「直線的程度の差としてイメージされている」伊田広行氏の「中間派」解釈

10/13/2007 - 2:48 pm | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

山口知美さん(わざと誤記)が「『ようやく名指し批判が!』と思ったらぬか喜び」で伊田広行さんの論文における山口さんへの批判(のようなもの)にコメントしてるけど、それに関連して。といっても伊田さんの文章はダラダラと締まりがなく唐突に話題がズレるなど論文としての体を成していないし、ちょっと長過ぎて全体を批評していられないので、山口さんが参照している伊田氏による「性における多数派と少数派」についてだけコメント。

以下は、山口ブログからの引用。

ついでに、この文章の最後にでてくる、「資料」ってのがまたすごい。
例えばこれ。

「身体の性」(生物学的、身体的区分) (セックス側面)

多数派:明確な男女どちらかの身体的特徴
中間派:一応女性/男性だが、身体の様子が典型的な女性/男性を基準とすると、少し外れている人
少数派:インターセックス(IS:半陰陽)   

すごく初耳な区分なんですけど。。。「明確な男女どちらかの身体的特徴」とか、「一応女性/男性だが」とかってなんなんだろう。多数派とか中間派とかなんとかの区分も謎。

わたしもこんな区分ははじめて見たけれども、この図には他にも、以下のような項目がある

「心の性」(ジェンダー側面)
多数派:「身体の性」と自分の性自認が一致、性に関わる言動が2文法にのっている
中間派:「身体の性」と自分の性自認が基本的には一致している(違和感はない)が、男/女という2分法枠を超えた「X」という性のように生きている人/生きたいと思う人、それを自覚している人
少数派:「広義のトランスジェンダー(TG)」(自己の「身体の性」と自分の性自認のあいだにズレや違和感をもつ人の総称)

「性的欲望に関わる性」(セクシュアリティ側面)
多数派:ネイティブ女性/男性の異性愛者(ヘテロセクシュアル)、モノガミー(ただしそれは建前で「浮気」「買春」容認あり)
中間派:異性愛が基本だが、基本的にそうでもない傾向も持っている人、TGで2分法明確の上でのヘテロ、さまざまな性的嗜好のうち少し例外的な人
少数派:同性愛者(ホモセクシュアル、ゲイ/レズビアン、FTMゲイ、MTFレズビアン)、バイセクシュアル、アセクシュアル、パンセクシュアル、ポリセクシュアル、さまざまな性的嗜好のうち少数派/例外的な人、ノンモノガミー、ポリガミー

「生き方における性」
多数派:家族単位的生き方、ステレオタイプの2分法ジェンダーを内面化した生き方(従来型の結婚、恋愛に無批判的)、性別分業を伴う法律婚(とくに片働き)のカップル、異性愛を当然・自然と思う異性愛主義
中間派:家族単位的に生きているが、部分的に、2分法ジェンダーを乗り越えるジェンダーフリー的言動をとっている生き方、2分法ジェンダー意識をもっているが、生活形式として独身、離婚、単親家庭、同棲など非標準になっている人
少数派:シングル単位的生き方、2分法ジェンダーを乗り越えるジェンダーフリー的言動を意識的に行なっている人、典型的な家族単位の生き方以外の多様な生き方(非婚、独身、離婚、単親家庭、同棲、非異性愛主義など)を意識的肯定的にとっている人

あんまりツッコミどころがありすぎてどこにツッコミ入れようか迷うのだけれど、この図の側には「『はじめて学ぶジェンダー論』p.43 を詳しくしたもの」という表記がある。そこで、同書も見てみたところ、43 ページに以下のような図があった。

image 4

これを見ると分かるように、2007年バージョンでは第四の側面として「生き方における性」が追加されているほか、「多数派」と「少数派」に追加して「中間派」が加えられている。

とりあえず個別の内容についてのツッコミはキリがなさそうなので我慢するとして、わたしが疑問に感じたのはこの「中間派」設定のいい加減さだ。多数派と少数派にぶった切る乱暴さも問題だけど、だからといってそこに「中間層」を付け加えれば良いというわけでもないように思うのだが。

いまどきこういう文脈で「多数派」「少数派」に収まらない第三項を入れるのであれば、二項対立が消去・疎外される対象を挙げるのが普通だと思う。例えば性的指向なら「バイセクシュアル」や「アセクシュアル/エイセクシュアル」、人種なら「ハーフ/ミックス」、性別なら「トランスセクシュアル/GID当事者」など。

バイセクシュアルの人はただ単に異性愛者の経験と同性愛者の経験を足して二で割ったような体験をするわけではなく、その意味でバイセクシュアルは異性愛者と同性愛者の「中間」ではない。また、白人と黒人の両親を持つ子どもは、典型的な白人と黒人の人生の「中間」を歩むわけではない。個別に具体例は挙げないけれども、そこには境界領域における特有の体験がある。

でも伊田氏の挙げる「中間派」は、ほとんどごく普通に多数派と少数派の中間といった意味合いだ。あまりに単純すぎる。そう思って先に挙げた図の前のページをみたら、こんな図が載っていた。

table 1

あのー、そりゃ確かに図の下に「性別二元論が前提になっている点、および単純な直線的程度の差として男女差がイメージされている点が問題ですが」って注が入っているけど、そう断れば済むような問題ですかこれは? もし本当に問題だと思っていたら、「女性100%」とか「男性100%」とか書かないだろうと思うし、そもそも「身体の性」が女性 8:男性 2 って一体どういう状態なのか想像もつかない。

わたしが伊田氏の「この図には問題がある」という認識がどこまで本気か怪しいと感じるのは、かれによる(多数派・少数派に対する)「中間派」の位置づけが、まさしくこの図の中間の「女性 5:男性 5」周辺のように「直線的程度の差としてイメージされている」ように見えるからだ。このような認識では、二項に収まりきらない境界領域にいる人たちのそれぞれ特有の経験を反映することはできないーーそれは、この図においてバイセクシュアルの人(男女どちらにも性的な魅力を感じることがある)とアセクシュアルの人(男女どちらにも性的には惹かれない)という、はっきりと違った傾向のある人たちの経験を区別できないことに象徴的だ。

これ以上深入りしたら、あまりにツッコミ入れたいところが多過ぎるので、今回はこれだけ。伊田さんの議論については、かれの中心的な思想であるところの「スピリチュアル・シングル論」を正しく解釈・評価したうえで批判するエントリを近いうち書く予定なので、本格的な話はそちらでやります。

【追記】

今みたら、斉藤さんも伊田論文取り上げている。
http://d.hatena.ne.jp/discour/20071014

批判的なエントリがこういう風に同時に出てしまうと、正当な言論とはいえなんだか集団で弱い者いじめしてるみたいな感じがしてイヤだな。わたしも斉藤さんも、別々に山口さんのエントリを見て「自分も何か書こう」と思っただけで、みんなで一斉に伊田さんを叩いてやろうと計画したことじゃないので、その点ご理解ください。>伊田さん

10 Responses - “「直線的程度の差としてイメージされている」伊田広行氏の「中間派」解釈”

  1. makiko Says:

    またまたネタ満載ですね〜おなかいっぱい(笑)

    念のため書いておきますと、「図1」の図は、伊田氏の発案ではなく、最近まで関西圏のトランスコミュニティで、比較的よく使われてきたものです。自治体講演なんかで必ず用いている人もいるようですが。元ネタは『クィアスタディーズ97』(七つ森書館)の三橋順子氏の論文の図表だったと思います。

    こういう議論に対しては、私は「それ自体性別二元論に依拠している」と、Kate Bornsteinが言っているのを見つける前から指摘していたのですが。

    それにしても伊田氏のいう「中間派」というのはよくわからないですね。たとえばバイセクシュアルの人やクロスドレッサーの人が異性愛中心主義や性別二元論(男性優位社会)から抑圧を受けると共に利益を受ける存在だから中間派だ、というのならそれなりに建設的な議論も可能だと思うのですが、そこまで深読みするのは親切すぎますか?w

    ところで、macskaさんの議論だと、「ボーンスタインの本は普通のフェミニストにとって都合がいい」そうだけど、今のところ伊田氏のレビューはありませんね。まあその辺の毒気は伊田氏も感じられているのかも・・・

  2. macska Says:

    makiko さん:

    またまたネタ満載ですね〜おなかいっぱい(笑)

    いや、ツッコミどころ多過ぎて困るんですよあの論文。わたし的には、伊田さんの「新自由主義」の解釈が甘過ぎるところ(男女共同参画やジェンダーフリーこそが新自由主義と対立すると考えていて、男女共同参画やジェンダーフリーと新自由主義の共軛関係を見ていない)とか、マジョリティとマイノリティという二分法自体が問題であるという一見もっともな言い方で自分自身のマジョリティ性を誤摩化すところとか、もっと重要な論点はいろいろあったんですが、深入りするとツッコミだけで延々と書くハメになってしまうので、山口さんが紹介していた部分だけにしておきました。

    念のため書いておきますと、「図1」の図は、伊田氏の発案ではなく、最近まで関西圏のトランスコミュニティで、比較的よく使われてきたものです。

    そうでしたか。というか、あれに似た図は米国でも見かけます。
    が、「女性 100%」とかいう表示は、なんなんだろうと。

    たとえばバイセクシュアルの人やクロスドレッサーの人が異性愛中心主義や性別二元論(男性優位社会)から抑圧を受けると共に利益を受ける存在だから中間派だ、というのならそれなりに建設的な議論も可能だと思うのですが、そこまで深読みするのは親切すぎますか?w

    えーとさ、例えばバイセクシュアルの人が異性愛中心主義から受ける利益や抑圧は、ヘテロセクシュアルの人が受ける利益やゲイやレズビアンの受ける抑圧とは質的に違うと思うのね。中間というと、双方を半分ずつ受け取るみたいな、「直線的程度の差」として解釈されてしまうと思うのです。

    ところで、macskaさんの議論だと、「ボーンスタインの本は普通のフェミニストにとって都合がいい」そうだけど

    「カーク艦長以外はみんなトランスジェンダー」みたいな議論は、伊田さんが再三言っていることとマッチするのではないかと思います。

  3. makiko Says:

    > (男女共同参画やジェンダーフリーこそが新自由主義と対立すると考えていて、男女共同参画やジェンダーフリーと新自由主義の共軛関係を見ていない)

    少なくとも行政サイドの「男女共同参画」の目論みは、もともと、女性という(安価な)労働力確保、ですよね? 
    自己決定権については、私も再三ネオリベラリズムとの共犯関係について指摘してきたけど、あの辺総ざらいする必要がありますね。

    > 例えばバイセクシュアルの人が異性愛中心主義から受ける利益や抑圧は、ヘテロセクシュアルの人が受ける利益やゲイやレズビアンの受ける抑圧とは質的に違うと思うのね。

    トランスの場合は、あくまでそれを二つの性別の間の越境という解釈をする限り、まだ直線的に解することは可能なんだろうけど、そんな単純な話でもないし、私自身感じるけど、完全パスのトランスセクシュアルの人が受ける抑圧と比較して、共有できる経験は少ないです。
    バイセクシュアルはどうなんかなー。ひびのさんに昔、似たようなこと聞いた覚えがあるけど。

  4. macska Says:

    makiko さん:

    少なくとも行政サイドの「男女共同参画」の目論みは、もともと、女性という(安価な)労働力確保、ですよね?

    いや、行政サイドといっても一枚岩じゃなくて、いろいろなんじゃないでしょうか。わたし自身、政府がドメスティックバイオレンスを口実に国家権力の拡張していることを批判したりしますが、実際にその周辺の行政に関わる人と話をしてみると、かれらがそういう目論みを持っているというわけではもちろんなくて、むしろみなさん真面目にドメスティックバイオレンスを止めたいと考えていろいろやった結果、そういう方向に向かっていると思います。わたしが言うのは、目論みがどうというのではなくて、そういう政治的帰結のことです。

    話を戻すと、伊田さんは北欧型の社民主義社会を支持しているんだと思いますけど、だからかれは「自分が推進する男女共同参画やジェンダーフリーは新自由主義ではない」と言いたいでしょう。それでもやはり、自由とか平等とか自己決定を追求すれば、おのずと新自由主義的なものを呼び寄せてしまうんじゃないかと思っています。そこでなんとか踏みとどまるためには、「自分の主張は新自由主義とは反対のものだ」というのではなくて、「自分の主張の延長上に新自由主義があること」をまず認識しなければいけないとわたしは思うわけです。

    私自身感じるけど、完全パスのトランスセクシュアルの人が受ける抑圧と比較して、共有できる経験は少ないです。

    ジュリア・セラーノの記述を、自分はパスできるんだぞという誇示として読んでしまった友人がいます。

  5. makiko Says:

    > 行政サイドといっても一枚岩じゃなくて、いろいろなんじゃないでしょうか。

    もちろん、私も自治体とかの担当者にリアルで会っていますから、こう単純化して書くのには気が引けるところは多々あるところ、それでもどこからか見えざる手が出てきて、みたいなところで書いているのですが・・
    労働力確保のほかには、最近顕著になってきたけど、少子化対策として男性も育児に参加しましょう、とか。
    合わせて、「国力増強」というのが見え隠れするわけですけど。

    自己決定権については、私もかつて提唱していた者として自戒をこめて書きますけど、当初は旧保守主義というか因習的な道徳観や、国家によるパターナリスティックな介入から逃れるために、新自由主義にあえて乗るという戦術だったはず。
    しかし、結果としてはマイノリティ内部でたまたま自己決定に有利な条件に恵まれた人だけを利することになり、格差を助長する結果となりつつあることを直視しないわけにはいかないと思います。
    今でも言われているのかもしれないけど、まず社会的・経済的に有利な立場にいるマイノリティが顕在化して、社会の中で認められれば、残りの人も生きやすくなるという「先富論」が一時期まことしやかに言われたけど、これは富裕層がより豊かになって投資が活発化すれば、貧困層も豊かになる、というネオリベのテーゼのアナロジーだけど、さすがに今では元ネタ同様その嘘は明白になりつつあるし・・

    ちなみに伊田氏には北欧社会民主主義より、もっと全体主義的なものを感じてしまいます。つまりネオリベ以前。

    > ジュリア・セラーノの記述を、自分はパスできるんだぞという誇示として読んでしまった友人

    私も感じました(笑)。
    というか、私は「あなたフェミニズムやるんだったら、やること(完全パスと手術と戸籍変更)やってからにしなさいよ」と、あるトランス当事者から暴言を吐かれたこともありますがw

  6. macska Says:

    makikoさん:

    ちなみに伊田氏には北欧社会民主主義より、もっと全体主義的なものを感じてしまいます。

    そのあたりは、わたしがスピリチュアルシングル主義のエントリで詳しくやります。最近のエントリの関連で言うと、公共性ではなく共同性を指向する政治が大きくなると全体主義になるわけで、本人が「自分はシングル主義・個人主義で、全体主義に反対」と言っていても、その根本のところで全体主義的なものがあるとわたしは思っています。スピリチュアルシングル論がどのように共同性の政治であるかは、のちのエントリで。

    というか、私は「あなたフェミニズムやるんだったら、やること(完全パスと手術と戸籍変更)やってからにしなさいよ」と、あるトランス当事者から暴言を吐かれたこともありますがw

    ひどすぎー。ていうか、男でフェミニズムやってる人だっているのに(まともなの滅多にいないけど、それは女性でもそんなに違わないとゆーか…)

  7. macska Says:

    あ、そうそう。
    ジュリア・セラーノのインタビューがポッドキャストになってますよん。
    http://www.sealpress.com/podcasts.php

  8. 三橋 順子 Says:

    >元ネタは『クィアスタディーズ97』(七つ森書館)の三橋順子氏の論文の図表だったと思います。

    違います。私はそんな図表は作ってません。
    私の過去の言説を批判するのはけっこうです。
    ただし、根拠のない言いがかりは止めてください。

  9. macska Says:

    三橋さま
     情報の訂正ありがとうございます。
     makiko さんのはいわゆる言いがかりではなく、単なる勘違い・記憶違いではないかと。

  10. makiko Says:

    正しくは伏見憲明『性のミステリー』(講談社現代新書,1997)p.56,158です。
    三橋様および読者各位に謹んでお詫び申し上げると共に訂正させていただきます。
    もっとも、伊田さんがこれを直接参考にされているかどうかは知る由がありません。

    なお、このようなものをウェブ上で見つけました。
    http://homepage3.nifty.com/jinken-k/kouza1.htm
    伊田さんはこの二人と、例の「大峰山」の時に一緒にされていますので、
    直接的にはこの方々の考えを参考にされていると思います。

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