性犯罪者更生プログラム
加害者の人権を守りつつ社会の安全も守るための妙策として、よく「性犯罪者を更生させる治療プログラムを実施するべきだ」という主張が聞かれる。と同時に、犯行が凄まじいものであればあるほど、「あんな奴、更生できるわけがない」という悲観的な声も聞かれる。ここでは、現在までに行われたさまざまな更生プログラムについて、その前提となる考え方から有効性まで紹介する。
刑罰
米国では、最近刑罰の制度が破綻しているという指摘がよく聞かれるようになっている。その直接のきっかけとなったのは、80年代以降の福祉削減政策によって一生貧困から這い出せず生活のために犯罪に走るしかない階層を作り出したことと、同時期に始まった「麻薬との戦争」によって他人に迷惑をかけていない大量の非暴力犯を刑務所に収容したことだが、それらの要因が組み合わさって刑務所運営や保護観察の予算をパンクさせ、受刑者たちが釈放後に社会復帰するために必要な基本的な教育や職業訓練やカウンセリングや医療のプログラムを壊滅させた。結果として、社会復帰の機会を奪われた受刑者たちは、釈放されてもまた罪を犯して刑務所に戻ってくることになる。そして一般社会の側は、これ以上重罰化しても何ら抑止効果が見込めないのを承知の上で、できるだけ長期間服役させた方が社会は安全だとばかりに、さらなる重罰化を要求するばかりだ。
日本では事態はそこまで悪化していないが、性犯罪者の中でも特に小児性愛やサディスティックな性的欲求を持つ人たちにとって、刑務所における刑罰はほとんど社会復帰するための役に立っていないと思われる。というのも、教育や職能を持たない受刑者が社会復帰するためには教育や職業訓練を受ける必要があるのと同じように、これら合法的に満たすことが難しい性的欲求を抱えた人たちは、どうやってその欲求を抑えるか、もしくは周囲に迷惑がかからない形で解消するかというスキルを必要としているからだ。単に反省を促したり、集団生活において規律を学ばせるだけでは到底そうしたスキルは身に付かない。再犯率をさらに減らして社会をより安全にするには、専門的な加害者更生プログラムが必要されるというのはこのためである。
カウンセリング
カウンセリング系のプログラムには、性暴力の原因をどうした心理的要素に求めるかによっていくつか種類がある。主なものを2つ挙げると、加害者の多くが自分の感情をコントロールする能力を欠いていることに注目し、感情の暴走を抑えることができれば犯行は防げると考える「アンガー・マネージメント」のプログラムと、加害者はみな子ども時代に被害者として傷を負っており、それを癒さなければ加害行為を止められないとする俗流精神分析プログラムがある。
しかし現在ではこれらのプログラムは犯行の予防にほとんど効果がないことが分かっている。前者のプログラムを経験した加害者は、より慎重になって感情を制御しながら犯罪をおかすようになるだけであり、後者のプログラムに至ってはカウンセリングをするはずが、単に性犯罪者自身の性的妄想を語らせるだけに終わった。現在、カウンセリング系のプログラムはほとんど有効ではないと見なされている。
条件付け
条件付けとは、子どもを性の対象とするようなロリコンメディアや暴力的なポルノを見せるなどして性的欲求を起こすと同時に、電気ショックによる痛みや異臭など生理的に苦痛と感じる刺激を繰り返し与えることで、受刑者がポルノ的欲求を苦痛と結びつける条件反射を起こすように仕向けることである。すなわち、性犯罪者を「パブロフの犬」(有名な実験において、鐘を鳴らすと同時にエサを与えられることで、次第に鐘の音を聞いただけで涎を垂らすようになった犬)状態に置くことで、かれらが再犯しないような条件反射を身に付けさせようというものだ。こうした「治療」に長く浸らされた受刑者は、性的欲求がわき上がると同時に自然と苦痛を想起するようになり、欲求を抑えることができるようになるという。
こうしたプログラムには、あまりに非人道的ではないかという批判がある。なぜなら、この治療は受刑者による再犯行為を抑制するのみならず、釈放後の日常生活の中で自然と性欲を感じたり、それをロリコンメディアやロールプレイのような他者に迷惑にならないような形で発散させることすらも奪うことになるからだ。そうした懸念から、このプログラムは強制ではなく本人の意志による選択制で実施されることが多く、プログラムに参加した人には見返りに刑期を短縮化するということも行われている。
しかし、参加を自由意志に任せることは、こうした「治療」の有効性の研究を困難にする。というのも、治療を希望する受刑者と拒絶する受刑者ではそもそも「再犯をしたくない」という決意の度合いが違うはずであり、仮に「治療」を受けた元受刑者の方がそれを拒絶した元受刑者より再犯率が低いことが確認されたとしても、それが治療の効用なのか、それとももとからの潜在的な危険度の違いなのか判別のしようがない。
また、プログラム参加者の刑期を短縮するということは、治療への参加が本当に自由意志によるものなのかという疑念を抱かせるという面もあり(もしあなたが監禁されており、言う事をきけば逃がしてやると言われれば、大抵のことは同意するだろう)、刑罰と医療の境界をあいまいにし、医療上のインフォームドコンセントの信頼性を脅かすという批判も医療倫理学者のあいだからは聞かれる。
人道上・医療倫理上の問題はさておき、現実に再犯率が減るかどうかという点も明らかではない。「パブロフの犬」状態におかれた受刑者は、プログラムの続く限りにおいて過度の性的欲求や性的妄想に陥らずに済むかもしれないが、出所後「条件付け」が行われないようになってある程度時間が経った後でも性的欲求の暴走を抑制できるのかどうか。過去には同性愛者とされた人たちを対象に似たような「治療法」が実践されていたが長期的には効果がなかったというのが定説であるし、パブロフの犬だってエサをやるのをやめるといずれ鐘に反応して涎を垂らすことはなくなるのだ。
「条件付け」を行うプログラムは、子どもを性的対象とすることや暴力的な性行為への指向性そのものが犯罪の原因となるという考え方に基づくが、同様な指向を持つ人の大多数はゲームやアニメなどのオタクメディアを利用したり、レイプの場面をロールプレイをすることなどで性欲を解消しつつ犯罪を犯さずに生きている。「パブロフの犬」と同じ状態にして無理矢理性生活を封印して、それで普通の生きていくのに支障がないのであれば良いとして、押さえつけられた欲求がより陰湿な方向に向かわないとも限らないだろう。
近年、米国のカトリック教会で多数の聖職者が信者の子どもを性的に搾取していたというスキャンダルが騒がれたが、どうやらもともと子どもを性愛の対象として求める人であったり、同性愛を含めその他の社会的に偏見を持たれている性愛の持ち主であったりした人たちが、自分のそうした特殊なセクシュアリティを断ち切る覚悟で、一切の性行為が認められないカトリック聖職者の道を目指したというケースがかなりあったようだ。そうやって自分のセクシュアリティを封印した上で支障なく生きて行くことができるのであれば問題ないが、実際にはそれで済まずに世間に隠れて自分より力の弱い者に性的欲求を向けてしまった人が多数いたわけだ。
「条件付け」による治療プログラムは、頭の中にある性的妄想を含めた性犯罪者のセクシュアリティを根こそぎ封印することで再犯を防ごうとしている。そうしたプログラムは人道的に問題があるように思えるし、仮に「加害者の人権なんて構うもんか」というネオリベラリスティックな論調に迎合して人権論を考えないとしても、長期的にそうした施策が有効なのかどうか疑問が残る。
化学的・外科的去勢
去勢プログラムでは、性犯罪は男性ホルモンの分泌過剰を原因とする性的衝動に当人が堪えられなくなって起きるという単純な発想をもととしている。米国においては男性ホルモンと逆の働きをするホルモンを注入する化学的去勢の方が主に行われているが、西欧・北欧では外科的去勢を行うケースもある。たしかに男性ホルモンの分泌と攻撃的な傾向には関連があるということは広く知られているが、だからといって直線的に性的衝動の暴走によって性犯罪が起きるという考え方は、性犯罪を個人が主体的に選び取った行動としてではなく、何らかの生理的疾患の症状として起きるものだととらえることになるため、加害者当人の主体的な責任を免責するという批判がある。
去勢プログラムの有効性を研究することは、条件付けプログラムの有効性を研究することが難しいのと同じ理由で困難である。すなわち、ほとんどのプログラムにおいて去勢を受けるかどうかが当人の意志に任されており、また去勢を受け入れることが仮釈放や刑期短縮の条件として利用されている。それは、去勢プログラムも米国憲法が保証する加害者の人権を侵害する恐れが強いと考えられているからだ。(Scott and Holmberg, 2003)
人権問題を別としても、去勢によって再犯防止ができるとすると、それは単純に激しい性的衝動が原因で犯罪が起きている場合だけであろう。人間の行動は、もっと複雑な動機が混合した形で起きるのがより一般的であり、仮に自分の思いにならない他者や現象に対する支配欲なり、自分の抱えるなんらかの欠落への過剰補償といった要素が動機の大部分を占めていた場合、去勢によって不全感が増幅し、加害者がより危険になる可能性すら考えられる。
認知行動療法
かつて効かないと言われていた俗流精神分析療法やカウンセリングなどに代わって近年注目を集めているのは、受刑者の持つ認知の歪みを修正し、他者を脅かさない行動を引き出すという、認知行動療法によるプログラムである。この理論では、性犯罪の中でも特にポルノ的・妄想的なものは主に現実感覚の欠如(認知の歪み)が理由で間違った行動をおかしてしまう事から起きると考える。
そもそも、同じ暴力的なロリコンメディアなり暴力的ポルノに魅力を感じていても、どうして一部の人は犯罪に走り、大半の人は犯罪を犯さないのか? そこで重要になるのが、ポルノ的妄想と現実の違いを理解するための「現実感覚」であり、また妄想の世界に生きるのではなく現実社会を生きようとするコミットメントなのだ。認知行動療法プログラムは、性的な指向そのものをタブーとするのではなく、現実感覚に生ずる歪みをチェックし修正するためのスキルを育てたり、現実の生活を脅かさない健全な方法で妄想を解消する訓練をすると同時に、守るべき「現実の生活」へのコミットメントを強化する。
こうした治療法については、カナダの連邦検察局の研究グループが大規模なメタ分析を発表している。それによると、によると、昔行われていた心理学プログラムは全く役に立たないとしたうえで、最新の認知行動療法プログラムに参加した性犯罪者の再犯率は17.4%から9.9%に下がっていると報告している。(Hanson et al., 2002) 他の研究でも、「認知行動療法を受けた元受刑者は、受けていな元受刑者に比べて再犯率が格段に低い」(Scarola and Garin, 2003)、「1年以上認知行動療法プログラムに参加した受刑者は、再犯率が他の受刑者に比べて4割以上低い」(Aytes et al., 2001) といった具合に良い報告が多い(ちなみに、最後の研究はこのサイトを運営している著者の大学時代の恩師が共同研究者として名を連ねている)。