「流産防止剤DESが理由で性同一性障害になった」説について

6/24/2004 - 8:45 am | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

某掲示板で、性同一性障害 (GID: gender identity disorder) の活動家の人について、彼がGIDになったのは「母親が妊娠中に流産防止剤を使用したのが原因」という話(未読だけど、本人が著書に書いているらしい)を聞く。「流産防止剤が理由でGIDになった」というのは米国でもよく聞く話なんだけど、日本でも広まっているのね。軽く検索してみてもたくさんヒットするし。調べてみたところ、70年代まで流産防止の目的で女性ホルモンの一種が広く使用されたのは日米同じで、米国では DES (diethylstilbestrol) が頻繁に使用されたのに対し、日本ではそれに加えて黄体ホルモンが多く使われたらしい。日本のGIDの人たちがどちらの影響を重視しているのか分からないけれど、「女性外性器の形成異常を起こすことが確認された」など書いている内容からは DES の被害を主張している様子なので、以下の記述は米国でさかんに研究されていてわたしの知識の多い DES について。

DES は1938年に開発されて以来70年代まで広く米国などで使われていた合成女性ホルモンの一種。皮肉にも流産予防に効果が無かったばかりか発癌性も確認されていて、現在では使用禁止されている。母親が妊娠中に DES を服用していた生物学的男性を「DES-Son」、生物学的女性を「DES-Daughter」と呼ぶことに決まっていて、性別をトランジションしてしまった DES-Son や DES-Daughter にはさぞ不満だろうと思うけど、便宜上そのまま使うこととする(ごめんなさい)。DES については実は研究がかなり蓄積されていて、例えば DES-Daughter についてはいくつかの癌や不妊症の比率を上げる事が既に証明されているし、女性器形成の異常(という言葉は好きじゃないけど)との関わりも報告されている。けれど、DES が GID を起こすということは、どの調査によっても報告されていないし、性役割や行動の面でも女性が男性化したり男性が女性化するという副作用は認められていない。それどころか、そういう副作用は確認されないという調査結果がいくつも発表されている。Center for Disease Control や National Institute of Health の DES についてのページを見ても、どこにも書かれていない。

そもそも、DES ってのは女性ホルモンなので、男性の女性化はともかく女性の男性化を起こすというのは一見不思議な主張でもある。もちろん、「過剰に」女性ホルモンを摂取すると体内で男性ホルモンに転換されるため、大量に DES を投与した動物実験では「オス化」「脱メス化」の傾向も確認されている。当然、人間でもそういう効果はないかとたくさんの研究者が調査したのだけれど、実際に人体に投与された程度の量で性自認や性役割などの「男性化」が起きるという結論は一度も出ていない。女性器形成異常にしても、男性化したという事ではなくて、ただ単に形成が不完全(またイヤな言葉使っちゃった)というだけ。詳しくは以下の研究を参照:

Bekker MH Heck GL Vingerhoets AJ (1996). “Gender-identity, body-experience, sexuality, and the wish for having children in DES-daughters.” Women’s Health. 24(2):65-82.

Ehrhardt AA et al. (1989). “The development of gender-related behavior in females following prenatal exposure to diethylstilbestrol (DES).” Hormone and Behavior. 23(4):526-41.

Lish JD et al. (1992). “Prenatal exposure to diethylstilbestrol (DES): childhood play behavior and adult gender-role behavior in women.” Archives of Sex Behavior. 21(5):423-41.

Newbold RR (1993). “Gender-related behavior in women exposed prenatally to diethylstilbestrol.” Environmental Health Prospect. 101(3):208-13.

結局、DES というのは広く使用されていたために、70年代以前に産まれた人が「自分は生まれつきどこかおかしいんじゃないか」と思ったときに、真っ先に「原因」として挙げることができる便利な要素だというコト。これはわたしだけの考えじゃなくて、DES-Son の当事者団体関係者から「わたしたちの会に参加している DES-Son の人のうちトランスセクシュアルの人は物凄く多いのに、研究結果として一切報告されないのはどうしてか?」という質問を受けたダートマウス大学の疫学研究者 Linda Titus-Ernstoff 氏も次のようにはっきり言っている

First of all, I think what I’d like to do is talk about why you are seeing something that’s very different from what we’ve seen. I think that we can start with the possibility that some of the people that are in the network do not have confirmed DES exposure. A very important strength of the NCI study is that every single person in that study has DES exposure confirmed by medical records. While medical records may not be infallible, that’s about as close to perfection as we can get.

Another extremely important difference between the NCI study and a framework such as a network, where people essentially volunteer or self-identify themselves to participate, is that the NCI study is based on people who are identified through a more objective or neutral process. These are people who were identified not because they had a problem or were concerned about a problem, but because their medical records indicated that they were exposed or they weren’t exposed to DES. So there’s very little possibility that bias affects the results of the NCI study, simply because we invited people to participate regardless of whether they had a concern about a DES condition.

It’s possible that what you’re seeing, and I would suggest that this is exactly what’s happening, is that the network members represent the small proportion of those who were exposed to DES and also have a health problem. But it doesn’t necessarily mean that the health problem is related to DES.

I think that these networks and registries are extremely important in terms of reaching people who have problems or concerns. But it is very difficult to derive valid or reliable scientific conclusions based on people who belong to a registry or a network.

長めの英文引用になってしまったので簡単にまとめると、DES-Son の当事者団体にたくさんトランスセクシュアルの人がいるのにさまざまな研究によって DES と GID の関係が確認されない理由として、Titus-Ernstoff は、

・そもそもそれらの人たちが本当に DES の影響を受けているのか確認されていない。研究者が疫学調査する際は、母親による DES 服用が事実と確認された人しか対象に含めない。

・疫学研究は、医療記録によって母親が DES を服用していたと人たち全般を対象に中立的なサンプリングを実施している。何らかの自覚症状があるか、DES 被曝について気にしている人だけを調べているわけではない。

・当事者団体に集まる人たちは DES に晒された人たちの代表的なサンプルではなく、DES による健康被害を感じているか気に掛けている人が多く集まった偏ったサンプルである。だからといって、彼らが感じている健康被害が DES によって起こされたと決まるわけではない。

という理由をあげている。それでも「自分が GID なのは DES の影響だ」と主張する人が後を絶たないのは、自分の GID に何らかの理由があって欲しいという当事者の心理的要請なのかもしれない。昨年 Washington Post 紙に載った記事では DES-Son 系の団体の代表者でもある人が、男性から女性へトランジションする理由として DES の影響をあげていたのだけれど、発言内容が支離滅裂。12歳の時に一度だけ月経を経験したと言ったり(そんなアホな)、自分が女性化している証拠に自分には vestigial uterus という器官があると言ったり(vestigial uterus というのは、その人が女性であれば uterus になる部分の痕跡であって、生物学的男性なら誰でもある)。そういう無茶苦茶な事を言う人が「DES によって GID が起きる事がある」と主張しているわけだけど、まともな調査によって裏付けられた事は一度もないのね。

そもそも、DES の影響がそんなに強いのであれば、あれだけ広く使用された薬なんだからもっとたくさん GID の人がいるはずだし、各国で DES の使用が禁止された70年代以降 GID の数が激減してなくちゃおかしい。この記事を書くにあたっていろいろ検索してみたけれど、「自分は DES の影響で GID になった」と書いている人はいても、その根拠となるような研究や論文を挙げているのは皆無だった。全然データに裏付けられていないことを、まるで事実であるかのように宣伝する人たちが世の中にはいるってこと。もっともらしい説をきいたからといって信じ込まないように(わたしの発言内用も、そのまま信じ込まないでちゃんと自分で事実を確認してね)。

んー、なんだか一部の人に怒られそうだなぁ…
もし、DES と GID を関連づけたデータを示した論文があれば、是非教えてくださいね。上の記述が間違いだと分かればちゃんと訂正するから。

3 Responses - “「流産防止剤DESが理由で性同一性障害になった」説について”

  1. Luigi Says:

    「ワシントン タイムス」は超保守(トンデモ保守?)の新聞で、性科学関係の記事はあてにできないような…。

  2. Macska Says:

    はい、普段なら Washington Times を引用する際はちゃんと「統一協会の文鮮明教祖が支配するトンデモ保守の新聞」とはっきり書くのですが(笑)、今回に限っては記事の内容からして明らかにトンデモなのでわざわざ説明する必要はないかと。記事本文を読みたければ、Washington Times のアーカイブでは見つからなかったのですが、Seattle Times(これはマトモな新聞)に転載されたモノが残っているのでどうぞ。

  3. morisita azami Says:

    7/22に杏野先生の掲示板に載せた投稿ですけど,こちらにも関係するので少し修正して載せます。

    DESは合成のエストロゲンです。強力な上に,他の性ホルモンや副腎皮質ホルモンなどがステロイド骨格を持つのに,これはステロイド骨格を持ちません。つまり,普通の性ホルモンの代謝を受けないのです。ステロイド骨格は,一般に六角形が3個,五角形が1個ついて,きちんとした立体構造です。ところがDESは六角形2個の間は線状の炭素結合でつながっています。合成が簡単で安価で,ステロイドと比べると柔らかい構造でしょう。
    更にDESは血中のSHBG(性ホルモン結合グロブリン)に結合しません。つまり,自由に胎児に入ります。ふつうの内因性エストロゲンでは95%がSHBGと結合して,結合物は不活性で,胎児の循環には行けません。
     
    マウス・ラットでは確立した概念だけど,アロマターゼ仮説と言うのがあります。胎生期に精巣から分泌されたアンドロゲンが,アロマターゼ(芳香化酵素)によって,エストラジオールに変換されてから脳の性分化が起こると言う物です。この時期,母親のエストロゲンは臨界期のみに特別にSHBGが増える為に胎児に影響を与えないそうです。
    しかし,アカゲザルや人間では,アロマターゼ仮説の機構は完全には働いていないようで,アンドロゲンそのままの形で脳の性分化が起こるかもしれないと言われています。
    DESによる男性化はこの機序でエストラジオールの代わりに胎内に入る(動物では確認済み)のか,DESが直接アンドロゲン受容体やその他のステロイド受容体に作用するのかよく判りません。
     
    DESは,1940年代から1970年代初頭にかけて,米国,カナダ,ヨーロッパ諸国などで,習慣性流産,切迫流産の治療,流産防止などを目的として広く使用され,DES投与を受けた妊婦は米国だけでも500-1,000万人にのぼると推定されています。(50-200万人という数字もあります)。
     
    興味深いのは投与された母親にはあまり影響がないのに,妊娠中にDESの投与を受けた母親から生まれてきた生まれてきた女児の膣の構造異常,子宮頚部・体部の異常,卵管の異常が報告されたのです。さらに,この女児が成人になると,流産,子宮外妊娠,早産率が高いのです。(これは卵管・子宮の構造異常で説明されます)。
    更に驚いたことに,この女性たちが若年で子宮頚部の透明細胞癌などの悪性腫瘍の報告があいついだのです。
    とりわけ若年者で本来きわめてまれな腟・頚部腺癌の発生リスクは,DES体内曝露女児では一般人口に比べて40倍にも増加することが明らかとなっています。前がん病変かもしれない膣上皮の変化も報告されています。
     
    男児では停溜精巣,尿道下裂,精液・精子量減少,男性仮性半陰陽,精巣発育不全,精巣上体嚢胞などさまざまな異常の増加が確認されています。
     
    DESの作用機転の1つとして,細胞質ー核内のエストロゲン受容体(ER)への結合が考えられるけど,これは核内にある分子でDNAの転写因子です。これをいじくればどこかのDNAの発現が始まるので,発癌の引き金を引くのかもしれない。
    たぶん,母に投与して,子どもの出生時に異常が見つかり,更に大人になって新たな薬害が発症した,このような超長期効果は,サリドマイドと並んで最悪の薬害でしょう。
     
    核内のステロイド受容体は,一つの先祖遺伝子から分化,多様化した,スーパージーンファミリーです。ざっと,エストロゲン,ステロイドホルモン(糖質コルチコイド,電解質コルチコイド,プロゲステロン,アンドロゲン),甲状腺ホルモンT3,ビタミンD3(エイコサノイド),全トランス-レチノイン酸(ビタミンA),9-cis-レチノイン酸,ロイコトリエンB4,プロスタグランジンJ2,コレステロール代謝体の受容体などがあります。
    これらに加え,リガンド(受容体に結合する分子)未知のオーファン受容体がたくさんあります。
    更に内分泌撹乱物質の作用点として,他にダイオキシン受容体(AhR=アリール炭化水素受容体)があるけど,これはリガンドとの特異性が低いので,数多くの低分子脂溶性生理活性物質(DESを含む)と反応してしまいます。
     
    DESの作用点は完全に解明されたと言えないけど,DES体内曝露女児の腟・頚部腺癌は児が思春期を迎える時期まで顕在化しなかったように,DES曝露による健康被害の多くは遅発性であり,その機構の解明,DES薬害の理解に長い年月を要するでしょう。
     
    日本ではリン酸DESがあって,適応は前立腺癌だけです。
    「少量で間脳・下垂体・精巣系のゴナドトロピンを抑制し,抗アンドロゲン作用を発揮し,大量では5α-還元酵素阻害により抗癌作用を発揮する。」(変な文章だけど,添付文書の説明はそうだった。
     
    実験動物では,天然エストロゲンやDESの投与によって癌または前癌病変が引き起こされることは,すでに1930年代から繰り返し報告されており,一部の研究者はこの事実が示す実際的な意義に注目していました。
    例えば高杉らは,エストロゲンを出生直後のマウスに短期間投与すると,のちに腟に癌性の病変が見られることを明らかにし,「出生直後(あるいは胎児期)のホルモン環境の異常を軽視すべきではない。それが後世に異常な腫瘍性変化をもたらす可能性があるから」との警告を発していました)。しかし,このような警告が医薬品開発と医療の場で生かされることはありませんでした。
      
    Titus-Ernstoff自身の下記の論文と杏野先生の掲示板のあなたのコメントを引用させて貰うと下記です。
    679>Titus-Ernstoff L et al. (2003);Psychosexual characteristics of men and women exposed prenatally to diethylstilbestrol.; Epidemiology. 14(2): 155-60.
    最後に挙げたものは、ダートマウス大学の Linda Titus-Ernstoff 氏が中心となって行った最大規模 (N = 8370)の DES 研究で、昨年出版されたものですが、これでは DES 暴露と psychosexual development との関係はほとんど認められない、と結論付けられています。もし「25%が同性愛もしくは両性愛」というのが事実だとすると Titus-Ernstoff et al. の研究でその点が浮かび上がらないわけがないので、やはり Ehrhardt et al. (1985) は間違いだと思います。
     
    :もちろん後ろ向き研究と,前向き(コホート)研究では,前向き研究の方が統計的に優れています。でもこれは頻度がある程度多い疾患の場合です。GIDの発生頻度は,MTFでオランダの例で11,900人に1人,FTMでは30,400人に1人と言われています。Titus-Ernstoff の8370人の内わけは2684人の男性に,5686人の女性です。(非暴露群を含む人数)。だからGIDと関係があるかと言うのには明らかに不充分と思います。
    確かに海外のGID当事者で,DSMの子どもだと主張するのをよく見かけました。このような,頻度の少ない副作用の研究には後ろ向き研究(の方が向いているかもしれない?
     
    Linda Titus-Ernstoff は,同性愛,異性愛に関しては,質問紙法によって調べたみたいです。性的パートナーが,異性だけ,主に異性,主に同性,同性だけ,性的接触なし。結婚状態,結婚歴なし,既婚,寡婦,離婚/別居。初体験の年令。性的パートナーの数。利き腕。などを訊いています。
     
    データは立派なんだけど,質問項目が簡単なように思います。きちんとした専門家による時間をかけたインタビューをしなかったでないのかな?
     
    この論文では,DES非暴露群女性1740人中の女性同性愛者(主に同性,同性とだけ)は16(1)と6(1)人(%)で,DES暴露群3946人中では30(1)人と16(1)人です。
    DES非暴露男性1342人中の男性同性愛は9(1)人と8(1)人,暴露群1342人では9(1)人と11(1)人です。
    同性愛の頻度は,かなり報告によってバラバラだけど,おそらくダイアモンドのまとめた5%前後とすると,この数字は少ないです。とにかく非暴露群でせめて数%と有意の実数でないと,暴露群に増減がない事を説得するのが困難だと思います。
     
    ですから,この研究を含めNIHの最大のコホートを使っても,GIDの発症とDES暴露の関連を証明するのは難しいでしょう。
    性指向の方は本来なら,この程度のコホートできちんと証明が出来そうだけど,質問の仕方が不充分なのか両群で同性愛者数が少なくて結果の信頼度が疑われます。

    あなたの引用したLinda Titus-Ernstoffのインタビューは少し,政治の匂いがします。サリドマイドの時も,いろいろな薬害や,アスベストなどの環境汚染でも,過去に暴露をキチンと証明するのは困難ですから。最初や最後に当局から幕引きのような形で,有意の差はありませんでしたという,主張がなされました。

    >「自分は DES の影響で GID になった」と書いている人はいても、その根拠となるような研究や論文を挙げているのは皆無だった。
    :動物実験で性器の異常や,性行動(性指向?)の異常を起こすような実験系を組むのは簡単に出来ます。でも,性自認がどうなっているかを測る事は不可能だから,そもそもGIDの動物モデルはありません。
    人間の研究は,上述のGID発症頻度の低さに阻まれて,ふつうの方法では検出できないでしょう。
    GIDの人を沢山登録して,その中でDES暴露の有無や切迫流産の有無を訊いて,対照群と比較するみたいな方法があるかもしれないけど,これも統計技術論的問題が生じそうです。

    >そもそも、DES の影響がそんなに強いのであれば、あれだけ広く使用された薬なんだからもっとたくさん GID の人がいるはずだし、各国で DES の使用が禁止された70年代以降 GID の数が激減してなくちゃおかしい。
    :こんな事は最初からムリです。動物実験でも臨界期にDESを投与しないといけない訳で,人間の場合もそうでしょう。全GIDに影響を与えるようなものでないでしょう。DES被害者の中におけるGIDだって,凄く少ないからNIHの集計にうまく引っ掛からないのだと思います。

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