3年前の『トランスジェンダリズム宣言』への感想ノートを公開

10/16/2006 - 11:23 am | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

今回掲載するのは、3年前に米沢泉美ほか編著『トランスジェンダリズム宣言』を読んで某メーリングリストに送った感想。同じメーリングリストに参加していた執筆者の一人によって他の執筆者にも転送してもらい、いくつか反応もいただいた。かなり前の本だとはいえ、これからこの本を読む人のためのガイドにもなるんじゃないかと思ったのでごく一部だけ修正して掲載します。

というか、本来なら著者の田中玲さんからいただいた『トランスジェンダー・フェミニズム』の方の感想を早く書くべきなんだけど、いい加減に扱いたくないテーマだし、最近忙しく新しい記事を書くヒマがないので、ここを頻繁にチェックしてくださっている読者が離れて行かないように過去の文章を使い回してコンテンツにしておこうかと。内容は古くなっている可能性もあるのでご注意を。なお、書評というよりまさに「感想ノート」の状態なので、本書を読んでいない人には訳が分からないと思います。

では、以下本文。

***

某氏に送っていただいた米沢泉美編「トランスジェンダリズム宣言」ざっと読みました。米沢さんというと、ずっと前にどこかでインターセックスについてヘンな事を言っているのを見かけたのでメールしたのですが、いきなり「どこの誰とも分からない相手に返事する必要はない、何か言いたい事があるなら公の場で言え」みたいに言われて何だそりゃって驚いたんですが(笑)、どうやら芸風らしいです。別にいいけど。

で、以下はざっと読んでの感想というかメモみたいなモノです。まとまった書評みたいなんじゃありません。あんまり関心の無かったところや、特に感想がない所は飛ばしてます。

【トランスジェンダー概論】

GIDとトランスジェンダーは同一ではない、としたのは良いです。同性愛との区別みたいな基本的な話も含め、あまりトランスジェンダーについて知らない人への入門としては丁寧。

p18「ジェンダーアイデンティティ」の説明に注目。もともとアイデンティティという言葉すら日本語としてはごく最近に受け入れられた外来語なのに、ジェンダーアイデンティティなんてよく分からない概念をどう説明するのかと思ったら、案の定くどいほどに「これではない、あれでもない」と類似観念を否定した挙げ句「有史以来、古今東西の別なく、人類の中には『自分が男性なのか女性なのか』について不断に違和・不安を覚える人が、少数ながらも確実に存在してきたのである」ってなっていた。

確かに、アイデンティティという概念が存在しない日本でジェンダーアイデンティティについて説明するには、とにかくそういう人がいるんだとしか言い様がない、それは良いとして、この言明は本当なんでしょうか? 現代的な基準から見てジェンダーをトランスした人ならいくらでもいただろうけど、そういう人たちなみんな違和・不安を覚えたの?

p22「第三の性別」の例として「ネイティヴアメリカンのベルダーシュはまさに『肉体的性別と異なるジェンダー表現を行なう者』という階層である」は不適切。ベルダーシュという用語そのもののまずさは別に述べるとして、これではまるで侵略者側の視点からネイティヴの文化を描写していることになる。そもそもネイティヴアメリカンの文化は1つではなく、それぞれの部族によってジェンダー制度も違うが、少なくとも彼らの文化では「肉体的性別とは異なるジェンダー表現を行なう者」(つまり、肉体的性別が先にあり、彼らはその例外)とは認識されなかったはず。ネイティヴアメリカンのジェンダー制度は、宗教的儀式や習わしとも結びついた精神的・文化的役割の装置であると理解すべき。

また、「ベルダーシュ」に変わる用語としてネイティヴコミュニティが推奨している「Two-Spirit」(少し前まではTwo-Spirited)は、英語の「トランスジェンダー」に該当せず、どちらかと言うと「クィア」に近い。セックス・ジェンダー・セクシュアリティの三分法は近代西洋の制度でしかないわけで、ネイティヴの「Two-Spirit」には、英語で言うところのインターセックス(セックス)、トランスジェンダー(ジェンダー)、ゲイ(セクシュアリティ)に対応する部分全部が入る。というより、そもそも西洋人植民者が「ベルダーシュ」と呼んだ対象に、いまで言う同性愛が既に含まれていた。

p23「MtFがFtMよりも何故か数倍多い、とする資料が多い。その根拠ももちろん分かっていない」。分からないというが、具体的に調査方法を批判的に検証すべき。女性として女性を愛すると言うMtFがやたらと多いという説も同じ。私の知る限り、オントロジカルに信頼できる調査ではない。

p39「『染色体が完全なオス型=XYで、しかし外性器・内性器ともに完全なメス型となり妊娠・出産も出来る女性』は現実に存在するが〜」いや、そんな人いません。

p40「インターセクシュアルも、トランスジェンダーと同じように、ジェンダーアイデンティティが確定・安定しないことが多い。」そりゃ平均よりは多いかも知れないけれど、特筆するほど多いとは思えない。トランスジェンダーの文脈くらいでしかインターセックスについての情報を得る機会がない現状で、インターセックスとしてカミングアウトする人の多くがトランスジェンダーの人たちと似た悩みを持つ人たちであるのは当然。しかし、個別の症候群(CAH、AIS、MRKHなど)の自助グループを見ると、ジェンダーの悩みを抱えた人はごく少数。個別の症候群についてはジェンダーで悩む人が非常に多いものもあるが、インターセックス全般についてこれは言えない。

【社会問題】

p44「パス」に関連して迫られる「選択」についての考察は良い。ただ、「選択」の余地すらなく、いくら望んでも到底パスできない当事者だっていることを考えると、「選択」という言葉はどうか。

p49以降「S社による『女装』者解雇事件の経緯」。この事件の判決がでたとき、なにやら原告の女性に批判的なコメントがよく聞かれたので何か過去にあったんだろうと思っていたが、この章の説明で少なくとも一方の当事者の言い分は分かった。過去の経緯以外にも著者が彼女に批判的な理由がいくつか述べられているが、説得力がない。例えば、「実際に一緒に更衣室・トイレを使うであろう女性社員への配慮は一切見られない」ことを批判しているが、マイノリティの側がマジョリティに配慮しないからといって、道義的に責められるいわれはない。「同じ当事者としては、戦略としてマズいから同意できない」というならまだしも、道義的問題として扱うべきではない。

さらにおかしいのが、この部分のタイトルに「『女装』社解雇事件」としているところ。企業の視点から見ると解雇の理由は「女装」かもしれないけれど、当事者はトランスの女性であり、鍵括弧付きでも「女装」と書く必要はない。GID当事者である彼女が読んだら傷付くことを承知でわざと「女装」と書くのは、過去のいきさつがあるにしても醜悪、不快感を感じる。彼女の過去の言動に対する批判は、ストレートに批判・異論という形で行なうべき。

【パブリックスペースと性別】

p54「性犯罪は、〜ジェンダーではなくて、セクシュアリティの問題である」この場面で言いたい事は分かるが、「性犯罪はセクシュアリティの問題ではなく、男性による女性への支配の道具である」とするラディカルフェミニストの指摘、およびそれよりややマイルドな「性暴力は性欲の問題ではなく、他者への支配の問題である」とする反性暴力運動の主張とのかねあいはどうするのか。

p55女性専用売り場について「どのような営業政策をとろうが自由、との議論もあるかもしれない。しかし、性差別を行なうことが、果たして公序といえるのだろうか。」 公序(パブリックオーダー)という言葉がやや唐突。表題の通り、パブリックスペース/パブリックアコモデーションを論じるべき …と思ったら、後でちゃんとやってるじゃん。それでいいのよ。

p57「しかし、そうすれば診断に医療処置の必要性以外の要素が含まれることになり、医療そのものがゆがめられる恐れがある。」 その通りであり、この指摘は秀逸。ただ、GIDの「治療」については、医者がゲートキーパーになっているために、とっくの昔から医療がゆがめられているという現実がある。

p57「性別についても、公共性をもつ空間へのアクセスの自由という発想は、なぜ採られないのであろうか。」 同意。ただし、障害者へのアクセスをアナロジーとすると、著者が懸念するような「GIDの診断書を持った人だけアコモデーションを利用して良い」という考えと間違われそう。そうじゃなくて、車椅子や杖を使わない人だって、エレベータに乗ってもいいんだよってことろまで説明して欲しかった。一般に思われているような、「特殊な存在としての障害者への特殊な扱い」としてのアクセスではなく、ユニバーサルアクセスの思想を説明すれば良かったかも。

ところで、女性が牛丼店に入ったら変な目で見られるんですか? それは知らなかったです。

【メディアとトランスジェンダー】

「筆者は97年、テレビのドキュメンタリー番組の取材を受けている」時期からして、これは私の知人が勤めていたプロダクションのやつなんじゃないかと思います。ここだけの話、わたし実は裏で少しだけ手伝ってました。ですので、「確かにオンエアは、当時としては良心的かつ偏見も少ない内容で、当事者の悩みをそれなりに伝えるものにはなっていた」という評価は、製作に多少関わっていた者として嬉しいです。って、実は全然違う番組だったりして(笑)

でもね、そのプロダクションの社長(当時)は、酷かったんですよ。もともとそのプロダクションがトランスジェンダーについての企画を立てたのは、当時生体臓器移植が話題になっていたんですけど、その社長はGIDの手術とはMtFの人とFtMの人で性器を移植して交換することだと思っていたらしくて、そこから始まったのね(笑) それがかろうじてマトモな番組になったのは、ひとえに私の知人のおかげ。メディアにおけるトランス史の隠されたエピソードとして、誰か適切なところに記録しておいてください(笑)

p82「もう一つ、このようなメディアの扱いで『自称当事者の爆発的増加』が見られることである〜これは、MtFの方がFtMよりも数が多い、という実態に比して明らかに『不自然』である」。この書籍を含め、世間のトランスジェンダーについての言説では、明らかにFtMよりMtFについての言及が多いが、もし「MtFの方がFtMよりも数が多い」という経験則があるなら、そうしたメディアでの不均衡な扱いが原因であるとは考えられないのか。MtFのケースがメディアで取り上げられた時だって「自称当事者」は増加したはずであり、FtMが急増したケースだけ「自称」を冠したり、不自然とするのはそれこそ不自然。FtMに対するバイアスを感じる。

アメリカでも、10年くらい前までは「FtMよりMtFの方が数倍多い」が常識だったが、現在では同程度かもしかしたらFtMの方が多いかも知れないくらい、FtMが台頭している。かつてFtMの情報がメディアなどでほとんど流通されなかったことや、ここ10年くらいの間にその状況がかなり改善されたことを考えると当然。わたしの周囲(20〜30代のクィア中心)だと、MtF1人に対してFtMは5人くらいいる。

【セックスワークとトランスジェンダーの関係】

この本にこのコラムが含まれた事自体を大きく評価。ただし、p85「MtFトランスジェンダーのセックスワーカーは、女性がセックスワークにつく割合よりかなり多く見られます」ってのは、MtFは女性じゃないって言ってるみたいでヘンですよね(MtFだけど女性とはアイデンティファイしない人だっているでしょうが、大半は性自認が女性ですよね?) まぁそんなことにゴチャゴチャ言う人はそもそもセックスワーク自体しないのかもしれないけど。

このコラムはこれでいいけれど、別に性産業におけるFtMについての議論が必要。男性として性労働をしている人は少ないけれど、「本心は男性なのに、生活のために我慢して女性として性労働をしている(そして、それによって少なからず男性としての自尊心を傷つけられている)」人は、わたしの知り合いにかなりいます。ま、この本全体MtFばっかりだから、それを言い出したらきりがないんだけど。

【日本トランスジェンダー略史 1〜3】

どうも、勉強になりました。
でもMtFばっかりで(以下略(笑))

【ヴァージニア・プリンスとトランスジェンダー】

わたし、Virginia Princeについてはあんまり詳しくないです。ミュージシャンのPrinceについてなら詳しいですが(笑) 私の家には彼がブリーフの下着だか水着だかでシャワーを浴びているポスターとか、ピンクのタンクトップで踊っているジェンダークィアなビデオとかがあります。…って、関係ないか(笑) とにかく、トランスジェンダーでPrinceって言えば、わたし的にはThe Artistです。

Virginia Princeって、わたしの周囲のトランスセクシュアルの人には非常に評判が悪いです。文末にちょっとだけ書かれてますけど、Prince氏が発足させたTri-Essという異性装者の団体では、MtFトランスセクシュアルとしてカミングアウトした人たちの家族に向かって、「あなたたちが彼の女装を受け入れさえすれば、決して手術を求めたり同性愛者になったりしないから安心してください」みたいなメッセージを発していたから。さすがに最近はそこまで言わないのかな?

【アメリカのトランスジェンダー・アイデンティティ】

いきなりですが、こら、編者。なんで私にこの章を書かせない? アメリカ在住だからという事じゃなくて、現在の主要なアメリカのトランスジェンダー活動家とは個人的な付き合いがあるという意味でも、この章を書くのに私以上の適任者は日本人では絶対にいないはずでしょーが(笑) まったくもう。ま、筒井真樹子さん執筆だから許すけど。

p142「このことをゴーディン・オルガ・マッケンジーは『同化主義』と呼んでいる。」 よく見つけたね、Gordeneの本。こちらでもFeinbergとかBornsteinと違って、読んでいる人は滅多にいないのに。

Gordene MacKenzieって人は不思議なのね。もともとオーソドックスな女性学の教授で、たまたまTS活動家の女性(Nancy Nangeroniさん)と付き合うようになって、「自分は女性に生まれたドラァグクィーンだったんだ」と気付いたって人(笑) なんだけど、先に述べた通りオーソドックスに女性学やってきた人だから、「MtFは屍体性愛者と同じ」「TSはフランケンシュタインの怪物」という発言で知られる某著名フェミニストと長年の友人だったりします(笑) その点、内心でどう処理してるのか聞いてみたいところ。

p143「性転換症医療の初期には、医療機関の数も限られ、また医療費も高額であったため、限られた数の者しかジェンダー・クリニックに通うことはできなかった。」 現在に比べてベンジャミン・スタンダードが厳密だったり、FtMへの配慮が圧倒的に欠けていたりと、一部の人しかアクセスできなかったというのは、一面では事実です。

と同時に、もうちょっと調べてみると分かることですが、当時実はジェンダー・クリニックは各地でかなり多くの大学で大学病院の一部として当たり前に設置されていましたし、公的医療機関であったため、医療費の面からも現在ほどの不公平感は無かったとも言えます。それらがバックラッシュにあってほぼ全滅したのはなんと80年代になってからですが、その間多くの当事者が大学ベースのジェンダー・クリニックに通っています。少数ですが、州の公的保険制度によって手術を受けた人もいます。

p143「『わたしが最後にドレスを着たとき』を著したFtMトランスジェンダーであるダフネ・ショリンスキー〜」。現在彼の名前は「ディラン・ショリンスキ(Dylan Scholinski)」ですのでよろしく。彼の自宅に電話して本人が留守だと、「ピーという音がしたら、ダフネもしくはディランへのメッセージを入れてください。折り返し私から電話します」っていう録音が入っています(笑)

p145「フェミニズムの影響下にあったレズビアン・コミュニティも、トランスジェンダーには冷淡であった。80年代から90年代初頭にかけて繰り返された、MtFレズビアンに対するバッシングがそれである」。あのー、90年代初頭以降も、特に収まったようには思いませんが…

この本はフェミニズムについての本ではない事は理解しつつも、フェミニズム、レズビアン・コミュニティ、レズビアンフェミニズムの関係はもう少し説明が必要かも。例えば、レズビアンでなおかつフェミニストを自称する女性の大半は、レズビアンフェミニズムを支持してないという事実とか、むしろヘテロの女性が安全な範囲で(つまり性的ではなく政治的な姿勢として)「女達への愛」を口にしたのが「レズビアンフェミニズム」であるということとか、普通の読者には分からないでしょう。

レズビアンフェミニズムからのMtFレズビアン排除の具体例としては、Janice Raymondの本にも出てくるSandy Stoneのケースとか出しても良かったかも。もちろん、Raymondの記事じゃなくて、Pat Califia「Sex Changes」からの引用か、Stone自身の「The Empire Strikes Back」から(Raymondの本「トランスセクシャルの帝国」に対抗して、「帝国の逆襲」)。Stoneの文章はちょっと読みにくいけど面白いです。

p147「インドのヒジュラ、ネイティブ・アメリカンのベルダーシュ、タヒチのマフなど、第三のジェンダーともいうべきカテゴリを持つ文化が、欧米に知らされた。」 第一章へのコメントとも重なりますが、まず第一にこの文章は本来の主語が隠蔽されているのが問題。ポストコロニアリズムの研究では、欧米の過去の植民地主義についての記述に、「奴隷たちはアメリカ大陸に送られた」のような、「本来あるはずの主語(誰が奴隷を捕獲して送ったのか?)が隠蔽され、本来の目的語を主語とする受動態の文章」が多いという重要な指摘がありますが、これもその一例ですね。

主語を補うなら、「ヨーロッパ諸国が」南北アメリカ、アジア、アフリカ、太平洋を植民地化する過程においてそれらの文化を「発見」し、「第三のジェンダーともいうべきカテゴリ」を記述したわけです。その部分を誤魔化すと、既存の文化人類学的なモノの持つ侵略性を見失ってしまいます。

あと、ささいな事に見えるかも知れませんが、マフ(マフ・ワヒネ)は、タヒチまで行かなくてもハワイにもたくさんいます。同じ植民地主義による文化破壊の犠牲者でありながら、ネイティヴ・ハワイアンはネイティヴ・アメリカンと同等の補償や保護すら受けていません。背景には、日系や中国系やフィリピン系などアジア系アメリカ人の政財界指導者たちが、自分たちの存在(人口・影響力・票数)を実態より大きく見せたいがために、またアジア系資本によるハワイの政治的・経済的支配を正当化したいがために、ハワイやその他アメリカ領太平洋諸島の先住民たちが持つはずの自治権や文化保持権を否定したいアメリカ政府と結託して、「アジア・太平洋系アメリカ人」というハワイの植民地性を隠蔽するカテゴリを捏造したという歴史があります。そういう動きに反対するアジア人の1人として、ハワイにもネイティヴな独自のジェンダー制度があることを指摘しておくべきだとわたしは感じました。

p147「もっとも、第三のジェンダーの根拠を、西洋の前近代や、非西洋の民族に求める事は、形を変えたオリエンタリズムではないか、という疑念は拭えない。」 それは間違い、形を変えるまでもなくそのままのオリエンタリズムです(笑)

わたしの周辺でよくある例では、ほとんど白人しかいないトランスジェンダーの団体がこぞってネイティヴアメリカンの「Two Spirit」をトランスジェンダーの一種として勝手に定義してしまっていたりするんですが、「Two Spirit」という言葉を「トランスジェンダー、トランスセクシャル、クロスドレッサー」みたいなのと並列な言葉として扱ってしまうと、その言葉が指す文化的・宗教的なコンテクストを消し去る事になってしまいかねない。

そもそも、「Two Spirit」という言葉自体、白人による文化破壊の結果として生まれた妥協の産物です。というのも、これは明らかに英語の言葉ですが、これに対応するネイティヴ各部族の言語による言葉は実は存在しません。もちろん、サードジェンダーと呼ばれるジェンダーを持つ部族では、それぞれ自分たちの言葉でそれをさまざまな名で呼んでいるわけですが、ヨーロッパからの侵略者たちはそれらを乱暴にまとめてベルダーシュと呼んでしまった。「Two-Spirit」というのは、そのベルダーシュという言葉を追放するために会議を開いて人口的に作られた言葉であって、自然発生した言葉ではない。もともとネイティヴの各部族では、ベルダーシュと呼ばれた様々なジェンダーをまとめて1つのものとは考えていなかったから、それら全部を指す言葉はどの部族の言語にも存在しないわけです。

もちろん、現在では人々が自分の部族を離れて生活することが多くなっているので、Two-Spiritという言葉を(西洋的な視点から見て)クィアなネイティヴ同士の共通項とするコミュニケーションも起きていますが、そういう歴史を無視して白人たちがこの言葉を自由に使って良いわけがない。

あとついでに、トランスジェンダーの根拠をインターセックスで説明するのもいい加減やめて欲しいです。もちろん、トランスジェンダーがインターセックスを侵略・支配したという過去の経緯はないので、「ベルダーシュ」を使った正当化ほどには悪い行為だとは思いませんが、どっちにしても迷惑だしウザいです。

ファインバーグはマルクス主義者って書いてあるけど、あの人は普通のマルクス主義じゃなくて、某スターリニスト党派(多数者である労働者の指導が絶対であり、少数者の反論の自由を認めないという主張のところです)の職員(機関誌編集者)なんですね。ファインバーグ自身はカッコいい人で大好きなんですが(彼の肩にもたれかかって甘えているようなポーズの写真を友人に取ってもらったら、その友人が新聞社でアルバイトしていたらしくて、いつの間にかその写真が新聞に載ってて恥ずかしかった(笑))、背後にある党派にはどうしてもいい印象を持たないです。最近でも、この党派は反戦運動を乗っ取って牛耳った上で、集会での他人の発言を統制しようとしたケースがありますし。

p148「一方、ポストオペラティブのMtFトランスセクシュアルであるケート・ボーンスタインは〜」。「ポストオペラティブの」は余計です。トランスジェンダー・トランスセクシュアルだからといって、何の関係もないコンテクストで性器の形状について話題にする必要はないでしょう。

あと、確か彼女はトランスセクシュアルとはアイデンティファイしていないはず。「以前はトランスセクシュアルだったけれど、今はそれ以外」じゃなかったかな。「手術しないのがトランスジェンダー、手術するのはトランスセクシュアル」という定義(?)が頭の中にあるため「トランスセクシュアル」と記述したのであれば、たかが定義に囚われ過ぎかも知れません。

p149「ボーンスタインは、ファインバーグのように大言壮語にトランスジェンダーの物語を語ることはしない。」 できないのね、彼女は(笑) 昨年、彼女の反戦スピーチ聞いたけど、「男と女しか存在を許されないという制度に反対するなら、ブッシュ大統領の言う『われわれに着いて来ない奴はテロリストの味方だ』という二分法にも反対しよう」みたいな事を延々と言うだけでした。そりゃ確かにブッシュの詭弁は反対すべきだけれど、二分法でさえ無ければブッシュのやってる事はいいのか?って。ブッシュの政策がダメなのは、詭弁だからダメなんじゃなくて、もっと根本的にダメなんですけどね。あと、某女性音楽祭について、ボーンスタインは「MtFは入れて貰えなくても構わない」って発言して、他のトランス活動家から顰蹙を買っています。

【TGブランチ発足から「約束事」へ】

p161「その最大の犠牲者がIS(インターセックス)です。…その子の性別と人生を医師や家族が決めてしまうのです。…しかしISNA(北米インターセックス協会)という団体は、それが重大な人権侵害であると告発しています。」 ええと、言わんとする事は良いのですが、「その子の性別と人生を医師や家族が決めてしまう」のはインターセックスの子どもに限りません。インターセックスであろうと、そうでなかろうと、男もしくは女というジェンダーを与えられ、名前を付けられます。

ISNAが反対しているのは、本人の同意がないにも関わらず家族や世間を安心させるために性器形成手術をほどこす事であり、またそうして手術を受けた子どもに自分の身体についての事実を知らさなかったりすることであって、子どもの性別を医師や家族が決めることそのものではない。子どもの性別を医師や家族が決めるのが駄目ならば、インターセックスに限らず全ての子どもの性別を空欄にすべき。それは、ISNAの主張ではありません。

あと、誤解のないように言っておけば、インターセックスの当事者は多くの場合医療を必要としています。インターセックスになるということは、他の人と体内のホルモンなり遺伝子なり染色体なりがどこか違っているわけで、中には放置すれば危険な症状もあります。ISNAが言っているのは、性器の形を直しても、そういう実際の医学的問題を解決した事にはなりませんよということ。

p166「約束事」 非常に良いです。英語に翻訳させて欲しいくらい。時間ができたら後で承諾お願いにあがります。

【性別に自己決定権を】

p182「またセックスでは『オス・メス』という二要素が必ず基本になるが、実際にインターセクシュアルが存在する以上、この定義はこれらの人々への差別・抑圧として作用する。」 完全に間違いというわけじゃないですが、インターセックスの当事者の大半が「自分はオス」「自分はメス」という平凡な自己認識を抱いており、「オス・メス」制度に何ら不満を持っていない事を考えると、余計なお世話かも。「オス・メス」制度は、必ずしも現在行なわれているようなインターセックスの扱いを要請しませんし、現に現在のような扱いはたかが過去50年程度のもの。それ以前はインターセックスの子どもは普通にオス・メスのいずれかとして扱われてきたわけです。

【総論】

あー、あれですか、なんでMtFばっかりなんだって。それが一番弱い。編者だって自分で分かってるだろーけど。

あと、想定される読者がはっきりしていない。トランスジェンダーの当事者が非トランスジェンダーの人たちに「わたしたちって、こうなんですよ」と説明するのと、トランスジェンダー当事者内部で「こういう風な運動をやりましょう」というのとでは語る内容も変わるはずだけど、この本はその点が中途半端。

例えば、p206でレズビアンコミュニティにおけるMtF排除について、「性別に対するこのような違いは、それをそれとして互いの主張をぶつけあっていけばよいのである。そして、見解が一致した問題については共闘すればよいのである」と書かれているが、これはトランスジェンダー当事者同士で「理不尽だけど、受け入れざるを得ない現実的な戦略」として語られるべきことであって、部外者に語ることではない。レズビアンコミュニティに向けて「MtFを差別してもいいんですよ」と言っているようなもの。

また、フェミニズム内部では過去にもそうやって共闘を実現してきたという言説はとんでもない誤解。「女性」内部のさまざまな差別を棚に上げて「対性差別」で共闘しましょうなんていうのは、それらの差別によって利益を得ている側のフェミニストが勝手に言っている事であって、決して認められない。

過去の反差別運動からの反省か何かで、この本はやたらと「被抑圧者として傲慢になりすぎてはいけない」「反差別を叫ぶより理解と共感を集める」「当事者だけで閉鎖的になるのはよくない」という発言が出てくる。それらは、運動論としてはよく考えられているし、当事者にとっては参考になるものかもしれないけれど、それはあくまで戦略論。基本的に非当事者を読者に想定した本であるとするなら、戦略論を道義論と誤読されないような工夫が必要。

読者対象がはっきりしないという話でついでに言えば、直接の当事者以外はどうでもいいような業界の内紛話も多い。著者にとっては切実なのかも知れないけれど、読者想定を間違っていないか。「TS原理主義」という言葉も、そういう立場に立つ当事者が自称している言葉なのか、それともそれに批判的な立場から揶揄しての言葉なのかはよく分からないのだが、アメリカによる各方面での戦争を正当化するロジックの一部として「イスラム原理主義=テロリスト」イメージが利用されている現在、安易に使って欲しくはない言葉。論争から離れた場所にいる読者から見ると、揶揄であっても「原理主義」という言葉にシラけてしまう。

戸籍制度の問題点を広く論じたり、在日外国人の権利や部落差別問題関係の運動からの見知を導入するのは非常に良い。特に前者は、戸籍制度を前提とするマイナーな「性別欄修正を認めろ論」に批判的な論調がトランスジェンダー内部にも存在することは分かっていたが、実際に詳しくその主張が読めたのは良かった。

残念だと思うのは、障害者や在日外国人や部落の問題と絡めた議論が何度も出ていながら、あくまでそれらの運動が別個の主体を前提としているかのように書かれていたこと。トランスジェンダーの障害者が、トランスジェンダーの在日外国人が、トランスジェンダーの被差別部落出身者が、今の日本で何をどう体験しており、何を考えているのか、読みたかった。唯一そういう扱いに挑戦していたのが「トランスジェンダーのセックスワーカー」に関するコラムの記述。

p12では「本書は、トランスジェンダーたちが、トランスジェンダーたちとして声を挙げていく、その第一歩となるだろう」と書かれている。本当にそうなって欲しい。しかし、だからこそ、その第一歩で誰の声が
中心に据えられ、誰の声が周辺に押しやられているのかが非常に重要であるように思う。はじめから完璧なアンソロジーは有り得ないとはいえ、あまりに酷いMtF中心主義ばかりは、やはり非常に残念としか言えない。次は、トランスジェンダーの当事者が、他のトランスジェンダーの人たちに向けて、トランスジェンダーの当事者が障害や国籍や部落や、その他さまざまな問題をどう体験しているか語る本が必要。トランスジェンダー内部の多様性を議論するなら、TSとTG、TVだとか、「TS原理主義者」と「n個のジェンダー主義者」といったジェンダー面の多様性だけに注視してはいけないと思う。

以上です。なんかエラそうな批判的な口調が多いですけど、それも愛情とゆーコトでご理解ください。

6 Responses - “3年前の『トランスジェンダリズム宣言』への感想ノートを公開”

  1. 猫まんこ Says:

    >マイノリティの側がマジョリティに配慮しないからといって

    これはヘンですよ。
    この事例では、ここを使用する「女性」(=弱者)にとって使用の権利を主張するGID当事者はあくまで「男性」(=強者)にあたるのだから、その主張はほとんど暴力的にすら映ってもやむない。
    誰が「女性」に対して理解と共感を求めるのかつーと、アレですが。

  2. よう Says:

    >p39「『染色体が完全なオス型=XYで、しかし外性器・内性器ともに完全なメス型となり妊娠・出産も出来る女性』は現実に存在するが〜」いや、そんな人いません。

    わたしの知人でそういう人がいます。もちろん彼女(彼?)の言っていることがすべてただしいとは限りませんが。(性自認は男性のようでしたが)
    すくなくともそんな人いないと言い切るにはそれなりの根拠があるのですよね?

  3. makiko Says:

    ふんじゃ、あたしも使い回しで失礼。
    http://homepage2.nifty.com/mtforum/ge028.htm

  4. 通りすがり Says:

    減数分裂時にY染色体からSRY遺伝子が欠失すると、染色体がXYであっても女性として分化するようです。

    ただ、元の文章『染色体が完全なオス型=XY』の「完全な」が「オス型」にかかるのか「染色体」にかかるのかは分かりません
    「完全な」が「染色体」にかかっているのなら「そんな人いない」と言いきってしまっても問題ないかと思われます。

  5. azami Says:

    XY女性はSRY陰性の為に起こるけど,普通不妊です。総説は
    http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/dispomim.cgi?id=306100

    An SRY-negative 47,XXY mother and daughter.
    http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/query.fcgi?db=pubmed&cmd=Retrieve&dopt=AbstractPlus&list_uids=11173857&query_hl=6&itool=pubmed_docsum

    Chimerism in a fertile woman with 46,XY karyotype and female phenotype.
    http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/query.fcgi?db=pubmed&cmd=Retrieve&dopt=AbstractPlus&list_uids=11139536&query_hl=8&itool=pubmed_docsum

    ただ,上記のような例外的報告はあるけど,前者はXXYだし,後者はキメラでXYは双子の弟由来で双胎間輸血症候群によります。リンパ球の99%はXYだけど皮膚や筋肉はXXのようです。両方とも正常なXY核型と言えません。
    「染色体がXYで,妊娠・出産も出来る女性」に多分存在しないでしょう。

  6. 通りすがり Says:

    >azamiさん
    すみません。ウィキペディアなどに

    >このPARのすぐそばにある遺伝子SRY (sex-determining region Y) が、性の決定をつかさどる遺伝子である。そのため、時に交差によってX染色体にこの遺伝子が移ってしまい、XYなのに女性であったりXXなのに男性である現象が起きる。この場合、性機能は損なわれていないことが多い。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93

    とあり、それらを鵜呑みにしてしまいました。
    もう少し調べてから書き込むべきでした。

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