『ブレンダと呼ばれた少年』と終わらないバックラッシュ言説の迷走

2006年9月4日 - 1:08 AM | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

以下に掲載するのは、先月25日に世界日報に山本彰名義で掲載された記事「根拠失った小山エミ氏(フェミニスト)の本紙批判」への反論記事。もともと某誌のための原稿として書いたものだけれど、編集者の方と話し合った結果長さも焦点も異なる記事に書き直すことになったので、ボツとなった元原稿をここに公開することで世界日報への反論としたい。
『ブレンダと呼ばれた少年』と終わらないバックラッシュ言説の迷走
山本彰・世界日報記者への反論
一九六六年、カナダのウィニペグで生まれた双子の男児の一人、ブルース・ライマーは八ヶ月にして包茎手術の失敗によりペニスを破損された。ブルースの将来を心配した両親は心理学者ジョン・マネーに相談し、かれの勧めでブルースに性転換手術をほどこして女児として育てることを決意する。マネーの理論では、新生児は生後しばらくのあいだ性心理的に中立であり、適切な性器形成手術や思春期以降のホルモン療法をほどこすことによって元の性別とは関わりなく男の子として育てることも女の子として育てることも可能であるとされていた。しかしブレンダと名前を変更されて育てられたブルースは、誰に教えられることもなく「女性」であることを拒絶し、十代半ばでデイヴィッドと名乗る男性として生きることを選択する。
この「双子の症例」の失敗及びそれによるマネー理論の破綻はマネー自身によって長い間隠蔽されたが、二〇〇〇年に出版されたジョン・コラピント著『ブレンダと呼ばれた少年』によって広く知られることになる。日本では邦訳を出版した無名舎が出版事業から撤退したためすぐに絶版になってしまったけれども、二〇〇五年には扶桑社により復刊された。ところが扶桑社版では「(ブルースは)自然のままの姿で、ありのままの自分として普通の人生を送れたら、それで十分に満足であった」だろうに、という訳者によるあとがきが改変されたばかりか、「双子の症例」こそジェンダーフリー論の過ちを示す証拠であるとする八木秀次の「解説」が加えられるなど、露骨に「双子の症例」を政治利用する形式が取られた。
また、扶桑社版の出版と前後して、八木をはじめとした何人かの論者は、マネー理論の過ちを立証したハワイ大学のミルトン・ダイアモンドを持ち上げる形で、「双子の症例」の失敗によりジェンダーフリー論だけでなく「ジェンダー」という概念自体が根本的に否定されたと主張した。その一環として、統一教会と関係があると言われる世界日報の山本彰記者はそのダイアモンドにインタビューして、「双子の症例」に依拠した主張を繰り返す上野千鶴子ら日本のフェミニストは「学問的でない」との批判を引き出した。
しかし現実には、上野は著書でマネーの別の研究を引用することはあっても「双子の症例」に依拠した主張を行なってはおらず、批判はまったく筋違いだ。そしてわたしがダイアモンドに電話してこの記事について聞いてみたところ、かれは山本によって「上野は『双子の症例』が破綻したにも関わらず『差異の政治学』という文献においてそれに依拠している」と伝えられたことを信じ、もしそれが事実であるならばおかしいと批判しただけであることが分かった。そして山本がのちに出版した『ここがおかしい男女共同参画』という本で当のインタビューを再掲することを打診すると、かれは「あのインタビューは自分の意図が正確に伝わっていない」としてインタビューのやり直しを要求した
そうした事実を徹底的に調べてわたしが書いたのが「『ブレンダと呼ばれた少年』をめぐるバックラッシュ言説の迷走」という論文であり、今年六月発売の書籍『バックラッシュ!』(双風舎)において発表させてもらった。また同時に、わたしが個人で運営しているブログでも継続して保守論者による「双子の症例」の間違った政治利用を検証している。
さて、その『バックラッシュ!』発売からちょうど二ヶ月がたった八月二五日、かの世界日報が一面「特報」記事において「根拠失った小山エミ氏(フェミニスト)の本紙批判」なる見出しを掲げ、わたしの論文を批判してきた。内容は、上野は『差異の政治学』においてたしかに「双子の症例」に言及しており、従って「『差異の政治学』では『双子の症例』にまったく言及すらしておらず、マネーの『新生児の性自認は任意に変更可能』という理論になんら依拠していない」というわたしの記述はウソであるとするもので、執筆者は山本彰その人だ。
具体的には、上野『差異の政治学』に次のような記述がある。

九十年代に入って、性転換症(TS Trans-Sexual)の臨床研究がすすむにつれ、マネーとタッカーの発見の一部は追認され、一部は反証された[小倉 2001]。日本では九九年に埼玉大で性転換手術の実施が承認され、希望すれば「自然」を「文化」に合わせることが可能になった。TS臨床が示すのは、身体的性別とまったく独立に性自認が成立すること、そしてそれが臨界期の後も変わりうることであった。

わたしには、どう読んでもこの部分が「双子の症例」についての記述だとは思えない。そもそも「双子の症例」のブルース/ブレンダは「性転換症」(性同一性障害とほぼ同義)ではないし、「双子の症例」の失敗が発覚したのは性同一性障害の臨床研究とは一切関係なく、ダイアモンドらによる地道な追跡調査の結果だ。引用されている「小倉 2001」というのを引用文献欄で調べると小倉千加子著『セクシュアリティの心理学』が挙げられており、確かにその中で「双子の症例」の失敗について触れられているけれど、ページ数すらないので具体的にどの部分が参照されているのか分からない。
わたしは上野によるこの記述を読んで、ここが「双子の症例」について言及した部分だとは思わなかった。また、わたしが「言及していない」とブログで主張したことに対して、「いやこの部分が言及している」という具体的な反論が一切なかったことからも、わたしが特殊な解釈をしていたわけではないことは確かだ。
ところが上野に言わせると、実はこの部分は「双子の症例」への言及であったらしい。そのことが分かったのは、同じ『バックラッシュ!』に掲載された彼女のインタビューの次の部分だ。

(質問者)くわえて、先のブレンダの症例の失敗を、上野は隠しているではないかという批判があります。もちろん、二〇〇二年に刊行された『差異の政治学』では、九五年の論文「差異の政治学」から加筆された部分で、「マネー&タッカーの業績は、一部は反証され、一部は追認された」と書かれています。この「反証されたもの」には、「双子の症例」が含まれるわけですね?
(上野)はい。

わたしはこれを読んで非常に驚いたのだけれど、書いた本人が「あそこは双子の症例についても含まれていたのだ」と言うのであればその通りなのだろう。したがって、「まったく言及すらしていない」と書いた部分については訂正したい。調べてみたところ、『差異の政治学』の初出(一九九五年)時点では「九十年代に入って〜」という段落は含まれていなかったが、二〇〇二年に同名の単行本を出すにあたって加筆したようだ。
こうした上野の発言を受け、世界日報の山本彰記者はまるでわたしの批判のすべてが瓦解したかのように嬉々として宣伝しているが、これは明らかにおかしい。そもそも世界日報が上野を批判したのは「双子の症例の失敗が『ブレンダと呼ばれた少年』によって明らかになったにも関わらず、『差異の政治学』に訂正を加えていない」ことであったはずであり、もしあの部分が「双子の症例」に関する記述であったとするなら上野は訂正を加えていることになる。山本は、わたしの些細な「間違い」ーーその部分を撤回してもわたしの論旨に全く影響しないーーを証明することに血眼になった挙げ句、本来の論点を見失っているのではないか。
ここまで読んだ読者は、どうして山本記者がこうまでしてわたしのような無名に等しい論者を、しかもこれほど些細な議論に立ち入って新聞の一面で批判したのか、疑問に感じるだろう。おそらく世界日報の読者だってとまどったのではないか。わたしは、山本のこうした偏執的な「批判」記事は、わたしが『バックラッシュ!』での執筆に先立ってダイアモンドと山本のあいだに交わされた取材メールを入手してブログで全文公開することで山本による詐欺的「インタビュー」の手法を暴いたことへの私怨によるものだと思う。
わたしが暴いた山本の取材メールの内容とは、例えば次のような内容だ。

彼女(引用者注・上野)は日本におけるジェンダーフリー思想の最も影響力のあるオピニオンリーダーだとみなされています。どうやらマルクス主義フェミニストでありラディカルフェミニストでもある彼女は、日本のフェミニストたちが一般に受け入れている「ジェンダー」の定義では飽き足らないようです。とはいえ、彼女は性差は生まれつきではなく生育環境によって作られるものだとするフェミニストたちの主張を宣伝するかのように引用し、また二〇〇二年に発表された『差異の政治学』という本ではセックスとジェンダーは別個のものであるという説を主張するために「双子の症例」を援用しました。
彼女はマネー博士の研究に言及する際、デイヴィッドに対するマネーの実験は失敗に終わったことを明記すべきでした。「性の署名」を引用して、ジョンズ・ホプキンス大学の性科学科にマネーとタッカーの診察を受けに来た患者について紹介した際、デイヴィッドの不幸なケースについて何らかの言及をするべきでした。彼女はただデイヴィッドの件を無視したのでしょうか?わたしは彼女が意図的に隠蔽したんだと思います。間違ってますか?
ジェンダーについての上野氏の意見や文章は実はとても注意深く緻密なのですが、彼女の単純化された言葉やフレーズは人々に大きな影響力をもっています。彼女の影響と指導を受けたジェンダーフリーの運動は、もはや多数の日本人にとって到底黙って見過ごすわけにはいかないところまで来ています。一部の知識人たちは、日本独自のこのジェンダーフリー運動は教育や家族や伝統的な価値を破壊すると警告しています。もっともそれらの破壊はラディカルフェミニストたちが望んでいるものですが。わたしに言わせれば、これはジェンダーという言葉が常に曖昧に使われてきたからです。そう言ううちにも、日本は現実にどんどんジェンダーフリー思想に覆われてきているのです。
(原文は英語、訳は小山による。)

上野が「ジェンダーフリー」という概念を積極的に推進してきたわけではないことは『バックラッシュ!』のインタビューを含め以前から各方面で発言しているし、彼女は『差異の政治学』において「双子の症例」を一切援用していない。にもかかわらず、山本は事情を知らないダイアモンドにこうしたウソや一面的な描写を吹き込むことで、自分の意図した通りの返事を引き出そうとしている。山本はほかにも統計を曲解した「事実」を伝えたり、「男女混合名簿」や「ジェンダーフリー運動」について一面的な描写を伝えるなどして誘導的な質問を多数ダイアモンドに対して行なっており、わたしはその全文をブログで公開している。
さらにわたしは、山本に対する回答においてダイアモンドが「わたしはジェンダーフリーを支持している」と明言しただけでなく、学校教育における男女混合名簿や男女共通の「さん」付けにも賛成していることも公表したが、不当なインタビューによってかれを「ジェンダーフリーや男女共同参画の間違いを証明した学者」に祭り上げて利用してきた山本は「恥をかかされた」と感じたに違いない。
また、朝日新聞と東京新聞の取材に対してダイアモンドがジェンダーフリーに好意的な見解を述べた際には、山本はパニックに陥ったのか「それらの新聞の記事を読んだが、読者が混乱している」とダイアモンドに注進して、「かれらに対して言ったことはあなたに対して言ったことと全く同じだよ」とたしなめられている。今回山本がなりふり構わず一面記事でわたしに反論する記事ーーというより、わたしを否定することを自己目的化させて、本来の論点が何だったのか見失ったような記事ーーを書いたことから分かるのは、わたしが「取材メール公開」によって山本のジャーナリストとしての資質を問うたことが、よほど堪えたのだろうということだ。
その記事において山本は、わたしが「都合の良いところだけ日本語訳し、精いっぱい、誹謗中傷を試みている」「ダイアモンド教授がジェンダー・フリー支持であると思わせるのに好都合な部分だけ引用している」と非難しているが、わたしはブログにおいてダイアモンドに言われた通り当のメールの全文を公開しているのだから批判はあたらない。
それより問題なのは、一度目のインタビューに懲りたダイアモンドはわたしだけでなく山本に対しても再度のインタビューの際「自分のメールを記事にするなら質問と回答を全体必ず含める」という条件でメール取材に応じているのに、今回の記事や『ここがおかしい男女共同参画』でかれが引用しているのは自説に都合のいい一部だけ。要するに、ダイアモンドとの約束を破って「都合の良いところだけ日本語訳し」「好都合な部分だけ引用している」のはわたしではなく山本のほうだ。まったく盗人猛々しい。
世界日報の紙面では、「ジェンダーフリー擁護のため本紙記事を批判したが、その根拠が崩れた小山エミ氏のブログ」というキャプションとともにわたしのブログの画面写真を掲載しているが、うまい具合にアドレスが見えないようになっている。もしかすると興味を持った読者が双方の言い分を読み比べることを恐れたのかもしれないが、そうだとすればよほど自分の主張に自信がないのだろう。
もし世界日報という新聞が特定の宗教団体の政治宣伝媒体であるなら、いまさら「公器としての自覚を持て」と言っても仕方がないだろうが、少なくともこのような悪質な「取材」をする人間は今後「新聞記者」と名乗るべきではない。ましてや、記者としての自分の評判を傷つけた相手への私怨から支離滅裂の批判記事を一面に掲載するなど言語道断だ。第一、「記者がどう質問しようと、ダイアモンド教授にとり、上野は学問的でない」などと開き直って恥ずかしいと感じないのだろうか。わたしはともかく、読者に失礼だと思うのだが。

2 Responses - “『ブレンダと呼ばれた少年』と終わらないバックラッシュ言説の迷走”

  1. xanthippe Says:

    山本記者がダイアモンド氏との約束を破って、メールを部分的、恣意的に引用したことは、ダイアモンド氏にお知らせするする必要があるんじゃないですかね? もう誰かそうしているかもしれませんが。

  2. mash Says:

    初カキコです。
    >もし世界日報という新聞が特定の宗教団体の政治宣伝媒体であるなら、いまさら「公器としての自覚を持て」と言っても仕方がないだろうが…
    ご存知かもしれませんが、世界日報は「統一教会」系列の新聞です。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%97%A5%E5%A0%B1_%28%E6%97%A5%E6%9C%AC%29
    コメント欄汚しになりますが、一応念のためウィキの記載を貼らせていただきます

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