悲劇の意味をすり替えたバックラッシュ勢力:『ブレンダと呼ばれた少年』著者に聞く
2006年9月28日 - 4:04 PM | |以下に掲載するのは、『週刊金曜日』に先週(9月22日発売号)に掲載された記事「悲劇の意味をすり替えたジェンダー叩き勢力」の元原稿です。週刊金曜日の売り上げを落としてはいけないとウェブでの公開は一週間控えていましたが、既に同誌は次の号が販売されており、そもそも同誌の読者層とブログを読む層はあまり重ならないと思うので、元原稿を公開することにしました。
が、実際の誌面を見たところ記事のレイアウトも意外と良いですし、同じ号に宮台真司さんによる記事やレレレのお兄様こと双風舎谷川社長のコラムも載っていたりするので、機会があれば一度偏見を捨てて目を通してみてください。
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悲劇の意味をすり替えたバックラッシュ勢力
『ブレンダと呼ばれた少年』著者ジョン・コラピントに聞く
『ブレンダと呼ばれた少年』は、カナダのウィニペグに生まれたデイヴィッド・ライマーという男性の波乱の半生を綴ったノンフィクションだ。デイヴィッドは幼くして包茎手術の失敗でペニスを失い、性器形成手術や思春期以降のホルモン療法などにより女児として育てられながら「女性」として生きることに苦悩し、十代半ばで自分の過去を知って男性として生きることを選ぶ。そして同書発売から数年後に三八歳で自殺した。日本では米国版と同じ二〇〇〇年に無名舎から村井智之による邦訳が出版され一部に衝撃を与えたが、翌年同社が出版事業から撤退して絶版となった。
ところが二〇〇四年頃から、八木秀次(当時の「新しい歴史教科書をつくる会」会長)・林道義(東京女子大学不名誉教授)・山本彰(『世界日報』元ワシントン支局長)ら反「ジェンダーフリー」論者が雑誌や書籍などにおいてこの『ブレンダ』を取り上げはじめる。かれらによると、デイヴィッドの件は「男らしさ・女らしさ」や性役割の規範を含めたジェンダーと呼ばれるものが主に生得的に決定されている証拠であり、したがってそれらを「社会的につくられた」とみなすジェンダーフリーの教育論や男女共同参画政策は科学によって否定された妄言だというのだ。
そして二〇〇五年五月、『正論』を発行する産経新聞社と同じグループであり「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書なども出版している扶桑社が『ブレンダ』を再版する。しかもこの版では、新たに「ジェンダーフリーの“嘘”を暴いた本書の意義」とする一〇ページに及ぶ「解説」が八木の手によって追加された。この「解説」で八木は「要するにジェンダーフリーは嘘から始まったものである」とし、この本は男女共同参画政策の見直しを迫るものだという。
かれらのような、いわゆるバックラッシュ論者による『ブレンダ』利用は、無数の誇張と曲解、そして文献の文脈逸脱的な引用に満ちたものだ。その詳細はわたしが『バックラッシュ!なぜジェンダーフリーは叩かれたのか』(双風舎)に寄稿した論文「『ブレンダと呼ばれた少年』をめぐるバックラッシュ言説の迷走」でまとめたのでそちらを参照していただきたいが、このたび『ブレンダ』の著者であるジョン・コラピント氏から日米両国における保守派による同書の政治利用について意見を聞く機会があったので、以下にお届けしたい。(なお、日本語が読めないコラピントが八木の「解説」の内容を理解しているかどうかについてだが、わたしの簡単な説明に加えてかれ自身が別の日本人の友人に読んでもらい説明を受けている。)
ーーまず最初にうかがいますが、この本を書こうと思った当初の動機は何でしたか?
JC 正直言うと、最初は「生まれか育ちか」という科学的な論争に一石を投じる実例として興味を持ちました。デイヴィッドの辛い過去をほじくりかえすことに躊躇したという事もありますが、当初はかれがインタビューに応じてくれるとは思いもしませんでした。でも実際にかれに会ってみて、かれがとても社交的で力強い人物だと分かりました。かれの半生を読者に伝えることができて、とても良かったと思います。
ーーライマーさんの生と死から、わたしたちが学ぶべき教訓とは何だと思いますか?
JC 最も重要なのは、デイヴィッドと同じような扱いを受けているインターセックス(半陰陽、性発達障害=注)の子どもに対する医療を見直すということだと思います。医者たちはよかれと思って性器形成手術を行なっているけれど、それは間違いです。第二に、そうした医療をどう変えるかについては、インターセックスの症状を持つ人たち自身の意見を反映させるべきです。これまでずっと、誰もインターセックス当事者の意見に耳を傾けようともしませんでした。これはとんでもない話だと思います。
ーーデイヴィッドの痛々しい経験を最初に報告したハワイ大学のミルトン・ダイアモンド氏は朝日新聞の取材に対して、デイヴィッドの件の教訓として「男とは、女とは、こうあるべきだといった自分の好みを他人に押し付ける権利は、何人といえども持っていない」と言っています。
JC ダイアモンド教授のその発言には完全に同意します。
ーーあなたの本は米国でも保守系団体によって「ジェンダーは生まれつきである」という主張の根拠に援用されているようですがどう思いますか?
JC かれらがわたしの本の趣旨や意義を歪めて自らの政治的アジェンダを推し進めようとしているのにはうんざりしています。本が出てすぐにワシントンで講演に呼ばれたのですが、その場に着いてかれらの前に立つまでそれが過激な右翼グループの集会だとは気付きませんでした。うっかりクリントン大統領(当時)について好意的なことを言ってしまった時は、襲われるのではないかと思ったくらいです。
わたしの本がこのような形で政治的に利用されていることには心を痛めていますが、特に驚いてはいません。イデオロギー的な濫用の危険はあったとしても、事実をありのままに伝えるのがライターとしての自分の役割ですから。それに、自由な国では言論の自由だけでなく、他人の言論を自由に解釈する権利もあります。愚かな解釈をする自由もね。
もちろん、幸いにして、ジェンダーや男女関係の問題について良識的で寛容な価値観の人たちも、大勢この本を評価してくれています。わたしはたくさんのそういう人たちに会ってきました。
ーー『ブレンダ』の日本版は保守系出版社から出ており、第二次大戦中の南京大虐殺や「慰安婦」に対する強制売買春の存在を否定する団体の会長(当時)が書いた、デイヴィッドの件は男女共同参画政策の見直しを迫るものだとする「解説」が追加されていますが。
JC それは本当に困ったことです。はっきり言って、もし予めそのようなおかしな出版社であると分かっていれば、日本版を出してはいなかったでしょう。もちろん、翻訳さえ正確であれば良識ある読者は本文を読んで何を言わんとしているのかちゃんと理解してくれると思いますが、そうと言っても非常に腹立たしいです。出版エージェントに連絡して、その出版社から版権を引き上げられないか調べてもらっているところです。
ーー最後に、日本の『ブレンダ』読者に対して何かメッセージがあればどうぞ。
JC 本文以外に日本におけるこの本の出版社やその代理人が勝手に追加した部分は全部無視してください。この本をきちんと読んだ読者には、この本が性とジェンダー、同性愛、インターセックス、そして医療における患者の自己決定の権利に関して、寛容さの必要性を訴えていると伝わることを願っています。
(注)「インターセックス」ーー性染色体・内性器・外性器のいずれかが通常の男女のどちらにも合致しない状態。半陰陽、性発達障害とも言うが、男女双方の性器を備えるという意味の「両性具有」(ヒトには存在しない)ではない。伝統的に、インターセックスの子どもは早い段階で形成手術により男性もしくは女性として育てられる。近年、手術の弊害が明らかとなり、男女どちらの性として育てるとしても本人の意志に基づかない手術は極力避ける方が良いという認識が広まりつつある。
2006/09/28 - 19:10:36 -
貴重な文献のアップありがとうございます。
もし時間と体力に余裕があれば、元の英語でなんといっていたのかも知りたいところです。
2006/09/28 - 19:13:13 -
[文献][サイト]悲劇の意味をすり替えたバックラッシュ勢力:…
http://macska.org/article/155 (more…)
2006/09/30 - 14:18:08 -
掲載、サンクスです。
なかなか、いいインタヴューじゃないですか。とエールを送っておきます。
議論のほうは、某所であらためてということで(^^)
>機会があれば一度偏見を捨てて目を通してみてください。
う〜む、「週間金曜日」は、本多勝一の「わしズム」、「わしズム」は小林よりのりの「週間金曜日」。と考えていたのだが、そういうのは偏見なのだろか……?
2006/10/02 - 17:52:25 -
ウルトラ右派勢力の「美しくない話」…
「悲劇の意味をすり替えたジェンダー叩き勢力:『ブレンダと呼ばれた少年』の著者J・コラピントに聞く」『週刊金曜日』9月22日号をようやく手に入れたので、じっくり読ませて (more…)
2006/10/03 - 20:02:49 -
悲劇の意味をすり替えたバックラッシュ勢力:『ブレンダと呼ばれ…
悲劇の意味をすり替えたバックラッシュ勢力:『ブレンダと呼ばれた少年』著者に聞く
9/28/2006 – 4:04 pm by macska @ macska.dot. (more…)