考えていたよりも事態は進行していた/反売買春系フェミ団体観察記録3

2008年1月27日 - 1:31 PM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

昨日「 反売買春系フェミニスト団体観察記録、パート2」を書いたばかりなのだけれど、そのあとドロップイン・センターに顔を出してみたところ、事態はわたしが思っていたより悪化していた。と同時に、その矛盾に満ちた状況から、米国の最貧困層を救済することの気の遠くなるような困難さを感じたので、連続になるけれども第三弾の報告をしたい。
わたしが思っていたより悪い事態というのは大きく分けて二つある。ひとつめは、この反売買春団体からさまざまな支援を受けているクライアントたちが、実は既存の公的支援の対象となっているのにことさらこの団体にーー女性弁護士一人の力にーー頼ろうとしていることだ。例えばある女性は食べ物がないというので弁護士が買い物に付き合って、しばらくの間食べていけるだけの食料を買い与えたのだが、実はこの女性はフードスタンプ(公的な食費支援)を受ける資格があるのに申し込んでいないだけだった。あるいは、長年ホームレスをしている人には(とくに麻薬を常用していたりすると)歯の多くを失っているような人が多くて、あるクライアントは弁護士に市内の歯科医に直接交渉してもらって無償で入れ歯を作って貰ったのだが、そのクライアントは実は貧困者向けの公的保険の適用を受けていて既に過去にかかった歯医者もいたことがあとから明らかになった。
なぜこんなことが起きるのか。それは、既存の貧困層支援の仕組みが、長時間寒い中屋外で行列を作らせ、口の聞き方から子どもの育て方まであれこれ指図し、お前はどうせ怠けて働こうとしないんだろうとか麻薬でもやってるんだろうと決めつけ、プライバシーのすみずみまで光をあて抜き打ちで生活水準や育児方法の検査に晒し、支援を必要としている人たちの知性と尊厳をことごとく破壊するような、こんな仕組みに頼るくらいならお腹を空かせ病に苦しむ方がマシだ、街頭か刑務所で野垂れ死んだ方がマシだと思わせるような、非人間的なものとしてクライアントたちに受け取られているからだ。だから彼女たちは、受給資格があっても既存の公的支援を受けようとはせず、自分たちを対等な人間として扱ってくれる弁護士に頼って来るのだ。
しかし反売買春団体の側にしてみれば、ただでさえ資金が足りないのに、どうして他から無償で受けられるような支援に自分たちがお金を出さなければいけないのかということになる。実際、昨夜ドロップイン・センターには弁護士の他にボランティアが2人いたのだけれど、かれらは公的保険の適用を受けていながらそれを使わずにこの団体に頼るクライアントにかなりの不満と不信感を感じているようだった。ボランティアスタッフのある男性は「彼女たちは電話一本かけるのを面倒くさがって頼ってくるんだ」みたいな言い方をしていたから、「あなたたちが限られたリソースをどう使うかはあなたたちに決める権利があるが、クライアントたちが既存のサービスを受けようとしないのにはかれらなりの理由があるはずだから、クライアントの道徳観の問題と捉えてはいけない」と言っておいたけれど、なんだか不安だ。
こうした問題に対処するため、この団体は今週から新しくインテイク・フォームという書類を導入した。これは新たなクライアントが来る度に記入してもらう書類で、公共機関や他の団体によって既に提供されている支援のうちどのサービスを受けられるかはじめから明らかにしようという試みだ。女性弁護士によれば、もし公的支援を受けられない人がいればこれまで通りできる限りの支援を提供するということだが、これで一つこの団体の魅力が無くなったことは確かだろう。
悪い事態のふたつめは、寄附された衣服や生活用品など身のまわりのものが無償で貰えるサービスの縮小だ。女性弁護士から聞いたところでは、先週何人かの女性がゴミ用の大きなビニール袋をいくつも持ち込んで、寄附されたものが保管されている倉庫から大量の服や生活用品を持ち去ったらしい。実はこの倉庫、寄附されたものとはいえ複数の団体が共同で管理しているもので、クライアントに与えたものはリストを作って記録に残したうえで、あとでその団体の責任で補充しなければいけないことになっている。つまりクライアントたちが持って行った大量の服や生活用品は彼女たちにとっては無償だけれども、団体にとってはかなりのコストになる。
なぜ彼女たちは恥も遠慮もなく、おそらく自分では持て余すほどのモノを大きなビニール袋いっぱいに入れて持ち去ったのか。それは彼女たちが、取れる時に取れるだけ取っておかないと、必要なものを必要なときに必要なだけ入手できない生活を長く続けてきたからに違いない。そうした行為は当然のことながら公共財の枯渇を招いてさらにいざというときに必需品が手に入らない状況を悪化させてしまうけれど、人間的な生活そのものが脅かされているときに彼女たちの公共的倫理のなさを責めるのは意味がない。しかしこの点でも、彼女たちの強欲さを責めるような発言がボランティアの人からあった。
女性弁護士は「あんなに大量のものを持っていっても、どうせ使わないうちになくしてしまうだろうに」と憤慨して、クライアントがスタッフの監視を受けずに倉庫に出入りすることを禁止してしまった。今後この倉庫から物をもらいたい人は、スタッフに付き添われたうえで、スタッフが認める量だけ持ち出せるということ。当たり前の対処と言えば当たり前なのだけれど、クライアントを監視対象として扱うのではなく、一人の人間として信頼して扱うというこの団体の美点は、ここでも失われた。
このようにしてこの団体特有の素晴らしさが失われていくのは、わたしは最初から予測していた。けれども、たった1ヶ月のうちにここまでそれが進んでしまうとは驚きだ。人間の顔を持たない政府の施策によって取り残された人たちを救済しようとしてはじまったこうした取り組みが、現実の困難と向き合う中でまたそうした官僚的な構造を再生産してしまうパターンは大して珍しくないだろうけれども、たまたまその激しい変化に居合わせたのはやはり貴重な経験なので、今後もしばらく寄り添って観察を続けてみたい。

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