanley Keleman 著「In Defense of Heterosexuality」のコトですか?
     これ、自費出版なんですけど… おまけに著者は小谷野さんが嫌いな系統の心理カウンセラーですし。

     以上、朝の5時に起きてしまったので書きました。これからもう一度寝ます。

  26. Мышкин Says:

    はじめまして、Мышкинといいます。

    清水晶子さんやMacskaさんが仰りたいのはつまり、「ジェンダーフリーが達成されたとしても、全員がバイセクシャルになるとは限らない。なぜなら、性的嗜好はジェンダーにのみ規定されるとは限らないから」といったところでよろしいでしょうか?

    とりわけMacskaさんの話は、ジェンダー下の現状で、若い男性が若い男性を性嗜好の対象としないのはジェンダーである疑いをもてなくもないけれど、しかし若い男性が老婦人(逆に若い女性が老紳士)を性の対象とできないことは、ジェンダーに由来するとは言いがたく、結局のところホモセクシャル・バイセクシャル・ヘテロセクシャルというだけではなく性嗜好は様々なパターンが有りうる、とかそういった事とも関係があるように思われました。

  27. 小谷野敦 Says:

    マチカさん
    キーワードの件ですが、「ジェンダー」は、一般に辞書がそうであるように、「1,2」として、「性自認」としての解説と、性別役割分担としての解説を併記するのが、客観的でいいのではないでしょうか。またジョン・マネーについては、日本の一般人にとっては「会長を二年間務めた」というようなことより、その「ブレンダ」症例のほうが関心があるわけですから、先にあげられたブラッドレーの論文URLを貼り付け、しかし別の研究もあり、ジェンダー変更の可能性が否定されたわけではない、と付記しておけば、一番有益だと思います。

  28. 小谷野敦 Says:

    清水さん
     では性同一性障害が現れる確率は何パーセント程度なのですか? いや、調べれば分かることですが。
     「すべての人間がバイセクシュアルになる」などというSFみたいなありえない話を真剣に議論して何になるのでしょう。
     スティーヴン・ピンカーの『人間の本性を考える』の冒頭に、生得的性質について論じた本がどのような攻撃を受けるか書かれています。その圧力は、マネー一人の圧力の比ではありません。
     自費出版だから何だと言うのでしょう。私は心理カウンセラーが嫌いだなどと、どこで言いましたか? 私はもちろんその本がいい、と言っているのではなく、わざわざそんな本が出される米国知識社会は異常だと言っているのです。
     私はフェミニストを「笑って」などいません。私は人を「笑う」というのは卑しい行為だと思っていますから。だって私だって『セックス神話解体新書』を読んだ時は信じたのですから。その後誤りが明らかになったことを知りながら間違いを正直に認めようとしない小倉千加子を非難しているのです。もちろん、小倉が、マチカさんのあげたブラッドレー他の論文を出してきたなら、まったく問題はなかったのです。

  29. Macska Says:

     小谷野さん、どうやら11日のダイアリーを削除されたようですね。もし修正する点があるなら追記などで可能ですし、できれば元の文面は残していただきたかったな、と思います。そうでないと、後から議論をたどろうとする人の理解が困難になりそうなので。

  30. 清水晶子 Says:

    Мышкинさん
    ええと、違います。というか、「ジェンダーフリーになったとしても全員がバイセクシュアルになるわけではない」「性的指向はジェンダーのみに規定されるわけではない」の二点はその通りですが、この二つは必ずしも「なぜなら」という因果関係で結ばれるわけではありません。

    まず小谷野さんのお考えを確認してからと思いましたが、御返答いただけないようなので、「ジェンダーフリーはバイセクシュアルを導く」というのは間違いだと私が思う理由を書きます。

    私は「ジェンダーフリー」と言う用語は個人的には好きではありませんが、とりあえず現在の日本では、この用語は「各個人に対する法的・社会的な処遇、あるいは各個人の好みや行動の規範に、その個人のジェンダーに基づく区別をつけない」というような意味で使われていると思います。「ジェンダーフリー」を英語的に解釈すれば「ジェンダーの区別が存在しない」ということになります。
    次に「バイセクシュアル」という用語は、「男女のどちらもが性的な対象となりうる」という意味で用いられ、この場合、1.「男女」は一般的にはジェンダーとセックスとの区別をつけずに用いられますが、2.「生物学的性別」の好みはあるけれども「ジェンダー」にはこだわらないという場合、3.「ジェンダー」の好みはあるけれども「生物学的性別」にはこだわらないという場合も、考えられます。

    Macskaさんのおっしゃるように、ジェンダーフリーを英語的に解釈すれば、上記1.および2.の意味でのバイセクシュアルは存在しません。ジェンダーの区別がないのに、性的な対象となりうるジェンダーが「男女どちらも」ということはあり得ないからです。3.の場合においては、「ジェンダー」の好みはあるので、少なくとも本人の自覚としては(そして「セクシュアル・アイデンティティ」に関しては、本人の自覚というか自己申告を最優先するべきです)バイセクシュアルではありません。

    それでは、ジェンダーフリーを日本語的に解釈すればどうなるか。
    上で書いたように、この場合ジェンダーフリーというのは「各個人の好みや行動の規範に、その個人のジェンダーに基づく区別をつけない」ということにすぎませんから(法的・社会的処遇についてはここでは直接には関係がありません)、各個人がどちらかのジェンダーのみを性的対象とすることを否定するものでは全くありません。
    「男ならこういう相手を好きにならなくてはならない」「女ならこういう相手を好きにならなくてはならない」という規範をつくるなら、それはジェンダーフリーには抵触するでしょう。しかし、そのような規範をつくらなってはならないというのは、「男であれ女であれ、男女どちらのジェンダーをも性的対象としなくてはならない」という規範をつくれということではありません。男であっても女を好きにならなく「ても」良い(男を好きになっても、女を好きになっても、両性を好きになっても、かまわない)、女であっても男を好きにならなく「ても」良い、というだけのことです。

    さらに、これもMacskaさんのご指摘にあることですが、全ての人間が「セクシュアルであるわけでも性的関心の対象に人間を選ぶわけでもない」ので、この場合も「ジェンダーフリーがバイセクシュアルを導く」とはいえない。

    いずれにしても、「ジェンダーフリーがバイセクシュアルを導く」というのは全くの誤謬です。

    >小谷野さん

    以上が私の考えです。明確なご説明をいただけるか、そうでなければ「ジェンダーフリーがバイセクシュアルを導く」と書いたのは誤りだった、と認めて訂正いただければと思います。

    また、小谷野さんは最新のコメント28を私宛てにお書きになっていますが、実際の御返答の相手はMacskaさんであるように思われます。

    それから、

    >「すべての人間がバイセクシュアルになる」などというSFみたいなありえない話を
    >真剣に議論して何になるのでしょう。

    について、これを最初におっしゃたのは小谷野さんで、私は最初からそんなことはあり得ないのではないかと申し上げています。
    そして「ジェンダーフリーによってすべての人間がバイセクシュアルになる」というご発言は、「ジェンダーフリー」「バイセクシュアル」という用語についての誤解に基づくものであり、幅広い読者層を持つ小谷野さんのような方が用語についてのそのような誤解を広めていることには重大な問題がありますから、これは真剣な議論に値すると思います。小谷野さんが「小倉千加子は間違いを正直に認めて訂正すべきだ」とおっしゃるのは、小倉さんに間違いがあるとすれば当然のことです。そしてその当然のことを小谷野さんにもしていただきたいとお願いしているのです。

  31. rna Says:

    ちょっと本筋から離れますが。。。
    人種差別や優生学運動などの問題が背景にあるためアメリカでは「生まれか育ちか」論争において「育ち」派の圧力が凄いというのは事実でしょうが、ピンカーの主張にも誇張があるんじゃないでしょうか? たとえばラメルハートらのニューラルネットワークモデルがブランクスレート説だというのは誤りです。少なくともピンカーの引用した部分からはそれは言えません。
    http://d.hatena.ne.jp/rna/20050509#p4
    もしお仕事でピンカーを引く事があるのでしたらご注意ください>小谷野さん

  32. 小谷野敦 Says:

    マチカさん
     あなたがブラッドレー他の論文を教えてくれた時点で、あの文章は無意味になったので消しました。ブラッドレーの論文がある、ということが分かればいいではありませんか。

  33. 小谷野敦 Says:

    清水さん
     察するに[[管理人注:本人が明らかにしていない所属が書かれていたので管理人責任により削除しました]]の清水晶子さんですね。
     あなたは、私の質問のうち「何パーセントか」「どこで心理カウンセラーが嫌いだと言ったか」に答えていません。ピンカーの議論に間違ったところがある、ということではなく、米国知識人社会では、生得説への圧力が強い、ということをここでは問題にしているのです。
     また「ジェンダーフリー」などという和製英語を私は揶揄しているのですよ。もし日本の若者が英語圏へ行ってその言葉を使って妙な誤解を招いたら、どうするのですか。だからそんな言葉はやめて「男女平等」でいいではないかと私は言っているのです。私の影響力なんて、「ジェンダーフリー」なる語を広めている人たちに比べたら、それこそ天文学的に微小でしょう。もし[[管理者注:同上]]の清水さんなら、[[管理者注:同上]]としてどうお考えでしょう。ウィメンズリブやらフェミニズムやらをダメにしたのはまさにあなたのような学者たちなのです。もう理論ではなく実践の時代になって、しかし実践をしていても学者としての業績にはならないから、どんどん難解な理論を作り上げていって、言葉遊びに堕してゆき、学者フェミニストは単に出世のためにそれらしいものを書いているだけで、論文で書いていることは勇ましいけれど、キャリアを投げ捨てて実践活動に出ようとはしない。「飢えて死ぬ子供の前で文学は有効か?」とサルトルは言いましたが、「文学作品の先鋭なフェミニズム的分析は、現実に性暴力や賃金差別に遭っている女性たちには何の価値もない」と断言できます。もちろん、あなたのバイセクシュアルやらをめぐる話は完全にくだらない言葉の弄びで、フェミニズムが一般知識人から見放されたのも、そうやって枝葉末節に拘泥する言語遊戯に耽ってきたからでしょう。

  34. Мышкин Says:

    >清水晶子さん

    なぜなら、の接続は確かにちょっとおかしかったですね。そもそもジェンダーと性嗜好とは無関係に成立していると考えた方がよさそうでした。

    たとえば一般的なジェンダー下の社会では「男は女を、女は男を性の対象とすべき」というような規範はあるけれど、その規範と無関係にヘテロセクシャル、ホモセクシャル、バイセクシャルの人間は居るわけですからね。(バイセクシャルやホモセクシャルの人間が、そのジェンダーと自分の性嗜好との葛藤に苦しむとしても)

    そして、とりわけMacskaさんの先の文を見ると、ホモ、バイ、ヘテロセクシャルという分類自体がジェンダー的な規定なようにも思われました。「あと、ついでですけどすべての人がセクシュアルであるわけでも性的感心の対象に人間を選ぶわけでもないので」と具体例を回避しておりましたが、例えばバイセクシャルと括られる人々の中にも「年上、年配の相手のみを性嗜好の対象とする」人も居れば(熟年嗜好?)とりわけ幼い相手のみを性嗜好の対象とする人(ペドフィリア)も居るわけですし。この両者はジェンダー的な区別ではどちらも「ヘテロセクシャル」ということになりましょうが、ジェンダーが解消され、ホモ、ヘテロ、バイの区別を無くせばむしろ性嗜好の違う者として区別することにもなりそうですし。

    更に、今回素人ゆえにギャラリーに徹しようと思っていた中で思わず書き込んだ理由は「性的感心の対象に人間を選ぶわけでもないので」この一文でした。例えばフィギュアなど、人間以外を性嗜好の対象として選ぶ人はホモ、ヘテロ、バイセクシャルのどれにも属さないということになってしまいます。このあたりの不備も、「人はヘテロセクシャルである”べきである”。バイセクシャルはあまりよろしくない。ホモセクシャルは建設的ではない。それ以外の性癖は論外である」というような形のジェンダーがはたらいているのかな、と思われました。

  35. Мышкин Says:

    もう一つ。こちらでは専門研究の立場でジェンダーについて語っておられるようですが、はてなの記述を考えるなら、確かに「誤って広まった認識」についても記載すべきかもしれないと思われました。

    Macskaさんの仰るような、どちらかというと日本への輸入前のジェンダー研究の最先端を考慮した定義から、小谷野さんの仰る日本でやや誤解された形で伝わったジェンダーも、そして場合によっては、日本で一般に広まった、トンチキな形の「ジェンダーフリー活動」も(それがおかしなものであると明記しつつ)記載してもいいかもしれません。

    私のようにジェンダー研究を全くしていない人間からすると、一般に広まったジェンダーフリーはセックスとの区別の無い、性差の区別全てをジェンダーとして撤廃しようとする珍妙な活動として広まったというイメージがあります。ジェンダーフリーなるものの実践現場のとりわけ重要な一つが教育現場でのジェンダーフリー教育だったと思われるのですが、そこでのジェンダーフリーはまさしく「全ての性差を無くそうとしている」という意味と見なされ、今や「ジェンダーフリーという用語を使わない」「ジェンダーという用語を使わない」というところまできているようです。

    例えばここですと
    http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr040826.htm

    『また、一部には「男らしさ」や「女らしさ」をすべて否定するという意味で「ジェンダー・フリー」という用語が用いられることがあり』
    『こうしたことから、東京都教育委員会は、男女平等教育を推進する上で、今後は、「ジェンダー・フリー」という用語は使用しないこととします。』
    と、誤解されたジェンダーは、誤用がひどすぎて使われなくなってしまいました。

    それも踏まえると、「元々どういう意味だったのか」「日本に紹介されるときどうなったのか」「一般に広まる時どうなったのか」に分けて書くとよいかもしれません。日本の一般レベルでの「ジェンダーフリー」はどうしても上記リンクのような「男と女の区別を無くす」という雌雄同体でも目指すかのような意味として捉えられがちなので、そこまで説明しないと専門外の人間からは理解しにくいかもしれません。(実際、TVでのだれだったかのジェンダーフリーの主張が「カタツムリにでもなりたいのか?」的な批判を浴びたのを見た覚えが)

  36. anonym Says:

    劣勢なった途端、それは本題ではない、と言い出すのは見苦しいでしょう。それならはなからそういうべきだった。しかも突然、大上段にアンガージュマンを持ち出す。揶揄の意図(ジェンダーフリー批判)がただしいかどうかと、その特定の揶揄自体の正当性はぜんぜん別の話でしょう。よい目的のためならうそをついてもいいのですか。しかも枝葉末節などではない。「ジェンダーフリーならバイセクシュアル」という言説は、保守派の、ジェンダー論イコール中性化・無性化という言説と一体のものであり、そうした言説の流布に加担することは、性役割のステレオタイプ強制を批判する、ジェンダーフリー派以外のものも含む広範な運動に明白に否定的な政治的効果を持つことは明らかでしょう。

  37. 小谷野敦 Says:

    清水さん
     学者というのは、真実を追究すべきものであって、それがどういう政治的効果を持つかということにはインディファレントであるべきです。「保守派」などというのはあなたのラベリングであって、私はだから「男女平等」に反対しているわけではない、と言っているでしょう。それが「保守派」になるんでしょうか。もちろん、「保守派」と言われても構いませんがね。保守派で何が悪いんでしょう。そう、フランス革命でも、次第に理論は過激化していって恐怖政治に到達した。私はカール・ポパーに依拠して、そのような「運動」は有害である、と思っています。
     「劣勢なった」?「に」が抜けているんですか。もちろん、マチカさんが持ち出したブラッドレーの論文を私は知りませんでした。しかし、これは「戦い」なのですか? 私はマチカさんと戦っているつもりはありません。あなたとは戦っているかもしれませんが、あなたが「運動」を有効にしたいと思うなら、くだらぬ語の定義に汲々とするのはやめたほうがいいですね。では「ジェンダーフリーなら人間はバイセクシュアルかアセクシュアルになるはずだ」。これでいいですか。
     ロシヤ語のかた
     「フィギュア」というのが、もし女性を象ったそれであるなら、それは異性志向です。あなたは一貫して「嗜好」と書いていますが、「志向」です。

  38. まな Says:

    すみません。小谷野さんがらみの議論には参加できないだろうと思いつつ、明らかに誤解がある点については訂正したいと思い書き込みます。
    > 小谷野さん(33のコメントについて)
    28のコメントから気になっていたのですが、

    > 「何パーセントか」「どこで心理カウンセラーが嫌いだと言ったか」に答えていません。

    これは本来25のMacskaさんへのコメントであるべきで、清水さんに対して答えを求めても回答を得られないのは当然だと思います。ついでにいうと

    > ピンカーの議論に間違ったところがある、ということではなく、

    これも31のrna の返答であるべきで、清水さんへの返答としては的外れです。

    > Мышкинさん
    ジェンダーフリーという言葉を使う人にもいろいろかもしれませんが(私もすべてをチェックしているわけではないのでまったく変な人がいないかというと完全に否定はできませんが)Мышкинさんがおっしゃっている

    > そこでのジェンダーフリーはまさしく「全ての性差を無くそうとしている」という意味と見なされ

    という部分については最初から(おそらくは悪意のある)曲解によるところが大きいものと思われます。
    たぶんカタツムリ云々については、八木秀次氏の『反「人権」宣言』において「雌雄同体のカタツムリがジェンダーフリーのシンボルになっている」といった記述から広がった言説だと思うのですが、私の知る限りではどこかの(すみません、はっきり覚えていないのですが)女性センターが梅雨時に発行した広報誌の「カタツムリは雌雄同体だということで、女性の気持ちも男性の気持ちも両方分かるのかな。だとしたらちょっとうらやましいかも…」という感じの、どうということもない一説が悪用されたものだと思っています。
    もちろんこれらのネガティブキャンペーンに有効な対応ができなかったというジェンダーフリー推進側のまずさはあったとは思いますが。

  39. まな Says:

    ついでに、37の小谷野さんのコメントの前半部分も、36のanonymさんへのコメントですよね?

  40. まな Says:

    何度もすみません。38の「これも31のrna の返答であるべきで」は「rnaさんへの返答であるべきで」と書くつもりでした。
    これだけでは何なので…上述した広報誌は千葉市のものだそうです。これは反ジェンフリ系のサイトで確認しましたが、私はそれが発行された時に現物を見ているので内容については伝聞によるものではありません。

  41. Мышкин Says:

    >小谷野さん
    なるほど、性志向の方が正規の表現でしたか。ここ
    http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%BB%A5%AF%A5%B7%A5%E3%A5%EA%A5%C6%A5%A3
    あたりをみても、性的志向、性的指向、性的嗜好など色々あったようなので適当に選んでおりました。フィギュアの場合でもそれが「異性を模したもの」であればヘテロセクシャルとなりますか。確かに同性、異性どちらのフィギュアにも志向を持つ人は少なそうですし、仮に両方を好む場合は「バイセクシャル」と言えなくも無い、ですかね。

    この対象がもっと変なもの、ロボットのフィギュアがいいだとか、アメーバ的なものに襲われてみたいとか、そいういうアブノーマルな志向まできてようやくホモもヘテロもない世界というところでしょうか。

    >まなさん

    >という部分については最初から(おそらくは悪意のある)曲解によるところが大きいものと思われます。
    そういう部分もあったと思います。元々のジェンダー論者の中でもやや過激な論調ばかりが(一般向けには)誇張されていた側面もあったと思われ、その両者があいまってかなりの混乱をきたしたようです。

    「ジェンダーを無くすために、男女混合名簿にします!」
    「なら男女混合更衣室でも設置するのか?!」
    「いいでしょう!」
    なんて冗談のようなやりとりが…行われたこともあったかもしれません。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC

    この関係上、小谷野さんの言う
    「学者というのは、真実を追究すべきものであって、それがどういう政治的効果を持つかということにはインディファレントであるべきです」
    という点については私はそうも言っていられないと思われるのです。ジェンダーフリーが珍妙な意味で誤解された挙句そんな単語使わないようにしましょう宣言が出てしまったのは、一部の政治的効果に関心のある学者や識者の活動の(悪い意味での)賜物だったように思われるのです。それほど酷くなかったとしても、誤解されていく課程に無関心で、軌道修正が行われなかったのは間違いなかったと思われるのです。そのあたりから一般認識を重視するなら、ジェンダー、ジェンダーフリーの説明は

    【ジェンダー】
    本来は社会的性差を意味したが、性差一般を意味すると誤解されるようになった
    【ジェンダーフリー】
    本来は男女平等を目指すはずだったが、性差一般を否定する珍説に化け、廃れた(A・ビアス)
    とすらなりかねません。

    これは結果として真面目に、政治的効果に関心を示さずに研究されていた多くの研究者にも今後少なからず跳ね返ってくるのではないかと思われるのです。「ジェンダー論研究をしています」と言うと「ああ、男も女もないとかいう変な理論?」と。まあそんな認識の人は相手にしなければいい、といえばそうなのかもしれませんが。

  42. 小谷野敦 Says:

     失礼しました。いろいろな人がでてきたので混同しました。
    マチカさんに
     あなたは、私の質問のうち「何パーセントか」「どこで心理カウンセラーが嫌いだと言ったか」に答えていません。
    難波亮丞氏への答えは、よく読むと私の言を否定していないので、撤回。
    無名人による誹謗中傷には、当然無視。よって削除してください。
    清水さんには、お詫び申し上げ、「バイセクシュアルかアセクシュアルになる」でいいのか、と。
    ロシヤ名の方
     これは『中庸、ときどきラディカル』に書いたかと思いますが、たとえば大学のゼミの合宿で、男の室、女の室と分けたりするでしょう。これは、人はみな異性志向だと前提していませんか? これは決していちゃもんではないと思いますよ。

  43. 小谷野敦 Says:

    マチカさん
     「嫌いな系統の心理カウンセラー」って、もしかして精神分析ってことですか? それなら私が言っているのは「精神分析は科学ではない」ということで、好きとか嫌いとかいう感情ではありません。

  44. トニオ Says:

    >Мышкинさん

    いやぁ、ソースのない話いくら並べたってなんの議論にもならないはずですがね。

    >「ジェンダーを無くすために、男女混合名簿にします!」
    >「なら男女混合更衣室でも設置するのか?!」
    >「いいでしょう!」
    >なんて冗談のようなやりとりが…行われたこともあったかもしれません。

    http://d.hatena.ne.jp/rna/20040902#p3
    http://d.hatena.ne.jp/rna/20040827#p2

    というか、そんなに「つくる会」の先生方のおことばが「公共的」かというと、首を捻らざるを得ないんですが。

  45. rna Says:

    35 にて Мышкинさん:
    >例えばここですと
    >http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr040826.htm

    東京都教育委員会はアンチジェンダーフリーの最前線みたいなところで、それが一般的な動きというわけではないと思いますが。。。他にありましたっけ、こういうの?

    >【ジェンダー】
    >本来は社会的性差を意味したが、性差一般を意味すると誤解されるようになった
    そんな誤解って一般的なんですか?
    アンチジェンダーフリーの人の一部が誤解(曲解?)してる以外では見たことがないです。政府見解でも辞書の類でも見たことないし。あ、漫画では『ウッハ!ハーレム学生寮』なんてのがありましたが、ギャグ漫画ですからねぇ。。。

    ちなみにジェンダーフリー批判でしばしば引かれる男女同室着替えの話はおそらく誤解もしくは誇張です。
    http://d.hatena.ne.jp/rna/20040902#p3
    http://d.hatena.ne.jp/rna/20040827#p2

  46. rna Says:

    あ、トニオ氏とダブった…

  47. 小谷野敦 Says:

    ええありますよ。日本では「セックス」といえば交合のことですからね、第一。
    谷崎潤一郎大正元年八月十二日、澤田卓爾宛書簡に「御転婆と腕白者とはgenderが異なるのみにて」とあります。これは社会的性差のつもりでしょうか。日本で「ジェンダー」という語が広まったのは、イワン・イリイチの『ジェンダー』によってです。

  48. 小谷野敦 Says:

    でも流れからいってanonymは清水晶子に思えるんだがなあ。おとなしくシェイクスピア研究をしていれば良かったのに。「シェイクスピア」も管理人が削除するんだろうな。

  49. Macska Says:

    小谷野さん

     清水さん宛に書かれた質問のうち、わたし宛の間違いであると思われる部分についてお答えします。
     また、33 のコメントにおいて、清水さんが自ら明らかにしていない所属を小谷野さんが一方的に明らかにしていますが、事実かどうか不明ですし、プライバシーの暴露にあたると判断したので管理人の責任でその部分を削除させていただきました。ご了承ください。

    > では性同一性障害が現れる確率は何パーセント程度なのですか?

     過去の資料では、1万人に1人だとか、10万人に一人だとか書かれていました。また、女性から男性に移行するよりも男性から女性に移行する方が5倍も多いとされていました。現在では、特に女性から男性に移行する人たちが多く名乗りを上げるようになって、これらの記述とは明らかに現実が違ってきています。こうした現象を、ある人は「それはこれまで抑圧されていて名乗りでることができなかった人たちが、社会がよりオープンになるのにつれて名乗り出ることができるようになったのだ、この先さらに社会が性同一性障害の人たちを受け入れるようになるならば、もっと多くの人がカミングアウトするようになるだろう」と説明するかもしれません。
     わたしは、性自認というのはある程度生物学的に男女のどちらかになるか(それともその他になるか)といった傾向が方向付けられるのではないかと思いますが、ある傾向を持って生まれた人がどのようなアイデンティティを獲得するかはその時の社会状況に大きく影響されると考えています。そうすると、「性同一性障害が現れる確率」は決して一定ではなく、その時の社会的・文化的条件によって変化するものだと言えますし、現に昔は少なかった女性から男性へ移行する人たちが今では大勢登場しているのはそういったことから説明が付くと思います。
     そういえば昨日、テレビのトークショーで「一卵性双生児の姉妹のうち、片方が男性にトランジションした」という例が2つ紹介されていました(わたしはテレビを持っていないですし、普段は見ないのですが、隣人に「こんな番組予告があったよ」と言われたので見にいったのです)一卵性双生児ですからDNAは同じですし、一緒に育てられたわけで(幼い頃の写真を見ると、同じ服装をさせられてほとんど見分けがつかない姉妹が写っていました)環境的にもそれほど違ったとは思えないわけですが、それでも片方だけが男性になり、もう一方はごく普通の女性でした。それを見ていて、やはり性自認というのは複雑だなぁと改めて思い返しました。

    > 「どこで心理カウンセラーが嫌いだと言ったか」

     心理カウンセラーが嫌いというのではなく、小谷野さんが嫌いな種類の心理カウンセラーなのではないかと思ったからそう書きました。「批判的なだけであって、好き嫌いの問題ではない」というなら、そのように訂正します。

    > また「ジェンダーフリー」などという和製英語を私は揶揄しているのですよ

     和製英語だというだけで揶揄されるいわれはありません。ま、これは見解の相違ということで構わないですが、「和製英語だ」というだけで必ずしもその言葉を追放すべきだと誰もが考えているわけではないことはご理解ください。

    > もし日本の若者が英語圏へ行ってその言葉を使って妙な誤解を招いたら、どうするのですか。

     日本にも和製英語ってのがあって、こういう意味なんだよ、という笑い話にすればいいじゃないの。

    > だからそんな言葉はやめて「男女平等」でいいではないかと私は言っているのです。

     既に述べた通り、わたしも「ジェンダーフリー」じゃなくて「男女平等」でいいではないかと思っています。その上で、小谷野さんの「ジェンダーフリー」反対の論理がおかしいと指摘している(いた)のです。

    > あなたのバイセクシュアルやらをめぐる話は完全にくだらない言葉の弄び

     本当にジェンダーフリーになればみんなバイセクシュアルになる、というあなたの発言こそ、くだらない言葉の弄びに見えましたが。清水さんやわたしは、それはおかしいと指摘しているのであって、くだらない言葉の弄びを持ち出したのは小谷野さんの方です。

     ちなみにカタツムリの話。カタツムリは男性器と女性の両方を首(に見える部分)のあたりに持っており、別のカタツムリとそのあたりを擦り合わせて性交します。というか、男性器で女性器をちょん、と突くことが性交になるんですね。そして、性交がおわるとお互いが妊娠する。そういう話を聞いてちょっとほのぼのとしてたのですが、後に読んだ進化心理学系の文献によるとそんなほのぼのとした話ではないらしいです。だって、自分の遺伝子をバラ撒くという意味では、相手のカタツムリに精子を送り込むのも、自分が妊娠するのもどちらも等価ですが、自分が妊娠した場合身体的なコストがかかって将来に交尾できる回数を減らしてしまう。だから、できるだけ相手に精子を送り込みつつ、自分が妊娠するのは避けようとする性質が進化しており、性交は愛情の表現どころか毎回が闘争だって書かれていました(笑)
     でもちょっと疑問があります。まず第一に、お互いにそんな能力ばかり進化させても、他の個体もみんな進化するわけで相対的に得る利益はゼロ。たまに平均よりかなりガードの甘い個体がいればあっというまにその遺伝子は駆逐されるだろうけれど、そんなにどんどんとフェンシングみたいな能力ばかり進化するものか。野獣だってどんどん早く・強くという方向にばかり進化したりしない。第二に、遺伝子の共有が多い同集団内で協力しあった方が、競争ばかりするよりも遺伝子にとっての平均的な利得は高いのではないか。第三に、あのカタツムリがそんな方向に進化しているなら、もうちょっと動きが早くても良さそうだ(笑)

  50. 清水晶子 Says:

    Macskaさん

    所属削除、ありがとうございます。出されてしまった以上仕方ないなあ(ここでの議論は一部の学生には既にばれちゃっているようですし)と思っていたのですが、わざわざ所属を調べて冒頭に書き込まれたところに小谷野さんの微妙な悪意を感じて、もう切り上げようかと思っていました。ありがたいです(悪意ではなくあくまでも邪気のないマナー知らずだったとしたら、御詫びします)。

    小谷野さん

    誤解を解いていただいたようで、幸いです。
    明らかに私宛てである部分についてのみ、御返答します。

    先の書き込みでも書いたように、私も「ジェンダーフリー」という用語は好きではありません。そもそもジェンダーフリーと言われても何のことやら最初は良くわかりませんでしたし、「男女平等」で行ければよかったとは思っています。ただ、フェミニストの側で「男女平等」ではなくあえて「ジェンダーフリー」を選択するにいたる葛藤や歴史もありますし、一概に「その用語は間違いだった」と批判してすむ問題ではないと今は考えています。また、#30のコメントで書いたように、「ジェンダーフリー」と言う用語を英語的に解釈しようと日本語的に解釈しようと、いずれにしても「ジェンダーフリーはバイセクシュアルを導く」ということにはならないと思います。

    理論と実践については本筋から外れますから、短く。私はアクティビストではなく、教育を除けば特に何の活動もしていません。その点でのご批判は正当なものだと思います。ただし、「キャリアを投げ捨てて実践活動」は「実践」をどう捉えるかにもよりますが、アカデミアとリアル・ワールドという対立を余りにも無邪気に受け入れた考え方であり、結果としてアカデミアの特権的な立場を「外部」から守ることに寄与するものだと考えます。(ところで、私は「文学作品の先鋭なフェミニズム的分析」を行っているわけではないのですが、これはどこから来たのでしょうか。)

    「バイセクシュアルやらをめぐる話」は私が始めたものではなく、繰り返しますが、小谷野さんが始められたものです。それを「枝葉末節」と考えるかどうかは各個人の政治的立場によるでしょう。けれど、「ジェンダーフリーはバイセクシュアルを導く」というご発言は、現在日本で「ジェンダーフリー」の名前のもとで行われようとしている政策(私はこの政策の方向性には賛成です)に対する誤解を加速させ、「バイセクシュアル」という語についても誤った理解を生むものです。これは私にとって重要なな二つの「運動」に深くかかわってきますので、看過できないと考えます。

    >ジェンダーフリーなら人間はバイセクシュアルかアセクシュアルになるはずだ」。これでいいですか。

    #30で書いたように、「ジェンダーフリーはバイセクシュアルを導く」は、アセクシュアルを含めるか否かにかかわりなく、誤りだと思います。

  51. 清水晶子 Says:

    あ、Macskaさんとだぶった(笑)。だぶりの多い日ですね。

    ええと、小谷野さん、anonymさんは私ではありませんよ。その時間今日はワークショップに出席していました。お調べになればお分かりになるのでは。

  52. Macska Says:

     管理人として一言。anonym さんが清水さんと同一人物ではないかとのことですが、IP アドレスを調べたところ、anonym さんの IP アドレスは清水さんと違うプロバイダのものであるばかりか、地域的にも全く別であることが分かりました。もちろん、そうした細工をすることはできなくもないのですが、そこまでして別名で書き込む理由はないので、ほぼ他人であると言って良いと思います。

  53. 芥屋 Says:

    >macskaさん

    議論に全然関係無いのですが、個人的に好きな話題なので。

    カタツムリの性行動の進化は私は初見なので、素人考えなのですが、

    >相手に精子を送り込みつつ、自分が妊娠するのは避けようとする性質が進化しており、性交は愛情の表現どころか毎回が闘争だって書かれていました(笑)

    まずここ。これ自体は仮説ではなく観察から得られた事実だと思います(だって実際にそういう行動は取らないんだとすると話にならない)。で、そういう行動を取る以上、その行動を取るような「そういう性質が進化している」というのは進化学で当然のフレームになりますね。

    では、どのようにその行動が進化してきたのか?となるのが、進化学の対象となるわけでしょう。そこは私は知らないし、その本に何と書かれていたのか知りませんが、macskaさんの疑問について考えます。

    >まず第一に、お互いにそんな能力ばかり進化させても、他の個体もみんな進化するわけで相対的に得る利益はゼロ。

    いえ、そういう性質の勝った個体の精子が相手の卵子と受精するので、そういう性質の無い個体より有利に遺伝していくというとでしょう。これを無数の世代で繰り返すのですから、結局は種の中では、そういう性質ばかりの個体になるでしょう。

    だから、そういう意味で「みんな進化する」のであって、この場合「相対的利益」は関係ないと思います。何故なら、妊娠した個体の負担というものは遺伝に関係しません。その妊娠した個体にも「そういう性質」があり、両者の受精の結果、繁殖していくからです。雌雄同体なので、そうなるでしょう。

    >たまに平均よりかなりガードの甘い個体がいればあっというまにその遺伝子は駆逐されるだろうけれど、

    ここは少し「淘汰」概念で整理します。自分は妊娠せず相手を受精させようとする性質を「出し抜こうとする性向」とし、その性質がないのを「ガードの甘い性向」とします。するとまず、そのガードの甘い個体はすぐに妊娠しますので、自分の性質は遺伝できます。しかし、相手の「出し抜こうとする性向」と自分の「ガードの甘い性向」と、どちらが優性遺伝であるかわかりません。「出し抜こうとする性向」が優性遺伝であれば、これは簡単ですね。「ガードの甘い性向」はすぐに淘汰されます。

    逆に「ガードの甘い性向」が優性遺伝であった場合、ガードの甘い個体は、ガードの甘さゆえに自分のそのガードの甘さを子孫に遺せます。しかし、ここで繁殖上の負担コストの問題が出ます。簡単に言えば繁殖速度で不利になる(受精して卵を生むまでの期間ができてしまう)ので、その種の中で無数に世代を経ると、次第に「ガードの甘い性向」の個体は相対的に個体数が減っていくことがわかるでしょう。

    >そんなにどんどんとフェンシングみたいな能力ばかり進化するものか。野獣だってどんどん早く・強くという方向にばかり進化したりしない。

    その場合は、身体の運動速度の能力ですね。それがより速いほうが有利でしょう。しかしそれは、どちらかといえば生後の栄養状態その他で変わる領域ではないでしょうか。つまり獲得形質ですから、生後の発育が良く、身体能力に勝っているから繁殖上有利になったとしても、それが獲得形質であれば遺伝しません。

    ここで問題なのは、あくまで「出し抜こうとする性向」ですので、仮に身体能力において相手に劣っていたので妊娠するとしても、自分のその「出し抜こうとする性向」は子孫に残るので、その子孫が生後において豊かな身体能力を持てれば問題ありません。先天的に、遺伝的に身体速度が劣る個体は、遺伝上、世代を経るごとに不利になるでしょうが、それは「出し抜こうとする性向」とは別の遺伝の話になります。

    >第二に、遺伝子の共有が多い同集団内で協力しあった方が、競争ばかりするよりも遺伝子にとっての平均的な利得は高いのではないか。

    ここは設問自体、意味不明です。どういうこと疑問かな?と思いました。

    >第三に、あのカタツムリがそんな方向に進化しているなら、もうちょっと動きが早くても良さそうだ(笑)

    上記のとおり、身体速度の遺伝とは別の話です。また、カタツムリの身体速度の能力は、その身体機能(筋組織や神経系など)の規定がありますから、あれ以上にはならないんでしょう(笑)

    その身体性の規定内における、繁殖上の性質、その進化のお話です。

  54. Мышкин Says:

    >rnaさん

    >他にありましたっけ、こういうの?
    なるほど、東京は急先鋒でしたか。他も見たら、かなり混乱してますね。
    とりあえずこんなのが
    http://www.nipponkaigi.org/reidai01/Opinion3(J)/education/kagoshima.htm
    「ジェンダーフリー教育を否定  鹿児島県議会が陳情採択」
    ただ、このページは偏ってるので信頼度は低めです。

    逆にジェンダーフリー批判批判のページも見つけました
    http://www.ne.jp/asahi/kyokiho/chiba/hatugen7.html
    「昨年3月、船橋のある団体が「ジェンダーフリー教育を行わないことを求める請願」を提出し、県議会で採択されてしまった。幸い教育委員会会議では不採択となった。 」

    逆に青森はジェンダーフリーの勢力が優勢のようです。
    http://www.apio.pref.aomori.jp/sankaku/index.html
    ところでここのジェンダーチェックとか見る限りだと、「ジェンダーフリーに異論を唱えたり、排除する理由が判らない?」のです。

    そのあたりから逆説的に、ジェンダー、ジェンダーフリーで揉めたり言葉を使わないようにしようと言った場所では、ジェンダー支持者、反対者双方が、自分たちが以前から持っていた男女観を肯定し相手を批判するためのプロパガンダとしてジェンダーという言葉を錦の旗印として利用しようとしたり、逆に否定しようとしたのかな、と思われた次第です。

    >そんな誤解って一般的なんですか?
    そこはまあ(A・ビアス)ということで。今はまだ判りません。それ以前に、「ジェンダー」の意味を知らない人の方が多いような気が。

    >同室着替えの話はおそらく誤解もしくは誇張です。
    それは承知しております。まあ反対意見に利用されたろうな、とも。(私のリンク先にもそうあったような)

    まとめとしては、今はまだしもこれからジェンダーフリーは言葉狩りの対象にされそう、というところで。

  55. Macska Says:

    芥屋さん、カタツムリの話題は掲示板の方に移しました。
    http://macska.org/forum/YaBB.cgi?board=misc;action=display;num=1126984725
    この話題は、以降そちらに行くようお願いします>みなさま

  56. Yoko Says:

    >「ジェンダーフリー」などという和製英語を私は揶揄しているのですよ。もし日本の若者が英語圏へ行ってその言葉を使って妙な誤解を招いたら、どうするのですか。

    だから〜前から言ってるようにgender-freeはれっきとした英語であり、「和製」英語じゃありませんよ。

    http://www.access.gpo.gov/uscode/title10/subtitled_partii_chapter833_.html

    これくらいのものを調べられないなんて、あんたマジで英語教師ですか。

  57. Yoko Says:

    >あなたが「運動」を有効にしたいと思うなら、くだらぬ語の定義に汲々とするのはやめたほうがいいですね。

    そっくりそのまま小谷野さんにお返しします。

  58. 小谷野敦 Says:

    仮に[[管理人注:当人が公開していないプライバシー暴露につき削除]]に所属していても、それは「プライバシー」ではありません。

    「ジェンダー・フリー」という語は、英語圏で使う人もいるが日本のように定着はしていないってことでしょう。まあ和製英語だと最初に言ったのはマチカさんですからね。英語なんて日々変わるもので、私は米国にいる(のであろう)マチカさんを信用しただけです。

     清水さん、失礼しました。まあ「文学作品のフェミニズム的分析」というのは、あなたがやっているということではなく、あなたのような英文学者がやっている、という意味です。

  59. 小谷野敦 Says:

    具体例を挙げましょうか。早稲田大学教育学部国文学科の金井景子教授は「男の子もスカートをはくような世の中に」と言っていますよ。私は十分バカバカしいと思いますけれどね。国会図書館で調べると、これだけの本が出てきます。反対派のと、自費出版は除きました。

    ジェンダー・フリーな教育のために. — 東京女性財団, 1995.3
     ジェンダー・フリーな教育のために. 2. — 東京女性財団, 1996.3
     少し立ちどまって、男たち: 男性のためのジェンダー・フリー読本. — 東京女性財団, 1997.3
     女性学教育/学習ハンドブック ジェンダーフリーな社会をめざして / 国立婦人教育会館. — 有斐閣, 1997.11
     ジェンダー・フリーの社会を目指して. — 東京都中央区地域振興部, 1998.1
     男女平等の本. 1−6 / インゲル・ヨハンネ・アルネセン,アウド・ランボー[他]. — ノルウェー男女平等の本を出版する会, 1998.3. — (ノルウェー・ジェンダーフリー教育用テキスト)
    シングル単位の社会論: ジェンダー・フリーな社会へ / 伊田広行. 世界思想社, 1998. シングル単位の恋愛・家族論: ジェンダー・フリーな関係へ / 伊田広行. — 世界思想社, 1998.4.
      実践ジェンダー・フリー教育 / 小川真知子,森陽子. — 明石書店, 1998.4
      すてきにジェンダー・フリー. — 東京都台東区区民部, 1999.1
     働き続ける女性たち : 新しい企業と女性のためのジェンダー・フリー読本 .東京女性財団, 1999.3
    ジェンダーフリーの時代へ / 百瀬靖子. — 創成社, 1999.5
    学校をジェンダー・フリーに / 亀田温子,舘かおる. — 明石書店, 2000.6
    ジェンダー・フリーゆうてなんな / 大山治彦. — 香川県男女共同参画推進本部, 2000.2
    桐生ジェンダー・フリープラン21. — 桐生市市民部市民活動支援課, 2000.7
    ジェンダー・フリーガイドライン. — 台東区総務部, 2001.3
     こんなのへんかな? / 村瀬幸浩 大月書店, 2001.1. — (ジェンダー・フリーの絵本 ; 1)
    生きるってすてき / 橋本紀子- 大月書店, 2001.1. — (ジェンダー・フリーの絵本 ; 2)
    働くってたのしい / 朴木佳緒留 大月書店, 2001.2. — (ジェンダー・フリーの絵本 ; 3)
    ジェンダーフリーを共同で学ぶ / 学びを行動にうつす女たちの会. — 新水社, 2001.3. — (シリーズ< 女性問題をまなぶ> ; 2)
      女と男これまで、これから / 中嶋みさき 大月書店, 2001.3. — (ジェンダー・フリーの絵本 ; 4)
    ジェンダー・フリー教材の試み / 金井景子. — 学文社, 2001.3. — (早稲田大学教育総合研究所叢書)
      いろんな国、いろんな生き方 / 伊田広行,堀口悦子 大月書店, 2001.4. — (ジェンダー・フリーの絵本 ; 5)
    学びのガイド / 田代美江子. — 大月書店, 2001.4. — (ジェンダー・フリーの絵本 ; 6)
    ジェンダーフリーな表現をめざして. — 和歌山県環境生活部共生推進局男女共生社会推進課, 〔2001〕
    ジェンダーセンシティブからジェンダーフリーへ / ジェンダーに敏感な学習を考える会. — ジェンダーに敏感な学習を考える会, 2001.5
    I loveありのままのyou I loveありのままのmyself: ホントの私に気づいて : ジェンダーフリーをめざして . — かながわ女性会議, 2002.3
    ジェンダーフリーの21世紀をめざして / 滋賀県立女性センター. — 滋賀県立女性センター, 2002.3. — (講義要録集 ; 平成13年度)
    公立中学校における男女平等意識の形成に関する調査報告書 ジェンダー・フリー教育の実際 : 平成13年度男女共同参画社会をめざす・大阪市グループ活動支援事業調査・研究グループ支援事業報告書 / CWEST. — 大阪市女性協会, 2002.3
    ジェンダー・フリーは止まらない! / 上野千鶴子,辛淑玉. — 松香堂書店, 2002.1. — (ウイメンズブックスブックレット ; 8)
    もっと読みたいコミック / 京都市女性協会. — 京都市女性協会, 2002.12. — (ジェンダーフリーな表現かたろぐ ; pt.2)
    ジェンダー・フリー読本. — 中央区, 2002.10
    ジェンダー・フリーで楽しむこどもと大人の絵本の時間 / 草谷桂子. — 学陽書房, 2002.7
    議会からジェンダーフリー / 木村民子. — 木村民子と明日への一歩を踏み出す会, 2002.8
    おきゃくさんはいませんか? / 草谷桂子 大月書店, 2003.5. — (ジェンダー・フリーってなあに? ; 2)
    ぼくはよわむし? / 草谷桂子– 大月書店, 2003.5. — (ジェンダー・フリーってなあに? ; 3)
    プレゼントはたからもの / 草谷桂子– 大月書店, 2003.5. — (ジェンダー・フリーってなあに? ; 1)
    いたばし男女平等フォーラム・ジェンダーフリーセミナー記録集. — 板橋区児童女性部女性青少年課, 2003.3
    0歳からのジェンダー・フリー / 山梨県立女子短大ジェンダー研究プロジェクト&私らしく、あなたらしく・やまなし. — 生活思想社, 2003.11
    ジェンダーフリー・性教育バッシング / 浅井春夫. — 大月書店, 2003.12
    男のジェンダーフリー事業報告書 / 北海道留萌支庁地域政策部環境生活課. — 北海道留萌支庁, 2004.3

     地方自治体が熱心です。私も京都府あたりで登録されています。
    一方、英語圏での書籍を調べてみると、
    1, The nonsexist word finder : a dictionary of gender-free usage / by Rosalie Maggio. Phoenix: Oryx Press, 1987.

    2, Gender-free legal writing : managing the personal pronouns. Vancouver: British Columbia Law Institute, 1998.

    3, GENDER-FREE: An article from ETC: A Review of General Semantics, by Paul Dennithorne Johnston

    4, Psychoanalytic Reflections On A Gender-free Case: Into The Void/by Ellen Toronto, Gemma Ainslie, Molly Walsh Donovan, Maurine Kelly, Christine Kieffer Routledge, 2005

    1−3は、代名詞がhe/sheになるという西洋語特有の問題を扱った、本来的なジェンダーの用法に基づくgender-free. 4は、まさに性自認が曖昧なケースを扱った精神分析の本。日本でのように「男女平等」あるいはそれを過激化したもの、という意味で広く使われているとは言えませんが、まあテレビゲームがnintendoと呼ばれるように、逆輸入されることもあるかもしれませんね。

  60. 小谷野敦 Says:

    http://frwebgate.access.gpo.gov/cgi-bin/getdoc.cgi?dbname=browse_usc&docid=Cite:+10USC654
    米軍の規定ならこういうのもあって、同性志向的行為は禁じられている。だから同性志向も認めるというgender-freeでは明らかにないわけで、異性志向を前提として、男女ともに任用するということ。念のため。

  61. Macska Says:

    日本における「ジェンダーフリー」が「英語が日本に入って意味がずれたもの」なのか「和製英語」なのかという点で、Yoko さんとは別のところで何度か議論していて、意見が分かれたままです。以下の URL のコメント欄を参照してください。

    http://transnews.exblog.jp/1326253/

    これを読むと明らかなとおり、Yoko さんは「ジェンダーフリーは和製英語である、たまたま米英英語でも gender-free という表現が可能なことは、ジェンダーフリーが和製英語ではない根拠にはならない」(これは、たまたま英語に「cooler = 保冷器」という単語があるからといって、日本語の「クーラー = air conditioner」が和製英語ではない理由にはならない、というのと全く同じ)というわたしの主張に何ら反論できていません。

    要するに、Yoko さんは自分のブログに反論として書き込まれたわたしの論理に反駁できないでいるのに、まるで何事もなかったかのようにわたしのブログに顔を出して恥ずかし気もなく既に論破された珍説を述べ、さらに他の参加者に対して「これくらいのものを調べられないなんて、あんたマジで英語教師ですか」と中傷しています。恥ずかしくないですか? 第三者を中傷するヒマがあったら、はやくわたしとの議論の続きをお願いします。

    それから小谷野さん、他の発言者の所属について憶測や推理を書き込むのはやめてください。所属を書くことがプライバシー侵害にあたるかどうかについて議論したいならこれから応じても良いですが、少なくともその議論の決着が付くまでは具体名は伏せてください。お願いします。

  62. Macska Says:

    ちなみに、英語圏の文献における「gender-free」という表現の使われ方については、わたしもより広範なデータベースを使って調べています。

    英語文献における「ジェンダーフリー」を見つかる限り紹介
    http://macska.org/index.php?p=24

  63. 小谷野敦 Says:

    マチカさん
    分かりました。実は私のパソコンだけなのか、どんどん字が左にずれていっていて、番号などが見えないのです。
    なお「ナイター」という表現は、はるか昔、1950年代に英語でも一度くらい使われたことがあるようですが、定着しなかったのですから、やはり和製英語ですね。「ページェント」も本来パジェントですから、和製発音でしょうか。
    渡部昇一が「ドン・ファーマー」と書いたのは、ファーマーは地主だから間違い、と呉智英さんが書いたのは呉さんの間違いでした。所属のことは、マチカさんへの敬意の印として了解しました。

  64. rna Says:

    54 にて Мышкин さん:
    > 「ジェンダーフリー教育を否定  鹿児島県議会が陳情採択」

    アンチジェンダーフリーが自治体の方針になったのはこれが初のようですね。これは県内で何か問題があったわけではなくて、報道等での情報を引き合いに出して、県では導入しないでくれというものですね。

    採択された陳情は平成15年6月末に相次いで出されたものの一つですね。
    http://www.pref.kagoshima.jp/home/gikai/pdf/teirei/h15-2/seigan.pdf

    > それ以前に、「ジェンダー」の意味を知らない人の方が多いような気が。

    全く知らないなら誤解もないのでいいんですけど。。。
    社会科学系の知識として知ってる人は「セックス/ジェンダー」の区別という形で知ってるはずですが、誤解している人はジェンダーフリーバッシングで初めて「ジェンダー」という言葉を知った人なのでは?

    ちなみに国政での「ジェンダーフリー」の使われ方にはある程度揺れがあるようです。性自認をどうこうするという話はざっと見た限り見当たりませんが。参考までに国会で「ジェンダーフリー」に言及している議事録をまとめておきました。
    http://www.horobi.com/gender/

  65. Мышкин Says:

    >小谷野さん
    何かの拍子にページ成型に失敗するようです。一旦トップページに戻り、クリックしなおすと直る時もあるようです。

    >rnaさん

    >全く知らないなら誤解もないのでいいんですけど。。。
    社会科学系の知識として知ってる人は「セックス/ジェンダー」の区別という形で知ってるはずですが、誤解している人はジェンダーフリーバッシングで初めて「ジェンダー」という言葉を知った人なのでは?

    そうだと思います。ジェンダーフリーバッシング、あるいはその対極にあるような偏ったフェミニズム運動で援用される「ジェンダー」から入った人と考えられます。誤解するためには少なくとも「セックスとジェンダーは別」という知識を「持っていない」ことが必要でしょうし。

    >ちなみに国政での「ジェンダーフリー」の使われ方にはある程度揺れがあるようです。

    島根の例を見つけました
    http://www2.pref.shimane.jp/kouhou/h16/syouhi/teian/0406_01.html
    【「ジェンダー」という言葉は、社会的、文化的に形成された性別という意味で、国の男女共同参画計画でも使用されています。一方「ジェンダーフリー」という言葉は使用する人によりその意味や主張する内容がさまざまであり、公式な概念が示されないことから、国と同様、県としても使用していません。】
    ジェンダーはともかく、ジェンダーフリーについては公式見解をまだ出していないようです。

    問題がありそうなのは自民HPでしょうか
    http://www.jimin.jp/jimin/info/gender/jender.html
    暗にジェンダーフリーは性別全てを否定しようとするような教育だと言わんばかりです(ある意味ミスリードしています)。自民が圧倒的多数で政権をとってしまいましたので、今後のジェンダーフリーに対する言葉狩りが心配です。

  66. Macska Says:

    そろそろページが重くなってきました。小谷野さんのコンピュータでうまく表示されないのもそのためだと思います。というわけで、本筋から外れて派生した議論については、掲示板の方を利用するようお願いします。

    http://macska.org/forum/

  67. Мышкин Says:

    了解しました。今後何か見つけたら掲示板にリンクとか張ります。

  68. 清水晶子 Says:

    明らかに本筋ではないので気が引けるのですが、他のところに書いても仕方ないし、
    私本人について言われたことを訂正しないのも嫌なので、すみません。

    小谷野さん、誤解されているようですが、私は英文学者ではありませんよ。

  69. 小谷野敦 Says:

    『セックス神話解体新書』ちくま文庫は現在8刷、28500部だそうで、特に絶版にする予定はないそうです。
    清水さん
     それは失礼しました。では私の考えている人とは同姓同名ということですね。ただ言っておきますが、これはもともとマチカさんと始めた議論で、マチカさんはメールで私に実名や背景を告げて、それは明かさないよう約束しました。私がマチカさんに敬意を払っているのはそのためです。だって私のほうは正体が明らかなわけですから、これはどう考えたって対等ではない。だから××大学の清水晶子、と推定したわけですが、それが違っていてやはりあなたが正体不明で、こういう対等でない議論をするのはいいが、そちらのアイデンティティを推測するのはネット上のマナー違反だというなら、そのようなマナーを私は尊重しません。従って、あなたがご自分のアイデンティティをメールなり何なりで明らかにしない限り、あなたとは議論しません。

  70. 小谷野敦 Says:

    清水さん
     追伸です。もし私があなたの身分を推測して書き込まずに議論が続いていたら、これを見ている人は、検索して、すぐに、××大学の英文学者でクィア理論をやっている清水晶子さんだと思うでしょう。するとその清水さんに迷惑ではないでしょうか。そのあともあなたは「学生も見ているようなので」とか「その時間はワークショップに出ていたので、調べればお分かりになるのでは」などと書いていますが、ネット検索しても分かりませんでしたし、これではいよいよその清水さんに間違えられてしまいます。なぜもっと早く「自分はその清水晶子さんとは別人である」と書いて、その清水さんの迷惑を少なくしようとしなかったのでしょう。

  71. 清水晶子 Says:

    ああもう。Macskaさんにもご迷惑だしやめようと思っていたのですが、このまま消えたら何を言われ続けるか分からないし、そもそも議論の本題が消えたままになってしまうので。

    小谷野さん。

    ええと、私は小谷野さんのアドレスを知らないのでメールを差し上げられません。で、小谷野さんが書き込まれた中でわたくしが否定したのは「英文学者である」という点だけです。PhDを取ったのも、現在のリサーチテーマも、発表する学会も、科研費を貰っているのも、英文学ではなくフェミニズム・クィア理論の分野なので。
    ただ、この場所で所属を明らかにするつもりはありませんから、今後も書き込まないで頂きたいとは存じます。

  72. 山本 蘭 Says:

    すごーい。まだ議論続いているのですね。
    とても興味深いので、私のHPからリンク張らせていただきました。ご了承いただければ幸いです。(NGなら、ご連絡ください)
    ところで、なぜ、投稿やコメントが枠からはみ出しちゃうことがあるのでしょう。
    この入力欄もそうだけど。^^
    全然関係なくて申し訳ないのですが、前から気になっていたもので。

  73. 小谷野敦 Says:

    清水さん
    日本における「ジェンダーフリー運動」なるものが、1)小倉著に見られるような、性自認は変えられるのだからジェンダーは曖昧なものだ、2)異性愛中心主義批判、3)金井景子のように、できるだけ男女の差をなくそうという思想、これらと連携して展開されてきたことは紛れもない事実です。1)に対してマチカさんは「論理の飛躍」だと言っていますが、いわゆるポストモダニズムやエクリチュール・フェミナンが、論理とは男性的なものである、と指弾し、イリガライが、男の性感帯はひとつだが女のそれは複数なので、男の論理は単線的であると言い、ジェーン・ギャロップが、男にも金玉があるからなどとバカバカしい反論をしたのはご存知でしょう。私は文学系の学者で、2を含めずにジェンダー・フリーを唱えた人というのは知りません。もちろん、2を特に言わない人もいるでしょうが、2には反対だと言ってジェンダー・フリーと言った人は知りません。それを今になって、ジェンダー・フリーへの誤解だの、論理がどうのと言われても(というか、論理はどうでもいいのだと言った時点で、あらゆる議論が無効になるわけですが)、仕方がないでしょう。フェミニズムに限らず、90年代のこのポストモダンバカ騒ぎを総括せずにいる学者連が悪いんですよ。
     ジェンダーフリーの「言葉狩り」ってそんな図々しい。「言葉狩り」を率先してやってきたのは「フェミニスト」でしょう。スチュワーデスや看護婦のどこがいけないのでしょう。どこに、スチュワーデスや看護婦と呼ばれたくないと言っている人がいるのでしょう。私はまずこういう馬鹿げた言い換えをやめてほしいですね。

  74. Macska Says:

    小谷野さん:
    > 私は文学系の学者で、(中略)2には反対だと言ってジェンダー・フリーと言った人は知りません。

     それは、現在のフェミニズムの水準において、compulsory heterosexuality に反対というのは、あまりに当たり前のことだから、それに正面から反論する論者が少ないだけでは。もちろん反対論者はいますが、かれらはの大半はおそらくフェミニストというよりは保守論者でしょうから、かれらがジェンダーフリーを口にしないのは全然不思議ではありません。

     それから、ジェンダーフリーという運動自体が、小谷野さんが言うような学問的・理論的な裏付けを持つものではなく、ある種の政治的な主張をストレートに(しかも和製英語で)表現してしまっただけのものじゃないかと思います。もちろん、そこで表現されたアジェンダは決してフェミニズムの理論と矛盾するものではないのですが、何らかの学問的な理論が先にあってそこからジェンダーフリーという考え方が出てきたわけではないでしょう。

    > 90年代のこのポストモダンバカ騒ぎを総括せずにいる学者連が悪いんですよ

     というよりは、いまだに90年代のポストモダンバカ騒ぎバッシングを総括せずに同じことを延々と書いていれば良いという小谷野さんの知的怠慢ではないでしょうか。

    > ジェンダーフリーの「言葉狩り」ってそんな図々しい。

     過去にはフェミニズムも「言葉狩り」に関して間違いをおかしましたが、少なくとも現在のフェミニズムの水準では、「言葉狩り」すなわちコンテクストを無視してある言葉が使われたことだけを問題とする論理は批判対象です。言語が社会や文化の産物である以上、言語のなかに現在の社会においてヘジェモニックな思想や価値観が含まれるのは当たり前のことであり、言語から個別の言葉を浄化するのではなく、言語の構築性・政治性に対するセンシティヴィティを育もう、というのが現在のフェミニズムによる「言葉狩り」への回答です。

     要するに、小谷野さんは「90年代のポストモダンバカ騒ぎ」を叩くことで溜飲を下げているうちに、いつの間にか自分が時代に取り残されている事に気付いていないのでは。

     そろそろ、今回の議論を総括したいと思います。
     と言いたいのですが、昨夜から高熱が出ていて辛いので、もしかしたらちょっと後になるかも。
     再三「最近病気だ」と書いているのでここの常連の方はご存知と思いますが、わたし何故かとても病弱だったり。

  75. 小谷野敦 Says:

    マチカさんにしては珍しく、何を言っているのか分かりません。今でも日本のマスコミは「看護師」だの「フライトアテンダント」だのと書いているんですからね。あなたの考えている「現在の水準」はあなたの中にしか存在しないのでは? だいいちなぜ私が総括する必要があるんでしょう。総括して反省するのはフェミニストやポストモダニストのほうでしょう。あほらしい。時代に取り残されるって何でしょうか。学者として、そのような言葉は聞いたことがないので、説明してください。時代というのは前へ進むという進歩史観でも奉じているんですか。

  76. macska Says:

    > 時代というのは前へ進むという進歩史観でも奉じているんですか。

     進歩史観というのは、歴史が特定のある一方向(例えば自由民主主義の拡大、あるいは共産主義の設立、など)にどんどん進むという考え方でしょう? そのような特異な前提を取り入れずとも、時代とともに社会のいろいろなことが変化していくのは当たり前です。学会で論じられている内容も時代とともに変化して当然なのに、小谷野さんだけは自分が気に入らないことは全部「90年代のポストモダンバカ騒ぎ」のせいであるということを、まるで普遍的な理論であるかのように繰り返すだけなのです。

    > 今でも日本のマスコミは

     ここから分かる通り、小谷野さんは「言葉狩り」の何が問題だったのか未だに理解していません。
     だって、合理的な理由があるときに、言葉を言い換えるのは言葉狩りとは言わないのね。そうじゃなくて、コンテクストに関わらず絶対にその言葉を使っては行けない、あるいはコンテクストに関わらずその言葉を使うだけで差別である、という主張を、「言葉狩り」と言うのです。
     「看護婦」について言うなら、女性だと分かっている特定の看護婦、あるいは女性だけで構成された看護婦の集団について話しているなら「看護婦」という言葉を使っても何の問題もありません。ただ、看護士職についている性別不詳の人あるいは男性を表現するのに看護婦という言葉を使うのは、通常の言語感覚からしておかしいと感じませんか?

     ま、せっかくだから小谷野さんの主張を検証してみましょう。Google Japan に行き、「看護婦 +site:asahi.com」で検索すると、朝日新聞のサイト内部において「看護婦」という言葉を使ったページがリストアップされます。同様に、「看護士 +site:asahi.com」もやってみてください。ヒット数を比べると、前者が130件、後者が40件ですから、大新聞のうちもっともリベラルであるとされる朝日新聞においてすら「看護婦」の方がより多く使用されていることが分かります。
     続いて、せっかくなのでヒットした上位サイト(1ページ目)における用法を調べてみましょう。
     「看護婦」の側は、以下の通りです:

     ・「黒い看護婦 福岡四人組保険金連続殺人」書評
     ・従軍看護婦 – 語りつぐ戦争 記憶
     ・元従軍看護婦、うずく傷 まぶたの裏、あの光景今も
     ・東宮の侍医、看護婦を増員
     ・護婦さんに勇気づけられ
     ・母の昌子さん(四八)には「もう看護婦をやめる」と 口にした
     ・医務課には医師免許を持った男性の医務課長のほかに看護婦が一人
     ・看護婦と入れ替わりに医務課長が診察に現れた
     ・最後に、フィリピンは看護婦、介護士を日本に供給するという話

     このうち最初のものは書評であり「看護婦」が書名に含まれるので無視するとして、残りは最後(看護士一般のことを「看護婦」と表現)を除いて特定の看護婦、もしくは歴史的に全員が女性であった時代の看護婦についての記述です。

     では、「看護士」の側はどうでしょうか。

     ・すべて准看護士の守(もり)大助被告(30)が関与したと指摘
     ・(わたしは)准看護士です。
     ・医師、看護士が常勤。自宅での生活を可能にするためにリハビリテーション
     ・その後、97年に助産学履修を希望する看護士が助産婦学校に入学し
     ・アリシアに献身的に尽くす看護士・ベニグノ
     ・その後、看護士さんが注射を打ち、採血をして2本の点滴を打った
     ・准看護士の守(もり)大助被告(30)が殺人罪に問われている
     ・准看護士の守(もり)大助被告(30)が殺害したとされる
     ・殺人未遂の罪に問われている准看護士守(もり)大助被告
     ・それまでは准看護士の守( もり)大助被告(30)の関与を疑いながら

     一目して分かるとおり、殺人未遂の罪に問われた男性の准看護士についての報道が多いですが、その他もほとんど特定の「男性の」(准)看護士もしくはその資格を指す文脈で「看護士」という言葉が使われています。唯一の例外は、海外におけるリハビリテーションのプログラムを解説した記事において「医師、看護士が常勤」というもので、昔ならば「看護婦」と表記されていたであろうものが「看護士」と書き換えられています。
     結論。少なくとも朝日新聞においては、「男の看護職労働者は看護士、女の看護職労働者は看護婦」という当たり前の使い分けをしているだけであって、「言葉狩り」によってマスコミが「看護士」という言葉を使っているという指摘は取りあえず無根拠である。
     これくらい、Google だけで簡単に調べられるんだから、自分の偏見なり思い込みに過ぎないものをそう安易に放言しないで欲しいですね。思いつきにしか過ぎないものを検証するコストを他者に押し付けないでいただきたい。
     また、検証としてこれだけでは不十分だと言うなら、ご自身で「スチュワーデス」と「フライトアテンダント」という言葉を使って同じ検証をやってみてください。

  77. 小谷野敦 Says:

    マチカさん
    最初に断ったとおり、私は必要とあれば一週間でも二週間でも間を置いても構わないのだから、熱があるぼおっとした頭でぼおっとしたことを書き込まないで、熱が下がるまで待ってください。
     だいたい、清水さんが、ジェンダーフリーと異性愛中心批判は別だ、というから、私はそう書いたので、あなたの答えはそれを分けようとする清水さんに向けられたものと考えていいのでしょうか。
     それにあなたは、私が提案したキーワード編集の方針に対して答えていないでしょう。
     さて、看護師の件ですが、どうも日本におられないせいか、事情がお分かりでないようです。二○○一年に、「看護婦」と「看護士」を統一して「看護師」にするという法律ができたのです。
    2001.12.07 朝日新聞東京朝刊  

    女性なら看護婦、男性なら看護士としている名称を、統一して「看護師」とする改正保健婦助産婦看護婦法が6日、衆院本会議で賛成多数で可決、成立した。保健婦、助産婦、准看護婦なども同様に「保健師」「助産師」「准看護師」となる。来春から施行する。

     これに倣って、男であれ女であれ「看護師」とするのが、朝日新聞の基本方針であることは、今でも変わりません。
     つい最近の9月17日の記事を貼り付けましょうか。

    昨年春、思わぬ病気で約2カ月間入院生活を送りました。病院で気づいたのですが、看護師さんが皆、ナースキャップをかぶっていないのです。そういえば近所の医院でも無帽です。廃止が広がっているようですが、なぜなのでしょうか。看護学校の戴帽(たいぼう)式はどうなるのでしょう? (大阪府堺市 無職×××さん 70歳)
     ●機能重視パンツも導入
     04年4月にキャップを廃止したという福知山市民病院(京都府福知山市)に行ってみた。建物に入ると、患者さんや医師に交じって、忙しそうに働く制服姿が。ウキッ? 看護師さんだ! 確かにキャップをかぶっていないでごザル。
     「キャップの廃止と同時に、服のデザインも変えたのです」と看護部長の森由香里さん。経緯を教えてもらった。
     同病院看護師の服の更新を控えた03年に「看護衣検討委員会」を作り、キャップ廃止などについて看護師205人にアンケートをとった。結果は約75%が「外すのに賛成」で、「反対」は約20%。すでに多くの医療機関で廃止が広がっており、機能的ではないキャップがなくなることに抵抗は少なかったようだ。森さんも「機材や点滴などにキャップの端が当たることはありました」と振り返る。

      ちなみに、女性の看護師は従来、白のワンピースだったが、この病院では薄い黄色の上着とパンツの組み合わせに。機能性を追求した結果でごザルね。

     「ナース」といえば明らかに女性なのに「看護師」、しかも「女性の看護師」ですよ。女性だと明らかに分かっていても「看護師」なのですから、あほらしいです。あなたが見つけた例は、二○○一年以前のものか、過去のことを記述したものでしょう。
     ちなみに、おこがましいですが、ことばにおける男女差別の問題を論じて、英語の教科書として使われていたこんなのもあります。
    http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4269140399/qid=1127222468/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-7795978-0740339
     これを編纂した私が「言葉狩り」の本質が分かっていないとは、たはは・・・。

  78. 清水晶子 Says:

    小谷野さん

    私は「ジェンダーフリーと異性愛中心主義批判は別だ」とは言っていないと思います。そもそもジェンダーフリーという用語の定義をとりあえず了解しておかないことには(そしてそれをしないまま流通したことがジェンダーフリーという用語の欠点だと思います)、ジェンダーフリーと異性愛中心主義批判との関係を議論することもできません。

    ただまあ、「ジェンダーフリー」と「異性愛中心主義批判」は同じものではないとは確かに思います。ジェンダーフリーを「ジェンダー規範から自由であること」と解釈する場合、ジェンダーフリー推奨と異性愛中心主義批判が密接に関係しているのは言うまでもありませんが、この二つは「同じもの」ではありません。

    私が主張したのは、唯一つ、「ジェンダーフリーがバイセクシュアルを導くという理解は間違えている」ということだけです。そして、その点について、小谷野さんからはまだ納得のいくお返事をいただいていないと思います。

    フェミニストが異性愛中心主義を批判するのはMacskaさんの仰るように当たり前のことで、現在の日本のフェミニズムに問題があるとすればむしろそれが徹底されていないことだと思いますが、私が以前申し上げたとおり、ジェンダーフリーを提唱するときにその背後に必ず異性愛中心主義批判が存在していると仮定しても、それは「ジェンダーフリーがバイセクシュアルを導く」ことにはなりません。

    それから、イリガライの「一つではない性」その他の議論に対しては、すでに80年代においてフェミニズム内部から「本質主義である」との批判が多数出ています(この批判が妥当かどうかはまた別の議論になりますが)。さらに、論理は男性的なものだからどうでもよいというような主張をするフェミニストも探せば今でもいるのかもしれませんが、現代のフェミニズムの代表的な思想とはとても言えません。このような例を出すことで小谷野さんは何を主張なさっているのでしょうか。

    ジェンダーフリーへの誤解と私が申し上げたのは、「ジェンダーフリーはバイセクシュアルを導く」という言い方は、「ジェンダーフリー」という言葉を使って現時日本で進められている運動に対する誤解をまねく、という文脈においてです。ポストモダニズムとは何の関係もありません。

  79. 小谷野敦 Says:

    清水さん
     私が問うているのは、なぜ「男女平等」ではいけないのか、「ジェンダーフリー」という和製英語を使わなければいけないのか、ということです。それからあなたは15日に「、異性愛中心主義批判がバイセクシュアルを導くのではありませんか。」と言っているでしょう。「ジェンダーフリー」を主張する人が現実にほとんど「異性愛中心主義批判」を行っている以上、「ジェンダーフリーならバイセクシュアルかアセクシュアル」になるではないですか。私は「アセクシュアル」を付け加えて修正しましたが、それでも違うのですか。既に批判が出ていた、って、私は現に1998年、イリガライを扱った博士論文が大阪大学で通るのを目にしているんですよ。何を主張しているのか、ってそれは私の本に書いてあるとおり、フェミニズムは学問に差し戻されるべきである、と言っているのです。たとえば大阪大学教授の牟田和恵の『実践するフェミニズム』(岩波書店)では、男に対するセクハラもあるではないか、と言う人もいるが「しかしこうした一般化は、問題の本質をぼやけさせて、この概念が登場してきた戦略的意味を失ってしまう」と書いています。戦略のために学問から逸脱しているわけで、しかしこういう人がアカデミズムで出世するわけですからね。おちこぼれの学者である私にとっては大問題ですよ。

  80. rna Says:

    看護師というのは資格の正式名称なんですから「言葉狩り」じゃなくても普通に使うでしょう。女だったら看護婦と書かなきゃいけない決まりがあるわけでもないし、特に必然性がない限り看護師表記に統一するのは当たり前でしょう。

    asahi.comで検索した限りでは最近の記事でも、過去の看護婦や海外の看護婦への言及では看護婦という表記ですし、ナース服を着ているのを「看護婦スタイル」と記述している例もありました。こういうのを看護師に置き換えてしまうのなら「言葉狩り」だと思いますが。。。

    もっとも洋画のレビューで「看護師の女性」と書いている例もあります。ライターが過敏なのか編集が直したのかどうかはわかりませんが。この手の自主規制は日本では言葉狩りや表現のタブーの根っ子にあるようですが(参考: 森達也『放送禁止歌』(解放出版社)こういうのはメディア側の問題で、フェミニストや人権団体の類が責任を問われるような話ではないと思います(一時期の部落解放同盟みたいなのを除けば)。

    もっとも「看護婦」や「スチュワーデス」について女性団体が執拗にクレームを付けて表記を変えさせた、というようなことがあるのなら上のような理解には収まらない話ですけど。そういう例が実際にあるのでしたら教えてください。>小谷野さん

  81. 小谷野敦 Says:

    マチカさん
     だから、私は政府がそのような名称について取り決め、マスコミが追随することをおかしいと言っているのです。誰も抗議を申し入れていないのに、なぜそんな言葉狩りをする必要があるのか、と。たとえば「OL」というのは、女性が働くことを特別視した言葉なので、差別語だと私は認識しています。
     「フライトアテンダント」については「客室乗務員」が一般的ですね。読売は「スチュワーデス」を使うようですが、朝日は使っていません。探したら出てきたのは「スチュワーデス物語」だったりして。

  82. 清水晶子 Says:

    何か話がずれているような気もしますが、Macskaさんの「総括」が出るまでということで、失礼して続けます。

    小谷野さん

    私は現在ジェンダーフリーではなく「男女平等で良い」と思っていますので、その点については異論はありません。ジェンダーフリーという用語は好きではないと何度も申し上げていると思います。

    それから、私が#24で書いたのは以下の通りです。

    >「異性愛中心主義が批判されるならば、異性も同性もセックスの対象として
    >見るべきだということになる」というのであれば、まだ分かります。
    >その場合、「異性愛中心主義批判」を根本的に誤解していらっしゃるとは
    >思いますが。しかしこの場合、「ジェンダー・フリーがバイセクシュアルを導く」のではなく、
    >異性愛中心主義批判がバイセクシュアルを導くのではありませんか。

    つまり、そもそも「異性愛中心主義が批判されるなら、異性も同性もセックスの対象としてみるべきだということになる」ならば、「異性愛中心主義批判が(ジェンダーフリーの有無とは無関係に)バイセクシュアルを導くということになるだろう」と言ったのであって、しかもそそのような仮定自体がは「異性愛中心主義批判を根本的に誤解している」と申し上げたのです。もう一度#30で書いたことをお読みいただければと思います。

    イリガライについては本当に話がずれてしまいますが、イリガライを扱った博士論文が阪大で通ったからと言ってどうだと仰るのでしょう。批判があったからと言って論文で扱っていけないわけでもないし、そもそも90年代半ばくらいからは本質主義の批判なども踏まえた上でイリガライを読み直す試みも増えてきています。いずれにしても、「性自認は変えられるからジェンダーは曖昧なものだと言うのはは論理の飛躍である」という主張に対してイリガライやエクリチュール・フェミニンを持ち出す理由がわかりません。

    フェミニズムが学問に差し戻されるべきだとは私は思いません。フェミニズムは政治性のない学問が存在するかどうかを疑問視してきましたし、政治性のない学問としてのフェミニズムはもはやフェミニズムではないと思うので。
    引用なさった牟田さんの本を私は拝読していませんが、引用箇所だけから判断する限り、私は「戦略として」その主張には賛成しませんし、正しいとも思いません。けれども、「ジェンダーフリーはバイセクシュアルを導く」という小谷野さんの主張が学問的に正しいとも思えません。

  83. 小谷野敦 Says:

    清水さん
     ジェンダーがなくなればただの「セクシャル」になるとあなたは言いましたが、ジェンダーがなくなっても生物学的性差はあるわけだから「バイセクシャル」でしょう。あるいはあなたの言うように、性的行動をしない人間がいたら、それは「アセクシュアル」でしょう。
     「異性愛中心主義批判」についても、なぜ「同性志向者差別批判」ではいけないのでしょうか。「異性愛中心主義批判」でセジウィックが、異性愛者こそカムアウトすべきだ、などと無意味なことを言いましたが、あれももう過去の話なんでしょうか。そして異性愛中心主義批判といえば、合宿で男と女で部屋が分かれる、あるいは八王子セミナーハウスで男同士、女同士が同じコテージに泊まるのもおかしい、ということになるでしょう。もしかしたらカムアウトしていない同性志向者だっているかもしれないんですからね。あなたの理解する「異性愛中心主義」というのは、こういう問題についてどう考えるのでしょうか。

  84. まな Says:

    rnaさんとややかぶるかもしれませんが…。
    看護職にしても客室乗務員にしても、実際に男性が増えつつあるのだから統一名称を用いることは便宜的な選択でもあると思うのですが。保健師助産師看護師法に改正される前は公的な(あるいはそれに近い)文書では「看護婦(士)」といちいち表記しなければならず、書くにしても読むにしても(読み上げるならなおさら)面倒でしたし。また、専門職らしい名称にしたいという看護職側の思惑もあったようですね。
    男性の看護職が出てきた以上、保健婦助産婦看護婦法という法律の名称自体も実態に合わないとみなされるのは仕方ないでしょうし、そこで「保健婦(士)助産婦(士)看護婦(士)法」なんていう名称になったりしたらそれこそアホらしいかと。
    それに法律で名称変更が定められた以上、マスコミがそちらを使うのは別に自然なことではないですか?「子供」にはこだわりがありそうな産経でさえ、「看護師」の方をよく使っているようですよ。

  85. 清水晶子 Says:

    小谷野さん

    書き込みがだぶったようです。上の#82は小谷野さんの#79に対してのコメントです。
    (それから、#81はMacskaさんあてではなく、rnaさん宛てですよね?)

    「バイセクシュアル」については繰り返しますが#30をお読みください。

    異性愛中心主義批判ですが、これは「同性愛者差別批判」には限定されません。「異性愛中心主義heterosexism」は最近では「異性愛規範heteronorm」と言い表されることが多いことからも分かるように、異性愛を前提とした社会的・文化的な規範を指すものだと私は理解しています。「異性愛中心主義批判」はたとえば「同性愛ではなく、異性愛でもない」セクシュアリティへの差別も含みますし、「異性愛」を前提とした思考への批判、たとえば同性愛カップルの片方を必ずトランス的な存在としてとらえる傾向、あるいはトランスセクシュアルが必ず異性愛者であることを要請するような傾向、異性愛が必ず成立するべく人間を男女どちらかに強制的に配分しなければならないとする考え、などに対する批判も含みます。ただし、異性愛中心主義批判は、「男あるいは女というジェンダー自認を持ってはならない」「異性愛者であってはならない」という規範ではありません。

    「異性愛者こそカムアウトすべきだ」というのは、カミングアウトをめぐる政治性というか権力の不均等を批判するものです。簡単に言ってしまえば、異性愛者は自分のセクシュアリティについて何も明かさずにすむ反面で非・異性愛者のみが常に自らのセクシュアリティを自己申告せざるを得ない状況(=異性愛規範)はおかしいということです。

    男女で部屋が分かれるという話について。「異性愛中心主義」は、勿論、男性は女性を、女性は男性を欲望するものであるから、安全の確保上男女で部屋を分けることが望ましい、と言うでしょうね。「異性愛中心主義批判」の立場に立てば、「男性は女性を、女性は男性を欲望するものとは限らない」となります。
    ただし、男女の部屋があらかじめ分けられてしまうことの問題点は、同性愛が想定されていないこと(同性愛差別)ではなく、身分証上の、あるいは外見上の性別に従って、ある人物が「男」か「女」かが他人によって勝手に決められてしまうという点(広い意味での異性愛規範)にあると思います。同性愛者がいたって「男同士」「女同士」という部屋割りでもかまわないわけですから。

    いずれにせよ、「ジェンダーフリーがバイセクシュアルを導く」という小谷野さんの御主張とは関係がないように思えますが。

  86. rna Says:

    僕はmacskaさんじゃないわけですが…

     だから、私は政府がそのような名称について取り決め、マスコミが追随することをおかしいと言っているのです。

    保健婦助産婦看護婦法の改正そのものまでも問題にしているとは思いませんでした。改正の経緯はよく知りませんが、参議院法制局のこのコラム
    http://houseikyoku.sangiin.go.jp/column/column042.htm
    を見る限り改正には合理的理由があると思うのですが。どのあたりがおかしいのでしょう?

    仮に合理性に疑義があるとして、それはフェミニズムのせいなんですか? この改正案は議員立法で自民党の清水嘉与子議員が提出したようですが彼女はフェミニストなのでしょうか?

    法案は賛成多数で可決されたわけですが、自民党はフェミニスト政党、もしくはフェミニストに屈したヘタレ政党、もしくはフェミニストの陰謀に気付かないマヌケ政党ということでしょうか?

  87. 小谷野敦 Says:

    清水さん
     「フェミニズムは政治性のない学問が存在するかどうかを疑問視してきましたし、政治性のない学問としてのフェミニズムはもはやフェミニズムではないと思うので」と言われるなら、もう私と話す必要はありません。私は政治性のない学問は存在すると信じていますし、私が言っているのは、そういうところへ行ったらもう議論など成立しない、ゲバルトになるだけだろう、ということです。そのようなことを学者が主張すること自体、嘆かわしいと思います。

  88. 清水晶子 Says:

    小谷野さん
    「私と話す必要はありません」と言われても、そもそもの小谷野さんのご発言である「ジェンダーフリーがバイセクシュアルを導く」が「学問的に」間違えているのではという疑問に御回答くださっていませんし、そのご発言を訂正もなさっていらっしゃいません。政治性について話す必要はありませんので、その点についてのみお答えいただければ幸いです。

  89. 小谷野敦 Says:

    自民党はフェミニスト政党、もしくはフェミニストに屈したヘタレ政党、もしくはフェミニストの陰謀に気付かないマヌケ政党」もちろん、そのどれかでしょう。男女共同参画社会なんて言ってるんですから。「女性看護師」なんて言うくらいなら「看護婦」でいいではないか、というこの普通の感覚が分からないのでしょうか。
    清水さん
    とにかく私のパソコンはどんどん左へずれているから、「30」と言われても分かりません。バイセクシュアルかアセクシュアル、と言っているでしょう。それがなんで違うのか、理解できない。で、「男女の部屋があらかじめ分けられてしまうことの問題点は」「男同士」「女同士」という部屋割りでもかまわないわけですから」前後矛盾していませんか?

  90. 小谷野敦 Says:

    すみません。もう寝ようとおもっていたのでやっつけに書きました。書き直します。
     法令上で、医師、弁護士などと同じように名称を男女で統一するというのは合理性がありますが、マスコミや映画の字幕までが、「看護婦」という言葉があるのに「女性看護師」などと書く必要はない、と言っているのです。たとえば外務省が「連合王国」としているからといって「イギリス」を「連合王国」にする必要はないでしょう。「内閣総理大臣」を「首相」とも呼んでいるでしょう。あるいは「らい予防法」が改正される前から、マスコミは「ハンセン氏病」と呼んできました。法律上の名称に従う必要などないのに、従うマスコミの側がおかしいのです。
     さて清水さんですが、むろん、ジェンダーに捕らわれる必要はないが捕らわれてもいい、というのが「ジェンダーフリー」である、そういう点でジェンダーフリー推進論者のコンセンサスができている、というなら「ジェンダーフリーなら全員がバイセクシュアルにならなければなるまい」というのは間違いでしょう。しかし現実のジェンダーフリー推進論者の主張は、ジェンダーに捕らわれる自由を認めていないように思えます。先に紹介した金井景子の「男の子もスカートをはくような世の中に」もそうです(スカートを穿きたがっている男の子が大勢いるのでしょうか)。たとえば現にミシェル・フーコーは「私たちは懸命に同性愛者になるよう努めなければならない」と言っています。橋本治も言っています。あなたは誤解だと言うかもしれませんが、多くの人が「ジェンダーフリー」に恐怖心を感じているのは、それが「ジェンダーに捕らわれる自由」を認めない「自由であれ」という命令形のように思えるからです。現に萩尾望都のマンガには「まさか同性しかダメなんて人じゃないわよね」という未来世界におけるセリフがあります。つまり、「異性愛中心主義批判を含んだジェンダーフリー運動なるものは、全員がバイセクシュアルになるように教育をするような運動であるという誤解を受ける恐れがある」と言えば、それでいいでしょうか。

  91. Macska Says:

    重くなったので新スレッド移行お願いします:
    http://macska.org/index.php?p=107

  92. たにも on the web Says:

    「平等」 竹中平蔵とジェンダーフリーと経済のグローバル化

    竹中平蔵の言う、「誰にでも平等にチャンスのある,頑張った人が報われる社会」。
    「ジェンダーフリーは、性別を無視する悪思想だと誤解されやすい」という自民党の主張。
    アメリカは世界を経済のグローバル化に巻き込んでいます。

    アフリカで餓死寸前になっている5歳…

  93. 会社からランドセルを貰う人もいるようです | ランドセルカバーの作り方についての基礎情報から専門情報|わからないことがあるならこのサイト! Says:

    […] いてしまった。 …… 北海道のおじさん>昔、ランドセルは男は黒、女は赤しかなかったけど ゴレンジャーのリーダーはアカレンジャーだし、ウルトラセブンも真っ赤です。(続きを読む) […]