ムーア監督への愛情を込めた(?)注文

2004年7月1日 - 5:19 AM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

わたしが書いた「Fahrenheit 9/11」への批判的な感想を読んだなんばりょうすけ氏がマイケル・ムーア擁護を書かれているので、それにお返事。…の前に、わたしの「Fahrenheit 9/11」批判について確認しておく。単に「こいつはムーアより左側の立場からアフガン戦争容認のムーアを批判しているだけだな」と誤読されたら嫌だし。
まず最初にはっきりしておくと、わたしの批判はムーアの主張の是非とは関係ない。確かにわたしはアフガニスタン侵攻には反対しており、ブッシュはもっと真面目にアルカイダ掃討を行うべきだったと主張するムーアと意見は違うけど(当時は実はムーアもアフガン侵攻に反対してたけど、それは「考えが変わった」という事にしときましょう)、それだけで映画を「支離滅裂」とまでわたしは評価しない。例えそれが右翼の映画であっても戦争翼賛の映画であっても、それがわたしの政治信条に反するというだけなら「酷い主張の映画だ」と批判することはあっても「支離滅裂」とは言わないよ。
それから、この部分が事実と違うとか、この部分の描写がフェアではないとか、そういう種類の批判も行っていない。映画に出て来る大半の「事実」は既に他のジャーナリストや元政府高官(内部暴露)が明らかにしてきた事であり(例えば、サウジアラビアとブッシュ家の関係は、映画でインタビューにも応じている Craig Unger 氏が「House of Bush, House of Saud」で明らかにしている)、新しい発見が少ない代わりに、致命的な間違いというのもないはず。中立の立場で報道しているわけじゃないというのは観客の全員が承知していることであり、「フェアでない」というのもそれだけでは批判の理由にはならない。
わたしの批判は、
1)アルカイダが米国を攻撃した動機について掘り下げるのを避ける一方、ブッシュ一家とビンラディン家やサウジアラビアとの関係の深さを強調しすぎたため、ブッシュ一家のビジネス仲間やその一族がある日突然テロ事件を起こして3000人のアメリカ人を殺したという荒唐無稽なストーリーになってしまったこと。これが「支離滅裂」ということね。
2)イラク戦争は間違った戦争だと説得するための小道具として「貧しい人だけに犠牲を押し付けるのは許せない」と情緒的に訴えておきながら、アルカイダ掃討は「正しい戦争」だからといって「貧しい人だけに犠牲を押し付ける」構図は同じなのに肯定してしまう一貫性のなさ。要するに、「貧しい人に〜」というのは本気で言ってない。
3)ブッシュ一家とサウジアラビアの関係を強調する際、人種差別的(反アラブ人的)あるいは排外主義的な世間の感情に便乗していること。例えば、サウジアラビアの投資家がこんなにたくさんアメリカに投資していて、もし彼らが一気に資金を引き上げればアメリカ経済は崩壊してしまう、と危機感を煽っているシーンがあるけれど、かつて日本企業が元気だった頃に言われていた差別的な反日主義と何ら変わらない。(そんなに資金を引き上げたらサウジアラビアの投資家だって投資先が無くなって困るでしょーが。)
このうち少なくとも1と2は、ムーアの語る「物語」内部の矛盾や一貫性のなさであって、わたしの主張とは関係ない。わたしが戦争についてどういう考え方の持ち主であろうが、徴兵制に賛成だろうが反対だろうが、それとは無関係にムーアの「物語」は支離滅裂である、というのがわたしの批判です。
そうした批判について、なんばさんは直接反論しているわけではなくて、

アメリカが「テロとの戦争」を錦の御旗にしてこれ以上無用な戦争を繰り返さないためには、今、アメリカの有権者の手でブッシュを倒すしかないというのが事実なんでしょう。だとしたら「アメリカの国益」という観点でアメリカ国民に訴えるのが最善の方法であり、ムーアはそれを選択したということではないでしょうか。
このような選択をすれば映画にこめられたメッセージからは思想的な普遍性は欠落してしまいます。批判は「ブッシュの」「イラク攻撃」という限定された対象を越えた力をもたないでしょう。非アメリカ人にしてみれば、『華氏911』自体には意味がなく、それがもたらす結果(ブッシュが退陣するか再選するか)のみに意味がある、ということになるかもしれません。
[…]
仮に macska さんの批判が全て当たっていたとしても、ムーアがそれしかないと信じた上でやっている事なら、僕には(少なくとも今)とやかく言うことはできません。だって、今の僕にはもっといいやり方を提案することも実行することもできないもの。

と言っておられるように、「もしかすると批判は正しいかもしれないが、ムーアが思想性よりプロパガンダとしての有効性を考えてこの映画を作ったのだとしたら、内容についての批判は意味がないではないか」という考え方のようです。
うん、わたしもだから、プロパガンダとしての有効性は認めているし、それを本人が自覚してやっているならそれは仕方がないと思っているのよ。プロパガンダの有効性というのは、ブッシュ支持者がケリー支持者になるという意味じゃなくて、放っておけば投票しないような人が少しばかりは投票するようになるんじゃないかってことだけど、もし今回の選挙が前回のような僅差になるのであれば、それが1%でもケリーの支持を増やすのであればバカにできない。だから、ブッシュを負かすことができるならその一点のみでこの映画を肯定しても良いとわたしの「感想」でも書いた。と同時に、そうしなくちゃ勝てないような味方陣営が情けないって思うのよ。
でも、分かりました。もしムーア氏が、とにかくターゲットとなる「白人・中流・政治無関心層」を動員してブッシュを負かすためだけを目的に、映画としての完成度も思想性も度外視したプロパガンダとして自覚的にこの映画を作ったというなら、映画としては全然評価できないけれど、その心意気だけはなんばさんに習ってわたしも認めましょう。ただし、めでたくケリーが当選して民主党政権になったら、次に出版する本で必ずこの映画について内情を全てブチ撒けて欲しい。そして、その後これまでの人生で最高傑作となる痛烈な社会批評映画を作って、カンヌ映画祭のパルム・ドールを実力で勝ち取ること! 今年取ったのは明らかに政治的思惑によるものだから、そんなのに安住しちゃダメ。ムーア監督、分かってる?(って日本語で書いても仕方がないけど)
***
あと、付け加えておくけれど、ブッシュを負かすためにいろいろやっている人はムーアだけじゃないし、この映画だってブッシュ政権とサウジアラビアの関係を徹底的に調査した Craig Unger 氏や、ホワイトハウスのテロ対策トップを辞任して真実を暴露した Richard Clark 氏(Against All Enemies: Inside the White House’s War on Terror著者)らががいなければ成り立たなかったはず。そして彼らのまた向こうには、それぞれの地域やインターネット上でいろいろな活動をやっている普通の人たちがいるわけ。あんまりムーア氏だけをヒーロー視するのはおかしいと思うし、もしブッシュを倒す事ができるなら、それはムーア一人の功績じゃなくて、さまざまなレベルでいろいろな人が思い思いに活動した結果がうまく組み合わさった結果であるはず。そういう風にとらえなくちゃ今後に繋がらないと思うな。いま必要なのは、ヒーローの登場じゃなくて、ブッシュを落選させるという取りあえず同じ目標をもった人たちが、どうやって連携・協力してやっていくかということだと思うから。
***
もう1つ付け加え。なんばさんはムーアの著書を鵜呑みにして、

ブッシュとゴアが争った2000年のあの大統領選で、ムーアはラルフ・ネーダーの選挙運動に参加していました。世論調査でブッシュとゴアが互角になりブッシュ当選の可能性が出てきた時に、ムーアはとんでもない提案をしました。ネーダー自ら「フロリダ州のネーダー支持者はゴアに投票せよ!」と訴えろというのです。ネーダーの得票率は良くて 5%、悪くて 2%。しかしこの選挙はその程度の微差が勝敗を決定すると見たムーアは、ブッシュ当選という最悪の事態を断固阻止するためにこんな提案をしたのです。しかしネーダー陣営はこれを受け入れませんでした。そんなことをすれば支持者との信頼関係を壊しかねない、ゴアが約束を守るという保証がない、という理由(以上『アホでマヌケなアメリカ白人』 ASIN:476012277X より)。
こういうムーアの目の前の問題だけに愚直なまでに全力を注ぎ込むところが僕は好きだし、そうすることでしか変えられない事があるとも思います。

と書いているけれど、これは後出しジャンケンみたいなもの。2000年の選挙で「接戦になる」というのは(あそこまで接戦とは思わなかったにしても)誰でも知っていたことだし、政策協定と引き換えにゴアを支援しろというのはネーダー信者以外の大半のリベラル系の人が主張していたことで、別にムーアを評価する理由にはならない。もし彼が「自分はこれまでネーダーを支持してきたけれど、最悪の事態を変えるために今の時点からゴア支持に変わった」と選挙直前に公の場で言っていれば話は別だけど、後から著書で言われてもねぇ。
選挙中のムーアの公の発言は彼自身のウェブサイトに残されていて、以下に載せるのは投票の数日前にムーアがゴア副大統領に宛てて書いた公開書簡

I will not feel one iota of guilt should you screw up and lose on Tuesday. The blame I do share is that I voted for you and Bill in 1992. And I have spent the last 8 years doing what I could, in my own small ways, to try and stop the hemorrhaging that your administration caused.
(仮にあなたが火曜日の選挙でしくじって負けたとしても、わたしは一切の罪悪感を感じないね。わたしに何らかの責任があるとすれば、それは1992年にあなたとビル・クリントンに票を投じたことだけだ。その後8年間、わたしはずっとあなたたちの政権が流し続けた血を止めようと、非力ながらもできる限りのことはしてきたんだ。)

全文を読むと、ゴアが一方的にネーダーの主張に歩み寄れば共闘できるみたいな事は一応書いてある。でも、選挙数日前になって、そんな大きな政策転換なんてできるわけがないし、もしそんな事をすればネーダー支持層より大きな層をゴアは失う事になる。つまりこの文書は明らかに、選挙が接戦であることを報道で知って「もし自分たちがゴアに投票しなければブッシュが大統領になってしまうんじゃないか」と動揺していたネーダー支持者たちを焚き付けて、ゴアに鞍替えするのを防ぐために書かれたものでしょ。
同じ有名人ネーダー支持者でも、例えばシンガーソングライターの Ani DiFranco あたりは、選挙直前にリベラル系政治雑誌「The Nation」に宛てた公開書簡 (11/02/2000) で以下のように言っている:

I’m voting for Ralph Nader. […] The way the Electoral College works, a majority of votes for any given candidate wins the whole state, and there are certain states where Gore or Bush will be a clear winner. In my home state, New York, for instance, it’s easy to vote for Nader without worrying that I am aiding a Bush victory. […] If I found myself in a swing state, I’d remember the record number of executions Governor Bush has authorized in Texas, for instance, and I’d think long and hard about the bleak future of women’s reproductive rights in a Republican-controlled White House. And my vote would go to Al Gore.
(わたしはネーダーに投票するつもり。現行制度では、それぞれの州で最多の票を取った人がその州の選挙人全員を独占するけれど、既にゴアかブッシュのどちらかが大勝すると見られている州があるでしょ。例えばわたしの住むニューヨーク州(ゴアが大勝すると見られていた)では、ブッシュの当選を助ける可能性を考えずにネーダーに投票することができると思う。でも、もしわたしが接戦の州に住んでいたら、テキサスでブッシュ州知事に処刑された死刑囚の人数や、将来失われるかも知れない女性たちのリプロダクティブ・ライツについてよく考えて、わたしはゴアに票を投じるだろう。)

ムーアの当時の発言との違いは明らかじゃないかと。
あと、ネーダーは「ブッシュとゴアの間に政策的な違いは一切ない」「ゴアが勝つくらいなら、一旦ブッシュが勝った方が民主党内の変革が期待できるので望ましい」みたいに主張していたので、「政策協定を結んでゴア支持」という選択肢を拒絶したのは彼の思想から言えば当然のこと。そして、ムーアはそうした主張を承知の上でネーダーを支持していたのだから、今さら自分はこんな柔軟な考え方だったなんて言っても言い訳がましい。当時の考えが今でも変わっていないなら著書で自分のネーダー支持を誤摩化す必要はないし、(かつてアフガン戦争反対だったはずなのにいつの間にか支持に変わったように)考えが変わったのであれば、はっきりと「私は間違っていた」と言えばすっきりするのに。

2 Responses - “ムーア監督への愛情を込めた(?)注文”

  1. なんばりょうすけ Says:

    概ね同意なんですが一点。ムーアは 2000-10-23 の記者会見でゴアへの投票を呼びかけていて、同日の講演会でも(婉曲表現ではありますが)やはりゴアへの投票を促す主旨の事を言ったそうです。ネーダー陣営への進言(そして却下)はその翌日。ソースはやはり彼の『アホでマヌケなアメリカ白人』ですけど。。。

  2. okayu3 Says:

    日本語字幕版を見ただけなので
    貴殿の批判について 誰もが考え付きそうな感想をば。
    (1)うーんと順序が逆のような。
    9/11がまずありき、で その対応が遅れたり
    徹底的でなくなってしまったのが
    ブッシュ政権の才能のなさと利権に拠っている
    という主張なんですよね。
    このストーリーでは一貫していて、支離滅裂な
    印象はありませんでした。
    (2)「小道具」というには余りある迫力あるドキュメンタリーだったと思いますがそれは置いておいて、
    「(貧しい人が)軍隊へ入隊する犠牲を払うのは、
    『本当に必要であるときにのみだけ』派兵される
    のだ、という国への信頼に基づいているはずだ」
    という旨のナレーションを入れていましたね。
    つまり、「アフガンは必要だったし ものすごく小規模だった。イラクはそうじゃないだろう?」という主張なわけで、(少なくとも映画上は)構図は違うということなのではないでしょうか。
    (3)は わたしも危惧を感じました。
    CIAのコメンタリーの、911直後のビンラディン家の扱いについて「別に犯罪者扱いするわけじゃない。当たり前の取調べをしたいだけなんだ」との発言を挿入してフォローしていましたが、アラブ脅威論を 資本・テロ の両側から 示唆してしまったのは間違いないと思います。

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