誰でも分かる「ジェンダーがセックスを規定する」の意味とその意義

5/30/2006 - 4:08 am | このエントリーをブックマーク このエントリーを含むはてなブックマーク | Tweet This

ここ数年、保守論者が「ジェンダー」概念をバッシングするためにフェミニストの著書から「ジェンダーがセックスを規定する」という記述を見つけてきて、それを「男女の生物学的な性差はほとんどない、全ては社会によって作られるのだ」とトンデモ解釈して宣伝したのは、かれらにしてはなかなか頭脳的な戦略だったかもしれない。「ジェンダーがセックスを規定する」というのは、ジェンダー論を学んだり研究したりしているフェミニストにとっては常識的な認識だけれども、一般の人や、「セックス=生物学的性差/ジェンダー=社会的・文化的性差」という定義を教え込まれて信じていたその他のフェミニストにとっては訳の分からない命題だもの。最近、別の専門分野を持つある学者さんがブログで「そんな馬鹿な」的な反応を見せていたけれど、専門知識のない比較的頭のいい人の反応としてそれが普通だとわたしだって思う。

「ジェンダーがセックスを規定する」という命題を、「社会的性差が生物学的性差を規定する」と解釈してしまっては理解不能に陥るのは当たり前だ。この文脈でいう「ジェンダー」は、もちろん単に「社会学的性差」を意味しているわけではない。わたし自身はここでいう「ジェンダー」の定義として「性差に関するわたしたちの知」というジョーン・スコットの定義を好んで採用しているけれど、他にもいくつか知られた定義の方法はある。重要なのは、現代のジェンダー論では「生物学的な性差」から区別された「社会的・文化的性差」という意味ではなく、身体に対して与えられた意味、あるいは身体に意味を与える行為そのものを指す言葉として「ジェンダー」という用語が使われていることを理解することだ。

そういう話を何度もいろいろな人に説明していて、ついにたどり着いた説明が以下。

これは簡単な話で、要するに「あなたがセックスだと思っているものは身体そのものではなく、文化的・社会的なレンズを通して見た、身体についてのひとつの解釈ですよ」というだけの話。

厳密にはこれで良いのかどうか不安もなくはないのだけれど、とりあえず誰にでも一瞬で分かるレベルの説明としては限界まで分かりやすく言い換えた例じゃないかと思う。

さて、そういう話を受けて、別ブログのコメント欄において Josef さんという人がこのような感想を述べていた。

# Josef 『「あなたがセックスだと思っているものは身体そのものではなく、文化的・社会的なレンズを通して見た、身体についてのひとつの解釈ですよ」はmacskaさんのいう通り「当たり前」(A)だと思うけれど、そこから「ジェンダーがセックスを規定する」(B)までは遥かな距離がありますね。

Aはセックスに限らず我々の対象認識(自己認識も含めて)は解釈の媒介を経ているということですが、解釈は解釈の方で対象によって拘束されています。後者の被拘束性に視点を合わせれば、Aを保持したまま「セックスがジェンダーを規定する」(C)も成立します。

一般的にはCの方が広く支持されているわけで、「CだけでなくBも考慮しなければ」という程度の<弱い>主張ならともかく、「CではなくBだ」というふうにBの<強い>主張を行うにはよほど説得力のある実証と論理が必要でしょう。とてもそこまでは行っていない(これからも行きそうにない)と思いますが。』

それに対するわたしの回答が以下。

# macska 『> Josef さん

はい、よくできました(笑) というのも、バトラーらポスト構築主義フェミニストを含め「ポストモダン」と形容されるような人文系理論家の多くに、素直に読めば「CではなくBだ」という<強い>主張と解釈できるような事を言っておきながら、いざ批判されると「CだけでなくBも考慮しなければ」という<弱い>主張が真意だったのだ、と言い逃れるという傾向があって、その点はソーカルらが批判する通りです。バトラーが「Gender Trouble」の次に(それに対する批判を受けて)出した本が「Bodies That Matter」だったというのは典型的ですね。

まぁそういうわけで、いきなり「Gender Trouble」を読ませたら本当に「CでなくBだ」と思い込んでしまう学生がいたりして、それはその学生ではなくバトラーが悪いとつくづくわたしも思うわけですが、当人が「真意は『CだけでなくB」であり、あまりにもCが当たり前だと受け入れられているから逆にBを強調する必要があると思った」と言うのを文字通り受け入れて、そういう意味なのだとわたしは解釈しています。

結論。「ジェンダーがセックスを規定する」という言葉は、ジェンダーがいかようにもセックスを規定できるという意味ではなく、セックスが提供する素材をジェンダーが分節化するということだと解釈するしかないです。

「ジェンダーがセックスを規定する」を逆にした通説「セックスがジェンダーを規定する」というのは、厳密にはやはりちょっと違うような気もするので「Cが成り立つ」と言ってしまったのはリップサービスし過ぎたかなとも思うのだけれど、最近になってこれとよく似た議論を見つけて驚いた。理系大学院生だという Leiermann さんが運営している Niemals-Gasse というブログにおいてだ。

… 私の blog の方で先日ご紹介した「『知』の欺瞞」という本、これは科学者の側が、一部現代思想に見られる科学の誤用や過度の相対化に苦言を呈したものなのですが、その中の中核となる主張に、
「社会構築主義のテーゼは、結果として二重の意味を使い分けている」
ことへの批判がありまして、”sex is gender” という標語にもその傾向がある可能性は大いに議論すべきように思われるからなのです。

ここで申します「二重の意味」というのは、「科学は社会的構築物である」という主張の、穏健・過激な二通りの解釈です。前者は、こちらの記事でご指摘のような「その科学的な営みは人間の社会的・文化的な営みにほかなりません」ということであり、後者は「科学などは恣意的なものである」ということです。前者の指摘は重要であるが自明で、科学に与える影響は殆どないのに対し、後者は些か眉唾物ですが、科学への信頼を揺るがせる効果があります。「知の欺瞞」で指摘されていたのは、わざわざ「科学は社会的構築物に過ぎない」、あるいは “sex is gender” という言い方は過度に扇情的であり、後者のような解釈を半ば誘導しているように受け取られても仕方がないのではないか、ということなのです。

(略)

現実には、「生物学的性」の概念は、ある種の「傾向」を示す概念であるに過ぎないにしても、現実には圧倒的大多数の事例がこれで説明でき、非常に有用な概念であることは変わりがないと思うのです。そして、それに変わる平明な記述は未だ見つかっていないのではないでしょうか。となれば、「生物学的性」の概念は未だに有用なのです。

Josef さんに対して認めたように、Leiermann さんにもソーカルの批判が「セックスもまたジェンダーである(sex is gender)」を主張する論者の多くにも当てはまることをわたしは認める。ただし、ただ「セックスもまたジェンダー」だけを言い捨てたりせずきちんと説明している論者もそれなりに存在するのに、ジェンダー論を否定したい側の論者が脱文脈的に「セックスもまたジェンダー」だけを取り出して揶揄するという例もあり、そうした行為はソーカルの意図したところではなかったと思う。

さて、ここまではいいとして、「科学は社会的構築物である」という言明が本当に「科学に与える影響は殆どない」のかという点にわたしは疑問を感じる。なぜなら、「科学は社会的構築物である」ということは、ただ単にわたしたちの科学的知識が不完全な人間の認知を通して把握されていることだけを意味しない。それは、現実の社会におけるさまざまな偏見や権力構造が絶えずわたしたちの科学的知識に特定方向への歪みをもたらすということを指し示すのだ。わたしたちが外すことができない「社会」というレンズは、ただ単にぼやけているのではなく、特定の色に染まっている。

例えば、人間の脳における性差を研究しているとして、研究者が抱えているジェンダー・ステレオタイプがその研究者の観察眼を鈍らせないと言えるだろうか。動物や昆虫やそれどころか植物の研究においてすら、わたしたちにジェンダー化された人間の行動についての知識があるために、それらを無意識のうちに投影させて間違った結論を導いてしまう危険がないと言えるだろうか。これらは分かりやすい例なので挙げたけれど、わたしたちが抱えているジェンダーという社会的な知は、研究者の心的投影やアナロジーを通して化学にでも物理学にでも侵犯し得る。

そういった錯誤は特に社会構築主義を意識せずとも通常の科学的手法によって対処できると考えるかもしれない。しかし、単なるミスと違って社会の大半が共有しているバイアスによって生じるような錯誤は、同じバイアスを共有する他の研究者による検証によっても検出されにくいはずだ。そして、実際の研究にたずさわる人たちや学術誌を編集する人たち、さまざまな研究の優先順位を決める人たちが(偶然ではなく、権力構造の偏りにより必然的に)どちらか一方の性に偏るようなことがあればーー原因はともかく、現実に偏っているーー、そうした錯誤が検出される可能性はさらに低くなる。実際、黒人が白人に比べて生物学的に劣っているという「科学的事実」も、女性は男性と違い高等教育に適応できないという「科学的事実」も、白人男性の科学者たちが反証できる機会がいくらでもあったのに、それぞれの集団が市民権獲得を掲げて立ち上がるまでーーそしてかれらの一部が科学者となってそれらの結論に疑問を呈するまでーー是正されなかった。そういう種類の錯誤を発見するためには科学というフィールドを社会学するという手法に効果があるはずで、その効用は「殆ど影響がない」とは言えないのではないかと思う。

「生物学的性別」についても同じようなことが言える。「セックスもまたジェンダーである」と言うことが重要であるのは、ただ単にわたしたちが「セックス」と認識しているものと現実のーー認知の外側に存在しているとわたしたちが信頼しているーー「生物学的性別」とのあいだに微妙な誤差があるからではない。その誤差が単に確率論的・価値中立的なブレではなく、権力構造として特定の歪みを継続的に生み出していると考えられるからこそ、そこに特に注視することが政治的に大きな意味を持つ。

Leiermann さんはここで「近似は間違いではない」としてニュートン力学を例にあげるが、ニュートン力学と相対性理論にあいだに生じる誤差は文字通り単なる誤差であり、よほど特殊なプロジェクトにでも関わっているのでなければ何の影響もないし、影響があったとしてもそれは政治的なインパクトではない。しかし、厳密にはジェンダーと理解されるべきものがセックスと呼ばれるとき、その「誤差」は社会的な事象を指し示すが故に政治的な影響がある。実際のところ、「生物学的性差」がことさらに強調されるのは、男女を何らかの形で区別して異なる扱いをしようという時だ。そうした区別は時には妥当であろうし時にはそうではないだろうが、現に「生物学的性差」という概念が差別的に使用されることが多々あるのだから、多少はそうした概念に懐疑的になっておいて悪くはないはず。「セックスもまたジェンダー」という認識は、「生物学的性差」を根拠に何かを押し付けようとする論者に対し、「あなたはそれが必然だと思っているかもしれないが、もう一度考え直してみないか」と押しとどめる道具になる。

考えてみれば、女性学というのは酷い学問かもしれない。入門して一番はじめの授業では徹底して「セックスとジェンダーは別個」「セックスは生物学的性差、ジェンダーは社会的・文化的性差」と教えておきながら、少し進んだクラスになると「セックスとジェンダーを明確に区別することはできません」「ジェンダーを単なる社会的・文化的性差とする定義は不十分です」という話がでてきて混乱する学生が続出する。それでも学生なら講師に何度も質問して理解すればいいけど、学外の一般のフェミニスト活動家たちは偉い女性学者の著作をどのように理解すれば良いというのか。

わたしは、Leiermann さんの挙げたニュートン力学の例えはこちらの方にふさわしいと思う。「セックスとジェンダーは別個」「セックスは生物学的性差、ジェンダーは社会的・文化的性差」というのは間違いなのではなく、通常の議論上ーー例えばジェンダーフリー教育の是非を議論したりするうえではーーほぼ問題なく通用できる、ニュートン力学なんだ。しかし、ジェンダーについてもっと掘り下げた分析をするのであれば、「別個と言ってもどこでどう区別するんだ」「生物学と社会はどういう関係にあるんだ」という疑問が湧いてきてそれだけでは不十分になるので、相対性理論を使おうということになる。でも、そういう解説だけは誰かがちゃんと行っておかないと、後者の文脈に属する言説を強引に前者の文脈で解釈して訳の分からない状態に陥る危険がある。このエントリが、そうした混乱を解消する手助けになれば良いんだけど。

追記

「セックス」のことを「生物学的性」とよく記述するが、このことは2つの意味に解釈可能であまり望ましいとは言えない。ひとつは、物理的存在としてただそこにある身体の性という意味であり、もうひとつは生物学というディシプリンによって性と規定されたものという意味だ。例えば、以前述べたように「人間のセックスはいくつに分けられるか?」という問いに対し、身体的性という意味であれば「いくつにでも分けられる」が正しいが、生物学的性という意味であれば「2つ」でしかありえない。それは、生物学というディシプリンが単に自然界における生物のあり方をそのまま映し出す鏡ではなく、観測された現象を分節化するための特定のルールや文法の束であるということを意味する。もちろん、だからといって生物学の知見は恣意的であるということにはならない。

101 Responses - “誰でも分かる「ジェンダーがセックスを規定する」の意味とその意義”

  1. Says:

    ものっそ枝葉ですが、「ニュートン力学と相対性理論にあいだに生じる誤差は文字通り単なる誤差であり、よほど特殊なプロジェクトにでも関わっているのでなければ何の影響もない」というのは甘ーい。まちゅかさんがGPS(カーナビ〉を使ってるとしたらもろ関係あるですよ。人工衛星が高速で回ってることによる特殊相対論の効果はおろか、地球の作り出す重力場による時間の遅れという一般相対論的効果さえ重要なのです。

  2. macska Says:

    カーナビ使っている人なんてわたしの知り合いに一人もいませんが、なにか?
    というのはともかく、一般の人だって相対性理論の恩恵を被っているのはもちろん承知しています。しかし、それは一般の人が相対性理論を理解しなければ身近で起きていることを理解できないというわけではないでしょ。もっとも、複雑なジェンダー理論が相対性理論ほど一般の人に恩恵を与えているかとなると確かに怪しいわけですが(笑)

  3. xanthippe Says:

    よいブログを紹介していただきました。早速お気に入りに登録しましたわん。(^^)v
    私もラカンとか好きじゃない(胡散臭い気がする)ので、意見が合いそうです。

    現実として10人いれば10通りの性があるけれど、生物”学”的に言えば性別は2つしかない。なーんでか、というと、生物”学(科学)”が男女二元論にたっているから、ってことですかね?

  4. macska Says:

    えーと、いろいろ違います。まず、「現実として」性がいくつあるかなんていう問いは、自然をわたしたちがどのように分節化するかという社会の側の問題であって、自然そのものから導き出せることではありません。その意味で、10個あるというのは2個あるというのと等価です。自然は、ただそこにあるだけ。

    生物学が男女二元論に立っているというのも違う。わたしたちが「性」とか「性別」というとき、実はいろいろな意味を含んで言っているわけですが、科学では概念を厳密に定義します。生物学で言う「性」とは、一言で言えば生殖能力のことを指すわけです。

    生殖手段というのは種によってだいたい決まっていて、無性生殖をする種、有性生殖をする種、条件によってどちらもする種などがあります。有性生殖をする種では卵子を作るか精子を作るかによってメスとオスがあるのが普通ですが、両性具有の種もたくさんありますし(カタツムリ、ミミズ等)、環境によってオスからメスへと変わることができる種(魚に多い)、オス・メス・両性具有と3種類ある種(植物に多い)などいろいろです。

    「生物学は男女二元論に立っている」と言うのは、何か生物学が恣意的なイデオロギーによって成り立っているような表現であり不当です。もし人類に両性具有が発見されたなら(よく両性具有と混同されるインターセックスは、生殖学的にいう両性具有ではありません)、生物学者はもちろんそれを認めて「人類は男女二元論ではない」と言うでしょう。つまり、「生物学的に言えば性別は2つ」というのは、「性別」という言葉を厳密に定義した上での真摯な現実認識であって誠実なものです。

  5. Leiermann Says:

    はじめまして。わざわざ専門家の方から、これほどわかりやすい説明を頂けるとは思ってもおらず、恐縮しております。まさにこういった説明を探しておりました。素人目には、「単に表現が不用意である」ことと「過激な主張を意図的に行っている」ことの区別が付きにくく、判断に苦しんでいたところでした。こういったことは、啓蒙書程度の本を探してもなかなか載っていないので、まさに痒いところに手の届くお話だったと存じております。
    殊に、「ニュートン力学」と「相対性理論」のもう一つの喩えによる「ジェンダー」概念の二通りの解釈の説明、大変わかりやすく読ませて頂きました。このように話を整理して頂けると、いわゆる「バックラッシュ」派の「ジェンダーがセックスを規定する」という記述への批判が、いわゆる「相対論は間違っている」式の言説の水準であることが推察できます。同時に、そうした「トンデモ解釈」への批判が余り目に付かない理由もある程度想像が付きますので。
    本当にありがとうございました。本来は授業料をお支払いするべきところ、単なる一片のお礼の言葉で片付けさせて頂くご無礼をどうぞお許し下さい。

    さて、「科学に与える影響は殆どない」という箇所についてご批判を頂きましたが、確かに説明不足でした。ごもっともな疑問と存じますゆえ、補足させて頂きます。
    私がここで「科学」と書きましたのは、本来「『科学』という方法論」とでも書くべきだったかと思います。即ち、科学者が現実の社会の歪みに影響を受けるのは確かなことだと私も思っておりますし、その意味で「科学は社会的構築物である」との指摘は「重要」であるとも書きました。ただし、こうした歪み故の誤謬は、また後に、科学的検証によって是正することができる——少なくとも可能性としては——ものです。そして、先入観故の誤謬を指摘し、よりよい仮説を探していくということ自体が科学の営みでもありますゆえ、「科学は社会的構築物である」との指摘は、科学という方法論自体の信頼性には「影響は殆どない」と考えたのです。無論、上で「可能性」と書きましたあたりは議論の詰めが甘く、丁寧な検証が必要かと思いますが、そのあたりは「殆ど」という言葉に含めてごまかしているつもりでして、どうぞご容赦願いたく存じます。
    それと、誠実さを保つために申し上げておきますと、私は(狭義の)実験科学の専門家ではなく、従って「答えが明確に一通りに決まる」世界で生きております故、私の「科学」理解にもかなり不確かな点があるかとも存じます。

    なお、ご引用下さった文章は、趣旨を損なわない程度に後日書き改めさせて頂くつもりでおります。数十分程度で大急ぎで書いたとはいえ、文章として成立していない余りにも見苦しい箇所が散見されるものでありますゆえ……。

    長文をどうも失礼いたしました。

  6. macska Says:

    Leiermann さん、丁寧なコメントありがとうございます。

    「『科学』という方法論」については、一応わたしは社会心理学出身で実験をデザインからインプリメンテーションまで行った経歴もあるので、科学のキモが単なる集積された知識ではなく方法論 (scientific method) にあることはよく分かっています。ただ、社会構造的な影響で生じる歪みが科学的検証によって検出される<可能性>は常に開かれているとはいえ、データをどう解釈するのかという次元だけではなく、何を優先的に検証するのかという次元においても社会構造の影響を受ける以上、研究者や研究予算配分をする人たちの大半が同じバイアスを共有している場合、そのバイアスに都合のいいような種類の歪みが長期に渡って(もしくはずっと)検出を逃れるおそれはあると思うのです。

    科学をフィールドとした社会科学的研究というのは、そういった一種の自家中毒を優先的に検出するひとつのツールとして、社会的意義があるのではないかとわたしは思っています。もちろん、話にならないレベルの「科学論」も多いので、そのあたりはソーカルに習って厳しく批判しておけば良いと思いますが。

    ソーカルと言えば、わたしの知り合いにちょっと変わり者の分子生物学者がいて、エントリーレベルの研究員が研究室でどのような扱いを受けているかを性別と人種で比べるという調査を行ったんですね。結果は想像通りで、はっきりと見える形で差別的な扱いを受けるケースはそれほど多くないとはいえ、「ガラスの天井」的な見えない障壁があった。それを論文にして科学誌に提出したところ、ほとんど出版が決まりかかったところでリビュアーの一人からクレーム。それはなんと「これはソーカルの真似かもしれないから気をつけろ」というもの。つまりそのリビュアーは、この調査自体がでっち上げで、あとから「学術誌はリベラルだから女性や少数民族が差別されているという内容だときちんと精読せずに出版している」と暴露したいがために提出されたのではないか、と疑った様子。さらにそれを受けて編集者が「自分はこれがウソ論文だとは思わないけど、リビュアーがそういう疑念を持っているようだから、ちょっと発見をおとなしく書き換えてよ」と、それこそ研究結果の改竄を求めるような言い方をしてきたらしいです。

    しかし、ソーカルのウソ論文は「一見真っ当な論文だけれど実は嘘」なんてレベルじゃなくて、専門家がきちんと読めば明らかにパロディだと分かるほどおかしな内容でした。専門家にきちんとチェックさせていなかったことが Social Text の問題点だったわけで、チェックする専門家が疑心暗鬼に囚われて「これはウソ論文かも」みたいに思い出したらキリがない。科学界における人種差別や性差別についての研究報告がこんな形で妨害されてしまうとはまったく迷惑な話ですが、こんなところにも広く共有されたバイアスに都合の良い誤謬が修正されにくいメカニズムがありました(笑)

  7. Niemals-Gasse Says:

    [学問][読書][blog]二つの文化とジェンダー論 (2)

     随分以前の記事「二つの文化とジェンダー論 (1)」に関連して。先日の記事のコメント欄での moricoro 氏のご指摘への返答である。これに関しては、先に同氏の記事「コメントが長くなったのでTB」をお読みいただきたい。 経緯  私が、「ジェンダー・フリー」に関して、註記

  8. Leiermann Says:

    どうも丁寧なお返事をありがとうございました。何か釈迦に説法をしてしまったようで申し訳ございません。確かにおっしゃるような問題点の「重要」性は強調すべきと思いますし、ソーカルが “Social Text” 誌周辺に見られた低レベルな言説を批判した意図も、むしろそうした鋭い批判を浮き立たせるためであったと、私は理解しております。

    なお、ご引用いただいた記事の文章表現を最小限改め、さらにこの記事の短い紹介を書き加えた上で、トラックバックを送信させていただきました。どうぞよろしくお願い申し上げます。

  9. Josef Says:

    「文化的・社会的なレンズを通して見た」という比喩は分かりやすく常識的である反面、「ジェンダーがセックスを規定する」がすっかり<無害化>されますね。「ポスト構造主義の到達点」などとというはしゃぎぶりがおバカに見えるのはどうでもいいとして、レンズを適正にすれば真正なる対象認識に近づく、という理解を招くと思うのですが、それでいいのですか?
    同じことですが、レンズに歪みや色収差は付きものだから「特定の色に染まっている」「権力構造として特定の歪みを継続的に生み出している」等の表現は分かりやすいけれど、歪みのない対象認識がある、という前提に立っているかに見えます。人種差別を補完した「科学的事実」等が例示されることによって、それらを正す(=歪みのない認識へともたらす)のが科学を社会学することの効用である、と。

  10. macska Says:

    > レンズを適正にすれば真正なる対象認識に近づく、という
    > 理解を招くと思うのですが、それでいいのですか?

    多分、近づくことは近づくでしょう。認識がどこまでいっても永遠に不完全であることは、この例えでなくとも科学的な観測でもそうですし。

    > 歪みのない対象認識がある、という前提に立っているかに見えます

    もちろん、対象認識が不完全であることは、レンズの不完全性だけが問題でないことは分かってますよ。でもそれもこの例えに限った話ではなくて、仮に「完全に歪みのないレンズ」なるものを顕微鏡なりなんなりに取り付けたと想定しても、やっぱり対象認識は不完全。どこから「歪みのない対象認識がある」という話がでてくるのでしょうか。

  11. ラク Says:

    >それは、現実の社会におけるさまざまな偏見や権力構造が絶えずわたしたちの科学的知識に特定方向への歪みをもたらすということを指し示すのだ。わたしたちが外すことができない「社会」というレンズは、ただ単にぼやけているのではなく、特定の色に染まっている。

    真に客観的な立場にどうすれば立てるのかが問題でしょうね。
    構築主義者の言によれば、モノグラフ的な記述自体が社会的な構築活動ということらしいですから、だとすれば構築的でない記述などないということでしょう。

    また、ソーカルも「権力」関係のバイアスのことには触れていたと思いますが、私の記憶違いでなければあれはたしか妥協するしかないということだったか、と。
    間違ってたらすいません。

  12. xanthippe Says:

    macskaさん 素人向けに解説ありがとうごじゃります。(^^)v

    >えーと、いろいろ違います。まず、「現実として」性がいくつあるかなんていう問いは、自然をわたしたちがどのように分節化するかという社会の側の問題であって、自然そのものから導き出せることではありません。その意味で、10個あるというのは2個あるというのと等価です。自然は、ただそこにあるだけ。

    そっかあ・・。そりゃそうだあ。気がつかなかった落し物を拾ってもらった感じだわん。

    >生物学が男女二元論に立っているというのも違う。わたしたちが「性」とか「性別」というとき、実はいろいろな意味を含んで言っているわけですが、科学では概念を厳密に定義します。生物学で言う「性」とは、一言で言えば生殖能力のことを指すわけです。

    おおそうかあ。生物学は性的志向にまで踏み込まないんだ・・・。ってこと? まだ科学的に解明されていないんだって言うほうがいいのかな?

    バックラッシュの人たちは、「文化が性志向に影響を与える」と実は信じているらしく、そういう意味で「ジェンダーがセックスを規定する」って事を「まとも」に受け取って、だからジェンダーフリーには反対だ、っていっているような気がするんですけど。

    それはそうと、生物学者は既存のジェンダーというレンズを通していろんなものを観察している可能性があるから、観察から読み取る情報も、それについての解釈も、影響を受けている可能性はあるんでしょう?

  13. foo Says:

    >どこから「歪みのない対象認識がある」という話がでてくるのでしょうか。

    「歪みがあるよ」とか「適正な認識に近づくことがある」というような主張をするためには、少なくともなんらかの仕方で「適正な」認識を獲得することができるという想定が必要になるという話でしょう。このJosefさんのつっこみを理解できないとするとかなり問題があるんじゃないでしょうか。

  14. foo Says:

    もちろん、「われわれの目を含めてすべてのレンズは歪んでいるのだからすべての認識は不完全なのだ」という主張をすることができますが、その場合、歪みの程度を云々することができるのかどうか(「このレンズはあのレンズより歪んでいる」と言えるのかどうか)には答えてほしいような気もします。

  15. Josef Says:

    >どこから「歪みのない対象認識がある」という話がでてくるのでしょうか。

    fooさんがいうように、「歪み」と言いうるためには「歪みのない状態」が想定されていなければならないってことです。

    別に難癖をつけているつもりはなくて、私は外野から、社会構築という考え方はそういう「歪みのない状態」の想定を真理主義として批判し、もっと機能主義的に考えるものだと理解していたのですね。その立場からすると、真理主義は「誤り」として否定されるというよりも、「かつては真理主義的な考え方が有用なものとして社会的機能を担っていた」というふうな説明になろうかと思います。そういう私の理解はmacskaさんの説明とズレている気がするので、私の理解が間違っているなら正したいと思っているわけです。

  16. macska Says:

    わたしはそんなにラディカルな構築主義に立つわけじゃないんですが… それに、わたしが問題にしているのは歪み一般ではなくて歪みの政治性ですよ。全体的に言ってより「歪みのないレンズ」というものが成り立つかどうかは別として、特定の誤謬を是正することは、少なくとも科学というディシプリナリティの内側ではできるはずです。

  17. xanthippe Says:

    それって(”特定の誤謬を是正することは、少なくとも科学というディシプリナリティの内側ではできるはずです”とmacskaさんがおっしゃったこと )、科学は検証できるだけでは不十分で、反証可能性がきちんと担保される科学(者?)である必要があるってことと、”The Open Soseity and It’s Enemies”でポパーがbiological naturarismを批判して言っていたことに関係してきます?

  18. ラクシュン……すいません(^^ゞ Says:

    >白人男性の科学者たちが反証できる機会がいくらでもあったのに、それぞれの集団が市民権獲得を掲げて立ち上がるまでーーそしてかれらの一部が科学者となってそれらの結論に疑問を呈するまでーー是正されなかった。

    このことから「錯誤」を発見するための客観的視点の「科学」ということのようですが、『社会生物学の勝利』(ジョン・オルコック…いろいろ書かれてあって必読本♪)によれば、あの有名なマーガレット・ミードのウソッパチの学説を数十年に渡って通用させたのは社会科学者であり、スーザン・ブラウンミラーの、強姦は「すべての男性がすべての女性を恐怖状態に陥れておこうとくわだてている、意識的な威嚇のプロセス以外の何ものでもない」のであって、強制的なセックス(性交)はセックス(性別)の問題ではなくて「権力」の問題だ、などというどうまったくありそうにない主張にも、ほとんど反論してこなかったのも同じ科学者なのではないでしょうか。
    なぜここでこんなことを言うのかといえば、なんでも「権力構造」の一言で片付けられ、しかもその殆どが男にだけに帰着している印象があることから、権力=男=利益という偏見や「バイアス」がMacskaさんにもあるのかなと思ったからです。

    社会構築主義でも物議を醸している存在論上の恣意的境界設定(オントロジカル・ゲリマンダリング)の問題はかなりヤッカイなんですよね。
    そして、「権力」という概念は、社会構築主義のなかでも、かなり多義的な雰囲気ですよ。
    (参考:『社会構築主義のスペクトラム』)

    あと、「社会科学」がそれほど立派なものなら↓な社会学者兼フェミニストorフェミニスト兼社会学者もいないわけで、上野千鶴子。(笑
    http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/Tmp/mothercom.html
    http://homepage3.nifty.com/starbird/book.html

  19. macska Says:

    >ラクシュンさん

    > このことから「錯誤」を発見するための客観的視点の「科学」ということのようですが、(略)

    あのー、科学論、すなわち科学の社会科学的研究にどういう意義があるかどうかという話をしているのに、社会科学の中にはおかしなものもあるという話をして(そして仮にその批判が正しかったとして)一体何の意味があるんでしょうか?

    それを言うなら、自然科学者の中にもおかしな主張をした人はいます。それは自然科学がでたらめである証明にはなりませんね。

    > あの有名なマーガレット・ミードのウソッパチの学説を数十年に渡って通用させたのは社会
    > 科学者であり、

    ミードが影響力を持ったのは、一般書としてベストセラーになったからです。一般書を通してある学説が広まったとき、あとから「あれは間違いでした」となっても、なかなか世間の知識は訂正されません。そのため、人類学の中でミードの学説が否定されたあとも、一般の読者や専門外の(つまり、別の専門を持つ)学者が信じたままであったということは確かにありました。でもそれって、自然科学でも起きることですよ。

    > スーザン・ブラウンミラーの、強姦は「すべての男性がすべての女性を恐怖状態に陥れてお
    > こうとくわだてている、意識的な威嚇のプロセス以外の何ものでもない」のであって、強制
    > 的なセックス(性交)はセックス(性別)の問題ではなくて「権力」の問題だ、などという
    > どうまったくありそうにない主張にも、ほとんど反論してこなかったのも同じ科学者なので
    > はないでしょうか。

    レイプはセックスの問題ではなく権力の問題だというのは、そんなにおかしな主張ですか? 権力だけの問題だというのは言い過ぎだと思いますが、単なる性欲の問題ではないというのは重要な指摘だったと思いますが。

    それから、ブラウンミラーのその言葉は誤訳です。原文だと、rape is nothing more than a conscious process of intimidation by which all men keep all women in a state of fear となりますが、「すべての男性」のあいだに何らかの陰謀があることを彼女は主張していません。レイプは威嚇のためのプロセス以外のなにものでもなく、それによってすべての男性はすべての女性を恐怖に陥れている、という意味です。

    ここでブラウンミラーが主張しているのは、レイプという威嚇が存在するために、すべての女性はすべての男性を潜在的なレイピストとして恐れなければならないことを指摘しているのであって、すべての男性が意図してなにかをやっているとは言っていない。そんな無茶苦茶な主張をするとはまったくありそうもないことなのに、どうしてあなたは誤訳を疑わずに文字通り信じ込んでしまったのでしょうか?

    それから、ブラウンミラーの説はボコボコに批判されてますよ。ほかのフェミニストにも。例えばスーザン・ファルーディ「バックラッシュ」(双風舎『バックラッシュ!』とは違います)では、ブラウンミラーをフェミニズムに対するバックラッシュの一勢力とみなして批判しています。

    > なぜここでこんなことを言うのかといえば、なんでも「権力構造」の一言で片付けられ、
    > しかもその殆どが男にだけに帰着している印象があることから、

    あなたの印象が間違いです。なんでも「権力構造」に結びつけていないし、男だけに帰着していない。ある個別の件について「これを権力構造に結びつけるのは間違っている」と批判されるなら良いですが、漠然とおかしな「印象」を述べられても「あ、そう、おかしなヒトだね」で終わり。

    > 権力=男=利益という偏見や「バイアス」がMacskaさんにもあるのかなと思ったからです。

    男が常に利益を得ているとは思いませんが、性別による権力構造がないとでも?

    > あと、「社会科学」がそれほど立派なものなら↓な社会学者兼フェミニストorフェミニスト兼
    > 社会学者もいないわけで、上野千鶴子。(笑

    社会科学が立派だとか立派でないとかいう言説はまったく理解不能です。
    社会学者には、立派な人もそうでない人もいるでしょう。自然科学者も同じですが。

    紹介された件については、上野氏が間違いだと思います。だから何?

  20. Josef Says:

    なるほど、構築主義といってもいろいろでしょうね。macskaさんは穏健な立場であるととりあえず理解しておきます。

    ただ、「ジェンダーがセックスを規定」は、macskaさんの手にかかると比較的常識的な見解に回収されますが、もっとラディカルな考え方として提出されたものではありませんか?自然科学内部の言説は概ね実体的なものを指し示そうとしているわけですが、そうして指し示されるものをも言語・権力ゲームの中に位置づけようとする。実体的なものは原因ではなく結果とみなされる。主体、身体、真理…、そうしたものを「原因」とみなすことを拒絶する。そういう立場の表明であるからこそ、一部の人たちに歓迎されるのではないかと思うのです。

    生物学や科学一般が社会的な男女二元論に基づいている、というのはxanthippeさんの「誤解」ではなく、上のような志向を正しく感じとった上での「理解」ではないでしょうか。そしてそうであればこそ「批判」にもさらされるのだと思うのですが。

  21. ラクシュン Says:

    >あのー、科学論、すなわち科学の社会科学的研究にどういう意義があるかどうかという話をしているのに、社会科学の中にはおかしなものもあるという話をして(そして仮にその批判が正しかったとして)一体何の意味があるんでしょうか?

    いえ、アナタの文章のなかに、科学的真理の追究のためには「社会学」の視点を導入する必要があるといった趣旨のことが書かれてあったと思ったからのことで。だからその社会学がでたらめだったらどうなるのかなあ、と。私の勘違いならスイマセンね。

    >そのため、人類学の中でミードの学説が否定されたあとも、一般の読者や専門外の(つまり、別の専門を持つ)学者が信じたままであったということは確かにありました。でもそれって、自然科学でも起きることですよ。

    そうなんですか。しかし、ミードの学説が否定されたというのは何時頃なんですか?
    いずれにしても、「ミードの結論は、科学的に正確というよりは、思想的に聞こえの良いだけのものだったということを、彼女の発見が社会科学者たちの間で何十年にもわたってお気に入りであり続けたあとで暴露することは…」、となっています。

    >(…)「すべての男性」のあいだに何らかの陰謀があることを彼女は主張していません。レイプは威嚇のためのプロセス以外のなにものでもなく、それによってすべての男性はすべての女性を恐怖に陥れている、という意味です。

    どこに違いがあるのか解りません。
    そして、「強姦に関する神話」についての文書が、米の幾つかの大学のインターネットに掲示されている(た?)ようで、そこには「性的な暴力は、セックスではなくて権力に関するものであるので、被害者の年齢や外見は、何の関係もない」、「強姦は、性的指向や性的欲望とは無関係である。それは、犠牲者を肉体的に痛めつけ、卑小なものにさせる、権力行使であり、コントロールである」、などと書かれているようで、アナタのような玄人の解釈が世間にどれほど通用しているのかが疑問?です。
    それと、オルコックの関心の一つは、この考え方が「自然主義の誤謬」の裏返しではないのかということのようです。ここは肝心だと思います。

    >それから、ブラウンミラーの説はボコボコに批判されてますよ。

    数年前にネットで上記のような趣旨の意見を読んだ記憶がありますが、ポコポコにされたということは聞いていません。

    >ある個別の件について「これを権力構造に結びつけるのは間違っている」と批判されるなら良いですが、漠然とおかしな「印象」を述べられても「あ、そう、おかしなヒトだね」で終わり。

    個別も何も、アナタを知って以来、ずーっと「構造」と「権力」のオンパレードですよ。そして男・男・男…。

    >男が常に利益を得ているとは思いませんが、性別による権力構造がないとでも?

    ほとんど感じませんね。

  22. xanthippe Says:

    自然科学に社会科学の視点が必要だというのはカールポパーも言ってたと思いますが・・。どうだったかな? その反対もありだろうし。それっていまごろフツーになされていることじゃないのですか?

    それと、楽俊さん 反論になってないっすよ? macskaさんは社会学一般がそうだなんていってないしい。反論されるなら社会科学と自然科学の具体的な分野を明らかにして、具体的な例を上げなきゃ。

    それからレイプに関しては、レイプは性欲を満たすというより力を行使する(支配するという満足感を得る)のにセックスを道具として使うものだという考え方があることくらい、別に玄人でなくても知っておりますがね?

    性別による権力構造があるかないかは、楽俊さん個人がどう感じるかには関係なくて、重要なことを決定する意思決定機関の男女比を見れば、出てくる数字で確認できるんだし。

  23. moricoro Says:

    一言お礼を。勉強になりました。Leiermannさんとのコメントのやり取りを見ると、お二人に対する自分の力不足を感じます。
    追記の部分、「『セックス』のことを『生物学的性』とよく記述するが、このことは2つの意味に解釈可能であまり望ましいとは言えない。」については特に自分の迂闊さに気づかされました。「ジェンダーがセックスを規定するとはどういうことか」では全て生物学的性と書いていた気がします。卒論とか書いてたときには気をつけてたはずなのになぁ。

  24. macska Says:

    Josef さん:
    > ただ、「ジェンダーがセックスを規定」は、macskaさんの手
    > にかかると比較的常識的な見解に回収されますが、もっとラ
    > ディカルな考え方として提出されたものではありませんか?

    えーと、だからそれはソーカルの批判の通りで、もっとラディカルに誤読できるような書き方をしていたけれど、実際に問い詰められたら「そこまで言っているつもりじゃなかったんだよ」とみんな後退してしまったわけで(笑)

    ラクシュンさん:
    > いえ、アナタの文章のなかに、科学的真理の追究のためには
    > 「社会学」の視点を導入する必要があるといった趣旨のこと
    > が書かれてあったと思ったからのことで。

    科学的手法によって検出しにくい種類の誤謬を発見するためには、社会学的手法によって科学というフィールドそのものを研究するのが有効である、と書いていたのですけど。あなたの言うことは個人的な印象が多すぎて議論になってません。

    > いずれにしても、「ミードの結論は、科学的に正確というよ
    > りは、思想的に聞こえの良いだけのものだったということを、
    > 彼女の発見が社会科学者たちの間で何十年にもわたってお気
    > に入りであり続けたあとで暴露することは…」、となってい
    > ます。

    ひとつのソースを疑いもなく信仰してしまうことは、ミードの結論を何十年にも渡って信じ込んできた人と同じ間違いですよ。

    > どこに違いがあるのか解りません。

    えーっ? 本当に分からないの?

    ブラウンミラーの主張は、男性同士のあいだに陰謀があるわけではないけれど、一部の男性が一部の女性をレイプするというだけで、すべての女性がすべての男性を「潜在的なレイピスト」として恐れる事態に陥っているということです。あなたが紹介した邦訳は、「すべての男性」が屈託して「すべての女性」を恐怖に陥れるために計画的にレイプを行っているような意味に読める。後者の解釈が「あきらかにありえない」ことだというのはたしかですが、前者の解釈であれば「ちょっと極端だし単純化しすぎだけれど、言っていることは分かる」程度の主張になると思いますが。

    > アナタのような玄人の解釈が世間にどれほど通用しているのか
    > が疑問?です。

    学問的な視点や主張が一般に広まるとき、えてして単純化されたり誤解されて広まることが多いというのはその通り。そういう誤解を解くのはなかなか難しいのです。

    > ポコポコにされたということは聞いていません。

    あなたが聞いたことがない物事というのも、この世の中にはあるのです。

    > 個別も何も、アナタを知って以来、ずーっと「構造」と「権力」
    > のオンパレードですよ。そして男・男・男…。

    ひどく選択的な読み方をしているんですね。そんなに嫌なら読むのをやめればいいのに。

  25. tummygirl Says:

    ちょっと気になるのですが。

    >もっとラディカルに誤読できるような書き方をしていたけれど、実際に問い詰められたら「そこま>で言っているつもりじゃなかったんだよ」とみんな後退してしまったわけで

    みんな後退したというのはどうでしょう。Macskaさんの理解とは異なるのかも知れませんが、わたくしはバトラーは別に後退していないと思います(Bodiesにおいても、その後の著作においても、です)。セックスはジェンダーだ、と最初から言っていたし、それはそのまま維持されている。この場合の「セックス」は、彼女が「ジェンダー・トラブル」を書いた文脈においては、「認識を媒介しない実体としての(=普遍的に真実であるような)身体的性差」であり、「ジェンダー」はMacskaさんがおっしゃっているような、性差に関する知というような意味合いです。

    要するに、私たちが認識を媒介としないような実体的で普遍的な性差だと思っているものも、私たちの認識上のものですよ、ということであり、これは端的に、「これは実体的な性差なのだから、それに対しても、あるいはそれを基にしたジェンダーのあり方に対しても、異議を唱えることはできない」という議論への、批判として唱えられたものです。

    で、Macskaさんの説明はわたくしはかなり正しいと思うのです(完全に正確なのか?と言われたらちょっと分からないのですが)。「あなたがセックスだと思っているものは身体そのものではなく、文化的・社会的なレンズを通して見た、身体についてのひとつの解釈ですよ」というご説明ですね。

    バトラーはそもそもレンズを通さないような身体を私たちは認識できないし、身体をそのようなものとして語ることもできない、その意味で「実体的なもの」はわたくしたちにとってそう認識しうるものでしかない、といっているわけですよね。だからそのような「実体的なもの」を「実体的である」という理由によって「原因」とみなすことはできない、と。

    Josefさんが、「身体だと思っているものは身体そのものではなく、レンズを通してみた解釈だ」という認識を「構築主義を無害化するものだ」と仰りつつ、「(本来の、あるいは穏健ではない)構築主義は実体的なものは原因ではないと主張するのでは」と仰るのが、その点でわたくしには分からないのですが。

    そもそも「実体的なものを『原因』とみなすことを拒絶する」というよりも、実体的なものを「実体的であるという理由によって」、原因とみなさない、というのが正しい解釈だと思うので、そこですでにすれ違いが起きているようには思いますけれども、基本的には、解釈ではないような身体そのものを私たちは認識することができない=実体的なものと思われているものは実体ではない、ということになるので、その二つは矛盾なくつながるのではありませんか。

    その意見に賛成か反対かはまた別ですが(わたくしは賛成です)。

    もちろんそれは、身体の各部位が「認識によってつくられているということではありません。少なくともバトラーは一度もそういうことは書いていないはずです。Josefさんに今更そんなことを申し上げる必要はないようですけれども、誤解する人が今でもいるので。

  26. Josef Says:

    >macskaさん
    分かりました。「後退してしまった」とのことですが、たぶんその方がリアリズムだと思います。

    >tummygirlさん
    日常的なコミュニケーション実践や哲学的・思想的言説に関しては、それらを言語的権力ゲームとして捉えることは可能でしょう(たとえばニーチェ)。ただ、このエントリーで前景化されている自然科学となると、それが「外部」を対象とするものであるだけに、構築主義(的なモノの考え方)は特にクリティカルな立場に立たされるんじゃないかなあと思うのです。

    「実体的なもの」が「そう認識しうるものでしかない」とすれば、構造的には独我論に似てきます。独我論にもいろいろありますが、おおよそ、全ては「私のこの意識」に生じる、という処から出立して「私の意識の中」を探るという方向になります。この場合は「社会」もまた「私の意識にそのように映るものにすぎない」となり、社会という外的な関係の束が「私」を規定しているという考え方は認められません。「私」の外部には出られない、というわけですね。

    tummygirlさんが理解するバトラーは上記の「私」を「社会」ないしは「言説」にシフトさせたものにみえます(もちろんそのつもりはないでしょうが)。「私の認識」が「社会的認識」に変わっただけ、と言ったら言いすぎでしょうか。独我論が「私の外部には出られない」と言うのに似て、言説空間の外には出られない、ということではありませんか?

    そして、独我論に対して「そりゃ全ての認識はこの意識に起こってるんだけど、他方ではこの意識や認識も外的なもの、たとえば環境とか社会とか脳の構造とか、に規定されちゃってるんでねーの」と言いうるように(むしろそれが常識)、「社会的(制度的)存在としての言説もまた外的なものに規定されている」と言いうるし、それが常識でもあるでしょう。虹が七色か五色かは文化の相違、つまり言語的分節の違いかもしれないけれど、何色であれ複数の色の集まりに見えてしまうということは社会や文化の「外部」で決定されているのではありませんか。

    批判されるべきは、たとえばですが、「虹に七色もの色彩を見る日本民族は他の民族より優れている」というふうな言説なのであって、批判が昂じて、そこから、実体的なものを原因と見なす思考一般を否定するとしたら、それは一種のヒステリーないしはラディカルな退行ではないかと思うのですが。

  27. tummygirl Says:

    >josefさん

    すみません、急いでいるので短く。あと、この後明日までアクセスできませんので、何かありましたらそれ以後になります。ごめんなさい。

    ええと、バトラー的には、言説空間の外には出られない、のはその通りです。それに賛成か反対かは既に書いたように人によります。

    ただしそのことと「全ては言説に起因する」こととは同一ではありませんし、言説が言説それ自体以外の何者からも影響をされないということでもありません。Josefさんのコメントはそこを意図的に混同して議論なさっているように思えるのですが。

    先のコメントでも書いたことですが、バトラーは全ては言説によって生み出されるという主張をしたわけではありません。言説の外部は認識できないという主張はしますが。
    「原因論」が出てくるのは、「言説の外部」あるいはそれを「実体」と言っても良いのですが、私たちに言説を媒介せずに認識できる形でそのようなものが存在しているのであり、「従って」このような実体を(たとえばジェンダーというシステムの)正当にして普遍的な「原因」とみなすことができる、という「原因論」を「批判する」という文脈においてのみです。繰り返しますが、このような原因論を批判することと、「全ては言説によって生み出される」という主張とは、異なります。

    バトラーの主張に対する批判なんていくらでもあるし、別にそれはそれでかまわないのですが、彼女の主張を誤解したままの批判が広まっても馬鹿馬鹿しいので、せめてそこで議論を混同させるのはやめませんか。

  28. ラクシュン Says:

    >科学的手法によって検出しにくい種類の誤謬を発見するためには、社会学的手法によって科学というフィールドそのものを研究するのが有効である、と書いていたのですけど。あなたの言うことは個人的な印象が多すぎて議論になってません。

    だから、その社会学という名の科学の紛い物によって科学の客観性の何が検証できるのかということですよ。

    >ひとつのソースを疑いもなく信仰してしまうことは、ミードの結論を何十年にも渡って信じ込んできた人と同じ間違いですよ。

    だからそれは、Macskaさんが前レスで挙げておられたような、単なる素人だけの誤解?などということではまったくなくて、専門分野の人たちが長年にわたって支持し続けていたということですよ。

       *********************************
     実際、黒人が白人に比べて生物学的に劣っているという「科学的事実」も、女性は男性と違い高等教育に適応できないという「科学的事実」も、白人男性の科学者たちが反証できる機会がいくらでもあったのに、それぞれの集団が市民権獲得を掲げて立ち上がるまでーーそしてかれらの一部が科学者となってそれらの結論に疑問を呈するまでーー是正されなかった。そういう種類の錯誤を発見するためには科学というフィールドを社会学するという手法に効果があるはずで、その効用は「殆ど影響がない」とは言えないのではないかと思う。
       *********Macskaさん**************

    前に書いたことに関連しますが、こういうことが平気で書けること自体からMacskaさんの認識に「バイアス」がかかっているということです(…この後男女問題へと)。「権力」やそれに纏わる一方的な性(=男)だけでその不公正を断罪できるといった主張があるとすれば、その反例になるのが上野千鶴子といえるでしょう。上野千鶴子の『マザコン少年の末路』が問題視されたのは、Macskaさんの例示とほとんど同じ経緯を辿っています(本の出版から遙7年後に問題化)。
    言っておきますけど、「自閉症」以前の問題として、「マザコン」って女によってなされる一方的なラベリング(スティグマ)ですよ。 しかも未だに言ってる。

    >ブラウンミラーの主張は、男性同士のあいだに陰謀があるわけではないけれど、一部の男性が一部の女性をレイプするというだけで、すべての女性がすべての男性を「潜在的なレイピスト」として恐れる事態に陥っているということです。

    え〜ぇ、何かかなり(知らない人だけど)後退した印象があるのですがぁ〜?
    で、そのブラウンミラーの真意としては、あまり男を恐れる必要は、ない、とでもぉ〜…?
    そんにゃ〜…(笑)

    >あなたが紹介した邦訳は、「すべての男性」が屈託して「すべての女性」を恐怖に陥れるために計画的にレイプを行っているような意味に読める。後者の解釈が「あきらかにありえない」ことだというのはたしかですが、前者の解釈であれば「ちょっと極端だし単純化しすぎだけれど、言っていることは分かる」程度の主張になると思いますが。

    まにゃんちゅーか、解りにくさになお一層拍車をかけているのは、Macskaさんがネイティブではないということなんでしょうね。
    所詮アウトサイダーはアウトサイダーでしょうに。

    >学問的な視点や主張が一般に広まるとき、えてして単純化されたり誤解されて広まることが多いというのはその通り。そういう誤解を解くのはなかなか難しいのです。

    誤解か意図的かの区別がどうやって判定できるのですか?
    でなきゃ何だってメタファーだのアナロジーだの何だのかんだので言い逃れができてしまいますよ。何処かの誰かのように、当たり前の面をして…。

  29. ラクシュン Says:

    >tummygirlさん

    バトラーは、自身の矛盾を告白しているという噂もあったりで…。

  30. macska Says:

    ラクシュンさん:
    > だから、その社会学という名の科学の紛い物によって

    はい、偏見暴露ありがとうございます。

    社会学の意義をそもそも認めていないのでしたら、社会学による科学フィールド研究の意義も認められないのは当たり前です。もしラクシュンさんがわたしの学生なら、社会学にはこんなに意義があるんだと説得しようという気にもなりますが、ブログでそこまでやりたくもない。ただ、世界中の大学に社会学の講座がもうけられているということは、世間の人たちの多くはラクシュンさんと違い社会学の意義を認めているのだと思っていただくほかありません。

    > 「権力」やそれに纏わる一方的な性(=男)だけでその
    > 不公正を断罪できるといった主張があるとすれば

    仮定法ですが、前提が成り立たないので結論は無意味です。
    つまり、あなたの言うことは全部無意味。

    上野さんの言語感覚や無神経さというのはわたしも非常に気になっていますが、それはまた別の話。

    > え〜ぇ、何かかなり(知らない人だけど)後退した印象があるのですがぁ〜?

    極端な意味に誤訳されていた文章に比べて、元の文章のほうがインパクトが弱いのは仕方がないでしょう。

    > で、そのブラウンミラーの真意としては、あまり男を恐れる必要は、ない、とでもぉ〜…?

    どうすればそのようなバカげた読み方になるんでしょうか。レイプというものが個々の加害者と被害者だけの問題ではなく、直接には加害者でも被害者でもない男女の関係(そして、集団としての「男性」と「女性」の関係)にすら影響を与えていることを彼女は指摘しているのです。

    > Macskaさんがネイティブではないということなんでしょうね。
    > 所詮アウトサイダーはアウトサイダーでしょうに。

    意味不明です。わたしはもちろん自分は社会的な意味でアウトサイダーだと感じていますが、「所詮」と言われるような覚えはありません。

    > 誤解か意図的かの区別がどうやって判定できるのですか?

    それは難しい。学問というのは(よほど信頼できない相手であるという根拠がない限り)お互いのことを学問的に良心的な相手だと仮定してやり取りすることがマナーとなっています。意図的に間違ったことを広めようとしているとはすぐにはみなさない。というのも、全ての実験結果について「これは捏造ではないか」と疑い出したらキリがないので、とりあえず特に疑う理由がなければ「捏造ではない」と仮定して扱うしかないわけです。だからこそ、その信頼関係をブチ壊すような行為をした人はあっという間に地位や評判を失ったり追放されたりするわけですね。そういう社会的制裁が十分に機能しているのかどうかというと、ちょっと疑わしいような気もします。でも、いまのところそれを越える仕組みはありません。

  31. ラクシュン Says:

    はいはい、全部逃げてくれましてありがとうございます。

    >意味不明です。わたしはもちろん自分は社会的な意味でアウトサイダーだと感じていますが、「所詮」と言われるような覚えはありません。

    なんか悪い予感が的中したみたいですが、そういう意味じゃないというのかぁ…。

  32. ラクシュン Says:

    >それからレイプに関しては、レイプは性欲を満たすというより力を行使する(支配するという満足感を得る)のにセックスを道具として使うものだという考え方があることくらい、別に玄人でなくても知っておりますがね?

    だったら、逆がないって何故言えるんですかね。

    >性別による権力構造があるかないかは、楽俊さん個人がどう感じるかには関係なくて、重要なことを決定する意思決定機関の男女比を見れば、出てくる数字で確認できるんだし。

    その多数派が何故「悪」になるんですかね。
    息子の怪我をした足を蹴ったのが女なら何も言えなくなる親、悔しがるフリをすることで自尊心を納得させられるのは、被害者が男、加害者が女だからじゃないんですかね。
    結局、こうやって女は男と同等の責任を問われない。
    だから、そりゃ無理なのよね。

  33. macska Says:

    ラクシュンさん:
    > はいはい、全部逃げてくれましてありがとうございます。

    ほかに何と言えば良かったんでしょうか? あなたにこの場で社会学の意義を証明しろとでも?

    > なんか悪い予感が的中したみたいですが、そういう意味
    > じゃないというのかぁ…。

    だったら、説明したらいいでしょ。意味不明の発言をしておきながら伝わらないからって逆ギレしないでください。

    > だったら、逆がないって何故言えるんですかね。

    「逆がない」と誰も言っていないのに勝手にそう解釈して「逆がないって何故言えるのだ」と言う例。

    > その多数派が何故「悪」になるんですかね。

    「悪」だと誰も言っていないのに勝手にそう解釈して「なぜ悪なんだ」と言う例。

    誰も言っていないことに「反論」してばかりいて、なにが楽しいんですか?

  34. ラクシュン Says:

    >ほかに何と言えば良かったんでしょうか? あなたにこの場で社会学の意義を証明しろとでも?

    そんなものあるハズないでしょう。

    >だったら、説明したらいいでしょ。意味不明の発言をしておきながら伝わらないからって逆ギレしないでください。

    はいはい使い慣れない言葉を使った私が悪うございました。
    しかし「逆ギレ」なんかしてないつもりですが、まさかそうやって、私に言い掛りをつける寸法じゃないでしょうねぇ。

    >> だったら、逆がないって何故言えるんですかね。

    >「逆がない」と誰も言っていないのに勝手にそう解釈して「逆がないって何故言えるのだ」と言う例。

    逆のほうが“素人”的には自然な解釈だろうと言っていることに対して、「「逆がないって何故言えるのだ」と言う例」というあまりにもバカげた例。

  35. Josef Says:

    >tummygirlさん
    レスを急ぐ必要はないので、時間のある時にどうぞゆっくりお書き下さい。
    ヒステリーとか退行とか、相手の気分を害するかもしれない言葉を使いましたが、人格批判する気も喧嘩する気も全然ないのでご寛恕願います。

    「言説の外部は認識できない」という点についてですが、カントの「物自体」を持ち出すまでもなく、対象それ自体をジカに認識できないのはその通りです。だからこそ諸科学はそれを間接的に認識すべく様々な手法を発達させてきたわけですね。いわば言説の外部を間接的に認識しようとしてきた。そうして観察・実験・検証・再検証を経て得られた対象認識を、それもまた社会内で行われる言語行為であるという一点を持って言説の権力ゲームへと引き戻そうとすること、それを「ラディカルな退行」と表現しました。

    tummygirlさんの仰るのは、言説の外部にある実体的なもの(=普遍的・本質的真理)が社会的・文化的な「意味=言語的分節」をも半必然的かつ正当に規定しているとする本質主義への批判ではないかと思います。この部分では私も批判に同調します。しかしそこから、実体として認識されるものは実は社会的・文化的な認識である、とトータルに逆転させるならば、私は同調できません。以前にciderさんの言った「社会の創発性」の観点から世界を見るのは強度の本質主義/実体論への批判として有効なだけでなくそれ自体としても興味深いけれど、トータルに逆転させてしまうのは自らの観点の限定性に無自覚な暴論にすぎないからです。これを私は「ヒステリー」と表現しました。

    先にコメントしたように、虹を七色とするのは文化です。しかしどのように分節するにせよ、複数の色の重なりに見えること自体は光学的・視覚的な必然、つまり恣意的な文化の外にある外的・内的「自然」によってどうしようもなく規定されているでしょう。macskaさんならこのような意味での「自然」を障害学におけるインペアメントに近似すると仰るでしょうが、tummygirlさんは(あるいはバトラーの代弁者としてのtummygirlさんは)こうした「自然」の持つ文化基底部への規定的性格をどうお考えでしょうか?

  36. Josef Says:

    申し訳ありませんが、テーマから離れた英語の質問です。

    >rape is nothing more than a conscious process of intimidation by which all men keep all women in a state of fear

    >ここでブラウンミラーが主張しているのは、レイプという威嚇が存在するために、
    >すべての女性はすべての男性を潜在的なレイピストとして恐れなければならない
    >ことを指摘しているのであって、すべての男性が意図してなにかをやっていると
    >は言っていない。

    macskaさんの引用された原文中のkeepは、人を主語とする場合、意図的ないしは能動的行為の意味にとるのが普通ではないのでしょうか。つまり男は能動的に女を恐怖状態に置き続けていると。仮にそうなら、一部にレイプがあるから女は男を潜在的レイピストとして恐れねばならないというよりも、男が行う「通常のセックス」もまたレイプと連続している、という主張として読まれうると思うのですが。

  37. macska Says:

    Josef さん:
    > macskaさんならこのような意味での「自然」を障害学
    > におけるインペアメントに近似すると仰るでしょうが

    インペアメントは確かにあるけれど、「これはインペアメントだ」と名指ししたとき、それはもはや純粋な意味でインペアメントではなくなるような。そういう意味で、やっぱりインペアメントはディスアビリティによって規定されると思います。

    > macskaさんの引用された原文中のkeepは、人を主語と
    > する場合、意図的ないしは能動的行為の意味にとるの
    > が普通ではないのでしょうか。

    そんな事はないと思いますが。

    > 仮にそうなら、一部にレイプがあるから女は男を潜在
    > 的レイピストとして恐れねばならないというよりも、
    > 男が行う「通常のセックス」もまたレイプと連続して
    > いる、という主張として読まれうると思うのですが。

    そう読むのは読み手の勝手ですが、一般的な解釈ではないと思います。
    ブラウンミラー自身にそういう意図があったかどうかは分かりませんが。

  38. xanthippe Says:

    「男はみんな狼よ」といって女性の行動を規制してきた歴史が日本にもありまするよね。(〜〜; このフレーズが使われていたのは歌謡曲だったかな? 

  39. xanthippe Says:

    楽俊さんへ

    >その多数派が何故「悪」になるんですかね。
    息子の怪我をした足を蹴ったのが女なら何も言えなくなる親、悔しがるフリをすることで自尊心を納得させられるのは、被害者が男、加害者が女だからじゃないんですかね。
    結局、こうやって女は男と同等の責任を問われない。
    だから、そりゃ無理なのよね。

    多数派が悪かそうでないかではなく、公平性が担保されていないのではないか?と言うことが問題なんですわん。

    それからね、私は直接教師に対しては(やんわりと、でも率直に)クレームを入れましたよ。当たり前じゃないですか。でもね、息子にどこにでもいそうな欠点のある人間・教師への反感や不信を植えつけたって何のメリットもありません。本人(息子)の行動を受け入れて評価してあげるのが一番です。

    あ、それからね、息子はすでに別に家庭を持って家にはおりませんが、娘が一人おりまする(^^) もうすぐ結婚して家を出ちゃうけど。ですので、男女どちらかに肩いれしているなんてことはないので、あしからず。

  40. tummygirl Says:

    >Josefさん

    ヒステリーや退行などという用語程度では別に気を悪くしませんので、御心配くださいませんよう。

    ええと、わたくしはJosefさんの批判の対象が「構築主義全般」なのかバトラーなのか何なのか、ちょっと明確にはわかりかねているのですが。
    「構築主義全般」だとすると、わたくしは社会学には詳しくありませんし、具体的にどのような論者を念頭におかれているのかがわかりませんので、そういう主張をする人もいるのかもしれないですねとしか申し上げようがありません。わたくしはそもそもこのエントリを「セックスはジェンダーである」というバトラーの主張についての解説だと理解していましたので、あくまでも「バトラーはこう言っていると思う」というわたくしなりの解釈を申し上げてきたわけですし、それ以上のことを書くつもりはありません。

    その上で、基本的にはインペアメントとディサビリティについてMacskaさんが最新のコメントで仰っていることを参照なさってください。それから、わたくしの前回のコメントをもう一度お読みいただければ幸いです。
    ただ、幾つか付け足すと。

    >そうして観察・実験・検証・再検証を経て得られた対象認識を、
    >それもまた社会内で行われる言語行為であるという一点を持って
    >言説の権力ゲームへと引き戻そうとすること、それを「ラディカルな退行」と
    >表現しました。

    「引き戻す」は不正確な記述ではないかと思います。
    バトラーがしているのは、そこに既に存在している権力関係をあらためて指摘しなおすということに過ぎません。権力関係を介在させるようなあらゆる科学的知見が無意味であると考えるとしたら「退行」かもしれませんが、もちろんバトラーはそんなことは言っていません(そういうわけで、Josefさんのご批判がどこに向けられたものなのか、伺えれば幸いです)。
    バトラーの理論の内的整合性という点から見れば、そのような主張は「科学的知見を放棄するから」退行であるというよりもむしろ、「権力見解が存在しない科学的知見」を(到達不可能な理想としてであっても)前提としているがゆえに退行と考えられるだろうとは思いますが。

    >実体として認識されるものは実は社会的・文化的な認識である、とトータルに逆転させるならば、
    >私は同調できません。

    Macskaさんがインペアメントの例で仰っているように、実体として「認識される」ものというのは「認識れた実体」であらざるを得ないわけです。そこまでは同意なさいますよね。
    そうである以上、社会や文化の影響を一切排除した「認識」が可能であるという前提に立たない限り、「実体として認識されるものは社会的・文化的認識である」と言うしかない。わたくしはそのような前提にはたたないのですが、Josefさんがそのような前提に立ってお話なさっているのであれば、もちろんバトラーの主張に反対なさることになるだろうとは思います。

    しつこく繰り返しますが、これは「認識によって全てが生み出される」ということとも、「認識の外部は存在しない」ということとも、全く違います。(認識の枠組みから自由な対象認識はありえないということと、認識の対象は存在しない、あるいは認識が対象を無から生み出すということとは、違うということです。)

    >こうした「自然」の持つ文化基底部への規定的性格をどうお考えでしょうか?

    もう一度わたくしの前回のコメントをお読みいただければお分かりいただけると思うのですが、バトラーの主張の要点の一つは、「自然」が「自然であるがゆえに(つまり文化に先立ち、あるいは文化の外部に存在するがゆえに)」「文化を規定する」という因果論は、「わたくしたちが認識できる<自然>なるものは、文化に先立ち/その外部に存在するものであると言うことはできない」という理由によって、成立しない、ということでした。

    Josefさんのコメントに即して言えば、<こうした「自然」>として認識できる何かが「文化基底部」を「規定する」という主張は成立しない、ということです。「文化基底部」を「規定する」として持ち出された「自然」は、そのようなものとして持ち出された時点で既に認識の外部にあるものではないからです。

    それから、

    >バトラーの代弁者としてのtummygirlさん

    代弁者だとは一度も言っていませんよ。いちいち全ての文に「わたくしの解釈によると」と書いていないのは確かだけれども、最初のコメントの冒頭から「Macskaさんの理解とは異なるのかも知れませんが、わたくしは」という形で「わたくしはバトラーの主張をこう理解していますが、どうでしょう」というスタンスを明示してきたと思っているのですが。
    あえてこのような書き方をなさるのは揶揄なさろうという意図なのかなとも思えるし、だとすると余り真剣に議論しても仕方ないかなと言う気がしてきます。
    ミヤダイの代弁者としてのJosefさんは、とか、わたくしは言わないじゃないですか。わたくしは「バトラーはこういってると思うよ」と明示して話をしているのに対して、Josefさんは「ミヤダイはこういってるよ」と仰っているわけではなく、全て御自分の主張として書いていらっしゃるわけだから、代弁者というのは違うかもしれませんが。

    ちなみに、これは本当に純粋に質問なのですが、

    >複数の色の重なりに見えること自体は光学的・視覚的な必然、
    >つまり恣意的な文化の外にある外的・内的「自然」によって
    >どうしようもなく規定されているでしょう

    そうなのですか?
    なんとなく「視覚」というのは五感の中でもかなり「認識」の要素が強い感覚だという気がしていて、何かが特定の仕方で「見える」というとき、それは光学的な必然だと言えるのかどうか(「視覚的必然」というのはそもそもJosefさんの御主張からずれるのではないですか。「視覚」は「感覚」であり「認識」にかかわる問題ですから)、どこまでが光学的な必然であり、どこからが「認識」なのか、ちょっと興味があります。詳しい方にご教授いただけると嬉しいです。

  41. tummygirl Says:

    >ラクシュンさん

    >バトラーは、自身の矛盾を告白しているという噂もあったりで…。

    ええと、噂があるとして、だから何がどうだと仰りたいのでしょうか?
    ちなみに、わたくしはバトラーの論述には矛盾はあると思っています。とくに日本でよく引用される「ジェンダー・トラブル」はパワフルな著作ではあるけれども、一種の力業なだけに、矛盾(あるいはぎりぎりで矛盾を回避しているかしていないかという箇所)もあります。そんなことは研究者はみんなそれぞれに感じているし、散々指摘もされていることです。
    「矛盾を告白している」と言われても、ああそうですか、それでどの矛盾について何を言ってるんです?というだけの話で、誰もショックを受けたり根本的に考え方を変えたりはしないと思いますよ。

  42. ラクシュン Says:

    >スーザン・ブラウンミラーの、強姦は「すべての男性がすべての女性を恐怖状態に陥れておこうとくわだてている、意識的な威嚇のプロセス以外の何ものでもない」のであって、強制的なセックス(性交)はセックス(性別)の問題ではなくて「権力」の問題だ、などというどうまったくありそうにない主張にも、ほとんど反論してこなかったのも同じ科学者なのではないでしょうか。

    ここに出てくる「セックス」は両方とも“性交”の意味のようなので訂正しておきます。

    なお、上の引用は、「すべての強姦は権力の行使である」という前置きから後に続いている部分を要約したもので、その後に「この見方によると、強姦者とその同類は純粋に女性を支配し威嚇したいという至近欲望に動機づけられており、この欲望はもっぱら男性支配を続けるための父権社会の影響に由来するのである。」というオルコックの文章が続いています。
    そして、段落の最後にブラウンミラーの文献が紹介されています。

  43. ラクシュン Says:

    >tummygirlさん

    まったくもって、仰るとーりです、はい。
    イラつかせてしまってすいません。

  44. cider Says:

    tummygirlさんのまとめと(macskaさんに対する)疑問はわかりやすく的確だと思うのですが、「ジェンダートラブル」に限っても、バトラーが主張していることは「認識」論からはみ出すものですね。
    他のエントリでは頻繁に「遂行的」「パフォーマティヴ」という言葉を使うmacskaさんが「セックスはジェンダーである」の説明では使わないのは少々疑問なのですが、バトラーがオースティンを参照しながら主張するのは、発話は必然的に「行為遂行」の側面を持たざるをえないということ。
    「真に客観的な〈認識〉」があろうとなかろうと、それを他者に対して純粋に認識の記述として発話することはできず、発話は同時に社会関係を変化させ、参照可能な「実体」を構築する「行為」であらざるをえない。そして言語が「行為」の側面を払拭出来ないというところにバトラーはある種の可能性を見ていたと思います。
    長い間、「あなたには私があなたの足を踏んでいるように見えるだろうけど、私にはそうは見えない。あなたは私が足を踏んでいる様に見えるレンズを通して世界を認識しているだけで、私はまた別のレンズで世界を見ている。多様な視点と認識の自由は尊重すべきであるなら、私はもちろんあなたのレンズを尊重するが、あなたも私のレンズを尊重すべきではないのか」云々と言いながら一向に足をどかさない「リベラル」が主要な論争相手だったフェミニズムは、何か一般化可能な「原因」となるものを措定してリベラルを論破する(そして足をどかさせる)ために、ジェンダーという概念を社会構造の反映として本質化、実体化する傾向があった。しかしそれはセックスを本質化する言説構造の裏面でしかなく、tummygirlさんがおっしゃるような「「実体的なもの」を「実体的である」という理由によって「原因」とみなすことはできない」という批判が当てはまってしまう。
    優れたパントマイマーの「パフォーマンス」は、その動作の遂行によってあたかもそこに壁や階段が「存在」するような錯覚を引き起こす。言語が常に行為の要素を持つならば、「ジェンダーの原因としてのセックスという実体」の構築というのはこれと同じく、パフォーマンスの効果として実現されているのではないか。何事かの「実体」は事実の純粋な反映ではなく、また事実の「認識」の記述でもなく、それを措定する「行為」の結果であるということを指摘することによって、バトラーはこの実体化ループから脱出する新たな「行為」の可能性は常にある、ということを示そうとし、「実体を原因としなくとも「足踏むな」というメッセージを伝えうる新たな発話行為の可能性」を考えようとする。
    フランス現代思想の影響を隠さないバトラーはソシュール的な言語の恣意性の概念を介して(相対主義者として)解釈されることが多いけれど、先行する行為やコミュニケーションの効果が後続する行為やコミュニケーションのあり方を規定するという見解は、結論としてはミクロ社会学的な文脈ではありふれたものだと思います。むしろ「足を踏まれ抑圧されながら「実体」をたてに反論も許されない者が反撃しうる可能性」という問題設定には道徳的バイアスがかかりすぎ、という批判があるでしょうし、社会学者なら「当然そういう状況はあり得る」という結論で分析を終えるでしょう(皮肉くらいは述べそうですが)。

  45. macska Says:

    > 他のエントリでは頻繁に「遂行的」「パフォーマティヴ」
    > という言葉を使うmacskaさんが「セックスはジェンダーで
    > ある」の説明では使わないのは少々疑問なのですが

    それを使ってしまうと「誰でも分かる」から逸脱してしまうような。

    とにかく本エントリの目的は、誰でも分かるレベルのできるだけ近似値的な説明をすることで、脱文脈的なトンデモ解釈を封じ込めようということでして。

  46. tummygirl Says:

    私も「セックスはジェンダーだ」を説明するときに必ずしもパフォーマティブの概念を持ち込まなくてもいいような気がします。前者の意味(それに賛成か反対かは別にして)を了承する前に後者の説明をしても、議論が空回りするような気が。

    あと、バトラーの「パフォーマティブ」概念からは「パフォーマンス」の要素を払拭しきれないのではないかという指摘があるのは確かですが、「誰にでも分かるように説明する」という趣旨からすると、いきなりパフォーマティブの説明でパフォーマンスを持ってきちゃうのは、さあ混乱してくださいな!と言っているようなもんで、不親切ではないかと思いますが、どうでしょう。
    実際にバトラーは「パフォーマティブはパフォーマンスとは無関係ですよ」と後から説明してまわるのにすごい労力を使っていたと思いますし。

  47. ラクシュン Says:

    人間の認識システムは、原理的に実体(もの自体)そのものを認識できないので、認識というものは「わたくしたちにとってそう認識しうるものでしかない」という解釈でよろしいでしょうか?
    しかしそれだと、全ての原因性が疑われてしまうのではないかという疑問が残ります。
    それが認識である以上は。

  48. 芥屋 Says:

    お久し振りです。
    パソコンが壊れてるうちに掲示板をスパムにやられてしまいました。
    利用者の方々、管理不行き届きで申し訳ありません・・・

    オルコックが引用するブラウンミラーの一文は、原文だと、rape is nothing more than a conscious process of intimidation by which all men keep all women in a state of fear であるとのことですが、この部分の長谷川眞理子による翻訳文は「すべての男性がすべての女性を恐怖状態に陥れておこうとくわだてている、意識的な威嚇のプロセス以外の何ものでもない」です。macskaさんはこれを「誤訳」だとしますが、どう見ても誤訳ではありません。macskaさんはこれをして、

    >「すべての男性」のあいだに何らかの陰謀があることを彼女は主張していません。

    と言いますが、そんなのは当たり前です。ブラウンミラーはそんなことを主張してはおらず、オルコックも彼女がそんな主張をしていると曲解しているわけでもなく、長谷川も「男たちによる共同謀議があるんだ」と読めるような翻訳などしていません。いったい、長谷川訳のどこをどう読めばそんな解釈になるのでしょうか。

    そもそも、原文であれ翻訳箇所であれ、そんな風に読む人などまずいないでしょう(macskaさんを除く)。なぜならmacskaさんに言われるまでもなく「そんな無茶苦茶な主張をするとはまったくありそうもないこと」だからです。生物学者であり自身もフェミニストである長谷川にしてみれば、自分が書きもしないことを書いているかのような非難に驚くんじゃないでしょうか。

    そんな無茶な曲解など、およそ批判者の側には存在していないのに、実際に書いてもいないことを捏造され、さも批判者による無茶な曲解があるかのように説く。これは批判者から指摘されている論点をそらし、批判者を戯画化・矮小化するものでしかありません。

    オルコックがここでブラウンミラーを批判しているのは、そんなことではありません。フェミニストによる、一連の「レイプの神話」に見られる自然主義の誤謬についてです。具体的にどのような批判であるのかは、邦訳版『社会生物学の勝利』であればP319〜321を参照してください。

    >ここでブラウンミラーが主張しているのは、レイプという威嚇が存在するために、すべての女性はすべての男性を潜在的なレイピストとして恐れなければならないことを指摘しているのであって、

    それはmacskaさんによる翻案です。しかしあの一文をしてmacskaさんはそのような意味のものだとしますが、それこそ後付で「あのように書いてしまっているけど、本当はこういう意味なのです」としただけの話でしょう。しかしmacskaさんが書いた文でもないのだから、自分なら彼女の一文をそのように翻案するということでしかなく、あなたが翻案してみせたような読み方をしない人が(そしてそれも当たり前ですが)、そのように読まないことを非難されるいわれはありません。

    ましてブラウンミラーの一文は、そうした女の側の心因を説いているのではなく、どう読んでも男の側を言っている。もちろん男たちによる陰謀があるんだなどとは言ってないし、そのように読む人などいないだろうけれども、すべての男による「conscious process」だと言っているではありませんか。

    あなたがした解説は、あなたによる「翻案」であって「翻訳」とは言えません。ブラウンミラーの一文を翻訳するなら、長谷川の訳で少しもおかしくはない。そして、オルコックも長谷川も、あなたが非難したような無茶な曲解などしてはおりません。

  49. 芥屋 Says:

    macskaさんによる大沢の言葉の解説、批判意見への対し方も、これと同様ですね。「ジェンダーがセックスを規定する」という標語の意味するところを、macskaさんは

    >要するに「あなたがセックスだと思っているものは身体そのものではなく、文化的・社会的なレンズを通して見た、身体についてのひとつの解釈ですよ」というだけの話。

    として、大沢の言うのもそれだとします。ならばお尋ねしてみましょう。大沢はそのうえで、男女共同参画社会政策が目指すものは「ジェンダーの解消だ」と明言しているわけです。政策によって「文化的・社会的なレンズを通して見た男女についての解釈」は解消されるべきものだということになりませんか?そうなると思うし、実際にこの政策でいくつも批判されている事象は、いずれもそうした大沢イズムによるものでしょう。

    なるほど批判者の中には、あたかも人間の中性化をたくらむ政策であるかのように短絡してしまっている人も多い。それは曲解だろうし、仮にそういう意図があっても実現などしないでしょう。しかし、genderが「文化的・社会的なレンズを通して見た男女についての解釈、というだけの話」でしかないなら、それを政治よって「解消させる」というのは暴力ではありませんか。

    社会における、既存の男女の「解釈」や「認識」について、もちろん払拭されるべき偏見や、改めてしかるべき固定観念などもあるでしょう。ならば当然に「ジェンダーの中には、そうしたものもある」となるべきはずですが、しかしそうしたものをこそ指して「ジェンダー」とされてもいる。いったい、どっちなのですか。非常に恣意的です。

    そのように混乱しているgenderの定義について、macskaさんはスコット流を採用するといわれます。「男女についてのわれわれの知」だと。ならば、その「知」を解消すべきだという大沢の思想、それが目的だとする政策理念について、macskaさん、あなたはどう思うのです。

    それにつけても、あれだけ事実確認もし、政策の解釈としておかしいとも同意した「雛祭りを否定する共同参画推進者」についてすら、相変わらずそんな事実そのものがないかのような書き振りをみていると、いったい何を考えているんだと思わざるを得ません。問題の隠蔽もほどほどにしてはどうでしょうか。批判者を戯画化・矮小化して「さすがmacskaさん」などと言う空気もあるようですが、それこそ「内輪で頷きあってるだけの言説」でしかないでしょう。

  50. 芥屋 Says:

    さて、このエントリについて私の意見です。genderの再定義もさることながら、こうなるとsexの再定義も必要なのではないでしょうか(少なくとも自分はこう使い分ける、という程度の。macskaさんはしていますが、あれではsexを論じる意味がないでしょう)。

    まず、生物学的に性別が2種類というのは、より正確にいえば性の「要素」が2種類しかない、ということでしょう。雌雄同体を含む種とか性転換を起こす種とか、種によって性のあり方は多様です。が、いづれにしても要素としては♂♀の2種類、その発現形態こそ多様だが構成要素は2種類、ということだったと思います。そのうえで、生物界のそうした多様な性のありかたを生物学は示してくれ、大いに興味深いものです。人間とは、いかなる生物か、という思いにもつながります。

    ただ、ここで肝心なことの確認ですが、今ここでの論点は、人間と他種の生物との比較の論ではなく、人間社会における男女観の規定についての、genderとsexとの考察でしょう。

    私はここでgenderの定義としてはスコット流(というか、英国のケンブリッジの辞書もほぼ同じ語義)がもっとも適切だと思うのでそれを用います。単に個々人の男女観を個別に指すのではなく(それだけを取り出せば個々人の男女観の差も幅広いだろうから)、個々人の男女観の形成に大きな影響を与える社会通念的な男女観、というものです。

    人々が自己の外部と没交渉に、いわゆる「本能」として男女観を形成するのみであれば、人間(ホモ・サピエンス)という単一種の男女観は単一であるはずです。が、もちろんそんなことはありません。そして人間が社会性動物である以上、その個体が生後に自分の周囲の社会から学習する能力の大きさはいうまでもなく、男女観もまたその例外であるはずがありません。「生物学的」に考えても、そうなるはずです。

    そこで次に鍵となるのは、やはり脳の性差という問題になるでしょう。どんな有意の違いがあって、その違いが人々の男女観にどんな影響を与えているのか、いないのか。まだ研究途上ですが、少なくとも「sexの性差とは性器・生殖器の違いだけをいう」だけではなさそうだとなれば、脳の違いもsexの差異の対象となります。「解釈」であれ「認識」であれ、脳という器官の性質と離れて存在するものではありませんから。

    「脳の性差」について、ある人は生まれながらの男女の差異が決定的であるとして、「脳の性差」をことさら強調し、gender研究そのものの無効を説きます。またある人は、「脳の性差」をことさらに否定し、既に発表されている差異の報告についても、「科学も政治の産物」「科学者もジェンダーに捕らわれていることの反映でしかない」などと、研究報告そのもの無効を説きます。極端に書きましたが、どちらもおかしいのは当然でしょう。

    その意味で、私はJosefさんの言うように、まず基本としてはgenderとはどのような視点に立っての見方なのか、そこをきちんと踏まえておけば良いのであって、「sexがgenderを規定する」というのも当然にあることなんだと当たり前に考えればいいのに、と思います。そして、それは現時点ではもっぱら生物学での取り組みがなされていて、社会学(というかフェミニズム)では、タブラ・ラサ説などの教条的なドグマに縛られて、この方面では大いに遅れをとっているということでしょう。

  51. 芥屋 Says:

    さて、科学者とて人の子であり、往々にして時代の子でもあり、社会の動向の影響と無縁に立っていられるものではないのは言うまでもないことです。したがって、「科学的事実」と称するものにも、その人(たち)の社会思想や政治信条、ひいては男女観なども大いに影響はあるでしょう。

    それはそうなのですが、その是正には社会学が・・・という主張はおかしいのではないか。社会を外部から観察する社会学者は、そうしたものから免れているのだ・・・とでもいうのでしょうか。もちろん、そんなことはないはずで、ならばなぜに「科学の歪み」を是正する立場に社会学が立てるとするのか、理解に苦しみます。この辺は、既にJosefさんとfooさんの指摘していることとも重なるかもしれません。

    こうした、「科学への妄信」を諌めるだけにとどまらない「科学への不信」を内包した科学批判・・・そこにある欺瞞というものについては、件のジョン・オルコックの著書だけではなく、リチャード・ドーキンスの著書にも詳しく書かれているので、興味のある方はご一読を(『盲目の時計職人』は秀逸!)。

    私も一例を挙げましょう。いかに科学が政治に利用されるかについて頻繁に例示される「ルイセンコ学説」です。これはソ連において共産党の御用学説となり、ルイセンコ説を批判した科学者が弾圧されるという事態を招きました。しかし、ここで重要なのは、ルイセンコ説がどれほどソ連で一世を風靡しても、ついに世界規模で科学的な実証を得ることはなかったという、もう一つの事実です。

    科学という方法論、これは事実と事実、仮説と仮説を際限なく付きあわせて実測と重ね合わせるという方法論です。つまり科学それ自体における限界性というものは、検証不能なものに対しては無力であるということでこそあれ、この方法論それ自体の対象となりうる主題に対しては、政治や文化、主義信条や感情などの悪影響はあっても、それを科学の内部で排除しうるのです。

    社会学系フェミニズムにこれができますか?それ自体が政治運動であり社会思想であるところのフェミニズムにとって、それは極めて困難な課題でしょう。なのに科学の歪みをフェミニズムが糾すなどとは独善もはなはだしい。求められているのは、その逆ではありませんか。

    >実際、黒人が白人に比べて生物学的に劣っているという「科学的事実」も、女性は男性と違い高等教育に適応できないという「科学的事実」も、白人男性の科学者たちが反証できる機会がいくらでもあったのに、それぞれの集団が市民権獲得を掲げて立ち上がるまでーーそしてかれらの一部が科学者となってそれらの結論に疑問を呈するまでーー是正されなかった。

    科学という方法論に対して、これはおかしいですね。さて、私は右翼なのですが、ここで少しは「右翼らしい」ことでも言ってみましょうか。これから下に書くことはかなりイジワルでトリッキーに書くのですが、みなさん、どう思われますか?

    『かつて、類人猿→黒人→黄色人→白人という「進化の図式」が科学的に論じられていた時代もありました。「日本の脅威」についても「黄色い猿がいくら欧米の科学技術をまねて戦艦や飛行機を作っても、使いこなすことなどできない」という言われ方もあったとか。しかし大東亜戦争の緒戦の完勝は、そうした人種的偏見にもとづく「科学的事実」を、誰の目にも明らかな「事実」でもって粉砕したのです。その後に大敗しますが、もちろん誰が見ても国力の差が決定的な理由であって、人種の優劣などではないことは明瞭でした。もちろんここでは大東亜戦争の功罪を言うのではありません。科学が科学の中では解決できないこと・・・科学の限界は、こうしたところにもあるという一例です。』

  52. flekram Says:

    > すべての男による「conscious process」だと言っているではありませんか。

    やっぱ誤読してるじゃん。
    原文の concious process は rape にかかってるので、conscious なのはレイプを実行している人ね。
    んで、その威嚇にどういう効果があるかというと、all men keep all women in a state of fearという部分にかかってくるわけで。

  53. flekram Says:

    > 実体的なものを原因と見なす思考一般を否定するとしたら、それは一種のヒステリーないしはラディカルな退行ではないかと思うのですが。

    ここでJosefさんが言っている「実体」がわからんです。

    「Josefさん」という実体がある、というのは、(細かいことを言うと議論の余地があるけど)理解できます。でも、今問題にしているのは、「男」とか「女」とか「セックス」とかの抽象概念なわけでしょ。それで「実体」が出てくるのは変、というか論理的に雑。

    虹の色が問題になってますけど、「昨日見た虹は7色あったが、1ヶ月前に見た虹は薄くて黄色の部分しか見えなかったよ」なんてことだってあるわけです。「昨日見た7色の円弧みたいなの」や「1ヶ月前に見た黄色い円弧みたいなの」をいちいち区別していたらきりがないから、それをまとめて「虹」という概念でくくるのはいいですよ。でも、そうやって人為的にまとめあげた抽象概念である「虹」に対応する「実体」が、「認識の外」にあると主張されたら、「そりゃ誤りでしょ」としか言いようがないです。

    つーかなんでいまさら普遍論争の蒸し返しみたいなことになるんだか。知らないで言ってるならやめてほしいし、わかってて言ってるならもうちょっと論理的にきちんとやってほしい。

    これは蛇足だけど、虹の色の数を数えるところがすでに文化に影響を受けた行為だと思います。普通何かの色の数なんて数えないでしょ。Josefさんは何色ありますか?髪と肌と、瞳と白目があって、ここのほくろとこっちのほくろは微妙に色が違っていて、そういえば最近白髪もあったな、えーと合計14色、とかいつも考えてるんでしょうか。虹に関しては、絵を描くために絵の具の数をそろえる必要があって7色とか5色とか数えた結果が、各文化で伝えられることになったというのがありそうな話だと思います。そういう事情がなかったら虹色1色で片付ける文化があってもおかしくないでしょう。実際、「虹色」という言葉は使われているし。

  54. Josef Says:

    ブラウンミラーの英文の和訳問題は本題じゃないので再コメントはしないつもりでしたが、芥屋さんのコメントもあるので、一応私の読みを書いておきます。たぶんこれが普通の読み方だと思います。

    まずmacskaさんが挙げてくれた原文。

    >rape is nothing more than a conscious process of intimidation by which all men keep all women in a state of fear

    レイプは意識的な威嚇のプロセスだということが一つ、そしてそういう威嚇によって全男性が全女性を恐怖状態に置いている、ということが一つ。もう一点着目すべきは「それ以上のものではない」と直訳しうるnothing more thanです。あと、macskaさんには否定されましたが、否定の理由は書いてないので、「keepは意志を持つ主体が主語の場合能動的行為を表すのが普通」という点も生かしておきます。

    以上から翻案するとこんな感じになろうかと思います。

    「レイプとは意識的に行われる威嚇のプロセスであり、それは全ての男が全ての女を恐怖状態に置いている威嚇と同じもの。つまりレイプという形をとった威嚇行為は特別な男による特別な威嚇なんかじゃない。それは日常的に男が女に対して行っている威嚇を超えた別のレベルにあるのではなく、その延長上にあるのだ。」

    ついでながら、ラクシュンさんが挙げた「すべての男性がすべての女性を恐怖状態に陥れておこうとくわだてている、意識的な威嚇のプロセス以外の何ものでもない」という和訳は、「くわだてている」が訳しすぎで誤解を招きますが、macskaさんの解説よりは英語の内容を捉えていると思います。

  55. 芥屋 Says:

    >flekramさん

    >> すべての男による「conscious process」だと言っているではありませんか。

    >やっぱ誤読してるじゃん。

    どこが?書いてあるとおりじゃん(そのまんま)。

    >原文の concious process は rape にかかってるので、conscious なのはレイプを実行している人ね。

    だったらall menじゃなくてthe menでしょ。その場合は、そのconscios processがby which all menになるはずがない。関係代名詞が何を受けているか、英語の普通の文法で言えば。

    >んで、その威嚇にどういう効果があるかというと、all men keep all women in a state of fearという部分にかかってくるわけで。

    またまた恣意的な。何でそんな党派限定的なテキスト解釈を他者に要求するんでしょうか。普通の読み方ができない文を書いたがために真意が伝わってないのだと言うなら、そんな書き方をした原著者に非があるのであって、普通の読み方をした翻訳者や読者が責められるべきではありません。

    つーか、そんなに誤訳だ誤読だと言うけど、その真意とやらを伝えるにあたってブラウンミラーのようにしか書くことができないんでしょうか。そんなはずはないと思いますよ、いくらでも書きようがあるはず。私は英作文は苦手ですが、それならflekramさんは、macskaさんによる日本語「レイプという威嚇が存在するために、すべての女性はすべての男性を潜在的なレイピストとして恐れなければならない」を英訳するとしたら、ブラウンミラーの一文が英訳として適切であるとでもお考えなのでしょうか。

    で、あなたにもお尋ねしましょう。何で長谷川はあのような非難を受けなくちゃいけないんでしょうか。彼女の翻訳箇所、そのいったいどこに、「男たちによる共同謀議」を匂わせるような語句がありましたか?

    そもそも、フェミニストの書いたものに対して、なぜに読者は好意的・常識的に翻案しながら読む必要があり、批判者の書いたものに対しては、書いてもいないような悪意的・非常識な読みを問われなければいけないのか。つか、大の大人どうしの議論で、何でこんな子供を躾けるようなことを言わねばならんのか、トホホでござんす。

  56. 芥屋 Says:

    そこで右翼として(笑)、第2弾。今度は先と違ってトリッキーには書きません。例として、「神国」という言葉を挙げてみましょう。ある人が「日本は神国ではないという意識を、すべて国民から払拭せねばならない」と主張したとしましょう。当然、各方面から非難されると思われますが、非難を受けて「もともと神国とか神洲という言葉は、ただ全国津々浦々に八百万の神々がいらっしゃる日本の国土を、山や海や川などを含めて大切に思って言ったものであって、坊さんだって言ったものです。だから軍国主義であるとか狂信的な戦時プロパガンダとは本来なんの関係もなかったのだと、そう言いたかった」「これは現在よく誤解されているが、神社の神道では常識的なことです」と言えば、どうでしょうか。

    それであれば、神社の神道としては確かにそうです。しかし(この人の真意がどこにあれ)八百万の神を信仰しない浄土真宗とかクリスチャンとかの宗派、あるいは無神論者を「払拭せねばならない」対象として含んだ内容になっていた事実は変わりません。ですから「あなたが言ったのは、そんな穏当なことではなかったではないか」という批判は、なお有効なはずです。それなのに、その人や同調者が批判者を「たったこれだけのことを理解しないまま非難している」などと言えるとでも、そうお考えなのでしょうか。

    私なら、なるほどこの場合、その釈明部分についてのみは同感もし、常識的だとは思いますが、しかし「あなたの元の発言は、そういう内容とは別の主張が入っているはずだが」「ならばそのうえで、すべて国民から払拭せねば、とは具体的にどういうことになるのか」と批判しますけどね。flekramさんやmacskaさんは、そうではないのでしょうか。

    ところで。神名龍子さんを私は好かないが、あの人の「フェミニストは何かといえば誤解だ誤解だと言うが、ならばそんなに誤解させてばかりいるフェミニズムとは何なのか」は、けだし名言なり。

  57. Josef Says:

    tummygirlさん

    >ええと、わたくしはJosefさんの批判の対象が「構築主義全般」なのか
    >バトラーなのか何なのか、ちょっと明確にはわかりかねているのですが。

    対象は構築主義全般でもバトラー一人でもなく、「ジェンダーがセックスを規定」というふうな思考のあり方です。このテーゼ自体は外延・内包が定められておらず、いろんな解釈によって支持されたり反対されたりしますね。支持者同士でも実は違った解釈に則っている可能性がある。macskaさんの解釈と解説はおおよそ理解できた気がしますが、macskaさんの「みんな後退」をうけてtummygirlさんは「バトラーは後退していない」と述べておられます。じゃあそれはどういう考え方なのだろう、というのが私の関心の対象です。私は別にバトラーという人物に関心があるわけではなく、あくまでも考え方への関心です。バトラーという記号を介したtummygirlさんのお考えをお聞きしている次第です。

    > Macskaさんがインペアメントの例で仰っているように、実体として「認識される」もの
    >というのは「認識れた実体」であらざるを得ないわけです。そこまでは同意なさいますよね。

    はい、同意しています。

    > そうである以上、社会や文化の影響を一切排除した「認識」が可能であるという
    >前提に立たない限り、「実体として認識されるものは社会的・文化的認識である」と
    >言うしかない。

    私が引っ掛かっているのはここですね。独我論の例を出した意味が伝わらなかったかもしれませんが、tummygirlさんの言うような素朴な認識論だと、「社会や文化の影響」もまた「そう認識されるものにすぎない」となるしかありません。それで良いのですか?またもしそうなら、その認識とは誰の認識なのですか?

    もちろん私は社会や文化と称されるものは、それを完全に記述した人が誰一人いなくても、この私の「外部」に、厳然として「在る」という立場で書いていますし、同様に「自然」もまた厳然として「在る」という立場で書いています。両者の間にはきれいな境界線は引けないし、制約、影響は相互的だと思っています。一方が他方をただ一方的に「規定する」という考え方もあっていいけれど、その理由が「自然は社会的・文化的に認識されたものだから」ではお粗末だと思うのですね。それだと不完全な独我論(=自然の実体化を批判しつつなぜか社会や文化を実体化する)にすぎませんから。

    >なんとなく「視覚」というのは五感の中でもかなり「認識」の要素が強い感覚だと
    >いう>気がしていて、何かが特定の仕方で「見える」というとき、それは光学的な
    >必然だと言えるのかどうか(「視覚的必然」というのはそもそもJosefさんの御主張
    >からずれるのではないですか。

    いえ、ずれません。視覚の基底部は自然によって(目や脳の構造によって)決定されていると考えています。

  58. Josef Says:

    flekramさんから私宛てのコメントがついていますが、そもそも問題が理解されていないと思います。

    >つーかなんでいまさら普遍論争の蒸し返しみたいなことになるんだか。

    俗化された普遍論争みたいなものでしょう(普遍論争の中心テーマは「神」なので)。私を含めてレベルは落ちてますが。セックスという普遍概念はそう命名されたものにすぎない、というノミナリズムですね。

  59. flekram Says:

    > だったらall menじゃなくてthe menでしょ。その場合は、そのconscios processがby which all menになるはずがない。

    ところがなるんですよ。

    レイプ犯A、被害者Bとして、Aがやっていることは意識的な脅し以外の何者でもないというのが前段。で、その脅しによって(これが by which)、Bだけでなく他の潜在的被害者Cも、第三者D(つまり all men)を怖がるように仕向けているって意味になってます。

    > 私は英作文は苦手ですが、

    確かにそうでしょうね。

    > つーか、そんなに誤訳だ誤読だと言うけど、その真意とやらを伝えるにあたってブラウンミラーのようにしか書くことができないんでしょうか。

    それは正当な批判だと思う。この件も目を引くためのキャッチコピーつー側面はあるんではないかな。

    > 彼女の翻訳箇所、そのいったいどこに、「男たちによる共同謀議」を匂わせるような語句がありましたか?

    「すべての男性がすべての女性を恐怖状態に陥れておこうとくわだてている」で、「くわだてる」の主語が不明瞭なのがまずいですね。訳文では「すべての男性」が「くわだてている」ように読めてしまう。原文と対照しながら読めば、「くわだてている」がつながっているのは、実は「意識的な威嚇のプロセス」の方だという解釈も成立するんで、まあ完全な誤訳かどうかは微妙ですね。

  60. macska Says:

    ブラウンミラーの言葉について、わたしのいうような誤訳を誰もしていないと言いますが、誤訳をしていないならラクシュンさんが「まったくありそうにない主張」と描写するわけがありません。誤訳・誤読して「これはとんでもない主張だ」と感じたからこそ、そう描写したんでしょ?

    芥屋さん:
    > すべての男による「conscious process」だと言っているではありませんか。

    はい、それが誤読なんです。
    すべての男が「conscious process」を共有しているとは書いていませんよ。

    > として、大沢の言うのもそれだとします。

    大沢さんもわたしも、ジェンダーという言葉をいくつかの意味で使いわけていますがなにか。普通、文脈で解釈できるはずで、「『性差についての知』を解消するなんて暴力だ」と反応するほうがおかしい。

    ただし、大沢さんについては批判されても仕方がありません。だって彼女は政策に関与しているわけですから、「分かる人には分かるけれど、分からない人には誤解される」ような言葉を使うべきではないからです。

    > あれだけ事実確認もし、政策の解釈としておかしいとも同意した「雛祭り
    > を否定する共同参画推進者」についてすら、相変わらずそんな事実そのも
    > のがないかのような書き振りをみていると、

    だって、そんな事実そのものがないじゃないですか。

    日本女性学会が何かウェブに載せてあるのが唯一の例でしょ。でもそれは、民間の団体が「ひな祭りはこのように祝いましょう」と呼びかけているだけであって、言論の自由と言うほかありません。

    それとも、行政だけでなく「共同参画推進者」にまで範囲を広げて「ひな祭りについて何ら意見を持ってはいけない」とでも言うのですか?

    > 社会学(というかフェミニズム)では、タブラ・ラサ説などの教条的な
    > ドグマに縛られて

    知りもせずに決めつけないように。

    > なのに科学の歪みをフェミニズムが糾すなどとは独善もはなはだしい。
    > 求められているのは、その逆ではありませんか。

    どちらも必要だと思いますが。

    > つーか、そんなに誤訳だ誤読だと言うけど、その真意とやらを伝えるに
    > あたってブラウンミラーのようにしか書くことができないんでしょうか。

    いや、思わせぶりで仰々しい書き方を彼女はしたかったんでしょう。

    > そもそも、フェミニストの書いたものに対して、なぜに読者は好意的・
    > 常識的に翻案しながら読む必要があり、批判者の書いたものに対しては、
    > 書いてもいないような悪意的・非常識な読みを問われなければいけないのか。

    普通に英語の解釈として当たり前のことを言っているだけですが。
    わたしは別にブラウンミラーに好意を抱いていないし。

    # 彼女は反売買春、反ポルノ、反トランスジェンダーのラディカルフェミニストですよ。
    # フェミニズムの中では、わたしと立場は正反対に近いです。

    Josef さん:
    > あと、macskaさんには否定されましたが、否定の理由は書いてないので、
    > 「keepは意志を持つ主体が主語の場合能動的行為を表すのが普通」とい
    > う点も生かしておきます。

    いやだから、そんなの全然普通じゃないんです。
    「これが普通だ」と決めつけておかしな訳をしないようにしてください。

    それから、Josef さんの翻案はブラウンミラーが言ってもいないことがくっつきすぎです。もはや彼女の主張とは関係なく、Josef さんが「フェミニストとはこういうことを言うもの」という思い込みが表現されているとしか言えません。

  61. xanthippe Says:

    rape is nothing more than a conscious process of intimidation by which all men keep all women in a state of fear

    を分かりやすく日本語にすると、先にも言いましたが「男はみんな狼よ」ってことでせう。これは男性が全員がはなから狼だといいたいのではなく、intimidation つまりいつ狼に変身するかわかんないよってことを”ほのめかしている”っていうニュアンスでしょ?

    flekramさんご指摘のように、by which 以下は結果としてってことじゃないですか? 

    私が訳すとしたら、以下のようになります。かなり意訳だけど。(^^;

    「レイプというのは、”男はみんな狼よ”と全て男性を全ての女性に恐れさせようという行為以外の何者でもない。」

  62. ラクシュン Says:

    >ブラウンミラーの言葉について、わたしのいうような誤訳を誰もしていないと言いますが、誤訳をしていないならラクシュンさんが「まったくありそうにない主張」と描写するわけがありません。誤訳・誤読して「これはとんでもない主張だ」と感じたからこそ、そう描写したんでしょ?

    というか、ちょっと誤解があるようですね。
    私が、どこに違いがあるのか解らないと書いたのはその通りで、Macskaさんの[「すべての男性」のあいだに何らかの陰謀があることを彼女は主張していません。レイプは威嚇のためのプロセス以外のなにものでもなく、それによってすべての男性はすべての女性を恐怖に陥れている]から始る説明と、翻訳本とのズレはほとんど感じませんでした。

    しかし、このMacskaさんの訳文(フェミニズム修辞学)自体、普通の人にはかなり異様ですよ。そして、スーザン・ブラウンの影響からか、レイプがセックスなどの問題ではなくて「権力」の問題に転化されてしまったひにゃーアナタ、「ありそうにない」と言わざるをえないでしょう。

  63. xanthippe Says:

    ご挨拶が遅れました。こんばんは 

    しょっぱなからなんですが、訂正です。「全て男性」=>「全ての男性」  失礼しました。 謀議があるなんて解釈はばかげていると思います。

    素人の出る幕じゃないとは思うのですが・・・。

    >いえ、ずれません。視覚の基底部は自然によって(目や脳の構造によって)決定されていると考えています。

    へえー。じゃあ、同じ人類で虹の色が7色とは限らないのはどうして? 3色から12色くらいの幅があるでしょう?

    確かに、世界は人類がいなくても厳然とそこにあります。でも世界を分節する人間によって、世界はいろんな姿を示すでしょう? 世界中を見れば、虹がいろんな色の組み合わせで様々に描かれるのと同じように。

  64. しゅう Says:

    >>xanthippeさん
    >へえー。じゃあ、同じ人類で虹の色が7色とは限らないのはどうして? 3色から12色くらいの幅があるでしょう?

    既にあるJosefさんのレスから引きます。
    ”先にコメントしたように、虹を七色とするのは文化です。しかしどのように分節するにせよ、複数の色の重なりに見えること自体は光学的・視覚的な必然、つまり恣意的な文化の外にある外的・内的「自然」によってどうしようもなく規定されているでしょう。”

    私は素人はダメだなんて思いませんけど(私にも都合が良いしw)、議論がさらに錯綜しますんで、いちど今までの文章を読み込む作業はしたほうがいいと思いますよ。だるいのは確かですけどー。

  65. ラクシュン Says:

    スーザンミラーね。(^^ゞ

  66. tummygirl Says:

    >Josefさん

    flekramさんの仰っていることはまさに問題になっている点だと思いますが。それはそれとして。

    >対象は構築主義全般でもバトラー一人でもなく、「ジェンダーがセックスを規定」というふうな>思考のあり方です。

    ジェンダーがセックスを「規定」というよりは、「セックスはジェンダーである」というバトラーの主張についてわたくしは自分なりの解釈を申し上げてきたのですが。

    >私は別にバトラーという人物に関心があるわけではなく、あくまでも考え方への関心です。バ>トラーという記号を介したtummygirlさんのお考えをお聞きしている次第です。

    「考え方への関心」はあるけれども、それは「バトラーの考え方」に対するものではない、ということだと理解してよろしいでしょうか。
    以前のコメントでも繰り返してきましたが、わたくしはこれまで、あくまでも「バトラーについて議論するならこういう理解が前提だとわたくしは思います」と申し上げてきたわけです。まあ、それが「わたくしの(バトラーの著作に対する理解という形での)考え方」だと言うのはその通りですけれども、この場では、それを超えてわたくしがどう思うかを議論するつもりはありません。
    「ジェンダーはセックスは規定する」という形で流通している(らしい)バトラーの主張を分かりやすく説明しなおす、というのがこのエントリの意図だと理解しましたので、それに関連する範囲でバトラーの主張に対する誤解があるとわたくしが考える範囲でのコメントをしたのです。理解した上でそれに賛成するか反対するかについてをここで延々と繰り広げるのは(どうせ簡単に決着のつく問題ではないのですから)、Macskaさんにも他の読者の方にもご迷惑でしょうし、控えたいと思います。

    ということで、バトラー理解という点から離れるのでしたら、前回のJosefさんのコメントに簡単にお答えだけして、わたくしはこれで終りたいと思います。

    >「社会や文化の影響」もまた「そう認識されるものにすぎない」となるしかありません。それで良>いのですか?

    「社会や文化の影響」を「私たちが認識する」限りにおいて、それは「そう認識されるものに過ぎない」。良いとか悪いとかではなく、バトラーの議論に乗るのであれば、そうならざるを得ないと思いますが。

    >またもしそうなら、その認識とは誰の認識なのですか?

    認識の主体(まあ、主体という言葉は違うのですが、言語に位置づけられた斜線を引かれた主体、云々であるような主体ということになるかと思います)の、です。

    >この私の「外部」に、厳然として「在る」

    「私」の外部に自然も社会もあるのは当然だと思いますよ。そのことと、自然や社会が「言語の外部に厳然として在る」こととは違うし、ましてや、言語の外部に厳然として在るもの「としての」自然や社会を認識できると主張することとは違いますが。

    Josefさんの議論では、たとえば「社会や文化が自然を規定するのか?」と仰るときの「自然」というのが何を指すのかを、曖昧になさっているような気がします。
    繰り返し申しあげていますが、社会や文化の影響を受けずに「そこにある」ような動植物なり鉱物なり、何でもいいですけれども、そういうものはあります。バトラーはそれが存在しないとは一言も言っていないわけです。
    ただ「自然」とまとめた時、その「まとめ方」は既にわたくしたちの認識の枠組みによっているわけで、その意味では「<自然>として認識されているものは、社会的・文化的認識である」わけです(そこら辺は「自然」という概念の歴史を調べてもすぐに分かることです)。

    もちろん、「社会や文化というものも社会的・文化的認識に過ぎないじゃないか」といわれればその通りです。ただ問題は、「社会」「文化」という概念は、定義上、「社会」や「文化」すなわち人間の営為の総体の外部に属する普遍的なもの、ではない。他方で、バトラーの語っている文脈において「自然」はそのような負荷を持つタームなわけです。だから、前者を「社会的・文化的認識に過ぎない」ということには別に何の新しい意義があるわけでもないけれども、後者についてはそれが意味を持つ、ということです。

    そのあたりの、哲学・修辞学者としてのバトラーの議論の立て方そのものを、Josefさんが大きく誤解なさっているような気がしてなりません。
    なんだかものすごく繰り返し同じことを申し上げていますが。
    flekramさんが「虹」の例を用いて丁寧に説明して下さっているので、そちらもご参照ください。

    >視覚の基底部は自然によって(目や脳の構造によって)決定されていると考えています。

    「基底部」の意味が分からなくなりました。文化の基底部はなんとなくわかったのですが。
    いずれにせよ、「目や脳の構造によって」決定されるものは、光学的なものではないのかなと。脳は違うのかしら。わたくしはそのあたりは全く不勉強なのでわかりませんが。
    ただ、「視覚」という時点で、それは「知覚」であり、従って認識の体系を完全に逃れるのは難しくはないでしょうか。

  67. foo Says:

    (本筋じゃないけど無視してもらってかまいません)
    私もJosefさんの読みが普通だと思いますよ。by which以下は高校英語でいう限定修飾ってやつだし。
    「男が女に対して(無自覚にやってる)威嚇ってのがあって、レイプっていうのは実はそれを意識的にやってるにすぎないんだ」っていう読みが素直だと思います。

    ちなみに私はブラウンミラーの原文は今手元にないのですが、邦訳ではp.6。問題の一文は、「自らの性器が相手に恐怖を呼び起こす武器となりうると男たちが知ったことは、火や石斧の使用にも匹敵する先史時代のもっとも重要な発見のひとつに数えられよう。先史時代から現在に至るまで、強姦はきわめて重要な機能をはたしてきたと私は考える。」のうしろに続きます。邦訳では「すべての男」、「すべての女」に傍点が振られています。

  68. foo Says:

    ×(本筋じゃないけど無視してもらってかまいません)
    ◯(本筋じゃないので無視してもらってかまいません)

  69. foo Says:

    前後の文脈からすれば(その一文は序章の最後の一文なので後はないのですが)、幾島幸子先生の「強姦とは、すべての男がすべての女を恐怖状態にとどめておくことによって成立する、意識的な威嚇のプロセスにほかならないのだ」という訳も(私の解釈とは違いますが)誤訳といえるほどのものかのかは微妙に見えます。

  70. foo Says:

    まあブラウンミラーに真意をたずねないと正確なところはわからんような悪文であると思います。

  71. foo Says:

    こっちは質問なんで教えていただきたいのですが、macskaさんの

    >実際、黒人が白人に比べて生物学的に劣っているという「科学的事実」も、女性は男性と違い高等教育に適応できないという「科学的事実」も、白人男性の科学者たちが反証できる機会がいくらでもあったのに、それぞれの集団が市民権獲得を掲げて立ち上がるまでーーそしてかれらの一部が科学者となってそれらの結論に疑問を呈するまでーー是正されなかった。

    この一文は、いつぐらいのことを考えているのでしょうか。
    macskaさんが考えているのが1920年代なのか1960年代なのか
    (それとももっとあとなのか)興味あります。
    またそれが、狭い意味での科学者社会での話のことを考えているのか、広く一般人の間で
    信じられている「科学的事実」のことのことを
    考えているのかにも興味があります。
    (たとえばJ.S.ミルの『女性の解放』とかをどう見ているのかも
    興味がありますが、これはまたあとでけっこうです。)
    今度出るバックラッシュ本に書いているということであればそれでけっこうです。

  72. 芥屋 Says:

    >macskaさん

    >ブラウンミラーの言葉について、わたしのいうような誤訳を誰もしていないと言いますが、

    だって、何ぼなんでも、すべての男による共同謀議みたいなことがレイプにあるわけないじゃん。何を言い出すんだと思いましたよ。で、普通ならそんな当たり前すぎることは、原著者も批判者も翻訳者も読者も「思いつきもしない」と思う(ただしmacskaさんは思いついたわけですが。そしてそれを論敵に自己投影)。

    けれど百歩譲って、「いや、そんなトンデモなことを考える人もいるかも」と疑うことも可というのであれば、それをどちらの側にも適用すべきですね。そうでなければ、フェミニストには適用せず批判者には適用するという、ダブルスタンダードでしかありません。つか、わかりやすい論敵や政敵への悪意ないし蔑意ですけどね。

    >すべての男が「conscious process」を共有しているとは書いていませんよ。

    でも、そうも読める文であることには違いない。そう読むのはフェミニズムやジェンダー研究の常識を知らないからだ、だからそう読まずに「誤読」するほうがおかしい、というのは何の言い訳にもなりません。

    >大沢さんもわたしも、ジェンダーという言葉をいくつかの意味で使いわけていますがなにか。

    それを恣意的と言うんですよ。そんな恣意的な言葉遣いを、外部の人間が理解できるはずもなく、理解できるわけがないことを非難される道理もありません。

    ではお聞きしますが、あなたや大沢は、どのように使い分けているんですか。そしてその結果、多岐にわたるのであれば今件だけでもいい、どこそこでいうジェンダーとは、それぞれこういう意味で使い分けているのだといったこと、その理由や基準も含めて説明がほしいですね。

    >普通、文脈で解釈できるはずで、

    発話者によって恣意的に使い分けられるキーワード、そのキーワードによって成り立つ恣意的な文脈を、他者が理解できないことを責めるのは不当ですよ。自他の区別がつきませんか?

    >「『性差についての知』を解消するなんて暴力だ」と反応するほうがおかしい。

    何故?あなたが自分でした解説、定義した語法、それにもとづけばそうなるはずでしょう。それがおかしいと言うなら、あなたの定義による解説そのものがおかしい。で、おかしかろうがおかしくなかろうが、ちゃんと質問に答えてくださいな。再掲しますよ。

    >要するに「あなたがセックスだと思っているものは身体そのものではなく、文化的・社会的なレンズを通して見た、身体についてのひとつの解釈ですよ」というだけの話。

    として、大沢の言うのもそれだとします。ならばお尋ねしてみましょう。大沢はそのうえで、男女共同参画社会政策が目指すものは「ジェンダーの解消だ」と明言しているわけです。政策によって「文化的・社会的なレンズを通して見た男女についての解釈」は解消されるべきものだということになりませんか?そうなると思うし、実際にこの政策でいくつも批判されている事象は、いずれもそうした大沢イズムによるものでしょう。
    (中略)
    そのように混乱しているgenderの定義について、macskaさんはスコット流を採用するといわれます。「男女についてのわれわれの知」だと。ならば、その「知」を解消すべきだという大沢の思想、それが目的だとする政策理念について、macskaさん、あなたはどう思うのです。

    それと、自分を圏外において、大沢は政策に関与しているから批判されても仕方がないと言われますが、あなたはこのエントリの主題を忘れたのでしょうか。もしそれでいいのであれば、そんな社会学者、そんな思想家に、「科学のゆがみを正す」などと名乗り出る資格は微塵もありません。

    雛祭りについては、「まだ言うか」とだけ言っておきます。いいですよ、私は別に。そんな内向けの政治的キャンペーンを真に受ける部外者なんて、もはや存在していないのだから。

  73. 芥屋 Says:

    >Josefさん

    >「すべての男性がすべての女性を恐怖状態に陥れておこうとくわだてている、意識的な威嚇のプロセス以外の何ものでもない」という和訳は、「くわだてている」が訳しすぎで誤解を招きますが、macskaさんの解説よりは英語の内容を捉えていると思います。

    そう思います。そこでさらに微細になってしまう恐れがあるのですが、長谷川はintimidationの語感をいかす和訳にするため、これを「〜をたくらむ威嚇」と二語を用いた工夫をしたのだと思います。手元の辞書からですが、動詞のintimidateについて、

    to frighten or threaten someone, usually in order to persuade them to do something that you want them to do

    としています。「人を怖がらせたり脅したりすること。普通、誰かに何かさせたいことを、その人に思い込ませてそうさせる目的で」といった語感になるでしょうか。

    このintimidationを単に「威嚇」とだけ訳すと、日本語におけるこの言葉は、原語のニュアンスを伝え切れてないように思います。レイプはまさにintimidationですよね、単なる威嚇ではない。長谷川眞理子は、この語感をいかしたかったのではないでしょうか。

    *ブラウンミラーが言いたいことの情感のところは、長谷川は誤解などしていないと思います。「くわだてている」が訳しすぎかどうか微妙かもしれませんが、誤訳どころか適切な訳ではないでしょうか(>みなさん、どう思われますか?)。

  74. 芥屋 Says:

    >flekramさん

    >レイプ犯A、被害者Bとして、Aがやっていることは意識的な脅し以外の何者でもないというのが前段。で、その脅しによって(これが by which)、Bだけでなく他の潜在的被害者Cも、第三者D(つまり all men)を怖がるように仕向けているって意味になってます。

    えぇ、そうは読めない、とは言いませんよ。「それを言いたかったのだろうに」については反対しておりません。ただ、そうとしか読めない、そう読まないのは誤読でしかない、という文ではないでしょう。だから、誤読だ誤読だという非難は当たらない、と言っているのです。(ましてmacskaさんの言う「こんなトンデモな誤読をしたのでは」にいたっては、macskaさんのほうがトンデモ。)

    というか、この点については、

    >> つーか、そんなに誤訳だ誤読だと言うけど、その真意とやらを伝えるにあたってブラウンミラーのようにしか書くことができないんでしょうか。

    >それは正当な批判だと思う。この件も目を引くためのキャッチコピーつー側面はあるんではないかな。

    あまり認識の差はないようですね。*人目を引くためのキャッチコピーかも、と言われれば「そうかもな。しかしアメリカ人て、どんなセンスしとんねん・・・」とは思います。

    >「くわだてる」の主語が不明瞭なのがまずいですね。訳文では「すべての男性」が「くわだてている」ように読めてしまう。

    ふむー。原文だってそう読めちゃう文じゃありませんかね。だからってそれを「すべての男による共同謀議」だなんて読む人はまずいないだろうけど。

    「くわだてる」の主語が不明瞭とのことについては、それはそうかもしれません。長谷川が(おそらくは)、レイプがまさしくintimidationであるとの著者の思いを日本語に乗せようとして二語に分けた、それがアダになっている・・・のかな?でもだからって、単に「威嚇」や「脅し」では、原文の情感は伝わらないとも思われ。

    >原文と対照しながら読めば、「くわだてている」がつながっているのは、実は「意識的な威嚇のプロセス」の方だという解釈も成立するんで、まあ完全な誤訳かどうかは微妙ですね。

    つーか、長谷川は「企てる」と訳したのであって「謀る」とは訳してないんだから、「すべての男」以下を文脈の中でどう読むにせよ、共同謀議みたいな訳だという話にはなるはずないんですよ、ありえなさすぎだもん、それ。

  75. macska Says:

    強引なイチャモンはいい加減にして欲しいのですが。

    芥屋さん:
    > だって、何ぼなんでも、すべての男による共同謀議みたいなことが
    > レイプにあるわけないじゃん。何を言い出すんだと思いましたよ。

    うん、わたしもそんなことがあるわけがないとは思いましたが、「こんなありえないことを言っている」例として出されたので、そこまでありえないことの例として出す以上はもしかしてそういう意味と解釈しているのか、と解釈しました。また、ブラウンミラーによるこの言葉は米国の反フェミニストによって現にそのように曲解され叩かれているので、それが日本に輸入されたのかとも思いました。

    それがわたしの誤解というならそれは撤回します。でも、そしたら彼女の文章のどこが「ありえないこと」なんでしょうか? ラクシュンさんに言い方は、誰が見ても明らかにありえないことであるかのような感じでしたが、ブラウンミラーの主張を正確に解釈するなら、賛否はわかれるにしてもそんなに「ありえないこと」ではないと思いますが。

    > でも、そうも読める文であることには違いない。そう読むのはフェミ
    > ニズムやジェンダー研究の常識を知らないからだ、だからそう読まず
    > に「誤読」するほうがおかしい、というのは何の言い訳にもなりません。

    はい、だから、ブラウンミラーの文章の書き方が悪いという批判でしたらどうぞ。でも、それは誤読が正解になるわけじゃなくて、単に「誤読したのも仕方がなかったよね」となるだけです。

    > 何故?あなたが自分でした解説、定義した語法、それにもとづけばそ
    > うなるはずでしょう

    だから、わたしがジェンダーという言葉についてスコットの定義を採用していて、その定義のうえで「ジェンダーの解消」を提唱したなら、その通りですよ。でもわたしは「ジェンダーの解消」なんて乱暴なことを提唱していない。他人が言った事にわたしの定義を当てはめればおかしな発言になるかもしれませんが、それの責任をわたしにとれと要求するのは無茶苦茶です。

    さてここでわたしがスコットの定義を採用すると言いましたが、それは理論的なレベルでジェンダーをどういうモノだと理解するかという意味でスコットに賛同するとわたしは言っているわけです。でもより一般的な定義としては、「セックス=生物学的性、ジェンダー=社会的性」という定義が世間に通用していますから、問題としているレベルによってはその定義を採用して話をすることもあります。というより、一般の議論においてはほとんど常にそちらの定義を使うでしょう。

    > そのように混乱しているgenderの定義について、macskaさんはスコット流
    > を採用するといわれます。「男女についてのわれわれの知」だと。ならば、
    > その「知」を解消すべきだという大沢の思想、それが目的だとする政策理
    > 念について、macskaさん、あなたはどう思うのです。

    大沢さんの記述が混乱しているのは確かですが、彼女の主張が芥屋さんの言うようなものだとは到底考えられません。本人が表に出てきて釈明してくれたらいいのですが。

    大沢さんが「ジェンダーの解消」という言葉を使うとき、それが「性差についての知」の解消でないことは、「性差についての知」を解消できるわけがないという事実からしても明らかです。どうして芥屋さんは、賛成反対以前に事実として不可能なことを彼女が推進していると思い込むことができるのでしょうか。彼女がここで言っているのは、「ジェンダーとして特権化された差異による社会的拘束」の廃止であるというのは、前後の文脈を読めば明らかです。それについて賛成か反対かは人によって分かれるでしょうが、少なくとも頭の中にある認識を抹消しようという主張ではない。

    この点についても、彼女の書き方が悪いから分かりにくい、誤解を招くという点についてはいくらでも批判すれば良いと思います。政策に関わる人間として、一般の人がもっとよく理解できるような記述をすべきです。でも、「誤解をしても仕方がない」からといって、誤解が正義になるわけではないですよ。

    > 雛祭りについては、「まだ言うか」とだけ言っておきます。

    それはこっちが言いたいことですよ。デマと現実の区別はつけてください。

  76. 芥屋 Says:

    で、こんな状態の社会学系フェミニズムが、生物学の何を批判しえるというんでしょうか。「科学のゆがみ」と言うけど、何をもって「歪み」とするのか。学問上のそれではありえない、その政治運動にとっての効果的かつ恣意的なものでしかないではないか・・・というのが私なりの、このエントリの主題に則した意見です。

  77. macska Says:

    大沢さんは政治学者、バトラーは哲学者。
    ブラウンミラーに至っては、学者ですらありません(ジャーナリスト)。
    それらを例に、社会学(あるいはフェミニスト社会学)をバッシングされても困るんですが。

  78. 芥屋 Says:

    >大沢さんは政治学者、バトラーは哲学者。
    >ブラウンミラーに至っては、学者ですらありません(ジャーナリスト)。

    だから何?

    >それらを例に、社会学(あるいはフェミニスト社会学)をバッシングされても困るんですが。

    例もなにもないでしょ。科学のジェンダーの歪みを正すために社会学のフェミニズムが・・・とあなたが言うから、あなたを批判しているんですけどね。で、あなたの科学批評?は、まさに欧米の科学者が批判する構築主義系?のフェミニズムのものと同質なので。つか、私はソーカルは読んでないけど、「あー、こうしたことへの批判だったりしたのかな」とも感じます。

  79. macska Says:

    へー、それで批判したつもりになってるんだ。
    芥屋さんの言ったことで有効な批判は、ブラウンミラーや大沢の記述が分かりにくいということだけなんですが。
    あとは、かれらの主張を誤解しているからちゃんと解説してあげているだけで、わたし自身の主張はほとんどしてませんよ。

  80. 芥屋 Says:

    >へー、それで批判したつもりになってるんだ。

    えぇ、つもりも何も批判してますもん。批判たりえてない、というなら理由をどうぞ。まぁ、批判になってないぞ!と思われるんでしたら、それはどうぞご自由に、というだけのことです。

    >強引なイチャモンはいい加減にして欲しいのですが。

    長谷川眞理子に強引なイチャモンをつけたのはあなたでしょう。ラクシュンさんがどうとか言う以前に、翻訳者の「トンデモな誤解」を想定したのはあなたじゃないですか。

    >ブラウンミラーによるこの言葉は米国の反フェミニストによって現にそのように曲解され叩かれているので、それが日本に輸入されたのかとも思いました。

    欧米における社会生物学論争は、決して「フェミvs反フェミ」の図式ではなかったはずですが、違うのでしょうか。*ちなみに、オルコックはほぼ「フェミニスト」を社会学系・文化構築主義系のそれを指して用いていますが、長谷川は自身の著作では識別させています。

    >でも、そしたら彼女の文章のどこが「ありえないこと」なんでしょうか?

    オルコックの著書では、その部分はこういう趣旨です。「性欲」という「自然」を語ることをやみくもに否定・糾弾し、ひたすら「権力構造」を説く思想へと回収されるばかりであること、そういう思想によって科学的思考が糾弾されていることへの批判です。そういう「権力構造」論の文脈における「レイプもそうしたもの以外のなにものでもない」ということについて、オルコックは「ありそうもないこと」としています。ラクシュンさんが引用したのもそこで、私の理解とは異同はあるかもしれませんが、そのオルコックの視点に立ったものでしょう。

    >はい、だから、ブラウンミラーの文章の書き方が悪いという批判でしたらどうぞ。でも、それは誤読が正解になるわけじゃなくて、単に「誤読したのも仕方がなかったよね」となるだけです。

    いや、下手糞な文を書いただけだと主張するなら、それをして誤読とは言ってはいけませんし、誤読呼ばわり自体が不当ですよ。この場合、筆者の「真意」を仮構・代弁して、あくまで読者による誤読だと示し続けるのはパフォーマティヴでこそあれ「それ以外のなにものでもありません」。

  81. 芥屋 Says:

    >だから、わたしがジェンダーという言葉についてスコットの定義を採用していて、その定義のうえで「ジェンダーの解消」を提唱したなら、その通りですよ。でもわたしは「ジェンダーの解消」なんて乱暴なことを提唱していない。

    では、大沢の言うジェンダーとは何なのですか。大沢のジェンダー概念は適切ではなく、不適切なジェンダー概念のもとに法を立案し運用しているのでしょうか。

    >他人が言った事にわたしの定義を当てはめればおかしな発言になるかもしれませんが、それの責任をわたしにとれと要求するのは無茶苦茶です。

    でも大沢の言っている「ジェンダー」とはこうだ、として解説し、批判者の誤解だ曲解だと反批判したのはあなたでしょ。私はここで大沢の真意などどうでもいいのです。あなたの言論責任というものがあるでしょう?

    >大沢さんの記述が混乱しているのは確かですが、彼女の主張が芥屋さんの言うようなものだとは到底考えられません。

    私の言うようなものではないかもしれませんね。大沢は混乱などしていないと私は思っていますから。でも自分の思想や政策理念の根幹を述べているのに混乱しているのであれば、自分の思想や理念自体が混乱していることになりませんか。そんな混乱した観念でもって立法され行政で運用されるんなら、悪法でしかないじゃないですか。

    >どうして芥屋さんは、賛成反対以前に事実として不可能なことを彼女が推進していると思い込むことができるのでしょうか。

    「あなたが本当に男かどうかは、あなたの子供を妊娠した女でないとわからない」んだそうですよ。これがどういうメタファーの観念論であるかは、わかりますけどね。強度の観念論者だと思います。

    >政策に関わる人間として、一般の人がもっとよく理解できるような記述をすべきです。でも、「誤解をしても仕方がない」からといって、誤解が正義になるわけではないですよ。

    えぇ、まーそういうことではなくて、仮に「正義」を設定するとしてもですね、「悪法を正す」側にいるから正義とは限らない。「科学の歪みを正す」にしても同じこと。自分は政策には関わってないから云々は、何の理由にもなりませんよ。

  82. macska Says:

    芥屋さん:
    > 欧米における社会生物学論争は、決して「フェミvs反フェミ」の
    > 図式ではなかったはずですが、違うのでしょうか。

    社会生物学論争じゃなくて、フェミニズムへのバッシングの一環として頻繁にブラウンミラーのその言葉が持ち出されて、曲解のうえに叩かれるんですけど。

    > そういう「権力構造」論の文脈における「レイプもそうしたもの
    > 以外のなにものでもない」ということについて、オルコックは
    > 「ありそうもないこと」としています。

    そうでしたか。わたしからみて、ブラウンミラーの言明はちょっと極端だなとは思いますが、まったくありえないことのように否定するのもおかしいと思います。「『性欲』という『自然』を語ることをやみくもに否定・糾弾し、ひたすら『権力構造』を説く思想へと回収されるばかりであること」という批判ですが、「権力構造」を語ることをやみくもに否定・糾弾し、ひたすら「自然」を説く思想も同じく誤謬であるというなら同意できます。

    > いや、下手糞な文を書いただけだと主張するなら、それをして誤
    > 読とは言ってはいけませんし、誤読呼ばわり自体が不当ですよ。

    ヘタクソな文章で誤解を呼びやすいけれども、きちんと読めばちゃんと理解できるのですけど。

    文章にも問題があるので、誤解してしまうのはまぁ仕方がない。でも、きちんと読まずに誤解した人が偉そうにしないでください。

    > では、大沢の言うジェンダーとは何なのですか。

    文脈によるでしょう。
    「ジェンダーの解消」というときのジェンダーとは、先に述べた通りの解釈だと思います。

    > 大沢のジェンダー概念は適切ではなく、不適切なジェンダー概念の
    > もとに法を立案し運用しているのでしょうか。

    大沢さんは、政策を通すために概念を単純化して説明したりといろいろ妥協を重ねているにも関わらず、別の場面では理論に忠実な解説をしようとしたりしているために、一貫性がありません。そのため、読む側に負担をかけるような書き方をしています。ジェンダーという言葉のさまざまな意味をきちんと理解している人が読めば理解できるわけですが、「ジェンダーって何?」というレベルの読者が読むと、ジェンダーとは何のことか訳が分からずに混乱します。そういう意味で、彼女の言動はパフォーマティヴに失敗だし、議論を混乱させる元となっています。

    そのことと、彼女の推進している政策が良いか悪いかというのは全く別の話。わたしの知る限り、特に酷い政策を推進しているという事実はないように思います。

    > でも大沢の言っている「ジェンダー」とはこうだ、として解説し、
    > 批判者の誤解だ曲解だと反批判したのはあなたでしょ。

    わたしは、大沢が「ジェンダーの解消」というときの「ジェンダー」とはこういう意味で使われているとは言いましたが、彼女は常にその意味でジェンダーという言葉を使っていると言ったことはありませんよ。文脈によって使い分けていると何度も言っている通り。

    > でも自分の思想や政策理念の根幹を述べているのに混乱しているの
    > であれば、自分の思想や理念自体が混乱していることになりません
    > か。そんな混乱した観念でもって立法され行政で運用されるんなら、
    > 悪法でしかないじゃないですか。

    それはおかしな決めつけです。推進者のうちの一人が混乱していたからといって、その法律が悪法ということにはならないでしょ。それに、わたしは彼女の記述が混乱していると言っているのであって、彼女の思想が混乱しているとは思っていません。

    > 「あなたが本当に男かどうかは、あなたの子供を妊娠した女でないとわ
    > からない」んだそうですよ。これがどういうメタファーの観念論である
    > かは、わかりますけどね。強度の観念論者だと思います。

    これはメアファーでもなんでもなく、「本当に」という言葉で「生殖学的に」ということを指しているだけじゃないですか。わたしは「生殖学的な性」が「本当の性」だとは考えないので、何とおかしなことを言っているんだと思いますが、これは観念論とかメタファーとかそういうレベルではないでしょ。

    > 仮に「正義」を設定するとしてもですね、「悪法を正す」側にいるか
    > ら正義とは限らない。「科学の歪みを正す」にしても同じこと。

    それは当たり前。自分が正義だなどと名乗った覚えはないですし、そもそも「わたしが」科学の歪みを糾すなどとは言っていませんよ。一般論として、科学論の存在意義はこういうものであると述べただけです。それが間違いなら論理的に反論すればいいのに、「フェミニストにはこんな奴がいるから駄目」「macskaはこんな酷い議論を展開するから駄目」のように、科学論の意義という本題について何の批判にもならないことを言うばかり。仮にわたしが最低最悪の論者だったとしても、だからといって科学論には意義がないということにはならないのに、一体なにを勘違いしてわたしに言いがかりを付けてばかりいるのか。

  83. ラクシュン Says:

    バトラーの議論は何か、カント、ソシュール、ニーチェ、フッサール、ルーマン、スペンサー・ブラウン、フェミを足して8で割ったような話だな。

  84. ラクシュン Says:

    フーコー、ピュロンも付けたし。

  85. Josef Says:

    tummygirlさん

    >flekramさんの仰っていることはまさに問題になっている点だと思いますが。

    あらら、tummygirlさんも同じ水準で考えてらしたのですか。

    >ただ「自然」とまとめた時、その「まとめ方」は既にわたくしたちの認識の枠組みに
    >よっているわけで、その意味では「<自然>として認識されているものは、社会的・
    >文化的認識である」わけです(そこら辺は「自然」という概念の歴史を調べても
    >すぐに分かることです)。

    だからね、その「わたくしたちの認識」ってのはどうやって認識されるの?それが「社会的・文化的認識」だってどうして分かるわけ?
    「そう認識されたものにすぎない」というのはtummygirlさんの議論のキモでしょ。ならばご自分の依って立つ認識論的基盤をもっとクリアにしてくれなくちゃ。

    >もちろん、「社会や文化というものも社会的・文化的認識に過ぎないじゃないか」と
    >いわれればその通りです。ただ問題は、「社会」「文化」という概念は、定義上、
    >「社会」や「文化」すなわち人間の営為の総体の外部に属する普遍的なもの、では
    >ない。他方で、バトラーの語っている文脈において「自然」はそのような負荷を持つ
    >タームなわけです。だから、前者を「社会的・文化的認識に過ぎない」ということ
    >には別に何の新しい意義があるわけでもないけれども、後者についてはそれが意味を
    >持つ、ということです。

    うーん、これじゃあムニャムニャ言ってるだけだなあ。
    たとえば次のように表現してみたらどうですか?tummygirlさんのお考えに近いですか?

    *「社会」や「自然」と名指されるものは何らかの仕方で「在る」だろう。ただそれはそれ自体として直接認識することはできない。私たちは言語行為の反復・連鎖を通してそれらをあたかもその通りの実在であるかのように現前させているのだ。私が「社会」と言う時、社会を実体として捉えているわけではない。反復される言語行為を通じて「社会」なるものが現前し、その現前を実在として私たちは行為し、また行為せざるをえない。それら行為の連鎖はさらに「社会」を再現前させることになるだろう。すなわち「社会」とは実体として捉えられたものではなく、私たちがその中を括弧つきの「現実」として生きている事実性の集合をそう名づけただけなのだ。「自然」とはその事実性の集合において「本来的に在るもの」ゆえに「如何ともしがたいもの」として現前し機能する記号に他ならない。この意味において「自然」もまた事実性としての「社会」に包摂されるのである。

    そして、なぜ「自然」が特に批判対象となるかはこんな感じかなと思うのですが、いかがでしょう?

    *私はことさら「自然」だけを批判対象とするわけではない。たとえば社会的事象とされる「差別」はスティグマを被差別者の属性として現前させる(いわばスティグマを身体に彫りつける)言説作用に他ならず、当然批判的分析の対象となる。「自然」のみが批判対象ではないのだ。ただある事態=言説が「自然」と命名される時、それはそれ以上の遡及を許さない「正当」として機能し、あらゆる異論や改善要求は「非自然=不当」として排除される。それゆえ「自然」を標榜する言説には特に注意深くあらねばならないのである。

  86. xanthippe Says:

    大澤さんが言ってるのは、社会的知としてのジェンダーの解消ではなく、社会規範というか、男は、女はこうあるべき、という男女のありようを固定しようとするジェンダーの解消でしょう? 「男って、女ってこんなもんだ」、というのと、「男は、女はこうあるべき」は明らかに違うものね。

    情報としてあるものを否定などできないし、大澤さんもそんなことはいってないでしょう。虹を3色だと理解する人もいれば12色だと思う人もいる。7色でなければならないって言うのはやめようや、っていっているだけじゃないのかなあ。子どもが虹の絵を5色で描いているとき、「ほら、虹は7色でしょ」って大人が色を足すようなことはしないほうが、子どもの絵の能力は伸びる。

    そういえば、スコットの「ジェンダーと歴史学」を読んだのは結構前のことだから、あんまり自信はないですけど、スコットもジェンダーについては使い分けしているんじゃないのですかね?「肉体的性差に付与された社会的知」と「性差の社会的組織化」と。 どちらも「ジェンダーとは」、っていっていたような気がする。

                                                                                   

  87. 通りすがり Says:

    Josehfさんはご自分でブログでも立ち上げて議論の続きを行ったらよいのではないでしょうか?ご自身は「教えて君」に徹底なさっていますが、そのくせ、ご自身がどのような立場をとるのか、いったい何が知りたいのか、あるいは一番聞きたい・叩きたい答えは何なのかをきちんと提示しないために、やりとりにずっとズレがありますよね。ま、コミュニケーションスキルの問題かもしれませんが。

    こういうのもありますよ。ご参考まで
    http://oshiete.goo.ne.jp/

  88. foo Says:

    >通りすがり

    それはだめです。今ジェンダーフリーバッシングに対抗する勢力の中心の一人がmacskaさんで(少なくともweb上では)、特に「セックスはジェンダー」という、問題が多いのではないかとされている主張の内容を議論する場所がここなのです。

    もう一人の大物のblog界の大物になりつつあるchikiさんはここにリンクを投げているだけなので、
    http://seijotcp.hp&#46infoseek.co.jp/genderfreeQandA.html#62
    ここで議論しなければなりません。

    macskaさんはそういうなかで「誰でもわかる解説」を書いているのですから(リンクされてしまったのかもしれませんが)、ある程度「セックスはジェンダー」という主張をひっぱっていくつもりがあるはずだ(少なくとも「誤解」を解きたいと思っている)と多くの人に思われてもしょうがありません。

    そして、macskaさんは、ジェンダフリーバッシングの多くは誤解にもとづいていると主張するのですから、ある程度他の「セックスはジェンダー」を主張していてmacskaさんと見解を異にすると思われる人びとについて、macskaさん自身はどう見ているのかをはっきりする必要があります。

    macskaさんが「大沢先生はわかってない」「上野先生と私はぜんぜん意見が違う」「tummygirlさんと私はぜんぜん見解が違う」と主張すれば、おそらく議論はおわります。しかしもしそういうことを主張すれば、ジェンダーフリーバッシングの多くが誤解であるというmacskaさんの主張はあやしくなってしまいます。だって、macskaさんとは別の人びとに対する攻撃なのですから。だから、macskaさんがこのエントリを立ち上げた時点で、他の「セックスはジェンダー」論者たちの見解にも一定の判断を求められることになってしまっているわけです。さて。茶々を入れながら、ゆっくり見守りましょう。芥屋さんやJosefさんのように、ネチネチ問いただすことが必要なときもあるのです。

    余計ですが、私見では、「フェミニスト」に対する批判の核心の部分は、(「男性的」なコミュニケーションのとりかたからすると)「君ら、言ってることそれぞれぜんぜんちゃうやんけ。グループなんやったらなんか意見調整してるんかいな」なのです。フェミニスト自身も自覚的であるように、「フェミニズム」は分裂をくりかえし、ほとんどの論点について見解が分かれてしまっています。以前は定説に近かった「レイプは性欲ではなく権力」という見解でさえいまではフェミニスト内部でも疑問視されてます。ここらへんについての公式見解がないというのが問題で、なんらかの公式見解なり定説なりの候補を打ち出そうとする人に質問が集中するのはしょうがないのです。特に「セックスはジェンダー」は、国内で最近ちゃんとした議論もなしにいつのまにかぐずぐずに定説になりつつある主張なので、ちゃんと議論する学問的価値があります。くりかえしますが、macskaさんが「定説の候補なんてつもりじゃなくて、macskaの個人的な*思い込み*を書いただけで、他人はまったく関係ない」と言えばそれで話はおわりです。でもそれじゃおもしろくないでしょう。

    私はこのエントリはかなりよい議論がおこなわれていると思います。特に誰にもコミュニケーションスキルの問題は見当りません。がまん強い議論の継続を望みます。

  89. flekram Says:

    > だからね、その「わたくしたちの認識」ってのはどうやって認識されるの?それが「社会的・文化的認識」だってどうして分かるわけ?

    社会とか文化は、人間の認識の内側に構築されたもので、言語を通じて共有されているので、「実体」から概念を取り入れるときと同じじゃないんだよーん、認識の外側に概念はないけど、他人の頭の中にすでに存在する概念をコピーするのはできるもんね、という話なわけですが、そんなに難しいすか?もちろん、各人が持っている認識が完全に一致することはないでしょうが、それをもって、「実体」から概念を取り入れる場合と同じだといってしまうのは詭弁です。

    ひょっとすると、言語を通じて社会的・文化的認識を共有するやり方(ある種の try & error)と、自然科学の方法論 (仮説→検証)の類似をもって、「自然」から概念を取り出すときも同じではないかというのが Josef さんの考えているところかもしれないので一言断っておきます。自然科学の概念は「実体」と同一視されていないので、その意味では哲学者の批判対象にはなりません。もし、自然科学の概念を「実体」と同一視すれば、哲学者だけじゃなく、科学者からも批判されることになりますんで、そこんとこよろしく。

  90. flekram Says:

    芥屋> えぇ、そうは読めない、とは言いませんよ。「それを言いたかったのだろうに」については反対しておりません。

    ま、そう認めるしかないでしょうなあ。

    でも、concious を関係代名詞の向こう側の all men にあてはめるのは誤読だということに変わりはありませんよ。

    芥屋> そういう「権力構造」論の文脈における「レイプもそうしたもの以外のなにものでもない」ということについて、オルコックは「ありそうもないこと」としています。

    性欲を完全に無視することをもって「ありそうもないこと」という話ならわかるんですが、レイプと権力の関係が「ありそうもないこと」といっているなら、自然科学をやってる人として、ものすごくまずいです。仮説としてきちんと成立する話なんで、それを「ありそうもない」で退けたら、「時間が伸び縮みするなんてありそうもない」で特殊相対性理論を退けるのも認められてしまいます。

  91. Josef Says:

    通りすがりさん

    >ご自身は「教えて君」に徹底なさっていますが、そのくせ、ご自身がどのような立場をとるのか、いったい何が知りたいのか、あるいは一番聞きたい・叩きたい答えは何なのかをきちんと提示しないために、やりとりにずっとズレがありますよね。ま、コミュニケーションスキルの問題かもしれませんが。

    私の立場はmacskaさんのエントリー文と私のコメントを見れば明らかでしょうに。ちゃんと読むか、読むのが面倒なら黙ってましょうね。これ、コミュニケーションスキルの基本。

  92. Josef Says:

    flekramさん、やっぱりあなたは根本的に分かってません。

    >社会とか文化は、人間の認識の内側に構築されたもので、言語を通じて共有されて
    >いるので、「実体」から概念を取り入れるときと同じじゃないんだよーん、認識の
    >外側に概念はないけど、他人の頭の中にすでに存在する概念をコピーするのは
    >できるもんね、という話なわけですが、そんなに難しいすか?

    「人間」「言語」「他人の頭」…、flekramさんの文は実体化のオンパレードです。私は全部実体として認めるからいいんだけど、「自然」はそうじゃない?支離滅裂な文は難しいです。

    >ひょっとすると、言語を通じて社会的・文化的認識を共有するやり方(ある種の try & error)と、自然科学の方法論 (仮説→検証)の類似をもって、「自然」から概念を取り出すときも同じではないかというのが Josef さんの考えているところかもしれないので一言断っておきます。

    そのJosefさんて誰のこと?って聞きたいくらい的外れ。

  93. foo Says:

    (これも本筋ではないです)

    「レイプはセックスではなくて権力」仮説についてはオルコック『社会生物学の勝利』第9章あたり。
    正確には「このような発見(強姦はほとんどすべての文化で見られるし、
    昆虫から哺乳類に至る多くの生物で見られる)があるからこそ、
    社会生物学者たちは、「強姦はセックスとは何の関係もない」仮説はありえそうもないばかりか、
    間違っているに違いないと考えるのである。」p.323あたりですね。

    >flekramさん
    >性欲を完全に無視することをもって「ありそうもないこと」という話ならわかるんですが、
    レイプと権力の関係が「ありそうもないこと」といっているなら、
    自然科学をやってる人として、ものすごくまずいです。仮説としてきちんと成立する話なんで、

    オルコックやそのもとねたになっている人々は、
    仮説としての「強姦はセックスではなく権力」がimplausibleだと主張しているのだと思います。
    一番問題なのは、「強姦の被害者は若い女性がほとんどだ」という事実だと思います。
    もし性欲ではなくて権力が問題なのであれば、もっと年上の女性も頻繁に
    被害者になってよさそうなものだからです。

    他にも「レイプはセックスではない」の反証になるような事例はたくさ
    あります。ここらへんの話については、David M. Bussの
    The Evolution of Desire: Strategies of Human Mating, 2003, Basic Books
    あたりがかなり詳細に検討しています。ピンカーの『人間の本性を考える』NHK出版も必読。
    わたしはいまのところ国内のフェミニストでここらへんの社会生物学の影響を受けた人々の
    議論を検討している人を見たことがありません。『バックラッシュ』本は期待しています。

  94. 芥屋 Says:

    >flekramさん

    >ま、そう認めるしかないでしょうなあ。

    んー、苦虫を噛みつぶしながら渋々うなづいているように見えるんですかねw

    >でも、concious を関係代名詞の向こう側の all men にあてはめるのは誤読だということに変わりはありませんよ。

    ここではレイプはintimidationの意識的なプロセス以外のなにものでもない、という主張ですよね。で、どういうintimidationなのかというのがby which以下の説明。flekramさんの言ってるのは、実際にrapeしている(そのことでintimidateしている)「行為者」はthe menであってall menじゃないんだということでしょ?それは当たり前です。

    そしてここからが肝心なこと。もちろん女を直接にintimidateしてrapeしている行為者本人はthe menであるけど、結果として女は間接的にも(男性への潜在的な恐怖として)all menからintimidateされていることになるんだ、そういう「権力構造」があるんだ、レイプはそのa conscious process(一つの意識過程)であって、それ以外のものではないんだ・・・という文脈の主張じゃないんですか?だからこのconsciousが特定の男たち(the men)限定のものであるはずがないんですよ。

    そういう文脈の中での一文だとしか思えなかったのですが、違うんでしょうか。もしflekramさんが言うように、そのa conscious processというときの意識の「持ち主」までがthe men だということであれば、特に変わった主張をしているわけでもないし、「構造」の話にもならない。なぜなら、そういう話ならごく普通に、その「意識過程」の主体者はthe/all womenであるはずで、でもそれだとどうですか、それはブラウンミラー流の主張ではないでしょうに。

    だからね、誤読なんかじゃないですよ。おそらくmacskaさんやflekramさんは、「どの男も強姦魔予備軍だと言うのか?どの男も本音ではレイプしたがっているんだと言うのか?バカを言うな!」という、ありがちな男の反発を想定してるんじゃないかな。いわばマニュアル的に、「男がこう反発したら、こう説明して、まず初歩的な誤解をとくべし」という。

    それであぁいう説明になっちゃるんじゃないかと。でも「それは誤読だ、ごく当たり前に考えてよ」と翻案したところが、かえって元の主張の趣旨をくつがえしちゃってるんじゃないですかね。私は、Josefさんの読みのほうが真意を伝えているとするfooさんの意見に納得するんですけども。

    それに、私はブラウンミラーは読んでないし、構造主義もよくわからんです(どちらかといえば冷淡かも)。ともかく、彼女の一文のテキスト解釈も本論の主題ではないので、macskaさんやflekramさんの説く読み方については「そうも読めますか」くらいなものですよ。ですから興味は原著者の「真意」に対してではなく、macskaさんやflekramさんによって「仮託」された考え方にあります。で、「こう読むべきなんだ」ということであれば反対もしません。「ほぅ、それでいいんですか?」とは思いますけど。

    なお、オルコックはここで「権力構造」の有無については是とも非とも言ってません。レイプについて、性欲によるものを持論として完全に否定するだけでなく、科学者が性欲について触れることをも非難しようとすることについて、なぜそんな批判が出てきて、なぜそんな誤った解釈が生じるかを解説しております。

  95. 芥屋 Says:

    >macskaさん

    少し体力的にしんどくなってるんじゃありませんか?病弱なんだから無理はしないでくださいね。途中でやめても私は「勝手に論破宣言」などしませんので。あと、希望ですが議論続行用のエントリがほしいところです。すごく重たくなっていると思うので、閲覧者の回線によっては最後まで開かない人もいるかも。

    >社会生物学論争じゃなくて、フェミニズムへのバッシングの一環として頻繁にブラウンミラーのその言葉が持ち出されて、曲解のうえに叩かれるんですけど。

    そうですか。でもそれは政争の話であって、今ここでの主題とは関係ないように思います。私が今件の主題だと思っているのは、まさに社会生物学論争における主題と同じものです(私を含めてレベルは落ちてますがw)。

    それとも、macskaさんにとっては「社会生物学論争とは何だったのか(渦中において文化構築主義系のフェミニストは何を批判されたのか)」ということより、政争としての「フェミニズムへのバッシングの一環」の中に、この主題をも回収したいということでしょうか。

    >> そういう「権力構造」論の文脈における「レイプもそうしたもの以外のなにものでもない」ということについて、オルコックは「ありそうもないこと」としています。

    >そうでしたか。

    そうなのでした。

    >「『性欲』という『自然』を語ることをやみくもに否定・糾弾し、ひたすら『権力構造』を説く思想へと回収されるばかりであること」という批判ですが、「権力構造」を語ることをやみくもに否定・糾弾し、ひたすら「自然」を説く思想も同じく誤謬であるというなら同意できます。

    オルコック自身は、構造主義?による「権力構造」論への賛否は述べてませんが、要するにどちらも「自然主義の誤謬」なんですよ。彼にしろドーキンスにしろ、いわゆる「生物学的決定論・遺伝決定論」の誤り(それらが生物学的に言って誤りである理由)も、詳細かつ懇切丁寧に述べていますしね。彼らの本来の論敵は、保守派の自然主義的な疑似科学だったりキリスト教原理主義だったりしますし。

  96. 芥屋 Says:

    >>では、大沢の言うジェンダーとは何なのですか。

    >文脈によるでしょう。

    ですから、それならどんな文脈ではもっぱらこのように使うんだという、使い分けの具体的・客観的な基準を示してくれと言ったんです。最重要なキーワードですら、発話者の恣意的な語法と恣意的な文脈で使い分けになってるんじゃ話にならないから。一箇所だけコメントします。

    >>「あなたが本当に男かどうかは、あなたの子供を妊娠した女でないとわからない」んだそうですよ。これがどういうメタファーの観念論であるかは、わかりますけどね。強度の観念論者だと思います。

    >これはメアファーでもなんでもなく、「本当に」という言葉で「生殖学的に」ということを指しているだけじゃないですか。

    上野と大沢の対談、読んでないんですね。読んでない文章の「文脈」を、あなたはどうやって「読んだ」のでしょうか。*つか、「子を成せない男(相手がいないorその能力がない人)は、本当に男かどうかわからんよ」ということですか。どういう人権感覚なんだか。

    で、大沢についてはもういいです。ジェンダーの語義の使い分けがあるのであれば、その使い分けの基準を示してほしいと私は言いました。それもなく、ただひたすらこの箇所ではこの意味だろう、この箇所ではこうじゃないかと言われたって、そんなの検証のしようもないし、あなたの持論の仮託というか自己投影じゃないかと私が言えば、反証なんてできないでしょ?そんな議論は無意味です。

  97. 芥屋 Says:

    こうなってしまうと、「ジェンダー」とは要するに、ただ単に「気分」を表現する用語にしかならないんです。「ジェンダー」という言葉に託して、その論者がその時に乗せたい「気分」。それは文脈でわかるだろというなら、その論者がどういう気分で「ジェンダー」という言葉を使っているか雰囲気で読めや、ということになる。

    それならそれでもいい、と私は思わないでもありません。論理ばかり追う男と違って、女は感情の生き物なのよ、気持ちを言葉の全部の中から汲み取ってよ、それが男と女の自然であって、しかも伝統的なありかたでしょと言われたら、私はそれを全く否定するわけでもありませんから。でもね、これから書くことは考えてほしいです。

    生物学で、たとえば進化論、その「進化」という概念や「自然淘汰」という最重要キーワードについて、実に様々な誤解がある。誤解にもとづく非難や誤用・悪用も多い。でもなぜ「それは誤解だ」「進化論や淘汰概念の誤用・悪用だ」という反批判や教育・啓発が行えるかといえば、それはこうした重要な語句について、きちんと生物学の中で定義づけられているからです。

    ところが、こうだとしたらどうでしょうか。「進化とは何かということについて、進化論者の中でも確たる定義はない」「自然淘汰についても、どのようなことを指しているかは統一見解などない」「そもそも同一の論者の中であっても、進化や自然淘汰という言葉の意味は様々に使い分けられている」「どう使い分けているかは読者が文脈で判断すべきである」「定義などを無理に統一してしまえば進化論を支持する人々の分裂を招くので運動論的に得策ではない」・・・。

    「ジェンダーの視点」が「科学の歪みを正す」としますが、視点も視線も定まらない眼差しで見れば、何だって歪んで見えて当然でしょう。「いや、人によっても違うけど、同じ人でも違う意味で使い分けたりもするけど、視点も視線も定まってるんだ」というのであれば、そこに定まって微動だにしないもの・・・それは「このわたくしが、いま、この目で」です。

    しかし科学は、そのようなもので「正され」てはならないのです。

  98. macska Says:

    重くなってしまったのでコメント欄を閉鎖します。
    続きは掲示板の方で行ってください。

  99. 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ! Says:

    [思ったこと]ジェンダーがセックスを規定するってどういうこと?

    http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20051229#p2 とか、 http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20060103#p3 とか、http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20060104#p1 とかで書きなぐっていた事柄について、macska 御大のエントリー。しかし、macska さんの活動は息がながいなあ。 「誰

  100. 木々ノ日記@livedoorblog Says:

    ジェンダーがセックスを規定するとはどういうことか

    荒唐無稽に見える「ジェンダーがセックスを規定する」という主張を大まじめにする学者がいる。
    Wikipediaの「ジェンダー」の項にも「Sex is Gender」という意味不明の文が登場する。
    荒唐無稽に見える「Sex is Gender」という主張をする者の考え方の一端を知ってもらう�…

  101. スウィングしなけりゃ脳がない! Says:

    [本]イアン・ハッキング『何が社会的に構成されるのか』理論編…

     半年前に読んで記憶から消えかかっていたが、id:boy-smithさんに薦めてみた手前、再読。写真は5月に道志川キャンプ場で行われたNatural High!という (more…)