LGBT映画祭での「フェミニズムによる反トランス映画」上映計画、中止

2007年5月22日 - 9:56 PM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

「重度障害児に対する『成長停止』をめぐるワシントン大学シンポジウム報告」の続きをお待ちのみなさま、すみませんがまだ時間がかかりそうなので別の話題。サンフランシスコで来月催される Frameline というLGBT映画祭において、反トランス的とされる映画の上映が計画され、それが全国のセクシュアルマイノリティ・コミュニティからの猛烈な批判を受けて撤回されたという話。
問題とされたのはレズビアンの脚本家・映画監督 Catherine Crouch が作った「The Gendercator」という20分の近未来SF映画。舞台となるのは2048年の米国、ゲイやレズビアンを敵視するキリスト教原理主義に席巻された米国では、フェミニズムは完全に失墜しており、厳格な性別二元制と性役割規範の遵守が国家によって強制されている。ただし自分が属する性別の選択は本人の自由に任されており、医学の進歩によって完全に身体的な性別を変更することが可能になっている。フェミニズムがさかんだった1973年以来の昏睡から目覚めた主人公は、政府に与えられた女性的な髪型とミニスカートを拒絶しアンドロジナスに生きようとするが、その選択は彼女には許されてはいなかった。
こうしたプロットの背景にあるのは、性同一性障害・トランスセクシュアリティは男女二元制への過剰適応であり反動的であるという一部のフェミニストによる批判だ。かれらの考えでは、トランスの人たちは「不自由なジェンダー規範や強制異性愛社会に抵抗するのではなく、自分の身体を変えることでジェンダー規範におさまろうとする裏切り者」とみなされる。そこまで同性愛や性役割規範逸脱を弾圧するキリスト教原理主義政権が性別変更だけは認めるだとか、フェミニズムやゲイの運動が完全に敗北した社会においてトランスだけは容認されるとか、プロット自体どう考えても不自然だが、そこには性同一性障害の人やトランスセクシュアルの人たちを「フェミニズムと敵対する勢力、キリスト教原理主義の仲間」と見なす一部フェミニストらの敵意が見られる。
もっとも、これだけならまだ「トランス批判ではなく、医療批判だ」と言えないこともなかったのだけれど、監督自身による映画についてのコメントにこう書いてある。

このところ女性にとっては非常におかしな世の中になってきた。これまで以上に若い異性愛者の女性は整形手術によってポルノグラフィに出てきそうなバービー人形の体型になり、レズビアンは身体を改造してトランス男性(FTM)になっている。わたしたちの社会のおかしな文化的標準は、女性に社会を変革するために行動するよりも医療技術によって自分たちを変えることを強要している。この映画は、あるかもしれない一つの未来である。この映画によって女性の身体改造や医療倫理についての議論が広まることを望んでやまない。

つまり、彼女はFTMを「間違った文化的標準に騙されてフェミニズムを見捨てた愚かな女性」と決めつけており、またFTMの中にもフェミニストとして社会を変革するための活動を続ける人が多数存在することを無視している。トランスジェンダーの人たちが、特にFTMの人たちがこの映画に不審感を抱くのはもっともだ。しかも、「議論が広まることを望む」と言っておきながら当の監督自身はトランスジェンダーの人たちとの議論を避けている。そうした映画を望む人たちがゲイ&レズビアンの一部に存在することは事実だが、LGBTコミュニティ全体のために開かれる映画祭で上映すべき映画であるとは思えない。また、逆にトランスジェンダーの監督がゲイやレズビアンをバッシングした映画を作ったとして、その映画が対等に上映される可能性はほとんどないと言っていい。
この映画がLGBT映画祭で上映される計画が判明すると、すぐに批判の署名がはじまった。そしてあっという間に映画祭主催者は批判に折れ、この映画は映画祭の趣旨に合わないとして計画は中止された。結論から言えば、確かにこの映画はーーわたしは観ていないのできちんと判断できないが、監督自身によるコメントから推測するにーーおそらくLGBT映画祭にはふさわしくない映画なのではないかと思う。しかしそれ以上に、そういう映画の上映をそもそも計画し、そして反対運動が起きるとすぐに中止してしまうという、主催者のいい加減さはどうにかして欲しい。
まぁ、監督にすればこれで話題になってたくさんの人に興味を持たれただろうし、このように日本の読者にまで名前を知られるようになるわけで、上映中止で彼女が特に損をしたとは思わないけど(話題になったおかげで、別のところで上映の機会もできるだろうし)、それは結果論。主催者のやったことは、監督にもトランスジェンダーの映画ファンにも失礼だと思う。てゆーか、わたしは実はちょうど映画祭の時期にサンフランシスコ・ベイエリアに用事があるので、ついでにそのアンチ・トランス映画とやらを観てやろうかと思っていたのだけど、中止されてしまっては観れないや。
あとこれは特筆しておきたいのだけれど、今回の件では、著名な活動家でサンフランシスコ市議会に立候補したこともある Robert Haaland 氏による抗議活動のコーディネーションがとても良かった。署名サイトを作ってメールで呼びかけを回すというだけなんだけれど、そのメールの中で「上映の中止を求めることは検閲になるのでは?」「LGBTコミュニティの一部にはこうした映画を観たい人もいるのでは?」「こんなバカみたいな映画、放っておけば良いのでは?」といった質問を想定して丁寧に答えており、その内容も大筋において説得力のあるものだと感じた。最近、世間の動きからは取り残されることが多い活動家業界でもネットの利用が一般化してバカでもメールを使うようになったためか、自分たちの言いたいことだけぶちまけるような内容の文書をメールでまわしてきて署名を求めるバカ運動体が結構多いので(某秘密主義(以下略))、このあたりはさすが労働組合などの現場で経験を積んできた活動家だなぁと思った。
最後におまけ。この映画に見られるような「フェミニズム内部の反トランス主義」の主張をもっと知りたい方は、古くは Janice Raymond の「The Transsexual Empire: The Making of a She-Male」があり、より最近では(あんまり中身は新しくないけど)Shiela Jeffreys の「Unpacking Queer Politics: A Lesbian Feminist Perspective」があるけど、わざわざお金を出してまで読みたくない人は Questioning Transgender を参照。ただし、それらを読んだあとは、必ず Patrick Califia 著「セックス・チェンジズ トランスジェンダーの政治学」あたりで解毒すること。あと、Raymond の議論をきちんと文脈で理解するには、彼女の「Women as Wombs: Reproductive Technology and the Battle over Women’s Freedom」も一緒に読まないと駄目かなぁ。

9 Responses - “LGBT映画祭での「フェミニズムによる反トランス映画」上映計画、中止”

  1. ひびの まこと Says:

    いつも面白いネタ情報をありがとうございます!
    映画は上映して、そして監督も出てきて、現場で激論になればよかったのに。もちろんその場で映画祭主催者Framelineも映画を選んだ責任を追及される、ということで。
    私自身がそこにいたら、映画を見た上での話だけど、おそらく確実に、監督と映画祭主催者Framelineを批判する側に廻ると思う。だけど、実際に「反トランス」なLGBは少なからずいるわけだから、上映する事自体はあり得ない選択ではない、とは思います。Framelineも、「この映画はこういう点で問題があると考えるが、それを議論するために敢えて上映する」とか言えばいいのに。
    Framelineのサイトを見てみたんですが、既に「The Gendercator」は上映リストにないですね。何の釈明もなく、いったん上映を決めた作品をとり止めるだけだったら、最低ですね。私の探し方が悪い可能性もあるのですが、Framelineが上映を取りやめたことを説明しているページとか、探したんだけど見つかりませんでした。どこ?ホントにないのかしら。

  2. macska Says:

    ひびのさん、おひさしぶりです。
     「議論をするためにあえて上映」というのは一般論としてはアリだと思うんですが、「コミュニティの中で、特定の一集団だけ議論の対象とされる」ことの不公平さを考えると、このイベントにはふさわしくないように思います。やるならLGBTイベントではなくトランス系イベントの中でやるのがいいと思うんですけどね(でも、そうしたら監督は絶対出て来ないでしょうね)。まあ、もともと上映を計画しなかったならともかく、いったん上映を計画しながら中止するよりは、自分たちへの批判も受け入れる覚悟で「あえて上映」という選択肢はあったかな。
     以下は、Frameline の声明です。もうなんか、逃げ姿勢&アリバイ作りばかり。

    FRAMELINE REACHES DECISION REGARDING
    THE FILM THE GENDERCATOR
    May 22, 2007
    After considerable dialogue with members of the transgender community and after careful consideration of the issues raised by Catherine Crouch’s film The Gendercator, Frameline has decided not to screen The Gendercator in Frameline31. Given the nature of the film, the director’s comments, and the strong community reaction to both, it is clear that this film cannot be used to create a positive and meaningful dialogue within our festival. We are grateful to the many Frameline members, filmmakers and Transgender community leaders who brought this issue to our attention and assisted Frameline’s senior staff in making this important decision.
    We are deeply committed to promoting the work of transgender filmmakers and films about transgender issues. Frameline Distribution distributes over twenty transgender themed films and over one third of our free monthly Frameline at the Center screenings have been transgender themed. Through the Frameline Completion Fund, we have given funding to the following films: The Brandon Teena Story, Southern Comfort, A Boy Named Sue, By Hook Or By Crook, Screaming Queens: The Riot At Compton’s Cafeteria, Red Without Blue, The Believers, Cruel & Unusual, F. Scott Fitzgerald Slept Here, and Maggots And Men.
    “Frameline has partnered with Female-to-Male International in jointly sponsoring screenings of transgender films for our community and the public. We have enjoyed our association with Frameline and welcome their timely and community-minded response to the concern we expressed on this issue,” stated Rabbi Levi Alter, President of FTM International. “We look forward to continuing our partnership with Frameline to present films of interest by, for and about the transgender community.”
    Frameline’s Board of Directors and staff are proud of our work with and on behalf of our Transgender community members. Going forward, we will continue working with the community to further our own education and encourage more discussion and understanding within the filmmaking community as a whole. Again, we thank all of our community members for respectfully expressing their concerns and we look forward to sharing our ideas and expanding our partnerships.
    Michael Lumpkin
    Artistic Director
    Frameline

  3. macska Says:

    記事が出てました。
    Frameline yanks film
    The Bay Area Reporter
    May 24, 2007
    http://www.ebar.com/news/article.php?sec=news&article=1840

  4. FTM� Says:

    はじめまして。
    この記事を自分のブログに引用したいのですが、トラックバックの仕組み(礼儀作法)がよくわからないので、このコメントで引用させてもらうことをご報告させていただくことにしました。
    自分のブログ記事には、↓
    http://macska.org/article/187/trackback/を書いておきます。
    あ、私のブログURLは、http://blog.goo.ne.jp/kosekihenkou/です。
    何か問題がありましたら、すぐに記事を消去しますので、申し訳ありませんが、その場合はご一報ください。

  5. makiko Says:

    私も未見なのでなんともいえませんが、macskaさんの紹介の前半だけをみると、日本の現状をデフォルメしたものそのものかと(笑)。
    日本の政権与党も、性別規範を遵守した者への戸籍上の性別変更だけは認めたわけですし。
    日本の場合も、ジェンダーフリーが受け入れられていた頃はフェミニズムとトランスジェンダーがなまぬるく連携することはあったわけですが、
    トランスジェンダーがフェミニズムから独立してきた今日、こういう論争はいつ起きてもおかしくないと思うのですが、いかがでしょうか?。
    その時、トランス側が依拠するのは、やはり障害者だからという論理なのでしょうか。
    なお、レイモンドについてはThe Transsexual Enpire本文より、1993年序文のLeslie Feiberg批判が、まさに女を捨てて男になったFTMみたいなことを言っていますね。

  6. macska Says:

    makiko さんがそう言うんじゃないかと、書いている最中から思っていました。

    トランスジェンダーがフェミニズムから独立してきた今日、こういう論争はいつ起きてもおかしくないと思うのですが、いかがでしょうか?。

    いやー、なかなかないでしょう。れ組スタジオ東京が出している『れ組通信』に何年も前ちょっとだけそれっぽい記事が載っていたのを見かけたことはあるんですが…
    あ、でも、わざわざトランスの側から喧嘩を売っていって、それに対する反発が起きるということはあるかもしれない。性役割とジェンダー巻(寿司か何かの一種だと思う)の区別がつかないどこかの方あたりが…

  7. HAKASE Says:

    おひさしぶりです。読ませていただいて、10年近く昔の状況をふと思い出してしまいました。
    その頃は、同性愛者とトランスの方たちとの間で「自分たちはあんなのとは違う」って感じで互いに言いあってるような状況が今よりもかなりあって、ゲイ雑誌とかに、そういうのは建設的じゃないし止めようよって感じの記事が載ってたりしました(具体的な内容までは覚えてないんだけど、自分も高校生ぐらいのときにはそう思った時期もあって、その種の記事を読んで反省した記憶があります)。その頃は「お互いの違い(同性が好きとか異性でありたいとか)をお互いに尊重しあおうよ」って雰囲気が結構出てきてて、それに共感したりしてました。
    で、ご紹介の映画、中身みてないし監督さんの意向とも違うとは思うけんだど、紹介されたプロットを読んで「過去の対立で一方が勝っちゃった状況」を想定しているようにも感じました。最終的に「違いを尊重しあおうよ」って結論にいくようなストーリーだったらちょっと見てみたいかも・・・。

  8. makiko Says:

    > ジェンダー巻寿司
    英訳してぐぐってはじめてわかりますた(^^;)
    日本では「性同一性障害」概念がなんだかんだいって優れた緩衝材の役割を果たしているのは確かですね。
    反面、医療べったりの人は叩かれないのに、医療から距離を置く人間が「男性の特権」云々と言われたりするねじれも起きていますが(苦笑)。
    日本の「性同一性障害」の運動も、当時のレズビアンの運動とは全く無縁ではなかったわけですから、そちらからのバッシングを回避するという意味で医療モデルを選択したのは、もともと意図されたものだったのかもしれませんが。
    それから、便宜的にこのスレにつけさせて頂きますが、
    以前Anno Job Logさんのところで、私が「医療の手を借りて、性別二元論を前提に性別を『越境』する存在という点では、アメリカの『トランスジェンダー』も日本の『性同一性障害』も変わりないのではないか」と指摘したところ、杏野さんが日本の『性同一性障害』の現状を肯定する意味で、アメリカの『トランスジェンダー』は日本の『性同一性障害』だ」とおっしゃっていて、macskaさんがそれをMilton Diamond氏に話したところ、非常に興味を示された、という話がありましたが、Diamond氏とのやりとりをもう少し詳しく教えていただけないでしょうか? あちこちで話されているDSDの議論とも大いに関連してくると思いますので。
    (できれば新たにスレを立てて頂いた方がよいと思います)

  9. macska Says:

    makikoさん:

    > ジェンダー巻寿司
    英訳してぐぐってはじめてわかりますた(^^;)

    あはは。
    あれって、一度や二度書き誤ったという感じじゃないですよね。

    Diamond氏とのやりとりをもう少し詳しく教えていただけないでしょうか?

    えー、あのとき、会議で朝から夕方まで3日間いっしょにいたので、たまたま話題に上がっただけでして… 特にこの話を詳しく話したわけじゃないです。ていうか、たしかに興味は示してましたが、「非常に」興味を示されたというほどじゃなかったような。

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