リストカットなどの自傷行為を「防ぐ」ことは望ましいのか

2006年2月4日 - 4:28 午前 | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

会津里花さんのブログ「セクマイ(Sexual Minority)雑感」経由で朝日新聞記事「幼少期の精神的暴力、自傷行為の危険9倍 鹿児島大調査」(2006/01/21) を読む。内容はまさにタイトルの通りだけれど、リストカットなどの自傷行為は境界性人格障害とともに幼少時のトラウマ体験と一般的に関連付けられているわけで、それを確認するデータを出したところで「なんで今さら」と言う会津さんの反応は圧倒的に正しい。記事では専門家とやらが「疫学的調査は少ない」と言っているけど、PubMed で「self-harm」「trauma」をキーワードにして検索したらたくさん出て来る。国内の研究では珍しいという意味なのかな。
ところが、鹿児島大のこの研究の調査方法はちょっといい加減っぽい。

九州の5大学に通う1〜2年生1626人を対象に調査票を配布し、1592人(男性831人、女性761人)から回答を得た。リストカットや壁に頭をぶつけるなど、自傷行為の経験者は120人(7.5%)に上った。
「家族からの放任や罵倒(ばとう)などを経験した」と答えた人が自傷行為するリスクは、そうでない人の8.7倍だった。同様に「第三者からの性的暴力を受けた」が5.8倍、「教師や友人からの無視を経験した」が5.5倍、「両親からかわいがられた経験がない」が4.2倍だった。

ようするにフツーに調査票を配って回答してもらっているわけだけれど、この調査方法では実際よりも幼少時の精神的トラウマと自傷行為の関連が大袈裟に報告される可能性大。なぜなら、仮に親に全く同じように扱われていたとしても、自傷行為をするような人はその体験をトラウマとして報告する可能性が高いと思われるから。
こう言ってしまうとちょっと語弊があるんだけど、自傷行為をやるようないわゆる「メンヘル系」の人たちは、セラピーや内省を通して「自分は過去にこういうトラウマ体験をしており、だからいまこういう状況にある」と気付く機会が多くある。その気付きが事実その通りなのかどうかはケースバイケースだろうけれど、全く同じような経験をしていたとしても、いま現在それといって苦しさを感じていない人は特に自分の過去の経験をトラウマだったと意味付ける必要を感じないはず。わたしだって自傷行為と幼少時のトラウマ体験のあいだに関連があることは疑うわけではないけれど、そういう理由から9倍というのは誇張された数字ではないかと思う。
もちろん、実際にトラウマ体験を観察してその何年もあとまで追跡調査するなんてことはできないから、調査票に頼らざるを得ないというのは分かるよ。でも、そういう調査手法上の限界があるのであれば、研究者本人なりコメントを求められた専門家なり、どちらかがきちんと指摘しておくべき。もっとも、もしかしたらかれらはきちんと説明したけど記者がよく分かっていなかっただけかもしれないわけで、そうだとしたらそれは記者の責任だけど。とゆーか、その辺りにツッコミ入れられる科学記者っていないんですか?
それはともかく、わたしはそもそもこの記事(及び一般社会)における自傷行為という問題の取り上げられ方にも納得がいかない。調査を担当した人は「リスクが分かっても自傷行為を防ぐことは難しい」と言っているけれど、どうして自傷行為を「防ぐべきもの」だと決めつけるのか。防ぐべきことは、子どもの性的搾取やその他の虐待でしょ? リストカットやたばこの火を押し付けるくらい、死ぬわけじゃないし好きにさせておけばいいじゃん。もちろん、当人が「自傷行為をやめたい、助けて欲しい」と思っているなら、それを支援するべきだけどね。
自傷行為というのにもいろいろあるだろうけれど、特にリストカットのように他人から隠れて行うものについては、ほかにコントロールできるモノを多く持たず自分自身の生を濃密に感じることができない人たちが、自分自身の身体をコントロールすることで濃密さを得るためのスキルだとわたしは思う。性的虐待やその他の厳しい状態を体験してきた人が、そうしたスキルを動員することによってようやく生きているというのに、それを頭から否定し防止の対象とするような医療は前提からして間違っている。
医療モデルやそれに基づいた「被害者支援運動」は、虐待や暴力の被害を受けた人たちが生きていくために用いる様々なスキルの中に「望ましいもの」と「望ましくないもの」があると決めつける。気分を紛らわすために外でジョギングするのは望ましく、リストカットで気分を紛らわせるのは望ましくない。その時感じた感情をノートに書いてやり過ごすのは望ましく、お酒を飲んでやり過ごすのは望ましくない。悩みごとをホットラインに電話して相談するのは望ましく、援助交際して性的なコミュニケーションによって満たされることで解消するのは望ましくない。趣味や得意なことに集中することで自己肯定感を得るのは望ましく、食事を極端に減らすなどして自己コントロール感を得るのは望ましくない。余計なお世話だ。
もちろん、自分の「癒し」のために他人を傷つけるような行為、例えばパートナーに暴力をふるわれた人が、その代償を得るために自分より弱い子どもを虐待するなんてことは認められない。でもそういった例外を除けば、どんなスキルが望ましくどんなスキルが望ましくないのか決めるのは、本人以外の誰でもあろうはずがない。しかし医療関係者を含めた「支援者」たちは、被害者はこうあるべきという考えに現実の被害者を押し込み、被害者たちがそれに従わないと「あなたは支援を拒絶している、自助努力が足りない」と言う。自身の生を取り戻すことに必死になっている被害者たちに向かって、自分たち支援者が期待する「被害者像」を演じろと強要するのだ。
繰り返すが、自傷行為はそれ自体「防ぐべき」ものではない。もちろん、自傷行為にもさまざまなやり方があり、同じ効果が得られるのであればできるだけ本人にとって弊害の少ないものが望まれるであろうし、場合によっては自傷以外のスキルを身に付けてそちらに移行するということがあるかもしれない。そういった試行錯誤を可能にするためにも、自傷やその他のサバイバル・スキルについての開かれた、ノン・ジャッジメンタルなコミュニケーション空間ーーそれは自助グループでもメーリングリストでもカウンセリングでもいいのだけれどーーが必要だ。自傷行為を「あってはならないもの」と決めつけるような対応では、そうした試行錯誤を通したセルフ・エンパワーメントを阻害することにしかならない。
ちなみに一番上のところで境界性人格障害という言葉を使ったけれど、自傷行為やそれに類した逸脱行動をする人たちのことを精神医学の立場から「境界性人格障害」と呼ぶのであって,「境界性人格障害」が原因で自傷行為をするわけではない。また、文中リストカットで死なないと書いたのは、自殺目的ではない習慣的なリストカットをしていて偶然意図せずに死んでしまうほど深くカットしてしまう可能性がほとんど考えられないという意味だけれど、もちろんどんなにカットしても絶対死なないという意味ではない。極端な話、リストカットをしている最中に刃物を持ったまま立ち上がろうとして転んで下手なところを刺せば死ぬかもしれないけれど、それはリストカットの被害というよりは単なる事故でしょ。以上2点、ご注意を。
(私信:Yさん、これは予告していた「もう一本のエントリ」ではありません。次です。)


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