「ブレンダと呼ばれた少年」の政治利用は間違い

5/1/2005 - 12:52 pm | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

ちょっと前の話題だけど、当時旅行中で書きそびれたので簡単に。Yoko さんから転送された産経新聞4月11日の記事によると、何年か前に無名舍から出版されて既に絶版となっていたジョン・コラピント著「ブレンダと呼ばれた少年」をフジサンケイグループの扶桑社が再刊することになったという。
以下は記事からの抜粋:

ジェンダーフリー(性差否定)やフェミニズムの理論的支えで、「性別は後天的に決めることが可能」との学説を唱えてきた米国の性科学者の虚構性を暴露した米ジャーナリストによるノンフィクション「ブレンダと呼ばれた少年」が、扶桑社から復刊されることとなった。
(略)
内容は生後八カ月に手術の失敗で男性性器の大半を喪失した双子の一人を性転換し、両親がブレンダと名づけ女の子として育てるという話。手術を両親に促した医師は「実際に女の子として順調に育っている」と論文などで大々的に発表、世界的に注目を集めた。
しかし、内実のブレンダは男らしさの表出で周囲と軋轢(あつれき)を生んだ。学校では孤立して内面に深刻な傷を負った末、十四歳で再び性転換し「ディビット」に。同書は十四歳時のインタビューがもとになっており、科学者のモルモットとなったことを告発。人工的に「女の子」として育てられた男の子の苦悩を描き、同書は米国でベストセラーとなった。

(略)
日本ではこの科学者の論文はいまだに「生物的性差の基盤の上に、心理的、社会的、文化的性差が築き上げられる考え方を否定し、人間にとって性別はセックスではなくジェンダーであると明瞭に示した」などと絶賛され、男らしさや女らしさを否定するジェンダーフリー運動の理論的なよりどころとなっている。

記事の全文は産経新聞のサイトでは見つからなかったのだけれど、こちらのサイトに全文紹介されている(さらに、記事中の間違いまで指摘してある)のが見つかったので全文読みたい方はそちらをどうぞ。記事の内容や、全文を探していて見つかった複数のサイトの論調を読む限り、どうやら「ジェンダーフリー論攻撃」「フェミニズム攻撃」の道具として利用するため再販が求められており、それに産経新聞/扶桑社のグループが乗ったということらしい。

しかし、言葉の意味すら確定されていない「ジェンダーフリー」はともかく、ジョン・マネーの理論がフェミニズムの「理論的支え」であるというのはもちろん間違い。性別という現象が単に生物学的に説明できるものだけではないことはマネー以前からもフェミニストだけでなく文化人類学者や社会学者らに認識されており、マネーが行った最大の貢献というか影響は「生物学的性差=セックス」から区別されたモノとして「ジェンダー」という言語学の用語を援用したことだけれど、仮にマネーがいなくても別の言葉が考案されていたはず。

ところでマネーが「ジェンダー」という言葉で当初何を想定していたかというと、はっきり言って「性自認」だけ。ジェンダーという言葉を「男らしさ・女らしさ」という意味で使うなど、より広い用法に慣れたわたしたちにはなかなか理解しがたい事だけれど、トランスセクシュアリティを専門の1つとしていて、さらにインターセックスの子どもの性別判定の方法を確立しようとしていた心理学者として、「生物学的性別」から独立した「ジェンダー」というものを想定したとき、マネーの頭の中にあったのは「性自認」のことだけであり、それ以外は性自認さえきちんと完成すれば自然に収まると考えていたわけ。

マネーのこうした考え方は、トランスセクシュアリティに対するマネーの当時の姿勢からも分かる。例えば、身体的に男性で性自認が「女性」のMTFTSの人があまり「女らしく」なかったり、レズビアンを自認していたりした場合、マネーはそうした人たちは本物のTSではないと考えていた。現代のわたしたちは「性役割」や「性的指向」を「性自認」から独立した概念として扱えるので、「MTFでレズビアンでも、男っぽくてもいいじゃん」と考えることができるけれど、それらの概念をうまく区別していなかった当時のマネーはそれを認めることができなかった。

現代の人が「ジェンダー=社会的性差」と聞くと、「性役割」や「男らしさ・女らしさ」といった問題を考えるけれど、こうした意味における「社会的性差」という認識は第二波フェミニズムで広く共有された認識。そこにたまたまマネーの「ジェンダー=生物学的状態に回収されない性」という言葉がうまくハマったので転用されたわけだけど、マネーに言わせれば言葉の濫用、乗っ取りだった。

つまり、マネーの言っていた「ジェンダー」と、第2波フェミニズムの「ジェンダー」という言葉は、50年近く前の時点で既に全然意味が違っている。そしてマネーによる双子の実験が失敗であることが明らかにされた1997年までには、ポスト構造主義フェミニズムによって「ジェンダー」という言葉はさらにまた違った定義を与えられているので、マネーの論理がどう否定されようが、それによってフェミニズムが傷つくことなんてあるわけがない。

そもそもマネー自身フェミニスト嫌いで知られているし、フェミニストからのマネー批判だってたくさんあるわけで、マネーがフェミニズムの理論的支えであるという話を聞いて信じてしまう人は、よほど知識がないのだろう。ここで知識というのはフェミニズム理論についての知識でもあるが、わざわざフェミニズム理論を勉強せずともマネーの著書を実際に読めばマネーがフェミニストの味方でないことはすぐに分かるはず。

ところで、関連した議論を検索するうちにたどり着いた「はてなダイアリ」の「ジョン・マネー」の項目、あまりに酷いです。

性自認の後天説(「性自認の出生時白紙説」)を主張した医師。
性自認の後天説を実験するためにペニスを欠損した男児に
1967年、女性ホルモンと女性器形成を行い、
さらにそのデータを意図的に改ざんしたとされる、
「ブレンダ事件」が知られる。
(その少年は実験失敗後、男性に戻って生活したが、
実験が与えた苦痛の記憶に耐えられず38歳のときに自殺した)
以上の「ブレンダ事件」はフェミニストによって巧妙に隠蔽されてきたが、
後にジャーナリストであるジョン・コラピントが
『ローリング・ストーン』誌で暴露して知られるところとなった。
科学的実験に関してはそのように見事に失敗したわけだが、
日本のフェミニストの一部はその「ブレンダ事件」を隠して
未だに彼の説を論拠としており、
日本でもこの事件については学会や出版界に圧力がかかり、
ひたすら隠蔽されている。

マネーはそもそも医者ではない(心理学者・性科学者)し、「女性ホルモンを行い」ってのは日本語になってないし(笑)、データを改ざんというのは誇張だし、自殺した時の報道によるとライマー氏が苦しんでいたのは実験の記憶ではなく弟を自殺で失ったことや家族の問題や金銭問題だし、隠蔽にフェミニストたちは何の加担もしていない(他の人同様、知らなかった)し、コラピントは一般向けの書物にしただけで暴露したのは別の人だし、そもそもコラピントはジャーナリストじゃないし。

最後の4行については日本のことなのでどこまで正しいか分からないけど、わたしに分かる範囲でこれだけ間違いがあれば、日本についての部分もかなり怪しく見えてくる。時間があれば近いうち修正しようと思うけど(事実に基づいて修正しても、ものすごいバッシングくらいそうだな)、日本についての部分はどうしようかなぁ。

どっちにしても、マネーがデイヴィッド・ライマー氏を科学的なモルモットとしたことを本当に酷いと思うなら、いい加減、彼の存在と死を政治的に利用するのもやめてくれないかな。マネーを擁護するつもりはないし、いまだにマネーに騙されたままのフェミニスト(ハンロンの剃刀=「無能で説明がつく現象に悪意を見いだすな」)が批判されるのも仕方がないけれど、その度にライマー氏の生涯がカジュアルに持ち出されるのには飽き飽きした。

そもそも、たった1つの症例によって普遍的なジェンダーの理論を肯定しようとしたのがマネーの間違いだったのだから、同じ1つの症例からその逆の理論を肯定するのも不可能なはず。ジェンダーフリーやフェミニズムを批判するのもいいけれど、これ以上ライマー氏をモルモットとして利用し続けるのはやめようよ。

【5/1 初稿 / 5/4 一部加筆】

11 Responses - “「ブレンダと呼ばれた少年」の政治利用は間違い”

  1. Yoko Says:

    どうも〜

    それにしても「はてな」は豪快だなあ。

    > 1967年、女性ホルモンと女性器形成を行い、

    手術はしたけど、ホルモン治療はしてないと思うが。だって1〜2歳の乳児にホルモンなんて与えたら(怖…

    > 「ブレンダ事件」が知られる。

    普通これって、”John/Joan case”って言うよなあ。そもそも、1997年にColapintoがRolling Stoneに書いた”The True Story of JOHN / JOAN”の中ではBrenda/Bruceという名前は出てなくて、2000年の”As Nature Made Him”で初めて明らかにしたのだから。つまり、2000年以前に「ブレンダ」なんて知ってたのはごく一部の関係者だけだった。

    http://www.pfc.org.uk/news/1998/johnjoan.htm

    > 以上の「ブレンダ事件」はフェミニストによって巧妙に隠蔽されてきたが、
    > 後にジャーナリストであるジョン・コラピントが
    > 『ローリング・ストーン』誌で暴露して知られるところとなった。

    だからぁ、「ローリング・ストーン」には「ブレンダ」なんて出てきませんって。

    ついでに言うとマネーの失敗を最初に学術雑誌に「暴露」したのはMilton Diamond。それを大きく取り上げたのはNYタイムズ。(NYタイムズの記事を読んで触発された)コラピントが、本人にインタビューして、一般誌に載せたというだけの話。

    そもそも「ローリング・ストーン」は、いくら政治・社会問題も取り上げてるからと言っても、基本的には音楽雑誌でしょ?(笑)。

    > 日本でもこの事件については学会や出版界に圧力がかかり、
    > ひたすら隠蔽されている。

    う〜ん。

    ダイアモンドは、親日的な学者で何度も来日し講演しているし、日本の性事情についての論文も書いている。もちろん、彼がマネーの論敵であることも知られていたから、日本でも「ブレンダ」出版以前に、「マネーの失敗」はかなり広く知られていたと思います。少なくとも「学界」に圧力がかかったという話は聞いたことがありません。

    出版界への圧力の有無はよく知らないけど、読売・産経・毎日の書評にまで取り上げられた本のどこが「隠蔽」なんだかね。売れない本が廃刊になるのは、資本主義では当たり前だとおもうのですが。

  2. rna Says:

    macskaさん、はてなの市民権持ってましたっけ? 市民権ないとキーワードの編集できません。僕が編集代行してもいいですけども。

  3. Macska Says:

    Yoko さん:
    > 少なくとも「学界」に圧力がかかったという話は聞いたことがありません。

    そーですよねー。だいたい、どうやって圧力かけるんだって。
    とゆーかですね、ダイアモンド教授はインターセックス関係で無茶苦茶なことを言う傾向があるので、圧力かけて黙らせることができるなら圧力かけてやりたいくらいですが(笑)

    # 念のため言っておくけど、あくまで冗談。
    # 研究者として学問的自由の大切さは分かっています。

    > 出版界への圧力の有無はよく知らないけど、読売・産経・毎日の書評にま
    > で取り上げられた本のどこが「隠蔽」なんだかね。

    なるほど、大新聞の書評に取り上げられたということは、そんな隠蔽工作がなかったことの傍証になりますね。

    でも、もし朝日が書評載せてなかったのだとしたら、それをいろいろ言う人はいるだろうな…

    なんばさん:
    > 市民権ないとキーワードの編集できません。
    > 僕が編集代行してもいいですけども。

    あ、そうなの? 市民権なんて分からないし実際に編集したこともないですが、編集というところをクリックすると編集画面には行けるようなので、Wikipedia みたいに誰でも編集できるモノだと思い込んでました。もしわたしに編集できなければ、代行お願いします。

  4. Yoko Says:

    そう言えば、明日5月4日が、David Reimerの命日、日本流に言えば「一周忌」にあたります。
    あらためて彼の悲劇に思いを致すとともに、それが政治的な意図で悪用されないよう、監視していかなくてはならないと思います。

    # でも、Wikipediaでは、なぜか5月5日になっている!
    http://en.wikipedia.org/wiki/David_Reimer
    ま、5月5日って、たしかに日本では意味深な日なんだけどぉ〜(苦笑)。

    UKのGender Recognition Actの施行日が今年4月4日だったのも、日本(の一部)では受けているそうです。

  5. Anonymous Coward Says:

    匿名で失礼いたします。
    関連1行掲示板欄の入力/表示が「はてなid持ち」全員(逆にゲストは閲覧できない)に開放されているため、コメント機能が設置されている「編集画面」には行けますが、キーワード解説入力をsubmitして受け付けられるには30日以上日記を書いているほかの条件(なんせ「はてなダイアリー」の付随サービスですから)を満たす必要があります。
    (参照 http://d.hatena.ne.jp/hatenadiary/20040101/1072929711 。 日記のaboutページの内容等は、その後変更を受けています。)
    「30日」には「はてなid」の取得後の日付のものであれば過去日記も含められる(そういう動作を過去に確認された)という記憶がありますが…?

  6. Yoko Says:

    扶桑社版「ブレンダ」は23日に発売です。なんと!無名舎のときより(ちょっとだけ)安いのです(笑)

    http://transnews.at&#46infoseek.co.jp/as-nature-made-him-returns.htm

  7. EMY Says:

    初めまして。私も、あるきっかけではてなキーワードをたまたま目にして、ひどいなあと思っていました。
    でも、自分で書き直せるほどよく知っている訳ではなかったので、放置してました。
    今回、『ブレンダ』が再版されるとの報にふれて、あのキーワードはどうなったかとチェックしてみたら、
    全面的に書き換えられていたので驚くとともにほっとしました。訂正、ありがとうございます。

  8. macska Says:

    こんにちはですー。
    やっぱり他にも気付いていた人、いたんですね>キーワードの酷さ
    代理で訂正してくださったなんばさんにも感謝。

  9. 通りすがり Says:

    本読まれてないですね
    ジョン・コラピントはライターです。
    ローリングストーンはデイヴィッドのインタビューを載せました。
    そのとき、彼が記事を書いたのです。

  10. Macska Says:

    この記事が、2ちゃんねるで叩かれてるらしいです。
    http://love3.2ch.net/test/read.cgi/gender/1112619366/

    2ちゃんねる経由で来た方で、わたしと直接議論したい方は、うちの掲示板の方へどうぞ:
    http://macska.org/forum/YaBB.cgi?board=gender;action=display;num=1125951074
    問題があった時のために IP アドレスは記録していますが、ゲストでの書き込みも OK です。

  11. PukiWiki/TrackBack 0.2 Says:

    ジョン・マネーと性同一性障害
    こんなものを発見したので、性同一性障害について語ってみようかと (=゜ω゜)ノ http://www.intersexinitiative.org/japan/review-colapinto.html 経由:http://macska.org/index.php?p=105 , http://macska.org/index.php?p=84 , http://d.hatena.ne.jp/jouno/20050907/1

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