「無名のアルコール依存症者たち」のカルト的マインドコントロール

2006年7月2日 - 7:31 午前 | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

別のところで書いた話に関連して、AA 批判のつづき。わたしはカルト自体が悪いとは思っていないのだけれど、カルトがポップ心理学や疑似科学的なものを使ってまともな療法を装っているのが危険だと思うので、こうした批判があるという事実を周知させることは無意味ではないと思う。AA についてもっとよく知りたい方は、AA 日本のサイトで「12のステップ」「12の伝統」「AA についての素朴な疑問」あたりも読み合わせて各自判断していただきたい。さらに一言付け加えておくと、わたしは AA はカルト的なマインドコントロールを使う集団だと思っているけれど、一度参加したら抜けられないという種類のカルトではないので、両方のサイトを呼んでそれでも判断が付かない人は一度参加して自分なりの結論を出せばいいと思っている。
【12ステップ・プログラム(AAなど)がカルトである12の理由】
1)信仰療法である。救済されるためには、ハイアーパワー higher power なる至高の存在を認め、それに自らを委ねなければならない。この「パワー」は特定の宗教の教義を前提としていないとされ、神的なものですらなくて良いと言われるが、明らかにキリスト教的な神として想定されている。
2)実質的に信仰療法であるにも関わらず、そのように宣伝せず、一般の人が心理学と見間違うようなジャーゴンを多用している(「アダルトチルドレン」「共依存」など)。また、「依存症は不治の病であり、完全に断酒するほか回復の道はない」などイデオロギーにすぎないものがまるで医学的な結論であるかのように語られる。こうした疑似科学性はカルトによく見られる。
3)参加者はまず第一に自らが全く無力であると受け入れなければいけない。受け入れない場合、「否認している in denial」とみなされる。過去の価値観を否定し参加者の自尊心 self-esteem や自己効力 self-efficacy を打ち下したうえで集団のイデオロギーを植え付けるのはカルトによく見られるパターン。
4)集会のはじめに、参加者全員がファーストネームを名乗り自分が依存症にかかっていることを打ち明けなければいけない。匿名性の強調はアイデンティティの希薄化に繋がり、依存症であることを打ち明けて「心を開く」ことにより他者の心理的な侵入を許すようになる。
5)参加者は完全に無力な存在とされるため、飲酒をイネイブリングしていた過去の友人や家族を避けるよう圧力を受ける。また、それが今も飲酒を続ける過去の友人の飲酒をイネイブリングしないことだと言い聞かされる。このように参加者をそれまでの交友関係から孤立化することで、自助グループがその人にとって唯一の気を許せる居場所になる。信者を孤立化し集団に依存させるパターンはカルトによく見られる。
6)集会において、参加者は交代に集団のイデオロギーを朗読する。集団に疑問を持つ心理は認知的不協和 cognitive dissonance により解消され、イデオロギーへの信仰が強化される。集団の信条や規範はまるで聖なる教典のように扱われ、イデオロギーへの懐疑の表明は「否認」の証拠とみなされるためいかなるものでも認められない。
7)12ステッププログラムは回復するためには「最悪の状態まで落ち込む hitting the bottom」ことが必要と説く。そのため、仮にプログラムに参加したあと症状が悪化した場合も、それはまだその時点では最悪の状態ではなかったのだと説明され、プログラム自体は無謬とされる。どのような結果が出ても無謬を誇るようなイデオロギー体系は、カルトによく見られる。
8)依存症は不治の病とされるため、参加者は一滴でも飲めば歯止めがきかずにそれまでの努力が水の泡と化すことを恐れるようになり、その恐怖によって集団に縛り付けられる。また現実に、自分は無力で不治の病にかかっていると思い込まされているために、たった一杯飲んだことがきっかけで見境を無くす危険が高くなる。いわゆる self-fullfilling prophecy の状態。カルトもよくこのような絶対的な天国と地獄を説くことで恐怖を煽り信者を縛り付ける。
9)赤の他人ばかりであるはずの集会において、無根拠な連帯感がやたらと強調される。また、何も楽しいことが起きていないのに不自然に明るい人や楽しそうにしている人たちが多く見受けられる。その正体は、カルトによくある集団心理でしかない。集会において「自分よりステージの高い人」と出会うことで、参加者はより修行に励むようになる。
10)12ステッププログラムは依存症からの解放の「唯一の道」であると称するため、それを信じた参加者はほかの治療法を受けようとしなくなる。また、12ステップによって断酒できなかった人は他の治療を試さずに諦めてしまうことがある。結果、より問題を深刻化してしまう。「唯一の道」を自称し他の選択肢を閉ざすのもカルトによく見られる特徴。
11)12ステッププログラムは他の治療法を認めないばかりか、個々の依存症患者が「完全な断酒」以外の目的を持つことや集団のイデオロギーに同意しない医者やカウンセラーの助けを得ることも認めない。また集団のイデオロギーを認めない専門家に対して参加者たちは、専門家不在の AA に反感を持って自らの利権を保護しようとしているのだと攻撃する。こうした全体主義的な態度もカルトによく見られる。
12)最後のステップに従い、参加者が宣教するようになる。集団によって救われたと思い込んだ人が周囲の依存者や飲酒者に断っても断ってもやたらと参加を勧める。また、集団のイデオロギーに対する批判に対して、それがどのようなものでも異常なまでに感情的になって反論することがよく見られる。かれらにとって、12ステップのイデオロギーは友人を失っても守りたいものらしい。それは、まるでカルトの狂信者のようだ。
【具体的な問題点は何か?】
最初に述べた通り、AA がカルトであることはそれ自体別に悪いことではない。仮に上記を読んで、「あ、これは自分にぴったりの団体だ」と思って参加する人がいれば、それはそれで良いとわたしは思っている。では問題点はどこにあるのか? ひとつは「信仰療法なのに疑似科学的に装っている」点だけれども、ほかにもさまざまな影響がある。
・上記と重複するが、恐怖で行動を制御するイデオロギーにはフェイルセイフがない。一滴でも飲んだら大変なことになるという認識は飲酒を防ぐ強烈な動機にはなるけれども、いざ何らかのきっかけで飲酒してしまった場合の歯止めがない。現実に、「また飲んでしまった、自分はもうおしまいだ」と思い込んだために本当に常飲に戻ってしまった例が多い。これは例えば、「純潔教育」が意図に反して望まない妊娠や性病感染を増加してしまうという問題と似ている。
・もともとキリスト教徒の白人男性向けに作られたプログラムが、それとは違ったデモグラフィックスの参加者に通用するか? 例えば「自分の無力さを受け入れよ」という部分は、男性に典型的な「俺は依存していない、いつでもその気になればやめられる」という過大な自己効力を糾すためのものだけれど、そのような過剰さを抱えている傾向が低い女性の依存症患者にも同じプログラムで良いのか? 例えば、ドメスティックバイオレンスの被害をやり過ごすために飲酒を続けて依存症になった人には、逆に「あなたには力がある」と語りかけることが必要だったりするのではないか。
・ドメスティックバイオレンスの話が出たついでにもう1つ付け加えると、「共依存」や「イネイブリング」といった理論が、依存症患者が自分の依存症やその結果起きる暴力などの責任をパートナーに押し付ける形で援用されている。「俺が酒を飲むのは、お前がイネイブリングしているからだ」「俺が虐待を続けるのは、お前がそんな俺を必要としているからだ」というわけ。また、AA のイデオロギーは「どんなに不当な扱いを受けたとしても、自分の側にも常に原因がある」と説くため、虐待や暴力の被害者を非難する論理として通用する。
・AA が存在するために、政府が依存症治療プログラムの研究や実践に予算をかけようとしない。 AA という無料のグループに比べればその他のどんなプログラムもコストがかかるので、政府はその責務を放棄して AA に依存症対策を任せがち。結果として、きちんとしたプログラムが提供されていれば救われるはずの人が劣悪なプログラムによってスポイルされている。これはもちろん AA の責任ではなくて政府が悪いのだけれど、AA が心理学的体裁を装ってきたことと無関係ではない。
【おわりに】
では、このような問題のある AA などの12ステッププログラムだけれど、肝心なことはそれが効くのかどうかだろう。はっきり言うと、効かない。というか、大規模な調査がこれまで何度か実施されたけれども、そのどれを見ても AA は効果がない(断酒に成功する確率が、何の治療も受けなかった場合と何ら変わらない)か、もしくはいま存在する治療法のうち効果が最低という結論になっている。もちろん、専門家主義を否定する AA が有効だなんてことになったら飯のタネを失うからと、調査に関わった専門家が結果を改竄したのだとか、そこまで行かなくともかれらには AA に対する偏見があったからそういう結論になったのだという可能性はある。でもわたしはいまのところそういう陰謀論は信じていない。
ただこれは依存症の一般的な治療法としては無効という話であって、自分から AA に惹かれるようなタイプの人には有効かもしれない。かりに95%の人に効かなかったとしても、自分が残りの5%に入るのであればそれを大切に思うのは当たり前。だから信仰療法の一種としてそういう選択肢はあってもいいとは思う。すると問題は、やはり公衆衛生行政や医療が面倒くさがってその他の選択肢を増やそうとしないことになる。
米国では、AA にかわるオルタネティヴな依存症患者のためのプログラムを作ろうという動きがある一方、飲酒運転や公での泥酔・麻薬使用への刑罰にかえて判事が問題を起こした人に AA などの12ステッププログラムへの参加を義務づけるということが広く行われている。わたしはこれは信教の自由・内心の自由に反する憲法違反だと思うし、そんなので信仰心もない人がグループに参加してしまうと、もともとそこにいた人たちに対しても迷惑だと思う。信仰療法としての AA の価値は認めつつ、その他の選択肢の整備が重要だ。


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