フェミニズムを私物化する男性ジェンダー研究者

2006年5月28日 - 7:38 PM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

以前から伊田広行(イダヒロユキ)という人物の自己陶酔的な言説とパフォーマンスには呆れていたのだけれど、今回の発言は限度を超えた。かれが運営する「ソウル・ヨガ」という恥ずかしい名前のブログの最新記事「バックラッシュ批判本が出揃う!」でわたしが関与している双風舎刊『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか』に触れる際、何の根拠も示さずに「執筆者のひとり、山口智美さんなどは、かなりフェミニズムを誤解しておられるようだし」と書いた件だ。この際言っておくが、山口さんを執筆陣に加えるよう双風舎に掛け合ったのはこのわたしだから、もし山口さんが「かなりフェミニズムを誤解している」のであればその山口さんの業績を評価し推薦したわたしだって大いに誤解しているということになる。
伊田氏と山口氏のあいだに大きな意見の相違があることは分かっている。その違いというのは主に行政との距離の取り方と言ってよく、わたしから見ると伊田氏のアプローチは行政に擦り寄りすぎでその危険を見くびり過ぎだと思うけれども、その程度の意見の違いはフェミニズムの中でよくあること。しかし今回伊田氏は山口さんの意見に対して異論を提示しているわけでも批判を寄せているわけでもない。彼女がフェミニズムについて「かなり誤解をしている」、とただ決めつけているだけだ。
「あなたのフェミニズムはここがおかしい」という批判なら、フェミニズムの中ではいくらでも行われている。わたしも他のフェミニストに対してこのブログで批判をしてきたし、他のフェミニストから様々な批判を受けたことがある。けれど、フェミニストを名乗る相手にたいして「あなたはフェミニズムを誤解している」と言うことは、わたしにはほとんど考えられない。よほど言葉の意味から誤解しているような相手に対してならあり得るかもしれないけれど、少なくともフェミニストとして何らかの活動や研究の実績を持つ相手に対して、そんな大それたことはとても言えない。女性のフェミニスト同士でも滅多に言わないようなことを男性である伊田氏が言ったのだから、どうして男のお前の方が女よりフェミニズムの何たるかを分かっているつもりになれるのか、という話になる。
ここで注意して欲しいのだけれど、わたしはフェミニズムの指導者や研究者の中に男性がいてもいいと思うし、男性と女性がフェミニズムについて意見を戦わせることがあってもいいと思う。男性の指導者や研究者は信用できないけれど「同じ女性」であれば信頼できるとか分かり合えると思っているフェミニストがいるとしたら、今どき随分とお気楽な認識だと思う。「同じ女性」であることは何も保証しやしないし、男性と女性とのあいだに横たわる権力構造が「同じ女性」のあいだに無数に走る分断線より強固であるとも、もはや思えない。
しかし勘違いしてはいけない。フェミニズムの運動や研究において男性が対等なパートナーとして参加を認められるのは、既に男性と女性のあいだの権力構造が解消したからでも、男性を排除するのは男性差別であり男性がかわいそうだからでもない。男性を女性に対する抑圧者と名指しして排除することは、すぐに同性愛者の女性による異性愛者の排除や障害のある女性による健常者の排除などを引き起こし連帯を不可能にするか、もしくは性差別を理由に男性を排除しておきながらその他の差別を理由としたそれらの排除は認めないというダブルスタンダードに陥るからだ(現実には、ほぼ常に後者だが)。フェミニズムが男性を排除すべきではない(戦略的ではなく)倫理的な理由は、男性を排除するための倫理的根拠が女性同士の公正な連帯に不可欠な認識と矛盾するからであり、それ以外の理由ではない。
さらに言うと、「性差別を理由に男性を排除すると、女性同士でも際限ない排除を行わない倫理的根拠がなくなる」から男性を排除できないのだといっても、だからそういった権力構造や抑圧が一切存在しないフリをしましょうという結論を出したわけでもない。まったく逆だ。そういった排除をしないかわりに、それぞれの人が社会の中で自分がどのような権力関係に位置付けられているのかしっかりと認識したうえで、抑圧的な構造を強化しないよう責任ある行動を取るべきだと考えたのだ。
どうしてこんな事を書かなくてはいけないかというと、伊田氏は自分の男性としての社会的位置(ポジショナリティ)を自覚していないのではないか、「スピリチュアル・シングル主義」なるものを唱えていれば自分は個人だから社会的属性とは無関係に生きているとでも思い込んでいるのではないのかと感じるから。もちろん、社会的属性とは無関係に生きられると思い込めるのは、社会的強者の側の特権なんだけどね。とにかく、伊田氏に対してそのように感じたのはわたしだけではなくて、斉藤正美さんをはじめとする人たちに再三批判されている。以下は斉藤さんによる伊田著『続・はじめて学ぶジェンダー論』の感想から引用。

「私のフェミ」と名乗る著者は、下に引用するように「ジェンダーを考えることは自分の生き方を考えること」、「自分の足元からリアルな視点で考える」(いずれも表紙より引用)と述べる。しかし、本書で語られるのは、決して自らの「足元」である「ヘテロ男学者としての生き方」ではなく、女性の生き方に関することが大半である。
(略)
孕ませる男性性に鈍感なまま、避妊や性感染症について具体的に触れることがほとんどなくセックス(性的行為)を「楽しもう」と奨励する一方で、人工妊娠中絶をジェンダー規範の問題として語る。これでは男の権力性にあまりにも無神経ではないか。これを「フェミニズム」を呼ぶのはとうてい受け入れがたい。
(略)
同書を読み進めると、「どっかの高みから正義の顔をして」とか「高みから批判」、「高みから断罪」といった常套句が大変多く使われていることに気づく。しかし、このように男であり学者であることの権力性に鈍感なことからして、「高みから断罪している」という批判は著者ご本人に当てはまってしまう。異性愛男性の著者が自らの権力性に無自覚なまま、女が「ジェンダーに囚われている」と断罪する本に「フェミニズム」を名乗られてはたまらないという思いに駆られた。

また今回伊田氏から直接中傷された(批判された、と書こうと思ったが、あれは批判とは呼べない)山口智美さんもこう書いている。

ジェンダーとメディア・ブログにて、斉藤正美さんが伊田広行氏の新刊、『続・はじめて学ぶジェンダー論』について、鋭い批判を展開している。自らを「ジェンダーから離脱した人」として捉える著者は、その当然の帰結として男性としての権力性に無自覚であること、そして、意識改革を主に女性と想定されている読者に呼びかけていることが指摘されている。
私はこの本は読んでいないが、シリーズの一つ前にあたる『はじめて学ぶジェンダー論』は持っている。そちらを見ても、斉藤さんの指摘には同感だ。
(略)
…上記の質問項目は、多様性について学ぶという目的から出てきているようだが、この本を読む読者が「在日外国人とか、同性愛者だとか、トランスジェンダー」であるという想定は、この質問からは見えて来ない。という事で、斉藤さんの「女性読者相手」という論考にちょっとつけたせば、この本は、「国籍が日本人で、民族的マイノリティや留学生ではない、異性愛者の女性」を読者に想定しているのだろうと思われる。読者を「多様」として捉えているとは思えない。…「多様」な読者の存在が見えなくなっていることこそが、「マジョリティ」の権力の発動であるともいえるのではないか。

伊田氏の本を実際に読んだことがないわたしにも、ブログの記述やその他目にして来た伊田氏の文章からこれらの批判に説得力を感じる。例えば、その伊田氏が幹事として関わる日本女性学会が『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング——バックラッシュへの徹底反論』という本を出すそうなのだけれど、出版社の明石書店サイトを見るとまるで伊田氏の単書であるかのような扱いだ。「『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング』読み方ガイド」というページには伊田氏によるエッセイの横に同氏の写真、所属、経歴やウェブサイトのアドレスなどが載っており、本来の編者である「日本女性学会ジェンダー研究会」は下の方に追いやられている。また書籍紹介のページの方を見ても同様で、日本女性学会へのリンクすらないのに伊田広行ホームページと伊田広行ブログへのリンクが紹介されている。伊田氏以外にどのような人が関わっているのか、まったく分からない。
伊田氏のブログにも、以下のような記述が見られる。

私は『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング』にも書いたように、ジェンダーフリー概念を擁護するスタンスで書いている。ジェンダーフリー概念を擁護しないのは、まったく政治的感覚として信じられない、と思っている。
(略)
また私の「ジェンダーフリー」概念へのスタンスは、『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング』に簡単に書いたが、双風舎の本では「ジェンダーフリーに対して批判的かつ傍観してきた論者」を集めたと前書きにあるように、何人かの人は、私とは意見が異なるだろう。

日本女性学会が出す本なのに、どうして伊田氏個人のスタンスが書かれているのだろうか。ジェンダーフリーという概念をどう捉えるかについては、フェミニズムや女性学に関わる人のあいだでもーーおそらく日本女性学会の会員の中にもーーさまざまな意見の相違がある。それをたった一人の、しかも男性の視点で代弁させて良いわけがない。
これでは、はっきり言って伊田氏による日本女性学会の私物化ではないか。もし他にもさまざまな人が協力して作った本なのに伊田氏だけの手柄であるかのように露出しているのであればそれはおかしいし、逆にほぼ伊田氏だけで作った本であるならば日本女性学会の名前で出版する必要はない。おそらく事実は後者に近いのではないかとわたしは想像しているけれど、いずれにせよ一人の男性が日本女性学会を私物化しているとしか思えない。よく学会内で反乱が起こらないものだ。日本イダ学会とでも改名してしまえと思う。
どうでもいいけど、「バックラッシュ批判本が出揃う!」と言って双風舎『バックラッシュ!』を含んださまざまな関連本に言及しておきながら『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング』とコンセプトがかぶる浅井春夫ほか著『ジェンダーフリー・性教育バッシング ここが知りたい50のQ&A』(大月書店)だけ紹介しないのはセコい。明石書店サイトのエッセイで「すでに木村涼子編『ジェンダーフリー・トラブル』(現代書館、2005年)、浅井春夫・他『ジェンダー/セクシュアリティの教育を創る』(明石書店、2006年)といった類書もあるが、まだまだフェミニズム側の主張は知られていないので、Q&Aを中心にわかりやすく簡潔にまとめた本書は、全国のジェンダー平等教育、性教育、男女共同参画関係者にとって、自分たちの主張の整理に役立つものであると自負している」と書いたから、Q&Aの本が既に存在していちゃ都合が悪いんだろうか。
それは本当にどうでもいいとして、困るのはこれまでジェンダーフリーをめぐる議論において日本イダ学会がただただお荷物になるような言動しかしてこなかったことだ。そのことについては以前書いたのでここでは繰り返さないが、もしQ&A本の内容がそれに類したものであったらいい迷惑。せめてもの救いは、『バックラッシュ!』がその直後に発売されるおかげで、フェミニズム全体が日本イダ学会と同じだと思われなくて済むことだ。
ところがそれだけ自らの言動の政治的な帰結に無頓着な伊田氏が、ジェンダーフリーの話になると「ジェンダーフリー概念を擁護しないのは、まったく政治的感覚として信じられない」と他人の政治的感覚に口を出す。そんな言葉が政治的感覚ゼロの伊田氏から出て来ること自体、それこそ信じられないのだけれど、日本女性学会ニューズレター101号に掲載された論文「ジェンダーフリー概念を捨て去るという退却戦略は有効か?」を読むと伊田氏が訴える政治的感覚とは次のようなことらしい。

… ジェンダーフリーについても、一部では、女性センターなどに「ジェンダーフリー」という用語が入っている文献をすべて撤去するような動きがあります。講演者の人選にもジェンダーフリーを主張している者を選ぶなという圧力があります。講演者に「ジェンダーフリー」という言い方は自粛していただけますかという要請もあります。そういうときに、上記の「ジェンダーフリー概念を使うのをやめよう」という意見は、どのような作用をもたらすのかという視点が大事です。
私個人はこれまでジェンダーフリーという用語は積極的には使ってきませんでした。しかし自分が使ってこなかったから安心ということで、ジェンダーフリーを使ってきた人たちが排除されていくのを横目で見ているだけでいいのかという思いがあります。歴史教科書にも出てきた、「最初は共産主義者、次に自由主義者が排除されていった」という事実をもう忘れたのでしょうか。
つまり、今、「・・・をしろ」「・・と考えろ」「・・に賛成しろ」という圧力があり、それとの関係で、「逆に・・・を言うな」、「・・・をするな」という圧力もあるのです。何がしかの「正しさ」の押し付けが現にあるのです。その「正しさ」を基準にした言葉狩りや行動狩り、言動チェック、監視体制が始まっているのです。それに従う人が増えているときに、それに反抗する人がそのスタイルを表明すること、自由な意見表明の大切さを訴えることはとても大切と思います。 … 

「ジェンダーフリー」が叩かれているから、叩かれないようにその言葉をやめようと主張したフェミニストがいるとすれば、それはたしかに無意味な「退却戦略」だろう。しかし、そんなフェミニストが実際どこにいるというのか。「ジェンダーフリー」という概念に批判的なフェミニストは、それぞれ理由があって批判しているのであって、保守派に迎合してやっているわけではない。
それより問題は、ここで伊田氏が「そのような意見はどのような作用をもたらすのか」という論法でフェミニストによるジェンダーフリー概念批判を黙らせようとしていることだ。保守派に批判されている概念は何であれ全面的に擁護しなければならないのであれば、保守派から批判されないようなフェミニズムの主張はないのだから(というか、フェミニズムと保守派が共有するような理念はあるだろうが、それは特にフェミニズムの主張とは呼べない)、フェミニストは他のフェミニストの主張に何ら異論を唱えてはいけないということになる。ところがそう言う伊田氏自身はこうして「ジェンダーフリーを批判するフェミニスト」を「信じられない」と批判しているわけだから、自分だけは例外だということなのだろう。それはかれが男性だからか、研究者だからか、それとも日本イダ学会の幹事だからか?
わたしは本心からフェミニストを自称する人に向かって「あなたはフェミニストではない」と言うつもりはないし、それは相手が男性であっても同じだが、山口さんの文章ーー『バックラッシュ!』発売キャンペーンブログに彼女の寄稿論文の一部が載っていますーーと伊田氏のさまざまな文章を読み比べてどちらにフェミニズムに対する深い知識と理解を感じるかと問われれば、迷いなく山口さんの方だと答える。もし伊田氏が人を「かなりフェミニズムを誤解している」と評することができるほどフェミニズムをよく理解しているのだとしたら、これほど頭の中における理解と行動のあいだに落差がある人物をわたしは見た事がないと言っておこう。
今回伊田氏が山口氏を名指しで中傷したのは、2年ほど前から続く「ジェンダーフリー」是非論争において山口・斉藤コンビがかれとは違った主張をしてきただけではなく、ブログ上でかれらが伊田批判を行ったことに対する感情的な反発があったのだろうと思う。けれど、山口・斉藤両氏の批判は、伊田氏に自らの権力性を自覚せよと迫るものであったり、フェミニズムの歴史への無知と無関心を指摘するものだったりで、どれも有効な批判であるように思える。反論があるなら聞いてみたいと思うが、どこをどう読めば「山口はかなりフェミニズムを誤解している」と決めつけられるのかまったく不可解だ。いずれにせよ、伊田氏がまともな批判に耳を傾けることも反論することもできないということは、かれのブログにコメント欄どころかトラックバック欄すら置かれていない理由を理解する鍵にはなるかな。
ここまで書いても、おそらく伊田氏には何も伝わらず、ただ単にわたしも山口氏と同じく「かなりフェミニズムを誤解した」論者だと片付けるだけかもしれない。それならそれで仕方がないけれど、一人の実績あるフェミニストについて「かなりフェミニズムを誤解している」などと言いふらせば、その一人だけでなく彼女を評価する全てのフェミニストによってあなた自身のフェミニズム理解を問われることになるということを覚えておいて欲しい。

18 Responses - “フェミニズムを私物化する男性ジェンダー研究者”

  1. ジェンダーとメディア・ブログ Says:

    あら〜、アクセス沸騰だ。
    成城さんhttp://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20060529/p1とmacskaさんのブログでhttp://macska.org/article/136当ブログのいくつかのエントリーがリンク&紹介された。その後、アクセスうなぎ登りだ。人気ブログの威力を見せつけられたようだ。びっくり。 macskaさんの伊田批判

  2. makiko Says:

    いや、私は山口さんや斉藤さんの批判も無条件で受け入れるわけにはいかないと思っていて、結局彼女らの批判も、フェミニズムは「女」しか語れない、ということを前提に、「ジェンダーフリー」概念は不要であって性別二元制を前提にした「男女平等」さえ達成できれば、というようなものに見えてならないわけで、じゃあLGBTIや、性別二元制におさまらないクィアの立場はどうなるんだ、という疑問は常々あるわけです。
     ただ、大峰山の件もそうですし、表面的には性的マイノリティの立場を擁護しているイダさんのやり方に賛同できるかと言えば全くそうではなくて、むしろ彼のあまりに拙劣な戦術の前に、「ジェンダーフリー」なり反ホモフォビアなりという言説が、主流のフェミニストの前で言いづらくなっていくなら、非常に危険なことではないかと思います。
     とりあえず、ここでのコメントはこれくらいにしておきます。

  3. ともみ Says:

    macskaさん、さすが、がっちり論理的に批判を展開してくださって、すごい! イダ氏には、せめて私が何をどう誤解しているのかと、具体的に語ってほしかったですね。女性学会の今の方向性については、私もおかしいと思っています。
    makikoさん、私は「フェミニズムは『女』しか語れない」というふうに思っていないし、「男女平等」さえ達成できれば、といった主張はしてません。LGBTやクイア、多様なジェンダーやセクシュアリティのあり方は重要だし、それによって差別されるようなことはあってはならないと思ってます。でも、同時に、「女」カテゴリーを無視してしまっては、現実に存在する性差別は何も解決しないだろう、とも考えています。
    なぜ、「ジェンダーフリー」を批判すると、それすなわち「男女平等」派であり、セクシュアルマイノリティ軽視みたいにに見なされるんでしょう?ジェンダーに基づく差別(女性、トランスジェンダーや、ほかの様々ジェンダーをもつ人たち)や、性的指向に基づく差別をなくすことが重要だと考える立場は同じです。でも、「ジェンダーフリー」概念が、果たして本当にLGBTやQueerを射程にいれたものだったのか?という点についてあの概念の歴史を見れば見るほど、私にはそうではなかったのではないか、と思えてしまうのです。

  4. xanthippe Says:

    こんばんは アマゾンでさっそく本の予約しましたよん。バックラッシュに対抗してジェンダーフリーを正面から取り上げた本がたくさん出るのはうれしい限りです。
    私は素人ですが、ジェンダーフリーは「男らしさ」「女らしさ」を否定するものではないと最初から理解してきました。ジェンダーフリー概念は社会や人間の多様性と柔軟性を尊重し、維持するための視座というか。だからLGBTやQueerなどいわゆるマイノリティー問題も当然射程に入っているものだと思っていました。でなきゃ自家撞着になっちゃうんじゃないですかね?
    それと、誰だったか離婚相談をなさっている方で、「私たち女は」という言葉は大嫌いだという女性がおられました。彼女は多分「ジェンダーフリー」や「フェミニズム」にも批判的な人だと思いますが、「私たち女は」については理解できなくもないのです。そのわりにその人は「団塊の世代は」と一定の年代を一くくりにされてましたけどね。(~~;
    女性をカテゴライズすることと、「女というものは○○」と一般化すること、そしてそれが基準化すること。それに「私たち」がくっつくことの間にはそれぞれ大きな危険な落とし穴があるんじゃないかと思うんですが、どうなんでしょうね?
    おっちょこで、落とし穴どころか溝にでもおちかねない人間が言うのもなんですが。(~~;

  5. macska Says:

    コメントありがとうございます。論理的な批判ということでしたら斉藤さんの方がはるかに伊田さんのスピ・シン主義とかいうモノの中まで入り込んで問題点を明らかにしていてすごいと思います。
    makiko さんに応えて言おうと思ったことの多くを山口さんに先に言われてしまいました。ただ、「ジェンダーフリー」がもともとセクシュアルマイノリティの権利を射程に入れたものでなかったとはいえ、末端の部分では「男女平等」ではなく「ジェンダーフリー」だったからこそかれらが入り込むだけの余地があったというのは確かにあるんじゃないかと思います。となると、単純に「ジェンダーフリー」を引っ込めようというのでは駄目で、それより魅力的な連帯のプロトコルを女性運動の側から提示していくというのは必要じゃないかと思います。

  6. ともみ Says:

    macskaさん、そうですね。魅力的な連帯のプロトコルの提示は重要だと私も思います。そのためにも、「何が何でもジェンフリ擁護」って姿勢じゃなくて、まずは議論をしていくことが必要かと。

  7. tummygirl Says:

    makikoさん、そしてMacskaさんの応答部分に賛成です。
    結果として使えた部分があるよ!という声がある以上、簡単に「ジェンフリダメだから男女平等でいこう」というのは違うなあと思います(山口さんがそう仰ってるというわけではないです、念のため。ただ、そういう発言が折々に目に付くのも事実だし、それはやっぱり気になります)。
    イダさんと女性学会については、学会員から見ていても、何が起きているのか分からない感じです。「??」と思っている若手研究者は多い気がしますけれども、かといって今の日本の就職状況下、思ってることを思っている通りに言える立場にある人がどれだけいるかと言うと、微妙。とりあえず近く大会もある予定なので、様子を見てきます。
    Macskaさん、実験中なのは存じているのですが、コメント欄小さすぎてつらいです(涙。
    もうちょっと大きくなると自分の書いていることが読めて楽なのですが。

  8. macska Says:

    tummygirl さん、コメントありがとうございます。大会の様子、就職状況に影響がない範囲で報告してください。
    コメント欄、あと1行広げてみました。これでどうでしょう。

  9. Josef Says:

    同学年では馬鹿にされて相手にしてもらえなかった上級生が下級生のグループに近づき「上級生たちは横暴だよね(ぼくは違うよ)」とか言いながら取り入って、事実上のリーダーに収まる、っていう図ですね。上級生の高度な遊びにはついていけないけど、下級生の幼稚な「ごっこ」ならちょろいもんだと。要するにナメられてるんですよ。

  10. macska Says:

    なんか問題ありそうなメタファーが登場してますが(笑)

  11. makiko Says:

    >ともみさん
    きっちり引用もせず決め付けで批判した点はお詫びします。
    ただ、私は男性としての生活史をもつジェンダークィアという立場ですが、伊田氏に対する違和感はここで名があがっている方々のそれとそれほど大きな差はないです。
    いや、伊田氏が「男性」であることについて、もはや権力構造の中で権力を有する地位などにない、と思っているのならそれでもいいのですが、私もあまりにこの人の立ち位置がわかりにくい、ゆえに信用できないと感じています。
    >macskaさん
    たとえば公文書の性別欄の削除なんかにしても、私は性同一性障害者であることを知られないためではなく、最初からジェンダーフリー的な立場からアプローチしていましたし、同性婚なんかにしても、同性愛者の婚姻の権利みたいなことを言わなくても、婚姻制度、パートナーシップのジェンダーフリー化というアプローチも取れるわけですね。そういう意味で、いろいろな可能性があったにもかかわらず、いわゆる性的マイノリティ当事者の側すら、ジェンダーフリーという言葉を使うのを自己規制してきた経緯があるわけで、これがともみさんが下3行のような認識をされている一因ではないか、と思いますが。
    私自身は、あまり〇〇は男女平等の問題、〇〇は性同一性障害の問題、〇〇は性的指向の問題、と分けて考えるのが好きではない、というよりジェンダーやセクシュアリティの諸問題はもっと相互に関わり合っていると思っているので、「ジェンダーフリー」を発展的に解消するものとして、gender rightsのような概念が普及していけば良いと思いますが。

  12. o-tsuka Says:

    わたしの政治的感覚からすると退却戦略はしばしば極めて有効なものなんですけどね。まぁ焦土戦略になっちゃうけど。
    ところで連帯の旗印は「ジェンダー解体」ではどうか。当然、旗の色は黒。あっ石投げないでっ

  13. HAKASE Says:

    ともみさんの最初のコメントの後半はdiscourさんのブログでの私とのやりとりが原因のひとつにあるように思うので,エントリから少しずれる話ですが書き込みをさせていただこうと思います.私個人は『「ジェンダーフリーを批判していること」をもって「セクシュアルマイノリティ軽視」とみなした』つもりはないし,この件で『ある個人を○○派だとみなす』つもりもありません.discourさんたちがご自身の活動の中でセクシャルマイノリティを軽視していないのも理解しているつもりです.そうではなく,makikoさんや(部分的ですが)macskaさんがコメントの中で指摘しているような側面に触れることなく(そういう側面を無視して,あるいは切り離して)ジェンダーフリーを批判しているかのように見える点がとても気になっているのです.
    また,この側面などからジェンダーフリーの考え方の一部に賛同している自分としては,『賛同している人が「何が何でもジェンフリ擁護」の姿勢で「ただ単に擁護せねばと言っているだけ」である』かのようにもとられかねない表現が目立つ点も気になっています.後者は女性学の全体の雰囲気や伊田さんの活動などを想定して表現したためという理由があるのかもしれませんけど(私は女性学の現状等はよく知らないのでそうかどうかわかりませんが).例えば「2006/05/29 – 07:04:49」のコメントなどが,せめて『「何が何でもジェンフリ擁護」って姿勢や「何が何でもジェンフリ批判」って姿勢ではなく、まずは議論をしていくことが必要』と書いてあればなぁ・・・などと思ってしまいます(意図としてはきっと私が書いたような趣旨なんでしょうけど).
    ここでのやりとり等で,少しでも上述したような側面を気にとめてもらえると個人的にはありがたいなぁと思います.

  14. ともみ Says:

    いろいろな方々にコメントいただいていたのに、レス遅れてすみませんでした。(なんか上のエントリのコメント欄のすごい勢いに圧倒されておりました。。)HAKASEさんがおっしゃるように見えるとしたら、私の書き方がマズいんだと思います。今後気をつけていこうと思いますが、私は何が何でも批判、ではなく、「議論をしていくことが必要」というスタンスです。「ジェンダーフリー」という概念がセクシュアルマイノリティを含みうるものになっていった、という面は確かにあると思います。その面では、「男女平等」や「性差別撤廃」だと厳しいものはあると思います。(「性差別」という概念で何を含むか、というのは考え直していかれるような気もしますが)そのあたりも含め、いろいろ議論を積み重ねていけたらなあと。
    「男女平等」は、明らかな弱点はもしろんある概念だと思うし、私もアカデミア内だけを見ていたら、あるいはアメリカからの視点でいえば「弱点だらけの概念」と以前思ってました。ただ、日本の女性運動というコンテクストで「男女平等」概念を歴史的に振り返ってみると、案外ラディカルに使われていた面もあったりするので、丁寧に見直して検証してみたいとは思ってます。(やろうとずっとしていて、まだできてない私も悪いのですが)もちろん、だからといって「男女」という二分法のまずさが消えるわけではないとも思いますが。

  15. ともみ Says:

    書き忘れ。ちなみに、5/29のコメントは、具体的にイダさんのブログに記載されたことについての言及です。

  16. kgphrpcvq Says:

    chlrxau qvpiyehny aakatvyboi

  17. ふぇみにすとの論考 Says:

    [フェミニズム][女性学]批判対象をぼやかし続ける伊田広行氏…
     『ふぇみん』2006年10月5日号に、『「ジェンダー」の危機を超える!徹底討論!バックラッシュ』本のレビューが掲載されていた。 そこに、「多様さを認めること、対立を (more…)

  18. イダヒロユキ(伊田広行)氏の『社会運動の戸惑い』批判に関して(2): 「フェミニスト」とは誰なのか? | フェミニズムの歴史と理論 Says:

    […] 2009年6月の女性学会のワークショップの後、イダ氏は、「フェミを誤解している」というご発言は「オレのフェミ」についてのことだったとご発言されたという。だとしたら、ここでも「フェミの立場」は「オレのフェミ」の立場、という意味なのだろうか。そうなのであれば、私はイダ氏の立場とは違うだろうからかまわないが、「オレの」をカットされて「フェミの立場ではない」と、イダ氏に私が「フェミ」の枠外として一方的に認定されるのはおかしい。そして、これも以前から、小山エミ氏やマサキチトセ氏のリンクしているエントリにおいて、イダ氏が指摘されてきた問題でもある。 […]

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