思いつきでしかない「ジェンフリ教育の弊害」/林道義氏への返答
2006年1月15日 - 1:33 AM | |ずいぶん前に書いた「生物学基盤論を唱えながらジェンダーフリー教育の弊害を叫ぶ矛盾」というエントリに対して、林道義氏から無謀にも反論があった。さっそく読んでみたところ、あまりにバカらしくて再反論する価値も無さそうだと思ったけれど、一応礼儀としてお答えしておこうと思う。大した内容はないので、論壇プロレス的なバトルを楽しみたい人以外はこの項目飛ばし読みしていいです。
まず本題に入るまえに、林氏による批判の対象となった元の記事を要約してみる。林氏は、産経新聞に載せた論説において、男女混合名簿の広がりを含め「男女で区別することを、なんでも槍玉に挙げる」ような運動を批判しているのだけれど、わたしが注目したのは批判そのものではなくて、林氏が強迫的に列記するその「害毒」のバラエティの豊富さだ。かれに言わせると、こうした「混合名簿などのまぜこぜ教育」をほどこすと子どもたちの「自我が正常に発達しない」だけでなく「性同一性障害に陥る」、「価値観や考え方の面で自分に自信」が持てない、「無気力や閉じこもり」になる、「異性との関係がうまく作れない」、「セックスがうまくできない」、「同性愛に傾く」、「心の病」になる、などの弊害があるという。また、男子の場合は「積極性を失って」しまい「自信喪失、無気力、現実逃避」になる一方、女子は「言動が男性化し、下品になり、たしなみに欠け、優雅さを失う」ために、お互いに相手を尊重する気持ちがなくなり、男性も女性もお互いをセックスや金銭のために利用する対象としか見なさなくなるという。学者としてあるまじきことだと思うのだけれど、これだけのことが全く何の具体的根拠も挙げずにただ延々と主張されている。
このうち、わたしが特に面白いと思ったのは、林氏が「混合名簿などのまぜこぜ教育」は「性同一性障害」を発生させると書いていることだ。ジョン・マネーによる「双子の症例」では、正常な男児として生まれた子どもを手術で無理矢理女性に性転換し一貫して女の子として育てたにも関わらず当人が「男性」を自認していたことが知られているけれど、一般にジェンダーフリー批判論者が「双子の症例」を根拠に「性自認は生まれつきのものである」と主張しているのに対し、林氏は「教育によっては性自認に問題が起きる」と主張している点が珍しい。
ところが同時にかれは、別のところでは「男らしさと女らしさは社会的・文化的にのみ作られたものではなく、生まれつきの遺伝を基礎にしていることは、いまや脳科学によって充分に証明されている」と書いている。また、最近の著書ではマネーの「双子の症例」の失敗を根拠に挙げて、(生後16〜24ヶ月までの子どもの性自認は確定しておらず、任意に変更可能である)という「マネー理論は完全に破綻した」と書いている。すなわち変更不可能なのだから、性自認は生まれつきだと林氏は言っていることになる。
前置きが長くなったけれども、性自認が生まれつきのものであるならば、よほど激しい洗脳教育をやったならともかく、男女の区別を特に付けないくらいのことで性自認に問題が発生するわけがないではないかというのがわたしの指摘。これは単純な論理の問題なので、フェミニストの視点からはこう見えるけれどもアンチ・フェミの立場からはこう見えるといった問題ではない。どこの誰が見ても明らかに矛盾した論理なのね。それだけのことなので、少しまえに林氏がわたしへの反論を予告したときには「一体どうやって反論するのだろう」と不思議に思っていたのだけれど、発表された反論を実際に読んでみたところ林氏はこの中心的課題になんら反論できていない。林氏の主張を要約した部分がかれの意図を正確に反映していないとかそういう細かい指摘をダラダラと書き連ねただけであり、論旨にまったく関係のないものだ。
ほとんどの読者は以上でもう納得してもらえたと思うのだけれど、それだけじゃせっかくあんなに長々と反論を書いた林氏がかわいそうなので細かい点にも付き合うことにする。老人はいたわらなくちゃね。まず、林氏が力説している、わたしが「性同一性障害を間違って理解している」という点について。(とゆーか、この問題でわたしに絡むなんて、ホントにいい度胸してるよねー。)
この者はどうやら「先天的性同一性障害」と「心理的(後天的)性同一性障害」の区別もできていないらしい。というより「心理的(後天的)性同一性障害」について知らないのではないか。両者の区別を簡単に説明しておこう。
(略、後述)
(もちろん先天的と後天的の違いは概念的・理念型的なものであり、実際にはこのように截然と区別できない場合が多い。)
あのー、ちょっといいですか? 「この者は〜区別もできていないらしい」と言っておきながら、最後には「実際にはこのように截然と区別できない場合が多い」だなんて、じゃあ一体何が言いたいわけですか? 一人でやっててくださいって。
それはともかく、林氏が力説している「先天的性同一性障害」「心理的(後天的)性同一性障害」という区別は、決して一般的なものではない。というか、はっきり言うとそんな区別をしているのは林氏だけだ。性同一性障害の分類と言えば、昔から「中核群/周辺群」だとか「同性愛的/自己女性化愛的」といった区別が提案されてきたことが知られているけれど、「先天的/心理的(後天的)」という区別は少なくとも性同一性障害の医療やサポートに関わる人たちが言っていることではない。先に引用した「混合名簿などのまぜこぜ教育の弊害」と同じく、林氏がテキトーに思いつきを述べているだけにすぎない。
もちろん、林氏が「混合名簿などのまぜこぜ教育によって性同一性障害になる危険がある」と言うとき、それが先天的な性同一性障害のことでないことくらい、誰でも分かる。当たり前じゃん。でもここで問題になっているのは、「混合名簿などのまぜこぜ教育によって引き起こされるような『後天的』性同一性障害なんてあるのかどうか」というコト。もちろん、性同一性障害の原因なんて完全に解明されているわけではないから「ありえない」と言うつもりはないけれど、少なくとも「性自認は生まれつき」「性自認についてのマネー説は完全に破綻した」と主張している人が同時に「教育によっては『後天的』に性同一性障害になる」というのは論理的におかしい。
その矛盾を説明するために、林氏は「先天的性同一性障害」と「心理的(後天的)性同一性障害」とは違った症状であるという論理を導入している。上記の引用で省略した部分だ。以下に引用し直そう。
「先天的性同一性障害」とは、生まれながらにして身体的な性別と脳による性自認が一致していないケースである。身体的特徴と逆の性自認になっている場合が多い。 (略) しかし、先天的な場合がすべて逆になるわけではなく、どっちつかずの中間的な性自認もある。この場合、先天的なものか、後天的・心理的なものかの判定は容易ではない。このように、性同一性障害が「性自認が反対になっている」ものだと決めつけることは間違いである。
「心理的(後天的)性同一性障害」とは、生得的な性差を否定されたり、あるいはそれと反対の性の特徴を持つように圧力がかけられて育つと、性自認に混乱が生ずるものであり、必ずしも反対の性自認が生ずるわけではない。むしろ、自分は男か女か分からなくなって悩んでいるケースが多い。
一般的に「性同一性障害」というのは生殖学的な男性が女性を自認したりその逆だったりのことを言うけれども、林氏はここでそれは「先天的性同一性障害」に当てはまることであって、「後天的」の方は違うと言いたいらしい。すなわち、「後天的性同一性障害」においては、「性自認に混乱が生」じ、「自分は男か女か分からなくなって悩むケースが多い」のだそうだ。林氏の珍説はさておき、一般的に良く使われる DSM-IV(アメリカ精神医学会による診断基準)における「性同一性障害」の定義を見てみよう。
A. 強く継続的な自己の性以外のアイデンティティーの保持。(異性として認知されることによって、何らかの社会的利益を期待する場合を除く)
小児の場合、以下の項目のうち4つ以上の障害があること
(1)異性化願望、または自己が異性であるという主張を繰り返す場合。
(2)男性の場合は、異性の服装を好み、または女性的態度をとる場合。女性の場合は、典型的な男性の服装を極度に好む場合。
(3)強く継続的な、異性の性的役割を満たす願望。または、継続的な異性としての自己の想像。
(4)非常に強い、典型的な異性の遊戯に加わろうとする願望。
(5)友人の選択における、異性側への非常に強い偏り。
青年及び成人については、以下のいずれかの項目を満たすこと。
(1)異性化の願望の表明。
(2)頻繁な異性としての振る舞い。(パッシング)
(3)異性として生活しまた異性として扱われることに対する願望。
(4)自己が異性に特徴的な行為や感情を持っているという確信。
B. 継続的な自己の性に対する嫌悪感。または、社会的に規定された性的役割に対する不適正感。
小児の場合、以下のいずれかの症状を満たすこと。
(1)男性の場合、性器に対する嫌悪感の表明。性器が消失するなどの表現。あるいは男性器を持たないことを好むなどの表現。
(2)男性の場合、攻撃的な遊戯や典型的な男児向けの玩具の排除。
(3)女性の場合、座位での排尿の拒否。
(4)女性の場合、男性器を持つ、あるいは男性器が成長してくる等の表現。
(5) 乳房の発達や生理に対する嫌悪感。
(6)典型的な女性の衣服に対する強い拒否感。
少年期以降については、以下のいずれかの症状を満たすこと。
(1)自己の第1次および第2次性徴を排除しようとする願望。
(性ホルモン、手術、あるいはその他の手段により、肉体に変更を加え、異性の身体的特徴を備えようとする行為)
(2) 間違った性に生まれたという確信。
C. その症状には身体的に半陰陽を伴っていないこと。
D. その症状には、臨床的に重要な苦痛、社会的または職業的に重大な障害、
あるいはその他の分野において重大な機能的障害を引き起こしていること。
(以下略)
これを見ると分かる通り、「性同一性障害」と診断されるには重大な2つの基準を満たす必要がある。1つは生殖学的な性(セックス)とは違った性別としての継続的な自己認識であり、もう1つは自分の生殖学的な性に対する嫌悪感や不適正感(「不適性 = inadequacy」ではなく「不適正 = inappropriateness」である点に注意)だ。先天的か後天的かといった区別は一切取り上げられていない。林氏による「後天的性同一性障害」とは、この2つの基準のうち第一の要件を欠いた状態であり、そもそも一般的に「性同一性障害」と呼べるものではない。独自に一般とは違った定義で言葉を使って誤解による危機感を煽るのはデマゴギーであり、責任ある言論とは言えない。
林氏は、「ジェンダーフリー教育の危険との関係で私が『性同一性障害』と言う場合には、心理的な『性同一性障害』の方だということは(略)明確にしている」と言う。しかし、わざわざそう書くまでもなく、もし仮に教育によって性同一性障害が引き起こされるとしたらそれが先天的なものではないというのは先にも述べた通り当たり前であり、そんな分かりきったことを「明確にしている」と威張ってどうするというのか。しかも、この「明確にしている」内容は以下の通り。
しかしここで問題にしているのは、後者の心理的な原因から生じる性同一性障害である。これはたとえば女児がマイナスのマザーコンプレックスを持っているなどのために、女性に同一化できないで男性に同一化したいと思ってしまう場合である。
もちろんコンプレックスのためばかりでなく、無理な教育によって自分の性に同一化できなくなった場合にも、同じ障害が現われる危険がある。
女性に同一化できないで男性に同一化したいと思ってしまうということは、すなわち性自認が女性ではなく男性になる(男性になりたいと思う)ことではないのか。少なくとも、林氏は「自分が男性か女性か分からずに悩んでしまう」例を挙げてはいない。こうした例だけ挙げておいて、(名簿などにおいて男女の区別をしないという)「無理な教育によって自分の性に同一化できなくなった場合」にも性同一性障害が起こりうると言うのであれば、上に挙げた通りに定義される「性同一性障害」が「無理な教育」(「混合名簿などのまぜこぜ教育」)によって引き起こされると解釈するのが当然だ。ちっとも誤読していない。もしそれが自分の真意と違うというのであれば、あの註では全く不十分。要するに林氏は、自分で勝手に決めつけた定義をきちんと説明すらしないまま他人に理解しろと迫る恥知らずだということだ。
一応林氏の主張のフォローを少しだけしておくと、DSM-IV には「特定不能の性同一性障害 (gender identity disorder not otherwise specified)」という項目があり、上に挙げた性同一性障害の定義を満たさないけれども類似の症状に悩んでいる人たちをこのカテゴリに分類することができる。この中に、例えば性再判定手術を希望するけれども半陰陽の診断を受けているために要件Cから外れる人や、性器や胸の除去は希望するけれども別の性を自認しているわけではない人などが含まれる。どうしてそういうカテゴリがあるかというと、カウンセリングや手術などのサービスを希望する以上、何らかの診断名が必要となるから。林氏の言うような「自分自身の性別が分からず悩んでいる人」も、もしカウンセリングを希望するならこのカテゴリが適用される可能性があるので、「性同一性障害」というのは正確でないけれどもそれに類似した症状という意味なら文章の意味が通じる。全く無説明でそうだと理解しろと言うのはおかしいけどね。
ついでに、DSM-IV と並んでよく使われる ICD-10(世界保健機構による診断基準)では、実際に林氏が指摘しているような症状が定義されている。
F66.0 性成熟障害 Sexual maturation disorder
性同一性あるいは性的指向が曖昧なことに悩むものであり、それが不安や抑うつを引き起こしている。
はい、分かった? つまり、林氏が「性同一性障害」と書いたのは間違いで、「性成熟障害」と書いておけば論旨はともかく言葉の用法としてはOKだったわけ。
もちろん、100歩譲って仮に林氏の「性同一性障害」理解が正しかったとしても、それだけではかれの主張が正しかったことにはならない。だって、もし彼の言うように「性自認の混乱」「自分が男性なのか女性なのか分からなくなる」状態が「性同一性障害」に含まれるとした場合でも、わたしの書いた「性自認が(生殖上の性別とは)逆になるというのはおかしい」という部分が間違っていたことになるだけで、「性自認がそんなに生物学的に頑強なものなら、学校で男女の区別をしなかったくらいで性自認が揺らいだり混乱するのは矛盾ではないか」というわたしの指摘の肝心の部分に反論したことにはならないもの。現に「混合名簿などのまぜこぜ教育」への支持を表明しているミルトン・ダイアモンド教授も、そのような無用の心配はしていないしね。つまり、100歩譲ったとしても林氏の「反論」は語彙の間違いを指摘しただけで、論理的な反駁にはなっていない。もちろん、現実にはその語彙についても林氏の方が自分勝手な定義を押し付けているだけなので、全く無意味な記事としか言いようがない。
議論のポイントはこれだけなんで、あとは無視しようかと思ったのだけれど、ちょっとだけ。
この場合ユングは関係ない
ついでに述べておくが、この者は私を「亜流ユング主義者」と呼んでいる。ユング心理学の世界、そして私のユング研究をどれだけ知った上で言っているのか。私は誰の亜流でもない。根拠も示さず人の研究を亜流呼ばわりするとは無礼極まりない。
この者は、私のジェンダーに関する理論がユング心理学を前提にしているはずと思い込み、私の説を勝手に捏造した上で、「林氏が「男らしさ」「女らしさ」を守るべきだとする理由が彼なりのユング解釈に基づくものであるのであれば、それを明らかに」せよと言っている。だが、これまで私はジェンダーの問題をユングと関係づけたことは一度もない。ユングと関係あるだろうという想像や当て推量で物を言うべきではない。このことは、この者がいかに杜撰な議論をする者であるかを示している。
ユング心理学はこの問題とは直接関係ないので、ここで私のユング解釈については説明しない。(以下略)
もちろんわたしも、林氏のジェンダー関係の主張がユング心理学から必然的に導き出されるものだとは思っていない。しかし、かれのジェンダー関係の主張がかれのユング解釈と無関係であると考えられる人なんていないだろう。というか、それじゃ林氏にとってのユングってなんなのよという事になってしまう。現に、新刊「家族を蔑む人々─フェミニズムへの理論的批判」を含め、林氏の著作をいくつも出版している PHP 研究所の人名事典でも林氏について以下のように記してある。
一九三七年長野県生まれ。東京大学法学部を卒業。マックス・ウェーバーの研究からしだいに分析心理学のカール・ユングの研究に向かう。
すでに、ユング心理学の研究家としては知られていたが、九六年の『父性の復権』(中公新書)において日本の家族が「父性」を失うことで、子供たちから秩序観や構成力が欠落し始めていると論じて、広範な「父性の復権」論争を巻き起こした。
林氏が強調したのは「父性の復権」であって、「父権の復権」ではないことである。ユング派の理論では人間の心理には「父性」と「母性」があり、この二つがバランスよく発達することが人格形成にとって必要だとされる。しかし、戦後の日本においては「父性」が軽視されることで、社会的にもアンバランスになっていると指摘した。
(以下略)
「父性」と「母性」のバランスが必要であるという議論は明らかにユング主義を基本にしている。そして、林氏はフェミニズムやジェンダーフリーがそうしたバランスを危うくすると考えたからこそ、それらを批判してきたのではなかったか。いや、仮にそう意識していたわけではなかったとしても、林氏の思想の中で両者が繋がっていないと信じられる人がどこにいるだろうか。また、ジェンダーフリーの弊害として「男女の区別をしないと、子供たちのアイデンティティーが健全に作られない、つまり自我が正常に発達しない」というのは、ユングに限らないかもしれないけれどもどう見ても精神分析を前提に言っているとしか思えない。さらに言うと、これといった根拠もなく弊害をあれもこれもと挙げていく論法は、三流精神分析家のやり方とよく似ている。(三流なんかじゃないって? じゃあどうして名誉教授にしてもらえないの?)
そもそも、わたしが要求しているのは、「ユング解釈に基づく主張をするなら、それを明らかにせよ」なんてことじゃないのよ。わたしが実際になにを言っているかというと、
林氏が「男らしさ」「女らしさ」を守るべきだとする理由が彼なりのユング解釈に基づくものであるのであれば、それを明らかにした上で、それらがどうして「正しい」のか彼の解釈を共有しない人にも通じるようにきちんと主張するべきだと思う。そうすれば、彼の主張も多少は説得力を増すかもしれない。
ということ。つまり、ここでわたしが要求しているのは、主張の内容がどうして「正しい」と言えるのか、自分と同じユング解釈を共有しない人にも通じるような論拠を挙げろと言っているの。もし絶対にユングと無関係だと言い張るならそれでもいいけど、論拠がないという点は全然改善されてないままだよ。というより、わたしは林氏の主張はそれなりに彼独自のユング理解を論拠としていると好意的に解釈していたのだけれど、それが違うというならなおさら論拠が何もないということになってしまう。どうして「混合名簿などのまぜこぜ教育」をした程度でそんなに恐ろしい被害が起きると言えるのか、きちんと釈明してみたらどう?
あと、最後におまけ。
この者のように単線的な思考しかできない人間にとっては、「生得説」か「社会構築説」のどちらかに立ってもらわないと、混乱して「目眩」を起こしたり、支離滅裂に思えてしまうのであろう。
ここは、わたしが「どうせなら、『ジェンダーは社会的に構築される』という立場に完全に立った上で、伝統文化としてのジェンダー保存を唱えた方がマシだったかも知れない」と書いた部分に対する反論だけれど、まさに林氏に読解力のない証拠。わたしが林氏に「『生得説』か『社会構築説』のどちらか立ってもらわないと混乱する」わけじゃなくて、林氏のレベルに合わせて「こうすれば少なくとも矛盾は解消されますよ」と教えてあげているだけ。「マシだったかも知れない」と言っているように、あくまでそれは現状の林氏の主張よりは「マシ」というだけであって、それがマトモな主張だと認めているわけじゃない。
要するに、そこは林氏の学問的なレベルの低さを揶揄しているわけよ。それに怒って「馬鹿にするな」と言うなら分からないでもないけど、逆にわたしのレベルが低いことにされてしまっている。まるで乳幼児に向かって「赤ちゃん言葉」で話しかけたら、「なに赤ちゃん言葉でしゃべってんの、気持ち悪い」と言い返されたみたいな気分だ。
林氏は、自分が言いたかったことは「生まれつきの性向に反する育て方をすれば問題が生じる」というだけの「ごく当たり前の主張」だったと言っているけれども、わたしが批判していた元の文章の内容と全然違う。かれが問題としていたのは「生まれつきの性向に反する育て方」ではなく「混合名簿などのまぜこぜ教育」だったし、その弊害として漠然と「問題が生じる」と言ったのではなく「性同一性障害に陥る」と言っていた。
前者について言えば、「混合名簿などのまぜこぜ教育」とはただ単に学校において男女の区別を制度上ことさらつけないというだけで、「生まれつきの性向」を何ら否定するものではないし、家庭や地域社会における男女の区別を撤廃するものでもない。ただ単に、学校において名簿を混合にするなどことさらに男女の区別を押し付けないようにしましょうというだけの話だ。また、後者については特定の診断名を挙げて危機感を煽っておきながら、その本来の定義に満たないものについてのみ語っていたのだという言い逃れはできない。
林氏は、多数の読者を抱える一般の雑誌や新聞で過激な主張を行っておきながら、いざ批判を受けるとこっそりと自分の主張を客観的にそこそこ妥当に見えるレベルまで矮小化して自己弁護する。デマゴーグというか、なんともくだらない論者だとつくづく思った。
2006/01/15 - 05:39:26 -
林道義:「生物学的根拠説」… ( macska への反論 1) /mascka.org:思いつき…
フェミニズム
29 (2)「生物学的根拠説」に立ちながら「ジェンダーフリー教育の弊害」を言うのは「矛盾」か ( macska への反論 1)
(平成18年1月15日初出)
拙著『家族を蔑む人々』(PHP研究所)の第一章で「ジェンダー」概念の徹底的批判を試みたが、一般読者が対…
2006/01/15 - 06:59:04 -
ジェンダーフリーバッシングに関して私が一番不思議に思い理解に苦しみ馬鹿馬鹿しいと思っていたのが「男女混合名簿」攻撃でした。いくつかの論点については「まぁ彼らにとっては不愉快なんだろうな」と理解はできる。しかしこればっかりはもう「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」「理屈と膏薬はどこにでもつく」のだなぁとしか言いようがありませんね。彼らが“確固たるもの”だと思いたがっている性自認の脆弱さを逆説的に明らかにしているんじゃないか、とすら思います。
2006/01/15 - 08:04:03 -
よく聞く彼らの言い分としては、混合名簿は身体測定などの際、男女別名簿を作らなければいけないなど手間が掛かる上に、男女別名簿より特に優れた点があるわけでもないから現場の自由裁量に任してりゃいいのに,さも男女別が差別的で混合が平等なんて吹聴するの(・A・)イクナイ!見たいなもので、性自認が変わるとか言うのは聞いたことないですね(笑)
高校の頃、担任の先生が作った名簿は男性にM、女性にFと言う文字が割り振ってあって、理由を聞いてみると「MANとWOMANでは差別になるからMALEとFEMALEで名簿を作成した。」とのことで、空いた口がふさがらなかったことがあります(苦笑)
2006/01/15 - 08:12:00 -
牧波さんの分と合わせて読むとさらに面白いですね。
http://d.hatena.ne.jp/makinamikonbu/20060115
この者は、私のジェンダーに関する理論がユング心理学を前提にしているはずと思い込み、私の説を勝手に捏造した(略)。だが、これまで私はジェンダーの問題をユングと関係づけたことは一度もない。ユングと関係あるだろうという想像や当て推量で物を言うべきではない。
といいつつ、牧波さんに対しては
こういう流れの中では、上野氏の理論が「(成功したはずの)双児の症例によって証明される」という関係にあることは明らかである。上野氏の記述の中に「双児の症例」という言葉が出てこないからと言って、上野理論が「双児の症例」となんの関係もないと弁護することはできないのである。
なんて書いていたり。たしか『フェミニズムの害毒』の中でも近代家族の歴史の浅さを論証した落合恵美子さんについて「歴史が浅いものはなくなってもいいと言わんばかりである」とか本人がいってもいないことを勝手に読み取っていたような…。
この方は「○○はフェミお得意の論法である」と批判しながら、その○○を用いて自身の正しさを主張しようとすることが結構あって、もしかしてギャグなのか!?と思うほどです。
2006/01/15 - 13:11:34 -
みなさま、どもですー。
男女混合名簿ですが、さらにすさまじい議論がありました。トラカレ経由ですが、群馬県伊勢崎市議会議員の伊藤純子さんの主張です。
スゴいです。だって、「男と女は平等だ」という考え方にまで反対しているわけですよ。もうこれはバックラッシュというより、バックラッシュのふりをしたパロディとしか思えません。でも、どうやら本気らしい。さらにコメント欄にも、
なんでも陰謀に結びつけてしまう人や、
デマに踊らされた人や、
「平等」の概念が理解できない人が集まっています。
やたらとアツイし。
ところで、昆布よく頑張りましたよね。わたしと随分と芸風が違いますけど。
2006/01/15 - 15:11:54 -
すごいですねー、これ。こういう論法がアリなら、むしろ加害者側の男性が「思春期に女子との接触が遠くなりすぎて男女間の意識が先鋭化し、子供相手にしか安心して欲情できないロリコンオヤジが増えている」からではないでしょうか!って言った方がまだマシ。それを言うと「ジェンダー教育こそ性犯罪抑止の切り札」と定義できてしまうから却下なのかな?
2006/01/15 - 23:53:48 -
macskaさんのどーぎタン批判は、さっそく「フェミナチ板」で話題になってます。↓
http://www.azaq-net.com/bbs/bbs.cgi?tani6010
2006/01/16 - 22:31:00 -
何かエキセントリックな発言が随所に見られますね(汗
果たしてネタなのか本気なのか・・・(゜゜
2006/01/18 - 06:06:46 -
個人的には「一定の学力があるように思えるだけに危険な人物と言えそうです」に吹き出しました>フェミナチ板。
学力って…w
2006/01/18 - 21:15:16 -
ドーギタンの反論パート2キター♪
29 (3)幼稚で非良心的な学問の方法 ( macska への反論 2)
(平成18年1月19日初出)
http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/femi36-3.html
ちなみに最後に、
> (次回は「双子の症例」(ブレンダ事例)とジェンダー概念の関係について論ずる。)
まだあるのかよ(w
2006/01/19 - 01:56:00 -
伊藤議員のブログにコメントした人は、日本人の腸の長さ(小腸+大腸)は約9.2m。欧米人はというと約7m。日本人と欧米人は生物的に構造が異なっているではないか!同じになれるわけがない、という風に考えるのでしょうか。
2006/01/19 - 06:31:35 -
こんにちわ~、お久し振りです。
いやぁ、でもこれ、客観的に見てmacskaさん不利ですよ。林は相変わらずイメージ論で押し通しているにもかかわらず、macskaさんは細部の正しさに走ってる。
macskaさんの林批判のうち、イメージ批判に関することで「林が言いもしないことまで批判するのはmacskaさんにとって良くない」と、私は自分の掲示板でmacskaさんに言いましたが、こういうことなんですよ。ものの見事にそこを使われちゃってるでしょ?
性同一性障害について、私もmacskaさんの論のとおりだと思うのですが、それは私なりに数年間、いろんな専門家・当事者の意見を聞いた来た中でそう思うことなんですが、それは(私のような人間にしてみれば)「補強」でしかないんですよ。そうでない人はどう?と思う。
「男女論」という大枠の中では、林の主張の根幹とmacskaさんの主張の根幹で対立している点が「GIDに関する正しい認識」に還元されてそれで済む話じゃないですよね。林のGIDについて所見に誤りがあるとしても、だからって彼の男女に関するイメージ論が根底から崩れる話じゃないんだな。
林の今回の“反論”は、「macskaは私の言いもしていないことを非難している」というもの。でもね、林が直接に主張していないことであっても「あなたの論理からすればこういうことになりますが違うのですか?」で、macskaさんは言うべきかな。
林の論と言うのは、いつもあのようなものなのだから、macskaさんの悪い癖として印象批判をやってみたりするのは墓穴を掘るだけだけだと、やはり思いますね。印象批判合戦をするなら、林のほうが一枚上手ですよ。見ていて、素直にそう思う。
2006/01/19 - 08:27:27 -
macskaさんのブログはオモシロイ!
http://macska.org/article/124
1.ウケた。ハゲシクワロタ。
2.「先天的か後天的かは問わない」……あ、そういえばそうなるのか。
3.いつものことだけれど、macskaさんの文章を読むたびに、わたし自身が彼女の批判の対象となる人たちと同じように独断や�…
2006/01/19 - 08:45:12 -
いやー、相変わらずここ、面白いっすねー。
でもドーギタンみたいな考え方、あんがい少なくない人たちにとって「甘い蜜」なんじゃないっすか?
論理的には支離滅裂でも、結論だけは「その通り!」って言えちゃう、だからそれさえできればもう何でもいい、みたいな。
ドーギタンをのさばらせてしまうのに一役買ってる、そーゆー「大衆」を何とかできないものか、と思ってしまいます。
おまいらが性犯罪を助長してるんだぞ!と小一時間(ry
2006/01/22 - 17:37:37 -
こんにちは
>論理的には支離滅裂でも、結論だけは「その通り!」って言えちゃう、だからそれさえできればも>う何でもいい、みたいな。
それだとまあ、信仰と同じですかね? 理屈じゃないって事でしょう。 でも、そういう人も実際に混合名簿が実施されているところで別に何の問題も無く、むしろ実施されているところのほうが親の混合名簿の支持率が高いって事を知ったらどう思うんでしょうね?
身体検査のときの名簿がどうだからって、いまどきパソコンで一発で変換できるわけで・・・。
反対している人たちはPCの知識も無く、その程度の変化にも柔軟に対応できないと思っている人たちなんですかね?