性暴力の問題における被害者非難(犠牲者非難)の一般性と特殊性

9/27/2011 - 11:58 am | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

前エントリ「『当たり前のこと』が『当たり前である』ことの不当性/『性犯罪者が手を出しにくい女性になるために』的アドバイスについて」への反応のなかに、被害者非難は性暴力に限った話ではなくほかの犯罪においても起きることであり、とくに性暴力に限って騒ぐのはおかしいという、まあ呆れるほどありがちなタイプの反論があった。前エントリを読んでそういうレベルの文句を言う人に何を言っても無駄という気もするけれども、ちょっと整理をしてみたい。

と言っても、被害者非難(犠牲者非難)そのものについてはすでに金明秀さんが「橋下発言にみるVictim blaming」という記事において、簡素かつ学問的な解説をしっかり書いていて、とくに追加することはない。この概念をあまり知らないという人は、まず金さんの解説を読んでから次に進んで欲しい。

なお、日本では普通victim blamingの訳語として「犠牲者非難」という言葉が使われるようであり、わたしも以前の記事ではそう記述したが、性暴力について話すときには「犠牲者」より「被害者」のほうが自然だと思うので、「被害者非難」と書くことにしている。

さて、「性暴力に限った話ではない」というパターンの例として、次のような反応があった。

「家が泥棒に入られた。鍵は掛けてなかった」
「買い物してる間に車が盗まれた。キーは差しっぱなしにしてた」
ってひとがいたら「それ自業自得だろ」と思うのが普通の感覚ですよね。
(前記事コメント欄よりarsさんの発言

不当なのは認めるが現金百万円を持歩くなら相当警戒する。
(前記事へのkurahitoさんのブックマークコメント

性暴力以外の犯罪においても、たしかに被害者非難は起こる。いや犯罪だけに限らず、シートベルトをしていなかったから事故で大怪我をしたとか、タバコを吸ったから肺がんに罹ったとか、震災・津波が起きたのは我欲に溺れた日本人への天罰だとか、いくらでも例をあげることができる。

この三つの例を比べてみると、どれも同じ「被害者理論」のレトリックだといっても、その妥当性にはやや幅があることが分かると思う。「日本人への天罰」発言は荒唐無稽な妄言だとしても、シートベルト着用が事故死や大怪我を減らすことは統計的にはっきり確認されているし、喫煙が肺がんの疾患リスクを高めることも科学的に証明されている。だから、これらの件について被害者を非難することは合理的であり、当たり前のことではないか、と思う人も多いだろうけれど、それは短絡的すぎる。

というのも、シートベルトを着用していても事故死することはあるし、タバコを吸わなくても肺がんになることはある。逆に生涯タバコを吸い続けても健康だったという例だってあるだろう。シートベルトを着用していなかった人が事故死したとしても、その事故は飲酒運転をしている車に衝突された結果かもしれないし、ある人が肺がんになったもっとも大きな要因は喫煙ではなく大気汚染だという可能性もある。

このように、交通事故での負傷・死亡や、肺がんの発症には、本人の行動以外にもさまざまな社会的あるいは偶発的な要素があるはずなのに、それらを無視して「本人の行動」におもな原因を求めようとすること、そして不快なできごとをそのように処理することで、金さんが解説するところの「世界は正しいと信じたい仮説」(Just World Hypothesis)と「傷つきたくない仮説」(invulnerability theory)が守られる(世の中は公平だとか、自分だけは安全であるという希望的な幻想を守ることができる)のが、社会学的にみた「被害者非難」の仕組みだ。

金さんはツイッターで「犠牲者非難はつねに悪。例外はないよ。」と発言されていて、それは上記のような「さまざまな社会問題や事件の複雑な要因を無視し、被害を被った個人だけの責任にしてしまう」という意味ではその通りだと思うのだけれど、被害者非難が「つねに悪」であることはわたしの(そしておそらく金さんの)関心の中心ではない(はず)。というのも、わたしや金さんが被害者非難という概念を取り上げるのは、単にそれが悪だからではなく、差別や暴力を温存する言説に典型的な構図だからだ。

すなわち、わたしが谷川さんの記事が問題だと感じたのは、「被害者非難はつねに悪」だからではない。性暴力の被害者に向けられる被害者非難が、ほかの犯罪に比べてとくに深刻であり、多くの被害者に沈黙を強いていること、そして被害を受けた当事者以外の多くの女性の行動の自由にも極端な制約を負わせているからだ。すでに別ブログに掲載したものだが、その深刻さを示した寓話を以下に紹介する。

警察官 スミスさん、あなたは一六番街で銃を付きつけられ財布を奪われたというんですね。
スミス その通りです。
警察官 犯人に抵抗しましたか?
スミス いいえ。
警察官 どうしてですか?
スミス 犯人が銃を持っていたからです。
警察官 つまり、あなたは自分の意思で抵抗せずに犯人の言いなりになったわけですね。
スミス そうですが。
警察官 あなたは叫んで助けを求めましたか?
スミス いいえ、犯人が怖かったので。
警察官 なるほど。あなたは過去にも強盗の被害にあったことはありますか?
スミス いいえ。
警察官 でも貧しい人にお金を恵んであげたことはあると。
スミス はい、ありますが。
警察官 それは、自分の意思であげたんですよね。
スミス 何が言いたいんですか?
警察官 こう考えてみましょう。あなたは過去に他人にお金を渡したことがあると。
    そればかりか、かなり気前のいい人だと評判ですよ。
    自分で強盗されるように犯人を仕向けたとは思いませんか?
スミス ちょっと待ってくださいよ、もしお金を恵みたかったのであれば…
警察官 いや、答えなくていいですよ。で、この事件は何時頃に起きましたか?
スミス たしか午後十一時ころだったと思います。
警察官 そんな時間にあなたは何をやっていたんですか?
スミス ただ家に向かって歩いていただけですが。
警察官 ただ歩いていたって?それがどれだけ危険なことだか、分かるでしょう?
    強盗に会うかもしれないとは思わなかったんですか?
スミス とくに考えていませんでした。
警察官 そのときのあなたの服装は?
スミス ええと、スーツを着ていました。
警察官 お金のかかったスーツですか?
スミス えっ?確かにそうですが。
警察官 つまりまとめると、あなたは強盗に目をつけられてもおかしくない服装で、
    夜の道を歩いていたと。そういうことですね?
    襲ってくれと言っていたようなものだと思いませんか?

言うまでもないことだけれど、この会話は性暴力の被害を訴える人たちに対して、実際に投げかけられるさまざまなコメントを「強盗の被害者」に置き換えたものだ。ほかの犯罪の被害者に対してこういったコメントが向けられることがないとは言わないけれども、頻繁に、そしてほとんど例外なくこういったコメントを向けられ、あるいはそういう態度で接され、そのために被害を受けても自分が悪かったのだと自己嫌悪に陥ったり、通報どころか親しい人に打ち明けることすらできない状況に置かれているのは、圧倒的に性暴力被害者に多い。

家に鍵をしておらずに泥棒に入られた人や、大金を持って一人で出歩いていて襲われた人に向かって、「そんなの自業自得だ」と言う人は、いるだろう。でもだからといって、被害を警察に届け出るのを断念したり、周囲に被害を受けたことを打ち明けることすらできないということは、ほとんどないはずだ。「ほかの犯罪でも同じようなことはある」というのは、そうした現実に被害者が受けている非難や圧力の深刻さの違いを無視しており、間違っている。「被害者非難はつねに悪」だということは、被害者非難の言説がつねに同じ社会的効果を持つという意味ではない。

また、被害を避けるための行動指針が、社会的地位の低い特定の社会集団(この場合女性)にだけ過度の負担を強いる点でも、性暴力とその他の場合の被害者非難は異なっている。谷川さんは、「性犯罪者が手を出しにくい女性になるために」複数で行動する、声を掛けられても無視する、スカートやドレスでなくズボンをはく、足早に歩く、防犯ブザーを持つ、夜中に出歩かない、などの対策を女性に呼びかけている(厳密には、そう呼びかけるよう学校や社会に要請している)けれども、そういった行動指針は日常において女性の行動の自由を大きく制限するとともに、指針に従わない(あるいは従えない事情がある)女性が被害にあったときに彼女に被害者非難が向けられる土台となっている。

(ところでこれは話がそれるけれども、「女性は残業をしない、対等に働かないくせに平等に扱えというのは通用しない」みたいに言う人が、残業で夜遅くに帰宅中の女性が性暴力の被害にあった時には「夜道を歩くからいけない」と言ったりするのは、どういうことなんだろうか。わけがわからない。)

泥棒に入られにくくするために家に鍵をかけるべきだという指針は、差別を受けている特定の社会集団だけに負担を押し付けるものではないし、それほど過度の負担とまでもいえない。また「百万円を持ち歩くなら相当警戒する」といっても、百万円を持ち歩くという状況そのものが非日常的であり、「性暴力の被害を受けないために」日常的に女性が受けている多種多様な制約とは比べ物にならない。それが比べられると感じる人が大勢いるということが、この問題の深刻さそのものだと思う。

前エントリに対するほかの反論・異論としては、ツイッターにおける@yagi_さんの一連の発言があった。

深い問題ではあると思うのですが、でも同時に実際に効果があることは非難の対象としても意味がないのではないかと考えているわけです。

一連のやり取りをまとめると、@yagi_さんは被害者非難が問題であることは了解したうえで、しかしもし谷川さんが紹介した「性犯罪者が手を出しにくい女性になるため」の対処法が実際に性暴力予防に効果があるのだとすれば、被害者非難になるからといって批判するまでもないのではないか、という考えの持ち主のようだ。なぜなら、そういった批判を受けることで有効な対処法の拡散がなされないほうが、性暴力の横行を許すことになってしまい、より大きな問題ではないのか、と。(もっとも@yagi_さんはわたしが最後に付け足した「谷川さんの言う対処法は、そもそも有効ではないのではないか」という部分により説得力を感じているらしく、だったら批判しても弊害ないじゃんかよと思ってしまうわけなのだけれど。)

防犯のために必要なことなのだから批判すべきでないという反論は、ほかにもいくつかあった。

防犯が悪、というなら、防犯の必要のない世界を出してくれ。犯罪のない世界を作れない分際で偉そうに防犯に対して糾弾する権利はあんたには無い。
(前エントリへのwangshot1155さんのブックマーク

問題なのは被害を被害者の落ち度・自業自得とする態度であって、このエントリがそうとは思えない。弱者が自衛を行いたいと思うのも、そのための情報提供も当然であって、それを否定するどのような理屈も単に暴力。
(谷川さんの記事に対するDomino-Rさんのブックマーク

程度の差はあるけれども、これらはどれも「犯罪にあわないための自衛方法の情報を提供しているのに、それを批判するとは何事か」というものだ。

たしかに、犯罪の被害や病気・事故など不快なできごとを避けるための対処法や行動指針を示すことは、どのようにやっても被害者非難の要素を持ってしまう。それは、「あなたの行動をこう変えることで、被害を受ける可能性を減らすことができます」と指し示すことは、被害の原因の少なくとも一部を当人の行動に求めることになり、すなわち被害を避けるための行動を取らなかった人に対する「自業自得だ」という非難に結びつかないはずがないからだ。「健康のために運動をしましょう」というごく当たり前な呼びかけですら、不健康な人に対して「きちんと運動していたのか」という非難に繋がりうる。

しかしわたしは、対処法や行動指針を紹介すること自体を否定するつもりはない。前エントリでも繰り返し「もし本当に被害者非難に加担したくないのであれば」こうすべきだった、と書いているように、わたしが問題としているのは情報提供の「語られ方」だ。どのようにわたしの文章を読めば「防犯の呼びかけは悪」だとか「情報提供の否定」と解釈することができるのか、とても不思議だと思う。

繰り返すが、わたしは被害を防ぐ呼びかけをするべきではないとは考えていない。被害者非難に繋がるというデメリットがあったとしても、そういった呼びかけによって人々の健康や安全が守られることのメリットは大きいからだ。前エントリでわたしが批判しているのは、谷川さんが対処法を紹介していることではなく、対処法を紹介することによるデメリットへの配慮がまったく不十分に見えることだ。性暴力の問題を取り上げるのであれば、性暴力被害者に対する被害者非難がとくに深刻であることや、防犯の呼びかけが女性の自由を奪っていることを考慮に入れずに、ただ「啓蒙」だけを呼びかけるようなことがあってはいけない。

6 Responses - “性暴力の問題における被害者非難(犠牲者非難)の一般性と特殊性”

  1. アンチスミス Says:

    気象予報士「今日は午後から雨の予報ですので、傘を持ってお出かけください」
    スミス「傘を持つのを呼びかけるのは傘を持たずに出かけて雨に振られた人への被害者非難です。
        あなたを許しません。」
    気象予報士「えっ」

    自治体「火の用心!」
    スミス「火の用心を呼びかけることは、放火された人への被害者非難です。あなたを許しません。」
    自治体「えっ」

    自動車メーカー「安全性の高い車の開発に成功しました!」
    スミス「安全性の高い車を作ることは、安全性の低い車に乗って事故死した人への
        被害者非難です。あなたを許しません。」
    自動車メーカー「えっ」

    平和活動家「不戦の誓い!」
    スミス「不戦の誓いは、戦争でなくなった方への被害者非難です。あなたを許しません」
    平和活動家「えっ」

    スミス「手を挙げて横断歩道を渡ろうよという呼び掛けは、手を挙げなくて横断歩道を歩いていて
        轢かれた人への被害者避難です。この標語を許してはいけません。」
    園児「えっ」

    スミス「お酒と煙草は二十歳からという呼び掛けは、未成年のうちに飲酒をして
       急性アルコール中毒になった人への被害者非難です」

  2. Says:

    >前エントリでわたしが批判しているのは、谷川さんが対処法を紹介していることではなく、対処法を紹介することによるデメリットへの配慮がまったく不十分に見えることだ。

    なるほど。
    「対処法を紹介する事のデメリットに充分配慮した、対処法の紹介」
    とは例えばどういうものか、例を挙げて欲しいです。

  3. cider Says:

    ……まるで、自分が被害に合うことなど想定外であるがごとく、真夜中の都心では女性がひとりで歩いている。もちろん、地域による差はあると思うが。最終的に、自分を守るのは自分である。……

    こう書いてしまった谷川さんが,こう書いた上でもし自分が傷害事件や空き巣にあってしまったら,と想像することができたなら。

  4. cider Says:

    気象予報士「今日は午後から雨の予報ですので、傘を持ってお出かけください」
    どこかのだれか「予報に従ってかさを持って出かける。当たり前すぎて失笑してしまった。〈こんなこともわからない〉人は雨にふられても自業自得である」
    スミス「それは傘を持たずに出かけて雨にふられた人への被害者非難です」

    自治体「火の用心!」
    どこかのだれか「火の用心。当たり前すぎて失笑してしまった。〈こんなこともわからない〉人は火災で全財産を失っても自業自得である」
    スミス「それは放火された人への被害者非難です」

    〈こんなこともわからない〉がたぶんポイント

  5. アンチスミス Says:

    谷川氏が
    「(こんなこともわからない)人は性犯罪に遭っても自業自得である」
    と言ったと捏造している人がいますが、
    そんなことは谷川氏は言っていませんね。

    当たり前の話ですが。

  6. ベロリンガ Says:

    リンク先の金明秀さんの記事、被害者非難を批判する記事にしっかりと被害者非難のコメントを残す人達、凄いね…

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